下鴨神社で 「蹴鞠」(けまり)見物の巻


それは、2017年1月4日(水)のこと・・・

京都にある世界遺産・「下鴨(しもがも)神社」で行われる、
珍しい「蹴鞠」(けまり)の特別観覧席を頂戴したので、
参上させていただきました。


「光の学校」から、タクシーで10分ほど・・・
これが、かの有名な「下鴨神社」の入口。





下鴨神社のご説明は・・・
掲示板にお任せしますね(笑)。




これが、神社境内(けいだい)の地図。
平安時代には、都の郊外の深い森の中にありました。




これが、平安京造営以前から存在するという原生林、
有名な「糺の森」(ただすのもり)なのですが、
今では、周囲を見回してしまうと・・・(涙)

おっと、余計なことを書くのは、やめておきましょうね。
よろしければ、ご自分の目で、ご確認ください(笑)。





気を取り直して、とりあえずは「本殿」へ・・・





本殿に向かう参道には、さまざまなお店が開店中。


 


「人生の羅針盤」と書かれた、「おみくじ」も売られていましたが・・・

これから下鴨神社にお参りに行くというのに、神社そのものではなく、
わざわざ参道の売店で「おみくじ」を買う人が、いるのでしょうか?(笑)





みかん、えび芋など、一般の「縁日」では見られないお店も・・・

※ 右写真の「頭芋」というのは、初めて見ましたが、いったい??
しかも、格安なのに、かなり売れ残っておりました。
(「頭芋」というネーミングが、おいしくなさそうですよねぇ・・・)


 


おお! これは凄い!!

大阪名物の気楽な庶民メニューである「どてやき」に、なぜか、
「松阪牛 最高ランク A4、A5クラス使用」と、
信じられない豪華な宣伝が書いてありますが、採算は取れるのでしょうか?

・・・いえ、決して、何かを疑っているわけではありませんよ(笑)。





露店街を・・・いえ、「糺の森」を抜けると、
目の前に、本殿に近い大きな鳥居が出現!





いよいよ、神社の本体が、迫ってきましたよ。





神社本体の前には、「縁結びの神」として知られる「相生社」があり、
大勢の女性たちが、何かを真剣にお願いしていますよ。





その近くでは、こちらは神社公認(笑)の「恋愛おみくじ」があり、
なぜか、男女別に引く仕組みになっています。

よく見ると、男性用の箱は2つしかないのに、女性用の箱は6つも・・・
これほど、男性よりも女性の方に、人気が高いという証拠ですね。




それにしても、男性用と女性用を分ける必要が、あるのでしょうか?
男性用は、女性用よりも、エッチ度の高い項目が用意されているとか?(笑)

いま思えば、入手して確かめてみれば、良かったのですが・・・
若者たちに混じって、おじさんが並ぶのは、恥ずかしかったんです(笑)。


さて、ついに、神社の本体に突入!





「蹴鞠はじめ」と書いてある文字を見ると、
ますます、期待が盛り上がってきますよね。





本殿前に、横並びに長く広がる「お賽銭箱」の上空には、
思わず深く納得する、このような優しい注意書きが・・・(感涙)




※ 本殿そのものは撮影禁止のため、写真は撮っておりません。


お祈りをした人々の多くが、「お守り」を求める授与所では、
(おそらく女子大生らしき)巫女(みこ)さんたちが大活躍。





「特別観覧席」である舞台の上に登れる私は、
この場所で巫女さんに出迎えられて、早くもご機嫌に(笑)。





巫女さんのご案内で、特別観覧席(舞台)の上に登ると、
眼下には、すでに大勢の人々が、開始をお待ちになっていました。





舞台の上にも、すでに、大勢の先客が(涙)。
(蹴鞠の開始まで、まだ1時間以上もあるというのに・・・)





特別観覧席から見下ろすと、このような光景でしたよ。





巫女さんから、「蹴鞠」と題した小冊子をいただいたので、
さっそく、時間つぶしに、開いてみました。

すると、期待以上の素晴らしさで、
「蹴鞠」の全てを詳しく解説してあり、
その内容の濃さに、「解説書マニア」の私は、もう大満足。





その素晴らしい解説書を開き、大切な部分を要約しながら、
ご紹介していきますね。

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 蹴鞠は、約2300年以上も前、中国の斉(せい)の国の都で行われていたことが、
2100年前に前漢の司馬遷(しばせん)によって著された、
『史記』(しき)の中の『蘇秦列伝』(そしんれつでん)に、記載されているのだそうです。
(ただし、実際には、現在のサッカーのようなものではなかったかと推察されています)


 日本へは、約1400年ほど前に、仏教などと共に伝来したそうですが、
中国では蹴鞠が衰退した一方で、わが国では、独自の発展を遂げて、現在まで継承されているのです。

たとえば、飛鳥(あすか)の法興寺(ほうこうじ)における蹴鞠の会で、
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智天皇(てんじてんのう)が鞠を蹴って脱げた沓(くつ)を、
中臣鎌足(なかとみのかまたり)、つまり後の藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が拾ったのがきっかけで、
645年の「大化改新」(たいかのかいしん)が成就(じょうじゅ)したのだそうです。


 平安時代後期には、藤原成通(なりみち)という名足(めいそく)が出現(「名足」=「名人」)。
藤原成通は、数々の逸話を残し、66年の生涯で7000日も鞠を蹴ったとのこと。
また、歴代の天皇も蹴鞠を好まれ、鎌倉・室町時代を通じ、
蹴鞠は貴賤を問わず流行し、京都だけではなく地方にも広がりました。

さらに、江戸時代には、現在の京都の新京極(しんきょうごく)や
円山公園(まるやまこうえん)などの各所に「鞠場」(まりば)が設けられ、
多くの人々が蹴鞠を楽しんだと伝えられています。
この頃には、女性が蹴鞠をしている絵も残されているとのこと。


 しかし、明治維新を迎えて西洋化が進み、わが国古来の文化が尊重されなくなると、
蹴鞠も、存亡の危機に立たされました。
しかし、旧公家を中心に蹴鞠は継承され、
明治維新以降もしばしば天覧鞠(てんらんまり)が開催され、
明治天皇より「蹴鞠を保存せよ」との勅命(ちょくめい)と御下賜金(ごかしきん)を賜って、
現在の蹴鞠保存会が設立されたのだそうです。


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そして、これが、その「蹴鞠」の本体!


 

 鞠は、丸く切った2枚の鹿革の毛の方を内側にして、
馬の背筋(せすじ)の革で、綴(と)じてあります。
鹿革の一部に設けた小穴から、大麦の穀粒を詰め込んで内側から張り膨らませ、
充分に形を整えた後に、表面に鉛白(えんぱく)を塗って卵白(らんぱく)で固定し、
穀粒を抜いてから小穴を綴じ塞いであります。

したがって、鞠の中は空で、紙風船のように膨らんでいます。
鞠は2つの半円を繋(つな)いだ繭形(まゆがた)で、
直径は20p前後、重さは120g程度ですので、
風が吹くと、蹴り上げた鞠は流されてしまうのです。

鞠は革製で湿気を嫌うため、雨天時には、屋外で蹴鞠をすることはできません。


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その「蹴鞠」は、次のような、
決められた形式の場所を設けて行われます。




 蹴鞠は正式には8人で行いますが、場所の関係で6人で蹴ることもあります。
蹴鞠をする人を、鞠足(まりあし)と称します。

また、蹴鞠を行う場所を、鞠庭(まりにわ)、鞠場(まりば)などと呼ぶそうですよ。


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解説書を読んでいるうちに、
ついに、「蹴鞠」の開始時刻に!

気がつくと、蹴鞠を行う方々が「鞠庭」の横に並び、
女性が、鞠を持って現れ、皆に見せて歩いているではありませんか。

 


やがて、全員が鞠庭に出て、円形に並んだかと思うと・・・





格の高そうな男性が、鞠を手に、またもや全員に見せて歩きます。

何をするにも、いちいち、ゆったりと優雅に時間をかけるのが、
平安時代の時間の流れなのでしょうね。





1回の蹴鞠を「一座」(いちざ)と言いますが、時間の制限はありません。

また、勝ち負けもありませんので、このあたりと判断すれば、
次席から、蹴り渡された鞠を12足、蹴り上げて、
その鞠を手に受け、鞠庭の中央に転がして一座を終了します。
そして、鞠庭に入った時と同じ順番で退出します。

一座(初座)に続けて行う、2回目の蹴鞠を、「二座」と言います。
三座、四座と続く時もあるそうですよ。


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おお!

ついに、鞠が高く蹴り上げられて、「蹴鞠」の開始です!!





決して「戦っている」わけではないため、「試合」とは呼びません。
ただ、「優雅な蹴りを楽しんでいる」だけであり、各自の優劣は競わないのです。

(ここが、すぐに優劣・勝敗を決めたがる、海外の類似行事との違いだそうですよ)


 


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鞠を蹴る時の作法は、色々ありますが、
摺(すり)足で、右・左・右の足の運びの三拍子に合わせて、
右足の拇趾(おやゆび)の付け根で、鞠をなるべく地面に近い低い位置で蹴ります。
足の他の部位や左足では、蹴ってはいけません。

また、膝は曲げずに、伸ばしたまま蹴らなくてはなりません。
後ろ向きに蹴ることも、不作法とされています。

上半身は動かさずに穏やかさを保ち、
足は繁く動かしながらも、「うるわしく」鞠を蹴らなくてはなりません。

また、一段三足(いちだんさんそく)と言われ、
受取鞠(うけとるまり)、手分(てぶん)の鞠、渡す鞠、の、
三足で蹴ることが基本とされています。

一方、蹴り上げた鞠の回転を色(いろ)と言いますが、
これが美しく、蹴ったときの音(ね)が良く、
高さは15尺(約4.5m)に蹴るのが良い鞠とされています。

これらの約束を守りながら、鞠を地面に落とさないように蹴り続けるのです。





おお! \(゚o゚;)/ お見事!!

もの凄いシュート(?)に、観客からも大きな拍手が!!





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この写真のように、素晴らしい蹴りが決まる時もありますが、
難しい技を駆使して鞠を蹴ることだけを目的とするのではなく、
茶道や香道、武道などのように、精神的な向上をも求めて、
鞠道(きくどう)と呼ぶ「蹴鞠道」が、成立したのだそうです。

鞠道としての蹴鞠は、聖徳太子の十七条憲法にある、
「以和為貴 〜 和(わ)を以(もっ)て貴(とうと)しとなす」の精神で、
一座の者が、お互いを思いやりながら鞠を蹴るのです。

蹴鞠には勝敗がなく、鞠を落とさずに蹴り続けますが、続かせるためには、
次に受け取る者が蹴りやすいように、鞠を渡さなくてはなりません。
次の者が上手に蹴られなければ、それは、
その前に蹴った自分の責任だと言う自覚を持って鞠を蹴ります。

また、「我が鞠は人に取らるるとも人の鞠をば取るべからず」と言われ、
自分勝手な行いを戒(いまし)めています。
蹴鞠では、鞠庭に立つ位置で、それぞれの役割が決められており、
その中で、各自が責任を果たすことが要求されるのだそうです。

このように、世界にも稀な、「勝ち負けのない球技」である蹴鞠は、
日本人の古来の精神の一面を、現在に伝えているのだそうですよ。

 


もちろん、時には、
ビックリするほど高く蹴り上げてしまい、
皆で上空を見上げながら、鞠を探すことも・・・





また、鞠を鞠庭の外に蹴ってしまい、
観客に頭を下げて、渡してもらうことも・・・


 


テレビや新聞のカメラマンさんたちも、
なにしろ「生活のかかった重要任務」ですから、
「他社を上回る画(え)を撮らねば!」と、
懸命に、鞠の行方を追っていますよ。





その一方、舞台の上で楽しそうに踊る、着物の少女たちも。
この場所にいるということは、神社の関係者でしょうか。

(蹴鞠そっちのけで、可愛い姿を楽しませていただきました・・・笑)





舞台を降りて、別角度から観察してみると・・・
(先ほどまでは、写真右手に見える舞台の上におりました)





お〜っと! \(◎o◎)/

鞠が、とんでもない方向に!!





周囲を一周してみましょうか。

これほど後ろにまで、大勢の人だかりが広がっていますが、
この位置からは、時折り高〜く上がる鞠が見えるだけで、
鞠庭の様子は、まったく見えません(涙)。

(写真は、手を伸ばして、カメラを思い切り高くした状態で撮影したものです)





もう大満足で、鞠庭を後にした私は、当然ながら、
境内に見えていた、「甘いもの屋さん」に直行!!(笑)

2年前、難病患者さんの車イスを押しながら京都案内をした際に、
患者さんと一緒に寄って、「ぜんざい」を楽しんだことがあるのです。


 


本日は、「ぜんざい」ではなく、「申餅」(さるもち)を注文。
下鴨神社の名物として、140年ぶりに復元したそうですよ。





蹴鞠鑑賞で冷え切った体を、店内のストーブが、優しく温めてくれました。





・・・というわけで、最後にもう一度、あの名場面を!!

「ヤア!!」




ちなみに、鞠を蹴る時の「掛け声」は、
「アリ!!」「ヤア!!」「オウ!!」の3種類だそうですよ。

これらは、樹木に宿っている、「鞠の精(せい)」たちの名前であり、
「樹木に宿る鞠の精」の名前を呼びながら、鞠を蹴っているというわけです。


このうち「アリ!!」は、我々の日常生活からは消えてしまいましたが、
「ヤア!!」は気合を入れて何かを行う時に使いますし、
「オウ!!」は挨拶言葉として(特に男性が)口にしますよね。

つまり、大昔から蹴鞠で用いられていた、「樹木に宿る精」の名前を、
今でも私たちは、何か大切な瞬間に、
「ヤア!!」「オウ!!」と呼んでいるのです。


1000年の時を超えて、日本人に今でも伝わる、
「自然と共生する思想」・・・

それを具現化した、
「競争することなく、和の精神で助け合いながら行う球技」である「蹴鞠」は、
本当に素晴らしいものなのです!!


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皆さま、「蹴鞠」の真実を、お楽しみいただけましたか?

実に感動的で、うっとりするほど素晴らしいので、
ぜひとも、その目で確かめてみてくださいね!



ちなみに、余談ですが・・・

日本のサッカーが、なぜ、なかなか点を取ることができず、
ワールドカップで上位に入れないのか・・・
本日、その謎が、解けたような気がします。

つまり、「我が我が」と点を取りに行く積極性が乏しく、
互いに遠慮してボールを譲り合い、
得点のチャンスに横パスばかりしてしまうという、
日本サッカーが抱える致命的問題点の原因は、
日本人の血に流れている「蹴鞠の精神」にあるのではないかと・・・

(冗談ですよ、冗談)


(^−^)



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