「曲水の宴」と平安絵巻


それは、2016年 4月29日のこと・・・

京都市街の南にある「城南宮」(じょうなんぐう)において、
「曲水の宴」(きょくすいのうたげ)と呼ばれる、伝統と格式に満ちた儀式が行われました。

私も、生まれて初めて、この儀式に潜入することができましたので、
この場を借りて、雅(みやび)な平安絵巻のご報告を、させていただきますね。

まずは、「曲水の宴」の解説から・・・
(城南宮のウェブページより引用)


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 木漏れ日もやわらかな平安の庭を、ゆるやかに曲がりながら流れる一筋の遣水(やりみず、小川)の辺(ほとり)で、雅やかな曲水の宴を行っています。この曲水の宴は、奈良時代から平安時代にかけて宮中で催された歌会を再現した行事で、京都を代表する年中行事に数えられ、次のような次第で行われます。

 色とりどりの平安時代の装束を身につけた7名の歌人(男性5名は狩衣[かりぎぬ]、女性2名は小袿[こうちき]を着用)が席に着くと、1人ずつ歌題を確認します。そして歌人が遣水の傍らの座に着くと、中央の舞台で白拍子の舞がしずしずと披露されます。

 次いで2人の水干(すいかん)姿の童子が朱塗りの盃にお神酒を注ぎ、羽觴(うしょう、鴛鴦[おしどり]の姿を象った盃台)に載せ、川上から次々に流します。琴の音が響く中、歌人は歌題にちなんだ和歌を詠み、それぞれ短冊にしたためます。

 そして、和歌を書き終えた歌人は、目の前に流れて来た羽觴を取り上げ、盃のお神酒をいただくのです。全員が和歌を詠んで盃を飲み終えると童子が短冊を集め、これら7首の和歌は、平安時代さながらに節をつけて神職によって朗詠され、神様に奉納されます。

 こうして、春は新緑の中、秋は紅葉が色づき始める神苑で、約1時間にわたって王朝の雅な世界が再現されます。

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・・・というわけで、さっそく、出かけてみましょうか。ヽ(^o^)丿


まずは、これが、城南宮の入口。
この奥に広がる庭で、「曲水の宴」が催されます。




定刻になると、出席者の方々が、いかにも格式の高い足取りで登場。




そして、所定の位置に着席。

巫女(みこ)さんの後ろ姿の美しさに、惚れ惚れしてしまいました(笑)。

この後ろ姿を見るだけでも、日本という国の文化の素晴らしさを、再認識しますよね。




庭を流れる小川の各所に、歌人の方々が着席されて・・・




それぞれの歌人は、硯(すずり)で墨(すみ)を・・・




すると、男の子が、盃(さかずき)を乗せた船(鳥の形)を、小川に流します。




その船が、近づいてくるまでの間に、歌人たちは歌を詠(よ)み、
短冊(たんざく)に書いている模様。

ちなみに、今回の歌のテーマは、「卯の花」(うのはな)でした。




無事に歌を詠み終えると、巫女さんが盃に御神酒(おみき)を・・・

女流歌人の御方も、ぐいと飲んで、めでたし、めでたし!




それぞれの歌人が詠んだ歌を、今度は係員さんたち(専門用語は不明)が、
抑揚(よくよう)を見事に揃えながら、大声で皆に聞かせます。




庭を埋める苔(こけ)たちの、なんと美しいこと!! \(◎o◎)/




・・・というわけで、平安絵巻にうっとりした1時間を過ごしたあと、
ついでに、平安時代の貴族の生活を解説した「風俗博物館」を訪れて、
平安時代の衣装や暮らしぶりを、再確認することにいたしました。


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そして、これが、その博物館に展示してある、平安時代の貴族の生活風景・・・






この展示、本当に細部まで、よくできていて、感心しますよ。


 

おや? お坊さんたちも、貴族階級と仲良しのようですね。




女性たちは、御簾(みす)に顔を隠しながらの、密やかな生活。




失礼ながら、ちょっと御簾を上げて、中を覗いてみると・・・


 

何しろ、現代と異なり、ゆるやかに時間が流れる、平安時代・・・

女性たちは、囲碁(いご)などに興じたり、


 

偏つぎ(カルタのような遊び)を楽しんだり、




歌を詠んだり、手紙を書いたり、










長く伸ばした髪を手入れしたり、




おいしいものを食べたりと、意外に、忙しそうですよ(笑)。




なにしろ、照明器具は、油(あぶら)に芯(しん)を置いて火を灯すだけですから、
日が暮れたら、月の灯りに頼るしかありません・・・

天気が悪い夜や、月が欠けている夜は、まさに、真っ暗闇・・・
もう、朝まで寝て過ごすしかないわけですね(涙)。

(当時の人は、ネコのように目が良くて、暗闇でも物が見えたという説もありますが・・・)



ちなみに、これが、かの有名な「十二単」(じゅうにひとえ)。

ただし、「十二単」というのは後世の俗称であり、当時の正式名称ではないとのこと)




こんな衣装を着たら、重くて歩けそうにないですし、
おトイレも大変そうですね(涙)。

しかし、真冬も「炭」(すみ)で温まるしかなかった当時には、
このくらい「着ぶくれ」しておくのが、ちょうど良かったのでしょうか?(笑)


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・・・というわけで、皆さま、
つかの間の平安絵巻を、お楽しみいただけましたか?

1000年間も続いた「平安時代」を想いながら、
ぜひ、京都に(「光の学校」にも)遊びにおいでくださいね!!

\(^o^)/



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