「飯田史彦と巡るドイツ&ウイーン『絶景と歴史と音楽の旅』」より、

「クラシック名曲集・ピアノリサイタル in ウイーン」





大好評のため、その後に、CDとして発売いたしました。
収録内容の解説&購入の専用ページは、こちらです。

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 現地時間2014年の10月16日(木)18時より、ウイーン国立歌劇場の隣にある高級ホテル「ブリストル」で開催した、上記ピアノリサイタルの模様を、飯田が実際に話した解説文と、ピアノの名器「スタインウェイ」を弾いた美しい音源により、皆さまに追体験していただきます。できるだけ大きなスピーカーや、イヤフォン、ヘッドフォンなど、高音質の再生機器を用いながら、おなじみの若き凄腕ピアニスト・沖野真理子さんの渾身の名演を、圧倒的な臨場感でお楽しみくださいね!

 なお、曲の選択および曲構成の編集は飯田が行い、各曲の各部分のテンポや音の強弱などの演奏方法・演奏表現も、飯田が具体的にお願いした要望に基づいて、ピアニストさんに弾いていただきました。したがって、曲の構成や演奏方法・演奏表現に関する責任は、すべて飯田史彦にあります。
 演奏のイメージとしては、「ただ楽譜をなぞって技術を誇るだけではなく、お聴きくださる方々を、大いに癒して元気づけるような、愛と希望に満ちた、ドラマティックで奥深い演奏」を、心がけていただきました。



 まずは、ウォーミング・アップとして、飯田が大好きな美麗旋律の数々を、お楽しみください!

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 続いて、飯田が大好きな大作曲家・チャイコフスキーが残した、音楽史に残る美麗旋律の数々をどうぞ!

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 飯田が、ふと気づくとハミングしてしまっている、素晴らしいメロディの連発に、もう大満足ですよね!!


 それでは、濃厚すぎるウォーミング・アップを終えて、これより、ウイーンの夜の音楽会で実際に演奏した、「バッハ」「ショパン」「リスト」の名曲へと、なだれ込んでいきましょう・・・



《 バッハ 名曲集 》


 飯田による解説
(当日のバッハ・メドレー演奏前に行った、バッハ紹介の内容を要約したもの)

 ヨハン・セバスチャン・バッハ。1685年(日本では「生類憐みの令」の時代)にドイツに生まれ、この世に65年間生存し、脳梗塞で死去。性格は、頑固な職人気質、正直者、勉強家、人情家、理性的。趣味は、読書、酒、コーヒーなど。経済的には、高収入だが質素倹約家。2人の妻(1人目の妻とは死別)との間に、なんと、20人もの子どもを作った、絶倫の家庭人。

 ある有名作曲家の評価によると、「心に響く音楽を創った最初の人」。オルガン奏者&作曲家として何千もの曲を書き、最終的には、ライプチヒの聖トマス教会の音楽監督に就任。ただし、当時は、それほど有名人ではなかった。死後になってから「音楽の父」とまで褒め称えられていることを、本人(の魂)も、さぞや驚いていることだろう(笑)。

 なお、「バッハ」というドイツ語は、「小さな川」を意味するそうである。したがって、今後、身の回りに「小川さん」を発見したならば、ぜひとも尊敬の念をこめて、「バッハさん!」と呼ばせていただこうではないか(笑)。


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《 ショパン 名曲集 》


 
飯田による解説
(当日のショパン・メドレー演奏前に行った、ショパン紹介の内容を要約したもの)

 フレデリック・フランソワ・ショパン。1810年にポーランドに生まれ、この世に39年間生存し、パリにおいて病気で死去(諸説あり)。性格は、マンガ好き、声帯模写が得意で、会話術にたけるおしゃべり。おしゃれに凝り、優雅な物腰を身に着け、いつも話題の中心にいたがる社交家のため、上流階級の女性たちに人気があった。プライドが高く意固地なところがあるため(芸術家は多くがそうである)、ライバル視する男性との間では問題も生じたが、一方では、自分を「ピアノ教師」と呼び、「作曲家」や「ピアニスト」ではないと表現する謙虚さもあった。(自分を「ピアニスト」と呼んでしまうと、同時代に生きて友人かつライバルでもあった史上最高の超絶技巧ピアニスト、フランツ・リストと比較されてしまって分が悪いからではないか、という推察も・・・笑)

 経済的には、堅実に稼いでパッと派手に使うタイプであるが、長年にわたり同棲した金持ちの愛人ジョルジュ・サンドとケンカ別れして一文無しになり、その後の2年間(死亡するまで)は家財道具を売り払いながら生活するところまで困窮し(涙)、深刻な鬱(うつ)症状に・・・過度の心労がたたったのか、病弱な日々の末に、わずか39歳で、この世を去った。

 ある有名作曲家の評価によると、「音楽史において、ピアノを歌わせることに初めて成功した人」。ドイツやオーストリアといった、いわゆるクラシック音楽の本場では、彼の作品は「甘美なだけで精神性に乏しい」と評判が悪かったが、フランスでは大人気となり、歴史に残る甘美な旋律を次々に生み出しながら、(死の2年前に愛人と別れるまでは)パリを中心に華やかな社交生活を楽しんだ。

 ※ 日本で「別れの曲」と呼ばれている有名曲があるが、ショパン本人は、「別れの曲」などという題名は付けていない。後世に制作された『別れの曲』という映画でテーマ曲として使われたため、この映画タイトルが、そのまま曲名の「通称」として、日本で使われるようになっただけのことである。ショパン自身は、弟子に対して、「わが故郷・ポーランドへの想いを込めた作品」だと説明しており、本当は、愛情と郷愁に満ちた温かい曲なのである。


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《 リスト 「愛の夢」 》


 
田による解説
(「愛の夢」を含む、当日のリスト・メドレー演奏前に行った、リスト紹介の内容を要約したもの)

 
フランツ・リスト。1811年にハンガリーに生まれ、この世に75年間生存し、ドイツにおいて肺炎で死去。

 彼の業績について、有名作曲家の三枝成彰氏は、著書『大作曲家たちの履歴書』の中で、次のように述べている・・・「リストの業績を見ていくと、直接的な関りのあるなしにかかわらず、ワーグナーもドビュッシーも、20世紀の音楽も、きら星のごとく世に出た偉大なピアニストの数々も、リストなくしては誕生しなかったといっても過言ではない。もちろん、リストの果たした功績が音楽面だけではなかったことは、つとに知られている。災害に見舞われた人々のために、目の不自由な人々のために、偉大なる先駆者たちの記念のために、リストは多くの慈善演奏会を行った。時には赤字覚悟で持ち出しもした。貧困にあえいでいる人々には惜しみない援助を施し、門戸を叩いて教えを請う者には、才能の有無にかかわらず快く応じた」と。

 歴代の大作曲家たちを客観的に評価し、かなり手厳しく分析する本書であるが、リストだけは、別格的な賞賛の言葉に満ちている。このような賞賛の言葉は、他の音楽家たちの書物においても同様なので、リストという人物が、音楽関係者から本当に尊敬されていることがわかる。ピアノという楽器の可能性と表現力を飛躍的に高め、ピアノのリサイタル(単独の演奏会)を開いてツアーを行うというスタイルを開発し、数多くの国々を回った。

 また、リストの性格についても、このように絶賛されている・・・「物事をグローバルな目で見ることができたリストは、常に先を見据え、因習、風習、陰謀、老獪さを嫌い、間違ったことは正々堂々と非難した。自発的で、熱意と根気を持ち、明敏さと誠実さを兼ね備え、損得勘定や偏見とは無縁で、高潔で、友情を重んじ、慈悲深く、包容力もあり、繊細で気安く、鋭いセンスと話術のスタイリストともいうべき巧みな社交技術によって、階級を問わず多くの人々を惹きつけてやまなかった。また、さまざまな慈善演奏会を頻繁に行ったことも、リストの人間性をよくあらわしている。こうした優れた資質の前では、衝動的で熱中しやすいことや、多分に享楽的な面(美食家で酒好きなところなど)、そして通俗趣味やミーハー的なところ(優雅でオシャレなところ)すらも、魅力的に見えてしまうのだった」と。

 辛口の批評家からでさえも、これほどまでに絶賛される人物は、身の回りや世の中を見回しても、めったにいないであろう。しかも、インテリジェンス(知性と教養)が豊かで、大の読書家として、大量の本のコレクションを持っていた。お金に不自由したことはなく、どんどん稼いで、どんどん使う生活であった。ああ、人間であれば、一度は、リストのような人物として生涯を送ってみたいものである(笑)。

 ある時、リストに会ったこともないのに、「自分はリストの弟子だ」と偽って自慢している男が、リストの友人たちに捕えられ、リストのもとに連行されてきた。するとリストは、怯えるその男に「何か弾いてみなさい」と指示し、演奏後にいくつか簡単なアドバイスをしたうえで、「さあ、これであなたも、今日から私の弟子だ!」と、にこやかに激励して放してやったそうである。

 さらに、外見については・・・「若い頃のリストは超美男子だった。ピアノの前に座ると、まず顔や首筋にたれかかった髪を指で掻き上げる。こんなキザな仕種も、リストがすると、いかにもサマになっていた。服装のセンスも文句なく、優雅で洗練された物腰、そして王侯貴族のような立ち居振る舞いは、まさに、ロマンスのヒーローそのものといったところだろうか。リストは、当時の超人気アイドルであった。あらゆる階級・種類の女性が彼に魅了され、のぼせあがった」のだそうである。まさに、クラシック音楽史上、最高のスーパースターであることは間違いない。

 彼のリサイタルでは失神者が続出し、リストを一目見た女性たちは、そのあまりの美男子ぶりに惚れ込んだという。当然ながら、女性にモテすぎて、スキャンダルも続出。正式な結婚は一度もしていないが、内縁の妻との間にできた娘は、有名作曲家のワーグナーに嫁いだ。極めて自己中心的でワガママな性格のワーグナーに、何度も酷い目にあわされるが、持ち前の異常なほど寛大な性格で、何度でも許してやったという。

 しかし、外見だけの軽い人間ではなく、リストには才能も意欲も備わっていた。超絶技巧のピアニストとして神童と呼ばれ、11歳の若さで大きな演奏会を開いて各地を回ったが、大変な努力家でもあったのだ・・・「若い頃は1日に14時間練習し、少ない時でも4、5時間はピアノに向かった。その努力はさらに才能を伸ばす結果となり、演奏会はことごとく熱狂を呼び、臨席したベートーヴェンが感極まって壇上に駆け上がりリストにキスしたというエピソードも、それに拍車をかけた」という。

 ベートーヴェンが音楽を「芸術」に高めた功労者とすれば、リストは、音楽を「観て聴いて楽しむエンターテインメント」の領域にまで高めた功労者であった。現在、私たちが気軽に音楽を聴き、演奏を楽しむことができるのは、まさに、リストという大音楽家の功績のおかげなのである。最終的には、ワイマール宮殿の楽長にまで昇りつめ、ローマの大司教からも認められて資格を得るなど、名実ともに大成功した。有名音楽家の中でも、かなりの長寿であり、本人の類いまれな才能と努力と人格により、有名音楽家の中で(あらゆる歴史的有名人の中でも)、最も幸せな人生を送った人物であると言えよう。

 ※ リストという奇跡的な人物に興味を抱いた御方には、浦久俊彦著『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(新潮新書、2013年)を、大いにお勧めする。優れた音楽家&研究者でいらっしゃる浦久氏の本書は、私が過去10年間に読んだ数多くの本の中でも、トップクラスの「わかりやすく、面白く、役に立つ」本であった。


 なお、ここで演奏する
愛の夢」第3番は、もともと、リスト本人が、「おお、愛しうる限り幸せ」と命名した曲だという。「
人は、誰かを愛している限り、どんな試練・逆境に対しても、幸せに立ち向かえるのだ」という、この作品の曲想こそが、私(飯田史彦)の「生きがい論」の精神を、最も的確に表現しているのではないだろうか。

 とにかく、この「愛の夢」が、ピアノ音楽史上に燦然と輝く、最高に甘美な旋律と超絶技巧に満ちた、名曲中の名曲(しかも難曲)であることは、間違いない。何しろ、古今東西、演奏会のプログラムに、この「愛の夢」を入れるだけで、お客様の動員数が、劇的に跳ね上がるというのだから・・・



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 今後、さらに、モー****、ベー**ヴェ*、シュ****、ブラ***、ヨハン・シュ****など、音楽史に燦然と輝く超有名作曲家・演奏家たちが、次々と登場いたします。



したがって、ウイーンの夜のピアノリサイタルの続編の登場を、
皆で心待ちにしておくのじゃ!! (ベー**ヴェ*様より伝言)





《 追 伸 》

・・・というつもりであったが、その後に気が変わって(笑)、
多くの皆の者の熱い要望に応えるべく、
『クラシック音楽・美旋律名曲集』という形で、
CDとして発売することになったのじゃ!

それゆえ、
すみやかに下記をクリックして、
吾輩の貴重な名曲メドレーも収録されておる、
このCDを必ず入手するのじゃ!!

( by ルードヴィヒ・ヴァン・ベート*ヴェン )



『クラシック音楽・美旋律名曲集』
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