2009年3月末までこの世に存在していたという、

福島大学経済経営学類611号「飯田研究室」の内部は、

こうなっていたぞ !!



《『生きがいの創造』初版を出版した、30代前半の頃の私 》






窓の外は、福島市のはるか郊外に広がる
のどかで美しい 山の景色

(毎日がリゾート気分だ!)

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            N            O



                ド  ア
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廊  下

(いつも暗いので、懐中電灯が必要だ!)


(注:以下の記事は2000年に書いたままなので、ずいぶん内容が古いのですが、パソコンの進化以外は退職まで変わらなかったため、そのまま掲載しております・・・笑)

@ ロンドンで見たミュージカル 「レ・ミゼラブル」のポスターが張ってある。私はミュージカルが大好きで、ロンドンに住んでいた時、この他にも 「オペラ座の怪人」 「キャッツ」 「スターライト・エクスプレス」 「ジーザスクライスト・スーパースター」 「ミス・サイゴン」 「オリヴァー」 「(・・・・・・面白くなくて寝てしまったので忘れた)」など、多数のミュージカルを観劇した。一番驚いたのが「オペラ座」、一番楽しかったのが「キャッツ」、そして一番感動したのが「レ・ミゼラブル」であった。

A
窓の上には、宮澤賢治が直筆で書いた「雨ニモ負ケズ」の全文が飾ってある。ただし、もちろんコピーである(本物の直筆が、私の研究室などに存在するわけがない)。賢治の故郷、花巻の宮澤賢治記念館で購入したものである。この他、研究室の壁には、「銀河鉄道の夜」 「セロ弾きのゴーシュ」などの直筆原稿(もちろんコピー)が飾ってある。ちなみに、私は、盛岡の北西にそびえる「岩手山」が大好きだ。賢治も、花巻農業高校の教員時代とその前後には、何度も岩手山に登ったものである。小岩井農場のあたりから岩手山を眺め、焼走り溶岩流を散策してから、松尾村を抜け、八幡平山頂を下って、八幡平大沼の手前にある「後生掛温泉」に泊まるのが、私の定番である。

B 巨大な扇風機が置いてある。よく、昔の銭湯や、今でも旅館の脱衣所などに置いてある、アレである。なぜ、そのような代物が置いてあるかと言えば、何と、私の研究室には、昨年になってようやくエアコンが付き、文明開化が訪れたためである。現在は、全く使用することはない。なぜなら、うっかりスイッチを入れようものならば、机の上はもとより、部屋中の資料類が風で舞い上がってしまうからだ。その後は、部屋中に散らばった資料を拾い集めて整理するという、悲惨な展開になることは言うまでもない。事実、一昨年前までは、部屋中の資料類にいちいち重石を置いてから、扇風機のスイッチを入れたものだ。

C 模造品の巨大なが置いてある。何の木だかは不明である。この他、研究室のあちこちに、模造品の植物が飾ってある。もともとは実物の観葉植物や鉢植えを置いていたが、夏休みなどに何週間も留守にすることがあり、みな枯れてしまうのであきらめた。模造品の良いところは、給水してやらなくてもすむ点である。模造品は、残念ながら空気清浄機の役割は果たしてくれないが、少なくとも目の保養くらいにはなる。

D 大きなが置いてある。机自体は大きいのだが、文房具やOA機器類で表面のほとんどが埋まっており、「そのうち見よう」と思って結局は見ないであろう資料が山のように積んであるため、使用可能な表面積は微々たるものである。電話機は、恥ずかしながら97年まで「ダイヤル式の黒電話」であったが、これもようやく予算が付いて文明開化し、めでたく我が研究室にも「FAX」という文明の利器が登場した。世の中は、すでにFAXの時代が終わり、電子メールの時代になっているにもかかわらず、国立大学では最近になってFAXが普及してきた有様である。

E 印象派(だったかな?)の巨匠、
ルノアールの代表作として有名な、左を向いて座った少女の絵が飾ってある。特に理由はない。超強力両面テープを用いて自宅に飾ってあったのだが、額が重すぎて壁のペンキと共にはがれ落ちてしまったため、妻の逆鱗に触れて、しかたなく研究室に持ってきたような記憶が残っている。いつか、この絵の本物を見てみたいというのが夢だが、絵に弱い私は、どこの美術館に本物があるのかを知らない。少なくとも、パリの美術館めぐりをした際には見かけなかった。私にとって、永遠のあこがれの少女である。

F ここにある本棚の上には、
超貴重な激レア・アイテムが飾ってある。何と、『生きがいの創造』のベストセラー化を記念してPHPが特別に作ってくださった、化粧箱入りで金箔までまぶして油紙で巻いてある『生きがいの創造・限定製作版』が並んでいるのだ! 世界中に限定15冊しか存在しないという代物(きちんと「限定15部製作」と書いてある)で、一冊の制作費だけで1万円以上かかったとのこと。そのうち10冊を私がいただいた。

G パソコンなどのOA機器が、所狭しと置いてある。私は研究室と自宅に、計5台のパソコンを持っているが、ここにあるパソコンは、
富士通のFMVデスクパワーシリーズである。少々調子が悪く、Wordで文章を打っていると突然に画面が止まって真っ黒になり、せっかく作った文書が虚空に消えてしまうことも、このところ少なくない。Ctrl+Alt+Deleteを押しても、Escを押しても、スイッチを切っても、どうしても終了できないため、仕方なく電源コンセントを抜いて再起動する始末である。平均、30分に一度はそのような事態に巻き込まれてしまい、全く「商売あがったり」だ。富士通かマイクロソフトの社員の方に、何とかしていただきたいものである(その後、このホームページを読んだ富士通の方が、わざわざ症状改善用のメモリーを送ってくださいました・・ありがとうございます)。やむを得ず、パソコンのスイッチを入れる際には、「お願いですから、無事に文書を作成できますように」と、せめてもの祈りを捧げることにしている。ただし、本機以外の富士通のパソコンは大変調子が良いので、富士通に苦情を申し上げるつもりはさらさらない。なお、なぜ富士通のパソコンを使用することが多いかと言えば、富士通に勤める親友(富士通インターナショナルエンジニアリングの総務部総務課の片桐和浩さん、あなたです!)から脅迫されているためである。私はホンダの本社にも親友(本社営業人材開発室の倉地祐佳さん、あなたです!)がおり、「ホンダ車以外に乗ったら絶交だぞ」と脅されているが、それと同じような閉鎖的状況、いわば鎖国状態にある。全く、持つべきものは親友である。

H ここには、ソファーが2脚ほど置いてあるのだが、常に書物や資料の山で埋まっており、ソファーとしての機能を果たしたことがない。「机かと思って良く見ると、何とソファーではないか!」という感覚である。いつか整理したいと思うのだが、たまに整理しても、一週間ともたないうちに元の木阿弥だ。いつも来客の方々には、「たいへん乱雑ですみません。ちょうど今、色々と整理中なものですから・・・・・・」などと弁解しているが、真っ赤なウソである。単に、整理するのが面倒なので、いつまでも放ってあるにすぎない。私は聖人君子ではなく、神様・仏様でもないので、時にはこのようにして、つまらぬウソもつくのである。

I 名馬オグリキャップ
の写真が飾ってある。オグリキャップが余生を送っている、北海道日高の優駿スタリオンステーションに行って、購入したものだ。私は、馬券は買ったことがないし、ギャンブルには全く興味が(運が?)ないのだが、競走馬というか、馬が大好きなので、しばしば北海道の様々な牧場を訪れる。日本の競馬場には(北海道のばんえい競馬以外は)行ったことがないが、イギリスに住んでいた時には、エリザベス女王主催のロイヤル・アスコット競馬にも、ちゃっかりともぐりこんだ。3歳児など連れて参加している世間知らずは誰もおらず、着飾ったイギリスの貴族たちに白い目で見られて、恥ずかしい思いをしたものである。実は、私は、5年前までは、「競馬」というものを蔑視しており、世の中の「競馬好き」の人々を軽蔑していた。ところが、北海道を一人旅していてふとまぎれ込んだ競走馬育成牧場に魅了され、競走馬の世界について知りたくなり、片っ端から競走馬関係の本を読んで数々の牧場を訪ねた結果、競走馬育成の世界が、たいへん素晴らしい努力人の方々の集まりであることに気づいたのである。今では、単なる無知ゆえに競走馬や競馬の世界を軽蔑していた自分を、たいへん恥ずかしく思っている。世の中、表面的なイメージで判断してはならないということを、私は競走馬育成の世界から学ばせていただいた。そのため、「表面的イメージや先入観にとらわれるな」という自分への戒めも込めて、かつて人々を魅了した努力家であるオグリキャップの勇姿を、ここに飾ったのだ。私は、地味で実績のない血統から努力して勝ちあがった馬が大好きで、北海道に行くとたいてい日高を訪れ、オグリキャップやミホノブルボンやトーケイニセイ(この馬を知っていれば大したものだ)に会いに行くことにしている。その他、月並みだが、トーカイテイオーやマヤノトップガンなども心の友だ。ああ、また会いたい。そういえば、ドングリやメロンパン(共に実在の競走馬の名前)は、どこに行ってしまったのだろうか。どこかで静かな余生を送っているのだろうか。それとも・・・・・・(ここから先は、口が裂けても言ってはならないのが、競走馬界のオキテである)

J 小さなテーブルが置いてあるが、例によって、ここも資料の山となっており、テーブルの役割を果たしたことがない。秘書もいないため、誰も片付けてくださらない。そもそも、研究室の掃除をすること自体がひと月に一回、いや、数ヶ月に一回・・・・・・いや、正直なところ、半年に一回くらいだろうか(実は、1年に一回である)。部屋の床は、ホコリまみれだ。しかし、いずれにしても、資料や本の山に埋まって、床そのものがほとんど見えないのだから、まあいいか。(良くない!)

K 3人分のソファーが置いてあるが、そのうち1つか2つは、常に資料や本が積み重ねてあるため、実質的には1人しか座ることができない。2名以上の方々がいらっしゃる場合には、あわててソファーの上を片付けるのだが、お客様がお帰りの後は、また資料置き場と化す。

L 横長の本棚が置いてあり、中には、小学館の「原色・日本の美術」と「原色・世界の美術」の全巻がずらりと並べてある。数年前、研究室にやってきた小学館のセールスマン
から猛烈に薦められ、「今ならこの値段」という甘言に惑わされて、ついうっかり3年ローンで買ってしまったものである。その後、何年たっても同じ値段で売っているらしいことを他の先生方(みんな同じセリフにヨロめいて買ったらしい)から聴いたが、後の祭り。全国の大学に、同じような先生方があふれていらっしゃるらしい。その後は、ひたすら置き場に困って、妻からは「家の中に置き場なんか無いから、責任を取って研究室にでも持って行ってよ」と叱られ、泣く泣くこの本棚に置いてある代物だ。もちろん、貴重な本棚のほぼ全体を占拠している。ただし、小学館のためにフォローしておくと、図鑑そのものは、たいへん素晴らしい出来だと満足している。正直に、「買って良かった」と思っている。ただ、何と言っても、ひたすら「置き場に困る」のがタマに傷である。

M
湯沸し用のガスコンロが置いてあるはずなのだが、コンロの上に資料や本が山積みに置いてあるため、これもまた何年も姿を見ない。普段、コンロを使うことなどないから困らないのだ。私の食生活は、たいてい出勤途中のコンビニでオニギリかパン2個と紙パックの牛乳を買い、研究室で食べるのが「朝+昼」の食事である。私は、見かけに寄らず(?)食べ物にほとんど興味がなく、「口に入れば何でもいい」というタイプで、味にはまったくこだわらない。日本中を飛びまわっているが、どこのホテルに泊まっても、「近くにコンビニありませんか」とフロントで尋ね、たいていオニギリかパンと牛乳で夕食を済ませる。ホテルのレストランで豪華に食べるなどということは、まずあり得ない。たまに魔が差してホテルのすし屋に入ることがあるが、その値段に後悔するだけで終わる。ちなみに、私はニオイのするナマ物が苦手なので、すし屋に行ってもたいてい「
イカと、タマゴと、カッパと、梅しそ巻きください」と言っておしまいである。したがって、もっぱら家族で近くの「元気寿司」(魚介類ではない子供向けメニューが豊富)に行き、「サラダ巻き」や「ナスの漬物寿司」や「コーンぐんかん」や「ツナぐんかん」ばかりをつまんでいる。たまに一人で回転寿司に入ると、「100円が4枚で、合計400円です」などと言われて、赤面しながら支払う。伊丹空港の寿司カウンターで、「え〜と、タマゴ6個に、カッパ2巻ください」などと臆面もなく注文している客がいたら、それは私に間違いない。

N 鏡と洗面台があるが、もう何年間も電球が切れており、暗くて仕方がない。「暗いなあ・・・・・・電球、新しいのに代えなくちゃ」と思いながら、数十秒後にはすっかり忘れてしまい、そのまま数年間も同じ状態だ。秘書も弟子もいない、一人身の悲しさだ。

O 折りたたみ式の
パイプイスが、いくつも置いてある。しばしば、インディー系のプロレスラーが武器として使用する、一番安いアレである。大勢の来客があった場合には、これらのイスが役立つのだ。しかし、5人分のソファーのうち4人分までが資料や本の山に敷かれていることが、そもそもの間違いなのかもしれない。考えてみると、目の前にソファーがありながら、わざわざ鉄製のパイプイスにお座りいただくのだから、お客様にたいへん失礼なことをしているのである。

P 研究室のドアの外側には、ロンドンのシャーロック・ホームズ博物館で買ってきたマグネットの表札が、いくつも取り付いている。ホームズが住んでいた「BAKER STREET
」や、ビートルズのジャケットで有名な「ABBEY ROAD」などの表札だ。ちなみに、私は中学校の頃から大学卒業まで、フォークやロックのバンドを組んでいた。私の担当は、リード・ギターと、バラード曲のリード・ヴォーカルであった。アップテンポのノリノリの曲は、私の風貌では似合わないからだ。とりわけ、ビートルズの「LET IT BE」がおハコであった。ただし、今は、学生たちとカラオケに行っても、「LET IT BE」を歌うことはない。学生たちが生まれる前の歌を歌っても、座が白けてしまうだけだからだ。たまに私が上機嫌で「LET IT BE」を歌い始めると、学生たちは、突然「ちょうど良い休憩時間だ」とばかりに、トイレに立ったりドリンクを注文したり背伸びをしたり逆立ちをしたり(しないか?)して、「雑談モード」に入るのである。ちなみに、ビリー・ジョエルの「オネスティ」も得意技である。
 なお、このドアにはメイルボックスも付いており、しばしば、ここに
置手紙
が入っている。私の研究室に突然いらっしゃり、私がいないので、仕方なく書いたものと思われる。連絡なしにおいでくださっても、私がたまたま在室していることはほとんどないので、ご了承いただきたい。



 ・・・・・・これが、私の研究室です。お楽しみいただけましたか?