小さな
ドラマティック・ストーリー


このページでは、私が体験した感動的な実話の数々を、
ノンフィクション物語として公開いたします。
以下にご紹介するショート・ストーリーは、
プライバシー部分を修正している以外、すべて実際の出来事です。



3話 時空を超えた想い

 先日、ある30代の日本人男性が、ある脳外科医院の退行催眠療法を受けに行きました。その男性とは、私は日常的に深いお付き合いをする関係ではありませんが、私が講演会を行った際に、「どうしてもお守りしたい」と強く申し出てくださり、何度かボディガードをお願いしたことがありました。彼は、普段は優しく真面目な正直者で、子どもの教育に感心を持つ、どこから見ても正常な好青年なのですが、なぜか私の著書や名前に接すると、「飯田先生をどうしてもお守りせねば」という異常に強い感覚が湧き起こってきて、いても立ってもいられなくなる衝動にかられてしまうというのです。しかし、彼自身にも、なぜそのような深い感情にとらわれるのか、さっぱり理由がわからず、自分でも困っていらっしゃるほどでした。

 その日、彼は、私とは関係なく、別の個人的な悩みの原因や、今回の人生の目的を明らかにしようと考えて、催眠療法を受けに行きました。もちろん私は、彼が催眠療法を受けに行くことは全く知らされておらず、彼とは長い間、連絡さえとっていませんでした。

 そして、医師の誘導によって深い催眠状態に入り、今回の人生と最も重要な関係にある、過去の人生について思い出してみたところ、何と、次のようなビジョンが浮かんできたのです。本人にも全く予想がつかなかった記憶であり、深い催眠状態で医師の質問に答えながらも、自分の口から出る内容を信じることができませんでした。しかし、その証言は、確かにMD(ミニディスク)の中に録音されていたのです。

 彼は、自分が思い出した内容の重大さゆえ、それを私に伝える気になれないまま、数ヶ月間も私にだまっていました。ところが、たまたま私がその医師から、「飯田さんの過去生を見てしまった人がいる」とおうかがいする機会があり、その過去生の名前だけを聞いてしまったのです。その医師は、誰がそれを思い出したのかについては、患者さんに対する守秘義務のため教えてはくださいませんでしたが、私には受診者の名前を推察できたので、その「彼」にすぐに連絡をとって、受診したことを白状(?)させたというわけです。たまたま私が知って問いたださなければ、彼は永遠に、自分が思い出した内容を私に告げないつもりでいました。なぜなら、催眠状態の自分がしゃべってMDに録音されている内容が、彼自身にとっても、容易には信じ難いことだったからです。

 それでは、その録音MDに残されている、彼と医師との会話記録から、たいへん興味深い証言の一部を、そのままご紹介しましょう。

********************

(催眠誘導を始めてから、ほぼ50分後)

D: 地面を感じてください。どんな地面ですか?

C: 砂浜……気持いい。

D: あなたは、足に何か履いてますか?

C: 裸足です。

D: 年齢は、いくつくらいですか?

C: 高校生くらい?

D: 何を着てますか?

C: 百姓みたいな、着物……腰にひも……茶色のハンテンみたいな柄……長袖。

D: 手には何か持ってますか?

C: 右手に、黒いさやの刀を持ってる。

D: 頭には、何かかぶってる?

C: ちょんまげを結ってる。

D: 顔の輪郭は?

C: 面長。

D: では、あなたは、その青年の中に、しっかりと入ります。あなたのまわりの風景は、どんなですか?

C: 海岸……遠くに山……その間には、森がある。

D: 誰かいますか?

C: いません。

D: どんな気持ですか?

C: わくわくしてる。ひとに会いに行く。

D: 年齢は?

C: 18 才。

D: 名前は?

C: しんさく。

D: 誰に会いに行くの?

C: 先生。

D: 何の先生?

C: 心の先生。

D: 年代は?

C: 江戸時代。

D: 場所は?

C: 萩……日本海側……

D: どこに着きましたか?

C: お堂のような……山の中腹にある。

D: 天気は?

C: 快晴です。

D: 季節は?

C: 春。

D: お堂の中に、人はいますか?

C: たくさんいます……百姓から武士からいろいろ……男ばかり。

D: 年齢は?

C: みんな同じくらいだけど、私が年長くらいの若い人たち……まわりの人が私にお辞儀をして、敬意をはらってる……前の方に座って……先生が来ました。同じようなボロボロの服を着ています。

D: 先生の名前は?

C: ……吉田……

D: 先生はどうしてる?

C: 何か、怒ってる。世の中がおかしい、って。

D: その先生は、あなたの知ってる人ですか?

C: 飯田先生!

D: それからどうしてる?

C: ずっと先生の話を聞いてる。

D: 先生の話の内容は?

C: 政治を嘆いている。

D: 江戸時代の、いつ頃ですか?

C: 終わりかけ。

D: しんさくさんの名字は?

C: たかすぎ。

D: それからどうしてる?

C: 自分の意見を言ってる。

D: どんな意見?

C: 立ち上がるという……

D: どういうこと?

C: ここにいる人たちをまとめて、行動を起こしたい。

D: どんな行動?

C: 先生の思いを遂げたいというか、世の中に広めたい。

D: お堂の中の人たちに、今のあなたが知っている人はいますか?

C: ふたり。ひとりは、****の****さんで、もうひとりは、この前に**で初めて会った人です。

D: それから、どうしました?

C: 自分は用事があるので、燃える気持ちを持って出て行って、小さい城に戻って、心をゆるせる人に、その日のことを話してる。

D: お城では、どんな仕事をしてるの?

C: けっこう、中堅として人々をまとめてる。

D: 中堅の割には、汚い格好ですね?

C: 外に出る時には、お忍びなので。

D: うちはある?

C: あると思うんですが、帰ってない。

D: では、うちに帰った場面に戻ってください。

C: けっこう大きな家で、両親と妹がいます。結婚はしていません。

D: お父さんは、どんな人?

C: 厳格な人。

D: あなたのしてることを、どう思ってる?

C: あまり感心していません。

D: お父さんのこと、好き?

C: 嫌い。保守的で、うるさいから。

(中略)

D: 吉田先生はどうなってる?

C: 捕まって、閉じ込められてる。岩の牢屋のようなところに。

D: どんな格好してます?

C: ボロボロ。

D: 会いに行けるの?

C: はい。

D: 牢屋はどこにあるの?

C: お城から遠い、海が見えるところ。

D: 先生を牢屋に閉じ込めてるのは誰?

C: お城の、上の役人。

D: 吉田先生と会って、何を話してる?

C: 政情の話。

D: たとえば?

C: お城の役人のあり方が古いとか、方針が良くないのを正せ、というような。

D: それで、どうなりました?

C: そんなことより、先生のことを心配してます。なんか、泣いてます。

D: どうして?

C: 先生がこんな立場になってしまったのを嘆いている。先生は自分のことなんか考えてないようなので、余計に悲しくなる。

(中略)

D: では、吉田先生が死んだ場面に移ってください。

C: 24歳。首をはねられて死んだ。心の底から泣いている。

D: その時、何か決心したことは?

C: 先生の教えを守って、世の中を良くしたい。泣きながら、燃えてるっていうか、不思議な感じです。

(中略)

D: では、しんさくさんの人生で、一番大切な場面に移ってください。

C: 24歳。……武士と戦ってる。

D: あなたは、どんな鎧?

C: 黒い。いろんな百姓のような人を集めて、草葉に隠れてる。……なんか、待ち伏せしてる。

D: 武器は何?

C: 槍のようなもの。

D: どうなりました?

C: 自分が指導してて、多くの人を死なせてしまったみたいです。

D: なぜ?

C: 相手の方が、武器が良かったり……

D: 相手は武士?

C: そうみたいです。

D: 負けたの?

C: よくわからないけど、逃げてる。

D: 逃げながら、何を考えてる?

C: 人を巻き込んでしまって申し訳ない、という気持ちと、でもやらなければならないという使命感……複雑な感じ……

D: それから?

C: ひとまず、どこかに隠れて、仲間を待ってる。

D: では、しんさくさんの人生で、次に一番大切な場面に移ってください。

C: 28歳で、倒れて、家で寝てます。病気のようです。

D: どこが悪いの?

C: 肺。

D: ひとり?

C: 多くの人に囲まれてる。家族と、多くの友人。

D: 死にそう?

C: はい。

D: 何を考えてます?

C: 自分のことよりも、先生のことを話してます。

D: では、しんさくさんが死ぬ場面を通り越して、意識が宙に浮いたら教えてください。

C: 浮きました。

D: 体を離れた時、何か決心したことは?

C: 今度は、先生と一緒に、成し遂げられなかったことを成し遂げたい。

D: 下で何が起こっていますか?

C: 多くの人が駆けつけてきてる。

D: それを見て、どう思いますか?

C: 嬉しいというか、あとは頼むぞ、という感じ。

D: 宙に浮いてるあなたに声をかけてくれる人はいますか?

C: 大きな光が見えます。

D: その光は、あなたに何と言っていますか?

C: 手を広げて待ってるというか、呼び寄せてくれてるというか……

D: それは、誰か知ってる人?

C: 飯田先生の顔……

(以下省略)

********************

 以上が、録音MDに残されている記録の一部です。

 もう、読者にはおわかりのように、この証言に出てくる「吉田先生」とは、「松下村塾」における講義を通じて多くの幕末の有名人たちを指導した、「吉田松陰」(本名:寅次郎)のことだと思われます。また、この証言をしゃべっている男性は、「高杉晋作」として生きた過去の人生を思い出しているようです。

 この男性が、深い催眠状態で口にしたこの証言は、いったい真実なのでしょうか?

 それとも、この男性の脳が創作した、デタラメにすぎないのでしょうか?

 まずは、自分が思い出した記憶に驚いている、この男性自身の「解説」をご紹介しましょう。この解説も、本書のために特別に書いてもらったものではなく、私が彼に初めて問いただした際に、その返信メールとして届いたものです。

********************

私は、NHKの大河ドラマなどを通じて歴史が大好きでしたが、それは戦国時代、特に信長、秀吉、伊達政宗ほかの時代に対しての興味でした。正直に言って、「幕末」の時代は、中学・高校を通じて全く理解できないし、学ぼうとも思わず、興味も全くなく(坂本竜馬の功績も良くわからなかったのが現状です)、大学受験の時にも、苦手な幕末を避けて世界史を選んだほどでした。大河ドラマも、幕末ものには興味がなく、「勝海舟」や「花神」などを放送した年には見ないで、裏番組を見ておりました。

  
そのため、最近まで、名前だけはサスガに存じておりましたが、吉田松陰先生や高杉晋作のことなど、全く理解しておりませんでした。晋作が死んだ年齢も、頭にパッと浮かんだ数字を答えましたが、自分では「こんな若死にのわけがない」と思いながら口にしていました。もちろん、晋作がどうして死んだのかについても全く知りませんでしたが、頭に浮かんだことを答えました。さすがに、松下村塾が萩にあることくらいは存じておりましたが、松陰先生が萩で幽閉されていたことがあるとは、全く知りませんでした。

  
また、高校の修学旅行は中国地方でしたが、前述のように幕末時代には興味がなかったので、萩では、自由行動で「萩焼き、食べ物ツアー」を組み、歴史関係の名所やお城などには、行った記憶がありません(たぶん行っていないと思います)。松陰先生が幽閉されていた牢屋があることも、知りませんでした。でも、「たいへん良い町だ」との印象は強く、いつかゆっくり訪問したいとの思いは、ずっと持っておりました。 このようなわけで、催眠状態になるまでは、幕末はもちろん、萩のことなど意識したこともなく、飯田先生と松陰先生を結びつけて連想することも、全くありませんでした。

  
催眠状態になった時には、ただただ、頭に浮かんだ事をそのまま申しました。記憶では、長い刀をさして、うきうきした気持ちで塾にいく自分があり、必死に吉田先生の話を聞く自分が出てまいりました。医師から「その人は知ってる人ですか?」と問われた瞬間、飯田先生の顔がドアップでイメージされ、ビックリいたしました。

自分が死んだ歳を聞かれた時には、頭にぱっと浮かんだ数字を申しました。草むらに隠れて指揮している姿がイメージされた時には、「こんなこと申して大丈夫かな」と、焦ったことを覚えています。臨終の時にも、頭に浮かんだことを申しました。

  
その後、急に高杉晋作に興味を持ちました。自分が言ってしまったことが、事実かどうかを知りたい気持ちもありました。そこで、司馬遼太郎「世に棲む日々」を読みましたところ、自分が見たビジョンとあまりに似ているのでビックリしました。でも、信じがたいお話でしたし、仕事が立て込んでいたため深くは考えないようにしておりましたが、ある時、急に松陰先生、高杉晋作に関するビデオを見てみたいとの衝動にかられ、秋葉原に行き、NHK大河ドラマ「花神」総集編のビデオを発見し(「花神」で松陰先生や高杉晋作が出ていること自体、ビデオの裏面解説を見て初めて知りました)、家で徹夜して一気に見てしまいました。こんなに面白かったのか、と思いつつ、松陰先生の場面ではなぜか胸が熱くなり、懐かしい思いがこみ上げ、ずっと涙しながら見ました。

そのビデオを見た日が、確か木曜日だったと記憶しております。次の日曜日の午前中に、**大学の**先生と新宿で打合せをいたしました。帰りに、せっかくここまで来たのだから、と、松陰神社に行って見ようと思い立ちました。行ってみると、何と、ちょうど松陰先生の命日で、神社の年に一度のお祭りがあり、奇兵隊が行進しており……びっくりしてしまいました。
   
これが、正直なお話です。上手く書けない部分もあり、かつ、自分が勝手に思い出してしまったことなので、飯田先生に失礼なことも書いてあるかもしれませんが、大筋を正直に書きました。以上の体験は、飯田先生には「勝手に人の過去を探ることはするな」と叱られそうなので、これまで言い出せないでおりました。しかし、上司の**さんには、ほぼリアルタイムで報告いたしておりますので、**さんにお聞きいただければ、以上の経緯が事実であることをご確認いただけます。

先生の更なるご活躍を心よりいつも念じております。

********************


 ……というわけだそうです。

 それでは、彼が思い出した記憶は、果たして歴史的に、どこまで信憑性があるのでしょうか?

 もとより、トランスパーソナルな意識状態で頭に浮かぶビジョンを、何とかして言葉で伝えようとがんばるわけですから、情景描写は、その人の解釈や表現力にもとづいて、大いに加工されてしまいます。しかし、歴史資料をひもといてみると、松陰や晋作についての知識が皆無に近かった彼の証言のうち、以下の多数の点が、歴史的事実と一致していることがわかりました。

* 現在の数え方で満18歳(当時の数え年では19歳)の時に、松陰の「松下村塾」に入塾していること。

* 毛利家家臣・高杉家200石の長男として生まれた晋作は、武士として恵まれた環境に育ち、父・母・妹の3人の家族がいたこと。残されている写真によれば、非常に面長の顔であること。藩の小納戸役を務めていた父親は、厳格で保守的な人柄として知られていたこと。

* 吉田松陰は、萩で何度か牢に幽閉されていたこと。お堂のようにも見える寺子屋風の私塾であった松下村塾では、さまざまな学問について教えながら、政治に関する松陰の自説を論じたこと。最期は、幕府の政治を批判した罪で、江戸に呼び出されて処刑されたこと。

* 晋作は、松陰の理念を実現すべく数々の戦闘を起こし、28歳の時に、肺結核で亡くなっていること。


 これだけの点が、歴史的事実と一致しているというのは、単なる偶然や脳の創作という水準を、はるかに超えているかのように思えます。あてずっぽうで答えたのでは、容易に「当たる」ことではないからです。たとえば、死因が肺の病気であることを当てるだけでも、「病気」「事故」「戦死」「殺人」「自殺」などの死因の中から「病気」を選び、そのうえで体のあらゆる部分の中から「肺」を選ぶわけですから、たまたま当たる確率はかなり低いのです。

 しかし、一方で、歴史的事実とは異なる部分も見られます。それは、吉田松陰が処刑された時に、自分が24歳であったと述べていることです。実際には、松陰は晋作に出会った2年後に処刑されていますから、晋作が24歳の時まで生きていたはずはありません。

 それに、肝心の彼自身が、幕末や萩に興味を持っていなかったというのは、どのように考えれば良いのでしょうか。もしも、彼の過去が晋作であったとするならば、現在の彼も、幕末に興味を持っているはずではありませんか?

 そして、私自身について考えてみると、実は彼と同様に、歴史は大好きであるにもかかわらず、「幕末」という時代には(新選組を除いて)興味がなく、むしろ嫌悪感を感じているほどだと言えるでしょう。NHKの大河ドラマも、幕末ものだけは見たことがありません。歴史書を開いても、幕末のページだけは、つまらないので、なぜか飛ばして読んでしまいます。日本中を旅して回った私ですが、広島県の出身であるにもかかわらず、なぜか隣県の「萩」の町にだけは、行ったことがありません。すぐ近くの津和野や秋吉台や青海島までは行きながらも、なぜか萩だけには行く機会がなく、JRでも車でも、通り過ぎてしまうのです。城下町の好きな私にとって見逃せない町であり、訪れた人々から「素晴らしかった」という評判を聞きながらも、どうしても足が向かないのです。もしも、私が吉田松陰と深い関係にあるならば、幕末の時代が大好きであり、萩の町が「懐かしく」感じて、何度も訪れているはずではありませんか?


 さあ、真相は、いったい、どうなのでしょうか?

 ある男性が、トランスパーソナルな意識状態で、このような証言をしたということだけは、MDに残っている確かな事実です。また、催眠にかかっていないのに、かかったふりをして嘘の証言をしようとしても、催眠の専門家である医師には、簡単に見抜かれてしまいます。それに、この男性が、医師に嘘をつく理由は全くなく、このような嘘をついても何の得にもならないうえ、数ヵ月後にたまたま私が知って問いたださなければ、永遠に私に教えるつもりはなかったのです。

 あなたは、この証言の内容について、どう判断なさいますか?

 いずれにしても、松陰や晋作のご子孫の方々や萩の方々を、ご不快にさせてしまうようなことを、不用意に書くわけにはまいりません。真相は、完全に、藪の中です。ここでは、「ちょっと面白い謎かけ遊び」をしたにすぎないということで、どうかご容赦ください。

 この男性の証言を直観的に信じることのできる方々は、もしかすると、かつて松下村塾で学び、自由と人権を求め、人民による人民のための革命を起こそうとして幕末の時代を駆け巡った、松陰の愛弟子や、その影響を受けた孫弟子の方々なのかもしれません。だからこそ、今、なぜか、これをお読みくださっているのでしょう。

一方、「こんな馬鹿げた証言など信じない」とおっしゃる方々は、この現代社会の価値観に生きる、愛すべき常識人の方々でいらっしゃいます。私自身が自ら認めていないことを、皆さんに信じていただけるはずがありません。

 どちらの判断が正しいとか、優れているとかの問題ではありません。どうせ、証明することも否定することもできないのですから、あなたの心の奥に生まれた解答こそが、あなたにとっての真実なのです。そして真実は、いずれ、あなたがこの人生を終えた時に、明らかになることでしょう。

                                  (第3話 完 : 2001年6月1日)





2話 病院から逃げてきた少女


 
ある秋の日の午後、エレベータから降りて研究室に向かうと、ドアの前には、見知らぬ少女が立っていました。年齢は、18才前後といったところでしょうか。
 見ると、胸のところで組んだ手には、私の『生きがいの本質』が、しっかりと抱きしめられていました。私は、「サインを求めにきた、うちの学生さんかな」と思いながら、声をかけました。

 

 「あの〜、飯田ですが、私に用事ですか?」
 「・・・・・・」


 少女は、真ん丸い目をさらに大きく見開いて、私の顔をじっと見つめました。何か言おうとしているのですが、唇が小刻みに震えるだけで、言葉が出てこないようです。
 ただならぬ気配を感じた私は、とりあえずドアの鍵を空け、部屋に入るよう指示しました。
 「とにかく、どうぞ、お入りください。」

 研究室に招き入れ、ソファに座らせると、少女は、わっと泣きはじめました。まるで、涙のダムが壊れたかのような、すさまじい泣き声です。私は、「ああ、まずい・・・きっと、廊下に響き渡っているだろうなぁ・・・ほかの先生方が、『何事か?』と、やって来なければいいが・・・」と、不謹慎な心配をしながら、少女が泣きやむのを待ちました。このような時には、泣きたいだけ泣かせてあげることが、私にできる最良の措置であることを、過去の数々の経験から知っていたからです。

 ところが、しゃくりあげるような泣き声は、10分たっても、20分たっても、収まりません。「こりゃ、長期戦になるな」と覚悟した私は、研究室のドアから廊下に首を出し、幸いにも、左右5つくらいの研究室には、どこにも灯りがついていないことを確かめました。周囲に迷惑をかけない以上、こうなったら、思い切り泣かせてあげるしかありません。私は自宅に電話をかけ、「ごめん、今日は、帰るのが遅くなるかも」と、妻に告げておきました。

 やがて、30分もたった頃でしょうか。
 ようやく、少女の泣き声が小さくなり、一瞬だけ、途切れました。
 私は、「ここを逃してはなるものか」と、意を決して声をかけました。

 「・・・どう? ・・・元気?」
 少女が元気なはずはないということくらい、重々承知していましたが、ここはひょうきんに攻めるしかありません。私は、つとめて明るい声を出しました。

 
「・・・どう? ・・・おさまってきたかな?」
 「こ、ごめんなさ〜い!」


 謝ったかと思うと、少女は、またしても泣きはじめました。私は、「し、しまった、逆効果だったか!」 とあわてながらも、今度は慎重に言葉を続けました。

 「君、うちの学生さん? 見たことない顔だけど・・・」
 すると少女は、はじめて、はっきりと顔を上げてこちらをみつめました。たくさんの涙の粒が、まつげの先に光っています。
 「・・・か、かわいい・・・・・・」

 ・・・そんなことを考えている場合ではありません。
 私は、ここぞとばかりに問いかけました。


 「それは、僕の本だよね? ありがとう、サインさせていただくよ。」

 まずは、このあたりの話題から入っていくのが無難というもの。すると少女は、素直に手を差し出し、本を渡してくれました。私は、いつものように、「お元気で、お幸せに」 というメッセージを書き、署名したうえで、その日の日付を入れました。

 「そうだ、君の名前も書いておこう。名前は?」
 「・・・**りか(仮名)・・・」
 「おお、りかさん・・・かわいい名前だね。それじゃ、いちばん上に、『りかさんへ』 と、書いておくからね。」


 私が本を手渡すと、少女は初めて、にっこりと、満面の笑みを返してくれました。純真無垢という言葉がよく似合う、素朴で素直な笑顔でした。
 私は、「よしよし、これはいけるぞ。さて、次は、どう切り出そうかな?」と、心の中で作戦を練りはじめました。

 すると、私が次の言葉を迷っているうちに、少女の方から、話しはじめてくれたのです。
 しかし、その言葉に、私はびっくり仰天しました。


 
「あの・・・私、病院から逃げてきたんです・・・」
 「え〜〜〜っ?!」
 「もう、戻りません。」
 「も、戻らないって言ったって・・・本当に、逃げてきたの?」
 「はい。」
 「どこの病院?」
 「知りません。」
 「知らない、ってことはないだろ?」
 「知らないんです」
 「病院名を忘れたの? 市内の病院?」
 「いえ・・・」
 「福島じゃないの?」
 「わかりません・・・」
 「わからないって・・・どうやって、ここまで来たの?」
 「駅の人に聞いて、東京から、やまびこ、っていうのに乗って・・・」
 「ええ〜〜〜っ!!」


 私の頭は、パニック状態でした。しかし、少女が、嘘をついている様子はありません。

 「やまびこ、って、新幹線の?」
 「はい・・・生まれて初めて乗りました・・・東京っていう駅も、初めて。」
 「いったい、どこから来たの?」
 「だから、病院です。」
 「病院って、どこの病院?」
 「わかりません・・・知りません・・・」
 「最初に電車に乗った駅は?」
 「覚えていません・・・」
 「お、覚えていない、って言ったって、そんな・・・・・・」
 「病院からやっとの思いで抜け出して、いろんな人に駅への道を聞いて、駅に着いたら、駅員さんに、『福島って、どうやって行ったらいいですか?』って聞いたんです。」
 「???」
 「そしたら、東京っていう駅に行って、やまびこ、っていうのに乗ったらいいよ、って・・・」
 「!!!」
 「えへへ・・・切符を買ったのも、生まれて初めてだったから、面白かったぁ!」
 「(絶句)」
 

それから少女は、ゆっくりと、しかし楽しそうに、身の上話をしゃべりはじめました。
 いつか病院を逃げ出してやろうと、ずっと前から計画していたこと。病院では、お医者さんや看護婦さんから、薬をいっぱい飲まされていること。その薬を飲むと、すごく嫌な、死んだような気分になるので、もう2度と飲みたくないこと。両親は、自分のことを、普通の人間じゃないと思っていること。自分を無理矢理に入院させたのは、両親であること。お父さんは、まったく病院に来ないこと。たまに病院に来るお母さんも、自分のことを、恐い目で見ること。お医者さんが、お母さんに、「回復の見込みはない」と言っているのを聞いてしまったこと。お医者さんが、看護婦さんに、「薬で抑えておくしかない」と言っていたこと。病院からは、抜け出せないようになっていること。病院では、与えられた作業をして、一日あたり500円の給料をもらっていたこと。そして、もう8年間も、家や病院から一歩も外に出してもらえなかったこと。

 私は、少女の言葉が、どこまで真実なのか、さっぱりわからなくなっていました。すべては、少女が作り出した妄想かもしれないのです。しかし一方で、少女の言葉は、すべて真実なのかもしれません。

 すでに、午後3時を回っていました。
 私は、「とにかく、この娘を何とかしてあげなければ・・・警察か・・・病院か・・・」と、対策を考えはじめました。

 「・・・でも、よく、福島まで来れたねぇ。」
 「はい、でも、あんなにお金がかかるなんて、びっくりしました!」
 「いくらかかると思ってたの?」
 「500円くらいかな、って。」
 「ご、500円? そんなのじゃ、新幹線には乗れないよ。今、お金持ってるの?」
 「はい、これだけ・・・」


 少女がポケットから出したお金を数えてみると、3700円ほどにすぎませんでした。

 「これで全部?」
 「はい・・・」
 「それじゃ、病院を抜け出した時には、1万円とちょっとしか、持っていなかったの?」
 「はい・・・それだけあれば、1週間はホテルに泊まれるかな、って思ってたんです。1週間あったら、飯田先生に会いに行けるかな、って・・・」
 「・・・1週間どころか、1万円とちょっとじゃ、1泊するのが精一杯だよ。」
 「えっ、本当ですか?! うわ〜、困ったぁ・・・」
 

少女は、心の底から、困り果てているように見えました。本当に、お金の感覚がないようです。

 「よく、間違えないで、こんな所までたどり着いたねぇ・・・」
 「はい、いろんな人に、いっぱい聞いたんです。やまびこに乗ってからも、ふくしま、ふくしま、って、ずっと考えてて、『ふくしま』っていう駅に着いたから、ああここだ、って降りたんです。」
 「駅からここまでは、どうやって来たの?」
 「タクシーに乗って、福島大学の飯田先生のところ、って言ったんです。そしたら、運転手さん、『ああ、だったら経済学部ね』って、すぐにわかってくれて・・・でも、2000円もかかっちゃったから、死ぬほどびっくりしました!」
 「そりゃそうだ。逃亡生活の軍資金が、1万円とちょっとじゃねぇ・・・それで、残りは3700円ぽっちになっちゃった、ってわけだ。」


 この時、私は、ある言葉を切り出すタイミングを、見計らっていました。もう、4時が近くなっていたからです。

 「・・・さあ、もう夕方だから、そろそろ、病院に帰らなきゃね。」

 その瞬間、またしても少女は、声を上げて泣きはじめました。
 どうやら、かなり感情の起伏が激しいようです。


 「嫌! 嫌! 帰りたくない! もう、あんな薬なんて嫌! お医者さんも、お母さんも、みんな嫌! みんなで、私をいじめるんです! だれも、私のことなんか、わかってくれないんです! 帰るなんて、絶対に嫌! 帰るんなら、今、ここで死にます!」
 「お、おい、待てよ! ここで死なれちゃ、僕が困るよ。君がそこに持ってる僕の本は、読んでくれた?」
 「はい、もう、何回も何回も読みました。」
 「その本は、どうやって手に入れたの?」
 「弟が、こっそり持ってきてくれたんです。」
 「なに? 弟さんがいるのか。」
 「はい。」
 「弟さんは、君の味方なの?」
 「はい・・・いいえ・・・この本をくれた頃は味方だったんだけど、今はお母さんやお医者さんの味方になっちゃいました。」
 「なるほど・・・君、その僕の本に書いてあることが、わかったかな?」
 「はい、生きていることって、すごいことだって、わかりました。だから、先生の所に来たんです。お礼を言わなくちゃ、って思って・・・この本を読まなかったら、とっくに私、自分で死んでるところでした。」
 「そうなの? それじゃ、もう、死ぬなんて言わないでね。」
 「はい。ごめんなさい。」
 「先生と君の、約束だよ。いいね?」
 「はい、約束します。」
 「それじゃ、もう帰らなきゃ。夜になっちゃうよ。みんな、心配してるよ。」
 

その瞬間、またまた少女は、激しく泣きはじめました。

 
「嫌! 嫌! 帰りたくない! だれも、私のことなんか心配してません。またつかまえられて、薬ばっかり飲まされるんです。帰るなんて、絶対に嫌!」
 「そんなこと言ったって・・・・・・それじゃ、どうしたいの?」
 「ずっと、ここにいちゃだめですか?」
 「ダメダメ! ここは住む所じゃないんだし、僕ももう、そろそろ家に帰らなきゃ。君にここに居座られたんじゃ、僕は少女監禁罪で、新聞に載っちゃうよ。」
 「・・・・・・そうですよね・・・・・・ごめんなさい・・・」
 「う〜ん、どうしたらいいだろうね? 君、本当に、帰り方がわからないの?」
 「はい・・・初めて乗った乗り物ばっかりだったし・・・」

 
私は、「こうなったら、やはり警察か病院に連れて行くしかないな」と、心の中で作戦を練りはじめていました。本人が、帰り道を知らないという以上、それ以外に方法が見つからなかったからです。
 すると少女は、突然に、意外なことを口にしはじめました。

 
「私、修道院に入りたいんです!」
 「ええっ、修道院!?」
 「だって、私のこと、わかってくれるのは、飯田先生と、神様だけしかいないと思うんです。だから、福島に来て先生にお礼を言ったら、そのあとは、神様のお手伝いをして生きていこう、って思って・・・」
 「どうして、修道院、っていう場所のことを知ってるの?」
 「昔、サウンド・オブ・ミュージック、っていう映画を、テレビで見たことがあって・・・」
 「なるほどね。」
 「先生、福島の修道院に、連れていってください!」
 「残念ながら、福島に修道院なんか無いよ。」
 「じゃあ、どうしたらいいんでしょう? どこか、修道院のある所、知りませんか? 病院になんか、帰りたくない! もう、先生と神様以外には、誰も信じられない!」

 
少女はまた、両手で顔を覆って泣きはじめました。

 私は、決断に迫られていました。

 
私の理性は、「早く警察か病院に連れて行け!」 と叫んでいました。「この娘は、病気なのだ。これ以上、お前に何ができる? お前には、病気の娘を病院に戻してやる社会的義務がある。医者も両親も、今ごろは大騒ぎで探しているはずだぞ。修道院に連れて行くと言って、車に乗せ、警察へ直行すれば良いではないか。さあ、何をぐずぐずしている、早くだまして連れて行け!」 と。

 ところが、彼女をだますために口を開こうとした瞬間、私の心の中で、何者かが、感情のままに語りはじめたのです。「今、お前がこの娘をだまして車に乗せ、修道院に連れて行くと言いながら、あざむいて警察に突き出したとしたら、いったいこの娘の気持ちはどうなる? この孤独な娘の、お前に対する信頼はどうなる? 必死の思いでこんな所まで訪ねてきた、この娘のけなげな心はどうなる? 世の中で、お前と神様だけは自分のことをあざむかないと信じている、この娘の最後のひとかけらの希望は、いったいどうなるのだ?」 と。

 ・・・さめざめと涙する少女を前にして、私の心は、乱れに乱れました。
 私の理性は、ますます厳しく、私に冷静な判断を命じていました。「何をしている! お前には、選択の余地など与えられてはいないはずだ。病気の娘を病院に連れ戻すことこそが、お前の社会的責任ではないか。医者も家族も困ってるぞ。早く警察に突き出さなければ、取り返しのつかない事態になってしまうぞ。こんな娘を、信じちゃいかん。この娘は、病人なのだ。頭を、心を病んでいるのだ。ぐずぐずしていて、自殺でもされてしまったらどうする? どう責任を取るのだ? こんな娘を、信じてはいかん! 早く、警察に突き出すのだ!」

 ・・・そうだ、どう考えても、選択の余地は無い。修道院に連れて行くなどという夢物語は不可能な以上、警察に連れていき、保護を求め、無事に病院へ連れ戻してもらうのが常識ではないか・・・・・・ついに、私は、そう決断しました。


 「さあ、車に乗ろう。僕が、修道院に、連れて行ってあげるから。」

 もちろん、修道院など、心当たりはありません。車に乗せてしまえば、そのまま警察に連れて行くつもりでした。
 ところが、少女は、そんな私のことを、ひとかけらの疑いも持たずに、心底から信頼してくれたのです。

 
「えっ! 先生、どうもありがとう!」

 車は、大学を出て、刻一刻と、警察署に近づいていました。少女は、楽しそうに鼻歌を歌いながら、語りはじめました。

 
「私、ずっと、寂しかったんです。先生、私、変じゃないですよね? 普通の子ですよね? でも、みんな私のこと、おかしいって言うんです。だれも、私のことなんか、わかってくれなかったんです。家族も、お医者さんも、看護婦さんも、み〜んな、私を病院に閉じ込めて、薬ばかり飲ませようとするんです。・・・でも、私、わかったんです。飯田先生の本を読んで、『この人なら、私のこと、わかってくれる』って・・・先生と神様だけが、私のこと、信じてくれる、って思ったんです。・・・ああ、良かった! がんばって逃げ出してきて、先生に会えて・・・・・・やっぱり、先生は、私のこと、わかってくれた。先生は、信じられる人だった。先生と神様だけは、私のこと、普通の人間として扱ってくれる・・・」

 私は、少女の言葉を聞きながら、胸が引き裂かれるようでした。「違う! 違うんだ! 先生も、今まさに、君を裏切ろうとしているんだ! 修道院に連れて行くと、君をあざむいて、警察に突き出そうとしているんだ! 僕も、これまで、君をわかってやらなかった人たちと、おんなじ汚い人間なんだ!」

 福島大学から福島警察署まで、車で10分ほどの距離でした。
 私と少女を乗せた車は、警察署まで、あと1分ほどの距離にまで近づいていました。少女が夢を見ていられるのは、あと、わずか1分でした。1分後には、私の車は警察署の駐車場にすべり込み、私は、私に裏切られたことに気づいて絶望する少女の腕をつかみながら、「すいませ〜ん! 誰か来てくださ〜い!」 と、署の中に向かって大声で叫んでいるはずでした。

 そして、大仏橋を渡り、国道4号線から左折して平和通りへと差しかかって、300メートル前方に福島警察署の建物が見えた、まさにその時でした。
 私の視界を、一瞬、まばゆいばかりの閃光がさえぎりました。どこかから「来た」 光ではなく、突然、目の前に「生じてきた」 光でした。「ああっ!」 と驚いてブレーキを踏んだ瞬間、私の心の中に、威厳に満ちた声が響き渡ったのです。

 
「本当に、それでいいのか? それがお前の本心なのか? この娘は、お前だけを信じているのだ。この娘にとって、心を許せる友人は、お前だけなのだ。発病以来、人々からさげすまれ、忌み嫌われてきたこの娘にとって、最後の希望がお前なのだ。お前は今、この娘にとって、人間という存在全体の象徴なのだ。お前が裏切れば、この娘は最後の希望さえも失い、もう2度と、人間を信用することはなくなるだろう。しかし、もしもお前が裏切らなければ、この娘は、人を信じることの喜びを取り戻すことだろう。さあ、お前は、どちらを望むのだ?」

 ・・・それはまさに、神様の御声でした。

 「し、しかし、私には、そうするしか手段がないんです! 私に、どうせよとおっしゃるのですか? 警察にも病院にも連れて行かずに、彼女の信頼に応えて、しかもこの事態を丸く収めるような方法が、何かあるとおっしゃるのですか? 彼女の信頼に応えることなど、できないものはできないのです!」

 「できる! できるのだ! お前にならできる。その心をすべて開き、その頭脳のすべてを使って考えるがよい。信じるのだ。この娘を信じ、自分自身を信じ、そして私を信じるのだ。この娘にとって、お前がいつまでも心の同伴者でいられる方法があるではないか。そして最後には、私に任せるのだ。」

 ・・・・・・「私に任せるのだ」・・・・・・神様がそのようにおっしゃるとは、思ってもみませんでした。
 言われてみると、この少女にとって、「飯田先生だけは最後まで自分を裏切らなかった」 という希望を与え、いつまでも少女の心の友でいられるような方法・・・その方法が、確かに、たったひとつ残されているのです。神様を信じて、お任せさえすれば可能になる、ある方法が・・・・・・この瞬間、私はまさに、天啓に打たれていました。

 「キャッ!」

 急ブレーキに驚いた少女の声で、閃光は一瞬にして消えうせ、私の視界はふたたび開けました。

 
「ごめん、ごめん、危なかったね。」
 「あ〜、びっくりした! 先生、居眠りしちゃだめですよ。」
 「いや〜、悪かった。もう大丈夫だよ、先生は、気づいたから。」
 「え? 何に気づいたんですか?」
 「あ、いや、何でもないよ・・・・・・それじゃ、これから、修道院に向かうからね。」


 私は、もう福島警察署には目もくれず、平和通りを直進して、ある場所へと向かいました。
 時刻はすでに5時を回り、夕暮れの赤い陽光が、町並みを優しく包み込んでいました。

 
「修道院って、福島にもあったんですか?」
 「いや、福島には無いよ。」
 「それじゃ、どこまで行くんですか?」
 「東京だよ。」
 「え〜っ! 東京??」
 「うん、東京まで戻って、僕の言う通りにしなさい。東京まで戻らなければ、修道院は無い。」
 「このまま車で戻るんですか?」
 「いや、福島駅まで連れて行ってあげるから、また新幹線で戻りなさい。」
 「でも、もうお金がないし・・・」
 「お金は、僕が出してあげるよ。」
 「いえ、それは絶対にいけません!」
 「そんなこと言ったって、3700円の軍資金じゃ、どうにもならんだろ。」
 「でも、私、先生にお金をもらいたくて来たんじゃありません!」


 少女は、頑として、お金を受け取ろうとはしませんでした。
 私は、困り果てました。

 「あげる」「いらぬ」と押し問答をしているうちに、車は、福島駅の西口に着きました。駐車場に車を止め、少女とふたり、駅のチケット売り場へと向かいながら、私の頭に、あるアイデアが浮かびました。

 「わかったよ。それじゃ、先生は、君にお金をあげない。君は、自分のお金で新幹線に乗りなさい。」
 「あ〜良かった。・・・でも・・・そんなお金もないし・・・」
 「大丈夫。君は、3700円も持ってるだろ?」
 「うん。3700円しか・・・」
 「ところが、君は東京から来て東京へ戻るんだから、往復の割引券が使えるんだ。そしたら、帰りの分は、たった300円で乗れるんだよ。」
 「え〜っ、たった300円で?」
 「うん、今、僕が買ってきてあげるから、300円ちょうだい。」
 「やった〜! はい、300円。」


 かくして、私は、まんまと300円を頂戴し、少女をその場で待たせて、ひとりで自動券売機に向かいました。福島〜東京間の運賃は、実際には8000円以上ですから、差額を私が支払ったことは、言うまでもありません。少女の金銭感覚の無さを利用して、小さな嘘をついてしまったのです。嘘のついでに、駅弁も買いました。

 
「はい、チケットと、お弁当。」
 「え〜っ、お弁当も?」
 「うん、今、東京から往復してくれるお客さんには、お弁当が付いてくるんだって。」
 「わ〜い!」


 やがて私たちは、東京行き新幹線のホームへと、エスカレータで昇って行きました。

 「それじゃ、これから大事なことを言うから、その通りにするんだよ。」
 「は〜い。」
 「まず、僕が座席を選んで乗せてあげるから、そこに座って、終点の東京まで行きなさい。」
 「終点?」
 「いちばん最後の駅、っていう意味だ。とにかく、最後に、お客さんがみんな降りてしまう駅が、東京駅だ。」
 「わかりました。」
 「東京駅に着いたら、制服を着た駅員さんに、『タクシー乗り場はどこですか』 って聞きなさい。」
 「タクシーに乗るんですか?」
 「うん。タクシーに乗ったら、運転手さんに、『どこか、一番近くの教会に行ってください』 って、頼みなさい。」
 「あ、そうか! そこが修道院なんですね。」
 「いや、違う。まだ、そこは修道院じゃない。修道院は、遠くにあるからね。でも、とにかく、タクシーで近くの教会まで行って、降ろしてもらいなさい。もしも、タクシー代が足りなかったら困るから、この1万円札を持っておきなさい。」
 「だめ! お金はもらえません、って言ったじゃないですか!」
 「これは、あげるんじゃなくて、貸してあげるんだよ。無事に修道院に着いたら、君のお守りとして、一生大切にしてね。」
 「あ、お守りですか! 本当に? お守りなら、欲しいです! 大事にしますね。」
 「まぁ、使っちゃったら使っちゃったで、全然かまわないから。それよりも、教会に着いたら、中に入って、神父さんか牧師さんを探しなさい。」
 「神父さんと牧師さんって、どう違うんですか?」
 「おんなじようなもんだ。とにかく、その教会の偉い人を探して、『修道院に入りたいんですが、どこか紹介してくださいませんか?』 と、お願いするんだ。」
 「そうか、その教会で、教えてもらうんですね。」
 「その通り。きっと、教えてくれるよ。」
 「やった〜! 先生、ありがとうございます!」


 少女の喜びは、大変なものでした。

 やがて新幹線が到着すると、私は少女を席に案内し、お弁当と、ホームで買ったお茶を渡しました。

 
「お茶くらい、あげてもいいよね。」
 「・・・ありがとうございます。」
 「それじゃ、先生は降りるからね。」

 その瞬間、少女の瞳から、大粒の涙がぼろぼろと、こぼれました。私の目にも、涙のダムが出来ていました。少女を抱きしめて、ほおずりしてやりたい衝動にかられましたが、ぐっとこらえて微笑みました。

 「いいか、先生は、いつでも君の味方だ。ずっと、君の友だちだ。何か嫌なことがあったら、僕のことを思い出しなさい。僕の心はいつでも、君のそばにいるからね。わざわざ来てくれて、本当にありがとう。」

 少女は、声にならない泣き声を噛みしめ、私が差し出した手を、きつく握ってくれました。
 
 
「それじゃ、さよなら。元気でね。」
 「さようなら。」


 新幹線のドアが閉じ、彼女の泣き顔が遠ざかっていきました。

 正直なところ、教会まではたどり着けても、その教会が修道院を紹介してくれ、実際に修道院に入ることのできる可能性となると、かなり低いだろうことは承知していました。教会の神父さんか牧師さんが、少女の話を聞いて、社会常識にのっとり、警察や医者を呼ぶ可能性の方が、はるかに高いだろうと思われました。

 しかし、それでも私は、神様にお任せしようと考えたのです。

 その後、少女からは、まったく連絡がありません。
 今ごろは、再び病院に戻されている可能性が高いことでしょう。それでも、彼女の心の中には、「飯田先生だけは、私を裏切らなかった」 という、ひとかけらの希望が残っているはずです。私が、あの時、警察署に連れて行っていたならば、そのひとかけらの希望さえも失って、今度こそ誰も信用できなくなっていたに違いありません。

 それでも、もしかすると、うまくどこかの修道院に救っていただき、神様に仕える毎日を送っているかもしれません。もちろん、病院や両親には、「彼女は今、我が修道院においでです」 という連絡が行っているはずですから、それはそれでご安心なさることでしょう。


 私は今でも、福島駅の新幹線ホームに立つたびに、大粒の涙で手を振りながら消えていった、少女の姿を思い出すのです。


                              (第2話 完 : 2000年6月23日)





第1話 父の日の みたらしだんご


 以下のEメールは、2000年の6月17日から18日(父の日)にかけて、私と、京都にお住まいの美紀さん(仮名)との間で、実際に交わされたものです。プライバシー部分以外は、まったく手をつけておりません。
 美紀さんは、数年前に、ご主人を亡くされており、それ以来、私の著書を愛読してくださっています。

 6月17日、「父の日」の前日の深夜のこと。
 自宅のパソコンのメールボックスを開いてみたところ、美紀さんから、久しぶりにEメールが届いていました。


********************

 6月17日 23:31

こんにちは、京都の美紀です。

今日も、こちらは大雨です。
梅雨も、ど真ん中ですね。
恵みの雨で良いのですが、雨降りはあまり好きじゃないです。
近くの公園では、紫陽花や花しょうぶが咲き誇ってます。

明日は「父の日」ですね。
何か嬉しい事があると良いですね。

私達にとっては悲しい日ですが、娘が今日の朝、私にメールを送ってくれました。
とても私にとって暖かい、嬉しいメールでした。
まだまだ、寂しい日々を送っていますが、子供達からまた愛を貰いました。
少し長いですが、そのままコピーしました。
時間のある時に読んでください。


★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。

6月18日 「父の日」・・・父さんへ。

父さんは、私が小学*年生の時に私のお父さんになりました。
最初は「父さん」と呼ぶのが恥ずかしくて、なかなか言えなかった。ゆうてる間に弟が生まれ、毎日が楽しい日々でしたよ。
 
そして中学生になって、私は夜にこっそり外出したりして、毎日遊び歩いていたある日、父さんはすご〜く怒ったよな。私を怒鳴り散らして、父さん泣いてた・・・。あん時はマジでごめん。
 
高校生になると、私には彼氏がいたりして、父さんとあんまり話す機会も会うコトもなくなったね・・・。
父さんは毎朝6時30分の電車で通勤して、帰ってくるのは夜の11時過ぎ。話せる時間はあったものの、年頃の娘だったので私から話すことは・・・なかったね。
でも、進路を決める時は「これからは資格が大事や」って言って、色んな資格の種類が載ってる本を買って来てくれたね〜。

結局、幼い頃から続けてる”音楽”の道へ進ましてもらった。楽器を弾いてる私を「すごいな〜。」って言ってたよな。すごく協力的で、頼りにしてました。
私が失恋したときは一晩中、慰めてくれたよね。くだらん男とつきあってて、その人に殴りかかった事もあったよね。
 
そんなこんなで、父さんの病気が発覚・・・・・・・。
私が就職したことを喜んでいたのも、つかの間、父さんの入院生活が始まった。
もぅ、あれから3年か・・・。

しばらくして、私は”仕事やめたい”と打ち明けた時、父さんは「無理せんと、やめたらいいねん。」って励ましてくれたね。今思えば、甘い親・・・って思うけどそん時はうれしかったよ。
その頃からかな? 父さんに何でも相談し始めたのは・・・。

入退院を繰り返して、だんだん父さんも弱ってきたある日の朝・・・「父さんヤバイ」の電話。慌てて病院に向かった。
病室のドアを開けたら、父さんはまだ大丈夫。
でも私は”もしかしたら・・・”と思い、父さんの友達の連絡先を取りに家へ帰った。
帰ってる途中で妹から私の携帯電話に「アカン戻って!」って・・・。
Uターンして急いで戻ったけど、その日は日曜日で、道路はかなりの渋滞。

そんな時、前から”しゃぼんだま”が飛んできた・・・。「なんで、こんな車通りの激しい所に・・・?」と思った瞬間、私は
「もしかして父さん?」って・・・・・。
いてもたってもいられず、私は車から降りて走った。父さんは、私のそんな姿を見てましたか?

走って走って3分後、私は病室のドアを開けました。
・・・間に合わなかった・・・    
「あと3分早ければ・・・。」
妹が言いました。

父さん、ごめんね。私は間に合わなかったね。ごめんね。
だから父さん、”しゃぼんだま”になって私達を探しにきてたんだ・・・。
私は”しゃぼんだま”を見た時、考えてたんやで!父さんのことを・・・・・。

父さんがいなくなって、もうすぐ1年。
私は父さんの夢をよく見るよ。いつも何かを伝えてくれる不思議な夢。
みんなそれぞれ頑張ってます!・・・知ってるか・・・父さんはいつでも空から見てるねんな!
父さんに初孫、早く見せたいな〜!若いおじいちゃんやな。
これからも幸せでいられる様に、ママも淋しくない様に、見守っててくださいね!

でもでも、私が60年後、70年後、おばあちゃんになって死んだら、逢えるや〜ん!!
一生逢えないわけじゃナイ。絶対に逢える!!たとえその日が70年後でも逢えるし〜!!
そん時はちゃんと迎えにきてよ!約束やからね

★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。


先生にとって、今年の「父の日」も幸せな日でありますように祈ってます。

          美紀

********************


 
私は、先立ったお父さんにあてた、娘さんの素敵なメールに感動して、さっそく、美紀さんにお返事を書きました。
 ところが、美紀さんへのお返事を書こうとした瞬間、私の頭、いや、心の中に、不思議な物体のビジョンが浮かんできたのです。そして、私の口の中には、まるでおいしいものを食べた時のように、唾があふれ出てきました。

 「おや? 何だろう、これは…」

 そう思ったとたん、私の心の中には、このような声が聞こえてきました。

 「飯田先生、美紀に、伝えてやってください。」

 「え?」

 「お伝えくだされば、美紀はきっと、わかってくれますから・・・」

 「は・・・はぁ・・・???」

 私は、しかたなく、心の中に浮かんだ、その物体のビジョンのことを、美紀さんへのメールに書いておきました。冗談でもすむように、さりげなく書いておいたつもりでした。


********************

 6月18日 0:38

美紀さんへ

とっても素敵なメールですね。
感動しました。
私も、嬉しくなってきました。
おすそわけをくださって、どうもありがとうございます。

それにしても、素敵なお嬢さんに育ちましたね。
し、しかし・・・美紀さんって、いったい、何歳???
そんなに大きなお子様がいらっしゃるようには、見えませんでしたが・・・

(もちろん、お答えいただかなくて結構です)

ご主人も、大喜びしていらっしゃいますよ。
なぜかわかりませんが、ぼたもち(おはぎ)を食べたがっていらっしゃいます。一緒に食べようよ、とおっしゃっていますが・・・???
私には、おはぎのように見えるのですが・・・巨大なミートボールっていうわけでもないでしょうし・・・黒くてまん丸いおにぎり、っていうのも変でしょうから・・・う〜ん、ナゾです。

-------------------------
福島大学助教授 飯田史彦

********************


 私がこのメールを送信した時には、もう、父の日の当日になっていました。
 すると、たった12分後に、美紀さんからお返事が届いていたのです。

 何しろ、私自身にも、自分に見えたビジョンの意味がさっぱりわかりませんでしたから、メールの中では、冗談でもすむように茶化して書いておいたのですが・・・・・・美紀さんは決して見逃さず、そこに隠された意味を、敏感に感じ取っていたのです。


********************

 6月18日 0:50

 京都の美紀です。

さっそくお返事頂いて光栄です。
お忙しいのに、暇な私のメールにお付き合い頂いて、本当にありがとうございました。

 >そんなに大きなお子様がいらっしゃるようには、見えませんでしたが・・・
    (もちろん、お答えいただかなくて結構です)

若く見て頂いて嬉しいです。
いつまでも変わらない主人の為に、ぶりっ子を維持してます。(笑)

>  ご主人も、大喜びしていらっしゃいますよ。
>  なぜかわかりませんが、ぼたもち(おはぎ)を食べたがっていらっしゃいます。一緒に食べようよ、とおっしゃっていますが・・・???
>  私には、おはぎのように見えるのですが・・・巨大なミートボールっていうわけでもないでしょうし・・・黒くてまん丸いおにぎり、っていうのも変でしょうから・・・う〜ん、ナゾです。

ここが聞きたくて再度メールしました。
今日はおはぎではなく、おはぎを横目にして、みたらしだんごを買ってお供えしました。

でもでも何で、先生には、逢った事も無い主人の事が、分かるのでしょうか?

お忙しいのにすみません!

では、また。

          美紀

********************


 
実は、ほかの友人たちへのメールを出して、いったんパソコンのスイッチを切った私に、また先ほどの声がして、「今すぐメールボックスをのぞいてください!」と聞こえたのでした。
 そこで再びパソコンのスイッチを入れてみると、届いたばかりの、以上のような美紀さんからのお返事を発見したのです。私は、美紀さんからのお返事の、あまりの素早さに驚きました。

 しかも、お返事の中身を拝読して、さらにびっくり!
 確かに、私が見たビジョンは、そう言われてみると・・・

 私は、さっそく、率直なお返事を書きました。


********************

 6月18日 1:23

美紀さんへ

なるほど!

それで、ご主人が、おはぎ(?)のビジョンを私にお見せくださったのですね!

よくあるパターンなのですが、ご主人が、茶目っ気たっぷりに、ユーモアで、美紀さんに「僕はいつもそばにいるから、何でも知ってるんだよ」と、メッセージを送っていらっしゃるのです。ご主人は、美紀さんが「みたらしだんご」を買ってくださったのをご存知で、もちろん、みたらしだんごを喜んでくださっています。

 そこで、次の3パターンのうちの、いずれかが考えられます。

(1) ご主人が私に見せてくださったのは、「みたらしだんご」のビジョンであった。

 ・・・私もメールに書いたように、「おはぎ」と断定する自信もなかったのです。丸くて、黒っぽいものがまとわりついているもの、というビジョンで、「おいしい食べ物」であることははっきりしていました。ですから、ご主人が見せてくださったのが、「みたらしだんご」であったとしても、おかしくありません。
 私には、「みたらしだんご」という食べ物の概念があまりなかったので、すぐに名前に結びつかなかったのです。美紀さんに言われてみると、なるほど、タレがたっぷりついたおだんごのビジョンだとしても、不思議はありません。

(2) ご主人が、茶目っ気を込めて、「あの時、おはぎではなく、みたらしだんごの方にするように指示したのは、僕だったんだよ」と、伝えたがっていらっしゃる、というパターンです。

(3) ご主人が、茶目っ気を込めて、「あの時、僕は、今日はおはぎの気分だったんだけどなぁ・・・ねぇ、明日、今度はおはぎを買ってお供えしてよ。」と、ユーモアたっぷりに伝えたがっていらっしゃる、というパターンです。

・・・私の経験上、上記のいずれかであることは、間違いありません。いずれにしても、ご主人が、「僕はそばにいるんだよ」ということを、私を通じて伝えたがっていらっしゃるのです。まず故人が私にビジョン、音、声などを見せて、残したご家族へのメッセージを、そこに込めてくださいます。今回は、ビジョン+食感(おいしい食べ物、という感覚・・・実際、私は、そのビジョンを見ながら、唾が出てきました)によって、メッセージをくださったわけです。方法は、いろいろありますが・・・

というわけですから、いずれにしても、今度は「おはぎ」も買って両方お供えしてあげれば、きっと喜んで、大受けしてくださるはずですよ。もちろん、故人はもう実際に「食べる」という行為はしませんが、「自分のためにお供えしてくれたものを、家族がおいしく食べてくれる光景」を見るのが、大好きなのです。
どうぞ、お子様にも、このことを話して、「あなたも、みたらしだんごとおはぎを買って食べなさい。そしたら、お父さんとお母さんとあなたと、家族みんなで、一緒に父の日のお祝いをしたことになるから、きっとお父さんも大満足よ」と、お伝えください。

ユーモアのある、素敵なご主人ですね。
私も、メッセンジャーのお役に立つことができて、本当に嬉しいです。だって、美紀さんからのメールを開いたとたんに、ご主人が現れて、ニコニコしながら、私におはぎかおだんごのビジョンを見せて、「美紀に伝えて欲しい。伝えれば、わかるから」とおっしゃるのです。
実際、このように、私には何のことかさっぱりわからなくても、ご家族にお伝えすれば、「なるほど!」と意味が判明することが、ほとんどです。

美紀さんの頭に浮かぶことは、ご主人の意思でもあるんですよ。私たちは、死んだあとにも、そうして一緒に生きているのです。ご主人が、「寂しいのはわかるけど、僕もこうしていつも一緒にいてあげるんだから、本当はいつも2人なんだよ」と、私を通じてお伝えしてくださったのでしょう。
今後は、買物をする時にも、「ねぇ、今夜は、何を食べようかしら?」と、ご主人に尋ねてみてください。その瞬間に、浮かんだものが、ご主人からの回答です。

父の日に、ご主人からの素敵なメッセージが届いて、本当に良かったですね!

-------------------------
福島大学助教授 飯田史彦

********************


 
そして、私はいつものように、朝方まで仕事をしてから眠りにつきました。
 とても、安らかな眠りでした。

 やがて、「父の日」のお祝いと称して、家族でドライブに出かけてきた私は、帰宅後すぐに、またパソコンのスイッチを入れました。いつもは、お風呂に入ったあとで、もっと深夜になってからEメールを見るのですが、この日は、なぜか一刻も早く、メールボックスをのぞいてみたかったのです。

 すると、そこには、またしても美紀さんからのお返事が届いていました。


********************

 6月18日 14:38

お忙しいのに、私のメールに付き合って頂いて、ありがとうございました。美紀です。

先生のお返事を読んで、体の震えが止りませんでした。
なかなか寝付かれず、ずーっと考えてました。

(1)と(3)が思い当たります。

生前、私が「
みたらしだんご」を買ってくると、主人が「おはぎが良かったなぁ」って言ってた事を、思い出してました。

でも凄いですね。感激しました。

見えない存在を信じて生きていくには、それを感じ取る才能があれば100%信じる事が出来るのですが、私には何も無いので、昨夜までは、信じていても半信半疑で過ごしていました。
信じたいけど見えないし・・・でした。
だからいつも、不安と戦ってました。

だけど私は、こんなに素晴らしいメッセンジャーの役目をお持ちの先生と巡り合えて、心強いです。
ちっぽけな私に、先生を導いてくれたのは、主人ですね。

でも、よく考えて今までを振り返って見ると、私にも、主人の存在を感じることが、何度もありました。
心を落ち着かせて、心の目で主人に逢いたいです。

多くを望めば、「せめて一年に一度、ほんの少しでいいから逢えるものなら、どんな事でもするのにな」と、思ってしまいます。
七夕の彦星と織り姫のように・・・

今日は、嬉しい「父の日」となりました。
天国でも、ちゃんと父の役目を果たしてくました。

本当にありがとうございました。

7/7日楽しみにしてます。先生の本ですよ。

これからも頑張って下さい。
そして、これからもよろしくです。

          美紀

********************


 
なんと、生前、美紀さんが「みたらしだんご」を買ってくると、ご主人が、「おはぎが良かったなぁ」とおっしゃっていたとは・・・・・・

 
なるほど、それで、ぴったり符合します。
 正解は、3番でした。


 
ご主人は、「みたらしだんご」を買って供えてくださった美紀さんに対して、私を通じて、わざと「おはぎ」のビジョンを伝えることにより、美紀さんに、生前「おはぎが良かったなぁ」とおっしゃっていたことを、思い出して欲しかったのです。美紀さんとご主人のお2人にしかわからない、生前の思い出を伝えることによって、「ほら、本当に、自分は今でも、美紀のそばにいるんだよ」と、証明してくださったのです。
 だって、私には、見せられたビジョンにどのような意味があるのか、さっぱりわからなかったのですから。わけのわからないままで、心の中に浮かんだビジョンをそのまま美紀さんにお伝えしてみたところ、はじめてそこに、夫婦にしかわからない深い深い意味が見えてきたのです。


 私は、さっそく、お返事メールを書きました。



********************

 6月18日 19:13

美紀さんへ

やはりそうでしたか!
私にとっては、いつものことなので、驚くことではありませんが、初めて経験された方は、皆さん一様に感激されます。

そこで、お願いなのですが・・・
今回の一連のやり取りを、ホームページ上でご紹介してもよろしいでしょうか? 
もちろん、お名前やプライバシーは厳守しますので、ご安心ください。
きっと、美紀さんと同じ寂しさを感じていらっしゃる方々、特に夫や妻を亡くされた方々に、大きな希望を与えることでしょうから・・・よろしければ、ご了承くださいませ。

小道具が「みたらし」と「おはぎ」というのが、とっても可笑しくて、素敵なお話ですし・・・

お返事、お待ちしています。

-------------------------
福島大学助教授 飯田史彦

********************


 すると、まるで私がメールしたのをご存知だったかのように、そのすぐ後に、また美紀さんからのお返事が届いていました。
 今思えば、私も美紀さんも、ご主人の意識に操られながら、ぴったりのタイミングで何度もメールボックスを開いてみたのでしょう。そうでなければ、私自身、1日のうちにこれほど何度もメールボックスを開くなんて、めったにないことですから。


********************

 6月18日 20:04

ありがとうございます。
私の体験、どうぞお使い下さい。
キット、主人も同じ気持ちだと思います。

PCの前に、主人の大きな写真を置いてあるのですが、今日はいつもより、視線を強く感じてメールをしてました。

「みたらしだんご」と「おはぎ」だなんて、あちらの世界のお話のようには思えませんよね。
今、思っても、可愛くて微笑んでしまいます。(*^o^)

とても、ステキな「父の日」となりました。
本当にありがとうございました。

では、HPを楽しみにしてます。

          美紀

********************


 
・・・・・・そして、今、この瞬間にも、ご主人は、美紀さんと一緒に「生きて」いらっしゃるのです。
 なぜなら、「死ぬ」ということは、正確に言うと、「身体から離れて生きる」ということだからです。美紀さんも、ご主人も、その形態が異なるだけで、ともに「生きて」いらっしゃるのです。

 こうして、愛し合う2人は、永遠に、ともに生きていくのです。

 いつまでも、いつでも一緒に・・・・・・


                               
(第1話 完 : 2000年6月21日)