音楽:ROCK

 独断と偏見で選んだ、私の「超お気に入りアルバム・ベスト10」(All Time・洋楽・ROCK部門)、ランキング大発表! (ただし、まずは第3位までネ)


 私は、音楽には非常にうるさい。「メロディー、歌詞、アレンジ、声、歌唱力、表現力」の6大条件が、すべて完璧に満たされない限り、納得しない。しかし、もしもこれらがすべて満たされるアルバムに出会ったならば、何百回でも飽きないで聞き込むのだ。
 以下の10枚は、そんな私の厳しい条件を、見事にクリアした名アルバムである。

 もしも、無人島に持っていくならば、迷うことなく、これらのCDだ。



第1位:THE BEATLES(ビートルズ)

    「ABBY ROAD」(アビー・ロード)

     CDナンバー:TOCP−51122(店頭で容易に入手可能)

 あまりにも当たり前の結果で、申し訳ない!

 常識人ならば疑う余地のない、史上最高にして最も成功したロック・バンド、ビートルズ。ビートルズが残した曲の数々は多様なジャンルに渡るため、現在の私たちが聴くポピュラー音楽の大半は、ビートルズが創作・発明、あるいは大きく発展させたものだと言っても、過言ではない。

 ビートルズが残した名作アルバムは数多く、人によって、その「代表作」は異なってしまう。しかも、シングルの代表曲としてあげられる「レット・イット・ビー」や「ヘイ・ジュード」などは、代表作と呼べるほどのアルバムには収められていない。そのうえ、ジョン・レノンの「イマジン」など、ロックのジャンルを超えて歌い継がれている名曲には、ビートルズ解散後に発表されたものも少なくない。しかし、一般的には、ロック・ミュージックに革命を起こした「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と、事実上のビートルズ最後の制作アルバムである「アビー・ロード」が、トータル・アルバムとしての完成度の高さにおいて、群を抜いていると言えよう。

 さて、この「アビー・ロード」が発表された1969年のバンド状況について書き始めると3時間はかかってしまうので、ここでは、「解散の意思を胸に秘めたビートルズが、最後に渾身の力を振り絞って作り上げた」とだけ、簡単に要約しておこう。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターという4人の天才(前の2人は破格の天才、後の2人はただの天才)の個性が、他のバンドの手に届かない次元にまで昇華した本作は、「ビートルズとは何だったのか」という究極の命題に対する解答を、バンド自身が見せつけて使命を終えてくれたかのようである。

 このアルバムでは、全く異なる個性を持つ4人のヴォーカリストによる名曲がひしめき合っているため、どれか1曲を聴いて「これがビートルズか」と思うのは早合点である。そもそもビートルズほど、「代表曲」を選出するのが困るミュージシャンは他に存在しないが、この「アビー・ロード」では、その難題が頂点に達すると言っても過言ではない。ジョン・レノンがリード・ヴォーカルをとる「カム・トゥゲザー」「アイ・ウォント・ユー」は、「ロックのかっこ良さ」を極限まで追求した名曲だ。ポール・マッカートニーがリードをとる「オー・ダーリン」「ゴールデン・スランバーズ」は、「ロックの美しさ」に惚れ惚れさせる名曲だ。ジョージ・ハリスンがリードをとる「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、「ロックの優しさ」にうっとりさせる名曲だ。リンゴ・スターがリードをとる「オクトパス・ガーデン」は、「ロックの楽しさ」に思わずニッコリしてしまう名曲だ。そして、4人全員でコーラスする「ビコーズ」「キャリー・ザット・ウエイト」は、ロックを聴くことの幸せを、しみじみと味わわせてくれる。しかも、これ以外の曲もみな粒ぞろいで、聞き流せる曲が無い。聴く者の気分・心境に応じて、どの曲もみな、「このアルバムの代表曲」になることができるのだ。

 とりわけ、私がマニアックに気に入っているのは、「ゴールデン・スランバーズ」でうっとりさせておいて、「キャリー・ザット・ウエイト」で高らかに歌い上げる、その見事な流れである。特に、「人生論」の研究者として、私が聴き捨てならないのは、「キャリー・ザット・ウエイト」で何度も繰り返す、次の歌詞であろう。

 Boy, you're gonna carry that weight

   Carry that weight a long time

 つまり彼らは、「君は、『人生』という重荷を、これからずっと背負っていく運命にある・・・しかし、君にならば、きっとできる」(飯田が大いに意訳)と、我々に対し、バンドとして最後の激励の言葉をかけてくれているのだ。その励ましの言葉は、その「キャリー・ザット・ウエイト」から切れ目無く続く最後の曲、「ジ・エンド」の一番最後で、ビートルズが「遺言」として言い残した次の言葉に継承される。

 And in the end,

   the love you take is equal to the love you make

 こうして、「結局のところ、君が受け取ることのできる愛は、君が創り出す愛と同じなんだ」と、ロックに初めて「Love & Peace」というメッセージを込めて世界を変えたビートルズらしい言葉で、歴史的名作アルバムを締めくくる。(その後、しばらくの間を置いて「ハー・マジェスティ」が途中まで演奏されるが、これは彼ららしい遊び心のこもったオマケであり、事実上のエンディング曲は「ジ・エンド」である)


 これだけの音楽が、現在からみると泣きたくなるほど貧弱な録音機材しかない33年前に、コンピュータもシンセサイザーも使わないで、巨大なオープン・リールの磁気テープに録音されたのだから、恐れ入る。音楽の素晴らしさは、録音技術の優劣とは無関係なのだということ、つまり、「良い曲を創って優れたアーティストが歌い、練りに練ったアレンジと卓越した技術で演奏する」という、音楽という芸術の基本を、思い知らされるのだ。

 ちなみに、私がロンドンに住んでいた時に、当然ながら、このアルバムのジャケット写真に使われている「アビー・ロード」の横断歩道を、見に行ってみた。すると、探すまでもなく、多くの観光客たちが、ビートルズと同じ格好で横断歩道を渡りながら、写真を撮っているのであった。(私はといえば・・・なんと、カメラを持って行くのを忘れていた!(泣)

 まったく違う4つの強烈な個性、まったく違う4つの声質が、珠玉のメロディーと完璧なアレンジで融合した、奇跡的名作・・・このアルバムこそが、「ビートルズ」という名の「音楽の神様」の正体だ。

 あとは・・・とにかく、聴けばわかる。




第2位:PINK FLOYD(ピンク・フロイド)

    「THE DARK SIDE OF THE MOON」

    (邦題:「狂気」)

     CDナンバー:TOCP−7652(店頭で容易に入手可能)

 あまりにも当たり前の結果で、またまた申し訳ない!

 常識人ならば疑う余地のない、史上最高にして最も成功したプログレッシヴ・ロック・バンド、ピンク・フロイド(しかも現役)。もちろん、イエス、エマーソン・レイク&パーマー、エイジア(ジョン・ウエットン在籍時)、キング・クリムゾン(私は第1期メンバー以外は認めません)といったライバル達も、私の大好きな名作アルバムを多数発表してくれている。しかし、ロックを「芸術」の域にまで高め、「部屋を暗くして、ヘッドホンで真剣に聴きこむ」というスタイルを確立させたのは、ピンク・フロイドである。現在でも、世界各国で、数万人規模の巨大スタジアムをまんべんなく満員にできるのは、一時的ブームのアイドルを除けば、ピンク・フロイドだけだと言われている。

 そのピンク・フロイドの代表作と言えば、この「狂気」(1973年)、80年代にブームを起こした「ザ・ウォール」、90年代に遂にアメリカ最高のグラミー賞に輝いた「ザ・ディヴィジョン・ベル」(邦題は「対」)であるが、その中でも、ギネスブックにも載るほどの長期間に渡ってヒット・チャートに君臨し続けた大記録を持つ歴史的名作が、本作である。

 本作の「もの凄さ」を、言葉で言い表すことは不可能だ。それこそが、ビートルズ(万人向けのポピュラー・ミュージックの最高峰)と、ピンク・フロイド(芸術としてのプログレッシヴ・ロックの最高峰)との違いであろう。ビートルズの音楽を説明・紹介しようと思えば、次々に言葉が浮かんでくる。しかし、ピンク・フロイドの音楽を説明・紹介しようと思っても、「ドラマティック」「感動」「衝撃的」といった、抽象的な単語しか出てこないのだ。とにかく、「言葉にできないほど素晴らしい」としか、伝えようがないのである。本作を聴いて「ガガ〜〜〜ン!!」と衝撃を受けない人は、「ドラマティックな音楽に感動する」という、人間としてこの上ない幸せを放棄した、誠にお気の毒な人である。

 とりわけ、私のお気に入りは、3曲目の「TIME」だ。初めて聴く人のために、余計な「ネタばらし」はやめておくが、私が本作で最も好きな部分が、この曲の中間部にある、名手ディヴィッド・ギルモアの弾くギター・ソロである。ギルモアは、私が最も尊敬するギタリストであるが、本当にうまいギタリストというのは、ギルモアのように、「速弾き」の部分ではなく「単音延ばし」の部分で、ゾクゾクさせてくれるだけの力量を持っていなければならない。現在では、指の速さを誇るギタリストは数多いが、ギルモアのように、ただ「ブヮ〜〜〜ン」とギターにピックを当てるだけで聴き手を感激させるギタリストは、めったにいない。さすがは、エリック・クラプトンと並んで、「世界のギタリストたちから最も尊敬されるギタリスト」の称号を欲しいままにするだけの天才である。とにかく、「TIME」の中間部のギター・ソロを、ぜひとも聴いてみてほしい。必ずや、そのピッキング、その音色、そのエコー、そのビブラート、その形容しがたい浮遊感、その表現力の素晴らしさに、打ちのめされること間違いない。

 しかも、ピンク・フロイドの偉いところ(?)は、難解な芸術性を誇りながらも、決して一部のマニアに受ける種類の音楽に傾倒せず、わかりやすいメロディとドラマティックな展開によって、全世界の一般大衆から記録的な売り上げを得ていることだ。もう10年以上も前に、日本でも武道館で3回の公演が数時間でソールド・アウトになったが(もちろん私も参加)、その後に東京ドームが完成したので、次回の来日ではドームを何回も満員にしてくれるであろう。(ただし、メンバーは、もうみな60代。果たして来日は可能なのか?)

 なお、もの凄いライヴ・アルバムやライヴ・ビデオも発売されているので、そちらもお勧めだ。

 あとは・・・とにかく、聴けばわかる。




第3位:DREAM THEATER(ドリーム・シアター)

    「METROPOLIS PART2 〜

                  SCENES FROM A MEMORY」

            (シーンズ・フロム・ア・メモリー)

     CDナンバー:AMCY-7087 (店頭で容易に入手可能)


 近年のロック・ファンには、あまりにも当たり前の結果で、またまた申し訳ない!

 ビートルズやピンク・フロイドのような大御所だけでなく、近年のロックも聴く音楽人ならば疑う余地のない、現在のポピュラー・ミュージック界において最高のテクニシャン集団、ドリーム・シアター。もともと、彼らは、「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれるように、そのバカテクゆえに、ミュージシャンたちから「演奏の師匠」としての尊敬を集めていた。確かに、演奏技術の総合力だけを見れば、現時点で、文句無く「世界一」だと言えるだろう。聴けばわかる。聴いてみれば、グーの音も出なくなる。

 その彼らが1999年に発表し、ついに世界的な知名度を獲得するに至ったのが、本作である。その後3年を経た現在、本作の名声は、さらに多くのファンを増やしながら高まる一方であり、今では、過去の大御所たちの名作と並んで、「歴史を変えた名盤」との評価を確立している。おそらく、10代・20代の若者たちだけのアンケート調査を行えば、「最も優れたロック・アルバム」の第1位は、本作で決まりだろう。

 ドリーム・シアターの音楽的バックボーンは、その音楽を聴けば明らかである。イエスの変則的リズム、ピンク・フロイドのドラマ性、エマーソン・レイク&パーマーの派手さといった、プログレッシヴ・ロックの流れに堂々と身を置く反面、ヘヴィ・メタル的なギターの音色と、キーボードによるクラシカルなオーケストレーションを用いながら、超絶技巧によって完璧に演奏したものだと言えよう。

 しかも、このアルバムは、私の「生きがい論」とも密接な関係にある。なぜなら、タネ明かしにならない程度に紹介すると、このアルバムは、「ある人物がセラピストのもとで退行催眠を受け、現在の自分の悩みの原因となっている過去の人生の秘密を探り、とうとう意外な結論にたどりついたとたん、衝撃的な結末を迎える」というストーリーだからだ。冒頭から、いきなり、セラピストが退行催眠をかける言葉が流れ、聴き手も、心地よい催眠に入っていく。そして・・・あとは、「ネタばらし」になってはいけないので、残念だが黙っておこう。聴けばわかる。とにかく、私の著書の愛読者の方々ならば、聴けばわかるのだ。

 このアルバムを、まだお聴きでない方がいらっしゃったなら、どうか、ぜひとも聴いてみていただきたい。「自分の知らないうちに、世界のミュージック・シーンは、とうとうここまで進化していたのか!」と、驚嘆なさるに違いない。その構成と演奏力の、常識外れの素晴らしさに、聴き終わった後、しばらく呆然となさること間違いない。なにしろ、これほど、音楽評論家たちが、こぞって絶賛するアルバムは、珍しいのだ。私自身も、このアルバムを紹介して、仰天&満足しなかった友人は、まだ一人もいない。その意味で、このアルバムこそ、現代の「アビー・ロード」であり「狂気」であると言えよう。まだ、このアルバムを聴いたことのない人は、本当に、うらやましい。なぜなら、このアルバムを初めて聴くという、あの感動と衝撃を、これから味わえるのだから。

 特に、11曲目の「ザ・スピリット・キャリーズ・オン」から、12曲目の「ファイナリー・フリー」への流れは、超お勧めである。全曲を聴く暇がないという方は、せめて、この2曲だけでも聴いていただきたい。そうすれば、「ドリーム・シアターとは何か」ということが、極めて明瞭におわかりいただけるだろう。この2曲に、ドリーム・シアターの音楽の全てが凝縮されているからだ。この2曲を聴くだけでも、十分に、「聴き終えた後の呆然自失感」を、味わっていただけるはずである。まさに、ポピュラー音楽史に残る名メドレーだ。

 ここで、私の著書の愛読者のために、11曲目「ザ・スピリット・キャリーズ・オン」の歌詞の一部を、ご紹介しよう。このアルバムが、いかに、私の著書の思想を具現化したものであるかということが、この歌詞に、如実に現れているからだ。

  THE SPIRIT CARRIES ON (飯田訳)

 僕たちは、どこから来たのだろうか?

 僕たちは、なぜ、ここにいるのだろうか?

 僕たちは、死んだらどこに行くのだろうか?

 この人生の先には、何が待っているのだろうか?

 この人生の前には、何かがあったのだろうか?

 人生に、確かなものはあるのだろうか?

 人はみな、「人生は一度だけ」などという。

 でも、本当にそれだけなの?

 僕には、過去にも人生があったの?

 それとも、たった一度きりの命なの?

 これまでは、死ぬのが怖かった

 死は、すべての終わりだと思っていた

 だけど、もうその恐怖は昔のこと

 だって、僕は永遠の存在だとわかったから

 もちろん、全ての真理を知ることはできないし

 きっと、一生、証明することなどできないだろうけど

 真理を知ろうとする努力だけは、怠ってはならない

 だって、先立ったあの人が、こう教えてくれたから

「勇気を持って、人生を前向きに歩みなさい。

 私のお墓の前で泣くのは、もうおよしなさい。

 私はもう、お墓の中にはいないのだから。

 でも、お願いよ

 私の想い出だけは、永遠に忘れないでね」

 そう、たとえ明日、死ぬことになっても ( If I die tomorrow )

 もう僕は怖くない ( I'll be all right )

 だって、僕が死んでも ( Because I believe that after we're gone )

 僕の魂は永遠に生きるのだから ( The spirit carries on )


 あとは・・・とにかく、聴けばわかる。

 聴けば、聴けばわかるのだ!!


(第4位以下は、後日更新いたします)





 出版物

  超お薦め!! 私の愛読書No1は、この本だ!


 「最長片道切符の旅」(宮脇俊三 著、新潮文庫、新潮社、1979年)

 もう、何十回、読んだだろうか・・・いや、何百回、開いただろうか。
 私がいつも携帯し、ふと取り出しては開く本、それが本書である。私が無人島に1冊持っていくとすれば、この本であるに違いない。
 著者の宮脇俊三氏は、私の「あこがれの人」で、日本(ということは世界)を代表する、レイルウェイ・ライターである。つまり、世界各地の鉄道に乗りまくっては、その紀行文を発表するという、実にうらやましい職業のお方なのである。日本で初めて、レイルウェイ・ライターという職業ジャンルを確立したのが宮脇氏であり、過去にいくつもの文学賞を受賞した実力者でもある。

 さて、本書は、北海道の端から九州の端までを、いわゆる「ひと筆書き」(同じ場所を2度と通らない)の切符を手にして乗りまくるという紀行文である。何と、地球の直径に相当する距離の「国鉄」路線を、34日間かけて乗り、日本各地を巡るのだ。よほどのヒマ人か、レイルウェイ・ライターでもなければ、無理無謀な行為である。事実、この旅を決行した時の宮脇氏は、長年勤めた出版社を退職したばかりであった。

 例えば、北海道内だけをとっても、
 1日目・・・広尾〜帯広〜富良野〜旭川〜遠軽
 2日目・・・遠軽〜北見〜池田〜釧路〜厚岸〜厚床
 3日目・・・厚床〜中標津〜標茶〜網走〜中湧別〜紋別
 4日目・・・紋別〜名寄〜音威子府〜浜頓別〜南稚内
 5日目・・・南稚内〜幌延〜留萌〜深川〜岩見沢〜沼の端〜札幌〜小樽
 6日目・・・小樽〜倶知安〜伊達紋別〜函館〜青森
 と、ほとんど1日中乗り続けても、6日間を要しているのだ。
 この調子で、34日間かけて、鹿児島県の枕崎まで乗り続けるのである!

 しかも、もともと有名雑誌の編集長であった宮脇氏の文章は、さすが文学賞を受賞しただけの名文である。34日間、決して意図的に波乱万丈の旅を演出することなく、渋いながらもユーモラスな口調で、出会った事柄や日本各地の風景・風土を、車窓を通して淡々と綴っている。決してドタバタの旅行記ではなく、まさに「紀行文学」の極致に達した格調高い筆づかいなのだ。
 それでは本書の中から、私の好きな北海道の根釧原野から根室の部分を、一部ご紹介しよう。

 
霧多布への下車駅浜中を過ぎると左手に根釧原野が開けてくる。原野といっても波のように起伏する丘が薄暮の中に広がっていて、ときどき牛の白いまだらだけが見える。右は丈の高い雑木の疎林で、それを通して冷たい輝きを増した月が列車といっしょに走っている。列車が速度を落とすと月もゆっくり走る。
 月が中空に停って17時11分、厚床着。すっかり暗くなった。
 最長片道切符のルートはここから標津線に乗換えて北へ向かうのだが、私はこのまま根室まで行って泊ろうと思う。標津線の始発は6時33分であるから根室発5時31分に乗ればこれに間に合う。1時間早起きするだけのことならば、ここまで来て根室を無視するのは失礼なようにも思われる。近くまで参りましたのでと表敬訪問しておきたい。
 駅を通過するときだけ灯火の見える深い闇のなかを「ノサップ3号」は月と並んで走り、5分遅れてちょうど6時に根室に着いた。
 大きな荷物をさげた乗客たちは迎えのライトバンやタクシーでさっと散ってしまい、乗越し運賃を払っていた私が最後に駅を出た。駅前通りの幅は広く店が並んでいるが、明りが弱いので道路の中央は薄暗い。風が冷たく東京の真冬のようだ。
 その通りを2分ほど行った角にある古いモルタル造りの二階屋が今夜の宿である。すこし傾きかかっているように夜目には見えたが、中に入るとかしいだところはなく、通された部屋には新型の温風暖房機が備えてあった。
 食事は厨房の隣の食堂ですることになっている。部屋のつくりから見ると応接間をつぶして畳を敷いたものらしく、天井の高いがらんとした20畳ぐらいの部屋の片隅に私の膳が置いてあるだけで他に客はいない。膳の上にはソーセージの薄切りと少量のイカ刺しとキャベツのきざんだのしか載っていない。少々淋しい。いずれしかるべきものが運ばれてくるのだろうと坐って待っていると、女中が銚子1本と吸い物の椀だけを持ってきて「どうぞごゆっくり」と言った。酒は私が注文したものである。
 ひとり片隅で手酌の酒をのみ、格別でない料理に箸をつけていると、廊下から女中がこっちを見てニヤッと笑う。どうも薄気味の悪い旅館である。私はたちまち膳の上をたいらげ茶漬を一杯だけかきこむと、疾風のごとく宿を出た。観光案内書に紹介されている郷土料理の店が梅が枝町というところにある。港の近くでここからは遠いが、そこへ行こうと思ったのであった。
 目的の店はすぐわかり、入ると大きな炉があって暖かい空気と焼魚の臭いとが満ちていた。
 店の主人のすすめでシシャモを注文すると生干しの大きなのを10匹も焼きはじめた。酒をたのむと正二合の大徳利がどすんと置かれる。なかなかスケールが大きい。シシャモはいまが旬でしかも本場だからうまかった。つぎにツブ貝の壷焼きを注文すると拳固ほどの大きなのが出てきて、これもうまかった。
 根室はいいぞと私は嬉しくなり、調子づいて当店自慢イカのソーメンづくりというのを頼むとこれが冷凍物だった。後悔しながらもう1本酒をのんだ。店を出るとみぞれが降っていた。

  ・・・まさに、円熟した筆致である。この調子で、本書の読者は、宮脇氏の眼を通して、日本各地を巡ることができるのだ。360ページという大作だが、いつ、どのページを開いても、「ああ、旅に出たい」と、私は思わずうっとりしてしまう。
 新潮文庫から出ているので、たいていの書店で置いてあるはずだ。注文しても、すぐに届くに違いない。ぜひとも、一読していただきたい、私のお気に入りである。
 
 なぜ、それほどにまでお気に入りなのか・・・「真っすぐ行けば早いのに、わざわざ一番遠回りしながら目的地にたどり着く」という方針こそが、私に、まさに「人生という名の旅」を思わせるからである。
 



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