会場で配られた歌詞カードを一読した瞬間に、ガツンのパンチをあびせられた思いでした。
というのも、会場に向かう前に家内とちょっとしたケンカをしてしまい、その時、「どうしてあなたは、私の事を否定するばかりなの? あなたに私の気持ちがわかってもらえなかったら、私の気持ちは一生癒されない」といった趣旨の事を言われたばかりだったのです。
私にも言い分はあったのですが、ツインソウルの3番の歌詞を読んだ瞬間に、自分の態度が間違っていた事に気づき、その場で家内にあやまりました。(家内は、ふふふ今日は来たかいがあったわ、と勝ち誇っていました。)
そんないきさつもあったせいか、ツインソウルの合唱の時には、何度も涙が出てしまい、半分くらいしか歌えませんでした。でも歌の歌詞にもあるとおりに、彼女のすべてを受け止めようと改めて決心した次第です。
ツインソウルは、出だしこそ甘くロマンチックな歌詞ですが、最後には、本当に愛する事、愛し抜く事を自分自身にコミットせずには歌えない内容になっており、なんていうか僕にとってはとても重い歌でした。
(先生はとてもハッピーな歌だとおっしゃっていましたが。。。)
家に帰って再び歌ってみようかと歌詞を手に取りましたが、すっかりメロディーを忘れてしまいました。
早くCD化されるのを楽しみにしております。
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今日は講演会おつかれさまでした。
最新情報満載の講演、本当に夫婦で聞けてよかったです。
ありがとうございました。
はりきって早く会場に行ったおかげで、サイン&握手を2番目にできたのも嬉しかった!
直接お会いしたら、こんなことやあんなこと、いろいろ話したいことがあったのですが、直接話して、握手をしたことで感激して、舞い上がってしまいました。
飯田先生の手って、ふっくらして大きいですね。
妻は学生時代、易学研究会に属しており、1000人以上の手相を見てきたそうですが、「こんなにふくよかで優しい手の人は初めて!」
と言っていました。「どんな手相なんだろう、すばらしい手相に違いない!!」とも。
新曲「ツインソウル」いいですね!
しみじみ、じわ〜んって感じがしました。
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今日の講演会「永遠の愛・めぐり逢う生命」と、宇宙初公開の新曲『ツインソウル』発表会を兼ねたトーク&ライヴは、飯田先生の愛読者にはこれ以上ない最高のファンサービスでした。
講演会では、ご著書にはどうしても書くことができない内容ばかり。ツインソウルとの出会い方、見分け方など、極秘情報ばかりでしたのでメモをとるのに必死でした。特に「残存思念」の内容は衝撃的でした。教員であるわたしは、早速『残存思念浴』を活用させていただきます!
そしてなんと言っても今回の目玉、『ツインソウル』は圧巻でした。必要最小限の言葉を、心地よいうっとりするようなメロディーの上に乗せて、愛する人に語りかけるように歌う絶妙のアレンジ・・・・。世の中にこんなに幸せな歌詞はあるのだろうかというこの歌は、シンガーソングプロフェッサーであられる飯田先生にしか作れない名曲です。
特に、「君が背負う すべてのこと 受けとめて 抱きしめるよ」の大合唱のところ。歌の設定としては、男性が愛する女性に向かって語っているところだと思います。しかし、飯田先生が涙を流しながら歌う私達を優しいまなざしでほほえみながら演奏してくださる姿を拝見して、私には「おまえの歌を共に歌ったりする者たちに潜む孤独感を、喜んで、すべて背負うがよい」という光からのメッセージを、今まさに実践してくださっているのだというように思えてなりませんでした・・・・・(感涙)
福島はますます寒くなりますね。どうぞお体を大切にされてください。今日は本当に、本当にありがとうございました!!
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今日は本当にお疲れ様でした。
少し遅刻してしまったのですが(すみません)、娘と一緒に参加させていただきました。
本には書いてなかった貴重なお話をたくさん聞かせていただきまして、本当に充実したすばらしい講演会でした。
また、歌の合唱もはじめてでしたが、すばらしかったです。
新曲はまさに、ハッピーな曲ですね。
先生は、自由自在にいろんな歌を作れるのですね。
いつもながら心から尊敬いたします。
合唱も、隣に娘がいたので少々恥ずかしさがありましたが、ちゃんと歌わせていただきましたよ。
講演後はサインと握手会を多くの人が待っていましたね。
お忙しくサインをされている先生を、少し離れたところから二人で拝見しながら、心の中でご挨拶と感謝をさせていただいて、帰路につきました。
それにしても、先生確かにおやせになりましたね。
ご公務と、生きがい論の活動でお忙しいとは存じますが、どうぞ、お気をつけくださいね。
ともあれ、久々の東京での講演会。大盛況のうちに終わって、おめでとうございました。
本当にお疲れ様でした。
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今日は、貴重な講演ありがとうございました。
初めて教えて頂いた内容で、とても充実していました。
17歳になる私の2女と参加させて頂きました。
ツインソウルの新曲なども、とても歌いやすく、娘(コーラス部)も嬉しそうに歌っていました。
初めて娘は先生の講演を聴きましたが、私が時々話を聞かせていたので、よく理解できたみたいです。また先生のお話をお聞きしたいと、切にに希望しておりました。また、娘と共に参加できれば幸いです。
本日は、本当にありがとうございました。
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飯田先生の生歌、初めて聴けました♪
ホームページでCDを出されていること知っていましたが、正直申し上げて、「ありがちなハイハイ…」っていうパターンかぁ!? と思って、興味がわかず、まだ聴いていなかったのです。
よって、今日は、Wパンチの衝撃でした。
「ツインソウル」は、いきなり三行目から読めなくなり(もちろん涙で)、「私のために作詞してくれたのかしら?」と、私を含めきっとほとんどの方がそう思われたのではないでしょうか。
また、アコースティックギターの弦の「キュン」となる音が、切ない雰囲気を一層高め、効果抜群!
効果を知り尽くしたこの演出♪
憎いねぇ〜と、泣きながら・歌いながら・お腹を空かせながら、心では感激し、頭の中ではそんな事を考えておりました。
多分、ライブコーナーで、私が一番はじめにハンカチ使ったと思いますよ!
帰り道でも、頭の中を、「ツインソウル」のメロディーがグルグルまわっていました。
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・・・ということで、新曲「ツインソウル」、私の期待をはるかに上回る、大好評でした。
そこで、調子に乗って、歌詞だけを、このHPで特別公開してしまいましょう!
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ツインソウル 作詞作曲:飯田史彦
あの日 ふいに 出逢った時 ぼくらは 恋におちた
時を重ね いつのまにか 深く愛し合っていた
ぼくも 君も 長い間 暗やみを さまよった
だけど きっと 出逢えるはず そう信じて 待っていた
はるか昔から そばにいたような
なつかしい想い 確かめながら
愛してると 誓うことも 必要ないくらいに
心 深く つながってる 永遠の時を超えて
(間奏)
好きなものも したいことも ふたりは 違うけれど
ありのままで 許し合える こんな相手は 初めて
苦しい時 悲しい時 君の笑顔 想えば
光 満ちて わいてくるよ 乗り超えていく 力が
遠く離れても 結ばれているよ
ぼくらは ひとつの魂だから
生まれ変わり 繰り返して 宇宙を旅してきた
どんな星に いたのだろう? どんな星に いくのだろう?
(間奏)
君の重荷 君のがんばり ぼくだけは 知っている
うまくいかず 落ちこんでも ぼくが支えてあげるよ
君の強がり 君のさみしさ ぼくだけは わかってる
いじめられて 傷ついても ぼくが癒してあげるよ
学び合いながら 楽しんでいこう
人として生きる 試練の道を
つらい時は ぼくの胸で 思いきり 泣けばいい
君が背負う すべてのこと 受けとめて 抱きしめるよ
(合唱:繰り返し)
つらい時は ぼくの胸で 思いきり 泣けばいい
君が背負う すべてのこと 受けとめて 抱きしめるよ
君が背負う すべてのこと 受けとめて 抱きしめるよ
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ライヴでは、最後の大合唱の部分を、会場の皆さんが一緒に大きな涙声で歌ってくださり、本当に感動的でした!
12月15日版
お待たせしました。
私の対談本『生きがいの女性論』の見本が、できあがりました!
本書は、かの有名なベストセラー作家、津田塾大学の三砂ちづる教授をゲストにお迎えして、三砂教授の女性論を拝聴しながら、私が「女性からみると、ホントに頭の悪いダメ男」の代表という立場で、さまざまな反応を展開する、というものです。もちろん、私も、三砂教授からビシっと叱られてばかりではなく、時おり、「ハチの一刺し」のような効果的な反撃を見せますので、本書は単なる対談ではなく、表紙に「VS」と朱書きしてあるように、三砂教授と私との「対決」という構図にもなっています。
ただし、こんなことを言うと三砂教授からお叱りを受けそうですが、本書は、一連の「生きがい論」シリーズの中では、私としては初めて、「エンターテインメント(娯楽)作品」として世に問うつもりです。これまでの私の「生きがい論」シリーズは、読者の皆様は楽しみながらお読みくださったかもしれませんが、私としては、どれも真正面からの直球勝負であり、決して「楽しんでいただきたい」という主目的で書いたものではありませんでした。それに対して、本書は、私の観点からみると、「どのようにして、読者の意表を突こうか」と考え、「意外性に満ちた言葉のやりとりを、大いに楽しんでいただきたい」という方針でのぞんだのです。
したがって、本書は、「眉間にシワを寄せて怖い顔で真剣に読みながら、一言一句に敏感に反応して憤慨する」という内容ではなく、「2人のベストセラー作家どうしが、男と女をテーマにしながら、好き勝手に放言して、読者に楽しんでいただく」という内容ですので、どうか、いちいち言葉尻をとらえて目クジラを立て、カッカとなさいませんよう、お願い申し上げます(笑)。言い換えれば、私としては、「けっこう難しいことに触れてるのに、意表を突く展開に引き込まれて、あっというまに読み終えてしまった」という気持ちになっていただければ、成功だと考えています。
もちろん、私も三砂教授も、根が「超真面目人間」ですので、決していい加減な気持ちで、単なる言葉遊びをしているわけではありません。形式は「エンターテインメント作品」と呼ぶに足るものを目指してはいても、ひとつひとつの発言内容には、深い問題意識や真剣な思いを込めています。研究分野の異なる2人の大学教授の価値観の異同を、皆様が自分なりに楽しんで深読みしながら、気軽に読み返していただければ幸いです。
なお、この種のテーマを取り上げると、どのように書いても、一部の攻撃的女性論者の方々から、「批判のための批判」(要するに、単なる罵詈雑言の悪口)を受けることを、避けることはできません。そのような方々は、常に「攻撃対象となる敵」を求めてさまよっており、批判材料になることならば何でも誇大に取り上げ、発言の文脈や趣旨を無視しながら強引に批判しますので、「自分たちの主張以外は全てダメ」と、どうせ何をどう書いても攻撃の対象になさるのです。まさに、悪質で破壊的な狂信的思想団体の信者と同じ精神構造を持っていらっしゃるのですが、そのことに全く気づいておらず、ご自分では純粋な正義感に満ちているつもりで、自分の意に反する人々を激しく誹謗中傷なさるというわけです。
特に、本書での私は、専門家の三砂教授をゲストにお迎えしてホスト役に徹し、「女性からみると、ホントに頭の悪いダメ男」という役柄を演じていますので、攻撃的女性論者からみれば、「飯田ってやつは、ホントにバカな男ねぇ」と、格好の餌食になること間違いなし(笑)。その種の方々は、他人をバカにすることによって自分のアイデンティティを保っていらっしゃるだけなので、好きなだけバカにさせてあげれば良いのであって、いちいち反応するだけ時間の無駄というもの。その程度のことは、これまでの「生きがい論」で散々な目にあってきた私にとって、痛くも痒くもありません。読者の皆様も、その種の人々を見たら、どうか大きな愛情で包み込んで、「あらまあ、ご苦労さまねぇ」と、好きなようにさせてあげてくださいね。
そもそも、その種のご批判も、私にとっては、すべて予定通りのこと(笑)。私がこれまでの10年間に、「生きがい論」を通じて受けてきた、ありとあらゆる激しい攻撃(生命の危険さえもありました)に比べれば、単なる口や文章での攻撃など、まったく気になりません。なぜなら、たとえどのような方々であっても、私を批判する権利は平等にお持ちであり、口や文章という正当な手段による攻撃であれば、私が相手にせず放置しておけば済むからです。
私はこれまでにも、その時々で書きたいことを書いてきましたので、そのつど、喜んでくださる読者も生じれば、失望して去っていく読者も生じてきました。それが文筆家・思想家・表現者としての私のスタイルですから、読者の皆様は、いかようにでも、その時々で私の著書を自由に評価くださり、共感したり失望したりしてくだされば、それが私の本望なのです。私はこれまでに、「かつて愛読者だった方々が去っていった」という悲しい事例も、逆に「かつて去っていった方々が戻ってきてくださった」という嬉しい事例も、山のように経験してきましたので、「な〜んだ、要するに、その時に書きたいことを、好きなように書くことこそが、自分が著者として、いつも幸せでいられる秘訣なのだ・・・思想的な内容を含む著書であるかぎりは、どうせ、すべての読者を喜ばせることなど、絶対にできないのだから」と、達観しているというわけです。
また、「嫌よ嫌よも好きのうち」というように、「アンチ」とか「バッシング」という言葉で迎えてくださる方々は、要するに、私にたいへん興味を持ってくださっているわけであり、あちこちで自主的に私の名前や著書名を宣伝してくださるのですから、営業的観点から見ると、これほど有難いことはありません。むしろ、私の過去の経験では、「賛否両論が続出して、私を攻撃くださる方々がどんどん現れるような本」ほど、よく売れたというのが実態なのです。批判や攻撃を受けないような本は、要するに、「いい本だけど、一般社会では話題にならない」ということであり、結果として、多くの方々に興味を持っていただくことができません。原因はどうであれ、多くの方々の目を引くことで読者が増え、きちんとお読みいただければ結果的に共感くださる方々も増える、というのが私の度重なる経験です。したがって、本書『生きがいの女性論』についても、どうぞ、お好きなように、あちこちで激しく攻撃くださって、大いに世の中に宣伝していただければ、結果的に読者がどんどん増え、私も(三砂教授もPHPも)大助かり、というわけです(笑)。
(以上、このHPの読者の皆様の中には、職場などで、「周囲からの批判や攻撃が怖くて身動きできない」、という気弱な方々もたくさんいらっしゃるでしょうから、この機会をとらえて、私自身をネタにしながら、大いに激励させていただきました。皆さん、誰に何を言われようとも気にしないで、何事をもプラスに転化しながら、信念を大切にして、ともにがんばりましょう。ここに、あなたと同じ境遇でがんばっている私がいるのですから、あなたは決して、孤独ではありませんよ!)
《 本書の読みどころ 〜 飯田史彦、ついにプロレスラーとしてデビュー!? 》
実は、本書は私にとって、「言語プロレス」のデビュー作なのです。
私自身は、本書によって、「自分はプロレスラーとしてデビューしたようなものだ」と、密かに自負しております。なぜなら、本書では、私が三砂教授をゲストに迎えるという立場上、決して私が議論に「勝ってしまう」わけにはいかず、私の「予定通りの負け」が、義務づけられているからです。しかも、女性論と題する本書の中で、私なりのフェミニズム(女性賛美論)を説いている私自身が、目の前にいるカヨワイ女性(三砂教授)をコテンパンにやっつけてしまったのでは、本末転倒というもの。(とはいえ、本気で勝とうと思っても、三砂教授には、やはり勝てないでしょうが・・・涙)
したがって、私には、「いかにして美しく負けるか」という「敗者の美学」で勝負するしか、道は残されていなかった、というわけです。そして、これぞ、まさに、本書における私を、「言語プロレスラー」と自称させてしまう理由。
ここで、しばしば混同されてしまうため、「格闘技」(柔道、ボクシング、カラテ、PRIDE、K-1など)と、「プロレス」(ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんなどで有名)との本質的な違いについて、簡単に講義いたしましょう。
いわゆる「格闘技」(純粋に勝敗を競う競技)とは違って、「プロレス」というのは、「鍛え抜かれたレスラーたちが見せる肉体的・精神的芸術の極致」であり、「勝敗」や「筋書き」や「配役」が初めから決められている「試合という舞台」の中で、たがいに相手の技を受け合いながら、「観客をいかにして楽しませるか」を競うエンターテインメントです。言い換えれば、格闘技が「相手をやっつけるためのケンカ」であるのに対して、プロレスはケンカではなく、「互いに役柄を演じながら、相手を引き立て合うことによって、観客を魅了していくショー」であるため、プロレスラーは、むしろ「舞台俳優」に近いと言えるでしょう。
格闘技では、「相手の技をいかに受けないか」に焦点が当てられ、もしも大技を受けてしまったら、その時点で勝敗がつき、試合が終わるのが通常です。しかし、プロレスでは、「相手の技をいかに効果的に受け、観客を楽しませるか」に焦点が当てられるため、技を避けることなく、むしろ積極的に受けていくレスラーこそが、「仕事のできるプロ」として珍重されるのです。そのため、格闘技では「誰が強いか」という基準でファイターが評価されるのに対して、プロレスでは「誰が巧いか」(最も観客を魅了するか)という基準こそが、レスラーの評価になるのです。プロレスでは、「誰が強いか」などと問うこと自体が、ナンセンスな疑問です。なぜなら、舞台で戦いを演じている俳優たち(プロレスラー)にとっては、「本気で戦ったら、どちらの俳優が実際に強いだろうか」ということよりも、「どちらの俳優の演技こそが、より観客を魅了することができるだろうか」ということこそが、大切だからです。
このような基礎知識をもとに、本書における私の言動が、「ファイター」(女性論における勝ち負けを競う討論者)ではなく、まさに「プロレスラー」(読者をいかに魅了するかを考えて演技する俳優)としての言動であると理解いただければ、本書の楽しみは、倍増することでしょう。
しかも、たとえ、本書の中の私の言葉に向かって、立腹したり嘲笑したり軽蔑したりする読者がいても、私からみると、それは決して私自身が否定されることにはならず、「俳優としての私の演技が巧みである」という何よりの証拠ですから、むしろ喜ばしいことにすぎません。悪役は、観客から憎まれてこそプロであり、ピエロ役は、観客から笑われてこそプロというもの。
このようなわけで、新刊『生きがいの女性論』における私は、本書というリングに上がり、三砂教授というベビーフェイス(正義の味方であり、勝ちを収める役割)が繰り出す切れ味鋭い技をノラリクラリと全て受けながら、時には悪態をついて読者を憤慨させたり、時にはピエロ役を演じて読者の失笑をかったり、時には三砂教授にドサクサ紛れに鋭い蹴りを入れたうえで場外に逃げたりと、あの手この手で試合(対談)をかく乱したうえで、最後は予定通りに必殺技を食らってマットに大の字になる、という、典型的なヒール(悪役)を演じているというわけです。(ただし、かなりお笑い系、おとぼけ系の、間抜けなヒールではありますが・・笑)
したがって、読者の皆様が、「ええっ! 飯田先生が、こんなことを言ってしまっていいの?」とビックリしたり、「飯田先生って、ホントは、その辺にいる、しょうもないダメ男と一緒だったのね」とガッカリ(または安心)したり、「飯田先生、そこだ、三砂教授の主張の弱点を、今こそ突くのだっ!」と興奮したりしてくだされば、本書で「俳優」であり「エンターテイナー」であり「プロレスラー」であろうとする私にとって、これほど嬉しいことはありません(笑)。
おっと、話がプロレス談義になったので、つい興奮して、忘れてしまうところでした(笑)。
新刊『生きがいの女性論』の発売日は、12月20日〜22日くらいになるとのこと。
どうぞお楽しみに!
・・・いかがですか?
みなさん、本書に対する興味が、フツフツと、盛り上がってきましたね?
フフフ・・・
(実は、今回の更新の全体が、巧妙に仕組んだ「言語プロレス」だったのですが、お楽しみいただけましたか?)
12月9日版
ごめんなさい・・・
このところ、大学内での非常に重要な任務(教務委員)でメチャクチャ忙しくて、ホームページを更新する時間が無いまま、本日に至っております。特に、この1週間は、睡眠5時間で、テレビも新聞も全く見ておらず、ひたすらパソコンに向かい、大量のデータや書類の山と格闘する毎日。
そのような中、本日には福島を発って、明日(土曜日)は大阪(国際メンターシップ・グラデュエイトスクール)で延べ4時間の「生きがい論」講義を行い、翌日(日曜日)の午後には、船戸クリニック(岐阜県養老町)にて、2時間の「生きがい論」講演と1時間のライヴを決行。
さすがに今回は、ギターを自分で持ち運ぶ元気がなく、急きょ、船戸クリニックまで、宅急便で送ってしまいました。空港まで無事に運転していく自信もないので、大阪行きにしては珍しく、今回は新幹線で移動します。
(メールもお手紙も、合計何百通も溜まってしまっております・・・とほほ・・・号泣)
とにかく、来週末に迫った東京公演までは、何とかして生き延びなければ・・・
(なぜか体重も確実に減っており、この1ヶ月で、本当に10キロ近く痩せてしまいました)
でも、次回の更新では、きっと、素晴らしいものをお見せすることができますよ。
ヒントは、「優しさと気品に満ちた、淡いピンクの可憐なバラ」でしょうか・・・フフフ・・・
どうぞお楽しみに!
11月28日版 12月1日(地域や書店によっては2〜3日)に、久しぶりに、私の本の文庫化が出版されます!
それは・・・
そう、今から3年前に、「親子で語る人生論」として、ハードカバーで出版したあの本が、このたび、上記のようにちょっぴり改題して、PHP文庫版になったのです。韓国でも大手から出版され、私の元にも韓国語のお手紙が届いて、読めなくて困ったという記憶が・・・。
それにしても、私の本が文庫化されるのは、久しぶりですよね〜。
何しろ、「値段の高いハードカバー版が、まだ充分に売れている」という場合には文庫化していただけませんし、逆に、「ハードカバー版が、さっぱり売れなかった」という場合にも文庫化していただけないというのが、出版業界の掟(おきて)。したがって、ハードカバー版を文庫化していただくためには、「かなり売れたのちに、売れ行きが落ちてきた」という条件を、満たさなければならないのです。とほほ・・・
・・・というわけで、あと数日で、全国の書店さんに届きます。PHP文庫は、たいていの書店さんで扱ってくださっていますので、きっと、近所の小さな書店さんにも届くはず。まだハードカバー版をお読みでない方々は、このチャンスに、どうぞ読んでみてくださいね。
3年前には、身の回りの、思春期の生徒さん・学生さんへのプレゼントとしても、大好評をいただいたんですよ。学校の図書館にも、かなり置いてくださっているそうです。小学校の高学年以上のお子様ならば、読めるようにしてありますからね。
(でも、意外なことに、OLや主婦の方々からの評判が、いちばん良かったのですが・・・)
11月18日版
最近いただいたお手紙の中から、久しぶりに、いくつかご紹介させていただきます。
まずは、京都のお坊さんから・・・
(ご本人にHPへの掲載許可をお願いしたところ、「氏名もお寺の名前も全て堂々と掲載してくださって結構です」とのお返事でしたが、同業者への重要な問題提起を含んでいるので、さすがにプライベートな情報は伏字にいたしました)
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拝啓 日増しに寒さが加わってまいりました。京都はそろそろ紅葉で賑わう季節になろうとしております。いつも心に響く本を読ませていただいております。ありがとうございます。
私は、京都で小さな会社を経営しながら、**宗の寺院の僧侶をさせていただいている者です。今年になってから、「生きがいの創造」の本を大切な友人から紹介してもらい、飯田先生のことを知りました。
そして、昨日・今日と、「ソウルメイト」と「生きがいの創造 U」を、続けて2日で読ませていただきました。この2冊が発刊されたことは、私は知らなかったのです。たまたま、ふとしたきっかけで、久しぶりに飯田先生のホームページを訪問させていただき、この2冊が発刊されていたことを知りました。
「ソウルメイト」は、他の類似のタイトルの本を過去に読んだことがありましたので、内容が同じようなものかと思い、あまり興味を引きませんでした。でも、実際に読ませていただくと、ほかの本とは違って、大変論理的に説明されておられたので、興味深く読み返しました。そこで、続けて「生きがいの創造 U」も読みたくなりました。
「生きがいの創造 U」は、会社の帰りに、車で喫茶店(マクドナルド)に立ち寄って読み始めました。どんどん本に引き込まれていき、P147まで一気に読み進みました。内容からすると大変不謹慎かもしれませんが、感激と悲しみの涙を目に浮かべながらも、先生の面白い文章に思わず吹き出してしまう場面もあり、複雑な気持ちで読んでおりました。
しかし、P148以降は、喫茶店で読むには大変危険であることを察しました。ここから先は、とても喫茶店のような他人の目があるところでは読めない、大泣きするのは間違いない、と。
私は、本を読みながら声を出して泣いたことは一度もありません。でも、このP148以降は、声を出して泣いてしまうであろうことを、確信したのです。
そして、人通りの少ない国道の暗い場所に車を停め、車内灯をつけて読み始めました。
案の定、むせび泣き、涙で文字が読めないほどでした。
それでもなんとか、第4章の、「光」との対話まで読み進めることができました。
P300からの文章は、「光」が私に語りかけているように読めました。(実際には私が勝手にそう思っているだけなのですが・・・)
私の現状をここで書きましても、先生にはなんら興味の無いことだとは思います。しかし、「生きがいの創造 U」を読んだあと、私が決心したことと大変関連がありますので、だらだらと書かせていただきます。読み飛ばしてくださっても結構です。
冒頭に書きましたとおり、私は僧侶という使命をいただきながら、会社を経営するという生活を続けております。その理由は、まったく経済的な理由からです。本来なら僧侶だけで使命を果たすべきなのでしょうが、やはりその使命を達成するためには、現実世界での生活をした上でなければできません。私の寺の門徒さんは少なく、僧侶だけでは生活できないのが実情です。
一昔前は、僧侶でありながら教員や公務員になって両立させている方々も多かったのですが、私は自分の好きな道に進みたかったので、10数年のサラリーマン時代を経て独立し、零細企業を営むことになりました。(教員や公務員が楽だという意味ではなく、昔は時間の自由が利いたということですので、お気を悪くされないでください)
そして、このたび「生きがいの創造 U」に出会い、「光」との対話の文章に出会えました。
私が「光」の言葉に感じたのは、「光」が先生に語っているのと、ちょうど正反対の立場で仕事をするために、この世界に命をもらったのだ、ということです。「今回の人生では、組織宗教の中で精神世界を学び、語りながら、生きなさい。さらに、企業経営の泥沼の現実の中で、仲間たちと生きていきなさい。それぞれのバランスを取りながら、双方に架け橋をかけ、みながちょうど良いバランスを保ち、私達の生きる意味をみつけてもらえるように働きかけることが、お前のこの人生での目的である」、と。
組織宗教にはそれなりのメリットがあり、意味もあります。だからこそ長い間続いてきて、人々の心を救うこともあったのだと思います。しかし、その中の僧侶たちの多くは、ただ自分の生活や立場を守ることを主眼にしており、「門徒さんを幸せにし、さらに、門徒さんという枠を超えてもっと広く、開祖が立てられた教えをとりついでいかなければならないのだ」ということを、真剣に考えておられる方は、非常に少ないように思います。この京都でも、祇園通いやゴルフ、豪華な食事に明け暮れて、そのエネルギーや資源を門徒さんのために使っていこうという考えは、持っていない僧侶が多いのが現状です。
布教の形も、難しい言葉や前時代の方法で教えを説くだけであり、現在の20代、30代の人々が興味をもち、生きる意味をみつけてくれるような言葉はありません。もっと「言葉」を選んで、大切な教えのイメージを、できるだけ現代に即してわかりやすく伝えるようにするのが、僧侶の務めだと思うのです。そのため、私は本来の教え以外の様々な本を読んだり、セミナーに出たりして、アイデアを膨らませております。
会社の仕事を通じて、納期や売上げ、利益に追われ、人間関係に苦しんで、心をぼろぼろにしておられる人々を、たくさん見てきました。私自身も、「経営」という行為の真っ只中で、あえいでいます。ただ目の前の仕事だけをこなし、自分が生きている意味に目を向けず、怒り、ねたみ、憎しみ、苦しんでおられる方々もおられます。そういう人々の中には、日頃聞くこともないであろう精神世界の話を、少しだけ、言葉を選びながら話して差し上げると、身を乗り出して聞いてくださる方が多いです。
そうであるならば、僧侶と会社経営という両方に足を突っ込んでいる私のメリットを最大限に生かして、「光」が飯田先生におっしゃったように、「スピリチュアルなものに傾きすぎた者に対しては、物質主義の利点を伝えなさい。物質主義に傾きすぎた者に対しては、スピリチュアルなものの大切さを訴えなさい。両者のバランスをとる人生に挑戦しなさい」ということを実践し、啓蒙していけば良いではないか、と気づいたのです。
具体的にどのようにしていくかは、これからアイデアを膨らませていきます。
僧侶でありながら、会社経営もしつつ生きる中で、組織宗教のメリットとデメリットを把握して、良いところは残し、悪いところは新しいものと入れ替える。きちんと現実世界でお金を通じて学びながら、地に足をつけて、精神と物質とのバランスについて啓蒙していくことが、私の今生でのテーマなのだと、今、はっきりと認識でき、納得することができました。
お忙しいのに、へきえきなさるような長いお手紙を書いてしまって、申し訳ございません。
お忙しいことですし、お返事を頂く必要はありません。
この手紙が、たくさんの手紙の順番待ちを終え、何ヶ月か何年か先にでも先生の目に触れたときには、ここに書いたことを少しでも現実にするべく、私は活動していると思います。そのとき、何かのご縁でお会いできることを、楽しみにしております。
これから寒い冬に入ります。是非ご自分のお体を大切になさってください。 合掌
********************
実は、似たような内容を、キリスト教の神父さん(牧師さん?)からも、何通もいただいたことがあります。
皆さん、それぞれのお立場で、学びを積んでいらっしゃるのですね。
次は、女性の方々から、とても多い内容のお手紙です。
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初めてお便りします。
飯田先生の本にお世話になりはじめて、3年ほどになります。先輩から教えていただき、本屋へ直行。「生きがいの創造」を買い、いちばん最初に開いたページが、「中絶した魂からの激励」でした。
泣きながら読みました。何とも、言葉にならない気持ちでした。
当時、私は、妊娠と同時に子宮筋腫がみつかり、大人の頭ほどの大きさがあったため、悩んだ末に中絶。先生の本を読んだのは、筋腫の手術を受ける前だったため、本当に本当に、本に助けられました。ありがたかったです。中絶してしまう赤ちゃんからの、プレゼントだと思いながら泣きました。
先生の本との出会いがこんなふうでしたから、それからというもの、生きがいシリーズをたくさん読ませていただきました。そして、「生きがいの創造 U」・・・号泣しながら、読ませていただきました。
飯田先生の本は、表現とか、心遣い、読む側の気持ちを考えた配慮といいますか・・・すごく優しくて、あったかいですね。印刷された活字ですが、優しさがにじみ出ています。素晴らしいと思います。
先生の使命、本当に大変だと思います。どうぞ、お体、大切になさってくださいね。私も、生かされたこの生命を、自分のように悲しく辛い思いをした方々のために活用したいと、思い始めました。
私のような者には、飯田先生の日頃の辛さ、大変さは、理解できないことかもしれません。でも、応援しています。勝手に、応援させていただきますね。
本当に、お体、大切になさってくださいね。
乱筆、乱文、お許しください。
********************
この種の経験をして、苦しんでいらっしゃる女性は、表に出てこないだけで、かなりいらっしゃるようです。
そのような方々に、私の本が、こうして「口コミ」で伝わっていくのは、本当にありがたく、光栄なことだと思います。
次は、私にとって、とても嬉しいお手紙です。
このようなパターンで、自分を責めているお母さんが、ずいぶん多いからです。
このお母さんのように、私の「生きがい論」が、既存のスピリチュアリズムでいう単なる「カルマの法則」とは根本的に違うものなのだ、ということに気づいていただければ、大きなブレイクスルーをしていただけるのです。
********************
はじめて、お便りさせていただきます。
「生きがいの創造」(CD付きの新版)を、拝読させていただきました。やっと、長年求めていたものに出会えた、という思いで一杯です。ありがとうございます。感謝の気持ちをお伝えしたくて、こうしてペンをとりました。
私の娘(現在2*)才は、*******症候群という先天的な染色体異常の障害を持って、生まれてきました。それから2*年間、悩み、苦しみながら生きてきました。
そして、私や娘を心配してくださる人々に助言をいただき、いろいろな本を薦められ、手当たりしだいに読んでいたところ、その中に「生まれ変わり」について書かれた精神世界の本がいくつもありました(まだ飯田先生の本に出会う前のことです)。そこにあったのは、「因果応報」という言葉でした。私は、それらの本を読んで、「障害を持つ娘を授かることになった私は、前世で、どんな悪いことをしてしまったのだろうか」と、心がつぶれる思いでした。それからというもの、「自分は前世で、どんな過ちを犯してしまったのだろう・・・そのために、娘がこんな病気で生まれて来ることになって、娘に迷惑をかけてしまった・・・」と、暗い気持ちで過ごしてきました。
そんな時に、やっと、飯田先生の本に出会えたのです。
救われました。
娘は、私が前世で犯した罪の因果応報で障害を持ったのではなく、娘自身と私の人生の学びの為に、わざわざ障害を持った身体で生まれてきてくれたのだと、ようやくわかったからです。娘は、私が犯した罪の被害者ではなく、それほどまでに学びを積んだ、素晴らしい魂だったのです。涙が出て、しかたがありませんでした。
私は今まで、娘という荷物の重さに(今ではこんなことは思っていません)、くじけそうになり、死んだら楽になれるのに・・・と、まるで死んでいるように生きてきました。でも、生きながら死んでちゃ、いけないんですよね。
これからは、先生の本を心の支えにして、しっかりと、生きていこうと思います。楽しみながら、濃い人生を送っていきたいと、決心しました。
障害によって、言葉を持たない娘ですが、本当に、先生の「生きていく明日からも」のCDが、大好きなんですよ。娘は、今まで、音楽には興味を示さなかったのに、本当に不思議です。きっと、先生のCDを聴くと、私がそうであったように、娘も、魂が洗われるような気持ちになれるからだと思います。
今、私は、生まれ変わったような気持ちです。
本当に、ありがとうございます。
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こちらこそ、「生きがい論」を正しくご理解&ご活用くださって、ありがとうございます!
次は、福島大学の卒業生さんです。この女性のように、在学中の学生は、同じ大学の教授が書いた本など、通常は反発して、かえって読んでくれません。私自身も、学生時代は、自分の身近でウロウロしている教授の書いた本など、有難味を感じられなくて、読む気になれませんでしたから、よくわかります(笑)。そのため、この女性のように、卒業後に社会に出てから、私の本を冷静かつ客観的にお読みくださるケースが、少なくないんですよ。
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飯田先生、お元気ですか? 私は元気です。
・・・という前に、初めまして、ですね。
前々から先生の本は知っていたのですが、今回、縁あって、はじめて読んでみました。
私は*年前に、福島大学を卒業しましたが、その頃、飯田先生の本がベストセラーになってチマタを騒がせていたことを覚えています。でも、怠け者の私は、授業もほとんどサボっていて、飯田先生の本を書店で目にした時にも、「フン! 福大の教授の本なんか、読むものか!」と、手にしようとも思いませんでした。
そんな私が、先生の本を読もうと思ったのも、ちょっとした偶然の一致からです。私は先日まで、***という伝染病で、隔離入院していました。その時、友達から届いた手紙の中に、「今、薦められて、『生きがいの創造』という本を読んでいます」と書いてあるのを見て、「あ、これは、福大の飯田先生の・・・」と、先生の存在を思い出しました。
それからすぐに、看護師さんとお話していると、飯田先生とは全然関係の無い話をしていたのに、その看護師さんが、「私ね、2年前に、母を亡くしたの。その時、薦められて、飯田史彦さんの本を読んで救われたんだけど、飯田先生のこと、知ってる?」と言うのです。私はビックリして、これはきっと、今こそ飯田先生の本を読めということなんだな、と思い、退院後すぐに、読んでみたわけなのです。
私は大学卒業後、しばらく、インドのマザーテレサの施設「死を待つ人の家」という所に行っていました。そこは、路上で生まれ、人として扱われることもなく、路上で死んでいく人たちに、せめて死の瞬間だけでも人間らしく、というマザー・テレサの思いから作られた施設です。様々な病気の人がいます。私の病気も、たぶんそこで感染したものが、今になって発病したものと思われます。
私は「死を待つ人の家」で何人もの死を見てきましたが、その中に、こんなおばあちゃんがいました。彼女は、運ばれてきた時から、体じゅうのあちこちが傷ついていました。足、太もも、お尻、お腹、背中、胸、腕・・・と、あらゆるところが傷ついていて、体がいつも震えており、食事は流動食で、目は怯えていました。「ここではもう、安心していていいんだよ」と伝えたくても、彼女は拒み続けているようでした。私は、彼女がこれまでの人生で、その怯える目でずっと見てきたものを想像すると、いたたまれない気持ちになりました。彼女の長い人生で感じてきた孤独は、私には測り知れないものでした。「せめて、ここでは安心していてほしい」という、そんな私の気持ちとは裏腹に、まもなく彼女は、怯えたままで亡くなっていったのです。
そんな彼女の死を通じて、私が彼女から与えてもらったものは、一生忘れることができないでしょう。私は彼女の顔を見るたびに、謝っていました。「ごめんね、今までずっと、ごめんね」と。もちろん、私が直接に何をしたというわけではないけれど、同じ人間として、謝らずにいられない、そんな思いにさせられるほどの、彼女の孤独と悲しみだったのです。飯田先生の「生きがい論」3部作を読んだ今は・・・もし、私がこれから結婚して、子供を産む機会があったら、彼女の魂が、私の子供に宿って欲しい・・・そのくらいの気持ちなのです。
今回、私が先生の本を読んで、手紙まで書こうと思ったのは、本はもちろんのこと、先生のお人柄にひかれたからです。
どうぞこれからも、お体を大切に・・・って、私なんかに言われたくないですよね(笑)。
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何事にも、時(タイミング)というものがあるのです。この女性にとっては、ちょうど今が、「生きがい論」に触れてくださる、ベストのタイミングだったのですね。もしも、在学中に私の本を読んだとしても、何も感じてくださらなかったのではないでしょうか。今、マザー・テレサの施設を体験して、しかも自分自身が病気を経験なさったからこそ、彼女の魂が求めてくださるのでしょう。すべては、順調な学びですね。
テレサの施設で出会った、異常に関心をひいたおばあさんは、この女性のソウルメイトの1人であるに違いありません。きっと、願い通りに、数年後には、この女性の子供として、生まれてきてくれることでしょう。
次は、とても楽しいレポートです。
このホームページの読者の皆様には、わざわざご説明する必要のない内容ですから、とにかく、読んでみてくださいね。
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前略 突然のお便りをお許しください。
私は、先日、東北・北海道看護学会総会に出席して、飯田先生の基調講演を拝聴させていただいた看護師(総看護師長)です。
今は**歳になりますが、2*歳のお産の際に、大変不思議な体験をしております。今まで、主人をはじめ大勢の方々に話してきましたが、誰にもわかってもらえず悩んでいたことでございます。今回、先生のお話をうかがって、自分の体験したことが、夢や麻酔のための幻覚ではないことを確信しました。このような体験が、先生にとっても、何かのお役に立てないかと思いまして、お便りさせていただきました。
私にとっても、この体験の後、死生観がガラリと変わりまして、「死」が怖いものとは思わなくなりました。
息子の出産時に、体験したことです。
産道辺縁前置胎盤と児頭骨盤不適合で、出血が多く、急きょ、帝王切開での出産となりました。ケタラールの全身麻酔注射によって、手術室で眠ってからのことです。
突然、天空高くつながっているような、光のトンネル(?)というか、光り輝くシルバーの屏風のようなものが現れて、私はものすごい速さで、その光のトンネルの中を、天に向かっていきました。ぱっと投げ出されたところは、一面真黄色に見えるお花畑のようなイメージのところで、私はゆっくりと、そのお花畑のイメージの中を歩いていきました。まるで、雲の上を歩くような、フワフワとした足の感触でした。甘い香りが漂っているように感じて、とても気持ちが良かったです。
しばらく歩くと、はるか向こうのほうに、子供の頃に可愛がってくれていた叔母が現れて(すでに亡くなっています)、こっちへおいでと手招きしているのが見えました。素敵な笑顔で手招きしているので、私は、喜んでその方角へと向かいました。
ところが、なかなか前に進めなくて、足元を見ると、お花に埋まっている足が、だんだん深くなってきていました。そこで私は、「お花が邪魔しているわ」と、叔母に言いました。
すると、叔母の横に、誰か男性のような姿が現れました。それは、なんと、私が2*歳の時に亡くなっていた、父の姿でした。父は、「まだ来るんじゃない!」と、私を手で追い払おうとしています。でも私は、父の顔を身近に見たいがあまりに、もっと近づこうとしました。しかし、私の足は、ますますお花に埋もれていってしまい、とうとう、腰のあたりまで埋まって、身動きできなくなりました。私は、しかたなく、しゃがみ込みました。
その瞬間、景色が一変して、なんと私は、手術室の天井あたりに浮かんでいました。そして、今まさに帝王切開で子供を出産している自分の姿を、見下ろしているのです。「出血量が多いので、輸血するか、どうするか」という会話が、聞こえてきました。
やがて手術が終わり、男の子が生まれました。そして、私の体は、病室に向かうストレッチャーに乗せられて、廊下を進んでいきました。天井のあたりに浮かんでいる私も、自分の身体を見下ろしながら、手術室の廊下〜病棟までの廊下〜病室の中と、天井あたりに浮かんだままで移動しました。産婦人科の病棟ではなく、小児科の病室に向かうので、「おかしいな〜」と思いながら、自分の身体に付いていきました。
病室では、主人と私の母が、心配そうに、私の体を見てくれています。「本当の私は、天井にいるのに」と思いながら、2人を見下ろしていました。やがて執刀医も来てくれて、手術の様子を2人に説明しています。「何とか輸血は避けたいと思っていますが、緊急時はやむなく使うことになるかもしれません」と言っていました。
天井のあたりで見ていた私は、「このままだと、自分の身体に戻れなくなるのでは?」と、心配になりはじめました。そこで、頭からダイビングするようにして、自分の身体に入ろうとするのですが、うまく動けません。いろんな方向から試みてみても、結果は同じです。そこで今度は、足の方から布団の中に滑り込むようにして、入ろうとしてみました。すると、す〜っと入ることができました。
そのまま眠ってしまったようです。目が覚めたときには、執刀医とナースが、痛み止めの注射をしてくれていました。さっそく医師に、「変な夢を見た」と訴えたのですが、「麻酔の影響で見た夢でしょう」と、取り合ってくれません。「小児科の病棟にいることもわかっているし、男の子が生まれたのも知っています」と言うと、ナースは驚いていましたが、「夢」としか解釈してくれませんでした。
そのことがあってからは、「死ぬことは、怖いことではない」と、思うようになりました。特に、光の中に吸い込まれるように遊泳した時の感触や、お花畑のような美しいイメージのところの気持ち良さは、筆舌に尽くしがたいほどの素晴らしさでした。そして、大好きな父が、「まだお前には、物質世界で、やるべきことがあるんだよ」と、追い返してくれたのだと思えてならなかったのです。
そして先日、飯田先生のお話をうかがって、なおさら、「まだ来るんじゃない!」と追い返してくれた父の言葉を、有難く思えるようになりました。誰も信じてくれなかった自分の体験が、飯田先生の講演によって、夢ではなかったのだと立証されたようで、本当に嬉しかったです。
看護師という仕事柄、患者さんが亡くなるときにも、色々な形で、ご臨終の場面に立ち会っていますが、臨終の直前に、不思議な、私に話しかけてくれるような声が、聞こえることがあります。私たち看護師に対して、感謝してくれている声なのです。飯田先生の講演を聞いた今では、その声が、本当に、臨終を迎えられた「魂」の声なのだとわかりました。私も、死後の処置をさせていただきながら、心を込めてお別れをするようにしています。臨終の直前まで苦しまれていた患者さまも、亡くなられる瞬間には、とても安らかな表情になられるのです。
これからも、働ける間は看護職を続けたいと願っていますが、これからは、自分のこの体験を、堂々と、「スピリチュアルな看護」のために活かしたいと思います。
本当に、飯田先生にお目にかかれて、長年の悩みから解放された気持ちでおります。ありがとうございました。
今後もますますのご活躍を願っております。
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・・・という感じで、大量にいただくお手紙の中から、ほんのわずかな数をご紹介しただけですが、いかがでしたか?
(本当は、感動的なお手紙はたくさんあるのですが、あまりにもプライベートな内容が多いので、ここには掲載できないのです)
毎日、たくさんのお手紙をいただきますので、3日間ほど出張して帰ったら、50通も溜まってしまうことも・・・秘書も弟子も持たない主義の私にとって、代筆や封入などを頼める人もいませんので、全員にお返事することは困難ですが、お許しくださいね。
11月14日版
12月の東京での公演(講演会・トーク&ライヴ)に当選しなかった方々から、「休日に、ほかにチャンスは無いか?」という問合せが少なくないので、以下の講演会の主催者さんと交渉した結果、対象となる「横浜市鶴見区在住の子育て中のお母さん・お父さん」以外の方々にも、一般公開いただけることになりました。
(注:ここに掲載したチラシは、後日、削除いたしました)
なお、蛇足ですが申し上げると・・・上記のチラシでは「100万部のベストセラー作家」となっていますが、PHPの編集部できちんと数えてみると、すでに「130万部」を超えていることがわかったそうです。(PHPは、他の大手出版社のように、水増し発表はしない主義なので、これは実売の数字です。他の大手出版社であれば、「200万部」と「公称」してもかまわない数字ですが、PHPは本当にマジメですからね・・・笑)。
それでは、明日の会議(大学での公務)までに作成しなければならない重要な文書を、必死で書いておりますので、本日はこれにて。
追伸: このところ、ハードワークで体重が激減している話を書いたところ、多くの方々に、ご心配をいただきました。しかし、私としては、「せめて、いつか死ぬまでは長生きするぞ!」と決めておりますので、どうぞご心配なく。
(え? 「死ぬまでは長生きする」って、どういうことか、意味不明ですって?・・・かつて、北海道・屈斜路湖近くの「硫黄山」を訪れた際に、「これを食べれば、なんと死ぬまで長生きできる!」という温泉タマゴ、通称「死ぬまで長生きタマゴ」を売っていて、その商品名とキャッチフレーズの巧みさに、思わず笑ってしまったものですから・・・よく考えてみると、誰だって、「死ぬまでは長生きできる」のは当然であり、決して「寿命が延びる」とか「長寿になる」と約束しているわけではないので、ウソや誇張ではないんですよね)
11月12日版
うう・・・
この2週間で、ついに5キロも体重が減ってしまいました。
食べているものは同じだし(断食をしているわけではありません)、睡眠も毎日5〜6時間はとっているので、2週間前と、特に変わったことはないのですが・・・はっきりした原因が、思いつきません。
それ以前と違うことと言えば、寒くなってきたので、大好きなアイスクリームを食べなくなったことくらいですが、それとて、せいぜい2〜3日に1個食べていた程度ですから、それだけで、2週間で5キロも減るとは思えませんし・・・(笑)。
ただひとつ、お風呂で頭を洗ったり、何かの拍子にあたまを振ったりすると、ただそれだけで、かなり頭が痛むのです。まるで、脳が腫れているかのような感覚で、一日中、ずっと痛んでいるのです。2週間くらい前から始まったので、この症状と異常な体重の減少が、なにかの関係にあるのかもしれませんが・・・
痩せること自体は、身体にとって良いことなので嬉しいのですが、べつにダイエットをしているわけではなく(この激務の中でダイエットなんかしたら、本当に倒れてしまいますからね)、ちゃんと食べて寝ているにもかかわらず、過去に経験したことのない不自然な体重の減少なので、素直に喜べない心境です。
私は、人々に安心感や幸福感を与えるのが仕事なので、痩せているよりも、「思わず微笑んでしまうような、ふくよかな温かい顔」でいる方が望ましいと思っているのですが・・・このペースでいくと、1ヶ月で10キロ、3ヶ月で30キロ、半年後には60キロも減って、ほとんど肉体が無くなり、いずれは魂だけの姿になってしまうかもしれません(笑)。
そうだ、次回作は、自分の体験を生かして、
『ダイエットしないで1ヶ月に10キロ痩せる法 〜あなたも、1日に16時間働こう!』(PHP?)
にしましょうね(笑)。
そうなると、オビの文句は、
「ダイエットなんか、もう古い!」
に決まりでしょうか(笑)・・・これで、ベストセラー間違いなし!?
事実、この2週間、テレビも新聞も全く見ておりませんし、音楽も聴いておりません。そんな暇など、全く無いからです。
(ただし、雑誌だけは・・・飛行機と新幹線での移動中に、売店で、「週刊プロレス」「週刊ゴング」「週刊ファイト」「週刊サッカーマガジン「週刊サッカーダイジェスト」「ディープインパクト三冠記念増刊号」「週刊ファミ通」を買って、隅々まで読破してしまいました・・・どうもすみません・・・あれ? 謝ることないか・・・)
では、今夜も朝まで、パソコンと戯れますね。
とほほ・・・
追伸: 先日の土浦での講演会(茨城県歯科医師会)、400名を超える方々がおいでくださり、メインホールだけでなく、隣の部屋にもテレビ中継して、30名以上の方々が「画像」で講演をお聞きくださったそうです。どうもありがとうございました。
講演後のサイン会も、2時間近くかかり、たいへんお待たせしてしまいました。しかも、今回は友人の(株)リスペクトではなく、同じ建物の書店さんが入ったため、「サイン会」の経験が無く、順番カードを用意しておらず、待ち時間中、ずっと並んで立ちっぱなし。(というか、あれほどのお客様が並んでくださるとは、予想していなかったようです。肝心の新刊『ソウルメイト』も、わずかしか仕入れておらず、すぐに売り切れてしまい、お客様たちをガッカリさせておりました)
中には、フラフラになりながら必死でサインをしている私に向かって、「90分も待ったのよ!」と、怖い顔で立腹なさるオバサンも・・・(涙)。でも、このオバサンは、私の本はこれから初めて読むということだったので、ほっとしました。だって、このオバサンが、私の本の愛読者だったら、私は大ショックですからね・・・私の本が、「愛に満ちた人格形成」には役立たない、ということを証明してしまいますから(笑)。
11月5日版
このところ、出張ばかり続いているうえ、3つの原稿締め切りを抱えており、1日に16時間以上も働いております。
おかげで、この1週間で体重が3キロも減り、思わぬダイエットになりました・・・(病的な減少ペースなので、本当に病気でなければいいのですが・・・)
明日(日曜日)も、先日の更新でご紹介したように、茨城県・土浦での公開講演会のため、片道3時間を自分で運転して、トンボ帰りで往復して来なければなりません。このボロボロの体調の中、まるで、死者を鞭打つが如き、とどめの強行軍・・・とほほ・・・
しかし、私の講演会を、楽しみにお待ちくださっている方々のために、余力を振り絞って、がんばらなければなりません。
皆さんの温かいお言葉や笑顔に接することが、私にとって、何よりのエネルギーになることも、事実なのですから・・・
・・・というわけで、あと数日間は、更新する暇がありませんので、どうかご了承くださいね。
追伸: 新刊「ソウルメイト」、相変わらず大好評をいただいており、発売後の1ヶ月間で、4回もの増刷になっております。
これもみな、皆様の口コミのおかげです。本当に、ありがとうございます!
追伸2: 12月には、三砂教授(津田塾大学)との対談本、『生きがいの女性論 〜人生に満たされていないあなたへ』(仮題)が、ついに出版されることが、確実な情勢になってきました。どうぞ、お楽しみに!
追伸3: 香川県さぬき市の**寺の御住職さんへ・・・福島からうかがうのは、あまりにも不便であるため、いつとお約束はできませんが、数年以内に、何とかしておうかがいしますので、その時まで、どうぞお元気で、長生きなさっていてくださいね。(日時の確約が難しいため、予告しないで、ある日突然に、ふらりと現れます)
10月21日版
福島は、朝晩が冷え込む季節になり、すでにコタツを出した家が多いようですが、このHPをご覧くださっている、世界各地にお住まいの読者の皆様のところは、いかがでしょうか?
(・・・と、私にしては珍しく、ラジオ番組のようなご挨拶で、書き始めてみたりして・・・)
福岡での公演(講演会とトーク&ライヴ)には、600名の会場に、ほとんど満席のお客様がびっしりと集まってくださり、音響効果抜群の立派なホールで、私も大いに気持ちよく語り、歌わせていただきました。おかげ様で、かなりの金額を、地元の福祉団体に寄付することができたようです。
また、ご報告が遅れましたが、信州・白馬での講演会にも、会場定員100名様のところ、130名以上の方々が、遠方からおいでくださいました。その前に群馬県・新町役場で行った講演会にも、200名を超える方々がおいでくださり、イスが足りなくなって、スタッフは全員立ち見という状況でした。さらに、その前に、酒田市での講演会には、500名近くもの方々がおいでくださいました。
御礼が遅くなりましたが、おいでくださった皆様、本当に、ありがとうございました。
実は、このところ、東京公演のチケットを入手できなかった方々から、「どこかの講演会に、何とかして潜り込めませんか」というお問合せが、急に増えているのです。「いったい、どうしてなのかなぁ?」と考えてみたところ、「あ、そうか! 新刊『ソウルメイト』を読んで、最近、初めて僕の読者になった方々が、ぜひ、どこかの講演会に参加したいと、希望くださっているのだな」と、気づきました。新刊『ソウルメイト』によって、新たな読者が増えている証拠なのです。
そこで、今後予定している、「会員さんや、限られた地域住民の方々に向けた講演会」のなかで、一般の方々にも特別に、座席の一部を解放していただけるものがないか、お願いしてみました。
その結果、以下の講演会の主催者の方々が賛同してくださり、会員以外、あるいは地域以外の方々にも、座席(の一部)を解放していただけることになりました。
残念ながら、「トーク&ライヴ」ではないのでギター&歌はやりませんし、特定のニーズに応じる講演内容(必ずしも一般向けではありません)のものが多いのですが、「東京公演のチケットが入手できず、福岡公演にも遠くて行けなかった・・・(落涙)・・・どんな内容でもいいから、講演会に参加したい」とおっしゃる方々のために、ご紹介いたします。
(1)神奈川経済講演会
日時: 10月28日(金) 17:20〜19:30
会場: 新横浜国際ホテル 南館3階
(横浜市港北区新横浜3−18−1、電話045−474−0766。JR新横浜駅正面200mで、すぐ近くです)
演題:「生きがいの創造」
参加費: 2000円(当日、会場受付でお支払いください)
注意事項: すでに200名以上の参加申込者がいらっしゃるため、申込済みの会員様を優先し、会場に入りきらなくなった時点で、受付中止とさせていただきます。座席が埋まってしまった場合は、立ち見となる危険性を覚悟のうえで、おいでください。
著書販売&サイン&握手会: 行います。
(2)子育てサークル講演会
日時: 10月29日(土) 14:00〜16:10
会場: 各務原市 総合教育メディアセンター 視聴覚ホール
(岐阜県各務原市 市民公園内 中央図書館4階。名鉄各務原線「市民公園前駅」下車、すぐ目の前です)
演題:「なぜ、その子と親子になったのか? 〜子どもが親を選んで生まれてくる」
参加費: 不明(飯田は聞いておりませんが、無料か格安のはずです)
申込方法: すでに150名の参加申込者がいらっしゃり、座席の限りがありますため、会員以外の方々のお申し込みは、「先着順で、限定50名様」までお受けします。参加をご希望の方々は、ここ をクリックして、幹事役の歯医者さんまで、メールでお申し込みください。先着50名様までにかぎり、予約をお受けします。
著書販売&サイン&握手会: 行いません。
(各務原・・・なんと、「かかみがはら」と読むんですよ)
(3)骨髄バンク及び臓器移植普及推進月間 記念講演会(熊本県健康福祉部主催)
日時: 10月31日(月) 13:00〜15:30
(臓器移植・骨髄移植の専門家による3つの短いレポートがあった後、飯田が14:00〜15:30に講演します)
会場: 熊本県庁 行政棟 本館地下 大会議室
演題:「命のつながりと生きがいについて」
参加費: 無料
注意事項: 収容450名の会場ですが、すでに多数の参加者が見込まれますので、お早めにおいでください。
著書販売&サイン&握手会: 行いません。
(4)土浦市歯科医師会 市民公開講座
日時: 11月6日(日) 15:00〜17:00
会場: 茨城県 県南生涯学習センター 多目的ホール
(土浦市大和町9−1 ウララビル5階、電話029−826−1101。JR土浦駅西口すぐ目の前の、大きなビルです)
演題:「生きがいの創造」
参加費: 無料
注意事項: 当日13:30より、会場にて入場整理券を配布いたしますので、お早めにおいでください。
著書販売&サイン&握手会: 行います。
(JR土浦駅は、上野から常磐線特急「スーパーひたち」で、わずか50分ですので、首都圏から意外に近いんですよ。会場も、土浦駅のすぐ目の前ですから、とても便利です。参加費も無料で、サイン会では握手や一緒に写真撮影も可能ですし、日時も日曜日の午後ですから、この講演会は、遠方の方々でも、大いに狙い目ですよ)
・・・という感じです。チャンスがあれば、どうぞ、おいでくださいね!
10月13日版
ごめんなさい!!
先ほど、午前10時すぎに目が覚めて、パソコンを起動し、メールをチェックしたところ、東京公演の追加チケット販売のボランティア・スタッフである枝村さんから、次のメールが届いておりました。
********************
飯田先生へ(至急)
12月の講演追加分の申込状況ですが、
オープン後、1分も経たない間に、100名を越えてしまいました。
(すっ、すごい・・・・ みなさんの必死さが・・・)
と言うことで、こちらのHP上では受付を締め切りましたので、
先生のHPでもその旨周知のほどをお願いいたします。
詳細については、後日連絡させていただきますが、取り急ぎご連絡まで。
よろしくお願いいたします。
********************
ええっ!
9時に申し込みフォームをオープンして、たった1分で、お申し込みが100名様分を超えてしまうとは・・・ということは、せっかくお申し込みを完了して喜んでくださっている方々のうちで、先着で60名様分以降の方々、つまり40名様分程度は、「お申し込みは完了いただいたけれど、残念ながら先着順で、チケット枚数から外れてしまった」ということに・・・これぞ、まさに、人生において何度も遭遇する現象、いわゆる「ぬか喜び」。
せっかく、9時ちょうどに必死でお申し込みくださったのに、本当に、お気の毒です。まさに、回線の通信速度と、必要事項の入力時間が、運命を分けたということになりますね・・・(落涙)。
お申し込みにチャレンジしてくださった皆様、本当に、ありがとうございました。
そして、お申し込みくださったにもかかわらず、60名様分から外れてしまった皆様には、なんとお詫びすればよいやら、わかりません。とにかく、本当に、ごめんなさい。
(まさか、1分で売り切れるとは・・・受付開始後10分程度は、大丈夫ではないかと予想していたのですが・・・)
残念ながら、東京公演以降、少なくとも再来年(2007年)の4月までは、以前にも書いた事情(大学での公務多忙)のため、直前キャンセルが不可能な一般公開の講演会や、トーク&ライヴの予定を入れることができません。
特に、「生きていく明日からも」と「いつまでも、いつでも一緒」は、2007年以降も、私自身が歌う機会はほとんどなくなりますので、「今生の良き想い出として、いつまでも実感をもって想い出せるよう、一度は生で一緒に歌っておきたい」と希望くださる御方は、ぜひとも、10月16日(日)の午後1時(ライヴは3時半)に、福岡までおいでくださいね!
(東京からは、と、遠い・・・でも、羽田空港から飛行機にお乗りくだされば、福岡空港から会場までは、地下鉄でわずか20分程度です。福岡〜羽田間は、夜の9時台まで飛行機が飛んでいますから、日帰りも充分に可能ですよ。福岡公演ならば、お席は残りわずかながら、まだ間に合うと思います。入金が間に合わない場合の、当日券の入手方法などについては、主催者にメールでご確認ください。詳細は、8月31日版の更新内容を、ご確認ください) とりあえず、緊急のご報告でした。
それでは、皆さん、今度の週末は、九州・福岡の立派なコンサートホールで、お会いしましょうね!
(すでに、皆さんに配布する歌詞カードも作って、スタッフにお送りしましたので、大丈夫です)
10月11日版
たいへんお待たせいたしました!
完売した東京公演の、追加チケットの販売スケジュールが、決まりました。
********************
公演詳細: 8月23日版の更新内容をご確認ください。
販売開始日時: 10月13日(木)、午前9時より。 販売枚数: 限界までイスを増やして、合計60枚。
制限枚数: 今回は、より多くの方々にチャンスを提供するため、「お1人様2枚まで」とさせていただきます。
これ以上の枚数をお申し込みくださっても、お1人様あたり2枚しかお受けできませんので、ご了承ください。
(ただし、たとえば4名グループで、うち2名が2枚ずつ申し込んで合計4枚、という方法ならば可能です)
販売方法: 前回と同じですが、今回は着順トラブルを避けるため、電話でのお申し込みは、お受けできません。
インターネットのみの限定販売ですので、13日の午前9時以降に、以下のアドレスをクリックしてください。
お申し込みが60枚に達ししだい、先着順で、締め切らせていただきます。
http://www.respect-con.co.jp/yoyaku.html
9月25日版
新刊『ソウルメイト』の感想が届いていましたので、前回に引き続き、ご紹介させていただきます。
********************
「ソウルメイト」を読み終えました。
すごーーくすごーーく良かったです!
今までも、こんな風な仕組みなのかとは、少しは理解していましたが、細部にわたると、まぁいいかと通り過ぎてきました。
今まで過ごしてきた人生を、そしてこれから過ごす人生を、納得して生きるために、とても強い味方が出来たような思いです。
今、仕事をしている****は、自分にとってはとても「辛い」と感じられますが、これも私の計画なのだと・・・職場でも、ソウルメイトも大切にしなくてはと、改めて考えています。新たな思いで、職場と向かい合わなくてはと思っています。
涼しくなってきましたが、お体にはくれぐれもご自愛くださいますように。
********************
ソウルメイト拝読しました。
飯田先生にしか書けない素晴らしい本ですね。
これからも信念を貫いて頑張ってください。
いつも応援しています。
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すてきな本をありがとうございました。
失礼ながら・・・今まで、飯田先生の本をハードカバーのうちに購入したことはありませんでした。
文庫になるまで待ってしまったり、待ちきれずに本屋で立ち読みして済ませたり・・・で。
でも、今回は、発売直後、即、購入、即、読みました。
そして期待通り、自らの生き方を一撃されました!!
ソウルメイトは、***の**ではないのですね。
このことを教えて下さったことに感謝いたします。
お元気で、これからもご活躍ください。
往復葉書でこうやって問合せできるという、おまけのユーモアも嬉しいです!
********************
素晴らしい御著書をありがとうございました。
毎回のことながら、類似のテーマを扱う他の著者とは、格の違いを感じさせられます。
先生ご自身もおっしゃられるように、いろいろな意味で難しいテーマに対して、直球勝負に出られたことに、まず敬意を表したいと思います。誤解を受けやすいテーマだからこそ、理詰めでしっかりとした理論構築がなされることが大切だと思いますが、そのような意味でも、先生の試みは成功されていると感じます。
私も大学教官として最近思うのですが、身のまわりに、スピリチュアルな価値観の重要性を感じる人たちが、どんどん増加しているのではないでしょうか。ガチガチの唯物論の人たちもまだ確かにいますが、多くの人たちは、大きく変化しつつあるように思います。
飯田先生のような大きな使命を持たれた方の努力が、その背景にあることは間違いありません。微力ですが、私も今後とも、そうした活動を応援させていただくつもりです。
********************
ソウルメイト、読みました。
タイトルがシンプル且つ刺激的な割に、内容は予想以上に論理的で驚きました。
ソウルメイトという切り口で、改めて生きがい論を勉強しなおすような内容になっており、大変興味深く読む事が出来ました。読み終えて、「がんばろう!」という力が、自分の内側から湧いて来ました。
その中でも、特に心に残った点は2点あります。
1点目は、仕事関係のソウルメイトのところです。仕事での悩みはつきませんので、食い入るように読みました。随所に普段自分が考えているとおりの事が書かれており、大変嬉しく思いました。ビジネスの最前線にいながら、「**を****から**する」。正に自分の目指していた所でした。*****の**、というのも、自分が正に仕事において掲げていたテーマでした。ただ、これらの考えを、どう普段の仕事に具体的に結びつけて行くか、それが難しくて、思い通りにならなくて、いつも悩んだり、落ち込んだりしています。だけど、それに対する答えは各自によって違うものであり、自分で考え、行動しなくてはならない事ですもんね! がんばります。
2点目はやはり、夫婦関係のソウルメイトのところです。読み終えて意外にも、「自分とかみさんとはツインソウルかも知れない」という気がしました。そして、そう思うと、なんだか、かみさんが自分の分身として、理屈抜きでとてもいとおしく思える気がしました。(今までも、いとおしく思っていなかった訳ではないのですが。)
という訳で、またまたすばらしいご本、ありがとうございました。
12月18日のチケットは、運よく手に入れる事が出来ましたので、我がツインソウル(?)の家内と二人で駆けつけます。
ちなみに、家内を最初に誘ったときは、「一人で行ってくれば?」とつれない返事だったのですが、「チケット代は二人分とも俺のこづかいから出す!」と行ったところ、二つ返事で参加をOKしてくれました。信じられないくらい現金な相棒です。この辺は、我がツインソウルだとは思えません(笑)。
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朝夕の涼しさと、日暮れのはやさで、秋の深まりを日々感じます。
先生は、お元気で、お過ごしですか?
今日は、「ソウルメイト」の感想をすこし・・・。
とても理論的に書かれていて、なるほどな〜、とおもいつつ読ませていただきました。人間関係を、この本に書かれているように考えていくと、過去の辛かった想い出も、いい想い出になります。
ところが、まだ、「だって、実のところ、運命の人というのは・・・」の解答が、わかりません。教えて下さい。
私は、難度Bまでの失恋は経験しているけれども、さりとて、仕事にはまっているわけでもなく、同性にすごい親友がいるわけでもなく・・・本の中に、「ソウルメイトは運命の人なのだから、自分が何の努力もしないでいても、時期がくれば必ず出逢うことができると思い込むのは、誤解である」と書いてあるのを読んで、「そういえば、最近、ちゃんと、出逢いを大切にしているかな?」と、反省してます。
もうすぐ、先生と、お会いできます。講演会とライブ楽しみにしています。
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・・・というお手紙でした。
こちらこそ、どうもありがとうございます。
本書の巻末でご案内しておいた、往復葉書でのお問合せは、今のところ、まだ7通しか来ていませんので、おそらく多くの読者は、解答を自力で発見してくださったものと推察しています・・・以前、『ブレイクスルー思考』で同じ方法をとったところ、合計40〜50通程度の往復葉書しか届きませんでしたから、今回も、せいぜいそのくらいの枚数にとどまってくれるのではないかと、甘く考えているのですが・・・(何千枚も届いてしまったら、大変なことになりますからね)
とはいえ、著者としてのお約束であり責任ですから、たとえ何千枚届いてしまったとしても、一枚一枚、必ず直筆で、きちんとお返事しますので、ご安心くださいね。(大量に届いてしまった場合には、毎日10通くらいずつ書いて、お返事が来年になってしまうかもしれませんが・・・笑)
今週は、「北海道・東北地区看護研究学会総会」の基調講演(800名)、「帝京安積高等学校」の生徒さん&親御さん向けの講演(600名)と大規模の講演会を行った後、HPでご案内した「ホテルグリーンプラザ白馬」での内緒のプチ講演会へと続きます。季節の変わり目で、ノドの調子が不安定なので、気をつけなくちゃ・・・
皆さんも、どうか風邪をひかないよう、気をつけてくださいね!
9月21日版
新刊『ソウルメイト』、発売されました!
東京では、すでに15日の夕方から、店頭に並んでいたとのこと。
遠く福岡でも、19日には、中規模の書店でも、新刊コーナーに平積みになっていたそうです。
ありがたいことです。
連休を挟んだため、まだ感想文の到着は少ないですが(明日には多くなるでしょう)、とりあえず、本日いただいたものをご紹介しましょう。
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先生、こんばんは。
新刊「ソウルメイト」たった今読み終えました。
今まで、自分が体験してきた人間関係を思い出しながら読んでいました。
先生、こんなステキな本を世に送り出してくれてありがとうございます。
ますます家族を大事にしたい気持ちが強くなりました。そして、今まで嫌な事を言われたり、されたりしたあの人がなんだかかわいく思えてきました。。。。
これから、自分が用意した試練がやってきても、楽しんで挑戦できそうです。
でも、最後の答えがわからないのです。。。(涙)
ちゃんと読んでんですよ。。。
先生がおっしゃってたように、わくわくしながらまた探してみますね。。。
でも、「あれかなぁ」と思うところはあるんですよ!!
わたしは、せんせいの文章の中で、( )に書いてある文や言葉が大好きです。思わずふきだしたり、「そうそう」って思わず声にだしてしまいます。
失恋のしくみのところで、「難度E」のところは声をだして笑ってしまいました。。。
今度は、じっくりと読んでみます。わくわくしながら。。。
それでは、また。。。
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飯田先生へ
ソウルメイト「運命の人」についての7つの考察、読みました!
う〜ん、またまた新境地ですね。
「ソウルメイト」を、このように現実的に語られるとは。
先生がおっしゃるように、想像していたよりもずっと論理的な内容でした。
そして、このところ自分でも感じていたことが、とても理路整然と語られていて、
「そうそう。そうなんだよね。」
と頷きながら読みすすめました。
結局、その人が「ソウルメイト」であるかどうか、よりも、自分がその人と、どんな関係を築きたいのか、そして、そうするための覚悟ができているかどうかが大切であり、それに尽きるんですよね。
そして、その覚悟こそが「愛する」ことなんではないかと。
結局、*****************(注:本書の解答部分なので伏字にします)なんですから、縁あって、自分が好きになった人なら、************、*******ことが大切ですね。
こういうことがわかるようになった今、自分が付き合うことになっている人は、とても縁が強いのだと思います。
思うようにいかないことも多いですが、***********で、**********、とても********です。
ツインソウルかな? なんて思いましたが、それを探ることにはあまり意味がないなあ、とも思っています。
今は、自分が目指す関係(お互いを大切にし合える関係)を築けるよう、できるだけやってみよう、と思ってます。
今のわたしの目標は、「しあわせな人であること」です。
これがすべての道をきりひらく鍵だと感じています。
しあわせを感じながら、小さなことに感謝しながら毎日を暮らせたら、なにをやっても楽しくて、うまくいくと思います。
そして、ときどき傷ついたり、落ち込んだりすることが、人生のスパイスなんですよね。
素晴らしい本をありがとうございます!
またまた、次の新刊が楽しみになってしまいました。
お忙しいとは存じますが、また、わたしたちの想像を超えた素敵なサプライズを期待しています。
それでは、また。
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読後感想文です。
期待していた通りの内容のご本を、ありがとうございました。
昨日が新刊の発売の日だと知り、市内の大きな本屋さんに行ったのですが並んでおらず、***市が「都会に近い田舎」であることを思い知らされました。
今日購入して、一気に読み終えました。
最初に問題があったことも忘れ・・・。
読み終わった後には、「ああ、しまった。どこに書いてあったのだろう?」と、その文自体を見つけられなかったことを残念に思いましたが、運命の人は*****(注:本書の解答部分なので伏字にします)だという想いが残りましたので、あえて探すことはせずにいます。
もし、あまりにピントはずれだったら、申し訳ありません。
わたしも貴書に書いてあったように、「今のだんなさんは、ツインソウルか? プロジェクトソウルか?」という答えを見つけられるのではないか?、と興味津々でしたが、「どちらでもいいや。どちらにしても、重要な人にはまちがいはないのだから」という気持ちになりました。
たぶん、今から、周りの、出会う人々に対しての想いが変わるのではないか?、と、「思考を楽しく観察してしまおう」という思いでいます。
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こんにちは。
いつもいつも、飯田先生の御本を読んで、勇気が出てきて、本当に心から感謝しています。
「ソウルメイト」も、5〜6時間かけて、ひと通り読みました。むずかしいのに、おもしろくて、わかりやすい。
何回も何回も、同じところを理解するまで読むと、生きていく力がわき出てきます。
飯田先生のファンになったのは、「生きがいの創造」のころからですので、1冊の本を理解したような気になる時間が、かなり早くなりました。本当にいつもありがとうございます。
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たった今、ディズニーリゾートから帰って参りました。
予想通り、連休でものすごい混雑ぶりでした。しかし、今回ほどアトラクションの待ち時間が短く感じたことはありませんでした。なぜなら、新刊『ソウルメイト』を読みながら並んでいたからです。
カバーを付けずに読んでいたので、ジャングルクルーズに並んでいる時などは、「あっ、飯田先生のソウルメイトよっ。もう読んでるっ!」と、知らない2人組の女性が言っているのを耳にしました。私は、人気アトラクションのファストパスを手に入れた時とは比べものにならないほどの優越感にひたっておりました。
と、その直後、「あの人、一人で来てるなんて、きっとまだ結婚相手がいないのね。」「飯田先生の本を読んだからといってねえ。」という声が・・・(涙)。*歳の息子と妊娠*ヶ月の妻をぎりぎりまで日陰で休ませておきましたので、独身に見られたのでしょう(涙)。
エレクトリカルパレードを見終わって、花火が始まるまでの時間、電灯のあるベンチに座ってあと少しで読み終わるという時、「本日は、上空の気流が不安定なため中止といたします。」というアナウンスが・・・・。がっかりして本に目を落とすと、ちょうど279ページに、ディズニーランドのことが書いてあるではありませんか。飯田先生、ありがとうございます。おかげで、「また来よう」と思うことができ、楽しみが残りました。(笑)
私は、これまでの飯田先生のご著書の中に、「結婚後にツインソウルに出会う場合もあり得る」とありましたので、「妻にとって、自分は本当にツインソウルなのだろうか、妻が今後、本当に愛し合う男性を見つけてしまったら・・・」などという不安を持ってまいりました。しかし、本書を読み終わった今、どうしてそんなくだらない不安を持っていたのだろう、と思うようになりました。なぜなら、わたしには妻という愛する女性が現実に今も隣にいてくれるのであり、もうすでに自分は十分幸せなのだということを、思い出したからです。
長々と失礼いたしました。
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・・・という感じです。
本書は、私がいちばん書きたかった内容&執筆スタイルの本ですから、本書を高く評価し、歓迎くださる読者こそが、私から見ると、最も理想的な読者像だということになります。もちろん、読者のニーズは多様であり、全ての読者を喜ばせることは不可能なので、誰からどのような評価が下されようとも、私は全く気にすることなく、いつも「自分の書きたい本」を世に問うだけなのですが・・・
その意味で、私は、きわめて自己中心的で、傲慢な著者なのです。あくまでも、商業作家ではなく、研究者として著書を発表していますので、「読者のニーズに応じよう」という意志は希薄であり、「自分のやりたいことを、とことん追求するだけのこと・・・その結果、誰に何を言われようが、一切気にする必要はない」と、割り切っているからです。こんなに自分勝手で生意気な著者の本をお買い求めくださり、しかも喜んでくださるとは、なんと奇特な方々・・・い、いや、ありがたい方々でしょうか(笑)。
とにかく、心から、深く感謝申し上げます。
9月8日版
お待たせしました!
新刊『ソウルメイト』の見本が完成しましたので、表紙写真を公開いたします。
文字の文章、位置、配色や、使用する写真など、いつものように、すべて私自身の考案・指示にもとづいて、デザイナーにご依頼したものです。
・・・書店の店頭を通りかかった人の心を、わしづかみにしてしまうであろう、オビの強烈なキャッチフレーズ。
今、この表紙をご覧になったあなたの心も、思わず、「きゅーん」と鳴ってしまったのではありませんか?(笑)
今回の新刊は、なんと、10年前に発表した『生きがいの創造』初版の「あとがき」で予告していたものであり、10年をかけて熟成させながら、構想を固めてきたものです。
私は、本を書き上げた後に、いつも、「本当に、これで良いか?」と不安になって自問自答するのですが(満足してしまっては、文筆家としてお終いですからね)、今回の本については、「自分は、本当は、このような本を書きたかったのだ」という気持ちが強いのです。あらゆるバランスを巧妙にとり、物質世界と精神世界の両面を視野に入れながら、曖昧な概念を論理的に解きほぐしていく本・・・このような本を書くためには、『愛の論理』の論理性と、『生きがいの創造 2』の精神性との両面が必要であり、『生きがいの創造 2』を発表した後の今だからこそ、ようやく出版できるはこびになった、というわけです。
人間関係論を扱う大学教授であると同時に、スピリチュアルな体験を続けているからこそ書ける本。
したがって、この世の中で、ほかの誰にも決して書けない、私だけが書くことのできる本。
私は、「ソウルメイト」という、「超怪しげな、いかがわしい、うさんくさい概念」について、いかに理路整然と解き明かし、考察を進めていくのでしょうか?
9月5日版
《 お知らせ 》
昨日も「お知らせ」をしたばかりですが、本日も、急きょお知らせいたします。
9月17日(土)に、酒田市(山形県)で行う講演会(詳しくは8月6日の更新参照)について、主催者から次のようなメールが届きました。
*********
いよいよ17日の講演会が近づいてきました。
現在、入場整理券の発行数は、事前予約も含めて、400枚を超えております。決して無理な宣伝はしていませんが、徐々に広がっているようです。ホームページからの案内のおかげで、県外からも30枚以上予約が入っております。
予想以上の反響です。東京の講演会が2日あまりで完売とのこと、酒田にもかなりの生きがい論ファンがいるのですね。当日は教育関係者にとどまらず、医療関係、福祉関係と、様々な分野から参加いたします。
これから17日に向けていろいろメールすることがあるかと思います。執筆や講演、メッセンジャーとして多忙なところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。**********
・・・というわけで、すでに400枚以上の整理券が出ており、残りがわずかになってきました。
もしも、「行こうか、どうしようか」と迷っていらっしゃる御方は、お早めに電話して、整理券を予約(当日に受付で渡していただけます)なさっておいてくださいね。
それにしても・・・周域に数千万人を抱える東京ならばともかく、人口わずか10万人足らずの酒田市で、400枚以上のチケットが出てしまったとは、いったい、どういうことなのでしょう???
いずれにしても、ありがたいことです。
9月4日版
《 お知らせ 》
先日完売した東京公演のチケットについて、何らかの形で少しでも追加席をご用意できるかどうか、現在検討中です。
7日に、主催するリスペクトのスタッフが東京の会場を訪れて、会場を見せてもらいながら、現地の担当者と打ち合わせをしてくるそうです。
つきましては、追加チケットを販売できるとしても、早くても8日以降になりますので、ご承知おきください。
(販売は、前回同様、予告なしに、このHP上で突然に開始して、先着順とさせていただきます。ほかに、フェアな方法が見つからないものですから・・・)
本日は、お知らせのみにて失礼いたします。
追伸: もう少しで、新刊『ソウルメイト 〜「運命の人」についての7つの考察』の見本が仕上がってきて、表紙写真などをUPできると思いますので、どうぞお楽しみに! (考えてみると、早いもので、あと2週間ほどで発売になりますからね)
追伸2: 予約を開始したばかりの福岡公演についても、このHPで公開した翌朝に、予約担当の先生(歯医者さん)から、このようなメールが届いておりました。
**********
早速、沢山の申し込みをして頂きました。
これから大変になりそうです。
改めて、飯田先生のホームページの凄さを実感です。
間違いがないように、心して担当します。
**********
8月31日版
東京公演の募集に続いて、福岡 での大きな講演会(定員600名)の募集も、開始されました!
まずは、チラシをご覧ください。
(チラシは削除しました)
福岡での講演会は7年ぶりで、もちろん、「生きていく明日からも」や「いつまでも、いつでも一緒」は、福岡では初演になります。7年前の講演会にも、400名もの方々がおいでくださいましたが、今回はライヴ付きなので、ライヴがお目当ての方々も、おいでくださることでしょう。
東京公演のチケットが入手できなかった皆様も、遠く九州・福岡の地でもよろしければ、今のうちならチケットが入手できる可能性が高いので、どうぞご検討ください。福岡空港から会場までは、地下鉄を使ってもタクシーを使っても、30分〜40分で到着する距離です。JR博多駅からならば、20〜30分という近さですから、日帰りも大いに可能ですよ。
(もちろん、せっかく福岡に行くならば、ついでに受験の神様・大宰府天満宮にお参りしたり、会場からも近い有名な「中州」に繰り出して、本場の「とんこつラーメン」や「からし明太子」などをいただくのもお勧めです)
福岡公演においでいただける皆様、当日は、歌詞カードを配りますので、私と一緒に、「生きていく明日からも」や「いつまでも、いつでも一緒」を、大合唱しましょうね。
もう、あと1ヶ月半後ですから、あっという間ですよ!
8月30日版
私の東京公演チケットの完売の件、その後にスタッフたちが調べてみましたが、確かに、予約窓口を閉じる前に、382名分の予約が入っておりました。そのうち、10枚を予約なさった御方が1名、4枚が3名でしたが、あとはみな、1〜3枚のご予約でした。その結果、数え間違いや、予約数の間違いは、無いことがわかりました。
したがって、現時点で、確かに382名分の予約が入っていることになりますので、あとは、9月末の入金締め切りの時点で、どのくらいのキャンセルが出るかという問題になります。もしも、その時点で、入金の未納が多数生じてしまった場合には、その分の枚数を、10月初旬に追加販売させていただきます。
しかし、本日、スタッフに詳細を確認してみると、実際には、申し込み窓口の閉鎖後にも、短期間で300件近くのアクセスがあったのだそうです。実際に、私の直接の知人の皆様からも、「閉鎖後に知ってガッカリしています」「何とか、飯田先生のコネクションで、席を確保できないでしょうか」というご連絡を、この数日間でたくさんいただいていますが、今回ばかりは、私の手元にも、1枚も余りチケットが無いのです。このような展開になりましたので、私の知人の皆様とはいえ、よほどの事情が無いかぎり、他の一般の皆様と同じ条件で、フェアにお申し込みいただくしかありません。本当に、ごめんなさい。
このようなわけで、現在、「追加席」や「立ち見」など、何とかして数十枚でも追加販売できないかと、リスペクトのスタッフたちが、東京の現地会場まで下見に出向いて検討しておりますので、しばらくお待ちくださいね。
とりあえず、現状報告でした。
8月27日版
東京公演のチケット350枚以上が、
たったの「2日と10時間」で、完売してしまいました!
8月23日版
お待たせしました。
東京での講演会&ライヴ(初演)の詳細が決定しましたので、
予約を開始させていただきます!
東京で、一般公開の講演会を行うのは、何年ぶりでしょうか・・・
しかも、今回は、9月に発売する新刊『ソウルメイト』にちなんで、「ソウルメイト」や「ツインソウル」に焦点をあてた、特別な内容で講演します。(著書には書けないような、応用編の内容にも触れてお話しますので、録音・録画はご遠慮ください)
そのうえ、「生きていく明日からも」「いつまでも、いつでも一緒」は、首都圏はもちろん、なんと東日本では「初演」。
私の歌を、私自身のギター弾き語りで、私と直接に、一緒に歌いたいと願ってくださっていた皆さん(ご希望のお手紙をたくさんいただきました)、ついにその時がやってきますよ!
********************
飯田史彦 「講演会」と「トーク&ライヴ」
テーマ: 永遠の愛・めぐり逢う生命 〜 ソウルメイトたちとの恋愛・失恋・結婚・友情などのしくみを解説する
日 時: 12月18日(日)
開場・・・12時30分
開演・・・13時30分(講演90分程度、休憩を挟んで、トーク&ライヴ1時間程度)
終演・・・16時40分
サイン&握手&一緒に撮影会・・・16時40分〜
(一緒に記念撮影をご希望の御方は、カメラやカメラ付き携帯電話などを、ご持参ください)
会 場:「浜離宮朝日ホール」(はまりきゅうあさひホール)内「多目的ホール」
東京都中央区築地5−3−2(電話03−5541−8705)
地下鉄「大江戸線」の「築地市場」駅、A2出口より徒歩3分、または、
東京駅からタクシーで20分、新橋駅からタクシーで10分。
定 員: 350名(定員になりしだい、締め切らせていただきます)
参加費: 前売 2000円
(当日、まだ座席に余裕がある場合のみ、残席分の当日券を、3000円で販売する予定だそうです。前売りで完売した場合には、当日券は販売いたしませんので、お早めにお申し込みください。なお、全席、自由席となります。また、お一人様あたりの枚数制限は設けておりませんので、ご友人やご家族の分を含めて、代表者がまとめてお申込みくださって結構です)
主催&問合せ先: 株式会社 リスペクト(年度末をもって解散するため、これが解散記念イベントになります・・・涙)
電話:0257−23−1517
Email:(完売のため、削除しました)
申込方法: 下記のアドレスをクリックして、専用申込フォームへお入りください。
または、上記の電話番号により、電話でお申込みくださっても結構です。
http://www.respect-con.co.jp/yoyaku.html
********************
今回は、このホームページをご覧くださっている愛読者の皆様(とその身の回りの方々)に対する、私からの特典(特別プログラム)となりますので、日頃の感謝の気持ちを込めて、このホームページのみでご案内させていただきます。会場の定員が少ないため、このホームページ以外では、いっさい、広告宣伝は行いません。(東京での講演会は数年ぶりですし、講演内容も広く関心を呼ぶテーマであり、しかもトーク&ライヴは東日本で初めてなので、あまり広くPRしすぎると、すぐに定員が埋まってしまう危険性があるためです)
あちこち探したのですが、東京は会場費がメチャクチャ高く、安い公共の会場は大変な競争率の抽選になってしまうため、確実に借りることができて、ライヴにも適している(ステージや機材があり音響が良い)会場は、今回の小規模の会場(定員350名)しか見つからなかったのだそうです。京都や大阪では、トーク&ライブをやると、それぞれ500名程度もご参加くださいましたので、数年ぶりの東京(しかもライヴは初演)ですから、もっと大きな会場で、一般の皆様にも広くPRしておいでいただくべきなのかもしれませんが・・・(前回、東京で一般公開した日比谷公会堂での講演会には、1000人もの方々がおいでくださいましたから・・・)
でも、講演会はともかく、トーク&ライヴは、大きな会場よりも小さな会場の方が、一体感が高まって盛り上がりますから、今回は、ちょうど良い会場が見つかったと言えるのではないでしょうか。東京駅や羽田空港からのアクセスも便利なので、遠方の方々にも、日帰りで気軽にご参加いただけるはずです。 いずれにしても、今回の東京公演は、このホームページのみでしかご案内しませんから、日頃、このホームページをご覧くださっている、コアな「生きがい論」マニアの方々が全国から集う、怪しい大集会になるに違いありません(笑)。
8月13日版
新刊、
『ソウルメイト 〜「運命の人」についての7つの考察』 の原稿の初校(最初の校正)が、ようやく終わりました。
いや〜、しんどかった。
でも、これで、自分でも納得のいく出来に仕上がったので、発売が確定しました。
PHPのレディ細矢編集員からも、次のような感想メールが届きました。
********************
飯田先生
力作「ソウルメイト」
一気に読み終えました
そして
今不思議な感動に包まれています
先生が10年前から
書くべく予告されていた本ということだけでなく
世に氾濫する
恋愛論
夫婦論
人とうまく付き合う秘訣を書いた本
親子論
嫁姑論
等々
それらの本を何冊読んでも
結局、自分の役には立たなかったと
落胆していたものが
この1冊ですべてが見えてきた−−−
という感動です
この本は
生きがい論を唱える
先生の視点があるからこそ書ける訳で
ほかの誰にも追随できないと思いました
この本は
恋愛論としても
夫婦論としても
親子論としても
兄弟姉妹論としても
人間関係論としても
読めるのです
オールマイティです
人間関係が崩れてきた今
出るべくして出た
という本だと思います
********************
・・・というわけで、句読点の全く無い、細矢嬢のシンプルな文章、私は大好きなんですよ。
それでは、良きお盆休みを!
7月19日版
この3連休は、ナイショの用事(ご想像の通り、例の用事です)で、遠方に出張しておりました。
その途中で、空き時間を使って映画「宇宙戦争」を観てしまったところ、あまりにひどい内容(というか、内容そのものが全く無い)にガッカリ落胆して、「お金と時間を返してくれ!」と心で叫びながら、私にしては珍しく立腹して(というか、こんな映画を観てしまった自分自身の判断ミスを笑いながら)、空しさ一杯で映画館を後にしました。
その時、ふと目に留まった、映画館のチラシ・・・それは、「宇宙戦争」の陰に隠れるように、ひっそりと小さな劇場で上映されていた、「逆境ナイン」という、聞いたこともない名前の日本映画のチラシでした。
そのタイトルを見た瞬間、私は、「ん? 逆境?」と、心ひかれてしまったのです。
そして、1日に2回しか上映されてしなかった、その映画を、どうしても観たくなりました。
なぜなら、「逆境」とは、まさに、私がこの10年間に書き続けてきた、「生きがい論」の中心命題だったからです。
しかも、私自身が、いま、まさに「逆境」の真っただ中にいるからです。
とうとう、私は誘惑に負けて、翌日、その映画を観てしまいました。
その結果・・・
なんと、昨年の「スウィングガールズ」と並んで、私の大好きな映画になってしまったのです!
それほど、「スウィングガールズ」(DVD発売中)と、この「逆境ナイン」は、ともに、私の「生きがい論」の精神を、正しく映画化してくださったと言えるでしょう。ご覧くだされば、必ずや、私がおすすめする意味を、ご理解いただけるはずです。
このホームページの読者の皆さん、どうか、ぜひとも、「逆境ナイン」を、観てみてくださいね。
この映画を観れば、大いに笑って、ほろりと涙し、映画館を後にしながら、「よ〜し、自分も、この逆境に負けないで、がんばって生きていくぞ〜!」という、不屈の闘志に満たされるに違いありません。(「宇宙戦争」の100倍、いや1万倍も面白く、しかも予想に反して、中身のびっしり詰まった映画でした)
とにかく、超おすすめです。
この夏の映画は、この「逆境ナイン」で決まり!
お子様の情操教育にも、ぴったりですよ。映画を観て大いに笑い、楽しみながら、「あきらめないで、がんばることの素晴らしさ」を、お子様たちに伝えることができます。
また、「スターウォーズ」「宇宙戦争」「2001年宇宙の旅」「少林サッカー」をはじめ、「ハリー・ポッター」の名物教師そっくりの監督や、西部劇風の音楽や、あの「スウィングガールズ」の弁当事件、そして「巨人の星」などのスポーツ根性もの等、ライバル(?)映画・漫画のパロディもたくさんちりばめられており、ファンならば思わずニッコリ。しかも、主題歌は、私が大好きな往年の名曲、「夢をあきらめないで」(岡村孝子さん)。
しかし・・・公開されたばかりだというのに、宣伝不足のため、いつ打ち切りになってしまうかもわからない状況です。
しかも、大きな映画館では上映されておらず、ほとんどが、小さな劇場ばかり(涙)。
どうか、大急ぎで、お早めに観に行ってくださいね。
そうしないと、今週末にも、上映中止になってしまうかもしれません。
こんなに素晴らしい映画だというのに、宣伝不足で観客がまばら・・・その反面、あんなにくだらない映画だというのに、派手な宣伝攻勢の「宇宙戦争」には、私のように、宣伝に騙されて観に行ってしまった人がいっぱい・・・ああ、世の中、どうしてこんなに不条理なのでしょう・・・「逆境ナイン」のような真に優れた作品が、低予算ゆえに正当に評価されないとは・・・(涙)。
まさに、冗談では済まない、本物の逆境に置かれてしまっている、この映画・・・この厳しい逆境から盛り返し、「スターウォーズ」も「宇宙戦争」も抜き去って、この夏いちばんの大ヒット映画になり、国民的名画として歴史上に燦然と輝くよう願っております。
特に、ちょうど今、人生の「逆境」の真っただ中で苦闘していらっしゃる御方は、明日にでも、たとえ遠方の映画館まで出向いてでも、一刻も早く、絶対に観に行ってくださいね。そうすれば、きっと、あなたの心に、「決してあきらめない闘志」という、ありがたい灯りがともることでしょう。
いや〜、昨年の「スウィングガールズ」といい、今年の「逆境ナイン」といい、素晴らしい映画に出逢えて、私は幸せです。
これぞ、私の「生きがい論」の精神を、そのまま具現化して、映画にしてくださったようなもの。
いま目の前にある逆境よ、どうもありがとう!
そして、そのことを思い出させてくれた「逆境ナイン」よ、本当にありがとう!
逆境に立ち向かうことこそが、わが人生。
この程度の逆境に、負けるもんか!
「締め切りの10日前だというのに、公務が次々と飛び込んできて、しかも身内が重病で倒れてしまい、新刊の執筆がほとんど進んでいない」という、この絶体絶命の逆境に立ち向かって、必ず乗り越えてやるぞっ!
・・・「試合は9回の裏、得点差は112対0、しかも、メンバー9人のうち8人が重傷を負って気絶中」という「完全なる逆境」を、主人公である全力学園の野球部員たちは、いったい、どのような方法で跳ね返し、逆転勝利を目指すのか?!
皆さん、一刻も早く、「逆境ナイン」を観に行ってくださいね。
いま逆境にある人ほど、本当に元気になれますから。
7月4日版
本日は、いくつかのお知らせがあります。
(1)専修大学の大石教授が、「生きがい論」を大きくご紹介くださいました!
私の『生きがいの教室』でご紹介した、専修大学の大石和夫教授が、このたび、次のような興味深い本を出版されました。
そう、「タイプA」と呼ばれる、特徴ある人々(競争心が強く負けず嫌いで、じっとしていられずにいつも何かをしていないと落ちつかないタイプ = 仕事熱心な人に多い)と、スピリチュアリティとの関係を学術的に掘り下げた、画期的な本なのです。
内容は、
第1章: タイプA行動様式とは
第2章: ストレス反応とタイプA
第3章: 喫煙・飲酒行動とタイプA
第4章: 食習慣とタイプA
第5章: スポーツとタイプA
第6章: タイプAの背後にある心とスピリチュアリティ
第7章: スピリチュアルな価値観を応用したタイプA修正の試み
というわけで、終わりの第7章では、私の「生きがい論」を大々的に引用くださっており、「なるほど、健康心理学や精神生理学の観点を生かせば、生きがい論は、このように活用できるのか!」と、思わずうなってしまう面白さ。
ご興味をお持ちの御方は、専修大学出版局(03−3263−4230)まで、お問合せくださいね。
(2)姫路市民会館大ホールでの講演会、詳細が決まりました!
日時: 8月18日(木)、13時〜15時
(終了後、著書のサイン&握手会も予定しています)
会場: 姫路市民会館 大ホール(総社本町112)
演題:「生きがいの創造」(福島大学教授 飯田史彦)
主催: 姫路市役所 高齢福祉課(問い合わせ先)
参加条件: 当日受付、入場無料
ただし、姫路市内のお年寄りだけで600名近くの参加者が見込まれるため、それ以外の一般人の座席は、50席ほどしか確保できない可能性があります。それを超えると、入場制限となりますので、お早めにお並びくださいね。
6月20日版
盛岡での講演会、収容人数130名ほどの会場に、200名以上の方々がおいでくださり、恐れていたこととは別の意味で、大変なことになってしまいました(涙)。
講演開始時刻の30分前には、すでに満席状態。あわてて、ほかの部屋からイスを大量に持ち込んで、なんとかご入場いただきましたが、スタッフの女性8名は会場に入ることさえできず、外の廊下から、ドアに耳をつけて講演をお聴きくださったとのこと。
え? 消防法ですか? いえいえ、決して、違反なんかしてませんよ(笑)。
講演後には、調子に乗って、友人夫妻と3人で、盛岡駅前の「わんこそば」の店に入り、「75杯」も食べてしまいました。
しかし、これは、男性としては平均的な数字にすぎません。実際に、一緒に挑戦した友人夫妻も、ご主人が私と同じ75杯で、奥様が30杯でした。女性でも、少なくとも30杯、普通は50杯程度は食べられるとのこと。確かに、すぐ近くに座っていた、関西弁の女性(推定22歳、一人旅中)は、なんと90杯を超えて、100杯に近くなっても、まだ頑張っておりました(我々の方が、後から来て、先に店を出て行きました)。日本記録は、300杯以上になるそうです。
ちなみに、盛岡名物「わんこそば」は、おわん1杯で、ひと口分くらいの分量です。だいたい、15杯から20杯くらいで、普通の「ざるそば」の1人前と同じ分量だそうですから、75杯というと、ざるそば3〜5人前くらいでしょうか。目の前に、ざるそば4人前が並んでいたら、とても全部食べる気にはなりませんが、「わんこそば」は美味しくて、しかも1杯が1口分しかないため、気がつくと、あっという間に50杯くらい食べてしまっているのです。
私は、見かけによらず小食なので、これまでは頑張っても50杯くらいでギブアップしていましたが、今回は、朝からほとんど何も食べていなかったので、いつもより25杯も多く入ってしまいました(笑)。
それにしても、「わんこそば」というのは、不思議なものです。いつも、食べるたびに、お腹がパンパンにふくらんで、「もう食べるもんか!」と心に誓うのですが、1年くらい経つと、あの苦しさを忘れてしまい、「う〜ん、また食べてもいいかなぁ」と、なぜか恋しくなってしまうのです。
そういえば、そういう「人」っていうのも、いるかもしれませんよね。あまりに「濃い」性格なので、会うたびに「もう会わなくていいや!」とウンザリするのですが、しばらくすると、なぜか恋しくなってきて、「う〜ん、また会ってもいいかなぁ」と思いはじめ、いつのまにか、「久しぶりに、また会ってみたい気がするなぁ」と感じてしまうような人・・・そういう、「わんこそば」な人って、結局のところ、悔しいけど、心のどこかで気になっていて、実はけっこう魅力を感じていたりするんでしょうね。もちろん、たまに会うからいいのでしょうが・・・(笑)
(注:これは一般論であって、あなたのことを書いたわけではありませんので、誤解しないでくださいね。こう明記しておかないと、「えっ! 私って、飯田先生から、そんなふうに思われていたのね。ひどい、ひどすぎるわ!」なんて、自意識過剰の被害妄想で勝手に憤慨なさる方々が、多数現れてしまうでしょうから・・・涙)
さて、冗談はこのくらいにして・・・
6月1日版
なんと・・・
発売されたばかりの『DVD版 生きがいの創造』第1巻を見たという、私の大学時代の知り合いの女性から、ほぼ20年ぶりに手紙が届きました。
その封筒の中に、当時の私の写真のコピーが・・・
私でさえ、こんな写真が存在することを知らなかった、超レアなアイテムです。
その知人がのたまうには、「飯田先輩がずいぶん『おじさま』になっているので驚きました。HPの読者の皆さんに、大学時代はこんなにスタイルが良かったんだということを、教えてあげてくださいね。うふふ」とのこと。
私は、「あれから20年も経ってるんだから、おじさまになるのは当然だい!」と憤慨しましたが、すでに現在の姿をDVDで公開してしまった今では、昔の姿を隠す理由もありません。せっかくですので、ここで、大学生時代の私の生写真を、公開させていただきます。
なんだか、「村の青年団長」という感じで、売れない3流役者のブロマイドみたいですが・・・(恥)・・・
でも、昔の青春ドラマで主役をつとめた、「熱血新米教師」という感じもしませんか?
・・・というわけですが、いったい、どこで、何のために撮ったのか、私自身にも記憶がありません。
写真のコピーを送ってきた、その女性に問いただそうにも、名前しか書かれておらず、住所も電話番号もメールアドレスも不明なので、連絡する方法もありません。(というか、現在の連絡先を書いていない理由も、よくわかります。その後、とっくに人妻になっていらっしゃいますので・・・とほほ・・・私だって、もう今さら連絡をとって、無意味な交流を再開するようなアホではありませんしね(笑))
名探偵ホームズになったつもりで、唯一の手がかりである、この写真を分析すると・・・
* とても奇妙なサイズである。フィルムではなく、ポラロイド写真か?
* とても奇妙な色である。カラーではないが、白黒でもなく、薄く茶色ががっている。
* 背景は、壁のようだ。どこの壁なのか、何の手がかりも無い。ちょうど、壁の角のような場所に見える。
* 荷物もなさそうだし、装飾もない殺風景な部屋らしい。
* 座っているのは、背後の壁にくっついた、横長のベンチのような、木製のイス状のものか?
* 私の衣服は、ブレザーの下に、ベストを着て、その下はカッターシャツのようだが、ネクタイはしていない。季節は、春か秋のようだ。
* 腕を組んでいるのは、昔からの私のクセなので、何の意味も無い。
* にっこり笑っている笑顔は、とてもリラックスしているので、撮影したのは、よほど心を許せる相手であろう。
* 今とは違う、7:3に分けたヘア・スタイルは、確かに、学生時代のものである。
・・・と、こんな感じでしょうか?
以上の乏しい情報から判断すると、以下のような推論と疑問が生まれます。
* どこかの田舎の駅の待合室か?
(しかし、旅行中ならば、なぜ普段着ではなく、ブレザー姿なのか? また、普通のカメラを持っているはずなのに、なぜ、ポラロイド写真なのか?)
* 私が当時結成していたロックバンドのライヴの前に、控え室で撮影したものか?
(控え室ならば、殺風景なのも理解できる。また、私はリード・ギタリスト 兼 バラード・ヴォーカリストだったので、ブレザーのようなシックな服装でステージに立っていた。しかし、なぜポラロイド写真なのかという理由は、不明である。また、座っている木製のベンチのようなものが、控え室にあるだろうか? たいていは、パイプイスであるが・・・)
う〜ん・・・
しかも、私のもとに送られたのはコピーであるため、原本は、もっと違う色かもしれません。
それにしても、送り主の女性は、原本を、後生大事にそのまま持っていて、大丈夫なのでしょうか?・・・ご主人に見つかって、「この男は誰だ?」などと、面倒なことにならなければいいのですが・・・そういえば、映画「タイタニック」のラストシーン近くで、主人公の可愛いおばあちゃんが、にっこりと微笑みながら、こんなセリフを口にしていましたっけ・・・「女には、海よりも深い秘密があるのよ」と。
以上、本日の、「シャーロック・ホームズの事件簿」でした。
(結局のところ、迷宮入りですが・・・笑)
5月31日版
『DVDブック版 生きがいの創造 第1巻』、いかがですか?
さっそく、お手紙をいただきましたので、いくつかご紹介させていただきます。
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初めまして。
今日、DVDブック生きがいの創造第1巻が、手元に届きました。
今は、先生の歌を聞いて、泣きながら、この手紙を書いています。
どうしても、今すぐに先生にお礼を言いたくて書いています。
先生の本は2,3冊読んだことがあるのですが、歌は初めて聞きました。
この「いつまでも、いつでも一緒」は、とても良い曲ですね!
とても心に響きました・・・。
実はこのDVDを見るまでは(歌を聞くまでは)、「飯田先生という人は、なんで歌なんか歌うんだろう? 目立ちたがりだな〜」(失礼!)と思って、ちょっと軽蔑してました。そんな気持ちで start を押すと、画面が停止したり途切れたりして、先に進みませんでした。
そこで、まず歌から聞いてみるか、と思い、歌を再生してみました。はじめは、ふ〜ん・・・って感じで聞いていましたが、最後の合唱の「いつまでも いつまでも いつでも一緒だよ・・・」になると、不思議と泣けてきて、ついに号泣してしまいました。そして、心が温かくなってきました。
それから、最初に戻り、チャプター1から今度はスムーズに見ていくことができました。そして、全部見終わってから、また歌へ・・・。今度は、メロディーが流れはじめたとたん、涙が出て止まらなくなりました。とても、すがすがしく、温かい気持ちでいっぱいです!
私は*年前、1*才で母を亡くし、その後、家族がバラバラになり、とても強い孤独感を抱えてきました。でも、「いつでも、いつまでも一緒なんだ」と思えて、今はうれしいです。
なんだか興奮していて、乱文、乱筆ですが、どうしても、今すぐに、この気持ちを書きたくて、伝えたくて・・・
本当に、ありがとうございました!!
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DVDブックの第1巻、さっそく見ました!
優しい語り、優しいパステル画、やさしいピアノの音色と、優しさと愛に満ち溢れたDVDですね。
そして、本編を見終わった後に、すばらしい映像と共に流れる歌は最高でした。
親しい人を亡くした経験のない私でも、思わずジーンと来ました。
続編も楽しみにしております。
限られた時間と予算の中で作られているようですが、製作補助のボランティアが必要でしたら、喜んではせ参じます。(声優はできそうにもありませんが。)
あと、個人的には、「光からのメッセージ集」のようなコーナーを切望します。
光さんからのメッセージを先生の”威厳に満ちた声バージョン”で語ったものだけを集めたようなコーナーです。続編の中にそのようなものがあれば、うれしいのですが。なければ、番外編として4巻目をお作りいただければ、と願っております。
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飯田先生へ
絵もみなさんの声もほのぼのとしていて
とても癒されました。
最後の歌がまた効果的で、心に染み入りますね。
ありがとうございました。
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DVDブック版「生きがいの創造第1巻」を拝見させていただきました。
2歳になった息子は、保育園の送り迎えの時に、飯田先生のCDをいつも車の中で聴いているせいか、テレビ画面に飯田先生が映り、お声が聞こえてきたとたん、「あっ!ああっ!」と興奮して指をさしています。特に「いつまでも、いつでも一緒」がお気に入りで、体を左右にゆすりながらもう何十回も聴いています。このメールを打っている今も、いつもならとっくに眠っているのに、まだ聴いています。
今回の作品は、これまでの飯田先生の御著書、CD、絵物語、フォト&メッセージ、講演ビデオ、ライブCD等の最も肝心なエキスだけを抽出した集大成ですね。文字、絵、写真、音楽、そして飯田先生から直接語りかけられる構成が相乗効果を生み、まさに生きる希望と勇気を見失った方々に贈る、飯田先生からの最高のメッセージになっていることに、深く感動いたしました。これだけの内容が3150円とは! PHPの社員の方々が出演されることで人件費等を押さえ、少しでも低価格を実現されようとご尽力いただいたことに頭が下がります。また、プロの声優さんではなく、素人のみなさんの語りのおかげで、かえって証言にリアルさが出ていると感じました。
第1巻が発売されたばかりだというのに、もう第2巻、第3巻の発売が待ち遠しく感じているのは、私だけではないはずです。本当にすばらしい作品をありがとうございました。
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DVDブックの発売。おめでとうございます。
早速、発売日の27日(金)に新宿南口の紀伊国屋書店で購入しました。
仕事帰りで閉店間際だったのですが、検索コーナーでまず探すと、本の情報はすでに登録されており、それを印刷して店員さんに渡すと、しばらくお待ち下さいということで、3人くらいの人を経てようやく探し出してきてくれました。
きっとこの書店では、最初の購入者になれたことと思います。
パステル画が本当にきれいですね。
先生のイメージされた映像を、とても良く再現されていると感じました。
先生も、ロケの方大変でしたね。
おなかが鳴ったり(笑)
でも、まばたきもしないし本物の役者みたいでしたよ。すごいですね。
この映像は、生命の末期を迎えている人や、大切な家族を失った人々にとって、本当に救いになる話が、事実として言葉や絵で実感できてとても良いと思います。
先生も教授になられてお忙しいでしょうに、日本全国をまわられてお疲れ様です。大変ですね。
これからも、どうぞお体に気をつけて。
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今回のDVD買いました。
でも、まだみてません。
だって、うちにはプレステしかないのです。
息子がセットしてくれないと・・・(涙)・・・
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・・・という感じです。
お喜びいただけて、ほっとしました。
本当に、ありがとうございます!
さて、本日は、盛岡での、一般公開可能な講演会のお知らせです。
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飯田史彦講演会
「私たちは、なぜ生まれてきたのか?
〜恋愛・結婚・親子などの人間関係や、生と死のしくみについて、科学的に解説する」
日時: 6月19日(日)
午後1:30〜3:30
主催: アイリスの会(乳がん患者さんの互助組織) 発足10周年記念講演会
会場: 「マリオス」(JR盛岡駅 西口 隣接)
18階 188会議室 (左側のエレベータをご利用ください)
参加費: 1000円(訂正しました)
講演後に、著書・DVD・CDなどの販売と、サイン&握手&撮影会を行います。一緒に仲良く写真を撮りたい方は、カメラなどをご持参ください。
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盛岡で、一般公開できる講演会を行うのは、今回が初めて。
今後、盛岡・秋田・青森など、東北地方北部での講演会は、まったく予定がありませんので、東北の北部にお住まいの皆様は、どうぞおいでくださいね。これぞ、千載一遇のチャンスですよ!
5月24日版
いよいよ、5月27日(金)に、
『DVDブック版 生きがいの創造 第1巻』
発売です!
《 表紙カバー 》
《 DVDのワンシーン 〜 内容サンプル 》
・・・というわけで、私も大いに出演しています。
実は、先日、関西のあるところで特別に、一部を先行上映したところ、会場でご覧くださった方々が、いっせいにポロポロと涙を・・・その姿に、つい私も、もらい泣きをしてしまいました。
その後、参加者の方々から、「久しぶりに、こんなに感動しました」との感想を多数いただき、私もほっとしました。
「生きがい論」の真髄を詰め込んで、お年寄りからお子様まで、どなたにでもわかりやすいよう映像化したつもりです。寂しい時、不安な時に、きっと、あなたの心を温めてくれるはずですから、どうぞ、ご覧になってくださいね。
5月7日版
ゴールデンウイーク中は、西日本方面へと出張に出かけておりましたが、その前後で急きょ、関西に2泊し、プライベートな奉仕活動で忙しくしておりました。どんな活動をしていたかというのは・・・『生きがいの創造 U』をお読みくださった方々には、おわかりですよね?(ゴールデンウイーク直前に起きた、痛ましい列車事故のアフターケアで、その2泊は飛び回っていたのです)
世の中では、べつに大事故や大災害ではなくても、毎日、数多くの人々が、悲惨な状況で悲しい死を迎えています。それらひとつひとつの死について、差をつけるわけにはいかず、私にとっては、どのような死も同じだけの重みがありますので、これまでも、このホームページで、特定の大事故や大災害を取り上げてコメントすることは、意図的に避けてきました。つい数ヶ月前の、大地震や大津波などについても、このホームページでは、何もコメントしておりません。
それは決して、私が無関心だからではなく、私が人々の知らないところで、私にしかできない活動を、プライベートに、精一杯行っているからなのです。自分がきちんとしていれば、それでいいのだ、と思うからです。私は政治家でも社会運動家でも宗教家でもありませんので、それらの活動について、わざわざホームページで報告して世の中に広く知らしめたり、「さあ、みんなで祈りましょう!」などとメッセージを発してリーダーになるのは、私のスタイルではありません。
すでに、私のコメントは、著書という形で大いに発していますので、読者の皆様が、自分なりに、できる範囲で「生きがい論」を生かしてくだされば、それで充分だと思っています。どうか、私や、ほかの誰かに期待するのではなく、ご自身で、できることをなさってくださいね。たとえ、具体的なことは何もできなくても、ただ「祈る」というだけでも、見えない世界では大きな力になるのです。
(おっと、これ以上コメントすると、教祖化してしまうので、やめておきますね・・・世の中を救うのは、決して私ではなく、読者の皆様それぞれの言動なのですから)
4月21日版
おととい更新したばかりですが、またもや更新してしまいます。
たまには、こういうこともないと、読者の皆さんから、「飯田先生のHPは、どうせ週に一度くらいしか更新されないから、今度見るのは一週間後でいいや」などと、よからぬ思い込みを持たれてしまいますからね(笑)。
京都での講演&ライヴから3日経ち、いくつも感想をいただきました。
たとえば、遠方からおいでくださった、ある大学関係者の女性からは・・・
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先生を拝見してお話を聴き、想像していたより若々しく、庶民的なのに上品で、美声で、人にやさしく、サービス精神が旺盛で(あんなに先生だけが頑張って、私たちは話を聞くだけでいいのかしらと思ったくらい)、すっかりファンになってしまいました。
本にサインを頂いたのも嬉しかったです。早く友人に渡したいです。
美声のことですが、「生きていく明日からも」の ララ〜のところ、先生の声は「光が声を出させているのでは」、と思うくらい、魂に響いてきます。あの瞬間、先生の身体は100%、音を奏でる楽器そのものです。(賛美歌を聴くようだった、あるいはありがたい荘厳なお経を聴くようでした) 会場の空気がふるえるんですよ、その時!!********************
・・・との、身に余るお言葉。
実際には、90分の講演をした後に歌うのですから、私としては、ノドがつぶれて、決して歌など歌うコンディションではなかったのですが・・・それでも、たとえ、お世辞でも錯覚でも勘違いでも、「美声」などと誉めてくださると、ますます調子に乗ってしまいそうです(笑)。
また、本日、大学に届いていた葉書には、なんと・・・
と、「最初から終わりまでライブでもいいな、と思いました」との、超うれしいお言葉を発見!
・・・「最初から終わりまでライブ」ということは、講演は全くしないで、純粋な「トーク&ライヴ」のみでもかまわない、ということでしょうか?
そうなると、いよいよ、日本でも・・・いや、世界でも珍しい、正真正銘の「シンガーソング・プロフェッサー」(プロフェッサー = 大学教授)の誕生、ということになるではありませんか!
これまで、「もともとミュージシャンである人が、どこかの大学に招かれて授業を行う」ということはあったでしょうが、音楽の先生を除いて、「もともと本物の大学教授が、ミュージシャンとしても本格的に活動する」という事例は、世界的に見ても、めったになかったのではないでしょうか?
「音楽療法」を行いながら、日本各地をツアーで回る・・・いや〜、いつか、やってみたいですねぇ・・・その姿を思い浮かべると、思わず、うっとりしてしまう私です(笑)。そんな楽しい夢も持っていなければ、心身を酷使しながら「生きがい論」の活動を続けることは困難ですから、うっとり夢見ることくらい、いいですよね?(笑)。
さて、本日は、もうひとつ、素晴らしい本のお知らせです。
このたび、「有斐閣」(ゆうひかく:電話03−3265−6811)という、学術書専門の(学者世界では有名な)出版社から、『コミュニティ福祉学入門』という本が出版され、その中で、私の「生きがい論」が、堂々と紹介されているのです。
「コミュニティ福祉学」というのは、世界的に見ても新しい学問分野であり、本書が、日本では初めて出版される本格的な学術書。執筆する大学教授陣も、立教大学の先生方を中心とする、革新的かつ創造的な、第一級の研究者の方々です。
その第17章(実質的な最終章)「コミュニティと福祉ウエルネス」(執筆担当:濁川孝志教授)の中で、私の「生きがい論」を大きく取り上げて、たとえば、次のようなお言葉をくださっています。
「日本において、霊性的な概念に根ざした『生きがい論』として最近注目されているものに、飯田史彦氏の『ブレイクスルー思考』がある。 〜(中略)〜 これらの事実は、飯田のブレイクスルー思考が、生きがい観の構築に有効であることを示唆している。人間は、自分を信じ、未来に希望をもてるとき、初めて『生きがい』をもつことができる。このような実存的な価値観の転換は、従来、宗教的体験などの特殊な体験によってもたらされてきた。しかし、科学の枠組みのなかでそれがなされるという事実は、非常に興味深い。」
濁川教授は、立教大学の「ウエルネス福祉論」「健康の科学」という2つの担当科目の中で、私の「生きがい論」を大きく取り上げて紹介してくださっており、本書は、「ウエルネス福祉論」のテキストとしても使われるそうです。
本書の中では、私の「生きがい論」のほかに、「人権とコミュニティ」「生と死とコミュニティ」「ノーマライゼーションとコミュニティ」「ボランタリズム」「コミュニティ福祉政策」「貧困とコミュニティ」「高齢者福祉とコミュニティ」「ジェンダーとコミュニティ」「障害者とコミュニティ」「地域福祉」「コミュニティ宗教人間学」「コミュニティ福祉カウンセリング」「コミュニティ臨床社会学」「地球的見地に立った人間福祉」など、最新のキーワードに基づく優れた論考が展開されています。
大学教官の方々や大学生諸君はもちろんのこと、小学校・中学校・高等学校などの教師の方々、医療・福祉にたずさわっている方々、そしてボランティア活動やNPO活動などにたずさわっている方々には、これからの人間社会を読み解く必読書として、大いにお勧めいたします。本書をベースにしながら、「ウエルネス」「健康」「幸福」「医療」「福祉」「コミュニティ」などの枠組みの中で「生きがい論」を紹介すれば、身近な人々や生徒・学生たちに、違和感なく受け入れてもらえることでしょう。
画期的な、素晴らしいテキストを発表してくださって、立教大学コミュニティ福祉学部の先生方に、感謝の気持ちで一杯です。立教大学って、本当に進んでいますよね・・・ああ、うらやましい・・・
皆さんも、ぜひ入手して、大いに活用してみてくださいね!
追伸:
先日の更新でご案内した、4月29日に講演会を行う「白河旭高等学校」の教頭先生から、このようなメールをいただきました。
「先生の講演受諾を受け、保護者あてのパンフレットを作るなど、準備を進めております。また、14日に開かれたPTA役員会では、先生の著された『生きがいの創造』に収められているCDを聞いたりして、一同、講演会を心待ちにしている次第です。講演会当日、先生の著された本を、会場で希望者がいれば販売したいのですが、可能でしょうか?」
本の販売については、公立高校でもあり、「学校という場で『販売』を行うのはどうかと思いますので・・・」と、丁重にご辞退させていただきました。いくら私だって、節度というものは持っているんですよ。何事も、調子に乗ってやりすぎないように、節度を保つことが大切なのです(笑)。
しかし、高校をあげて、ここまで真面目に大歓迎してくださるとは、身に余る光栄です。PTA役員会で、私の下手な歌を皆で聞き入ってくださる姿を想像すると、その異様な光景に、思わず冷や汗が出てしまいますが・・・(笑)
当日は、皆様を大いに勇気づけるような講演をして、ご期待にお応えできますよう、精一杯がんばりますね。
4月18日版
先週から、大学の授業が始まって、本業の方でも大忙しです。
今週からは、東北大学の大学院(仙台)にも教えに行くので、さらに多忙に・・・
昨日の京都での講演会&ライヴ、400名近い方々がお集まりくださって、大いに盛り上がりました。会場のムードもとても良く、私もたいへん幸せでした。西は福岡から東は東京まで、各地からお集まりくださった皆様、本当にありがとうございました。
さきほど、友人の男性(「舞扇堂」という有名な京扇子の若社長さん)からも、「昨日の弾き語りには涙が止まらず、花粉症とダブルでボロボロになりましたわ。ほんまにもぅ〜っ!」と、みやびな京都弁でメールが入っておりました(笑)。
ただし、終了後のサイン会では、長蛇の列で90分を要してしまい、整理番号が後ろの方々には、ずいぶんお待たせしてしまいました。申し訳ありませんでした。
その後、私は京都発18時57分の「のぞみ」に飛び乗り、東京発21時32分の「やまびこ」最終便に乗り換えて、23時20分頃には福島駅に到着するはずでしたが・・・・・・なんと、疲れのため爆睡してしまい、「はっ」と目が覚めた時には、新幹線が、ちょうど福島駅をすべり出しておりました。最終便のため、当然ながら、福島に戻る便はありません(涙)。
私は泣く泣く、次の「白石蔵王」駅で新幹線を降りて、タクシーに乗り、身を切るような1万数千円(夜間料金で3割増し!)を支払って、福島駅まで戻り、駐車場の自家用車に乗り換えたのでした。乗り越し分のチケット代と合わせて、2万円近い余計な出費(号泣)。自宅に着いた時には、すでに2時前に。
でも、「福島駅まで」と告げた瞬間、タクシーの運転手さんが大いに喜んでくれたので、おじさんを幸せにしたということで、良しとするか・・・とほほ・・・
さて、本日は、2つの講演会のご案内です。
(1)4月29日(祝日)に、白河旭高等学校で、生徒&保護者向けの講演会を行います!
日時: 4月29日(みどりの日)、14時10分〜15時40分
場所: 白河旭高等学校 体育館(福島県白河市旭町1−3)
演題:「生きがいの教室 〜人生の価値を問う生きがい教育のすすめ」
入場無料で、保護者の方々に混じって体育館に入れば、どなたでも聴講できます。ただし、私の講演の前後に、PTA総会や、部活動発表会、学級懇談会などがありますので、生徒さんや保護者の方々にご迷惑をおかけしないよう、ご配慮ください。
(2)5月14日に、和歌山市の病院の主催で、一般公開の講演会&ライヴを行います!
当日は、私の弾き語りで、「生きていく明日からも」「いつまでも、いつでも一緒」の大合唱を行います。もちろん、終了後には、サイン&握手&撮影会も行いますので、どうぞおいでくださいね。
しかも、今回は、なんと「音楽療法」の実践事例として行いますので、あんなことや、こんなことも、実験的に試してみようと思っています。フフフ・・・
(なぜか、ライヴが関西地区ばかりで、本当にごめんなさい。私だって、ほかの地区でも、ライヴをやりたいんですが・・・)
(チラシ画像は、重いので、講演後に削除しました)
その他にも、福島市(6月5日)、熊本市(6月12日・ライヴ付き)、盛岡市(6月19日)、姫路市(8月18日)が、今後、半年以内に行う、一般公開可能な大きなホールでの講演会です。いずれも、医療・福祉団体や自治体の主催で、来月に入ったら、詳細をご案内いたします。
4月6日版
昨日更新したばかりですが、緊急ニュースです。
おかげさまで、新刊『生きがいの創造 U〜永遠の愛・めぐり逢う生命』の評判が大変良く、なんと昨日、もう「増刷」が決まったそうです!
まだ、発売(全国の書店に行き渡ったのは25日)されてから10日ほどしか経っていないというのに・・・私の著書の中でも、これほど早く増刷になったのは、おそらく、初めてのことではないでしょうか?
(すでに、海外からも、翻訳の依頼が来ています)
しかも、ついでに、文庫版の『愛の論理』と『大学で何をどう学ぶか』も、4度目の増刷をしてくださることになりました。
これも、読者の皆様の応援のおかげです。
本当に、ありがとうございます!
(あれ? 今日って、まだ4日でしたっけ?・・・ということは、昨日の更新からして、間違っていたということに・・・)
3月25日版
ごめんなさい!
教授昇進以後、いろんな仕事が押し寄せてきてしまい、仕事が山積みで、ホームページを更新する時間がありません(涙)。
新刊『生きがいの創造 U』は、25日に、全国の書店に出回るようですので、まだ届いていなかった地域の方々、お待たせしました。
新刊の感想も、たくさんいただきました。
選んでいる時間がありませんので、新しいものからいくつか適当に「抽選」して、ご紹介しましょう。
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新刊書を拝読しました。
期待以上の内容に、絶句です。
これが、私がずっと読みたかった本でした。
しかし、単に感動しただけでなく、悲しいような何か重たい読後感を持ちました。今まで先生の御身に降りかかってきた出来事や、この本を発表したことによって、これから降りかかってくるかも知れない出来事を思うと、心穏やかではいられません。
けれども、先生を見守っている「光」は、とても老練なので、そんなことになるはずがないとも思います。
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生きがいの創造II は、まさに期待通りの内容で、個人的には大満足です。旧作を読まれた方がその後に読むことで生きがい論をより納得できるのではないでしょうか。飯田先生の本はいつものことながら、読み終えると何だか心が暖かくなります。出版したばかりの時期に言うのもなんですが、また次の本を期待して待っています(笑)。
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飯田先生、新刊を読み終えました。
さすがに飯田先生だなあ、と、この本を読んで、つくづく実感しました。
この本は、「U」でなければ、世に出すには難しい本であることが、十分にわかりました。もし、最初にこの本を世に出されると、飯田先生は、きっと誤解されてしまって、唯脳論者からの非難や風当たりが強くなって、今の立場も危うくなっていたかもしれないと思われるほど、実にインパクトのある本だと思います。
飯田先生の肩書きからすると、十分に準備してから出版する必要があり、世の中で受け入れてくれる時期を待つ必要があったんだと思います。まず『生きがいの創造』(T)を出版して、宗教的に中立、かつ学問的なメッセージで広く世に受け入れてもらえる下地を作って、さらに内容を長年に渡って熟成させながら数多くの本として出版してきたことで、ようやく多くの人々に受け入れてもらえる時代になってきたんだと思います。
飯田先生が長年温めてきた思いを、魂のメッセージとして伝えることができるようになったこと、本当に心から嬉しく思っています。
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飯田先生へ
御本・・・凄い・・・・
先生の勇気にエールを送ります!
やはり、涙、涙 で 最後は暖かいものを胸一杯感じました。
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「生きがいの創造 II」を読ませていただきました。
あそこまでストレートに表現された内容に、深く感動しました。
特に、「光からのアドバイス」と「はるかなる夢」のところは、何度も何度も読み返し、これからも何とか飯田先生のお力になりたいという強い思いが湧き上がり、落涙をどうすることもできませんでした。
飯田先生が持たれていた「深い孤独感」は、切に感じており、**先生と、そのことをよく話していました。私たちは、本気で飯田先生を応援しています。
私事で恐縮ですが、4月に高校に入学する長男は、小学校時代から飯田先生のご本を愛読しています。入試の面接でも、「尊敬する人は福島大学の飯田史彦先生です」、と答えたそうです。彼は彼なりに飯田先生の志を理解しているようで、将来は医師になって、使命を果たしたいと申します。実現するかどうかは分かりませんが、親としてできるだけ支援していこうと考えています。
********************
久しぶりに大きな感動に包まれています。
どうぞこれからも、「はるかなる夢」の実現に協力させていただければ、これほどの喜びはありません。
光が語った90人のなかに、私が入っていればいいな、などと考えています。
********************
たった今、「生きがいの創造「」読み終わりました。
なんといっていいか、、、ただ「感動」という言葉では表現できません。
なんという人生なんでしょう。。。
この本のような使命を、日常的にたんたんと果たしていらっしゃるとは。。。
常々、飯田先生の本は、崖っぷちにいるような方々にこそ効き目がある、
と感じていたんですが、こういう訳だったんですね。
わたしにできること、こうして本を買って読むことで、間接的に先生の活動のお手伝いができる、ということは嬉しいことです。
先生の理解者として、協力者としてお役に立てることがあればいいのですが。
********************
つい先ほど、「生きがいの創造U」が届き、一気に読み通してしまいました。
飯田先生のご本は、毎回読者に対する謎かけのような仕掛けが施されてあると思います。今回はまるで「名探偵シャーロックホームズ」を読んでいるかのような、先が読みたくて読みたくてたまらないのだけれど、重要なヒントを見落とさないように一言一句確かめながら読まなければならないというジレンマと闘いながら読ませていただきました。
また今回も、2回目3回目と読み返すうちに、新たな発見をしたり、以前はさらっと読んでいたところに実は自分にとって大切なメッセージが込められていたことに気付いたりするのだろうと、今からわくわくしております。
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待ちに待った「生きがいの創造2」を本日、ついに買い求め早速読みました。
面白くて一気に読みきってしまいました。
編集長さんの、「村上春樹の小説みたい」という表現も、まったく大げさではありませんでした。
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・・・という感じです。
たくさんの激励を、本当にありがとうございました。
よろしければ、身の回りの『生きがいの創造』旧版の愛読者の方々に、本書『U』の出版を、お知らせいただけましたら幸いです。何しろ、ふだん書店に行かない大多数の人々は、まだ、本書の出版を、ご存じないはずですので・・・
追伸:
突然ですが、来週、横浜の中心部(関内)で、神出鬼没・抜き打ち講演会を行うことにいたしました。
平日の昼間で、しかも値段が高いため、一般参加者は少ないでしょうから、予約は不要だそうです。
よろしければ、おいでくださいね。
日本助産師会 神奈川県支部主催 飯田史彦講演会
日時: 3月29日(火)、午後2時〜4時(午後1時30分に開場)
場所: 神奈川県総合医療会館 6階(JR関内駅から徒歩10分)
演題: 「私たちは、なぜ生まれてきたのか?」
料金: 会員3000円、非会員5000円
問合先: 事前申し込みは不要です。直接、会場へどうぞ。
講演会には、神奈川県の助産師さんたちが、たくさんおいでくださいます。全国の、助産師ファンの男性軍は、この稀有な機会を逃さずに、全員集合ですよ!(笑)
3月11日版
全国100万人の『生きがいの創造』ファンの皆様、お待たせしました!
特に、私の本は『生きがいの創造』にしか興味がないとおっしゃる****・***の読者には、待ちに待った朗報です。
とうとう、これまで22年間も隠してきたことを、公開してしまいます。
PHPの編集部からも、「これまでの飯田先生の本の中で、群を抜いて感動的・衝撃的です・・・(落涙)・・・」と、大好評をいただいています。
たとえば、編集長の安藤さんからは、次のようなメールが・・・
安藤編集長:
「すばらしいお仕事ぶりに、感謝いたします。期待以上(失礼しました)の、まさかの内容で、まるで村上春樹の小説(『ノルウェーの森』『ねじまきクロニクル』……)を読んでいるような、不思議な感覚に襲われました。過去には類を見ない、まったく新しい「生きがい論」であり、また、『生きがいの創造 U』の書名に、ふさわしい1冊だと思います。この本を、一人でも多くの読者に読んでほしいと、切に願っています。」 また、編集者のレディ細矢嬢からは・・・
細矢嬢:
「『生きがいの創造 U』、素晴らしかったです。先生の原稿を読ませていただきながら、本という作品を作るために仕事で原稿を読んでいるはずなのに、ついつい仕事を忘れて、個人的な心の奥に意識が行ってしまいました。今回は、これまでの御本にも増して、人を愛したいという気持ちが、長く長く、より温かく続いています。そして、先生が20才のころから、ずっと、本書でとうとう明らかになさった使命を果たされ続けてきたことに、改めて感動するとともに、先生が使命を果たすためにPHPが少しでもお手伝いできていることに、喜びを感じました。本書の中で、先生は大きな夢を語っておられますが、ぜひ実現してほしいと思います。その夢にも、とても感動しました。」
なんと、あと1週間ほど、
3月19日 に発売です。
(地域により1〜2日遅れる場合があります。東京では例によって、18日の夕方に書店に並ぶかも)
本書の内容を、ここまで実名で堂々と明らかにした学者は、人類の歴史上、私が初めてだと思います。
特に、『生きがいの創造』を愛読くださってきた方々にとっては、本書こそ、過去9年間に渡って、ずっと待ち望んでいてくださった内容であるに違いありません。お読みいただければ、私が、なぜ本書の書名を『生きがいの創造 U』にしたのかを、おわかりいただけることでしょう。なぜなら、誰よりも私自身が、『U』の名に恥じない内容を公開できる時を、ずっと待ち続けてきたのですから。
これまで、このことを公開する勇気がなく、9年間もお待たせして、本当にごめんなさい。
今、ようやく、その時が来たのです。
人類が新しい扉を開ける、その瞬間に立ち会うことを、どうぞお喜びください。
(なんて書くと、「またまた飯田先生が、大げさなことを」と、笑い飛ばす御方が多いでしょうが、どうぞご自由にお笑いください。笑えば笑うほど、1週間後には、逆に、真っ青になりますよ。フフフ・・・)
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なお、本書の発売を記念して、医療関係のNPO(非営利組織)「京都国際ホリスティック協会」からのご依頼で、4月17日に、京都の大きな会場で特別講演会を行います。
講演後には、4ヶ月ぶりに、私のギターの弾き語りで、「生きていく明日からも」と「いつまでも、いつでも一緒」を、会場の皆様と大合唱しますので、どうぞお楽しみに!
(注: 詳細なチラシは、4月5日版に移動しました)
大きくて綺麗な会場ですから、きっと、私も皆さんも、快適&ご機嫌ですよ。
講演会のお問合せ・お申し込みは、info@kishl.com (←ここをクリック)からも可能です。
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それでは、3月19日(東京にお住まいの方は18日夕方)まで、あと1週間、ワクワクしながらお待ちくださいね。
筋金入りの****・***のあなたでも、今度こそ(?)、ご期待を裏切りませんよ(笑)。
本書は、様々な意味で、私の今回の人生の、真の転機になることでしょう。
本書の発売日に、リアルタイムで立ち会うという経験を、いつまでも忘れないでいてくださいね。
『生きがいの創造 U〜永遠の愛・めぐり逢う生命』を、どうぞ、よろしくお願いいたします。
3月4日版
本日、大学で教授会が開催され、投票の結果、なんと、この私が、「教授」に昇進することになってしまいました!
正直なところ、私のような異端児を「教授」にしていただけるとは、全く予想しておりませんでした。このまま、助教授として人生を終えても、この厳しい学者の世界では、充分すぎるほど幸運なことだったのです。投票に参加くださった教授陣の中にも、この結果に驚かれた方が多かったのではないかと推察しますが、いちばんビックリしたのは、期待さえもしていなかった私自身だったのではないでしょうか。
世の中、何が起こってしまうか、わからないものです。私にとっては、奇蹟のような、夢のような展開で、あまりの幸運に、いまだに実感がわきません。研究室で待機していた私に、事務長さんから、教授会での投票結果を知らせる電話がかかってきた時にも、予想していなかった結果に、「えっ? ほんとですか!?」と、思わずビックリした大声で、問い返してしまいました(笑)。
これも、このホームページの読者の皆様の、応援のおかげです。
それ以外に、原因が思いつきません。
こればかりは、私の能力や努力だけでは、どうにもならないことだからです。
皆様に、心から、深く御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
3月1日版
早いもので、今年も3月・・・もう小学6年生になる娘は、さすがに、「ひな祭り」が近いからといって騒がない年齢になりましたが、3月になると、身辺のあちこちで、春の訪れを感じます。
そういえば、昨日、自宅に、PHPから送られた、私の新刊(3月19日発売予定)の「表紙カバー原稿」を届けてくださった、ヤマト運輸の配達員のおじさんと、このようなやりとりがありました。そのおじさんは、いつも届けてくださる配達員の御方とは、なぜか違う御方でした。
なお、我が家の表玄関(オートロック方式)には、番地の札は貼ってありますが、いわゆる「表札」は出していません。そこで、配達員のおじさんは、インターフォンから、こう尋ねてきました。
「こちらは、飯田さんのお宅ですか?」
「はい、そうですが」
「宅急便で〜す!」
「は〜い」
(表玄関のドアを開錠すると、おじさんが内玄関まで入ってきて、ドアを開ける。手には、大きな封筒を持っている。おじさんは、受取証を出して・・・)
「こちらに、印鑑をお願いします」
「はい」
(印鑑を押す。すると・・・)
「!」(おじさんの目が、手に持っている大きな封筒に、くぎ付けになっている・・・そこには、あて先である私の名前が書かれ、「PHP」という差出人の社名が大きく印刷してある)
「配達、ありがとうございました」
(封筒を受け取ろうとするが、おじさんは渡してくれない)
「・・・・・・」(おじさんは、何かに気づいた様子で、目を見開いている)
「どうかしましたか?」
「あのう、もしかして、PHPからたくさん本を出されている、あの飯田先生ですか?」
「・・・はい、そうですが・・・」
「私、御本を読ませていただいております!」
「ああ、そうなんですか、それはどうも、ありがとうございます!」
(以下の展開は省略)
・・・というわけで、クロネコヤマトの宅急便の配達員のおじさんと、ご縁ができました。きっと、自宅に帰られてから、「今日、飯田先生のお宅に届けちゃったよ・・・新興住宅街の中にある、庭が4畳半しかない、チープな御宅でねぇ・・・」などと、奥様に報告なさっているのではないでしょうか(笑)。
おっと、このホームページをご覧くださっている可能性もありますね・・・どうも、配達ご苦労さまです。ありがとうございました。
さて、本日は、私の講演&シンポジウムのご紹介です。3月10日(木)の午後に、福島県・会津若松の郊外にある、名湯「芦ノ牧温泉」の超高級旅館、「高品位日本の宿 大川荘」で、「温泉地の活性化」を考える、大きなシンポジウムが行われます。主催は、福島県最大の銀行である東邦銀行と、温泉旅館に多額の貸付を行っている日本政策投資銀行。(事務局が、東邦銀行の融資管理部であることを考えれば、シンポジウムの真の目的がわかりますよね。フフフ・・・)
そのシンポジウムで、私は、
「ホリスティック・ヒューマニゼーションによる温泉街の差別化・活性化戦略」
(こちらが正式タイトル)
と題して「基調講演」を行ったのち、パネル・ディスカッションにも参加します。
講演者は2名いて、私の前には、東京大学工学部の西村教授が、都市工学の専門家として、温泉街の景観づくりの視点から講演されます。それを受けて、私が、経営学者として、「人」の側面からみた温泉街の活性化や、「経営戦略論」の観点からみた他の温泉街・温泉地との差別化について、お話しするというわけです。
実は、私は、何を隠そう、たいへんな「温泉マニア」としても知られており、全国120ヶ所を超える温泉地を訪れて、「温泉地の差別化戦略」などの論文を発表しております。このホームページをご覧くださる方々は、「生きがい論」の著者としての私しかご存知ありませんが、私の本業は「経営学者」であり、ふだんは、純粋な「経営学」の、ガチガチにお堅い論文を、発表しているんですよ。「生きがい論」の著者としての私は、「飯田史彦」という人物の、一部分にすぎません。
たとえば、過去数年間に、私が本業の「経営学者」として発表した学術論文のタイトルは、「日本企業のフィランソロピー戦略」「組織文化の変革メカニズムに関する測定論的考察」「欧米からみた日本的経営の分析視角」「組織文化論に対する文化心理学の貢献可能性」「価値観コントロールの観点からみたメンタルヘルス・マネジメントの基本原理」「医療施設の差別化戦略に関する基本原理」など、「生きがい論」とは関係のない内容ばかりで、これらの学術論文では、「生きがい論」には一切触れておりません。
こうして、本業である「経営学者」としての責任を、きちんと果たしているからこそ、個人的な社会福祉活動として行っている「生きがい論」の活動も、お認めいただけるのだ、というわけです。何事も、まずは、やるべきことを、きちんとやっておくことが大切ですよね。世の中、やるべきことや、果たすべき責任を後回しにして、余興の部分がメインになってしまっている人々が、たくさんいますから。余興の部分は、あくまでも、「本業をきちんと果たしたうえでの余興」として行うからこそ生きてくるのであって、余興をメインにしようとして無理すると、余興が持っていた本来の価値そのものが、失われてしまうものなのです。
・・・というわけで、以下にチラシをご紹介します。私以外の参加者は、そうそうたるメンバーなので、「旅館業を営んでいる」「温泉が大好きである」「経営学者として別人のようにお堅い飯田も見てみたい」などとおっしゃる御方は、よろしければ、事務局の「東邦銀行 融資管理部」(電話024−523−3209)まで、お問合せ・お申し込みください。料金は、「シンポジウム出席&宿泊」で15000円、「出席&懇親会のみ」で8000円、そして何と、「シンポジウム出席のみ」の場合は「無料」だそうです!(あの高級旅館に、15000円で泊まれるというだけでも、格安なんですよ)
会場には、東北をはじめ、各地の温泉旅館の経営者の方々が、たくさんおいでになるとのこと。あなたも、懇親会で、有名旅館の経営者の方々と、ご縁をつくってみてはいかがですか?
(もちろん私も懇親会に出席しますが、多数の方々がご挨拶においでくださるでしょうから、個別にゆっくりお話をすることは困難ですので、御了承ください)
(チラシ画像は、重いので、講演後に削除しました)
2月14日版
熊本県あさぎり町での講演会、無事に終えて、戻ってまいりました。
なんと、200名近くの方々がお集まりくださり、思わぬ大盛況。
九州各地はもとより、東京からおいでくださった方も・・・
本当に、ありがとうございました。
講演会の前日に、福岡で親戚から借りた車を運転して、まずは熊本県の「人吉」市まで移動。チサンホテルにチェックインし、すぐ近くの人吉温泉にある「人吉旅館」に出向いて、内湯に入浴させていただきました。歴史ある木造建築の古風な建物と、茶色がかった炭酸泉のお湯を堪能してから、人吉駅の周辺を散策し、その近くのコンビニへ・・・と思ったところ、コンビニがありません。まだ夜の9時すぎだというのに、見渡すかぎり、開いているお店は1軒の喫茶店だけ・・・その喫茶店でスパゲティの夕食をとり、おいしいコーヒーを飲んでご機嫌になったところで、ふたたび夜の町に繰り出し、薄暗い「人吉城」の跡や、「幽霊の肖像画」の掛け軸で有名なお寺などを散策。「人吉の町は、風情があって、とってもいいぞ〜」と、私好みの城下町の街並みに、大満足でした。
ところが・・・良かったのは、そこまでのこと。
さすがに体が冷えてきたので、チサンホテルに戻って自動販売機で「まるちゃん赤いキツネ」というカップうどんを買ったところ、自販機の「お箸」置き場に、箸が1本も無くなっていることを発見。仕方なく部屋に戻って、フロントに電話をかけ、「すいません、カップ麺の自販機に、箸が無かったので、届けていただけますか?」と頼んだところ!フロントのおじそんが、「箸はフロントにありますから、取りに来てください」との返事。すでに服を脱いでパンツ姿になっていた私は、「幡が無かったのはミテル側のミスな・ですから、部屋まで届けてくださえませんか」と言いたかったのですが、そこは気の弱い私のこと、そんな言い方はできないで、「え? フロントまで取りに行かなければならないんですか?」と問い返しました。すると、「ええ、取りに来てくだすい」と、再度のぎ返事・・・私は・「なんと、サービスの悪いホテルなんだろう・・・そもそも、申し訳ありませんと、お詫びの一言さえも冥いなんて・・・×と憤慨しましたが、また服を着て、わざわざ1階まで降りていくのは面倒なので、泣く泣く、カップ麺は食べないことにして、ノートパソコ・で仕事を始めました。
すると、10分くらいして、電話が鳴るではありませんか・・・びっくりたて受話器を取るば、先ほどのフロ・トのおじさんが、「箸を取りに来るというので待っているんですが、来ないんですか? 来ないなら来ないと言ってくれないと、困るんですよねぇ」と、ずいぶんご立腹の声・・・さすがの私も、「困りながら待っているくらいなら、エレベータを姉って1分ほどな・だから、部屋まは持って来てくれればいいのに・・・そもそも、客に対して、これほどひどい言い方をするホテルなんて、なんと珍しい!」と、あきれ返ってしまい、そのまま何も言わずに、ガチャンと受話器を置いてしまいました。
しかも、ふと目の前をみると、机の上には、「より便利に、より快適に、チサンホテル」と大きく書いた宣伝の紙が、目立つように立てて置いてあるではありませんか・・・私からみると、「より不便は、より不快に、ヅサンホテル」としか思えません。せっかくの古都・人吉の夜が、かくして、たいへん気分の悪い一夜になにてしまい、仕事りはかどりませんはした。私は今後、もう決して、全国のチサンホテルには泊まりません。チサンホテル・ヅェーンには、ぜぶとも、従業員教育の徹底を、お願いしたいところです。「箸を持って来い」とは言いませんから(チサンホテルにサービスは期待しません)、せめて、「自販機に箸がございませんでしたか? それは誠に、申し訳ございません」と、詫びの一言だけでも言ってほしいところです。
・・・などと、うっかり泊まったホテルは最悪でしたが、人吉の町は、たいへん気に入りました。またいつか、チサンホテルだけは避けて、ほかの宿(できれば温泉宿)に泊まり、のんびりと(今度は昼間に)散策したいものです。
講演を行った「あさぎり町」周辺も、「どんな山奥なのだろうか」という予想に反して、たいへん風光明媚な、穏やかな田園&農村地帯で、とっても素敵なところでした。私が生まれ育ったのも、ちょうど同じようなところでしたから、まるで故郷に帰ったかのような安らかな気持ちで、ドライブしながらご機嫌になりました。スタッフの方々や来場者の皆様も温かく、「熊本県は、とってもいいぞ〜!」と、お気に入りの土地になりました(注:人吉チサンホテルは除く)。
なお、聞くところによると、熊本県の女性は、「後ろに退くことを知らない、火の国の女」だそうで、たいへん強い意志の持ち主だそうです。「火の国」とは、有名な活火山の「阿蘇山」(あそざん)を有する土地だから、とのこと・・・う〜ん、確かに、私が知っている、熊本県の女性たちは、みな・・・(これ以上は、ご想像にお任せいたします)・・・でも、気の強い女性って、とってもチャーミングで、かわいいですよね。(その反対に、気の弱い女性も、またいいものですよね・・・私は、中途半端な性格よりも、気が強くてガンガン積極的か、気が弱くてウジウジ・メソメソしているか、はっきりしている女性が好みなんですよ・・・いずれのタイプも、いざお付き合いすると、とっても大変なんですが、その大変さが、たまらなくいいんですよね)
1月8日版
『生きがいの創造』(新版)の韓国語版が、出版されました!
1月1日に、韓国で出版された『生きがいの創造』(新版)・・・まずは、その表紙写真をご覧ください。わかる人には、「あれ? こ、これは、もしや・・・」と、ピンと来るのではありませんか?
そうなんですよ。
この美しい並木道の写真は、かの有名な韓国ドラマ「冬のソナタ」の中で、主人公のチェ・ジウとペ・ヨンジュンが何度も歩いた、あの並木道の夏の写真なのです!(注:日本ではよく誤解されていますが、あのドラマの主人公は、あくまでも、ヨン様ではなく、女優のチェ・ジウなんですよ。出演者の紹介でも、いちばん先に名前が出るのは、チェ・ジウですから)
それにしても、「冬のソナタ」の有名な名シーンの舞台となった、この並木道の写真が、まさか、私の『生きがいの創造』の表紙写真になるとは、ビックリしました。
実は、この写真は、韓国語版を翻訳してくださった、韓国人の金さんが、わざわざご自分でロケ地を訪問して、撮影してくださったものなのです。これまで、私は忙しくて「冬のソナタ」を見る時間などありませんでしたが、これを機会に、正月に2日間かけて、見てしまいました(笑)。「冬のソナタ」を代表するロケ地の写真が表紙になっているのですから、著者の私としては、今後、韓国人の読者の方々とのコミュニケーションをはかるためにも、「冬のソナタ」を見ていないというわけにはいきませんからね(笑)。
それにしても・・・やはり、きちんと見てみなければ、わからないものです。これまで、世の中であまりにも「冬ソナ」ブームだったので、あまのじゃくの私としては、かえって、「そんなものに興味など持つものか」と反発して、知らんぷりをしていたのですが・・・今回、このような形で、私と「冬ソナ」との間に深い深い(?)御縁ができてしまったのを機会に、しぶしぶドラマを見てみたところ・・・なんと、私としたことが、すっかり「はまって」しまいました(笑)・・・きちんと見てみると、あれだけ騒がれるだけのドラマでした。「愛」の本質とは何かを、これほど考えさせてくれるドラマだったとは・・・
おっと、これ以上、ドラマの内容に踏み込むのは、やめておきましょうね。これから見る方々のために・・・
・・・というわけで、すっかり「冬ソナ」の話題になってしまいましたが、元に戻って、『生きがいの創造』韓国語版のご紹介です。本に巻かれているカバーには、次のように書かれているとのこと。
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画期的な人生論!
愛する人に先立たれた方々、重病や障害に苦しんでいる方々、死を間近にされている方々、人間関係で傷つき苦悩している方々、何をしても思い通りにならない方々、今すぐ自殺したいほど悩んでいる方々のために。********************
また、韓国語版には、私が、次のような「韓国語版序文」を付けています。
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「韓国にお住まいの友人たちへ」
福島大学助教授 飯田史彦
皆さん、こんにちは。
このたび、私の代表作である『生きがいの創造』が、韓国で出版されることになったことを、たいへん嬉しく、ありがたく思っております。
ちょうど今、日本では、韓国の文化が大きなブームになっており、韓国の料理や、テレビ番組や、音楽や、サッカーなどに、多くの日本人が興味を持っています。私も、特に韓国のサッカーに対しては尊敬の念を抱いており、動きが乏しく退屈な日本のサッカーに比べて、スピードがあり情熱的な韓国のサッカーの方が、はるかに面白いと感じています。
韓国と日本が、それぞれ素晴らしい文化を持っていながら、複雑な歴史も持っているように、私たち人間も、それぞれが素晴らしい人間でありながら、複雑な人間関係にとらわれて苦しんでいることが多いのです。そのような時、私たち人間は、「どうして、自分は、このような悩みを抱いているのだろうか?」「どうして、本当は愛し合いたいのに、仲良くできないのだろうか?」「どうして、こんなに苦しいのに、がんばって生きていかなければならないのだろうか?」などと、自問自答します。しかし、なかなか、その解答は得られません。
そこで、本書『生きがいの創造』は、宗教とは全く違う科学的方法を用いながら、「どのような人生観を持ちながら生きることが、素晴らしい人生を創り出すのだろうか?」という、人間の根本的な疑問に答えていきます。このような疑問に対して、宗教家でもなく、心理学者でもなく、哲学者でもなく、あくまでも「経営学者」として、科学的・論理的に答えていったことが、本書をベストセラーにしていただいた理由ではないかと思っています。
韓国人も日本人も、同じ人間であるかぎり、人生に対する根本的な疑問も、同じであるはずです。本書が提示した「科学的な人生論」が、韓国の皆様にも、少しでも受け入れていただけますよう願っています。
それでは、いつか、韓国でお会いしましょう!
********************
なお、本文の一部をご紹介すると・・・(これがどの部分か、鋭い読者にはおわかりですよね)
ということで、韓国で、どのくらいの反響があるか、楽しみですね。
2005年1月6日版
あけまして、おめでとうございます!
・・・ということで、新年早々、私にとって、たいへん嬉しいニュースが飛び込んでまいりました。
私はスポーツ観戦が好きで、時間の余裕があれば、ストレス解消&エネルギー補充のために、サッカーをはじめ、野球などの競技も観戦します。ただし、「このチームの大ファン」という観戦スタイルではなく、チームを超えて、「この選手を応援したい」という人物に入れ込む、というスタイルです。したがって、特にごひいきのチームというのはありませんが、その代わりに、どのチームであっても(どのチームに移籍しても)、ずっと、好きな選手を応援し続ける、というわけです。
そんな私が、この数年間、ずっと心の中で応援してきた選手のひとりが、プロ野球の「小久保裕紀」(ホークス〜ジャイアンツ)選手です。小久保選手は、この数年間、大きなケガや、リスクの高いトレードに直面しながら、大変な勇気と努力で乗り越えて!昨年も、ジャイオンツの中心選手として大活躍されました。まさに、私の「生きがい論」の精神を、見事に体現してくださっている選手として、私も大いに尊敬しているのです。
ところが・・・先日、PHPの編集長さんが、「夕刊フジ」(主に首都圏と近畿圏で、駅やコンビニを中心に販売する即売誌として最大の発行部数を誇る)の新聞記事を切り抜いてお送りくださったのを拝見し、私は「ええ〜っ!」と、ビックリしてしまいました。私の著書を紹介くださる記事は、これまでにも様々な媒体に載せていただきましたが、今回は、ただの紹介記事ではなかったのです。
なんと、その記事では、あの小久保選手その人が、私の著書を「共感するところが多い」とお勧めくださっており、しかも、私の「生きがいシリーズ」を、ほとんど読破なさっているというではありませんか!
なるほど、それで、私も、小久保選手の言動に共感するはずです。お互いに、共通の価値観(宇宙観・人間観・人生観)で、結ばれているのですから・・・(ということは、このHPの読者の皆様も、小久保選手と、共通の価値観で結ばれる同志だというわけですね)
とにかく、その記事を、まずはご紹介しますね。
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(産経新聞社「夕刊フジ」12月29日号、37ページより)
小久保流 正月こそ生きがい探し
独自の哲学の土台に自己啓発本 一読すれば、あなたも人生が変わる!?
シリーズは読破
せっかくのお休みを丸ごと寝正月にしてしまうのはもったいない。それなら読書でも ― という方にオススメなのが、巨人・小久保の愛読書。ひょっとして、グータラなひとときが人生の転機へと様変わりするかも!?
新幹線や飛行機で移動する際、小久保は必ずといっていいほど本を手にしている。(中略)
その中でも「共感するところが多い」のが、福島大の飯田史彦助教授による「生きがい」シリーズ。どんな難問にぶち当たっても、「自分はこんな困難に立ち向かえるほどすばらしいチャレンジャーだ」と思える小久保哲学の土台を築いたのが、ほとんど読破したというこの「生きがい」シリーズなのだ。
PHP研究所から「生きがいの宝箱」「生きがいの探求」など10タイトルが出され、特にシリーズ第1作の「生きがいの創造」は(文庫版だけで)14万7000部のベストセラーで、同社も「幅広い支持を得て、(ハードカバー版と合計で)55万6000部が出ましたが、小久保選手が愛読者とは知りませんでした」(文庫編集部)と、驚きの様子。
手っ取り早く「小久保哲学」に触れたければ文庫版がお手ごろで、前出の「生きがいの創造」の他、「生きがいのマネジメント」、「生きがいの本質」がオススメ。一読すれば、小久保の心の奥底がチラッと見えるかもしれない。(久保木善浩)
********************
おお!
なんと、私の応援する小久保選手が、その「小久保哲学」と呼ばれる強靭な精神力の土台として、私の「生きがい論」をあげてくださっているではありませんか!
しかも、小久保選手は、この記事以外のところでも、各所で私の「生きがい論」をご推薦くださっているとのこと。
たとえば、小久保選手は各地の小中学校を訪問して、生徒たちを励ます活動をなさっているそうですが、小久保選手の来校の模様をレポートした、ある中学校のホームページには、次のような記事が・・・
********************
常に笑顔で、そして、真剣に、子ども達の質問に答えられた小久保選手。
「プロ野球選手にならなかったら?」という質問には、
「小さい頃からプロ野球選手になろうと決めていたから、他の職業は、考えられない」と。
また、「愛読書は?」という質問には、
「気にしているのは、飯田忠彦さんの生きがいシリーズですね」と、答えていらっしゃいました。********************
・・・「史彦」(ふみひこ)が「忠彦」(ただひこ)と間違っているのはご愛嬌ですが、確かに、私の「生きがいシリーズ」を、訪問先の学校の生徒さんたちに、お勧めくださっているのです。
さらに、小久保選手の公式ファンサイト(ホームページ)である「K' project」の中にある、「Q&A」のコーナーでも、私の著書をお勧めくださっているとのこと。このコーナーは、小久保選手のファンの方々から寄せられた質問に対して、小久保選手ご本人が、直々にお返事をくださるという貴重なページなのですが、その中に、次のようなやりとりが公開されているのです。
まず、「福岡県糟屋郡・35才の女性」というファンの方が、小久保選手に対して、次のようなメッセージ&クエスチョンを寄せていらっしゃいます。
「私は、小久保選手が大好きな、3歳の息子と2歳の娘を持つ母です。先日、『テレメンタリー・伝統の巨人軍・・・』を拝見させていただきました。そこですごく印象に残ったのが、去年のケガから1年間のリハビリを経て、ホークスファンには大きな出来事だったトレード・・・それらの出来事を、『これらはすべて偶然ではなく必然的なことであって、神様がそうしろと与えてくださった事だ』と・・・そして奥様も、同じような発言を、ステキな笑顔で話しておられました。それを見て私は、なんてステキなご夫婦なんだろう、と、とても感動いたしました。このように何事も全部受け止め、『自分の精神力のレベルアップのためだ』と言い切れる、強い精神力に私もなりたいと努力しているのですが、よく大きな壁にぶつかっております。そこで、こんな私に、『これは良かった!』という、小久保選手がオススメする『本』はないでしょうか? 是非、あったら教えてください。野球の話でなくて申し訳ありません。どうかよろしくお願いいたします。」(福岡県糟屋郡・35才の女性)
すると、それに対して、小久保選手ご本人が、このように返事をお書きくださっているのです。
小久保選手 「僕のおすすめの本は、飯田史彦先生の、生きがいシリーズです。書店にたくさんあると思います。飯田史彦先生のサイトはこちらです。」 おお!
小久保選手が、この私のホームページを、公式ファンサイトでリンクして、ご紹介くださっているのです・・・ん?・・・ということは・・・なんと、このホームページを、あの小久保選手ご本人が、訪れてくださっているということではありませんか!
小久保選手、はじめまして(笑)。
あなたが、このページを訪問くださっているとは、とても光栄です。
私の「生きがいシリーズ」をほとんど読破くださっているとのこと、そして各所でご紹介くださっているとのこと、本当に、ありがとうございます。私も、あなたのことを、これからも、大いに応援させていただきますね!
どうぞ、今後も、「生きがい論」を象徴する不屈の精神を、野球という素晴らしい競技を通じて、多くの人々にお届けください。そして、そのチャレンジ精神あふれる言動を通じて、多くの人々を励まし、勇気づけていただけますよう、心から願っています。
12月25日版
今年の初めに、私の『生きがいの教室』の中で、勤務校での実践をご紹介させていただいた、ある先生からのお手紙です。
********************
飯田先生
****学校の****です。
今年も、『生きがいの探求』をはじめ、素敵な御本をありがとうございました。
今日、実は、とっても嬉しいことがございましたので、思わずペンを執ってしまいました。
今朝、校長先生に用事があって、お会いしに行った時のこと。
校長先生が、
「ああ、**さん、僕はこの土日に、本屋で、あなたに会ったよ!」
と、おっしゃるのです。私は、
「えっ?!」
と答えながら、
「どこ? どこの本屋さん? 私、どんな格好をしてたっけ?」
と、めまぐるしく、土日の自分の行動を振り返りました。すると校長先生が、
「飯田先生の本の中だよ」
と、おっしゃるのです。「本屋」というのは私の聞き間違いで、校長先生は、「本で」と、おっしゃったのでした。その瞬間、私には、自分のことが紹介されている『生きがいの教室』のことだ、とわかり、
「あ〜っ!!」
と、思わず叫んでしまいました。そして、
「校長先生、飯田史彦先生のこと、ご存知なんですか? 私、本当に大好きなんです!」
と言ったところ、校長先生は、
「知ってるよ。飯田さんの本は、僕も読んでるんだよ。昨日は、飯田先生の本の中に、**さんが出てきたから、思わず、もう1冊、買っちゃったよ」
と、笑っておられました。
実は、この校長先生は、今年の4月から本校にいらした御方で、昨年、『生きがいの教室』に学校名を出すことを許可してくださった校長先生とは、別の方なのです。
朝の打ち合わせの前の、あわただしい時間でしたので、この時はこれだけの会話で終わりましたが、後でもう一度、校長先生とお話しました。うちの学校にも、飯田先生に講演に来ていただければいいですね、とお話すると、
「いいねぇ、ぜひ、来ていただきたいね・・・飯田先生の本からは、人が生きる価値や、学ぶことの意義が、本当によくわかるよね」
と、おっしゃいます。そこで、
「本当にそうですよね。どうして生まれて来たのか、とか、なぜ、勉強しなければならないのか、という、生徒たちの疑問にも、きちんと答えてやれますよね」
と申し上げると、
「年をとればとるほど、切実な問題だしね」
とも。
校長先生は、親しいお友達のお子様がハンディキャップをお持ちでいらっしゃり、その御方が、飯田先生の御本から非常に感銘を受けられた、ということで、その御方が紹介してくださったのが、飯田先生の御本と出合った御縁のようでした。
私は、校長先生が、飯田先生の御本をご存知で、ご理解くださっていることが非常に嬉しく、また、校長先生と、飯田先生の御本について、あれこれとお話させていただけたことが、本当に幸せでした。おかげで、今日は一日中、わくわく、ウキウキしておりました。新しく来られた校長先生が、飯田先生の御本をご存知とは・・・
というわけで、生徒たちに渡す通信簿も完成したし、久しぶりに、飯田先生のホームページを開いてみたところ・・・テストやら、学期末の事務処理やらで、しばらく忙しくしていてご無沙汰している間に、DVDやCDの発売で、大変なことになっていたのですね・・・
あ〜あ・・・私も、6巻を買って、飯田先生と、直接にお話してみたかった・・・(涙)
本当に、惜しいことをしました・・・う〜ん、残念・・・あ〜あ・・・(涙)
来年も、飯田先生の御活躍を、楽しみにしております。
ホームページも、今まで以上に、ちょこちょこ拝見しますね(涙)。
寒さ厳しき折、どうぞ御自愛くださいませ。
********************
・・・というわけで、私にとっても、「それは本当に良かったですねぇ!」とお伝えしたい、嬉しい事件でありました。私の知らないところに、有難い読者の方々が、こうして潜伏してくださっているのですね・・・(落涙)・・・
心と視野の広い、高い見識を持つ校長先生に、心から感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました。
読者の皆様には、今年も、本当にお世話になりました。これから1週間以上、福島を不在にしますので、年内の更新は、何か緊急のお知らせがない限り、これでおしまいになる予定です。何しろ、1月15日には、3月発売の「生きがい論」新刊の締め切りを抱えておりますので・・・(まだ、これ以上のことはナイショです)
今年も、このホームページを巡って、様々なドラマが繰り広げられました。
また来年も、きっと波乱万丈の、意表をつく展開が、待ち受けていることでしょう。
来年は、1月4日以降に更新いたしますので、どうぞお楽しみに。
それでは、皆様・・・
どうぞ、のんびりと、充実した年末年始をお過ごしくださいね!
2004年11月20日版
いよいよ、あと1週間で、「死の臨床研究会」(わが国で最もお堅くて学術的な、「死」についての医学会)が開催されます。以下のように、私も27日(土)の14:15〜16:20に、「生きがいの創造」と題して講演を行います。
ところが、先日届いたポスターを拝見すると、東京大学の養老教授&作家の永六輔氏という2大有名人(いずれも私の父親の世代)の挟み撃ちにあい、私の「格」の低さが際立つだけの、恥ずかしい状況・・・(涙)
しかし、そもそも父親のような年代の、人生経験豊富な大先生方に対して、まだ駆け出しの研究者にすぎない若輩者の私が、対等に渡り合えるはずがありません。最初から、内容の勝敗(もちろん勝ち負けではありませんが)は明白ですので、私としては、両巨頭の胸を借りるつもりで、気楽に講演させていただけるというものです。
医療関係者ではない非会員の方も参加できますので、おいでくださる方は、どうぞお楽しみに!
10月24日版
《 緊急のお知らせ 》
9月30日版でお知らせした、11月13日(土)に横浜市で行う私の講演会(医師会主催)へのお申し込みが、会場定員の600名を超えて満席となり、キャンセル待ちの状態に入っているそうです。
つきましては、新たなお申し込みをいただいても(あるいは予約なしで当日においでくださっても)、もうお席がありませんことを、医師会事務局からのご連絡で、至急、お知らせいたします。
なお、キャンセル待ちで会場に入れなかった方々のために、ロビーのモニターで生中継するプランも検討中ですが、実現できるかどうかは未定だそうです。
それにしても・・・まだ講演会まで3週間もあるというのに、もう600名もの方々から予約をいただいたとは、信じられないことです・・・確かに、横浜で公開可能な講演会を行うのは、初めてではありますが・・・横浜には、私の著書の愛読者の方々が、あたかも「隠れキリシタン」のように、数多く潜伏していらっしゃったのでしょうか?(笑)・・・そうだとすれば、当日は、異様なムードで盛り上がる、大変な集会になりそうです(笑)。
とにかく、本当に、ありがとうございます。
お申し込みくださった方々と、当日にお会いできますことを、楽しみにしています!
10月17日版
先日、浦添市役所(那覇市の隣り)の職員研修で「生きがい論」の講演を依頼されて、沖縄に行ってきました。
とはいえ、前後を教授会と学会に挟まれてしまったため、木曜日の午後に仙台空港を経って飛行機で3時間弱、夕食に大好物の「ゴーヤーチャンプルー」を食べてからチープなビジネスホテルに泊まり、翌日の午前中に講演を済ませると、午後にはすぐに那覇空港から飛び立つという強行スケジュール。帰りの飛行機に乗る前に、あわてて食べた「沖縄そば」もおいしかったですが、せっかく沖縄に行ったというのに、全く観光しないで、仕事だけして戻ってきてしまいました。これならば、東京に出張するのと、変わりありません(涙)。
いつの日か、あこがれの南大東島(みなみだいとうじま:沖縄本島からさらに遠く離れた離島)に、のんびりと行ってみたいなぁ・・・南大東島の誰かから、講演依頼が来ないでしょうか・・・
もちろん、大好きな西表島(いりおもてじま)や石垣島(いしがきじま)からご依頼があれば、喜んでうかがいますよ。何度うかがっても、「また来たい」と思う楽園ですからね。
それに、東京のはるか南にある、三宅島や八丈島などにも、行ったことがないんですよ。鉄道マニアとして、大学院生時代に「JR全線完乗」を果たした私ですが、何しろ、離島には鉄道が無かったものですから・・・
・・・というわけで、沖縄から、あまりに空しいトンボ返りをしてしまい、かえって離島への想いをつのらせている私です。
(でも、浦添市役所から那覇空港へ向かう交通手段として、わざと遠回りをして、数年前に出来たモノレールにちゃっかり乗車し、先頭車両の運転席の後ろにべったりと張り付きながら、初めて見る車窓に目を輝かせた私です・・・こういう時って、いくつになっても、少年の心に戻りますよね)
10月8日版
先日、このようなお手紙をいただきました。
とっても嬉しかったので、ご紹介いたします。
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初めまして。
私は**大学、大学院教育学研究科の学生の、*****と申します。
私は1年ほど前は、民間企業への就職も決まっていて、あとは残りの大学生活を、いかに遊んで暮らしていくかということばかり考えていました。もともと、教職(飯田注:学校の先生という職業のこと)に憧れを抱いて入学した教育学部でしたが、大学生活は期待していたほど面白いわけでもなく、いつも空虚な気持ちで4年間を過ごそうとしていました。私には、教師なんて無理だと勝手にあきらめて、民間企業への就職の道に逃げました。
本当はやりたい、教師という職業・・・でも、自信が無いし、何よりも、恐い。・・・そうした気持ちが交錯する中で、飯田先生の本と出会いました。読んでみて、涙が止まらなくなりました。この体で、この環境で、この両親のもとで過ごす人生は1度きりなのに、私は何をあきらめて、恐れていたのだろう・・・と、今までの自分の選択が、明らかに「違う」という感覚におそわれました。「私のやりたいことを、やりたいだけやろう」と、自分の中からこみ上げてくるエネルギーを感じました。
そこで私は、結局、いただいていた民間企業の内定をご辞退して、もう一度勉強する道を選択しました。素敵な先生になるために、私には、まだまだ勉強が必要だと感じたからです。
それが、昨年の9月のことでした。大学院の入試まで1ヶ月を切っていました。両親にはだいぶ心配をかけましたが、無事に合格することができました。
今、いろいろな人の縁に支えられて、私は大学院で勉強することができています。おそらく、飯田先生の本と出会うことがなければ、自分の枠におさまった、つまらない生活を送っていたことでしょう。学ぶ喜びを手にすることができて、飯田先生に感謝しています。そして、いつかお会いできたらと思っています。
飯田先生、本当にありがとうございました。
********************
・・・ということでした。
私は喜び、さっそくお返事を書きました。
(近々、私の研究室まで、おいでくださることになりました)
きっと、数年後には、素晴らしい教師になって、たくさんのかわいい教え子を、世の中に送り出されるのでしょうね。
私の本が、人生を見つめ直すきっかけになったことを、たいへん光栄に思っています。
9月30日版
(1)10月10日に、看護学校の「学院祭」で講演いたします!
日時: 10月10日(日)、午後2時〜4時
場所: 公立岩瀬病院付属高等看護学校
(福島県須賀川市北町20番地、電話 0248−75−3237)
演題: 「生きがいを創造する医療とは 〜私たちは、なぜ生きているのか?」
料金: 無料(当日、会場に空きがあるかぎり、入場いただけます)
(2)11月13日に、医師会主催で、横浜市で講演いたします!
日時: 11月13日(土)、午後2時〜4時(午後1時30分に開場)
場所: 都筑(つづき)公会堂
(横浜市都筑区茅ヶ崎中央32−1、市営地下鉄「センター南」駅から徒歩5分)
主催: 横浜市都筑区医師会(電話 045−911−6677)
演題: 「生きがいの創造 〜最先端の科学研究から読み解く人生のしくみ」
料金: 無料(「第10回都筑区民まつり」協賛事業の公開講演会)
ただし、先着600名様まで。参加をご希望の方は、「都筑区医師会ホームページ」の申し込みフォームから、または上記「都筑区医師会」事務局まで電話でご予約ください(多数の電話で業務に支障が出ているそうですので、なるべく電話はご遠慮ください)。残席が少なくなってきたとのことです。お早めにどうぞ!
(3)11月27日に、「日本 死の臨床研究会」(開催校:筑波大学)で講演いたします!
日時: 11月27日(土)、午後2時15分〜4時20分
場所: つくば国際会議場(エポカルつくば)
(茨城県つくば市竹園2−20−3)
主催: 「日本 死の臨床研究会」第28回年次大会
(ターミナルケアを中心とする、医療・福祉関係者の大きな学会です)
演題: 「生きがいの創造 〜経営学者として読み解く人生のしくみ」(招待講演)
料金: 参加方法の詳細は、大会事務局(筑波大学臨床医学系神経内科、電話 029−853−3224)までお問合せください。
情報: 今回の大会では、飯田による上記講演(招待講演・120分)のほかにも、養老孟司氏(東京大学名誉教授)による「自然科学者の視点からみた生と死」(特別講演・90分)と、永六輔氏(作家)による「市民の視点からみた生と死」(公開講演・90分)という講演が行われます。スケジュールなどの詳細は、上記事務局までお問合せください。
9月20日版
本日、大学の私の郵便ボックスに、このようなお手紙が届いていました。
(ご本人を特定できる部分を削除・伏字にした以外は、すべて原文のままでご紹介いたします)
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飯田先生
初めてお手紙を差し上げます。
私は***に住む今年**才になる者です。私は現在、ある罪で逮捕され。留置場にてこれを書いております。
まず先生にお礼を言わせて下さい。本当にありがとうございます。先生の著書を読ませていただき、自分の内面に目を向けることができたこと、本当にうれしく、感謝以外の言葉になりません。
今までの私は、自分の好き勝手にやってまいりました。それが正しいと信じていたし、自分の人生なのだから、当然と考えておりました。ビジネス上の成功を第一に考え、家族も友人も私に協力するのが当たり前だと思ってきたのです。お金を稼ぐにはどうすればいいか、欲望は最高点に達していたのです。
そんな状態でしたから、家族も仕事もうまくいかず、友人も多く失いました。夫婦間、両親とも対立し、それをまぎらわせる為に、女遊びにふけりました。自分本位そのままでした。
そして今回の逮捕、当初は理解すらしようとせず、周りに責任を押しつけるような気持ちすらあったのです。
限られた空間の中で私に出来ること、それが「本を読む」こと、そして「文章を書く」こと、それと「自分の内面と向き合う」ことだったのです。差し入れとして希望した物の中に、先生の著書が入っていたのです。たまたまではなく、「今こそ読みたい」と思いました。以前から先生の本のことは知っていたのですが、今回明らかに「今なら自分は変われるはずだ」との確信があったために、「読みたい」と思ったのです。
そして今、幸せを感じています。昔に体験した苦しかったこと、悲しかったこと、嫌だったこと、様々な事の全てが私の成長に必要だったということ、自分自身を愛してはいなかったこと、私をとり囲む全てが私の敵ではなく味方だということ、今私の成長を心から望んで、待ってくれてる人がいるということ。それらの全てに感謝できること。本当にありがたいと感じられるようになりました。
罪を犯したことは、ゆるされることではありません。それによって多くの人を傷つけてしまった事実も、消えることはないと思います。反省もお詫びも、できる限りしなければいけないと思っています。ただ、そのおかげで、私は多くのことを学び、本来の私自身の姿を取りもどせたと思っています。良心に従い、愛のある選択をしていこうと考えています。
乱文乱筆をお許しください。どうしてもお礼をお伝えしたく、失礼とは思いましたが書かせていただきました。いつか先生にお目にかかり、お話できたらうれしいのですが・・・
それでは、くれぐれもお体に留意され、今後のご活躍を心より念じております。
平成16年9月**日
**県**警察署内 留置場
*****
********************
私は感激し、さっそく、PHPから届いたばかりの、発売前の新刊『生きがいの探求』の見本本を、メッセージ&サイン入りでお送りいたしました。
ただし、ご住所も拘留期間もわからないので、とにかく「**県**市 **警察署内 留置場 *****様」としておき、封筒の隅に、「署員の方へ・・・*****さんがどこかに移動なさっている場合には、お手数ですが、移動先に回送くださいますようお願いいたします。」と、注意書きをしておきました。もちろん、差出人としては、私の本名・肩書きと大学の住所を記しました。
こうしておけば、きっと何らかの方法で、ご本人のもとへ届くことでしょう。封筒の中身は、署員の方が必ず開封チェックなさるでしょうが、中身は私の新刊とメッセージのみですので、問題なくご本人にお渡しいただけるはずです。
・・・というわけで、新刊『生きがいの探求』を、編集者を除いて世界で初めてお読みくださるのは、おそらく、この御方になるのではないでしょうか。ご本人は、その事実を、全くご存知ありませんが・・・
7月19日版
実は、前回更新の一番最初にご紹介した、進学で悩む高校3年生の女の子に、お返事と一緒に、本を同封しておきました。すると、すぐにまた、次のようなお返事をくださいましたので、このHPの読者の皆さんにも、ご報告しておきます。
なんだか、ほんわかとした気持ちになれますよね。
大人と違って(笑)、まだまだ日本にも、このように純粋な子どもたちがいてくれるのだなぁ、と、ほっとしました。
・・・というわけで、本日は、プチ更新で失礼いたします(笑)。
7月10日版
最近いただいたお便りから、いくつかご紹介いたします。
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突然のお手紙すみません。
私は**県**市に住んでいて、現在高校3年生の****というものです。
私がこうして飯田先生にお手紙を書いているのは、飯田先生の「生きがい」シリーズの本を読ませてもらい、すごく興味を持ったからです。先生の本をたくさん読んで、すごく衝撃を受けました。これまで、ただ単に接してきた友達や家族に対して、すごくありがたさや感謝の気持ちでいっぱいです。
そこで、大学に進学して、飯田先生が本で書かれていたような、人間の「生きがい」について勉強したいと思っています。しかし、「生きがい」について学べる大学を探しているのですが、いろんな大学の学部内容の説明を読んでも、実際どういう学科に入れば「生きがい」の勉強ができるのかということが、わかりません。今、受験生でもあって、早く志望大学を決めないといけない、という気持ちはいっぱいなのですが・・・。
私は、やはり大学で、自分がやりたいことを学びたいと思っています。そこで本を書かれた飯田先生に、「生きがい」のことを学べる大学を教えてもらいたいのです。どんなことでも結構です。飯田先生のお知り合いで、「生きがい」のことを教えている教授の方がいらっしゃる大学名など。
国公立の大学を希望しているのですが、私立の大学でもかまいません。もし、「生きがい」について学ぶためには、外国の大学に行った方がいいのなら、留学することも考えています。本当に、どんな情報でもいいので、教えてください。お願いします。
最後になりましたが、突然の手紙で本当にすみません。それもいきなり、こんなことを聞いてしまって・・・。でも、先生の『大学で何をどう学ぶか』という本を読んで、ぜひ大学に行きたくなったんです。
私はこれからも、飯田先生の「生きがい」シリーズを読んでいきます。なので、講演会や大学での講義やゼミなどで大変だと思いますが、これからもがんばってください。応援しています。
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私は、シンガポール国立大学で***を教えている、******と申します。1*年前に、日本の**大学に留学しましたので、日本語がわかります。
飯田先生の色々な御著書を拝読いたしまして、心から感服いたしております。私も昨年から、米国の大学教授(中国系)と一緒に、飯田先生の御著書のようなスピリチュアルなテーマをとりあげ、中国語の書物を1冊まとめました。その中で、日本人の研究者の例として、飯田先生の御著書からたくさん引用しましたので、御知らせいたします。
末筆ながら、飯田先生のご健勝をお祈りいたします。
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お忙しいのに、お手紙を差し上げてしまい、申し訳ありません。
今回、どうしてお手紙を書こうと思ったかと申しますと、実は私の主人が、今、世間を騒がせております、あの自動車会社に勤務しております。新聞やテレビで報道されて、後から後から会社のボロが出てしまい、世間の皆様に本当に申し訳なく思うのと同時に、保険証を出すことさえ恥ずかしくて、病院にも行けないような日々が続いています。
飯田先生の「生きていく明日からも」のCDを繰り返し聴き、なんとか、主人と一緒にこの試練を乗り越えようと試みますが、またしばらくすると落ち込んでしまい、時には涙を流してしまいます。もともと社内結婚ですから、自分や主人が選んだ会社なのだと納得しようとしながらも、何も知らなかった一般社員とその家族までもが、社会の中で、職場の名前さえ出せないほど恥ずかしい四面楚歌の状態になってしまったことが、なかなか受け止められずに苦しんでいます。子どもたちを抱えて、これから、会社や主人や私たち家族がどうなってしまうのか、不安でたまりません。子どもたちも、学校で恥ずかしい思いをしているのではないかと心配です。
自分自身の気持ちに整理をつけるために手紙を書いたつもりだったのですが、グチばかりになってしまい、申し訳ありません。今はただ、お客様からの信頼を回復するだけのために、働かなければなりません。
今回、自分たちの身にふりかかったことで、報道される側の立場、特に、飯田先生のように有名な方が、心無い誹謗中傷に苦しんでいらっしゃることを、少しは理解できた気がして、お手紙しないではいられませんでした。
梅雨も明けていないのに、まるで真夏のような日が続いておりますが、どうぞお体に気をつけてお過ごしくださいますよう、お祈りいたしております。
このような手紙にお付き合いくださいまして、本当に本当に、ありがとうございました。これからも、先生の著書を介してお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
********************
飯田先生
「いつまでも、いつでも一緒」の歌、毎晩、寝る前にかならず聴いています ♪
この歌をはじめて聴いた時は、涙が出て、ふるえてしまいました。
今日、「人生において、会社とは何か」を読み終えました。「愛」にたどり着くとは思っていなかったのですが、「あ〜、愛にたどり着くのか〜」と、今、頭の中で、かみしめているところです。
日々、順調に、悩みながら生きてます。飯田先生の本のおかげで、気持ちをマッサージして、ほぐしてもらってるようです。
先生、ご多忙とは思いますが、くれぐれも、お身体に気をつけてください。
ますますのご活躍を祈ってます。
********************
・・・というわけで、ほんの一部ですが、ご紹介いたしました。
1番目のお手紙には、「大学というところでは、勉強するテーマを、あなた自身で選ぶことができますから、どの大学のどのような学部・学科に進学しようとも、あなたが『生きがい』に結び付けて勉強すればいいんですよ」という前提のもとで、「もちろん、心理学・哲学・人間学などが最も近いですが、私のように経営学の中で『生きがい』について考察することも可能ですし、医学の分野でも『生きがい』は今後の大きなテーマなんですよ」という趣旨のお返事を、差し上げました。そして、「日本で『生きがい』について勉強したいなら、福島大学の私のところへおいでくださるのが、いちばん手っ取り早いですが・・・」とも。
3番目のお手紙をくださった方には、特に、「僕と一緒の、似たようなお悩みですね」と、申し上げたいです。
私も、著書を読んでもくださらない唯物論者の方々や、微細な表現の相違にまでこだわって「我が教祖の方が正しい」と攻撃してくる狂信的な宗教人の方々から、悪意と偏見に満ちた勝手な解釈で、「あなたの本は、***と同じだ」と、数年前に大きな凶悪犯罪を犯した宗教団体と同類に扱われてバカにされたり、雑誌(低俗雑誌ではありますが)の記事の中で、私自身も賛同できない問題人物の一番弟子だと、全く事実無根の情報を流されて迷惑したり、さんざん泣かされましたから。(でも、8年間も、「いかなる思想団体からも完全中立」という信念を曲げずにがんばってきたので、さすがに最近は、メチャクチャな事実無根の誹謗中傷というのは無くなりましたが・・・)
もちろん、この自動車会社の場合には、事実として社会的犯罪を犯したわけですから言い訳はできませんが、その犯罪行為を知らなかった一般社員やご家族の中には、このような思いをしながら、世間の冷たい目に苦しんでいる方々もいらっしゃるのだということを、この場を借りてお知らせしておきます。私が、この奥様のためにして差し上げられるのは、このくらいのことしかありませんので・・・
7月1日版
この時期、教室が、とにかく暑いです・・・
なにしろ、福島大学でいちばん大きい教室(収容人数350名)に、立ち見を入れて400名の学生たち(昨年度に単位を落とした100名程度を含むため)が、びっしり。しかも、私は毎回のように、90分の講義時間のうち10分〜40分程度はビデオ教材やオーバーヘッド・プロジェクターを用いるため、その間、窓を閉じて暗幕(自動で閉まります)を引いてしまうので、教室内は、まるでサウナ状態。一応、冷房装置はあるのですが、このようなサウナ状態では、ほとんど役に立ちません。
しかたなく、私自身も、キティちゃんの絵柄の、直径30センチにもなる特大の「うちわ」を持ち込み、教壇の上で扇ぎながら授業を行う始末です。もちろん、暑いのでネクタイなんかしませんし、ポロシャツ、半ズボン、サンダルで講義をすることも・・・
そういえば、先日、講義を終えて、いつものように、「それでは、本日の授業はこれで終わります。お疲れさまでした」と決まり文句を言う私のもとに、かわいい女子学生が、1冊の本を持って、ためらいながら近づいて来ました。私が、「何か質問ですか?」とニッコリすると、「あの〜、授業に関係ないんですが、サインしてくださいませんか?」と、『生きがいの創造』を差し出すではありませんか!
見ると、何度も繰り返し読んだらしく、もうボロボロになっています。そして、「私の父が、飯田先生の御本のファンなんです。昨日、『父の日のプレゼント、何がいい?』って聞いたら、『お前、飯田先生に会えるか? サインもらってきてくれ』というものですから・・・」とのこと。さっそく、お父様のお名前を入れてサインすると、「父が、とっても喜ぶと思います。ありがとうございました!」と、去って行きました。
お父さんもいいけど、お母さんが大ファンだったら、もっと嬉しかったかなぁ・・・?(笑)。
さて、本日は、インフォメーションです。
この夏では唯一の、私の公開講演会のご案内です。
毎年、大学の夏休み期間(7月後半〜9月末まで)は、「雲隠れ」や「山ごもり」などをしながら、研究・執筆に専念する私。
そのため、夏休み期間中に、私をつかまえるのは、至難の業だと言えるでしょう。
しかし、この夏は、珍しく、どなたでも参加できる公開講演会を、お受けしてしまいました。なぜなら、京都大学のカール・ベッカー先生のご推薦で、上越教育大学より、たいへん光栄なご依頼をいただいたからです。
今回の講演会は、上越教育大学が、文部科学省の科学研究費の認定・供与を受けて行う、「学校におけるスピリチュアル・エデュケーションの理論・実証的考察」というテーマの研究の一環であり、「いのち教育」実践のための研修講座の基調講演です。
それにしても、あのお堅い文部科学省が、「スピリチュアルな教育」という研究テーマのために、貴重な科学研究費を付与しているとは・・・私が著書『生きがいの教室』で提唱した「生きがい教育」が、ここでは、文部科学省のお墨付きで、堂々と研究されているのです。本当に、嬉しいことですね。
詳細は、以下のパンフレットをご覧ください。(「スピリチュアルなテーマに関して、日本で最高峰の研究者・教育者の講師陣を招へいしています」とおっしゃる中に、私も入っているならば嬉しいのですが・・・)
・・・というわけで、私が行う講演は、8月20日(金)の午前10時〜12時まで。
形としては、2日間に渡る「いのち教育」の研究会の基調講演(研究会全体の方向性を示すための講演)ですが、今回は特別に、教育関係者ではない一般の方々どなたでも、「私の講演会のみ、あるいは1日目のみの参加」を、認めてくださることになりました。1日目には、私の講演以外にも、素晴らしい講師陣がそろっており、同じ参加費で、ご自由に夕方までご参加いただけます。
もちろん、2日間の研究会に丸ごと参加することも大歓迎だそうですから、教育関係の方はもちろん、保護者や学生や一般の方々も、どうぞご参加ください。参加費用は、1日のみ参加の場合、一般2000円、学生1000円で、2日間ともに参加の場合、一般3500円、学生2000円となります。
参加を希望くださる方は、以下のメールアドレスをクリックして、上越教育大学の得丸定子教授(私の著書の愛読者でいらっしゃいます)まで、お問合せください。詳しいパンフレットや申し込み用紙などを、添付ファイルまたは郵送などで、お送りくださいます。
(削除しました)
なお、上越教育大学は、新潟県上越市にあり、JR信越本線「高田」駅からタクシーで10分、JR北陸本線「直江津」駅からタクシーで15分程度だそうです。東京からは、上越新幹線&ほくほく線経由で2時間10分、長野新幹線&信越本線経由で2時間50分、大阪からは北陸本線経由で4時間40分。また、自家用車の場合、東京からは関越&上信越自動車道経由で3時間程度とのこと。
上越市からは、長野、松本、上高地、軽井沢、戸隠、妙高、白馬、佐渡、新潟、富山、金沢など、有名な観光地に、数時間で移動できます。私も、上越教育大学にうかがうのを、今から楽しみにしているんですよ。皆さんも、楽しい夏休みの旅行を兼ねて、どうぞおいでくださいね!
6月17日版
しばらくテンテコ舞いしており、更新が遅くなってしまいました。
「先生、生きてますか?」というお問い合わせが増えてきましたので、さすがに、このあたりで何とか時間をとって、更新しておきますね。
大阪での大講演会&コンサートを終えて以来、感想のお手紙を、たくさんいただきました。
そこで本日は、それらを代表して、ある男性からいただいたお手紙を、ご紹介させていただきます。
(何しろ、私にお手紙をくださるのは99%が女性・・・しかも20代〜30代の女性なので、私よりも年上の男性からのお手紙は、ほんとに珍しいんですよ)
********************
拝啓 初夏の候、飯田先生にはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて、先日、豊中市民会館でのご講演におきまして、初めて飯田先生を拝見いたしました。今まで、飯田先生の著書やホームページなどから想像していたイメージに比べまして、実物の飯田先生は、若干、ふくよかな感じでしたが、「温かそうな」雰囲気は想像どおりでございました。
それでは、本題に入らせていただきます。
飯田先生のご講演が大阪で行われることを、先生のホームページで知ったとき、すぐに郵便局へ行って申し込み(振り込み)をしましたが、今まで、飯田先生のご講演に行ったことがなかったものですから、申し込みをしてから、果たして私のような「ええ歳のおっさん」が、他に来ているのだろうかという不安に襲われました。「行ってみたい」という思いと、「やめとこ」という気持ちが相半ばし、当日まで迷っていましたが、このチャンスを逃したら、いつ、飯田先生にお会いできるか分からないという気持ちの方が強く、思い切って豊中市民会館へ向かいました。
12時5分頃に到着しましたが、既に、大勢の方が入っておられ、想像していたよりも男性の方も多く、私よりもご年輩と見受けられる方が何人もおられ、正直ホッとしました。
いよいよ、飯田先生のご講演が始まり、初めてお聴きする先生の声に、聞き入りました。非常にハッキリとした分かりやすいご説明で、時間の経つのも忘れて聴き入っておりました。
私も、仕事柄、大勢の人々の前で話をしなければならない機会が多いのですが、先生のお話の仕方は、大変勉強になりました。聴いておられる方に、いかに分かりやすくお話をするかといったことには、その人の人格・人間性・思いやりなどが現れるということが、よく分かりました。
お話の内容につきましては、今まで、先生のご本の中に書かれていた内容でございましたが、やはり、実際に先生の口を通してお聴きすると、改めて、心に迫ってくるものがございました。
最後に、みんなで先生の歌を歌いましたが、私も、自分でも信じられないくらい、大きな声を出して歌っていました。ご講演に行く前は、自分が歌を歌うなどと考えてもいませんでしたが、「歌いたい」という気持ちに突き動かされ、ええ歳のおっさんが、周りの人々よりも、一段と大きな声で歌っていました。
さすがに、サイン会はご遠慮させていただきましたが、思い切ってご講演に行ってみて、本当に良かったと、心から納得いたしました。
帰りに、難波の本屋さんで、「人生において、会社とは何か」のご本を購入し、早速読みました。1回、2回、3回と繰り返し読んでみて、先生のご講演の感動と相まって、最近、仕事において胸につかえていたモヤモヤが、ス〜と消えていく思いがしました。やはり、「キーワードは『愛』か」と、改めて思いました。もともと、私にとって、会社とは、人生の最も効率的な修行の場であるという思いは持っていましたが、「何を修行するのか」の部分について、修行の中心を見失うことがあったのです。最近、正にそういう状態だったのですが、修行の中心にあるものは、やはり「愛」であるということが、ストンと胸に落ちました。
飯田先生のご講演をお聴きし、このご本を拝読することによりまして、「私の人生において、会社とは何か」の回答を、より鮮明に自覚することができました。これからも、いろいろな壁にぶつかることが多々あると思いますが、今回、改めてハッキリと自覚したこの思いを常に見失わなければ、順調に修行を積んでいけるという自信が得られました。
仕事に限らず、全ての人生の場面において、大きな存在を意識しつつ、感謝の気持ちを失わないで、自分の中の「愛」を磨き上げていくために、修行を続けてまいりたいと思います。
飯田先生、本当にありがとうございました。私には到底思いもつかないようなハードな毎日を送っておられる飯田先生ですので、何卒、お体にだけはくれぐれもお気をつけられ、またご縁があって、どこかでお会いできることを、心から楽しみにしております。
勝手なことを長々とお書きしまして、誠に申し訳ございませんでした。 敬具
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・・・というお手紙で、お書きくださった男性の、真面目で温かいお人柄が、とてもよく感じられました。
私の方こそ、お手紙で、ずいぶん勇気づけられました。本当に、ありがとうございました。
この他にも、今回の大阪での講演会(コンサート?)について、同様の内容のお手紙を、30通以上もいただきました。きちんと拝読しており、心から感謝いたしております。この場を借りて、心から深く御礼申し上げます。
6月1日版
大阪での講演会&大合唱、大成功に終わりました!
豊中市民会館での講演会&大合唱、おかげ様で、600名近くの方々がおいでくださり、とっても温かいイベントになりました。大量にご用意した新刊『CD付き新版 生きがいの本質』も完売し、サイン&握手会にも、2百数十名の方々が並んでくださいました(長時間お待たせして、ごめんなさい)。
「生きていく明日からも」と「いつまでも、いつでも一緒」の大合唱は、私が自分で心配していた「歌詞を間違える」という大失態もなく(笑)、無事に歌い終えることができて、ほっとしました。特に、最後に歌った「いつまでも、いつでも一緒」のエンディングの大合唱では、何度も何度も延々と繰り返しながら、私が途中で声を止めて聞き入ると、会場の皆さんが大きな声で歌ってくださり、本当に感激しました。
後から聞いたところによると、涙ながらに歌ってくださった方々も多く、市民会館の関係者も、仕事中なのに客席に移動し、初めて聴く歌を一緒に合唱してくださったとのこと。また、初めて私の講演に接してくださった学校の先生方も、退席することなく最後まで参加して、初めて聴く私の歌を、一緒に口ずさんでくださっていたそうです。
もちろん、小学校教員の原田誉一先生(『生きがいの教室』でもご紹介しています)がご披露くださった「生きがい教育」の実践報告も、同業者の先生方をはじめとして、「たいへん面白くて、ためになりました」と、大評判でした。原田先生、どうもありがとうございました。
でも、ハンサムな原田先生の後に登場すると、私の不細工な容姿が一段と目だってしまい、実は、たいへん困っておりました(笑)。
皆さんのご協力&応援のおかげで、生涯の(いや、死んだ後にも)記憶に残る、素晴らしい思い出ができました。
本当に、ありがとうございました。
しかも、各地からいただくご報告によると、『人生において「会社」とは何か』は、駅の売店(キオスク)の小さな本棚に、ずいぶん置いてくださっているようです。「えっ? そんなローカル駅の売店に?」とビックリするような所から、「置いてありましたよ!」という観察レポートを、いくつもいただきました。「電車で移動しながら、気軽に読める本」として、ピッタリなのかもしれません。(とはいえ、中身は奥深い哲学書なのですが・・・)
また、発売されたばかりの『CD付き新版 生きがいの本質』も、「これまで飯田先生の本は置いてなかったような小さな書店で、表紙を見せて立てかけてありましたよ」などと、あちこちの意外な場所で発見されています。今回は、いつもの朝日新聞ではなく、お堅い「日本経済新聞」に広告が載ったこともあり、勤務校(福島大学)の先生方から、「飯田君、最近また、ずいぶん立派な本を出したようだねぇ・・・」と、賞賛とも嫌味とも受け取れる微妙な発言を、多々頂戴いたしました(笑)。
・・・というわけで、このところ、皆様のご支援のおかげで、心身ともに、充実した日々を送らせていただいております。
しかし、「好事魔多し」というコトワザの通り、このような時にこそ、どんな落とし穴が待っているかもしれません(涙)。
だって、実は私、典型的な「マイナス思考」の人間なんですよ。「どうせ、ダメに決まってるさ」と、あきらめながら生きていく方が、ずっと安心していられるんです。著書には「希望を持て」などと書いておきながら、自分自身は、「期待して結局ガッカリするよりも、誰にも何にも期待しないで、淡々と生きていく方が楽チンだ」なんて信じてるんです。
世の中で、私ほど、「人生に期待しない人間」は、いないのではないでしょうか。常に、人生に絶望しているんです。人生に何も期待しないからこそ、せめて、自分に期待するしかない・・・「人生では、自分以外の誰にも、何にも期待できないのだ」と、私は、人生に対して、実に冷たい目で見ているのです。私は、いわば、「世捨て人」の典型のような人間なのです。すでに、「世」も「人生」も捨てて、あきらめてしまっているので、かえって、何も失うものがなく、怖いものなどありません。
したがって、今のように、嬉しいことが続く時にこそ、決して浮かれることなく、気を引き締めて、目の前のことを、ひとつひとつ着実に片付けていこうと思います。
とりあえず、今後しばらくは、宮城県歯科医師会館、小田原潤生園(老人福祉施設)、あぶくま養護学校、上越教育大学、山梨県市町村職員研修所、福島自治研修センター、公立岩瀬病院、浦添市役所、横浜市都筑区医師会、大空の会(子どもを亡くした親の互助組織)、静岡県退職公務員連盟、愛川中原中学校、死の臨床研究会総会(筑波大学)、アイリスの会(女性の互助組織)、碧南市民病院(愛知県)などからの講演依頼にお応えしながら、本業の経営学者として、「医院経営における差別化戦略」の論文執筆に専念いたします。夏には、もう1本、「温泉地の経営戦略」に関する論文も、ある共同執筆書の一部として依頼されていますし・・・
論文執筆が順調に進めば、また秋には「生きがい論」関係の新刊が生まれるかもしれませんが、少なくとも数ヶ月間は、「生きがい論」の執筆はお休みです。
大阪での大講演会&大合唱の後、サイン会で2百数十名の方々と握手しながら、私はしみじみと感じました・・・「ああ、私は、何という幸せ者なんだろう」と。
精神的には気の休まることがありませんし、肉体的には辛いことばかりで、正直なところ、「もう早く死んでしまいたい」と思うことも多いのですが、それでも、確かに、「ああ、私は、何という幸せ者なんだろう」と、心から実感できる瞬間があるのです。時々、この実感を体験できているうちは、もう少し、がんばっていけると思います。
読者の皆様のおかげで、今の私があります。収容200名のホールで、わずか12名の聴衆を前に講演していた頃の初心を大切にしながら、今後も自分が信じる道を歩み、やりたいことを好き勝手に、やらせていただきます。これまで、温かく見守ってくださって、本当に、ありがとうございました。
5月27日版
先日、ある女医さんから、このようなお手紙をいただきました。
********************
飯田史彦先生
本日、先生の新しいご著書、「人生において会社とは何か」を拝読いたしました。
実は、このご本は、医師である私には、あまり関係ないと思っていたのです(すみません)。
というのは、先生が、「医療者は、企業というものから遠くにいる存在だ」ということを、どこかでおっしゃったのを読みましたので。
しかし、読み始めたら、共感する部分が大変多く、とても興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。
まず、最初の、社長を愛する、という点について。
私は、ほとんどネームバリューのない、小さな個人病院に勤めているのですが、ここの職員の方には、今の院長先生だから勤務しているのだ、という方が、少なからずおられます。私自身も、算術にとらわれない医療をされる院長先生のもとで働けることを、幸せに思い、感謝しております。もちろん、全てに満足できるわけではありませんが、一番大切な部分を容認していただきながら仕事ができるのは、大変幸せです。
それから、リストラのお話です。
リストラは悪いことである、だから、謝罪し、精一杯の補償を社員にさせていただく、というところで、なぜか、医療訴訟のことを思いました(こんなつながりを想起するのは私だけかもしれませんが)。
医療者は、患者様に対し、精一杯の医療をさせていただきます。しかし、それでも、ミスがあって訴訟が起きた場合には、出るべきところに出て、ごめんなさいというしかない、と思っています。現代では、医療訴訟とは背中合わせですから。
つまり、王道を行くということ、いつも、自分の良心に照らし合わせて、正しいと信じた道を行くということなのですね。
経営学者としての先生のお仕事の中には、このご本にかかれているようなこともあり、案外、このようなことをなさりたかったのかと、勝手に楽しく想像しながら読ませていただきました。
先生のご本から受けた感動を、素直にお伝えしたいと思いましたが、なんだか硬い文章になってしまいました。すみません。
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また、その翌日に、ある学校の先生から、このようなお手紙をいただきました。
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飯田史彦 先生
いつも心あたたまるメッセージありがとうございます。
『人生において、「会社」とは何か』購入いたしました。ビジネス書コーナーで探して見つからず、インターネットで取り寄せ、入手が遅くなりました。
それにしても、420円でこの内容は驚きです。数百冊の経営学の専門書の内容と、十年の経営学の歴史と数多くの企業の現実が、文庫本の中にたたみこまれ、しかも読み易くわかりやすいです。
特に、エピローグの内容には驚かされました。
次のような言葉の数々にです。
・人間であるあなたの正体は、「愛」そのものである。
・自分の正体は、「愛」そのもであるという「事実」を思い出すだけでいい。
・自分の正体が「愛」であることを思い出すだけで、誰もがどんどん元気になるはず
なんですよ。
・「愛」こそが、人間にとって、何よりも強力なエネルギーだからです。そして、あなた自身が、そのエネルギー源そのものなんです。
私自身、職員室の人間関係や子供や保護者との関係がしっくりしない時がありました。
今月も、参観日・保護者との懇談会があり、ちょっと気が重い日がありました。
しかし、この本を読んで、「愛しがたいものでさえも愛する」と、心に決めました。
できるはずはないのだろうけど、とりあえず思いました。
すると、保護者懇談当日、話題がけっこう盛り上がって、とっても楽しい時間になりました。
これで、何もかもうまくいくとは思いませんが、気持ちがフワッと軽くなったのは確かです。
教師という職業柄、つい理想的な考えを持ち、現実とのギャップで葛藤してしまいます。
やはり、生活のお金のために働いていることや、時間を自分できって帰宅できることも事実で、ありがたいことです。
「人生(教師)において、学校とは『愛し難いものでさえも愛するための意志と技術』に、磨きをかける道具である」と読みかえてみました。
「自分の正体が『愛』であることを思い出すだけでいい。それだけで、エネルギーがでてくる」
なんとすばらしく、勇気づけられ、元気が出る言葉でしょう。
このような本を出版してくださり、本当にありがとうございました。
どうか、お体に気をつけられて、私たちを元気づけるメッセージを、これからもお願いいたします。
ありがとうございました。
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このほかにも、一般企業の中間管理職や重役の方々から、「さっそく、部下たちに配りました」というお手紙やメールを、たくさんいただきました。
そこで、もうそろそろ、タネ明かしをしようと思います。
実は、『人生において「会社」とは何か』という本は、著者である私が、ある「仕掛け」をしてみた、特殊な本なのです。
それは、読者の方々それぞれに、「行間を読み、背景を推察し、過去や現在の自己体験と結びつけながら、自ら学ぶ力によって、自学自習していただこう」という試みでした。そのために、この本では、わざわざ会話文にすることによって物理的な「行間」のスペースを空けたり、読者が自分自身の体験と結び付けやすいような文章表現を、意図的に心がけています。したがって、登場人物と私との会話を読みながら、それぞれの読者が、「そういえば、似たようなことがあったなぁ」とか、「自分も、この問題について考えてみたことがあったぞ」などと、自らの思考を深めていただければ、私の狙いは当たったことになるのです。
ただし、この試みには、大きなリスク(危険)も、つきまとっています。
それは、「自ら自学自習・自問自答する意欲と能力を持つ能動的な読者」にとっては、「思考の深化に役立つ、たいへん奥深い本」として何度も読んでいただける一方で、「文章を通じて深い考察を巡らせようという意欲や能力を持たず、ただ著者の知識や指示のみに依存して、役立つことを楽に教えてもらおうとする、受動的な読者」からみると、「無意味な行間ばかり多く、直接的に役立つ中身の乏しい本であり、立ち読みや拾い読みで充分だ」と見えてしまう、ということです。
したがって、おそらく、より人生経験が豊富な読者や、日頃から物事を自分の頭で深く考える習慣を持つ読者ほど、この本の価値を、正しく見抜いてくださることでしょう。そして逆に、まだ人生経験が乏しく、一定年数の仕事をしたことのない若者や、「何か役立つことを教えてくれないかなぁ」と考えている受動的な読者ほど、「あんまり大したことを教えてくれない、役に立たない本だなぁ」と、ご不満をお持ちになる可能性が高いと言えるでしょう。
『人生において「会社」とは何か』において、私がこのような試みをした理由は、日頃から若者たちと接する中で、「せっかく本を読んでも、自分の頭で深く考察し、自分の心で深く感じ取ろうとする人が少ないのは、もったいないなぁ・・・」と思っていたからです。本というのは、「ただ読むだけで、色々なことを教えてくれる便利なものだ」という依存的な読み方をする限り、実際には、ほとんど役立ちません。なぜなら、「脳ミソの中に知識が蓄えられる」というだけで、その知識を効果的に活用しないままで、やがて内容を忘れていってしまうからです。したがって、「読んでみて、役に立つ文章があれば、そこだけ活用する」という依存的かつ受動的な読み方ではなく、「本書を自分のために活用するには、どのような読み方をすれば良いだろうか」と考えながら、「著者の文章の行間を読み、著者がその文章を書いた背景を推察し、過去や現在の自己体験と結びつけながら、自らの力で学ぼうとする姿勢」が求められる、というわけです。
このように、この本は、「依存的・受動的な読者」か、「主体的・能動的な読者」かという条件によって、大きく評価の分かれる本であるに違いありません。そして、現在、世の中では、いわゆる「ノウハウ本」(知識や技術を教えてくれる本)のブームと共に、「依存的・受動的な読者」が、どんどん増えています。したがって、本書を「ノウハウ本」だと思ってお読みくださった読者は、おそらく失望なさって、2度と開いてくださらないでしょう。しかし、本書が、「ノウハウ本ではなく、思考を深めるきっかけを満載した哲学書である」と、正しく見抜いてくださった読者にとっては、読むたびに新たな発見に出会える、味わい深い本として、重宝いただけることでしょう。なぜなら、読むたびに、読者である自分自身が、どんどん視野を広げ、思考を深め、成長していくため、読み返すごとに、違った味わいを感じ取ることができるからです。
色々な本を出していると、時には、このような大胆な試みを狙った、読者を選ぶような本を書くことができますので、これも、著者冥利(みょうり)に尽きるというもの。特に、今回は格安の文庫本ですので、リスクの高い冒険にも、果敢に挑戦することができました。
このようなわけで、本書を「ノウハウ本」だと思ってお求めくださった方々には、「ご期待に沿うことができず、申し訳ありません!」と、素直に謝ることしかできません。本当に、ごめんなさい。
しかし、本書が、「ノウハウ本ではなく、思考を深めるきっかけを満載した哲学書である」と、正しく見抜いてくださった方々には・・・「ご名答、おめでとうございます! そして、どうもありがとうございました!」
そういえば、先日、このようなお葉書も、いただきました。
・・・と、ただ、これだけです。
裏面には、アニメ「母を訪ねて三千里」の絵が描かれており、文章はありません。表面にも、住所も氏名もありませんが、消印を見ると、どうやら、広島県の岩国市で投函くださったようです。
いずれにしても、とにかく喜んでくださっているのですから、ありがたいことですよね(笑)。
さて、5月30日に大阪・豊中市民会館で行う私の講演会&ミニ・コンサートまで、あと数日に迫ってしまいました。
それなのに、ギターの練習もできず、一日に15時間も働いて、大学の公務に追われる毎日・・・
気のせいか、ここにきて、大事なノドも、イガイガしているように感じます。
ああ、いったい、どうなってしまうのでしょうか?(涙)
主催者からのご連絡によると、おかげさまで、500名もの方々から、参加のお申込みをいただいているとのこと。入場料が必要であるにもかかわらず、本当に、ありがたいことです。
私としては、いつも人数にはこだわらないので、「おそらく、100名から200名の間で落ち着きますよ」と主催者に予言していたのですが、見事に外れてしまい、あわてて、当日に配布する「歌詞カード」を、大量に増刷して送りました(笑)。
思い起こせば、「生きがい論」の講演を始めたばかりの頃には、収容200名以上のホールに、聴衆が、たったの12名(しかも、そのうちスタッフが5名)しかいなかった、ということもありました。「閑古鳥が鳴く」とは、まさに、このことです。あれは、確か、三陸地方の、陸前高田か、宮古か、大船渡の辺りの、商工会館か公民館だったような気がします。それでも、家族連れが2組(3人家族と4人家族で)来てくださったのが嬉しくて、2時間を、精一杯に講演させていただきました。講演後に、主催者の方々が、「すみません、ちょうど、地元の選挙と運動会に、日時が重なってしまって・・・」と、目を真っ赤にして、泣いて謝ってくださったのを覚えています。もちろん、私は、「ぜんぜん、かまいませんよ。ガン患者さんと、そのご家族の数名のために、何度も講演してきましたから、12名もご参加いただければ充分ですよ」と、大いに慰めたものです(涙)。
私も、いきなり、数百名以上の会場で講演を行えるようになったわけではなく、「生きがい論」を始めた当初は、世間の嘲笑を浴びながら、まるで、売れない演歌歌手のように、苦労を重ねてきたんですよ(笑)。
今回は、たいへん大きな会場なので、予約なしで当日においでくださっても、入場していただけるはずです。どうぞ、お気軽に、おいでください。
特に、「どうしても行きたくなって、居ても立ってもいられなくなった!」とか、「心の奥の何者かが、『行って大合唱しなさい』と命じている(笑)」とか、「なぜかわからないけど、これに参加すれば、自分で自分の人生を変えるための、きっかけになるような気がする」などという方々は、その心の声に素直に従って、当日、どうぞ飛び入りで(ただし遅刻しないで)、おいでくださいね。
5月30日・日曜日当日は、正午12時に開場の予定でしたが、参加者数が予想以上に多くなったため、11時45分頃まで予定を早めて開場することになりました。開演(12時30分)までの、たった30分で、500名以上の方々が、入場してトイレに行ったりするのは、困難ですからね。
とはいえ、午前中は、私のライブの音響&ステージング&リハーサルに、入念に時間をとらなければなりません(笑)・・・何しろ今回は、わざわざ私のライブのために、「照明さん」までついてくださるそうですから、大変なことになりそうです。まさか、「生きていく明日からも」を歌う私の頭上で、ミラーボールが回ってしまう、なんてことだけは、避けたいものですが・・・(涙)
それに、もしかすると、楽屋には、「メイクさん」や「衣装さん」まで待機していたりして・・・(笑)
私は、前日の29日・土曜日から、滋賀県の医師・看護師の集まり(滋賀県緩和ケア研究会)で、講演をしております。その夜は、マル秘の宿(温泉付きとか)に泊まり、ついに30日の当日を迎えます。
う〜ん、ギターと歌の練習は・・・29日夜の温泉宿でやれば、いいか(笑)。
5月7日版
なんと! 大阪府と池田市の教育委員会も、後援してくださるとは・・・
ビックリしました。
先日ご案内した、5月30日(日)に大阪府・豊中市の豊中市立市民会館で行う私の講演会「生きがいの創造」を、地元・豊中市の教育委員会だけでなく、大阪府と池田市の教育委員会も、公式に「後援」してくださることになりました。
主催する「生きがい教育ネットワーク・大阪」のメンバーが、私の『生きがいの教室』を持参のうえでご説明くださったところ、数週間の審議を経て、それぞれの教育委員会から「後援」許可のお返事をいただけたのだそうです。しかも、ここに詳細は書けませんが、通常の「後援」許可の条件を曲げてまで、特別のお計らいでお認めくださったとのこと。
これで、「大阪府・豊中市・池田市教育委員会 後援」と銘打って、公式に、大阪府内の各学校の校長先生に講演会の案内をお送りし、その掲示などをお願いできるというものです。地元の教育委員会の皆様に、「生きがい教育」の意義をお認めいただけたことを、本当に嬉しく、ありがたく思っております。
これで、講演会の後に行う、「いつまでも、いつでも一緒」と「生きていく明日からも」の大合唱も、ますます盛り上がるというもの。
し、しかし・・・私としては、まったく気楽に、「生きがい論の愛読者の皆様と、大合唱をして交流を深めよう!」と楽しみにしていたのですが、いつのまにか、これほど大きく教育委員会の「後援」をいただける事態になりますと、多少、事情が変わってくるというもの・・・つまり、私の「CD付き新版 生きがいの創造」をお読み(お聴き)でない方々や、「生きがい論」には初心者の方々も、数多く来場される可能性が高まりましたので、講演後に私がギターを持って登場しても、「大学の先生が、なんで歌なんか歌うの?」と、あっけにとられる方々が多くなるのではないか、と危惧されるのです。中には、教育委員会の後援だというので来場してみたら、講師の自己満足ともいえる歌の合唱に付き合わされる羽目になって、「ええい、もう堪忍ならんわ!」と、ご立腹のうえ席を立たれる校長先生などが、続出するのではないかと心配です。
かくなるうえは、当日、このホームページの読者の皆様に、ひとりでも多くご参加いただいて、「こんなやつの歌など知らん!」とおっしゃる方々が呆気にとられるほど、大合唱して盛り上げていただくしかありません。どうか、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
幸いなことに、このたびの会場は、あの「大阪」ですから、こうなったら恥ずかしがらずに、「郷に入れば郷に従え」と覚悟を決めて、地元・大阪流の「コテコテ」のノリで、やけっぱちになって盛り上がるしかありません(笑)。
講演会の詳細&参加方法は、前々回更新(4月20日版)の(4)の内容を、再確認してくださいね。
5月30日に、豊中市民会館で、ぜひともお会いしましょう!
4月28日版
(1)嬉しいお葉書を、いただきました!
先日、超うれしいお葉書が、私の研究室に届きました。しかも、余りものの年賀葉書で・・・(お年玉に当たっていたら、どうしよう?)
とにかく、どうぞご覧くださいませ。
・・・というわけで、私の『大学で何をどう学ぶか』(PHP文庫)を読んで、このような、嬉しい感想をお送りくださったのです。『大学で何をどう学ぶか』は、近々出版する『人生において「会社」とは何か』の先輩のような本で、すでに何度も増刷を重ねるほど、大好評をいただいています。
私は、「おお!」と喜び、さっそく激励のお返事を書きましたが、なんと・・・よく見ると、「大阪の短期大学部所属の女学生」とあるだけで、肝心の住所が書いてありません(涙)。
消印は、どうやら、「東淀川」となっているのですが・・・
かくなるうえは、この女学生さんが、このHPの読者になってくださっていることを願って、ここで御礼を申し上げるしかありません。
女学生さん、本当に、ありがとうございました。
あなたの大学生生活を、応援していますよ!!
(2)豊中市教育委員会が、講演会を「後援」してくださいます
なんと、5月30日(日)に、大阪府・豊中市の豊中市立市民会館で行う私の講演会「生きがいの創造」を、豊中市の教育委員会が、公式に「後援」してくださることになりました。「生きがい教育」の意義を、公式にお認めいただけたことを、本当に嬉しく、ありがたく思っております。
これで、講演会の後に行う、「いつまでも、いつでも一緒」と「生きていく明日からも」の大合唱も、いちだんと盛り上がるというもの(笑・・・いや、私は真剣なのでした)。
詳細は、前回更新(4月20日版)の(4)の内容を、再確認してくださいね。
すでに、遠方からも、予約や問合せのお電話をいただいているとのこと。
当日は、このHPの読者の皆様が全国から集う、怪しげな大集会になりそうです(笑)。
あと1ヶ月後・・・5月30日に、豊中市民会館で、お会いしましょう!
4月20日版
お待たせしました!
ようやく、本格的な更新をする時間ができました。
う、うれしい・・・(涙)
新刊『人生において「会社」とは何か』、発売迫る!
なんと、5月8日 前後に、私の書き下ろし新刊、『人生において、「会社」とは何か』が、「PHP文庫」から出版されることになりました。
早稲田大学からPHPに入社して2年目の、フレッシュ&好青年な編集者、ピーチ犬塚君(花嫁さん募集中)からの依頼で、書き下ろしたものです。今回は、タイトルも、ピーチ犬塚君の発案。(なお、「ピーチ犬塚」という芸名は、「私は、桃が大好きなものですから・・・」という理由で、ご本人の命名です)
まずは、表紙と解説を大公開!
私は、表紙カバーのオビの宣伝文句を見た瞬間、「おおっ!」と、うなってしまいました。
「こんな会社、辞めてやる!」と思ったとき読む本。
・・・お、お見事!
簡潔にして全てを包含した、秀逸かつ強力なキャッチフレーズではありませんか!
オビの文句は編集者の担当ですから、ピーチ犬塚君が考案したに違いありません。
しかし、新人編集者の能力をはるかに超えた、この素晴らしいキャッチフレーズを、あの生真面目なピーチ犬塚君が、頭の中だけで考案したとは思えません。おそらく、彼の心の奥から聞こえてくる、「こんな出版社、辞めてやる!」という彼自身の偽らざる心情を、思わず声高に吐露してしまった、ということではないでしょうか(?)。
せっかく、これほどの文才を持っているのですから、今後も私の担当として、末永くPHPに残っていただきたい貴重な人材なのですが・・・
次に、私の新曲「いつまでも、いつでも一緒」の歌詞を、大公開してしまいましょう!
愛する恋人や妻・夫を亡くした方々はもちろんのこと、最愛の恋人に振られてしまい、「かつて自分を愛してくれたあの人は、今はもう、この世には存在しない・・・今も生きているその人は、同姓同名の別人なのだ・・・私が愛したあの人は、もう、亡くなったも同然なのだ」と嘆き悲しむ方々にも、心をこめて、この歌をお届けしたいと思います。
********************
「いつまでも、いつでも一緒」
作詞・作曲・歌:飯田史彦
涙をこらえきれず むせび泣いたあの時も 喜びに笑顔がはじけて 見つめ合った時も
いつもいつもあなたが 僕のそばにいたから それだけで僕の人生は 満たされていたよ
それなのに なぜ今は そこにいないの?
「いつまでも いつでも一緒」・・・そう誓ったのに
ああ あなたが たとえ見えなくても あなたの魂は いつも僕のそばに
ああ あなたが 見守ってくれるから 元気に生きていける また逢う日まで
また逢う日まで
本当は大好きだと 心から愛してると 素直に言葉にできたなら 幸せだったのに
ひねくれて意地張って ケンカばかりしていた あの頃の僕の情けなさ 今だからわかる
それなのに なぜ今は そこにいないの?
「いつまでも いつでも一緒」・・・もう一度誓う
ああ あなたを 抱きしめられるなら どんなことでも僕は 惜しみはしないから
ああ あなたを 感じ続けること それだけは忘れない また逢う日まで
また逢う日まで
(間奏 )
傷つけ傷つけられ 裏切り裏切られて これからも僕は生きていく この試練の道を
助けて助けられて 感謝し感謝されて これからも僕は学ぶだろう 愛する喜びを
だからこそ 今そこで 見てるあなたに
「いつまでも いつでも一緒」・・・何度でも誓う
ああ あなたに 見せたいものがある 僕の勇気と真心 これからの人生
ああ あなたに ほめてもらえるよう しっかり生きていくよ また逢う日まで
また逢う日まで
「ねえ さみしいよ…… お願い 会いたいよ……
こんなに 泣きたい夜は いつもよりそばにいて……」
ああ あなたが たとえ見えなくても あなたの魂は いつも僕のそばに
ああ あなたが 見守ってくれるから 元気に生きていける また逢う日まで
また逢う日まで また逢う日まで……
合唱 *「いつまでも いつまでも いつでも 一緒だよ
いつまでも いつまでも いつでも 一緒だよ」
(*何度も繰り返し)
********************
・・・というわけで、私の「生きがい論」を、そのまま歌にしたような内容なんですよ。
たいへん美しいメロディもついていますから、あと1ヵ月後の発売日を、どうぞお楽しみに!
(4)5月30日に大阪で、大規模な公開講演会を開催。
しかも、皆さんと一緒に、私の歌たちを大合唱!
新刊『生きがいの教室』の発売を記念して、「生きがい教育ネットワーク・大阪」が、私の公開講演会を主催してくださることになりました。
大阪、いや、関西地区での講演会は、本当に久しぶりです。
しかも、当日には、以下のような多数の特典が・・・
@ 小学校の先生(『生きがいの教室』でお馴染みになった原田先生)などによる模擬授業
A 私の新曲「いつまでも、いつでも一緒」と、あの「生きていく明日からも」を、私のギター弾き語りに合わせて、参加者の皆さんで大合唱!(当日、歌詞カードを全員に配布いたします)
B 終了後に、新刊『CD付き新版 生きがいの本質』など、著書の販売(サイン&握手つき)
詳細は、以下のチラシをご覧ください。
(チラシ部分だけを印字・ダウンロードして、お知り合いの方々に、ご自由にお知らせいただけましたら幸いです。チラシの上でマウスを右クリックし、出てきたメニューから「画像の印刷」を選択すれば、誰でも簡単にプリントできますよ)
(※ チラシは、講演会終了後に削除しました)
特に、私が楽しみにしているのは、皆さんとご一緒に、「生きていく明日からも」と「いつまでも、いつでも一緒」を、大合唱できることです。(というか、講演会は前置きで、歌&大合唱の方が、私にとってはメインイベントだったりして・・・)
したがって、私の歌「生きていく明日からも」や新曲「いつまでも、いつでも一緒」を、私自身のヴォーカル&クラシック・ギター演奏に合わせて、一緒に歌ってくださるという方々は、どうぞ、当日、会場にお集まりください。
私自身、講演会は行っても、人前で歌を歌うことは、めったにありません。過去に、恩人の船戸医師の出版記念パーティで披露したり、「生きがいメディカル・ネットワーク」の総会で、ミュージシャンの吉田さん&田庫さんとご一緒したことはありますが、いずれも特別な事情です。しかも、今回のように、「どなたでも参加できる形でご一緒に歌う」というアイデアは、今後も、よほどのことがなければお受けしません。なにしろ、私にとって、人前で自分の歌を歌うというのは、とんでもなく恥ずかしいことですからね(笑)。
というわけで、「飯田史彦さん本人や、会場に集まった仲間たちと一緒に、大きな声で、思い切り、あの歌を歌いたい!」と希望くださる方々は、ぜひとも、この千載一遇の大チャンスに、全国から、大阪までお集まりくださいね。日頃のストレス解消に、ぴったりですよ(笑)。
市民会館という大きな会場ではありますが、お問合せ&ご予約は、上記「豊田医院」まで、どうぞお早めに。
あなたの周りに、私の歌を愛聴くださっている読者がいらっしゃいましたら、どうぞ、このチャンスの存在を、教えてあげてくださいね。
私の歌を愛してくださる方々と、5月30日に、ご一緒に大合唱できますことを、心から楽しみにしています。
3月24日版
新刊『生きがいの教室』、発売!
福島の書店にも、みずみずしい「ひまわりちゃん」の表紙が、山積みになっていたそうです。
すると、『生きがいの教室』の第2章でご紹介している、ある先生から、このようなメールが届きました。
********************
以下8月23日版
来週から8月末まで、1週間ほど、はるか遠く、海の向こうに、出張してまいります(仕事ですよ、仕事)。講演会・研究会や取材・打ち合わせなどの合間をぬって、PHPから10月末発売予定の新刊『生きがいのネットワーク』の最終執筆に励みますので、応援していてくださいね!
おっと、その前に、今日(8月23日)は、有名な秋田県大曲市の「全国花火競技大会」(日本最大規模の花火大会で、60万人もの観衆が訪れます)に、父と2人で行ってきま〜す!
(NHKのBSチャンネルでも、生中継で衛星放送するそうですので、間に合えば、ご覧になってみてください)
しかし、天気は「曇のち雨」の予報・・・昨年は大雨の中でも決行したそうですが、果たして今年は?
もしや、私が行く年にかぎって、何十年ぶりの雨天順延になってしまうのでしょうか? 友人の知人に頼み込んで、せっかく、貴重な「桟敷席」のプラチナチケットを手に入れたのですが・・・そういえば、先日の国立競技場(ベッカム&レアル・マドリードの試合)も、ずっと大雨で大変でした。何しろ私は、いわゆる「雨男」なものですから(涙)。
残り少ない夏ですが、せめて毎日を大切にして、自分らしい、充実した日々を過ごしましょうね!
8月17日版
悲惨!
思い切って研究費をはたき、20数万円も払って購入した、富士通のノートパソコン「LOOX T90D」が、買ったその日に、インターネット接続の設定作業を終了したとたん、突然「シャットダウンします」というメッセージが出て、勝手に終了してしまったのです。しかも、その直後に、勝手に再起動する始末。「何だ、これは?」と、そのまま作業を続けてみると、10分ほどで、また勝手にシャットダウン。
この困った症状が何度も何度も続いて起こり、パソコンとして機能しなくなってしまった時点で、「おや? もしや、これはウイルスに感染してしまったのでは?」と、疑ってみました。しかし、インターネットに接続していたのは、まだ、設定作業中の数十分だけでしたから、そんな短時間で、運悪く感染するはずがありません。怪しい添付ファイルも、開いていないのです。何しろ、買ったその日の出来事で、ようやく、設定作業が終わったばかりなのですから。
ところが、その直後に、自宅のパソコンあてに、富士通に勤務する友人から、「必見! Blasterウイルスに感染した場合の復旧方法、予防方法」というメールが届きました。あわてて、そこに書いてある「Blasterウイルスに感染した場合の症状」という項目を見てみると、「パソコンが勝手にシャットダウンし、再起動する」と書いてあるではありませんか!
しかも、あわてて、そのメールをプリントしておき、対処方法を読んでいた、その時のこと。何と、自宅のメイン・パソコンまでが、突然、同じように、勝手にシャットダウンしてしまったのです!
自宅のパソコンは、最新のワクチンを自動ダウンロードする仕組みにしてあるのですが、久しぶりにパソコンの電源を入れたため、最新のワクチンもウインドウズ・アップデイトも、間に合わなかったのです。
かくして、自宅のメイン・パソコンも、携帯用のノートパソコン(しかも購入した当日)も、枕を並べて、新型の凶悪なウイルスに、やられてしまいました。
あとで聞いたところでは、新聞やテレビで、史上最悪の新型ウイルス「MS−Blaster」の被害が世界中に広がっており、何十万台ものパソコンが侵食されていて、今もどんどんウイルスを撒き散らしているという警告が、頻繁に流されていたとのこと。しかし、夏休み中で、仕事のことを忘れて休むために新聞もテレビも見ていなかった私は、何も知らなかったのです(涙)。
せめてもの救いは、富士通の友人から送られてきた対処方法を、プリントしておいたことでした。それから、必死で対処した結果、ノートパソコンの方は、ウイルスの活動を停止させることができましたが、駆除することはできずじまいで、体内にウイルスを保有したまま、活動だけは停止させている状態です。40万円近くもかけている自宅のメイン・パソコンの方は、何とか駆除することができ、ワクチンを打って新たな感染は防止していますが、「一度インターネットに接続すると、シャットダウンしない限り切断できなくなった」という、情けない後遺症が残ってしまいました。
まさに、踏んだり蹴ったりとは、このことです。その後、貴重な休日を丸2日間もつぶして色々とやってみましたが、買ったばかりのパソコンがおかしくなり、仕事でフル活動させる高価なメインパソコンまでが、悪質な後遺症に苦しんでいます。
特に、今回のウイルスが史上最悪と言われる理由は、「怪しげな添付ファイルなどを開かないようにしていても、インターネットに接続しているだけで、勝手に侵入してくる」という点に加えて、「勝手にシャットダウンして、それまでの作業データを失わせてしまう」という特徴です。まじめに働いている人間にとって、これほど痛いダメージはありません。こんな悪質なウイルスを作るほど高度な能力を持っている犯人には、ぜひとも、その能力を、世のため人のために善用していただきたいものです。
・・・というわけで、おかしくなったパソコンを復旧させる作業は、まだまだ続きます。いろいろとチャレンジしているのですが、ワクチン会社の複雑な指導どおりにやってみても、なぜかうまくいきません。この2日間、パソコンの復旧にかかりきりなので、その、何も新たな価値を生まない非創造的な作業に、グッタリしています。パソコン画面を見続けているので、目がやられて痛くなり、頭もズキズキしてきました。あまりの情けなさに、パソコンの容態が気になって、食事も喉を通りません。
皆さんも、パソコンのスイッチを入れてインターネットに接続したら、何よりもまず、「WINDOWS UPDATE」に接続して、最新のウイルス対策プログラムをダウンロードしてくださいね。現時点では、マイクロソフト社が、無料配布しています。すぐに、このプログラムをインストールしておかないと、私のように、あっという間に感染してしまいますよ。
どうぞ、お気をつけて!
(ただし、このウイルスは最新型のパソコンを狙ったものなので、まだ、ウインドウズ98かMEをお使いの方は、感染しませんからご安心を)
そして、私の大切なパソコンを痛めつけた、ウイルス作成犯に一言・・・
「この*****、********!」
(あまりに格調の低い罵詈雑言のため、伏せ字にさせていただきます)
PS。 今回の更新は、元気の出ない内容なので、せめて最後に朗報を。
おかげさまで、新刊『生きがいの真実』は、順調に増刷を重ねています。編集長さんも、「書店からの注文が、途絶えることなく続いています」と、お喜びくださっていました。
また、新刊『生きがいの******』の執筆も、順調です。まだ内容は秘密ですが、10月末か11月の初旬には出版できますので、どうぞお楽しみに!
冷夏・停電・地震など、この夏には色々ありますが、みなさん、一緒に励まし合いながら、がんばりましょう!
8月13日版
お騒がせして、ごめんなさい!
多くの方々から、「8月5日版のホームページが、文字化けしているので、修正してください」という忠告をいただきました。わざわざご連絡くださいまして、本当にありがとうございます。
し、しかし・・・
実は、少数ながら、すでに解読なさった方々もいらっしゃるように、前回の更新は、「暗号文」になっているのです!
じっとながめていると、ある整然とした法則性が見出されてきて、「夏休みのお知らせ」バージョンと、「愛のメッセージ」バージョンの、2種類の文章が浮かび上がってくるはずですよ。
(えっ? まだ1種類しか気づいていなかった、という方々も?)
まだ解読なさっていない方々は、どうぞ挑戦してみてくださいね。
解読してみると、「な〜んだ、こんなに単純な暗号文だったのか! なんで、すぐに気づかなかったんだろう?」と、拍子抜けするくらいに簡単なんですよ。
なになに?
「ちょっと、悪ふざけが過ぎますよ。とうとう、(前からそうじゃないかと思っていたけれど)、飯田先生、頭がおかしくなったんじゃないかと、心配しちゃったじゃないですか!」ですって?
すいません、つい、教師の習慣で、夏休みには「宿題」を出さねば、と思ってしまうものですから・・・こんな騒ぎになるとは、決して・・・(泣)
8月5日版
しあなばたのらことくを、のここあろかいらあだいし、ていなますつ。そやのこすとをみ、いをつ、とどこっにいててもと、わおすれくないにでくいださきいねま。あすなたのは、でもう、、こHどくPではのありこませうん。しそしんてわはたし、も、おこどやくですはあみりまにせんさ。わせたしてとあいなたたは、だいつき、どまこにすいて。も、どここうろのぞおく、でつみながなってさ、ふんかくもしん、じあゆってたいきかていなるのみですの。こりれかのらもな、いつつまやでもすあいみしあをって、であおえたすことごのよしろこくびをだ、わさかちいあおねうね!!!
7月28日版
しばらく出張しており、久しぶりに帰宅すると、懐かしい韓国語の差出人のお手紙が・・・
そう、以前、『人生の価値』の最後でお手紙をご紹介した、韓国の刑務所で服役中の「イ」さんからのお手紙です。
さっそく、原文のままでご紹介しますね。
********************
飯田先生へ
もう とても 暑くなりました。
その 間も 相変わらず お元気ですか。
私も おかげさまで 元気で 過ごして います。
送って くれた 本 本当に ありがとう ございます。
よく 読みます。
私は 今 新しく 初める 心で 新たな 人生を 暮らす ように します。
再びは 絶対 悪事を しないで 真面目に 生活します。
過去の 一攫千金主義と黄金万能主義を 捨てて 健全な 価値観で 汗を 流れながら 熱心に 働いて 誠実に 生きます。
私 今 どかたを 働いて 熱心に して います。
今は きついですが 未来を ために 我慢して います。
応援して ください。
お体を 大切に なさって ください。
それでは また お便り 致します。
***より
********************
・・・なんと、無事に刑期をつとめあげて社会復帰され、今は、建設業に従事なさっているとのこと。
私も本当に嬉しくなり、ほっとしました。「汗を 流れながら(汗を流しながら?) 熱心に 働いて 誠実に 生きます」「今は きついですが 未来を ために(未来のために?) 我慢して います」というお言葉に、胸がキュンとなりました。
明日は、福島大学の大学説明会が開催され、全国から数百名の高校生たちが集まってきます。私も、夏休み中の大学に久しぶりに登校し、経済学部の教官を代表して「人事管理論」の模擬授業を行うよう、大学広報委員会から依頼されています。(ただし、わずか30分間ですし、受験を控えた高校生しか聴講できませんので、一般の方々の「密航」はご遠慮くださいね)
「未来のために、今、我慢して、熱心に働いています」という「イ」さんの頑張りを、私なりの方法で、模擬授業を通じて、受験勉強中の高校生たちに、伝えようと思っています。
皆さんも、韓国のどこかで今日も汗を流して働いている「イ」さんに、応援の念を送ってあげてくださいね!
7月21日版
前々回(7月11日)の更新でご紹介した、ある拘置所からお手紙をくださった方に、その後、すぐにお返事を差し上げておきました。内心、「いつまでその拘置所にいらっしゃるか、わからないから、ちゃんとご本人に届くかなぁ・・・」と心配しながら投函したのですが、嬉しいことに、すぐにお返事が返ってきたのです。今回も、便箋1枚1枚に、拘置所の印鑑が押してありました。
特にプライバシーに触れる部分はありませんので、原文のままで、ご紹介させていただきます。
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前略
飯田先生、有難う御座居ます。
14日に、先生に送って戴きました御本とメッセージ、頂戴致しました。
嬉しくて嬉しくて、本を抱いて何度も何度も御礼致しました。
余りの嬉しさに、涙が溢れて止まりませんでした。
先生、本当に有難う御座居ます。
先生の御言葉、「信念は力なり」を、私の座右の銘として、先生の御本を一生の宝として、頑張って参ります。
先生、素晴らしい感激、感動、有難う御座居ます。
平成15年7月14日
飯田先生
妻にも、早急に知らせます。
きっと、すごく歓んでくれると想います。
********************
わ〜い!
わいわ〜い!!
きちんと手紙を渡してくださった、拘置所の係員さん、ありがとう!
そして、手紙を運んでくださった、郵便局員さん、ありがとう!
こうして、見ず知らずの人と手紙をやり取りできるのも、係員さんや局員さんのおかげです。
その前に、私の本を出版してくださった、PHP研究所の皆さん、ありがとう!
そして何よりも、私に「書きたい本を出版できる境遇」を与えてくださっている、読者のみなさん、ありがとう!
こうして、見ず知らずの人に私の本をお届けできるのも、編集・営業の方々のお仕事と、多くの読者の皆様のご支援のおかげです。
7月16日版
福島県&近県にお住まいの方々へ、ご案内いたします。
以下のように、9月20日(土)の13:30〜15:30に、会津大学短期大学(会津若松市)で、『生きがいの創造』と題する公開講座を担当することになりました。
(削除しました)
どなたでも、入場無料で聴講いただけますので、福島県&近県の方は、「白虎隊」で有名な歴史の町・会津若松の観光を兼ねて、どうぞおいでくださいね。
会津藩・会津若松といえば、幕末時代の長州藩・萩の町と、深〜い因縁のある地。実際に数年前、山口県の萩市から、長年の恩讐を越えた友好都市協定締結の申し入れがあったにもかかわらず、「戊辰戦争の恨み、忘れてなるものか」と、会津若松市議会で「否決」されたのだそうですから、恐れ入ります。私もなぜか、会津若松に出向くたびにドキドキしてしまうのですが、今回の会津入りも、この身に何事もなく終えることができるのでしょうか?
7月11日版
実は、このところ、ひどい目にあったり、どうしようもない誤解を受けたり、腹の立つことが重なって、「なんで僕が、こんな思いをしなくちゃいけないんだ!」と、こんな世の中で生きていくことが、ほとほと嫌になっていたのです。(その種のことは、特別な事情がない限り、このホームページには書きません。何しろ、癒しを求めておいでくださる方々が、ほとんどですからね)
すると、本日、このようなお手紙をいただきました。
********************
前略 飯田先生
私は、現在、**拘置所にて、この手紙を書いて居ます。御縁がありまして、先生のCD付きの著書「生きがいの創造」新版に接する機会に恵まれました。
何と申しますか、「認識を新たにした」とでも言えば良いのでしょうか。
振り返ればこの*十年間、犯罪の繰り返しで、社会に居たのも、ほんの僅かの期間だけでした。今迄の私は、以前に読んだ本の影響で、「人生はすべてプログラムされているのだから、私が起こした犯罪も、起こるべくして起こしたもので、言わば運命なのだから仕方がないのだ」と、都合よく解釈していました。
しかし、先生の著書を拝読させて頂きまして、何か間違っていたのでは、と感じ始めたのです。言ってみれば、「目からウロコが落ちた」とでも言えばいいのでしょうか。今迄に私は、ほとんど**の罪ということで、自己の利益のためには、他の事は何も考えず、自己中心な人生を過ごしてきた様です。私の犯した**の罪の為に、どれだけの人々が大変な想いをしたか・・・。その様な事は何も考えず、自分の利益だけを求めてきたのです。ですから、その因果関係として、服役は当然の結果と言えばそうなのですが・・・。
しかし、本書の中の、「人生のある時点までは、いつも望ましくない道を選んできた人でも、ある時にそれ迄の自分の姿を反省し、生き方(解決方法の選び方)を変えた場合には、一転して、予定していた良好な人生の方向へと進んで行く事ができるのです」と言う一節が有ることで、私は考えました。このような私でも、過去を反省し、今迄の罪を悔い改め、二度と犯罪に手を染める事の無い様に努力すれば、今後は良い人生を歩めるのでしょうか?
私の犯してきた罪は、私が直接に手を下してはいなくても、本書に有りました、「自分が直接に手を下した訳ではなくても、自分が輸送しただけの武器によって多くの人々が殺される光景や、親が殺されたと知って泣き叫ぶ子供たちの姿を、光の存在から徹底的に見せつけられた」と言った一節を読みまして、私の妻の姿がダブって見えて参りました。私にも御縁が有りまして、妻と子供達がおります。一時も早く、私の現在の申し訳ない心境を、知らせてあげようと思っております。
また、想い起こせば、私がこの様な犯罪に手を染め始めてから*十年間というもの、親兄弟とも連絡を取っておりません。是非、この機会に、老いた母や、私の事を心配している兄弟に、早速手紙を書きたいと思っています。
これから、私は、今回の刑を償いに行く事に成りますが、いつも、愛する事、許す事、感謝する事を忘れずに、前向きに努力するつもりです。
飯田先生、生きる希望を有難う御座居ます。
妻にも、早速、この御本を送ってあげたいと思っております。
先生も、何卒、私の更正を願って戴ければ幸いです。
これからも、私の様に、先生の著書に接して、生きる希望を持てるようになる人々が、沢山現れる事を祈っております。
それでは失礼いたします。 草々
********************
わ〜い!
(こういう時には、ただ単純に、喜ぶべきなのです)
がんばって「生きがい論」を執筆し続けていて、良かったぁ・・・
さっそく、お返事を書きました。いただいたお手紙の便箋には、1枚1枚に、拘置所の認印が押してありました(内容の検閲を受けたのでしょう)。私がお送りするお返事も、きっと本人に渡す前に開封して、内容を確認されるでしょうから、無事に検閲をパスすることができますよう祈っています。もちろん、温かい励ましの言葉しか書いていませんから、大丈夫でしょうけど・・・
やっぱり、深く傷ついて投げやりになった心には、読者の皆様からいただくお手紙が、何よりの薬になります。この御方のおかげで、今夜は数日ぶりに、安らかに眠れそうです。こうして私を救ってくださったことを、この御方が、ご存じないのが残念ですが・・・(きっと、宇宙が、この御方に、御褒美を差し上げてくださいますよね)
明日は、朝から車で出かけて、東北自動車道を北上し、宮城県の古川高等学校に出没せねばなりません。生徒さんたちに向けて、90分間の講演を依頼されているのです。
それでは、みなさん、おやすみなさ〜い・・・
・・・ZZZ・・・
7月5日版
本日は、嬉しいお知らせがあります。
(1)読売新聞で、『生きがいの創造』が紹介されました。
先日の読売新聞紙上で、女流棋士(囲碁のプロ)として有名な梅沢由香里さんのインタビューが掲載され、その中で梅沢さんが、次のように語ってくださいました。
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慶応大学4年の冬、試験に合格し囲碁のプロ棋士になった途端に、囲碁大会での解説や取材などの申し込みが殺到した。見知らぬ相手から電話で舞い込む依頼。信用できるのか、報酬の目安は・・・。疑心暗鬼になった。
桁違いに膨らんだスケジュールに1年ほど振り回され、「精神的にめいっぱいの状態」に陥った。そんな時にたまたま手に取ったのが、飯田史彦著『生きがいの創造』だった。「人生の中で出会う困難は、自分を成長させるためにプログラムされている」というメッセージを感じ取り、「急に吹っ切れました」。
読み終えた時に、気持ちは前向きになっていた。「嫌な気分の原因を整理しよう。何が苦手か、なぜそう感じるのか、解決法は」。考えていくうち悩みも消えていった。勇気づけられたこの本が、「忘れられない1冊」になった。
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梅沢由香里さん、本当に、ありがとうございます!
(Jリーガーのサッカー選手と結婚なさって、幸せ一杯ですね)
(2)高校の「保健」科目『現代保健ノート』に、私の『生きがいのマネジメント』が引用されました。
この4月から採用された、大修館書店編『現代保健ノート』。
その35ページ、「自己実現」の項目の中で、次のような図表が!
そう、大きな字で、
「飯田史彦『生きがいのマネジメント』PHP文庫2000年より作成」
と、私の名前と書名・出版社名が、明記してあるではありませんか!!
これを見て、高校生諸君がメンタルヘルスの学びを積んでくださるとは、何と光栄なことでしょう。『生きがいのマネジメント』を執筆して、本当に良かったです。
なお、私がPHP文庫から出版した『大学で何をどう学ぶか』も、おかげさまで何度も増刷となり、すでに30000部近くが世に出ています。私は、自分の授業では全く使っていませんので(授業では『生きがいのマネジメント』と『日本的経営の論点』をテキストにしています)、日本のどこかで、私とは直接に関係の無い30000人もの方々が、自主的に購入くださったことになります。本当に、ありがたいことです。
特に今年は、「自分が大学に行こうかどうか迷っていた時に、お父さんが『大学で何をどう学ぶか』をプレゼントしてくれて、それを読んで、福島大学に行って飯田先生のゼミナール(学級)に入ろう、と決めました!」という女子学生が現れたので、感激しました。実際に、福島大学に合格し、しかも「飯田ゼミナール」(福島大学で一番の競争率を誇ります)の入ゼミ試験に合格したのですから、たいしたものです。これまでにも、私の「生きがい論」を読んで福島大学を希望したという学生たちには、ずいぶん出会ってきましたが、『大学で何をどう学ぶか』で人生が変わったという学生は、初めてだったのです。
ちなみに、今年の「飯田ゼミナール」の合格者は、男性2名、女性6名。これで、先輩たちと合わせて、私のゼミナールのメンバーは、男性9名、女性21名となりました。経済学部全体では、圧倒的に男子学生が多いのですが、なぜか、飯田ゼミナールだけが、男女比が1:3という桃源郷・・・い、いや、アンバランスな状態。これはべつに、私が「女好き」だからというわけではなく、単に、女性の希望者が多いからにすぎません。いやはや、困ったものです。ハハハ。(ぜんぜん困ってないのが、バレバレですね)
6月25日版
本日は、奥様を亡くされた若い男性から、次のような嬉しいお手紙をいただきました。
********************
前略 飯田先生
私は、先日、妻を亡くしました。
子供はいなかったので、今は独りです。
私と飯田先生との出会いは、昨年、妻が亡くなって2週間ほどして、ある人から、『生きがいの創造』を紹介していただいた時でした。正直、この本に助けられました。
今年に入って発売された、『新版 生きがいの創造』に付録していた「生きていく明日からも」のCDも、愛聴しています。ドライブの際には、必ず、この歌をリピートして、何回も何回も聴いています。3番を聴くたびに、妻を思い出して、涙があふれてきます。
2月に、先生のHPで、「生きていく明日からも」の歌詞を、先行して公開されましたよね。私は会社でちらっと覗き見をしていたのですが、3番の歌詞が目に入った瞬間、まわりにたくさん同僚がいたにもかかわらず、涙があふれてあふれて、止めることができませんでした。
その当時、私は、妻がいなくて寂しくて寂しくて、どうにもたまらない状況でした。だから、3番の歌詞と、「生まれてきた喜びを思い出そう」「生きていることの意味を見つけ出そう」という歌詞が、私の心の奥底に響き、それ以来、歌のメロディーはまだ知らないのに、歌詞を何回も何回も心の中で復唱し、生きる力を出そうとしてきました。これで、『生きがいの創造』には、旧版と新版で、2度救われました。
「輝く魂に戻って、今もそばで生きている、光になった愛しいあの人」に、また会うその日まで、何とか、「心に太陽を描いて」生きていくことができるよう、そして、また会えたその時には、妻から「よくがんばったね」って誉めてもらうのを楽しみにしながら、「生きていく明日からも」です。
今でも、妻のことが恋しくて、泣きたくなることも多々ありますが、ここにも、飯田先生の著作を心に抱いて生きている男が一人いることを知っていただきたくて、つたないですが文章にいたしました。
これからも、応援しています。「生きがいの真実」も、楽しみにしています。
お体に気をつけて、がんばってください。
********************
わ〜い!
こちらこそ、どうもありがとうございます!
6月16日版
これはめでたい!
なんと、石川県の中学生、岡崎啓君が書いてくださった、私の著書『人生の価値』に対する読書感想文が、県の最優秀作品に選ばれました!
もちろん、私は、岡崎君とは、現在まで、全く面識も交流もありません。先日、第3者の方が以下のような記事をお送りくださって、私も初めて知りました。
そこで、まず作品発表の記事をお見せしたうえで、岡崎君の読書感想文の全文を、ここに掲載させていただきます。私の数々の著書の中でも、『人生の価値』は、『愛の論理』に次いで最も理屈っぽい本なのですが、中学2年生の岡崎君は、精一杯に読解してくださっています。しかも、中学2年生とは思えない、しっかりした文章で、「さすがは最優秀作品だ」と、感心してしまいました。
それでは、ご紹介しましょう。
********************
第48回青少年読書感想文コンクール
石川県 最優秀作品(中学校U類)
「人生の価値」という本を読んで
珠洲市立日置中2年 岡崎 啓くん
一冊の本に目が止まったまま僕は動けなくなった。
『人生の価値』という大きなタイトルの下に「私たちはどのように生きるべきか」という副題があり、更に帯紙には「ベストセラー作家の新たなる挑戦。どうして人をいじめちゃいけないの? どうして自殺しちゃいけないの? どうしてがんばらなくちゃいけないの?」と書いてある本の表紙に目を奪われたのであった。
福島大学助教授飯田史彦と、著者の肩書きと名前を見た辺りでその本を手に取って、本のタイトルを誰かに見られたら、自分の心の中を見透かされるような気がして、側にいる客に見えないようにタイトルの上にお金を置いて隠しながら、店員さんに本を渡して素早く買った。
中学への進学と同時に能登に引っ越して来て以来、自分の心の内で言葉にならない黒く、重たいものが日に日に大きく重くなっていくのを自覚していても、一体それは何であるのか解らずにいた。そんな時にこの本の表紙の言葉に出会った。
この本の表紙の文字が目に入った瞬間に、自分の心の内の重しが何であるのか分かったような気がしたのだ。
この本を読んだら、もしかしてもっと自分の心の内が解るのではないか、そんな気がしてこの本を買ったのだと思う。だから、本のタイトルを隠したんだろうと思う。
『人生の価値』というこの本を読み終えた直後から、自分でも驚くほど明るくよくしゃべるようになった。
「啓らしく明るくなったね。」と家の人からも言われるようになった。
それはこの本を読んだ後、自分の人生について次のように考えるようになったからだ。
人生とは、様々なものを学ぶための機会、つまり「学校」のようなものであり、学校では、普段は色々な知識を学び、時々自分の成長度を調べるための試験があるのと同じように、人生という学校でも適切な時期に試験問題が用意されていて、その問題を解くために必要な知識や経験が日常生活の中にちりばめられている。しかも、その問題を解くための絶妙なヒントがどこかにきちんと用意されている。
人生での試験問題とは、目の前に出現する壁のようなものであって、壁を解決することがそれを乗り越えることになると考えるのではなく、全ての物事には意味や価値があり、プラスとマイナスがあるが、本質的にはマイナスなものは存在しないというブレイクスルー思考で対処すれば、目の前の壁も含めた全てのものが、自分の成長のために用意された順調な試練であるととらえることができる。
挫折や不運という概念を用いない発想法としてのブレイクスルー思考ならば、目の前の壁そのものに価値があり、その試練に挑戦するだけで、もう乗り越えたと同じだけの価値があると考える。
僕は、このブレイクスルー思考に特別な共感を持った。それというのは先に書いたように、引っ越しと同時に学校も変わり、友達や学校、言葉や習慣などの違いから深く悩んだことがあり、どうしようもなくなったあげくに、どうせなるようにしかならないのだからと、開き直るような感じで、全てが自分の成長のために起こることなのだから、自分なりに懸命に取り組んでいれば、そのうちにどうにかなるだろうと思った。その瞬間から気持ちが非常に楽になった経験があったからだった。
更にこの本は、マイナス的なものが存在しないという。全てのものがプラスであると考えるためには、物質主義的な観点からではなく、スピリチュアルな観点(人間の本質は精神であると仮定し、精神的な豊かさを追及する観点)から考えるべきだと説いている。
最近狂牛病対策の一環として国内産牛肉の買い上げが実施された際に、何社かの大きな会社の悪徳経営者が外国産を国内産と偽り、お金を騙し取った事件があった。この事が原因でその会社の製品は、スーパーやデパートからボイコットされ、そして会社は倒産し、罪のない社員とその家族は幸せな生活から外された。これは悪徳経営者の利益主義という物質主義的観点からの発想が起こしたものであり、精神的豊かさを追及する観点からの発想ならば、多くの社員とその家族の幸せを奪うことはなかったと僕は思う。
人生にはいろんなことに出会うように最初から設計されているという。僕が偶然にこの本と出会ったように、それは必要な時期に必要なことがらと出会うのである。これからの人生にどんな困難と出会うのか。自分の人生の価値を高めるために楽しみである。
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・・・本当に、素晴らしいですよね。中学2年生で、あのお堅い(大人向けの)『人生の価値』を、ここまで自分なりにしっかり理解してくださるとは、まさに、著者冥利に尽きるというものです。
岡崎啓君、どうもありがとう!
いつか、どこかで、きっと会えるよ。
そういえば、私も同じ中学生の時に、朝日新聞社の読書感想文コンクールに入賞した記憶があります。広島県大会レベルでは、様々な作文コンクールの入選の常連でしたし、確か全国大会でも何かいただいて、授賞式に出席するために、生まれて初めて、広島県の竹原市から、「東京」という名の大都会に上京した記憶も残っています。
その時の作品は、有名作家(名前を忘れた!)の『檸檬』という名作の感想文だったような(たくさんのコンクールで入選したので、混乱しているかもしれません)・・・授賞式の会場は、確か、九段下あたりの「学士会館」という建物だったような・・・そして、「あと少しで、優勝特典のハワイ旅行がもらえたのに」と、悔しがったような・・・しかも、同行してくれた両親にご褒美をせがんで、今は無き日比谷の日劇かスカラ座(だっかたな?)で、ちょうど当時封切られて大ヒットしていた映画「未知との遭遇」(S・スピルバーグ監督)を鑑賞して、生まれて初めて体験する巨大なスクリーン一杯に広がったUFOの母船の美しさに、やたらと感動したことも覚えています。
何しろ、それまでの私は、映画館など無い田舎町に住んでいましたから、1年に1〜2回、高校教師だった父が電車に1時間も揺られて連れて行ってくれる「三原」という町で、「男はつらいよ」(主演:渥美清)の映画を観るのが精一杯でしたから・・・おかげで、大学に上京してからも、広島に帰省するたびに父に誘われ、「寅さん」の映画は、すべて生で鑑賞させていただきました(笑)。
今思うと、私は昔から、文章を書くのが大好きだったんですね。
それも、小学生の時に、父が勝手に「新潮文庫の100冊」というシリーズ100冊を買ってきて、私の勉強机の横の本棚にドンと置き、「まだお前には読めんじゃろうけど、わかる範囲でかまわんけん、好きな本から読んでみいや」(広島弁)と、プレゼントしてくれたのが発端だった思い出があります。当時は、テレビゲームもパソコンも無く、テレビも白黒で、子供はあまり見せてもらえませんでしたから、必然的に、「読書」が大きな娯楽だったのです。私は、内容がよくわからないままで、それでも子供なりに楽しみながら、すでに小学生のうちに、「新潮文庫の100冊」を全て読んだ(というよりも、目を通した)記憶があります。
その頃の、子供たちにとっての「読書」という娯楽の位置づけの大きさを思い出すと、現在では、すっかり「ゲーム」や「テレビ&ビデオ&DVD」や「携帯電話」や「パソコン」に取って代わられ、「読書」に費やす時間は激減してしまっていることに気づきます。そのためか、大学生に書かせてみると、基本的な日本語さえも書けない、あまりにも貧弱な文章力なので、「いったい、これまで、学校で何を学んで来たのだろうか?」と、驚くばかりです。国立大学の学生でさえ、「1年間に、教科書以外の一般書は、芸能人の書いた本を除くと、1〜2冊しか読まない」という時代ですから、全くひどいものです。考えてみると、学校の先生や教科書に問題があるのではなく、まずはその前に、各家庭の中で、親が子供に「読書」をさせる習慣が消え去りつつあるのが、根本的な原因なのでしょうね。
私も、娘に、「漫画禁止令」を発令して、「美しい文章で書かれた本」を、どんどん勝手にプレゼントしようと決心しました。少なくとも、そのような父親の教育方針によって、「文章を書くのが大好き」という、今の私があるのですから。
皆さんも、私と一緒に、「さあ、子供に本を読ませよう!」キャンペーンを、はじめませんか?
なお、大量無差別殺人事件が起きた、大阪の池田小学校(すでに生徒用図書室に『生きがいの創造』文庫版が10冊置いてあるそうです)のPTA図書室に、学校関係者の方の特別なはからいで、私の講演ビデオを置いてくださることになったそうです。ありがたいことです。どなたかの、お役に立つことができましたら幸いです。
5月12日版
おかげさまで、
新刊原稿、できました!!
し、しかし・・・
PHPに、Eメールの添付ファイルで原稿を送ったところ、「受け取りました」との返事が来て以来、数日間、何の音沙汰もありません。いつもの対応と、全く違う雰囲気が、伝わってくるのです。
その理由は、実は、私には、よ〜くわかっているのです。それは・・・今回の新刊は、あまりにも「問題作」なので、PHPは、コメントのしようがなくて困っているのに、違いありません。この様子だと、明日にでも、「やはり、当社の手には負えません・・・この情報を公開するには、当社は保守的すぎるのです」と、原稿が送り返されてくる気配充分です。
・・・と、絶望に頭を抱えている私のもとへ、このような、素敵なお手紙が届きました。ご本人にEメールで連絡をとり、掲載の許可を快諾していただきましたので、ここに、ほぼ全文を公開させていただきます。
********************
拝啓 はじめてお便りさせていただきます。****と申す者です。
飯田先生、いつも本当にお疲れさまです。そして、ありがとうございます。お忙しい公務の間をぬって「生きがい論」のご活動をされることは、並々ならぬご苦労があるはずです。頭が下がると同時に、感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、昭和37年生まれ。飯田先生と同じです。失礼ながら、とても親近感があります。富良野の近くにある美馬牛(びばうし)という小さな町で、平凡な農民をしています。飯田先生のご本とは、95年か6年に『生きがいの創造』に出会うことができまして、それからすべてのご本を読ませていただいております。(すみません・・・「大学で何をどう学ぶか」は、まだでした。さっそく読まなくては。)
このたびは、『生きがいの創造』が、CD付きで改定新版として出版され好評とのこと。おめでとうございます。より充実し、洗練された内容になっていますね。
それに、何といっても、「生きていく明日からも」の歌は、本当にすばらしいです。温かくて味のある演奏と、力を抜いて、でも気持ちのこもった歌声は、歌詞の内容は無論のこと、史上最高の出来と言っても良いのではないでしょうか。CDを聴くたびに、「幸せだなぁ」と実感します。発案から、信じられないスピードで、この名曲を世に送り出してくださって、本当に感激するとともに、感謝いたします。イントロの前に入っている、「天使のおまじない」も不思議ですね。
自分のことを、少し書かせていただこうと思います。
生まれも美馬牛。一浪して、札幌の大学に入学しました。母親は農業で、父親は公務員として単身赴任で札幌におりましたので、私の入学も契機となって、一家で札幌に引っ越しました。
性格としては、人とのつき合いがおっくうで、内にこもるタイプです。何か、深いところで、コンプレックスがあるのかもしれません。自然や動物が好きで、大学も農学部に入りました。卒業後、札幌で、有機農業生産物を産直する会社に就職しました。その年に、私より1ヵ月半ほど後に入社してきた女性に、巡り逢いました。2歳年上で、とても素敵なひとでした。そして、1988年の1月に、結婚しました。
でも、幸せいっぱい、というわけではなく、不安もありました。私は自分に自信がなく、仕事もあまりできないし、何をやって生きていけば良いのかわからない。そんな自分が、果たして、この女性を幸せになどできるのだろうか、という不安です。
彼女の両親からも、猛反対されて大変でした。いわゆるカタイ家で、「安月給で、社会的地位も低いお前のような輩には、娘はやれない」ということでした。でも最終的には、彼女が家出をして、親はようやくあきらめてくれました。
彼女の名は、順子(仮名)といいます。ひまわりのような明るさと、無邪気さを持つひとで、いつも、みんなの人気者。「エース」といった感じの、健康優良児で、実際に子どもの頃、表彰されたそうです。その一面、人に気を遣いすぎるひとで、それで疲れてしまい、私にそのストレスが向けられることもありました。完璧主義で、中途半端を許すことができないのです。
そんなこんなで色々ありまして、私たちは職場を捨て、私の故郷の美馬牛に帰り、農業生活に戻ることになりました。順子も、畑仕事を積極的にしてくれて、にわとりを飼い、楽しく生活することができました。89年には、待望の女の子を授かり、子どもが可愛くて仕方がなく、「これからも、貧しいながらも、家族で楽しくやっていこうね」と、約束していました。
そんな時に、順子が病気になってしまいました。乳ガンです。91年の6月に、はじめて病院に行きました。その時は、「乳腺拡大」という診断でした。子どもがまだ1歳半くらいでしたので、時々、授乳していたのです。ところが、しこりはどんどん大きくなり、再度、病院に行くと、「すぐにオペ(手術)を」ということになり、悪性の乳ガンだとわかりました。信じられませんでした。こんなに若くて、まだ授乳しているというのに、乳ガンだなど・・・。
とにかく、それからは、治療に専念しました。東洋医学の食事療法や、飲尿療法まで、ガンに効くと言われるものは、何でも試してみました。私も、一緒に努力しました。丸山ワクチンやハスミワクチンなども入手し、私が打ってあげたり、体をマッサージしたり・・・
しかし、順子の容態は好転する様子はなく、翌92年6月に、入院。それからは、とうとう、つらい化学療法です。時々、外泊許可をもらって家に帰れることが、本当に救いでした。みんなで、それを楽しみにしていました。
しかし、懸命の治療のかいもなく、1992年の10月10日、体育の日に、順子は先立ちました。彼女の母親が、「体育の日なんて、健康優良児で運動が大好きだった、あの娘らしいわね」と、ぽつりと言ったのを覚えています。
『生きがいの創造』の中にありましたが、妻が入院中に、夫が買ってきたものが欲しいものと違うといって怒り出したと・・・あれと同じようなことがありました。きっと、本の中の女性と同じで、彼女も、なぜ自分がこんな目にあわなければならないのかと、怒ってしまったのだと思います。そんな順子に、何といっていいのかわからず、冷たい態度をとってしまった私は、本当に悪いことをしたなぁと、謝りたい気持ちでいっぱいです。
かわいそうなのは、娘もです。母親と遊んだ記憶はもちろんのこと、顔や声でさえも、覚えていないのです。自分で選んで生まれてきてくれたとはいえ、つらい道を選んだものだと、娘を見ては心で涙します。順子も、娘のことはとても気がかりにしており、別れたくなかったのです。
飯田先生、長々とすみません。順子の死は、もう10年も前のことで、自分に「もう忘れた」と思い込ませていたのですが、こうやって文章にしてみると、何だか、つい先日のことのように思えるのが、不思議です。
でも先生、あの頃は本当につらかったですが、今はもう、これでも元気なのですよ。飯田先生のご本のおかげです。友達からの紹介で、先生のご本に出会うことができたからです。
その後、親の勧めでお見合いもしてみましたが、結婚しようと思うには至りませんでした。私の覚悟が、できていないのです。両親には、申し訳ないです。
でも、おかげさまで、娘も中学2年生。とても元気な子で、友達も多く、中学生活をエンジョイしています。必要に迫られて(?)、とてもしっかりした人間に、育ってくれています。僕ひとりでは、とても無理だったでしょう。順子の両親や妹夫婦、私の両親や他の多くの方々の支えがあったおかげで、今の私と娘があります。本当に、いくら感謝しても足りません。
娘が大きくなってくるにつれて、順子さんそっくりになっていきます。遺伝なので当然なのですが、おもしろくてたまりません。順子さんの両親も、娘に会うのを楽しみにしているようで、このゴールデンウイーク中も、遊びに行っています。順子の代わりと思って、可愛がってくれています。
私の方は、収入は20年前の初任給と同じくらいに少ないのですが、娘が不平を言わないでくれるので、何とかがんばっています。
先生、こんな私でも、いつか、縁のある人とまた巡り逢って、覚悟を決めることができる日が、来るのでしょうか。
飯田先生、本当にすみません、長々と。
ゴールデンウイーク中も、戒厳令をしかれて、執筆活動でしたね。どんなご本ができるのか、とても楽しみです。
このご時世、いろんな人がいるので、先生は何かと大変でしょう。でも、先生が国立大学の助教授という肩書きは、とても大きいです。だからこそ私たちも、飯田先生のご本は安心して読めるし、人にも勧められます。でも、先生ご自身は、そのような立場で活動されるのは、本当に大変でしょうね。身を削る思いではないですか?
私のような怠け者には、先生の大変さは想像もできませんが、心から応援しております。
娘にも、先生の本を読むように勧めていますが、今は「ハリポタ」ばかりで、読んでくれません。まだ、その時ではないのでしょうね。でも、いつか先生の本を読んで、娘も共感してくれると信じています。
飯田先生、お体には気をつけて、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。先生のご健康とご活躍を、心からお祈り申し上げます。
乱文乱筆お許しください。
敬具
********************
わ〜い!!
この嬉しいお手紙のおかげで、もう、私は元気いっぱいです。
こうなったら、たとえPHPから「出版中止」の返事が来ても、たとえ全ての出版社から発禁処分になっても、このお手紙のような有難い読者の皆様がいてくださる限り、自費出版でもがんばるぞ!
ちなみに、発禁処分寸前の新刊のタイトルは、
『生きがいの真実 〜人間・人生・宇宙のしくみを語る』
です。
さあ、新刊原稿の運命や、いかに?
4月18日版
本日、こんなお手紙を、PHPから転送していただきました。
おそらく、高校生の女の子だと思われる字体です。
********************
私は、新しい『生きがいの創造』を読んで、CDを聞いて、飯田先生に話をとても聞いてもらいたくなりました。どこに送っていいのかわからなかったので、出版社に送ってしまいました。よかったですか?
私は、小さい時からずっと悩んでいたことがあり、そして今の生活にも不満があり、何も解決せず苦しんでいました。最終的には家出をしてしまいました。
両親は2人とも教師です。毎日夜遅く帰ってきます。休日は両親とも学校の行事で家にいないことが多く、小さい頃からとても淋しかった。学校も好きではないし、友達ともうまくいきませんでした。
私はとてもつらく、今の生活から逃げたくなり、家出をしました。
が、何も解決しませんでした。
家に帰ってきた時、父が、「お前にしてやれることは、このくらいしかない」と言って、『生きがいの創造』の本を私にくれました。
この本を読むまで私は、悩み苦しみはみんな他人のせいにしていました。学校は自分が決めた所じゃないと親のせいにし、友達関係は相手がわがままだと思っていました。
が、本を読んで考えが一転しました。これは自分への試練であり、これをクリアしないと成長できないと書いてあり、納得しました。この苦しみや辛さは自分を成長させてくれる過程でとても大事なことで、大切な材料だとわかりました。
友達には毎日感謝です。もちろん親にも。
ふられてしまった彼氏には、感謝に近いがそこまでいかない。でも、もう一度会いたい。そして「ありがとう」と言いたい。
長々とすみません。お返事待ってます。
********************
さっそく、『親子で語る人生論』や『愛の論理』を、サイン&メッセージ付きで送ってあげました。
素敵なお手紙、どうもありがとう!
さあ、今日からは、広島(薬剤師さんの勉強会で講演)〜名古屋(名古屋大学医学部付属病院小児科で、お子様を亡くした親御さんたちの互助会で講演)と、講演旅行です。
行って来ま〜す!!
2003年1月1日版
ついに、運命の2003年になりました。
時には、誤解や中傷を受けて
と身を隠したり、
時には、怒りと愛との葛藤に苦しんで
と叫んでしまうこともありましたが、
今年も、共感くださる同志の皆様と
と力を合わせて、
めでたく解決したいと願っています。
・・・というわけで、どうぞ皆様、よろしく御協力くださいますよう、心よりお願い申し上げます。
世界中から、今この瞬間に、勇気と希望を求めてこのホームページをご覧くださっている、数千人の読者の皆様へ・・・
あけまして、おめでとうございま〜す!!
12月26日版
うう・・・
この1週間ほど、毎日の平均睡眠時間は、4時間程度。
昨日などは、22時間半も連続してパソコンの前に座り、その後、まるで魂が抜けるかのように背後のベッドに倒れ込み、ほんの3時間ほど寝ただけで、またふらふらと死霊のように起き上がって、パソコンに向かいました。その後、ほぼ12時間が経ったところで、つい先ほど、ようやく、
論文ができた〜っ!!
まだまだ、「書き終わった」というだけで、審査にパスしたわけでもなく、掲載してもらえるかどうか、さっぱりわかりません。しかし、とにかく、いったん、身体を休めることができるんです。これも、皆様の応援のおかげです。
論文を書くのって、ほんとに孤独な作業なんですよ。べつに誰かから指示されたノルマがあるわけではないので、今回の論文を書かなかったからといって、誰に叱られるわけでもなく、誰かに迷惑をかけるわけでもありません。しかも、学術論文というのは、その性格からして極めて専門的な内容なので、「ごく近い専門分野の、わずかな数の同業者が、興味があれば目を通してくれるかもしれない」、という程度のものにすぎません。がんばって論文を書いたからといって、その努力を誰かが褒めてくれるわけでもなく、給料が上がるわけでもありません。書いても書かなくても、ただ「書き上げた達成感が得られる」というだけのことなのです。「え〜い、もういいや、今回は、書くのは止めだっ!」と投げ出してしまっても、全くかまわないのです。
それなのに、なぜ、論文を書くのかといえば、論文を書くという行為が、「研究者」としての自分のアイデンティティ(自分らしさ)を確認する作業だからです。論文を書くのは、誰かに喜んでもらうためでもなく、誰かに褒めてもらいたいからでもなく、審査に合格して掲載してもらうためでもありません。誰も喜んでくれなくても、誰も褒めてくれなくても、審査に落ちて掲載不可になったとしても、それはただ、「現時点で、この人たちには、まだ自分の主張は受け入れてもらえないのだ」というだけのことであり、それによって私自身の人間としての存在価値が、未来に渡って消え失せてしまうわけではないのです。
したがって、私にとって、論文を書くという努力は、あくまでも、自分だけのために行う努力です。「現時点での自分の主張を、自分のために、論文という形でまとめておきたい」という、研究者として自制できない強い欲求のみが、私に論文を書かせるのです。「この論文を読んだ人は、どう思うだろうか」という他人の目は、全く気になりません。それは、まさに「自分との戦い」以外の何ものでもなく、ひたすら、「自分自身で納得のいくものが書けたかどうか」という点のみが大切なのです。
・・・こんな気持ちで、昨日、2階の私の仕事部屋に入ってきた小学生の娘に向かって、私は思わず、次の言葉を教えてやりました。
「人生、日々これ挑戦。」
すると、娘が、「『日々これ』って、どういう意味?」と尋ねてきたので、私は、「『毎日が』っていう意味だよ」と答えてやりました。
それを聞いた娘は、なぜか、やたらと感じ入った様子で、しばらく「ふ〜ん・・・」と宙を見上げていましたが、突然に、1階のコタツに寝転んで少女マンガを読んでいた妻のところに駆けて行き、大きな声で、このようにのたまったのです。
「ねえねえ、お父さんがね、いいこと言ってたよ。あのね、『人生、日々これ人生』だって!」
おいおい、違うだろ!
それじゃ、同意語反復だ。「人生は、毎日が人生である」なんて、当たり前じゃないか!
(「今回は、やけに真面目な、論文の執筆動機の話で、面白くないなぁ」と思いながらお読みくださった読者の方々へ・・・・・・どうもすみません、結局、今回もまた、最後に落として終わってしまいました。何しろ、睡眠不足で、頭が異常事態に襲われちゃってるものですから(涙))
し、しかし・・・
娘の言い間違いを、しばらくは鼻で笑っていた私でしたが、よ〜く考えてみると、この言葉が、しだいに、人生の本質を的確にとらえ、その深遠な意味を伝えようとしているかのように思えてくるではありませんか。
そう、あたかも、「人生は一日一日の積み重ねであり、人生においては、その構成要素である毎日の朝から晩までが、その人の人生全体の縮図のようなものなのだ。したがって、『今日という一日のうちに自分がとる言動のひとつひとつが、人生の全体に影響を与え、自分ならではの人生を形成していくのである』という深い認識のもとで、一挙一動を大切にしながら生きていきなさい」と、何者かが、私に教えさとしてくださっているかのように・・・
おお! おお!! (← 開眼)
そういえば、昨日はクリスマス。きっと、この御言葉は、サンタさんからのプレゼントであるに違いありません(?)。
そこで、再び、至上の名言。
「人生、日々これ人生。」
(by 飯田真緒、8歳、Japan)
う〜ん、この名言の絶妙なニュアンスを、全世界の悩める人々にうまく英語で伝えるためには、どのように訳せばいいのでしょうか?
12月17日版
ご、ごめんなさい!
このところ、カウンターの進行が速いようなので、みなさん、「もうそろそろ更新されているんじゃないか」と期待して、毎日のように開いてくださってるんですね?(笑)
ここに書きたい楽しい情報が、たくさんあるのですが、論文『価値観コントロールの観点からみたメンタルヘルス・マネジメントの基本原理 〜経営学的アプローチと医学的アプローチの統合的考察』(仮題)の提出締め切りが目前に迫っており、寸暇を惜しんで本業の仕事をしているものですから、残念ながら、HPを更新する時間がありません(涙)。
だって、お尻に火がついちゃってるんですよ。崖っぷちに、追い込まれちゃってるんです。絶体絶命、四面楚歌、獅子奮迅(あれ?)。締め切りまで、あと1週間しかないんですから。いま、珍しく、真剣&本気モードに入ってるんですよ。まさに、「出産寸前でいきんでいる妊婦さん」状態なんです。どうか、もうしばらく、お待ちくださいませ!
というわけで、今夜も、執筆、執筆・・・
(うっ、い、いかん・・・これだけ書くために、10分も使ってしまった!!)
11月26日版
みなさん、どうもありがとう!
前回の更新内容を見て、たくさんの方々が、励ましのご連絡をくださいました。くわしいことを何も書かなかったことが、いろいろな憶測を生んだようです(笑)。お一人ずつにお返事する時間がありませんので、この場を借りて、失礼ながら、まとめて御礼申し上げます。
いただいたご連絡の中には、さまざまな「スランプ脱出」のアイデアが書いてあり、感心してしまいました。詩を書いてくださったり、温泉・飲酒に誘ってくださったり、ストレッチやアロマテラピーや食事療法のヒントが書いてあったり。
しかし、特に多かったのが、なんと、私自身の著書の中から、効果的な文章を引用して励ましてくださった方々でした。中には、「あれ? こんなこと、本に書いたっけ?」などと、書いた本人でさえも忘れてしまっている文章が、いくつも(笑)。でも、調べてみると、確かに、数年前の自分が書いた文章でした。
(私は、いつも未来を向いて進歩していたいので、過去の著書を読み返すことは、ほとんどしないんです。過去の著書に書いたことは、確かにその時点での私の主張なのですが、後になって自分で読み返すと、著者本人だからこそわかるミスや問題点が目について、後悔ばかりすることになるからです。でも、出版業界の常識に抵抗し、ゴーストライターなんか全く使わないで、すべて私が自分自身で書いた文章ばかりですから、どうかご安心くださいね。昔の私が書いた文章も、確かに、その当時の私が確信を持って書いたものであることには、変わりはないのです。)
つまり、読者のみなさんは、かつて、私の著書によって元気になったご経験をお持ちなので、その効果を、私自身にも教えてくださったのです。いただいた引用文を拝読していると、「なるほど、昔の自分は、このようにして、人々を癒し、励ましていたのだな」と、大いに刺激を受けました。
おかげさまで、来月末が締め切りの、「生きがい論」シリーズ新刊の執筆に向けて、大いに「初心に帰る」ことができました。そう考えると、ここしばらくの私のスランプは、「難しく考えすぎたり、周囲に余計な配慮をしたりしないで、自分の信念をそのまま世に問うていた、あの頃の初心に戻りなさい」という、神様からのメッセージであったのかもしれませんね。
11月22日版
しばらく更新できなくて、ごめんなさい。
なんだか今ね、スランプなんですよ。
「心」がね、寂しがってるんです。
日々の生活は忙しくて充実してるのに、
寂しくて寂しくて、たまらないんですよ。
そんな時って、ありませんか ?
10月30日版
ふう・・・
はるばる、九州の鹿児島まで、行ってまいりました。鹿児島県立鹿児島盲学校の「100周年記念式典」の、記念講演を依頼されていたのです。70分ほどの講演でしたが、会場のホールには、盲学校(中学・高校)の生徒さんたちや親御さんたち、そして卒業生の方々が、400名近くも集まってくださり、おかげさまで大盛況でした。私の講演タイトルは、「人生の価値 〜私たちは、なぜ生きているのか」というものでした。
さっそく、鹿児島盲学校の先生から、次のようなメールをいただきました。
********************
何事もなく、無事にお帰りになられたでしょうか。
講演会は、本当にありがとうございました。お忙しい中、はるばる鹿児島までおいでくださり、また、朗読CDまで寄贈していただき、一同感謝の気持ちでいっぱいです。
その後の反響も大きく、在校生だけでなく同窓生の方々などからも、いただいた朗読CDの貸し出しを希望する声がたくさんありました。寄贈していただいたCDは、学校の図書館で保管し、児童生徒・保護者・職員等に貸し出しをする予定ですが、同窓生については難しい状況です。そのため、鹿児島県点字図書館に1部置かせていただき、同窓生にも貸し出せるようにしたいと思いますが、いかがでしょうか。著作権等の問題など、ご迷惑がかかるようなことがないようにしたいと思っておりますので、ご返事をいただければ幸いです。
********************
そこで、さっそく、次のようなお返事を差し上げました。
********************
こちらこそ、講演の機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。
無事に、福島に戻りました。
点字図書館の件、了解いたしました。発売元にはナイショで、私の責任で許可いたします。どうぞ、ご自由にお使いください。その方が、私のCDも喜ぶと思います。
また、何かの機会にお会いできますことを、楽しみにいたしております。
********************
・・・というわけで、私が当日差し上げた朗読CD3本のうちの1本が、鹿児島県点字図書館に寄贈されることになりました。やはり、届くべきところに、きちんと届いてくれるものですね。
それにしても、鹿児島は暑かった・・・
それに対して、私の仕事部屋(兼ベッドルーム)の窓から見える福島周辺の山々(吾妻連峰や安達太良山)には、もう雪が積もっています。福島駅から1時間で標高1600メートルにまで登れる「磐梯吾妻スカイライン」も、すでに降雪のため閉鎖になったとのこと。道路が今度開通するのは、来年のゴールデン・ウイークになるのです。
そう、福島って、東京から新幹線で87分(東京郊外から都心に通勤するのと変わりません)しかかからないのですが、けっこう北国なんですよ。おおざっぱに数えただけで、我が家から車で1時間以内に、スキー場が6つ以上、雪が積もる温泉地が10ヶ所以上もあるんです。周囲には、高山・高原・湖・湿原なども数多く、1年中、リゾート気分で暮らせます。広島で育って松山(愛媛大学)で青春時代を送った妻も、今ではすっかり東北・福島を気に入ってしまい、真顔で、「お父さん(私のこと)、職場を変えるなら、単身赴任でよろしくね」と、のたまっておりました。
さっそく、明日は、愛車(ホンダの「オデッセイ」と、ローバーの「ミニ」)をディーラーに連れて行って、スタッドレス・タイヤに履き替えさせます。だって、慣れてしまうと、雪道を走るのって、とっても楽しいんですよ。福島から、ちょっと早起きして足をのばせば、会津磐梯山、裏磐梯高原、蔵王連峰、栗駒高原、月山、鳥海山、那須高原、日光戦場ヶ原、岩手山、八幡平、田沢湖高原、十和田湖、八甲田山など、みんな日帰りコース。大自然に囲まれて、雪景色と冷たい空気の中で入る露天風呂が、これまた最高なんです。
ああ、早く今年も、吹雪の中で露天風呂に入る、あの幸せを味わいたい!!
(うっとり・・・)
10月11日版
朗報!
先日、私の『親子で語る人生論』の韓国語版、
『パパ、勉強なんか嫌だし、生きるのもうんざりするわ』(朝鮮日報社)
の韓国での販売状況について、
「爆発的な売れ行きではないが、悲観的な売れ行きでもなく、まあまあ順調である」
という連絡が届きました。
なにしろ、4年前の『生きがいの創造』韓国語版の売れ行きは、立派な新聞社から鳴り物入りで出版したにもかかわらず、泣きたくなるほど「さっぱりダメ」でしたから、再起をかけた復活戦としては、上出来というもの。とりあえずは、韓国での関係者の方々にご迷惑をおかけしないで済み、ほっと安心しました。
著書であれ何であれ、おそらく「作者」として最も心を痛めるのは、自分の作品を世の中に出してくださった制作・販売関係の善意の方々に、「赤字」を出してご迷惑をおかけしてしまうことです。私は、著書の外国語版、朗読CD、絵物語などの著作権料を放棄していますので、それらがいくら売れても、まったく私自身の利益にはなりません。もちろん、売れなかったからといって、私が借金を背負い込むこともありませんが、やはり、制作・販売くださる方々の善意の資金を浪費してしまうと痛恨の思いですし、それらの方々の善意にいくらかの御礼(収益)をお返しすることができれば、このうえない喜びなのです。
今では、私の著書の韓国語版をお読みくださった方々も、日本語翻訳ソフトなどを使って、このホームページをお読みくださってるかもしれません。韓国人の皆様、私の著書は、いかがでしたか? 私の著書をお読みくださいまして、本当に、ありがとうございます!
PS. 先日、いわき市の「磐城農業高等学校」の体育館で、全校生徒向けの講演(90分)をさせていただきました。その際に、私の著書一式(7冊)を、図書室に寄贈して帰ったのですが、さっそく高校から、「すぐに生徒たちが借りに来ましたよ!」という嬉しいご連絡をいただきました。「自分が親を選んだのだ」「運命の赤い糸(ソウルメイト)は実在するのだ」「人生は自分で計画した問題集なのだ」という私の話の内容が、講演後に、大いに話題になっていたそうです。私が校庭を歩いていると、たくさんの女子高生たちが、「飯田先生、さようなら〜!」と、元気に手を振って挨拶してくれました。農業高校の生徒たちは、素直で素朴で温かくて、とってもかわいかったです。
PS−2. 先日、あるガンの患者さんが、ある病院でお亡くなりになる間際に、その病院に対する不満を口にしながら、
「私、もう2度と、この病院では死なないわ!」
と、名言(?)を言い残されたそうです。私の著書の愛読者で、「人生は一度きりではない」と信じていらっしゃるからこそ、ご本人は大真面目でおっしゃったはずなのですが・・・きっと、医療スタッフの方々には、嫌味のこもったブラック・ジョークとして聞こえたのでしょうね(笑)。
10月1日版
秋ですねぇ・・・
(今夜は、この一言に万感の思いを込めて、失礼させていただきます)
9月24日版
昨日、今年の4月で卒業した私の教え子から、嬉しい手紙が届きました。
実は、最近の卒業生から、この種の手紙を時々いただきます。私は、大学の講義やゼミナールでは、『生きがいのマネジメント』以外の「生きがい論」の著書には全く触れませんので、私が直接に指導する学生たちの大半は、『生きがいのマネジメント』以外の著書は読まないままで卒業していきます。そのため、卒業した後になって、会社の人やお客様から「へえ〜、飯田先生の指導を受けたの? どんな人?」などと聞かれるのをきっかけに、はじめて他の「生きがい論」の著書を読むことが多いのです。
また、この手紙の中には、最近の新卒社員(若者たち)の、「入社後すぐに転職する」という動向が、その善し悪しはともかくとして、たいへん生々しく描写されていますので、ご参考までにご紹介しましょう。
********************
飯田先生へ
お久しぶりです!!
先生は、お元気でしょうか?
私は、*****の営業として、毎日楽しい日々です。お送りした名刺の写真の******という****の営業をしたり、****の****も行っています。
最近、仕事をしている(社会に出た)中で、飯田先生の存在の大きさを再確認する出来事がありましたので、お手紙しました。
私は、*****先生という経営コンサルタントの先生のもとで、研修を受けています。(この方は、『*****』などにも連載している、けっこう有名なコンサルタントです)
そのコンサルタントの先生が、お話の中で、「今までに一番感動した本は、福島大学の飯田先生の本です!!」と、おっしゃったのです。私は、すっごく嬉しくなって、自分が飯田先生のゼミナールに所属しておりましたことを、お伝えしました。そうしましたら、その**先生もびっくりされ、喜ばれて、それ以来、その先生が、ずいぶんかわいがってくださるようになりました。
その後、その先生との出会いが相当大きなものになっていますので、そのきっかけを飯田先生に作っていただいたことに、本当に感謝しています。福島大の経済学部に入って、飯田先生の入ゼミ試験に合格することができて、本当に良かったです。ありがとうございました!!
また、先日、飯田ゼミで同期だった***(NTT)が、はるばる会いに来てくれました。久しぶりに休みが取れたので、フリーパスを使って友人めぐりの旅をしているとのことで、ちょっと寄ってくれたのです。いろいろと飯田ゼミの思い出話などもして楽しかったのですが、彼が言うには、「このところ、いろんな奴と会ってきたけど、就職後半年経って、いま元気そうにしてるのは、お前だけだな〜」というのです。
聞いてみると、やはり、卒業生はみんな、仕事や会社の「理想と現実」のギャップを痛感して、まいってしまっているのだそうです。先生はまだご存知ないかもしれませんが、同期の**ちゃんも、先日、会社を辞めてしまったのです。4月に入社してみたら、予想を超える、すさまじいハードワークだったのです。7月中もまったく休み無しで、終電でも自宅に帰れず、始発で帰って30分ほど仮眠してすぐに出社するなど、さすがに頑張り屋の彼女も、とうとう精神的におかしくなって、退社するしかありませんでした。・・・でも、**ちゃんって、すごいんですよ。その後、すぐに転職先の会社を見つけて、しかも、もともと希望していた**業界の会社なんです。会社を辞めたと聞いた時には、私もかなりショックを受けましたが、今では、かえって転職して良かったと、ほっとしています。
こうして、飯田ゼミ生は、たいへんなご時世の中でも、みんな頑張っています。私も、その中の一人です。
今、社会に出てみて特に感じていることは、大学で学んだことの中で、一番役に立っているものは、飯田先生から学んだことです。経営戦略や人事管理の授業内容もそうですし、会社の仕組みや人間関係について、飯田先生に教わった内容と照らし合わせて考えることが多いんですよ。
先生、どうぞこれからも、学生や社会の方々に、そして私にも、いろいろなことを伝授してください。私は今になって、飯田先生と出会えてご指導を受けられたことで、自分の人生が変わったんだということを知りました!!
では、また、お会いできると嬉しいです。
失礼いたします。
********************
・・・という手紙でした。
この手紙にもあるように、近年は、入社後1年以内に退社・転職する卒業生が明らかに増えており、それぞれ、社会の厳しさを味わっているようです。
しかし、これは同時に、人材の流動化が進み、中途採用が増えているという世の中の流れを反映したものでもあり、経営学者の眼から見ると、望ましい傾向でもあるのです。たとえば、典型的なアメリカ人は、自分の能力や欲求に適した仕事・会社を求めて、一生の間に、平均で10回ほど転職すると言われています。日本社会も、しだいに、ひとつの会社に縛られている時代から、お互いに相性の合う伴侶(会社・仕事)を求めて転職できる時代へと、移行しているのです。そのうちに、「転職は全く恥ずかしくないことだ」という健全な認識が広がり、「会社にとっても自分にとっても望ましい転職」というものを、どんどん求める世の中が、やってくることでしょう。(そうなると、夫婦関係においても、「うまくいかない夫婦は、恥ずかしがらずに堂々と早めに離婚して、お互いに、より適した相手を求めるのが当然」という世の中が、やってくるのでしょうね)
このホームページは、私の教え子である卒業生の皆さんも、見てくださっているかもしれません。時々、「せっかく就職したのに退社してしまって、飯田先生に恥ずかしい思いをさせて、ごめんなさい」という内容の手紙をいただくことがありますが、私は全く迷惑しませんので、どうぞご安心くださいね。それどころか、自分の能力や性格に適した仕事を求めて職場を変わることは、きわめて健全な選択だと思います。どうせ辞めるのならば、こそこそするのではなく、堂々と胸を張って、退社・休養・転職すれば良いのです。
他人がどのように噂しようとも、自分の人生を決めるのは、自分自身です。他人からの評価よりも、自分の心の奥にある評価基準に照らして、恥ずかしくない、後悔しない行動を取れば良いのです。なぜなら、私たちは、特定の会社や上司のために仕事をしているのではなく、「宇宙と地球のために担うべき、自分ならではの役割」(宇宙から自分が与えられた能力・性格に最適な使命)を、果たすべきなのですから。
最近、福島は、朝晩が冷え込むようになってきました。大人用の「だっこ枕」を愛用している私なので、空気が寒くなっても、ぽかぽかと人肌の温かさの枕を抱いて、ぐっすりと眠ることができます。
(おっと、秘密を暴露してしまいました!)
みなさんも、風邪をひかないように、そして熟睡できるように、「だっこ枕」を試してみてはいかがですか? きっと、やめられなくなっちゃいますよ!
9月17日版
前々回の更新でお知らせした、私の『親子で語る人生論』の韓国語版、
『パパ、勉強なんか嫌だし、生きるのもうんざりするわ』(朝鮮日報社)
について、先日、その「朝鮮日報」に、以下の広告が載りました。
(17cm × 22cmの、かなり大きな広告です)
広告のキャッチフレーズは、
「大人になる道のりで誰もが経験する疑問と誘惑を、人生論の専門家である著者が、180度裏返してみせる」
と書かれています。たいへん嬉しいお言葉ですよね!
なお、日本で購入・連絡可能な書店の情報が寄せられましたので、お知らせいたします。次の書店さんにご連絡いただければ、本の数量に関係なく(つまり1冊から)販売くださるそうです。
東京都千代田区三崎町3−4−8 「高麗書林」
電話: 03−3262−6801
FAX: 03−3262−6878
韓国語がわからない方々も、これを機会に、お手元の私の著書のコレクションに、加えていただけましたら幸いです。私の翻訳本を通じて、日韓の皆さんが、より親しみを深めてくだされば本望です。
韓国の方々が、『親子で語る人生論』の内容に、どのような印象をお持ちくださるのか、楽しみです。日本人にはあまり知られていませんが、韓国は「キリスト教」社会だそうですので、本書の内容ならば、抵抗なく受け入れていただけると思うのですが・・・
ちなみに、5年前に、「朝鮮日報」のライバル社である「中央日報」が『生きがいの創造』を出版くださった際には、内容が仏教の輪廻思想を流布するもの(つまりキリスト教思想に反するもの)だと誤解されてしまい、残念ながら、韓国ではほとんど受け入れていただけませんでした。確かに、形の上ではそのような誤解を受けやすい内容ではあるものの、『生きがいの創造』の根底に流れる「愛」の思想(その後の私の著書の根幹を成し続ける思想)は、しばしばキリスト教的だと言われるのですが・・・宗教というものは、そこまで「形」にこだわるのでしょうか?
その後も、私の著書を韓国語に翻訳くださるというご希望を、韓国人の方々からいただいたのですが、いずれも韓国の出版社から、「キリスト教思想に合わないので、韓国では売れない」と判断されてしまい、出版には至りませんでした。特定の宗教を持たない一般の日本人には、なかなか理解できないことですが、世界的には、このような反応が普通なのです。
その点、『親子で語る人生論』は、「形」のうえでの抵抗は無いはずですから、きっと、韓国の方々にも、受け入れていただけるのではないかと期待しています。かつて、『生きがいの創造』の内容で、韓国では惨敗を喫した私にとって、今回の韓国での出版は、まさに復活戦でもあります。もしも、今回もまた営業的に失敗すれば、もう2度と、私の本が韓国語化されるチャンスは得られないことでしょう。しかし逆に、もしも今回の翻訳が成功すれば、『愛の論理』など宗教的問題の少ない著書から、また翻訳出版してくださるとのこと。実は、私の「生きがい論」の韓国での生命にとって、本当に大きな勝負がかかっているのです。『生きがいの創造』の挫折から復活しようと立ち上り、リベンジをかけた『親子で語る人生論』・・・さあ、どこまで、がんばってくれるのでしょうか?
どうか皆さんも、「生きがい論」不毛の地である韓国に乗り込んで苦労している『親子で語る人生論』(『パパ、勉強なんか嫌だし、生きるのもうんざりするわ』朝鮮日報社)を、応援してやってくださいね!!
9月11日版
先週末は、ある病院で、医療スタッフ(90名ほど)向けの講演をさせていただきました。講演の途中で、最前列の中央に座ってくださっていた院長先生(まったくの初対面です)がポロポロと涙を流してくださり、うっかりその姿を見てしまった私も、思わずもらい泣きしそうになって、こらえるのに必死でした。きっと、長い年月で出逢ってきた(あるいは亡くなっていった)多数の患者さんたちへの思いが、院長先生の心を揺り動かしたのでしょう。
また日曜日には、ある病院のホスピスに入っている末期ガンのお母さんを、縁あってお見舞いしました。幼くして父を失い、中学生にして母も先立とうとしている、そんな状況にありながらも、懸命に母を看病しているお子さんたちの姿に、胸を打たれました。「いずれ、お嬢さんが結婚なさる時には、私が結婚式で親代わりの役をつとめますから、どうぞ安心してくださいね」と約束すると、「ああ、これで何も思い残すことは無くなりました!」と、心底から安堵の表情を浮かべてくださいました。お嬢さんも、「それじゃ飯田先生は、これから私の親族なんですね!」と喜んでくださったので、私も「嫌がられなくて良かった・・・」と、ほっとしました。
病室を出る際に、お母さんが、「これで飯田先生に会えるのも、本当の最後ですね」とおっしゃるので、私は、「またこの秋には、こちらに来る予定がありますから、まだご健在であれば必ずお見舞いに来ますよ。もしも、それまでに先立たれたなら、それはそれで、自由の身で遠慮なく話しかけてきてくださいね。つまり、どちらにしても、また必ず会えますから、何のご心配もいりませんよ。それじゃ、いずれにしても、またお会いしましょう!」と、にっこり笑って元気よく退室しました。
その夜、お嬢さんから、次のような嬉しいメールが届きましたので、ご紹介します。
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飯田史彦先生
今日は病室まで母を訪ねて下さり、
本当にありがとうございました。
母は、先生からたくさんパワーを頂いたようで、
今日はあれからいつになく元気です。
普段でしたら、食事が終わって一段落するとすぐに横になり、
朝より、昼、昼より夕方と、
体がだるくなってきてしんどいようなのですが、
なんと、今日の夕食後は、まだ一度も横になっておらず、
今もテレビを見ています!!
テレビは疲れるようで、ずっと見たことがなかった母がです!
「病は気から」とよく言われますが、
本当に実感しています。
母が大好きな先生にお会いでき、
近しくお話する事が出来た感激が、
大きなパワーになっているようです。
本当にありがとうございました。
これからも出来るだけ長く、楽しく、
一家団らん出来ればいいなぁと思っております。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
取り急ぎ、お礼まで。
本当にありがとうございます。
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・・・というわけで、私は思わず、
と、喜んでしまいました。お母さん、そしてお嬢さんと息子さん、また必ずお会いしましょうね。そして、お嬢さんの結婚式では、私が必ず親代わりの大役を果たしますから、どうぞご安心ください(何年後になるのか、今から楽しみです!)。
さて、前回の更新でお知らせした、私の『親子で語る人生論』の韓国語版、
『パパ、勉強なんか嫌だし、生きるのもうんざりするわ』(朝鮮日報社)
について、先日、その「朝鮮日報」に書評が載りました。
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・・・というわけです。私はまたまた、
と、喜んでしまいました。キム・ユンドク記者さん、私の執筆意図をきちんと読み取ってくださり、本当にありがとうございました!
この勢いで、久しぶりに、皆様お待ちかねのページを更新しようか、それとも新企画を公開しようかと計画しておりますので、どうぞお楽しみに!
9月4日版
私の『親子で語る人生論』が、なんと、韓国最大の発行部数を誇る新聞社「朝鮮日報」社から、韓国語で出版されました!!
ただし、書名は、朝鮮日報社で何度も会議が行われた末、『親子で語る人生論』では硬すぎて韓国では売れないと判断され、『パパ、勉強なんか嫌だし、生きるのもうんざりするわ』というタイトルに変えられてしまいました。最初は「え〜っ、そんなぁ・・・」と思いましたが、その後、じっと見ていると、「なるほど、この方が、興味を引きやすいよなぁ」と感心するようになり、今では大変気に入っております。(日本では、大学内での厳しい立場上、この種の軽いタイトルで出版するわけにはいきませんが・・・)
(表紙)
この表紙には、どう書いてあるかと言いますと・・・
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『パパ、勉強なんか嫌だし、生きるのもうんざりするわ』
飯田史彦著 ***翻訳
Live 生きる目標もなしに
Love さまよう子供たちに
Learn 親が語る人生の話
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という内容の韓国語だそうです。
そして、
(裏表紙)
この裏表紙の下の方には、
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日本で累計100万部を超えるベストセラー作家であり、
生きる価値に目覚めさせてくれる人生論の専門家であり、
日本中を回ってボランティア&チャリティ講演会を行う著者が、
苦悩する青少年たちに伝える、
真理を超えた興味深い人生論
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と、宣伝文句が載っているのだそうです。
ちなみに、中身をちらりとのぞいてみますと・・・
(第1章の冒頭部分)
(さて、ここは、どこでしょう?)
・・・という感じです。
朝鮮日報に広告や書評も載せてくださるとのこと。本当に、ありがたいことです。おかげで私、韓国の方々が、大好きになってしまいました。
日本人の皆さんも、「韓国語のテキスト」として、日本語版と比較しながらお読みいただければ、とっても楽しく勉強ができるはずです。韓国語の先生がいらっしゃいましたら、どうかサブテキストとして、学生たちに勧めてみてくださいませ。あなたの周囲に、韓国語ブームを巻き起こしましょう!
それに、すべて会話文ですから、韓国語で会話する際に、そのまま参考になること間違いなし! 韓国人のお友達や、韓国語を習っている日本人のお友達に、ぜひとも教えてあげてくださいね。(何しろ、韓国を代表する新聞社が出版してくださったのですから、翻訳の質も高いに違いありません・・・よね?)
8月26日版
ふう・・・
ようやく、長旅を終えて、福島に戻ってきました。
徳島県池田町にて小学校の校長先生からのご依頼で講演したり、標高3000メートル級の山で右足を負傷したり、負傷した足が痛むあまりに岐阜県の高山駅前からタクシーに乗ろうとすると、「はとタクシー」のナンバープレート「29」の車両の運転手に「歩いて10分かからないよ、そんな近いとこ歩いて行ってよ」と、今どき珍しい悪質な乗車拒否にあったり、仕方なく続いて並んでいた2台目の「はとタクシー」の運転手に哀願しても、「あそこの信号機を右に折れて5,6分だよ」と、またしても乗車拒否されたり(皆さん、これほど無慈悲な高山市の「はとタクシー」に乗るのはやめましょう!)、おかげでますます足の負傷が悪化して発熱したり、「生きがいメディカル・ネットワーク」の総会に出席して大いに盛り上がったり、総会の余興として長良川の「鵜飼い」を心ゆくまで楽しんだり、調子に乗って痛む足で登った岐阜城(稲葉山城)で、時空を超えてさまよっている戦国武者たちに関わりすぎてダウンしたり、親父とユニバーサル・スタジオの「ウォーターワールド」で水しぶきをあびた後に「バックドラフト」で火あぶりになったりと、悲喜こもごもの10日間でした。
まだまだ、お話したいことは山ほどあるのですが、なんと、8月末が締め切りの論文&原稿を3本も抱えておりますため、今週中はテンテコ舞いの状態です。しかも、木曜と金曜は、丸2日間、福島県自治研修センターで「組識活性化講座」の講師を務めなければなりません。そのうえ、この大ピンチにもかかわらず、貴重な週末は、大学で受け持つゼミナールの「新入生歓迎キャンプ」・・・このままでは、キャンプ場のテントの中で、パソコンに向かう羽目に。
つきましては、「なんと、私のあの本が、韓国最大の新聞社から翻訳出版されました!」の大ニュースを含む次回の更新まで、もうしばらくお待ちください!
8月14日版
前回の更新内容を受けて、その後、「そんなことはありませんよ。飯田先生の見解は、決して、愛情が浅いために出てくる説ではないはずです」という、励まし(?)のご連絡を、たくさんいただきました。
もうお察しのとおり、私は、読者の皆さんに問題提起を行って、いろいろと考察を深めていただこうとしたのです。「正解」はありませんが、それぞれの人が、「自分なりに、現時点で最適」だと思う人生観・死生観を形成していただければ、それこそが私の本望です。なにしろ、『人生の価値』以降の私は、「こう考えるのがベストである」という教示的な言い方(私が「教祖」になってしまうような書き方)を極力避けて、読者の皆さんが自分自身で解答を見出してくださるように配慮していますので・・・
ただし、そんな私の意図を理解してくださらず、「飯田先生は最近、過去の自分の著作を否定するようになってきた」とか、「飯田先生は、自分で真理だと思ってはいない内容を、いい加減に著書に書いているのではないか?」などと、私の「変化」を疑って悪口を言う人々が出てきたのは、覚悟していたとはいえ、悲しいことです。
かつての「生きがい論」3部作は、「読者を癒すこと」を主目的として、意図的に、「読者にとって都合の悪いことには触れずに、読者が喜ぶであろう情報だけを集めて書いた本」なので、確かに「癒し」の効果は抜群である反面、あまり読者の成長をうながすことはできません。その結果、まるで麻薬のように、私の著書に依存し、頼ってしまうだけの方々(例えば、『生きがいの創造』だけを繰り返し読んでは、「あの世はあるのだ」と安心なさるような方々)が世の中に蔓延してきたため、「これでは宗教と同じではないか!」と、私自身が猛反省をしたのです。宗教を否定するつもりはありませんし、人間に「信仰心」は必要なものだとは思いますが、私自身が宗教家になるつもりは、全く無いからです。むしろ、私など、宗教家には、ふさわしくない人物だと自覚しています。
それゆえに、その後に発表した『人生の価値』以降の著作では、なるべく読者の思考に「ゆらぎ」を起こすような多様な価値観を示したり、私自身が苦しみながら自問する作業(を演じること)を通じて、読者の皆さんに、「自分自身の思考と決断による本当のブレイクスルー」を果たしていただけるよう、うながしてきました。なぜなら、私が「生きがい論」3部作を通じて学んだ限界は、「読者を癒すだけでは、宗教と同じ効果の麻薬になってしまい、私が求めている真の解決には至らない」ということだったからです。したがって、「単に読者を癒すという表面的かつ一時的な効果にとどまるのではなく、読者の精神的成長をうながすことにより、より本質的かつ永続的な効果を生み出すような著作こそが、私が世に問うべきものなのではないだろうか?」と、私はようやく気づいたのでした。教示的に「真理」を解く本であれば、すでに優れた宗教書がたくさん存在していますので、今さら、私のような者が同じ事を上書きする必要はありません。
現在の私は、このような観点から執筆方針を立てていますので、私自身は、「生きがい論」3部作で自分が記した内容を、決して疑っているわけではありません。むしろ、それらの内容が真理であることを、自分自身の体験を通じて、「あまりにも当然のこととして知っている」からこそ、あえて「真理」という言葉にこだわる必要性を感じないのです。私に言わせれば、「真理」という言葉にこだわる人は、本当は内心で、それが真理であることを信じきることができないでいるために、その反動で、「それが絶対に真理なのだ」と、必死で強調したがるのです。
私が知る限り、本当に真理を確信している人は、わざわざ「これが真理である」などという直接的な表現は使いません。そのような言い方では、せいぜい、視野の狭い精神世界マニアを喜ばせることしかできないことを、知っているからです。本当に真理を確信している人は、そのような危険で安易な方法は使わないで、例えば「小説」や「芸術」や「日々の行動」などの形で、間接的に、しかし効果的に、真理を表現しようとするものです。
おっと、話が長くなりましたが、要するに、前回の更新も、私なりの手法で、読者の皆さんに、「自分なりの生き方(死に方)」について、考察を深めていただけるような「材料」を提供したのです。もちろん、私自身も、「まだまだ自分には愛情が足りない」と自覚してはいますが、決して、今回の親友の奥様の件をきっかけに、過去の自説を撤回してしまうわけではありませんので、どうかご安心くださいませ。
また、「親友の奥様の手術の成功をお祈りしております」というご連絡も、多数いただきました。「その後、どうなりましたか?」というお問合せも少なくないので、ご報告いたしますと、手術は無事に成功したそうです。ただし、手術後は、体力の消耗がかなり激しく、丸3日間、ほとんど眠っているとのこと。ご主人は、毎日24時間、つきっきりで看病なさっています。「このお盆休みを乗り切れるかどうか」という状態らしいので、とにかく、今は、ご夫妻のがんばりを応援することしかできません。
このたびは、私のプライベートな心配事に、読者の皆さんを巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした。(しばしば、「飯田先生には、悩みなんか無いんじゃないですか?」などと誤解を受けますが、私も皆さんと同様に、毎日いろいろと、心配事ばかりしている小市民なのです)
それでは、皆さんに、良い「お盆休み」が訪れますように!
8月8日版
今、私の親友の奥様が、末期のガンであるにもかかわらず、おそらく最後の手術に挑もうとしていらっしゃいます。お医者さんの、「もう回復の見込みはないし、いまさら手術しても、かえって身体が弱ってしまうだけなのだから、もう手術しないでも良いのでは?」という意見を受け止めながらも・・・
このような時、これまで私は、こう考えてきました。「手術をした結果、もしも容態が急変して亡くなったり、意識を失ったり、話ができなくなってしまったら、元も子もない。それよりも、今回の人生での寿命の終わりを素直に受け入れ、良い意味であきらめて、危険な手術は避け、残されたわずかな日数を、家族との交流のために使う方が良いのではないか」と。
しかし、親友夫婦、特に奥様のご意志は、「私は最後まであきらめない。治す方法がわずかでもあるならば、どんな危険を冒しても、死の瞬間まで、治そうと挑戦する」ということでした。もちろん、看護婦をなさっていた奥様ご自身が、ご自分の死期が近いことを、誰よりも自覚なさっています。それにもかかわらず、「私の命は、もう長くない。だからこそ、最後まで治そうと努力する」とおっしゃるのです。
それは、「お母さんは、最後まであきらめなかった」という、何より貴重な人生訓を、お子様たちに向かって、高らかに残すためでした。「自分は、本当に最後の最後の瞬間まで、あなたたちと一緒に生き続けて、あなたたちを育てようとしたのよ。つらい手術を何度も重ね、過酷な治療法を受けて、どんなに苦しい思いをしてでも、あなたたちと一緒に肉体を持って生き続けたいという意志を、最後まで決して放棄しなかったのよ」というメッセージを。
私は、母が子を想う愛情のすさまじさに、打ちのめされました。それはもう、「感動した」などという、なまるぬい言葉では表せません。まさに、「ショックで打ちのめされた」のです。これまで、「死ぬ時には、ニッコリ笑って、『それじゃ、またね』と死んでいきましょう」などと無邪気に書いてしまっていた自分が、とても恥ずかしく、情けなくなりました。
私には、愛する家族を残して死んでいく人の気持ちが、本当は、わかっていなかったのです。この世には、「何が何でも、どうしても、絶対に、この人たちと、今回の人生を、ずっと一緒に生き続けたい」という、激しく切実な感情があるのだということを。私は、そこまで、人を愛したことがないのかもしれません。
明日が、親友の奥様の、人生最後の大手術です。たとえ手術がうまくいったとしても、かえって体力は消耗し、わずかしか残らないだろうと言われています。しかし、こうなったら、「最後の最後まで、決してあきらめない」という生き方(死に方)を、子どもたちへのメッセージとして残すことを選んだ奥様を、思い切り、徹底的に、応援するしかありません。
「**ちゃん、がんばれ!!」
6月26日版
ただ今、編集者に監禁されて緊急事態&大ピンチのため、更新する時間がありませぬ。
あと数日で解放されるはずですので、来週までお待ちくださいませ。
では、執筆、執筆・・・
6月18日版
お、終わった・・・
試合というものは、いつかは、負ける時が来る。今日が、その日だったということ。ぜいたくを言えば、きりがありません。
諸外国のメディアが論評しているように、実力的には出場国の中で最低ランクだった日本(私も正直にそう思います)が、まさかの決勝トーナメント進出を果たしただけでも、奇跡というもの。私自身、決勝トーナメントに進めるとは、まったく思っておりませんでした。なにしろ、4年前のワールドカップでは、3戦全敗だったのですから。
これで、トルシエ監督も、名脇役のダバディ通訳も、選手たちも、責任の重圧から、ようやく解放されます。解散式を終えれば、もう、今回の人生で、同じメンバーが集うことはないでしょう。4年後には、違う監督のもと、半数以上は違うメンバーで、2006年のワールドカップに挑んでいるはず。試合終了後の選手たちの涙は、試合に負けた悔しさよりも、「もうこの監督のもと、このメンバーでは、2度と戦えない」という、苦労を分かち合った者同志の惜別の涙であったに違いありません。
大切なのは、試合の勝ち負けではなく、「どれだけの学びを得たか」ということ。今回の日本代表のワールドカップは終わっても、それぞれのメンバーの学びは、これからも続いていきます。私たち日本国民も、この2週間、本当に多くの素晴らしい学びをいただきました。
サッカーは、思い通りにならないからこそ面白い。
そして人生も、思い通りにならないからこそ価値がある。
日本代表メンバーたちの人生も、私たち一般庶民の人生も、これからも続いていきます。選手たちは、またすぐに、4年後のワールドカップに向けて、練習と挑戦を始めることでしょう。私たちも、残りのワールドカップ数試合を多いに楽しんだあと、これからも、「人生という学びの機会」を戦い抜く選手として、大いに日々の自己鍛錬に励み、挑戦していきましょう。
とにかく、日本代表、よくがんばったぞ!
すばらしい感動を、本当に、ありがとう!!
6月14日版
日本代表、まさかの決勝トーナメント進出!
日本中、狂喜乱舞だぞ!!
○※▲〒☆◎%@〜!!!
(感激のあまり言葉が出ませんので、今夜はこれにて失礼)
6月10日版
日本代表、歴史的初勝利!
日本全国、お祭り騒ぎだぞ!!
ついでに、私の第2の故郷・イングランドも、宿敵アルゼンチンに奇跡的勝利!
わがベッカムも、4年越しの汚名を晴らし、う〜ん、とってもドラマティックだったぞ!!
しかし、まだまだ油断は禁物。
あと1勝、気合を抜かずにチュニジアを破り、念願の「決勝トーナメント進出」を達成するぞ!
よ〜し、こうなったら、
金曜午後3時半、運命のキックオフに向け、
体調を整えて、死ぬまで長生きしてやるぞ!!
(すみません、今夜は喜びのあまり、支離滅裂になっております)
PS。 結局、最後の望みをかけたインターネットも電話も全く通じず、Wカップ本番のチケットは、1枚も手に入らなかったぞ・・・
6月4日版
日本代表、ベルギーと引き分け。
よくがんばったぞ!!
いや〜、燃え尽きました・・・
私の予想では、実力差からみて、0−2で日本の負けだと思っていたのです。予想通りに2点取られましたが、まさか2点を取り返すとは、予想外でした。これまで、全然点が取れなかったのに・・・やってみなければ、わからないものです。
二転三転する好試合で、一時は「勝てるか!」と大それたことを考えてしまいましたが、そこで追いつかれて「引き分け」に終わるのが、また良いところ。いや〜、まったく、良くも悪くも、思い通りにならないものです。まるで、人生の喜怒哀楽が凝縮されたような、まさに「人生の縮図」と呼べるゲームでした。
ただし、次のソ連・・・じゃなかった、ロシア戦は、ベルギーよりもさらに強い相手なので、今度こそ0−2で負けると予想しています。これは悲観主義ではなく、実力差を冷静に分析すれば、(日本びいきのマスコミは別として)こういう予想になるのが妥当というもの。
しかし、どのような結果になっても、今日のようなファイトあふれる試合をしてくれれば、大満足。みなさん、今度の日曜日の夜、強国ロシア戦も、燃え尽きましょう!
PS.本日、私は大学での「人事管理論」の講義に、「日本代表公式応援メガホン」と「日本代表公式応援扇子」を持っていき、講義の最初と最後に、メガホンを叩きながら勝手にサッカー談義をして盛り上がりました。(実は、大ウケしたと思っているのは私だけで、学生たちは白々しい目で私を見ていたかもしれませんが、この際、周囲の目などに、かまってはいられません。何しろ、おそらく一生に一度の大イベントなのですから)
PS−2.講義の後に学生から、「今夜の日本代表戦、ちょうど他の講義と重なっているんですが、講義に出るべきでしょうか? サッカーを観るべきでしょうか?」と質問を受け、思わず「そりゃ日本代表戦だ!」と即答してしまいました。生涯に残る大イベントをリアルタイムで体験することの方が、今夜の1コマの講義に出ることよりも、彼女の人生において、はるかに大きな価値があると判断したのです・・・「人生の先輩」としてのアドバイスなのですが、「教官」としては失格でしょうか? (でも本心です!)
よ〜し、日曜日の夜も、フィーバー(死語)するぞっ!!
5月26日版
吹けよ風、呼べよ嵐!
・・・と熱望したところ、信じられないことに、本当に豪雨になってくれ、運動会が1日だけ延期になりました。
おかげで、薬の力で何とか37度台にまで熱が下がった妻は、フラフラしながらも「わたアメ」売り場に立つことができ、しかも今年から、娘の通う小学校の短期大学部の女子大生たちがボランティアとして参加し、わたアメ作りを一手に引き受けてくださったため、妻はただ立って見ていれば済んだとのこと。
今年の「わたアメ」作りは女子大生たちとの共同作業だと聞いて、「それなら、ぜひ僕が手伝おう!」と活気づいた私でしたが、妻が運営担当の先生に確認したところ、「人手は足りておりますので、わざわざお父様がお手伝いくださるには及びません」と、やんわりと断られたとのこと。やはり、邪念というのは叶わないものです。とほほ・・・
妻に言わせると、「お父さん(私のこと)は、いっつも大学で女子大生に囲まれとるんじゃけん、もう若い女の子には興味ないじゃろ?」(広島弁)との厳しい指摘。確かに、大学での私のゼミナールは、女性の含有率が非常に高いのですが、それはそれ、これはこれ。男性とは、そういう生き物ですから(私だけでしょうか?)。
娘も、「かけっこ」の練習ではいつもビリだったらしいのですが、本番では、何と1着に!
雨上がりの、ぬかるんだ地面だったので、いつもは足の速い男の子たち(娘の小学校では男女が一緒に走ります)が、泥に足を取られて調子が出なかったのに対して、我が娘は平気でルンルン走っていたのが勝因。そういえば、競走馬にも、「重馬場」(雨でぬかるんだコース)を得意とする変わった馬がいるようですが、我が娘も、そういう珍しいタイプなのでしょう。
かくして、雨と、ボランティアの女子大生たちのおかげで、何とか無事に運動会を切り抜けることができ、ほっとしました。本当に、ありがたいことです。
このホームページの読者の皆様からも、温かい激励をたくさんいただきました。今では、妻の病気も8分目くらいにまで回復し、私も元気に(でもないか?)大学に出勤しておりますので、どうぞご安心くださいませ。
5月18日版
たいへん申し訳ございませんが、このところ、妻が高熱でダウンしており(今日も病院で点滴を受けたにもかかわらず、39度台の熱でうなされておりました)、私が慣れない家事一切を代行するなど、我が家はパニック状態に陥っております。娘のお弁当箱にも、コンビニで買ってきたパンを適当に詰めて、何とかごまかしている有様。かくして、私もヘトヘトになっておりますので、このHPの更新作業は、どうか、しばらくお待ちくださいませ。
ああ、このままでは、明日行われる娘の運動会も、何から何まで、すべて私が・・・・・・お弁当はどうにかするとして、それよりも、小学校の役員である妻に代わって、私が「わたアメ」担当として、おばさんたちに混じって「わたアメ」の制作・販売を受け持たなければならない状況です。
それに、あと1週間のうちに家庭内が落ち着いてくれないと、せっかく富士通の友人に土下座してまで譲ってもらった、「サッカー日本代表 VS スウェーデン戦」のプラチナ・チケットが、水の泡に・・・
とほほ・・・(涙)
こうなったら、せめて、雨が降って運動会が明後日に順延になり、その間に妻の病気が奇跡的に回復してくれることを、期待するしかありません。そうでないと、仕事と家事と運動会が重なって、私までもダウンしてしまいます。
ああ、神様、妻と私に、雨と、ひと時の休息をお恵みください・・・
吹けよ風、呼べよ嵐!
5月7日版
本日、大学に出向いたところ、九州のある総合病院の院長先生から、嬉しいお葉書が届いていました。私の朗読CDを患者さんに聞いていただいたところ、患者さんの態度が「ガラッと変化」し、重かった口を開いて色々と対話をしてくださるようになったのだそうです。とっても嬉しいので、ご紹介いたします。
このほか、点字翻訳のボランティアセンターなどにも寄贈したところ、「会報に載せるとさっそく貸し出し希望が来て、目の不自由な方々に大好評です」という御返事も届いていました。
さて、ゴールデンウイークも去り、あとは夏休みの到来を待つばかり。今朝も、山積みになっている仕事を前にして、思わず「登校拒否」したくなった私でしたが、ため息をつきながらも大学に向かい、2週間ぶりの講義を行いました。
読者の皆さんも、頭を「仕事モード」に切り替えるのに、苦労なさっているのでは?
3ヵ月後の夏休みを夢見ながら(?)、お互いに、がんばりましょう!
1月23日版
センター試験が終われば、ひと休みできると思っていたのに、大間違いでした・・・
このところ、毎日、公務に追われて、15時間以上は仕事をしています。睡眠は、平均5時間。
眼科でもらったドライ・アイ用の目薬をさし、バファリンで頭痛を抑えて、今夜もまた・・・
とほほ・・・
というわけで、ホームページを更新している暇などまったくないのですが、読者の皆さんを裏切るわけにもいきませんので、とりあえず、ほんの少しでも更新しておきますね。
とはいえ、文章を書く気力がないので、今夜は、新刊に関するスクープ情報で、お茶を濁します。
(1)『親子で語る人生論』の発売日、ついに決定!
2月15日(金)に、取次店に届きますので、店頭に並ぶのは、早い店で16日(土)、大手書店に行き渡るのは18日(月)になります。あと、たった半月ですね!
(2)オビの原案を、特別大公開!
PHPから送られてきた、新刊に巻くオビの原案を、以下に公開してしまいましょう。
実際には、これに多少の修正をほどこして、色をつけます。
FAXをそのまま載せてしまいますので、とっても生々しいでしょ?
(なお、いちばん下に「修正してください」と書いてある汚い字は、私の直筆です)
いかがでしょうか?
皆さんの興味が、むくむくと、ふくらんできましたね?
PS. 親友の梅澤由香里さん(日本を代表する女流若手棋士 = 囲碁のプロでいらっしゃいます)、このたびは、ご結婚、本当におめでとうございます! いろんな新聞で、報道されていましたね。Jリーガーのご主人も、私の著書の愛読者でいらっしゃるとのこと、とっても光栄です。また今度お会いする時には、ぜひともご主人をご紹介くださいね。そして、サッカーと囲碁と人生論の話(メチャクチャな取り合わせですが)で、大いに盛り上がりましょう!
PS−2. Jリーグ、ジュビロ磐田の藤田選手、このたびは、Jリーグ最高選手賞の受賞、本当に、おめでとうございます! ジュビロのトレーナーの方を通じて、先日、プレゼントをいただきました。私の著書の読者でいらっしゃるとのこと、とっても光栄です。今年も、ますますご活躍くださいね!
PS−3. もと同級生の****さん、同窓会の写真、確かにいただきました。とっても嬉しかったです。**さんも、いまだに、お変わりありませんね。思わず、ニッコリしていましたよ。それに、あの頃、ずいぶん私をいじめて(かわいがって?)くださっていたバンモト先生が、ずっかりおじいさんになっていて、なんだか憎めなくなっちゃいましたね。私が柔道をしていてヒジを脱臼した時に、私の体を気遣う前に「くそっ、これで俺の無事故記録が途絶えたか!」と、まず自分の指導歴に傷がついたことを嘆いたフナキ先生のことも、決して忘れられません。とにかく、皆さん、お元気そうでなによりです。また、いつか集まりましょう!
おっと、この時間のない時に、うっかり書きすぎました。
では、また次回、新刊スクープ情報第2弾を、どうぞお楽しみに!
1月16日版
ふう・・・
今年に入ってから、新刊の執筆・校正作業と、大学内での担当委員の重要任務に追われてきました。おかげで、皆さんからいただいたお手紙やEメールも、ほとんど開封さえできない状態で、何百通も、溜まりに溜まっております。
このホームページも、今週末の最重要イベント、「大学入試センター試験」が無事に終了するまでは、更新する時間がまったく取れません。いま、一年で一番忙しい時なのです。皆さんにご心配をおかけしてはいけませんので、とりあえず、お知らせとお詫びを申し上げておきます。
では、あと一息で、一服できますので、それまで頑張りま〜す!
2002年1月1日版
昨年の私には、色々なことが起きました。
と、想像を絶する展開に驚いたり、
と、ため息をつきたくなったり、
と、恐怖のあまりにビビってしまうことも・・・。
しかし、
と、信頼できる専門家の方々が密かに守ってくださったり、
と、読者の皆様からの応援のミルクをゴクゴク飲んで励まされ、
と、乏しい勇気を振り絞って、立ち向うことができました。
すると、先日、このようなお手紙をいただいたのです。
(12月20日頃に届いていたようですが、お手紙が毎日たくさん届きますので、実際に私が拝読できたのは、3日前のことでした。あまりにも嬉しいので、プライバシー部分を隠して、実物をご紹介させていただきます)
おお、おお!!
なんと嬉しいお手紙でしょうか。
たとえ、10人のうち9人の人々から誤解や嘲笑を受けても、このような読者が1名いてくだされば、私としては本望です。
これまで、勇気を出して頑張ってきて、本当に良かった!
かくして、元気いっぱいで、新年を迎えることができました。
皆様からいただいた応援のご恩返しをするべく、今年は、
と、暗い世相を照らす太陽のように輝いて、
と、私にできる精一杯の贈り物を、皆様にお届けしたいと思います。
まだまだ、皆様の応援のミルクを大いに必要とする、未熟者の私ですが、
こんな私でもよろしければ、今年も、
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
・・・というわけで、皆様、
あけまして、おめでとうございま〜す!!
12月16日版
昨日は、1日で20センチも積もる、大雪(我が家の庭にて観測)。
おかげで、ひどい目にあいました。
朝の9時30分から、宮城県の鹿島台中学校で、全校生徒600名+父兄数百名向けの講演「人生の価値」を依頼されていたのですが、私の当初の計画では、
6:40 起床
7:00 自宅を出発。コンビニで買うオニギリを食べながら、東北自動車道を運転
8:00 東北道から降りて、一般道へ
9:00 鹿島台中学校に到着
というシンプルな行程でした。
2時間の運転など、私にとっては、「ちょっとそこまで」という感覚の、気軽なドライブ。何しろ我が家は、「ちょっと牧場に」と盛岡の小岩井牧場に出かけたり、「ちょっとソバを食べに」と山形に出向いたり、「ちょっと紅葉を見に」と青森県の八甲田山に登ったり、「ちょっと温泉に」と八幡平の後生掛温泉(秋田県)に向かったりする、フットワークの軽い家族ですから。
さすがに、「ちょっとモーニング娘のコンサートに」と、日帰りで島根県の出雲ドームに飛んだ時には、近所の仲良し奥様から「飯田家って、変わってる〜」と言われましたが・・・いずれにしても、講演で日本中を飛びまわっている私から見ると、東北地方内部での移動など、「おお、近くていいぞぉ〜」という感じなのです。
ところが、起床してみると、一面の雪景色。「これはいかん! 2時間では、鹿島台中学校に着けない危険性が高いゾ!」と驚いた私は、あわてて時刻表を取り出し、JRを使って安全策をとることに決めました。それは、
7:55 福島駅を新幹線で出発
8:23 仙台駅に到着、東北本線に乗り換え
8:33 東北本線で仙台駅を出発
9:07 鹿島台駅に到着、徒歩で中学校へ
9:20 鹿島台中学校に到着
9:30 講演開始
という、全く無駄の無い、理想的なスケジュールでもあったのです。
「おお、なんと美しい!」
私は、あまりにも無駄の無い、まるで私のために用意されているかのような素晴らしいスケジュールに、酔いしれました。時刻表ファン&鉄道ファンの私にとって、これほど接続がうまくいく行程というのは、まさに「芸術」と呼べる美しさなのです。それに、前夜、なんだかんだで2時間ほどしか睡眠をとることができなかった私にとって、肉体の疲労を最低限に留めてくれる、理想的な行程でもありました。
ところが・・・
ゆっくりとモーニングコーヒーを飲んでから7時に家を出て、7時半に福島駅に到着し、切符売り場に向かっていた私の携帯電話がプルプル鳴ったかと思うと、「ねえねえ、今、テレビのニュースで見たんじゃけど、新幹線も東北本線も、大雪でマヒしとるんじゃと! 間に合わんかもしれんよ、どうするん?」(広島弁)と、妻の声が・・・
その後のことは、思い出したくもありません。ゆっくりと座って寝ながら移動するはずが、かなり遅れて到着した満員の新幹線の通路にスシ詰めになり(当然ながら、駅で買ったお弁当を食べることなど不可能)、仙台駅でも延々と待った末に、ようやく9時すぎに東北本線が発車。しかも、当初のイメージでは、ガラ空きの車両でのんびりと田舎の風景を満喫しながら移動するはずだったのですが、この車両も、時ならぬ満員御礼。またもやスシ詰め状態で、2時間しか睡眠をとっていない私は、虫の息で吊り革につかまっておりました。
結局、鹿島台駅に電車が到着したのは、9時40分。なんと、すでに講演時刻を10分も過ぎているではありませんか!
降りしきる大雪の中、必死の思いで鹿島台中学校にたどり着いた時には、もはや9時50分。
私は、校長室に駆け込むやいなや、校長先生に向かって、「遅れてしまって、申し訳ありません! すぐに体育館に向かいましょう!」と、叫んでおりました。
ところが・・・いかにも善良そうな校長先生は、あせりまくる私に、かくのごとき優雅なセリフをおっしゃったのです。
「まあまあ、飯田先生、落ち着いて、まずはお茶でも一杯どうぞ。」
「?!?!?!」
お、お茶など飲んでいる場合ではありません。すでに講演開始時刻を、20分も過ぎているのです。私は、「い、いえ、お茶は結構ですから、すぐに講演を開始させていただきます!」と訴えました。
しかし、人の良さそうな校長先生は、さらに輪をかけて、
「まあまあ、このドラ焼きでも食べて、一服なさってください。これは、当地の名物のドラ焼きでして・・・」
と、のたまわれるではありませんか!
思わず耳を疑い、「こ、校長先生、今は、のんきにドラ焼きなど食べている場合じゃありませんよ!」と絶叫したかった私ですが、そこは見かけによらず小心者である悲しさで、つい、「は、はあ、それでは・・・」と、やむを得ず大急ぎでドラ焼きを口に押し込み、お茶を一気に飲みほしてしまいました。何しろ、私がそうでもしない限り、校長先生は腰を上げようとなさらないのです。
「ごちそう様です! では、体育館に向かいましょう!」
私は、ドラ焼きでつかえた胸を、白目をむいてさすりながら、涙ながらに訴えました。
すると、こともあろうに校長先生は、
「おっと、少々お待ちください。私、ちょっとトイレに行って参りますので・・・」
「!!!」
・・・というわけで、校長先生のご案内で、めでたく体育館に入ることができたのは、もはや10時のことでした。講演の終了時刻は11時ですから、もう、あと60分しか残っていません。そこで私は、校長先生に、「講師紹介は最低限でよろしいですから、すぐに講演を始めさせてください!」とお願いしました。「はいはい、承知しました」と、校長先生。
しかし、生真面目で善良な校長先生は、壇上にあがって、延々と、熱弁をふるってくださったのでした・・・
結局、大幅に時間が減ってしまいましたが、何とか講演を無理やりにまとめて、生徒会長さんのご挨拶をいただき、壇上から降りた私は、ほっと安堵の息をつきました。とにかく、限られた時間の中で、精一杯、自分にできるだけのことはしたからです。
ただし、吐く息も真っ白な、凍てつく寒さの中で講演したため、自宅に帰ると、すっかり風邪をひいてしまっていることを発見。きっと、講演を聴いてくださった中学生諸君や親御さんたちの中にも、大風邪をひいてしまわれた方々が、たくさんいらっしゃることでしょう。お互いに、本当にご苦労様でした。(あの寒気の中、早朝から人生論の話など聞かされた生徒諸君は、本当にお気の毒でした。どうもすみません。)
その後、自宅に帰りつくのも本当に大変でしたが、もう私には、語る気力もありません。
しかも、やっとの思いで帰宅した私を待っていたのは、「お帰りなさ〜い! ねぇねぇ、今日、お仕事から帰ってきたら、『とっとこハム太郎』の映画に連れて行ってくれる約束だよね」と、飛びついてくる娘の姿・・・・・・そういえば、一昨日、うっかり、そんな約束をしてしまっていたような気がします。
ちなみに、娘との約束は、何があっても守るのが私の主義です。親が約束を守ってこそ、子供に対しても、「約束は守りなさい」と厳しくしつけることができるのですから、まずは親が手本を示さなければ。
というわけで、約束どおりに、戻ってきたばかりの車に娘を乗せ、ヘトヘトになりながら、息も絶え絶えで映画館に向かった私でした。 とほほ・・・
さて、今年も、あと2週間ですね。
今度の週末は、名古屋の*城病院で、病院スタッフ向けの講演を行い、翌日は郡山市に移動して、*志高等学校で学生向けの講演(授業の一環とのこと)を依頼されています。年内の講演会は、あと、この2回のみを残すところとなりました。もうひとがんばりです。ふう。
PHPの内部に、地殻変動発生! 私の今後はいかに?
なんと、これまで私がホームグラウンドとして数々の著書を発表してきたPHP研究所の出版部に、先日、激しい地殻変動が発生した模様!
これまで、私の著書に深い理解を示してくださり、「私の目の黒いうちは、飯田先生のご意向を最大限に尊重しながら、いつまでも、ご著書を世に問わせていただきます」とまで確約くださっていた大恩人、あの「エンマ今井」部長様が、あたかも神隠しにあったかの如く、学芸出版部から突然に姿を消し、私の手の届かぬ彼方へと、召されてしまったのです。
しかも、私に何度も救いの御手を差し出してくださった、あの「観音菩薩の順子嬢」までもが、なぜかご自分の意志でPHPから旅立たれ、あの三蔵法師も目指された天竺(てんじく)に向かって、新たな修業の道へ踏み出されたとのこと。
かくなるうえは、残された「マリオネット大久保」氏も、かねてから念願なさっていたパン屋さん開業への道を選ばれるであろうことは、時間の問題、自明の理。そうなると、PHPにおける私の最後の友人である「セツ子」嬢までもが、地殻変動の波に飲まれ、出版界を襲う大不況のブラックホールへと、吸い込まれてしまうのでしょうか・・・
ああ、諸行無常・・・
人生は、愛する人々との出逢いや別離によって、変化していきます。
これまでの私は、「生きがい論」シリーズの生みの親であるマリオネット氏の激励を受け、その上司でいらっしゃったエンマ様の極めて寛大なご加護のもとで、のびのびと自由に、「商業主義に走らない、納得できる本」を書かせていただいて参りました。これは、文筆家としてみると、破格の待遇であったことは確かなのです。私自身も、その破格の待遇に絶大な恩義を感じて、執筆意欲をかきたてられてきたのです。その意味で、文筆家というものは、「出版社」から本を出すのではなく、「編集者」から本を出すのだと言えるでしょう。
しかし、その大恩人であるエンマ様が神隠しにあった今、正直なところ、私の心は寂しさで満たされ、「今後も、納得のいく格調高い人生論を、書かせていただけるのだろうか」という不安感・絶望感に、さいなまれております。
しかし、PHPは、かつて、納得のいかない製品を発売しようとする幹部社員たちに向かって、「全部捨てい!」と命じた松下幸之助氏(松下電器の創業者)が、社会貢献のために作った出版社。その創業の原点を忘れることなく、今後も過度の商業主義に走らずに、まず「優れた本による社会貢献」を最優先くださるものと、大いに期待いたしております。
さて、文筆家としての私は、これから、どうなってしまうのでしょうか?
私は職業作家ではなく研究者ですから、納得のいかない形で本を出版することは、絶対にあり得ません。
エンマ今井部長様の手厚いご加護のもとで開始した、新たな「人生論シリーズ」は、たった『人生の価値』1冊を残しただけで、このまま断筆してしまうのでしょうか?
そして、今月末に発売する『絵物語・生きるということ』が、私の遺作となってしまうのでしょうか?
今後の更新を、お見逃し無く!
10月27日版
先日、「あと3時間ほど寝たら、末期ガンの患者さんのお見舞いです」と書いておきましたが、実は、私がお見舞いしたあと、まもなく意識を失われ、そのまま、光の世界へと先立たれました。私よりも少々年上の女性で、お医者さんをなさっていました。以下、お名前は伏せて、「**先生」と記しながらお話を進めます。
**空港から車を飛ばして、入院先の病院に駆けつける間にも、ご主人から「先生、あとどのくらいで着かれますか?」と緊迫した電話があり、事態が急を告げていることを知りました。病院に着き、病室を探して駆けつけると、ご主人が病室の前の廊下に出て、今か今かと、私の到着をお待ちくださっていました。
病室に入ると、お子様やご両親に囲まれて、**先生がベッドに横になっていらっしゃいました。ほんの2ヶ月前にお見舞いした時に比べて、ずいぶんやせられて、小さくなられたように感じました。「間に合いました! この子は、飯田先生が来られるまではと、頑張って待っていたんですよ」と、お母様が涙ながらにお迎えくださいました。
私がベッドの脇のイスに座り、**先生の手を握って差し上げると、お母様が、「**子、飯田先生よ! **子!」と、大きな声で伝えてくださいました。その瞬間、それまでは閉じられていた**先生のまぶたが数ミリほどはっきりと開き、私の顔を確かめるように見つめてくださったかと思うと、握っていた手にわずかな力が入りました。私は、「おお! まだ声も聞こえて、目も見え、手の触感も残っていらっしゃる・・・間に合って、本当に良かった!」と、心の中で喜びました。そして、必死に声を出そうとなさる**先生の耳に向かって、「大丈夫、口に出さなくても、思っていらっしゃることは全て伝わってきますからね・・・口に出さなくても結構ですよ・・・**先生のお気持ちは、よ〜く伝わってきますよ」と語りかけ、にっこりと笑いながら何度も何度もうなづいて、握っている手に力を込めました。すると、**先生は、安心なさったように目を閉じられ、体の力を抜かれました。
その時、私の心に、**先生の声が、はっきりと聞こえてきました。
「飯田先生、私の大好きな、あの歌・・・アメイジング・グレイスを歌ってください」
そういえば、**先生は、かつてお電話で激励した際に、「私、アメイジング・グレイスが大好きで、いつもお風呂で歌ってるんです」とおっしゃっていました。ところが、私は、あの有名な「アメイジング・グレイス」(イギリスの伝統的唱歌)の歌詞を、半分くらいしか覚えていません(しかも、うろ覚え)。
しかし、ここは何とかして歌って差し上げるしかありません。私は、歌詞のわからない部分は適当にハミングなどを織り交ぜながら、全曲を3回繰り返して歌って差し上げました。1回目は、涙で何度も声がつまってしまい、旋律になりませんでしたが、「こんなことではいけない・・・しっかりと歌って差し上げねば」と気合いを入れ、2回目で何とか持ち直し、3回目には、廊下にも響き渡るほどの大きな声で歌うことができました。
それからは、
「**先生、よくがんばられましたね・・・もう、なんにも心配いりませんよ・・・光がお迎えにきてくれますからね・・・なんにも心配しないで、安心していてくださいね・・・また必ず会えますから、一足お先にお帰りになって、また会う日まで、ひと休みしていてくださいね・・・いずれまた、必ず会いに行きますからね・・・いつも、**先生と、つながっていますからね・・・なんにも心配しないで、安心しきって、ゆっくりお休みくださいね・・・」
と、何度も何度も口に出して繰り返しながら、**先生の髪、頭、顔、頬、首、肩、手、背中、(女性の場合、胸は一応遠慮します)、お腹、腰、お尻(女性の場合でも、一定年齢以上であれば、お尻も遠慮しません)、足、足首から足の裏、つま先までを、時間をかけて何度も行ったりきたりしながら、手のひらに精一杯の祈りの念を込めて、優しくなでて差し上げました。
やがて、苦しそうだった**先生の表情が、しだいに安らかになっていき、呼吸も穏やかになってきたのを確認すると、今度は片手で**先生の片手をしっかりと力を込めて握り締め、もう片方の手で、頭・頬・首を、何度も何度もさすって差し上げ、
「**先生、それじゃ、またね・・・また会いましょうね・・・」
と言いながら、後ろ髪引かれる思いで、手を離しました。**先生は、すっかり安らかな表情になられて、静かに、かすかな息だけをなさっていました。
涙ながらに見ていらっしゃったご家族にご挨拶をして、病院をあとにした数時間後、関係者の方から、「先ほど、**先生が他界されました」というご連絡のお電話が入りました。私が病院をあとにして、まもなく意識を失われ、そのまま眠るように先立たれたとのことでした。
あとで関係者の方からおうかがいした話によると、ご主人は、激痛に苦しむ奥様に鎮静剤(苦痛から解放される代わりに意識を失います)を注射しようとする主治医さんに対して、「妻がお会いするのを心待ちにしている飯田先生が到着されるまで、何とか、鎮静剤は打たないでやってください」とお願いし、**先生の意識を保ってくださっていたのだそうです。私が病室に到着するまでの間、ご主人は、「早く妻に鎮静剤を打って、たとえ意識がなくなっても、激痛から解放してやりたい」という願いと、「飯田先生との面会を心待ちにしていた妻の願いを叶えるために、たとえ苦しんでいても、意識を残しておいてやりたい」という思いとの間で、本当に悩み、苦しまれたことでしょう。それでも、目の前で痛みをこらえる妻の姿に耐えながら、「飯田先生が来るまでは・・・」という妻の願いを叶える方を優先なさったところに、ご主人の深い深い愛情を感じて、もらい泣きしてしまいました。
そのような、ご主人の、愛情に満ちた苦渋のご判断のおかげで、私は、意識のある**先生と、「直接に面会」し、「肉体を使った最後のコミュニケーション」を行うことができたのです。もしも、ご主人が妻(**先生)の苦しむ姿に耐え切れず、鎮静剤の注射を許可なさったならば、その後に到着した私は、「残念ですが、すでに意識は失いました」というご報告を受け、「ああ、間に合わなかった・・・」という後悔の念にとらわれたことでしょう。
**先生は、聡明な美人で、とっても優しいお方でした。患者さんに対するケアについても、しばしば、真剣なご質問をくださいました。その**先生ご自身がガンに冒され、たび重なる手術にもかかわらず腹部全体に転移していることが判明した時、私に対して、次のメールをくださいました。
********************
飯田先生
前回お見舞いくださった*月*日には、不思議に痛みも出ずに幸せな時間を過ごすことができましたが、その後、坂道をころげ落ちるように諸症状が出て、**病院では手の施しようがないといわれ、今は****で自己免疫強化の治療を受けています。先日も**病院に急患入院して****の手術を受けました。新たに***に腫瘍が出現しての諸症状ですが、まだ痛みのコントロールも十分でなく、時々胴体をすりながら低空飛行で飛んでいるような有様です。
それでも、不思議なことにその時々の手術や処置の結果はうまくいっており、まだ最後の一線を越えないよう何者かに守られているのだろうかという気がしています。
しかし、毎日の苦痛には、さすがに弱気になることがあります。
私の今受けている苦しみは、私が今まで深く思いやらずにきた、多くの患者さん達の苦しみを実体験して、医師としてもう少し謙虚さを理解させ、慈愛の心を深めさせようとするためのものなのでしょうか?
お忙しい先生に些細な私事でお手間をかけてはいけないと思いながら、とうとうお邪魔してしまいました。
すぐでなくて結構です。楽しみに、先生のメールをお待ちしています。どうぞ、ご無理なさいませんように。
先生のご健康とご活躍をいつも念じています。
********************
そこで私は、すぐに、次のメールをお返ししました。色々なことを総合的に判断し、熟慮に熟慮を重ねた結果の、一字一句を練りに練ったメールでした。どの語句にも(行間の取り方にさえも)、深い意味がこもっています。
********************
**先生へ
メールありがとうございます!
現在、**先生が直面していらっしゃる苦しみは、決して、先生の過去の行いが悪いための報いなどではありません。先生は、何の罰を受けていらっしゃるわけでもありませんし、何かに失敗したから病気になったわけでもありません。その点は、どうぞ誤解なさらないでくださいね。
そうではなく、**先生は、今回の人生を計画する際に、「難病に冒されて苦しむことによって、人生や生命というものに対する思索を、高度に深める」という、大きなチャレンジをお選びになったのです。このチャレンジは、どの魂も、必ず、どこかの人生で自らに課さなければならない必須課題です。誰もが、いつかは必ず体験しなければならないものであり、**先生の場合には、今回の人生で、その課題に挑戦することになさったのだというわけです。
しかし、私には、もう、ここまで頑張ってこられた**先生に対して、「その激痛を通じて学んでください」などとは、とても申せません。もう、**先生は、十分に学ばれました。あとは、ただ、**先生の、今回の人生に対するご意志次第だと思います。
**先生が、「私はまだまだ、何とか回復して、今回の人生を続けたい。このような身体になった状態でもかまわないから、少しでも長く生きて、人生の学びを積みたい」と希望なさるなら、どうぞ、宇宙に向かって、そのように念じてください。そのような人生も、きちんと用意されています(ただし、決して、楽な生活ではありません)。
一方で、**先生が、「私はもう、今回の人生では十分に学び、自分自身で合格点をつけることができる。したがって、ここは潔くふるさとに帰って一休みしながら、この世に残した家族たちを見守っていきたい。そしてまた、魂にエネルギーを充填したら、愛する者たちのもとへ再び生まれてこよう」と希望なさるなら、どうぞ、宇宙に向かって、そのように念じてください。そうすれば、肉体的な苦しみから、なるべく安楽に解放され、戻るべき光の世界へと旅立つことができるでしょう。そのような道も、確かに用意されています(誰もがみな、いつかは進まねばならない道なのです)。
さて、病気に「立ち向かう」のか、病気を「受け入れる」のか・・・・・・大切なことは、いずれの道をお選びになっても、それは「希望の道」だということです。どちらが良いとか悪いとかいうものではなく、どちらが正解でも間違いでもありません。心に希望の光を念じながら、いずれかの道をお選びになる時が、いま、やってきたのです。
病気に「立ち向かう」決心をされたなら、まだまだ、今回の人生は続くことでしょう。それは決して楽な道ではありませんが、それも**先生のご意志です。それはそれで、茨(いばら)の道を歩むことを選択された**先生を応援するために、また必ず、おうかがいさせていただきます。
しかし、もしも、病気を受け入れ、光の世界に戻る決心をされたなら、どうぞ私にも、すみやかに、その決心をお知らせくださいね。万難を排して、必ず、**先生にお会いするために、飛んでいきますから。
いずれの道も、希望に満ちた光の道です。どうぞ、全身全霊を使って、熟考し、ご自分の意志でお選びになってください。病魔に決めさせるのではなく、ご自分の意志で、ご自分の人生を選択し、宇宙に対して宣言なさることが大切です。そうすれば、これからどのような事態が訪れようとも、「自分が選んだ道」として深く納得しながら、胸を張って対処することができるからです。
**先生、どうぞ、いつまでも、時空を超えて、仲良しのソウルメイトでいてくださいね。私は、いつも、先生と「つながって」います。(今度は、ぜひ、**先生のような素敵な魂と、「家族」として生まれてみたいです)
どうぞ、ご遠慮なく、お気軽にメールしてくださいね。
またお会いしましょう!!
福島大学助教授 飯田史彦
********************
すると、まもなく**先生からは、「私自身は、飯田先生のご本を読んでいますので、光の世界に戻ることに恐れはありません。しかし、年老いた両親や、家族たちのことを思うと、まだまだ、自分勝手に光の世界に戻るわけにはいかないのです・・・」という主旨の、「伝言」をいただきました。なぜ「伝言」かというと、この時すでに、**先生は、ご自分でメールを打つことのできる状態ではいらっしゃらなかったからです。
人間が、「今回の人生の終わり」を受け入れるためには、個人差はありますが、一定の時間が必要です。
やがて、それから2週間ほどのちに、私は、「飯田先生にお会いしたい」という「伝言」をいただきました。それはつまり、**先生からの、「光の世界へと戻る決心をいたしました」という、深い意味のこもったメッセージでした。この時、ついに**先生は、この世の様々なしがらみを乗り越えて、真に、「人生を自分のものになさった」のです。
そして、私は大急ぎで仕事の都合をつけ、**先生が入院なさっている病院へと飛びました。だからこそ、病室に入り、「間に合いました! この子は、飯田先生が来られるまではと、頑張って待っていたんですよ」と涙されるお母様に対して、私がいちばん最初に申し上げたのは、「**先生とのお約束を果たすために、やって参りました」という言葉だったのです。
今回の更新では、先立った**先生のご意志により、**先生が今回の人生を終えられた経過(つまり私が**先生に対して行わせていただいた言動)について、ご報告いたしました。その理由は、上記の内容を通じて、このホームページの読者の皆様に、「死を目前にする愛する人に対して、何ができるのか」を、お伝えしたいからです。上記の記述をヒントにして、読者の皆様が、それぞれ、「もしも、自分の愛する人が死に直面したら、どのような言動をとれば良いだろうか」と思考を巡らせてくだされば、先立った**先生も、大いにお喜びになることでしょう。それは、いつ、あなたに訪れるかもしれない瞬間なのです。
ただし、上記の私のメールは、**先生のように、「理知的で、しっかりと自己分析のできる方」に対して有効な言葉であり、私が様々な(ここには書けないプライベートな)情報にもとづいて、彼女だけのために考案した「処方箋」です。特に、医者である**先生は、「病気に負けてしまうのは嫌だ」という「勝ち負けの発想」をお持ちであったため、「病魔に決めさせるのではなく、ご自分の意志で、ご自分の人生を選択し、宇宙に対して宣言なさることが大切です」と強調しました。そうすれば、これから自分にどのような事態が訪れようとも、「自分が選んだ道」として深く納得しながら、胸を張って対処することができるからです。彼女が誇り高く人生を終えるためには、「病気に負けたのではなく、自分自身で選び取ったのだ」という意識を持っておくことが、何よりも重要なことでした。
したがって、上記の私のメールを、そのまま他の人に対して用いても、最大の効果は保証できません。たとえば、「感情的で、かつ依存的な人」に対しては、「神様のご意志のままに、すべてを任せておけば良いのですよ。あとは神様が、あなたにとって一番いいようにしてくださいますから」と申し上げる方が、はるかに効果的です。なぜなら、このタイプの人にとって、「熟考しながら自分の意志で人生を選び取る」ことほど苦手なことはないため、かえってストレスを増加させてしまうだけだからです。
このように、重い試練に直面して苦しみ悩む人にとって、「言葉」というのは、たいへん大きな影響を与えるものであるため、相手と状況に応じて適切な処方箋を考案しなければ、逆効果をもたらしてしまう危険性もあります。窮地に陥っている人にかける言葉は、そのまま、「薬」にもなれば「毒」にもなってしまうということを、この数年間で、私は痛感しました。
繰り返しますが、上記の内容は、ある特定個人に決して考案・実践した処方箋であり、決して「万能薬」ではありません。たとえば、私が彼女に歌った「アメイジング・グレイス」が、大嫌いだという患者さんもいらっしゃるでしょう。また、私が彼女の全身をなでて差し上げたのは、私と彼女との間に深い信頼関係が構築されていたからこそ可能な行為であり、そうでなければ、私はただの「患者の体をさわりまくるエッチなおじさん」になってしまいます。
さらに、上記のメールは、**先生に最期の時が迫りつつあり、それをご本人も自覚なさっていることを察したからこそ書けた文章であり、それまでは私も、「大丈夫、きっと良くなりますから、心配いりませんよ!」と激励していたのです。まだまだ回復の見込みも気力も充分にある人に対して、あのメールを出してしまっては、かえって意気消沈させてしまうだけに終わることでしょう。あくまでも、「この御方に対しては、今、どのような言動をとることが最適なのだろうか」という問題意識を忘れずに、相手の立場や気持ちになって処方箋を考えることが大切です。
いずれにしても、上記の内容をもとにしながら、「人生を終える」ということに関する考察を深め、「表面的ではない本質的な癒し」の意味と方法について、自分なりに模索していただけましたら幸いです。
最後に、ちょうど本日、ある末期ガンのお母さんを懸命に看病する中学生の息子さん(お父さんはすでに他界なさっています)からの、「今、僕は母に何ができるのでしょうか?」という真剣なメールに対して、私がお送りしたお返事を転載させていただきます。
********************
息子さんへ
ご事情、わかりました。ここ数日は無理ですが、何とかして、2〜3週間のうちには、必ずお見舞いにうかがいます。そのように、お母さんに約束してくださって結構です。
いま、息子さんにできることは、「お母さんに心配をかけないこと」です。「たとえお母さんが先立っても、僕は立派な人間になって、しっかりと生きていくから、どうか何も心配しないで安心して」と、言葉と態度を通じて確かに伝えることです。それこそが、今のお母さんに対して可能な、最高の親孝行です。その親孝行をするために、自分が生まれたのだという自覚をしっかり持って、がんばってくださいね。君になら、それができるはずです。
いつも、応援しています。君は一人きりじゃないことを忘れずに、辛いときには、いつでもメールしてくださいね。
福島大学助教授 飯田史彦
********************
今夜はこれにて。
おやすみなさい・・・ZZZ・・・
10月11日版
お久しぶりです!
本日は、教授会が予想外に早く終わり、わずかに予定外の時間ができたので、こうして久しぶりに更新しています。
『生きがいの創造』のミャンマー語版、現地にて発売開始!
現地にお住まいの日本人ボランティアの方々により、私の『生きがいの創造』のミャンマー語訳の作業が数年がかりで終わり、ついに先日、ミャンマーで発売されました。
これが、全世界待望の(?)、ミャンマー語版の表紙でございます。
常識的に判断すると、一番大きい活字が書名で、その下にある黄色と茶色の文字が著者名だと推察されますが、当然ながら、私にはさっぱり読めません。いったい、右から左に向かって読むのか、左から右に向かって読むのかさえも、見当がつかないのです。
そこで、内容から判断すべく、本書の一番最後に書いた、「生きがいのネットワークにつながってみませんか?」のメッセージ部分を開いてみますと・・・
・・・なるほど、右ページに、数字らしきものが(1)から(5)まで縦に並んでいる具合から判断して、どうやら、ミャンマー語は、左から右へと読むのではないかと思われます。
また、左ページの冒頭にある” ”のような記号で囲まれた部分は、「生きがいのネットワーク」という意味であるに違いありません。しかし、そうすると、表紙にある書名の中には、「生きがい」という単語を示すのであろう同じ文字列らしきものが見当たりませんので、どうやら書名は直訳ではなく、ミャンマー人の方々向けに変更してあるようです。
この推理が当たっているかどうかは不明ですが、おそらく、江戸時代にオランダ語などの辞書を作成した日本人学者たちも、同じように、日本語と外国語とが共通して同じ意味を示すであろう単語の抽出から始めて、手探り状態で翻訳作業を行ったのではないでしょうか?
ミャンマーでの私の著書の評判が、いかなるものなのかはわかりませんが、翻訳くださった方々によると、ミャンマーは敬虔(けいけん)な仏教国なので、何の抵抗もなく受け入れられているとのこと。何しろ、ミャンマーでは、2000部ほど売れればベストセラーなのだそうですが、さて、どうなることでしょう?
(ちなみに、『生きがいの創造』は、日本では、ハードカバー版が約40万部、文庫版が約10万部で、合計50万部ほど、世に出ています。これは正直な実売の数字ですから、出版界の常識である「大幅水増し発表」方式で言えば、PHPのような良心的な出版社で60万部、通常は70〜80万部、出版社によっては100万部に倍増して発表することでしょう。いや、聞くところによると、話題性に頼って瞬発力勝負のタレント本などは、たとえば10万部印刷して5万部しか売れなくても、公称「30万部突破!」などと称して読者の関心をあおるのが常套手段なのだそうです。おそらく、書物に限らず、それが世の中の仕組みというものなのでしょうが・・・)
いずれにしても、私は外国語版の著作権を全て放棄していますので、どの外国語版がいくら売れても著作権料は全くいただけませんから、販売部数の報告も入ってきません。たとえ販売部数は少なかったとしても、「届くべき人のもとへ、きちんと届いてくれること」こそを、祈っております。
6月1日版
実は、昨夜のこと……
PHP研究所学芸出版部のエンマ今井部長様が、いつになく気弱な顔をして、困惑した表情で、私にご相談くださいました。
********************
エンマ「あのう……」
私 「???」
エンマ「誠におそれ入りますが、新刊『人生の価値』の内容の一部について、少々ご相談が……」
私 「どうしたんですか? いやにかしこまっていらっしゃいますが?」
エンマ「はあ、実は、いただきました新刊原稿の、『おわりに』の前半部分についてでございまするが……」
私 「ははあ、あの部分のことですね?」
エンマ「え、ええ……その部分について、おそれ多くも申し上げたく……」
私 「妙に低姿勢でいらっしゃいますが、あの部分が、いったいどうかしましたか?」
エンマ「はい、そのう、あまりにもショッキングな内容でござったものですから……」
私 「そうですか? ショッキングと言えば、『ブレイクスルー思考』の『付記』の方が、私自身の体験談として堂々と書いている点で、よほどショッキングな内容だと思いますが?」
エンマ「え、ええ、それもそうではございますが、今回の場合には、何しろリアリティがありすぎまする。客観的証拠に基づいた現実的な内容であるがゆえに、かえって読者に大きなインパクトを与えすぎるのではないかと……」
私 「リアリティがあって現実的なのが、いけないのですか? これに比べれば、『ブレイクスルー思考』の『付記』の方がよっぽど奇々怪々な内容ですが、あの時には何のご心配もくださいませんでしたし、事実、あの本はかなり売れましたが何も問題は起きませんでしたよ」
エンマ「はい、あの本の場合は、否定したい人は『飯田先生のたわごとだ』と思い込めば済みましたが、今回の内容は、客観的な状況証拠に満ちておりますゆえ、たわごとでは済ませられない一大事なのでござります。しかも、あの本は大人向けでしたが、今回の新刊は、中高生の子どもたちにも読んでもらえるような、オーソドックスな人生論を心がけていただきましたから、あの『あとがき』の前半部分だけが突出して、まるで爆弾のような激しさで迫ってくるのでござります」
私 「爆弾!?」
エンマ「はい、おそれながら申し上げますと、部下のセツ子やマリオネットにも読ませてみましたところ、あの部分だけがあまりにもショッキングであるために、読み終えたあと、ほかの部分の印象はすべて吹っ飛んでしまい、頭の中が真っ白になって、あの部分の衝撃しか記憶に残らなかったほどだと申しておりまする」
私 「なるほど……」
エンマ「セツ子などは、それ以来、『ど、ど、どうしよう! わ、私も飯田先生をお守りせねば! あわわ……』などと、朝から晩まで、そればかり申してうろたえており、仕事が全く手につきませぬ」
私 「ふむう……確かに、それではいけませんねぇ……」
エンマ「特に、今回の新刊は、中高生にも読んでもらえるお堅い内容を方針としておりますゆえ、あの部分を載せてしまうと、子どもたちには、あまりにも刺激が強すぎるのではないかと思われるのでござります。何しろ、客観的なリアリティがありすぎますゆえ……」
私 「それならば、あの部分だけを袋綴じにして、『18禁』にするのはどうですか?」
エンマ「…………」
私 「いや、冗談ですよ、よくわかりました。では、あの部分はカットしましょう。カットしたところで、内容にはまったく支障がありませんから。そもそも、あの部分は、私のコアなファンの方々のために、あとがきの一部として付け加えたファンサービスにすぎないんですから、削除しても全然かまいませんよ。むしろ、あとがきだけが印象に残って、肝心の本編が吹っ飛んでしまうのでは、本末転倒ですからね。それならば、喜んでカットしましょう」
********************
……というわけで、新刊『人生の価値』の「あとがき」前半部分は、そのあまりにもショッキングでリアルな内容のため、本書の執筆方針に合わないので、あっさりとカットすることになりました。
そこで、6月3日の私の誕生日を勝手に記念し、このホームページをお読みくださっているコアな読者の方々向けに、禁断の大サービス!
問題の「その部分」を、そっくりそのまま、「小さなドラマティック・ストーリー」の第3話として、特別公開いたしましょう!
では、表紙ページに戻って、「小さなドラマティック・ストーリー」のページへとお進みください。
きっと、時空を越えた劇的な物語を、大いにお楽しみいただけることでしょう。
5月24日版
久しぶりの、まともな(?)更新です!
(1)日比谷公会堂での大講演会、大成功でした!
5月13日に、東京の日比谷公会堂(収容人員2000名)で行った私の講演会、おかげさまで、1階は満席となり、解放していなかったはずの2階にまで、1階にあぶれた人々が入り込んでおりました。有名アーティストのコンサートならばまだしも、「大学教官の講演会」なんかに、わざわざ2000円(日本厚生協会の会員は1000円)も払っておいでくださる方々が、あんなにいらっしゃるとは、おそらく前代未聞・・・快挙というよりも、珍事だと言う方が正確だというものです。
過去にも、中野サンプラザ(東京)やシンフォニーホール(岡山)で、2000人規模の講演会を行ったことがありますが、これらは他のイベントとの合同企画だったので、私の講演だけを目当てにして来たお客様ばかりではありませんでした。しかし、今回の日比谷公会堂は、正真正銘、私の講演以外には、何も無かったのです。しかも、中野サンプラザは1000円、シンフォニーホールは無料でしたから、今回は、私の講演だけのために2000円もお支払いくださった方々が大半・・・ふだん、私の講演会は、なるべく入場無料にしていただいているので、入場料をいただく講演会の場合は、本当に気を使います。何しろ、入場料の分だけの価値のある講演をしなければ、お客様に申し訳がありませんから。
とりあえず、「金返せ」コールは起きませんでしたので、ほっとしました。新刊執筆が佳境に入り、極度の睡眠不足でフラフラでしたが、看護婦さんにまで付き添っていただいて、上京した甲斐がありました。
ご来場くださった皆様、本当に、ありがとうございました!
(2)朝日新聞紙上に、怪現象発見!
それは、5月8日(火)のこと・・・いつものように朝日新聞を広げ、何気なく、社会面(新聞の一番最後で、テレビ面の裏側の目立つページ)に目を通していた私でしたが・・・ふと、ページの下の方にある、ビッグ・アーティストのコンサート情報に目をやったところ・・・
???
その瞬間、私が思ったのは、「あれまぁ、僕にそっくりな名前のアーティストがデビューしたものだ。しかも、いきなり、日比谷公会堂でコンサートとは、聞いたことのない奴だが、かなり売れてるんだな」という、実に冷静な分析でした。
し、しかし、よく見てみると・・・
「おお〜っ!! こ、これは??」
そうです、何と、穴があくほどよく見ると、自分の名前ではありませんか!
まさか、こんなところに自分の名前があるとは、想像もしていませんでしたから、びっくり仰天!
まさか、朝日新聞に自分の広告が載るとは、まったく聞いておりませんでした。ここは、ビッグ・アーティストのコンサート情報や、有名財界人のお葬式の告知、そしてたまに「史彦へ 父危篤帰れ 母」などの個人連絡が載る部分ではありませんか。こんなところに、講演会の案内が出るとは、まさに珍事。
しかも、文面を見ると、「私たちはなぜ生きているのか 飯田史彦先生講演会」とだけしか書いていないので、私のことを知らない人には、「飯田史彦」なる者が、どこの何者なのか、さっぱり見当がつきません。ヒントといえば、ただ一言、「私たちはなぜ生きているのか」という見出しのみ・・・この見出しから察するに、よほど怪しげな、おかしな人物だとしか思えません。
おまけに、かの有名な世界的ビッグ・アーティストである「デュラン・デュラン」と、「ツタの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日〜♪」の歌で有名なペギー葉山さん(よく私の父が風呂で歌っておりました)に並んで、いちばん目立つ右側に置いてくださっているとは・・・スペースの広さの比較からして、ついに自分がペギー葉山さんと肩を並べ、デュラン・デュランの半分くらいの有名人になったかのような錯覚に陥り、朝食のバナナを片手に、ひとり赤面する私でした。
いずれにしても、もう2度と、私の人生では、新聞のこんなに素晴らしい場所に広告が載るような講演会は、あり得ないことでしょう。つかの間の夢を味わわせてくださった日本厚生協会さん、本当にありがとう! 生涯の記念になりました。
皆様も、大いにお楽しみくださいましたね?!
(朝日新聞さん、無断転載ごめんなさい)
5月23日版
戒厳令、ついに解除なる!!
お待たせいたしました!!!
ようやく、新刊『人生の価値』の原稿を、PHP学芸出版部のエンマ今井大王様にお送りいたしましたので、とりあえず戒厳令は解除させていただきます。長らくのご協力、誠にありがとうございました。
しかし、まだ、エンマ様から「これでOK」のお返事をいただいたわけではありません。ただ「原稿を送った」というだけのことなのです。まだまだ、これから、エンマ様の逆鱗に触れ、
「フン! ダメじゃダメじゃ!! こんな原稿じゃ、受け取るわけにゃいかんわい!! 書き直しじゃ!!!」
とのご指示を受ける可能性も十分なのです。
とにかく、「出版界の鬼」と異名を取るエンマ今井部長様から「OK」が出るまでは、いかなる大有名作家先生であっても、ビクビクして食事も喉を通らないとのこと。それまでは、とても「書き終えた」とは申せません。ドキドキ・・・
語るべきことは山のようにありますが、本日は教授会やら委員会やら、大学の公務でボロボロに疲れており、持病の頭痛もバファリン程度では効かなくなっておりますゆえ、これにて、久しぶり(3週間ぶりくらいでしょうか)に、ゆっくりと熟睡させていただきます。
つきましては、また明日以降、ド〜ンと更新しますので、とりあえず、今夜はこれにて・・・
おやすみなさい・・・
5月17日版
ご期待のところ、誠に申し訳ございませんが、過労による体調不良により、
戒厳令を、22日まで延長
させていただきます。どうかお許しくださいませ。とほほ・・・
とにかく、寸暇を惜しんで休養、いや執筆に専念しておりますので、今回はこれにて。
5月9日版
ドッカ〜ン!!
と、出版界の鬼、エンマ今井大王様のお怒りが、大爆発!!!
「ご、ごめんなさ〜い!!」
と、私は、ひたすら土下座して謝るのみでありました。
それは、本日(9日)の、午後1時すぎのことでございます。新刊『人生の価値』の原稿締め切りを明日に控え、ついに覚悟を決めた私めが、PHPの学芸出版部に電話したのでありました。
すると、本当に久しぶりに、受話器の向こうから聞こえてきたのは、かの「観音菩薩の順子嬢」の、鈴の音の如き軽やかなお声ではありませぬか!(実際は、なぜか咳き込んでおいででしたが)
「おお、これは幸先が良いぞ!」と調子付いた私は、順子嬢に、「あのう、エンマ今井様は、いらっしゃいますでしょうか」と、意を決して取り次ぎを依頼したのですが・・・
あとは、すでに皆様お察しの通りに、上記の如く、エンマ火山の大噴火と相成ったわけでございます。
いえいえ、決して、この私、怠けていたわけではございません。黄金週間の間も、どこにも行かずに家族を泣かせながら自室にこもり切り、パソコンに向かうこと一日あたり16時間。なんと、気がついてみると、原稿枚数が400字換算で800枚を超え、すでに単行本2冊分の原稿を書き終えているではありませんか。(ちなみに、「大学で何をどう学ぶか」は、400字換算で170枚にすぎません)
ところが、書いても書いても書き足りず、「これも書かねば」「これも落とせぬぞ」と書き足しているうちに、あっという間に2冊分の分量になり、何とも収拾がつかなくなってしまったのでございます。
「し、しまった! 制限枚数を聞いておくのを忘れていたっ!」
と焦ったものの、時すでに遅し。
締切日を翌日にして、800枚を超えてもなおゴールの見えない原稿を前に、とうとう、エンマ大王の仏心(?)におすがりするしかなくなりました。
そこで、事情をお話して、粛々とエンマ大王のお沙汰をお待ちしたところ・・・
「うむ、かくなるうえは、締め切り延期の詔(みことのり)を発令するしかあるまいて。罪深いお前じゃが、800枚を書き上げたという精神力に免じて、あと1週間の猶予を与えてやろう」
と、願ってもない寛大なお言葉。おそらく、受話器の向こうで、私の大ピンチを悟った観音菩薩の順子嬢が、私を守ってくださる結界を張り、エンマ大王を惑わすウインク(セクシービーム?)を送ってくださったに、違いありません。
ただし、
「編集部門の我輩はお前の味方じゃが、さすがの我輩も、営業・販売部門からの要望は尊重せねばならん。せっかく書いたものはもったいないが、800枚とは、余りにも冗長すぎる危険性が高い。よほど出来の良い原稿を書かねば、容赦なくカットして、半分くらいの分量に縮めるよう命じるゆえ、覚悟しておくがよい。それが、この出版界の掟なのじゃ」
と、予想していた厳しいご注文も。
・・・というわけで、やっと本題に入りますが、
「戒厳令」を、17日まで延長
させていただきます。
どうか、もうしばらく、執筆に専念させていただけますよう、お願い申し上げます。
なお、戒厳令延長期間中でも、13日(金)の、日比谷公会堂での大宴会、いや大講演会には、這ってでも参上いたしますので、どうぞご安心ください。
ただし、ここ数日、「脳がキューッと締め付けられるようになり、背筋に寒気が走って吐き気がする」という、「脳梗塞」(のうこうそく)の前兆症状(私の持病のひとつです)が何度も出ておりますので、冗談や誇張ではなく、無理をすると、いつ本当に脳梗塞で倒れ、こと切れてしまうかわかりません。
そこで万が一のために、福島県立医大の看護婦さんに新幹線に同乗いただき、東京の会場まで「護送」していただけるようお願いしました。何とか、講演を終えるまで、私の「ガラスの脳」が無事でいてくれるよう、祈るばかりです。(講演後に、脳の調子が悪かったり異常な発汗がみられる場合には、サイン&握手会は中止とさせていただきますので、その場合はどうかお許しくださいね。何しろ、2時間半もの間を1人で懸命にしゃべりますから、時々、講演後に頭痛でダウンしてしまうのです)
今後は、このような私の体調のこともあり、一般の方々とお会いできる機会は、めったになくなります。13日の講演会には、何とか頑張ってうかがいますから、当日、皆さんにお会いできますことを、心から楽しみにしています!
4月24日版
突然ですが・・・
本当に久しぶりに、
「戒厳令」発令!!
そう、戦争や革命など有事の際に、軍隊によって都市が占拠され、一般市民の外出が禁止されるなどの厳戒態勢下に置かれるのが、いわゆる「戒厳令」(かいげんれい)。
ただし、このホームページで過去に何度も発令された「戒厳令」とは、「飯田の新刊執筆が佳境に入った(ピンチに陥った?)ため、お手紙・Eメール・お電話など外部からの情報を遮断し、ホームページの更新も休止して、原稿の完成まで、パソコンの前に立てこもること」を意味しています。
すなわち、
本日より、新刊『人生の価値』の原稿締切日である5月10日までの間、このホームページの更新を、休止させていただきます。
また、毎日50通前後も届くEメールも、よほど重要な急用、あるいは最愛のエンマ今井大王様からのラブレター以外には、お返事はできません。さらに、研究室に届くお手紙も5月10日までは封を切りませんし、研究室の電話の受話器も取りません。
どうか、ご了承・ご協力くださいますよう、お願い申し上げます。そうしないと、このままでは5月10日の締め切りに間に合わず、PHPのエンマ今井大王様から、ひどい目にあわされてしまうのです。
え? どんな「ひどい目」なのか、ですって? いえいえ、それは、口が裂けても申せません。ああされたり、こうされたり、あんなことまでされてしまうのです。ああ、想像するだけでも、悶絶してしまいそうです・・・
では、5月10日に、このホームページでお会いしましょう!
3月4日版
ああ、怒涛の2ヶ月・・・
21世紀に入ったとたん、次々と襲ってきた、思わぬ試練の激流・・・
ここで詳しく書き記すことは、口が裂けてもできませぬが、つい先日までは、
「これが飲まずにいられるか、ってんだ!」
・・・とばかりに、苦しみ悩んでいた私でありました。
しかし、ふだん、全く酒を飲まない私ですから、我が家には、こんな時に飲むべき酒もありません。しかたなく、酒の代わりに、岐阜の船戸クリニックの院長先生からいただいた、「奥長良川・高賀の森水」という超おいしい水をグビグビ飲んで、神様に向って悪態をつき、くだを巻いておりましたところ、
何と!
あたかも目の前で閉じていた重い扉が開くかのように、心の奥にまぶしい光が射し、
「史彦や、原点に返れ。今こそ、原点に返るのじゃ! お前が5年前に、はじめて今生の使命に目覚め、周囲の人々に馬鹿にされ制止されながらも、勇気と正義感を振り絞って、論文『生きがいの夜明け』を世に問うた、あの頃の、ほとばしるが如き創造性と断固たる信念を、思い出すのじゃ! 自分を捨てて、世のため人のためにその身を捧げようと決意した、あの時の使命感に立ち返り、今、お前が本当に為すべきことは何なのかを、内なる自己に問い正すのじゃ!」
・・・と、光の声が聞こえてきたのでありました。
すると、ちょうど、その直後。
これまで私の「生きがい論」シリーズを世に出してくださっていた、PHP研究所学芸出版部のドン、出版界の鬼と異名をとるエンマ今井部長大王様が、その忠実な懐刀(ふところがたな)として知られるマリオネット大久保氏(PHP文庫編集長)を従えて、遠路はるばる福島の地に降臨なさったのでありました。
福島市郊外にそびえる、標高1800mを超える吾妻山の中腹、なぜか硫黄の匂いが立ち込める秘密の会合場所で落ち合った我々3名。
それは、しばしの宴(うたげ)の後のこと・・・エンマ今井大王が、おもむろに、私にこう尋ねてきたのです。
********************
エンマ 「ところで飯田先生、この戦乱の世、人の宿業の深さと情のはかなさを、大いに憂いていらっしゃるのは、よう分かり申した。しかし、まさかこのまま筆を折って、いずれやに隠遁してしまわれるのでは、ありますまいな?」
私 「・・・・・・」
エンマ 「のう、大久保よ。そちは、どう思う?」
(注: 水戸黄門に出てくる悪代官の顔で)
マリオネット 「はっ、飯田先生がこのまま世をはかなんで、筆を折ってしまわれては、わが国、一億二千万人の飯田先生ファンの読者の皆様のなかに、先生の後を追って、人生を投げ出す者たちが続出してしまうこと、間違いありませぬ。」 (注: 水戸黄門に出てくる、悪代官と癒着した悪徳商人の顔で)
エンマ 「ほほう、やはり、そちもそう確信するか。・・・聞きましたか飯田先生。全世界10億人のファンを代表するこの大久保の、泣き濡れて哀願する姿が、目に入らぬとは言わせませぬぞ!」
私 「・・・・・・し、しかし、大王様・・・今の、この疲れ果て、我が身でさえ救い難き状況の私めに、いったい、世のため人のために、どうせよとおっしゃるのですか? そのような優れた本など、今の我が身に、書けるのでございましょうか?」
エンマ 「書ける。いや、書けるかどうかではなく、書くかどうかの問題なのじゃ。飯田先生には、そのお力が備わっていらっしゃる。このエンマには、わかるのじゃ。この末法の世を正しく導く書をお書きになれるのは、飯田先生をおいて他には、いらっしゃらぬ。先生は、そのお力をお持ちなのじゃ。あとは、先生が、そのお力を発揮しようと思いなさるかどうか、つまり、書く意志をお持ちになるかどうかという問題なのじゃ。」
私 「ふむう・・・」
エンマ 「まだお迷いでいらっしゃるようじゃな? 編集者生活20余年、この百戦錬磨のエンマにかかれば、飯田先生の御心など、お見通しじゃ。かくなる事態においては、視点を変えて考えてみるのが良ろしかろう。そこで飯田先生、もしも、次に何か書くとすれば、いかなる書物を世に問いたいとお思いか?」
私 「むむむ・・・そ、それは・・・読者が求めている本、世の中のニーズに沿った本を出したいというのが、私の常々の願いではありまするが・・・何しろ私めは経営学者ですから、『読者のニーズに応えて、歓迎される本は何か』という、経営学の基本原理を念頭に置いておりまする。その観点から言えば・・・すでに私の著書の読者層が広がり、そのニーズも多様化の一途をたどっておりますため、実は著者の私にも、いったいどのような本を書けば最も広範な読者層から歓迎されるのか、わからなくなってしまっているのでございます。」
エンマ 「そう、そこじゃ! そこに落とし穴があるのじゃ!!」
私 「???」
エンマ 「飯田先生、あなたは、なまじ経営学者でいらっしゃるがゆえに、『読者のニーズに応える商品を作る』という経営学のセオリーに囚われてしまい、『創作家』としての自由な創造性をお忘れになってはいらっしゃらぬか? のう、大久保よ、そちはどう思う?」
マリオネット 「まさに、しかり! 飯田先生、よ〜くお考えくださいまし。飯田先生の読者は、ほかの通俗本の読者とはひと味異なり、飯田先生に『面白い本』を求めていらっしゃるのではございません。飯田先生の読者の皆様は、ただひたすらに、飯田先生の真のお考え、飯田先生の生々しい想い、そのお言葉を、お待ちになっておいでなのです。したがって、飯田先生の場合には、ほかの一般の作家先生とは異なって、『面白い本』を書こうとして読者のニーズに合わせる必要は無いのではありますまいか? おそらく、『今、飯田先生が書きたい本』こそが、飯田先生の読者が真に求めている本なのでございましょう。少なくとも、飯田先生のファンを代表して、私は、飯田先生にしか書けない、飯田先生ならではの、比類なきご著書を、欲しているのでございます。飯田先生が一番書きたい本こそが、まさに読者の求めている本なのではありませぬか?」
エンマ 「うむ、大久保よ、よくぞ申した! まったく、その通りじゃ。・・・飯田先生、このエンマが申し上げたいことも、要するに同じことなのじゃ。経営学者でいらっしゃる飯田先生には、あえてこのように申し上げるが、このエンマにとっては、もはや飯田先生のご著書は、我が社の宝。そう、宝なのでござる。したがって、もはや飯田先生のご著書に至っては、売れるかどうかということは、二の次なのじゃ。もちろん、出版社としては、商品が売れてくれねば困ることは否定せぬが、もはや飯田先生のご著書の場合には、売れるかどうかは二の次にして、我が社の宝として大切にさせていただきたいのじゃ。つまり、飯田先生には、とにかく、『世のため人のためになる、後世に残る優れた人生論』を、我が社から書き続けていただきたいのじゃ。このエンマの目の黒いうちは、生涯、飯田先生のお考えを世に問うためのお手伝いをさせていただきたいのでござる。」
私 「おお! エンマ大王様から、そこまで申していただけるとは、これぞ、作家冥利に尽きるというものでございます。本当に、売り上げなど気にせず、読者のニーズにとらわれることなく、遠慮なく『書きたい本』を書けば良いのでございますか?」
エンマ 「その通りじゃ。もちろん、我輩のほかにも、我が社には、デーモン、サタン、デビルなど、個性豊かな重役の面々が控えておるが、『飯田先生に、類書なき良書を世に問うていただきたい』という点では、紛れもなく見解が一致しておる。それが、我が社を創業してくださった松下幸之助師匠以来の、伝統なのじゃ。良い本を書くこと、それこそが、結果的に、世の中からも広く喜ばれるのじゃ。あの、爆発的ベストセラーとなった第1作、『生きがいの創造』でさえも、正直なところ、当初は誰も売れるとは思わず、実質7000部しか印刷しなかったではないか・・・それが、今では、文庫版を含めると50万部にも至っておる。売れるかどうかは、神の領域に属する問題じゃ。我々出版人にできることは、とにかく、優れた本を生み出していただくことしかないのじゃ。そこでご提案じゃが・・・大久保よ、例のものを、ここへ。」
マリオネット 「ははっ、ただ今。・・・飯田先生、これをご覧くださいまし。」
私 「???」
マリオネット 「先生、この一枚の紙に、我々の望むものを書いてございます。」
私 「・・・な、何と! 『人生論3部作』ですか?!」
マリオネット 「いかにも。飯田先生には、我が社が世に誇れるような素晴らしいご著書を、今後も次々と発表していただきたいのでございます。もちろん、これまでのご著書も、どこに出しても恥ずかしくない名著だと、誇らしく思っておりますが、今度はそれをさらに超える名著シリーズを、世に問うていただきたいのでございます。飯田先生のお力を最も引き出し、飯田先生のお言葉をびっしり詰め込むことができる書・・・それは、『人生論』をおいてほかにはございませぬ!」
エンマ 「あっぱれ、大久保よ! その熱意、しかと見届けたぞ。これでお前も、立派に我輩の後を継げるというものじゃ。・・・のう、飯田先生よ、この大久保の涙目に免じて、『人生論3部作』を、世に問うてはいただけまいか?」
私 「わかり申した! ご両人のご期待にお応えして、後世に残る優れた本を生み出しましょう。恥ずかしながら、私、ようやく目が覚めました。私は、読者のニーズにこだわりすぎて、創作家、アーティストとして自己主張する喜びを、忘れてしまっていたのです。読者のニーズに迎合するのではなく、たとえ多くの読者からは歓迎されなかったとしても、自分が世に問いたいことを真正面からぶつけることの喜びを、再びこの手に取り戻すことにいたしましょう!」
エンマ 「おお、それでこそ、飯田先生じゃ!」
マリオネット 「そう、そのお顔・・・小生が初めて飯田先生にお会いして、『あまり売上げは期待いただけないでしょうが、とっても良い本ですから、ぜひ我が社から出版させていただきましょう』と申し上げた、あの時の使命感あふれる飯田先生のお顔が、5年ぶりに蘇ってきたかのようでございます!」
私 「そうなれば、もう書名まで決まりました。私がずっと、本当に書きたいと思っていた、私の想いを目一杯に詰め込んだ本・・・これまでのように、過去の名著やその道の専門家たちの本から意図的に引用しながら書くのではなく、私自身の生々しい言葉で書き綴るべき本の構想があるのです。」
エンマ 「して、その書名は!?」
私 「その書名は・・・まさに、これ以上ないほどダイレクトな書名、正々堂々、直球勝負の書名です。」
マリオネット 「そ、それは、いったい・・・」
私 「ただ一言・・・『人生の価値』!」
エンマ 「おお、人生論3部作第1弾、『人生の価値』の誕生じゃ! す、素晴らしい!!」
マリオネット 「おお・・・おお・・・」(声にならず、ただ感涙にむせぶ)
エンマ 「よし、それじゃ! 善は急げ、今夏発売じゃ! 大久保よ、そのスケジュールで、原稿の締め切りは?」
マリオネット 「はっ、ゴールデンウイーク明けでござりますっ!」
私 「え”え”〜〜〜っ!!!」
********************
・・・ああ、かくして、新幹線の中で重々打ち合わせてきたのであろう御両人の陰謀にしてやられ、またもや「締め切り地獄」へと落ちてしまった私。
2月14日版
ふう・・・現在、14日の午前0時すぎ。
所用があって、ようやく帰宅したところです。
めでたく、昨日の早朝7時前に、Eメールの添付ファイルで、「大学で何をどう学ぶか」の原稿をPHPに送ったばかりなのですが・・・果たして、合格点をいただけるのでしょうか??
ところが、一難去って、また一難。
実は、先日行った私の担当科目「人事管理論」の試験答案(300数十人が受講)の採点を、明日(木曜日)の夕方5時までに終えて、大学の教務係まで持っていかねばならないのです!
90分の試験時間で、B4版の解答用紙の表裏両面に、ほとんどの学生がびっしりと解答しており、中には、追加の解答用紙を請求して2枚に渡って書いている学生も、数十名にのぼっています。私の講義は、受講者のほとんどが年間を通じて「全出席」してくれているので、答案の出来も大変良いのです。
しかし、1名分の答案を読んで採点し、提出名簿に転記して確認するためには、最低5分はかかってしまうので、1時間に10数人分採点するのが精一杯。ということは、300数十人分を採点するとなると、いったい・・・
・・・というわけで、本日の更新は、ここまでが限界だということが、おわかりいただけることでしょう。
では、これから朝まで、寸暇を惜しんで、採点、頑張りま〜す!
2月9日版
ああ・・・ど、どうしよう・・・
本日(9日)の午後6時に、PHP研究所学芸出版部のドン、泣く子も黙る「エンマ今井部長」大王様が、その忠実な操り人形として有名なPHP文庫編集長の「マリオネット大久保」氏を引き連れて、福島駅に降臨なさるのです。もちろん、目的は、私の手から、新刊の完成原稿をもぎ取ることに他なりません。
本当は、先月末が締め切りだったのですが、なんだかんだとヤボな用事が入ったり、締め切りを延ばしていただくことに成功した瞬間から、妙に「まったり」した気分になって気合が入らなかったりして、とうとうこの日がやって来てしまいました。
し、しかし・・・
「だいたい10万字前後・・・そうですねぇ、400字詰め原稿用紙に換算して、最低200枚から最高250枚くらいにしてください。今回はあんまり厚い本にはしたくありませんが、さすがに200枚以下では、本としての体裁が整いませんからね」と、マリオネット大久保氏の執筆条件でしたが・・・
まだ、実は、150枚少々しか書けていないんです!!
かくなるうえは、あの手この手で泣き落として、「連休明けまで」にでも、締め切りを延ばしていただくしかありません。しかし、すでに、あの手もこの手も、かつて使ってしまったし・・・
本日午後6時に、待ち合わせ場所である福島***ホテルのロビーで、土下座して哀願する私の涙声と、私をどつき回すエンマ大王の怒号と、私に浴びせるマリオネット大久保氏の罵声が、三つ巴となって響き渡ることでしょう。
ああ、私の運命やいかに??
1月24日版
いまだに、1月6日に行った「敗北宣言」への反響がたくさん届いています。皆さん、本当に優しい激励のお言葉をくださるので、ただただ有難く拝読するばかりです。内容は、前回更新までにご紹介したものとほとんど重複しますので、ここでご紹介するのは避けさせていただきますが、とにかく私から申し上げられるのは、「応援ありがとうございます!」のひと言です。なかでも、「今回の宣言は、1冊の著書にも匹敵する貴重なものでした」というお言葉には、たいへん救われました。
し、しかし・・・ただ1点だけ、何人もの方々から、「先生、人にお金を貸しちゃダメですよ」という、有難いお叱りをいただきました。そうおっしゃるお気持ちは、大変よくわかります。私も、他人にはそう戒めるのですが・・・
でも、でもですよ! (と、突如として語気を強める私) 私だって、それは重々承知のうえで、しかし、それぞれよほどの事情があってお貸ししたものばかりなのです。
たとえば、すでに当事者が母国に帰国したので時効になったものを公開すると・・・以下のような事例を想定してみてください。
私の知り合いに、東南アジアの発展途上国から留学してきた、ある女性がいたとします。その女性は、日本で日本語と日本的経営について学ぼうとする留学生であると同時に、3人の小さな子供の母親であるとします。そして、同じ国の人であるご主人(日本語はカタコト)とお子さんたちと一緒に、福島にやってきたとします。そのご家族の夢は、日本で学んだことを母国で生かして、事業を起こして成功させ、同時に、日本で学んだ経営学を母国に広めることであるとします。奥様の方が頭脳明晰なので勉学に専念し、ご主人は福島のアジア料理屋でコックのアルバイトをするなどして、家族5人のつつましい生計を支えているとします。ご主人は、酒も飲まずギャンブルもしない敬虔なイスラム教徒で、家族を養うだけのために懸命に働いているとします。その家族5人の1か月分の生活費は、日本人の大学生が1人生活する費用よりも少ないとします。奥様は、勉強をするための本代にも困っており、私がいくつかの奨学金の推薦状を書いてあげて、何とか最低限の勉学費を確保しているという状態だとします。
さて、彼女の一家が福島にやってきてから数ヶ月が経ち、秋がやってきたとします。実は、3人のお子様のうち2人は保育園児なのですが、福島には外国人の子どもを預かってくれる保育園がわずかしかなく、彼女一家が住んでいた格安の留学生専用住居からいちばん近い保育園でも、距離にして3キロ以上になり、バス路線がなく、自転車で20分かかるとします。これから寒い冬が来て、福島ではかなりの雪が降るのですが、彼女一家は「雪」というものを見たこともなく、雪国の生活など全く想像もつかない状態だとします。そして、そんなある日、彼女と私との間で、このような会話があったとします。
「これから雪が積もる季節になるけど、子供たちはどうやって通園させるの?」
「つうえん?」
「子供を、保育園に連れて行くことだよ。」
「ああ、わかりました・・・でも、雪、降っても、自転車しかない。」
「ええっ! でも、冬になると、一日中気温がゼロより下のままの日が続いたり、雪が何十センチも積もったり、冷たい風が吹き荒れるんだよ。そういう中を、毎日朝早くから、小さな子供2人を乗せて、自転車で3キロも通園させるつもりなのか?」
「でも、そうするしかない。がんばる。」
「がんばるったって、そりゃ無茶だよ。雪が降ったり突風が吹いたりして、傘なんかさせないんだし、雪道や凍りついた道で自転車に乗るのは、とっても危ないんだ。子供を2人も乗せて、転んで大ケガをするぞ!」
「でも、しかたない。」
「車は運転できるの?」
「できる。でも高くて買えない。」
「だけど、何とかして買わなきゃ。車でなければ、通園は無理だ。福島の冬は、自転車じゃ絶対に無理だよ。」
「でも、そんなお金ない。」
彼女一家は社会的信用がないのでローンは組めず、銀行も金融業者もお金を貸してはくれません。それでも、刻一刻と、冬は近づいているのです。
・・・かくして、彼女一家にお金を貸してあげることのできる、この世でただひとりの人間、つまり私が、中古車センターで数十万円の車を買い、スタッドレスタイヤを履かせて、冬を乗り切るための道具一式をそろえてやることになるのです。彼女のためというよりも、彼女の幼い子供たちの命を、厳しい冬から守ってやるために。
もちろん、彼女は泣いて感謝してくれ、「毎月1万円ずつ先生に返す」と申し出てくれたとします。しかし、彼女一家の厳しい生活を知っており、さらに車の維持費がかかることを理解している私は、そんな約束が守られるとは思っていないとします。そして実際に、彼女から、「今月は払えない。ごめんなさい」と謝られることが続くとします。そこで私の方から、「お金を返してくれるのは、いつか生活に余裕が出てきた時でいいから」と、申し出ることになったとします。けれども、彼女の生活に余裕など生じるはずがありません。
そのまま2年間が過ぎ、帰国の時期が近づいたとします。ところが、彼女一家は、帰国するための航空券も買えないほど、お金に困っているとします。そこで私は、「あの車はいらなくなるのだから、中古車屋さんに売って、航空券を買いなさい。余ったお金は、持って行きなさい」と申し出るしかなくなったとします。彼女は一度は辞退しますが、私は、「これは君にあげるんじゃなくて、君の子供たちにあげるんだから、受け取りなさい(for your children !!)」と強調したとします。彼女は、「いつか母国で成功したら、必ず先生にお返しします」と言い残して、帰国したとします。
・・・このようにして、読者の皆様からいただいた貴重な著作権料が、あっという間に、どんどん消えていったというわけです。いや、消えてしまったのではなく、「いったん私の手元に集めたうえで、渡すべきところに配分した」わけですから、単に、「世の中からお預かりしたお金を、付加価値をつけて、世の中に還元した」ということにほかなりません。どれもこれも、上記の事例に負けず劣らず、私には選択の余地がなかったものばかりなのです。だからこそ、「反省すれども後悔せず」(自分の未熟さ、甘さを反省はしているが、動機と結果については後悔していない)というわけです。
それでも、あなたは私に、「ほとんど他人同然の人にお金なんか貸したら、かえって相手を甘やかすことになるだけだから、やめなさい」とか、「本当に相手の成長を願うのであれば、お金など貸さないで苦労させる方が良いのだ」などと、おっしゃいますか? それこそ、机上の空論だとしか言えません。
これは理屈ではなく、目の前の現実の問題なのです。ただ「お金が無くて車が買えない」という事情だけのために、真冬の早朝、肌を切るような寒風の中、吹きつける雪にまみれた顔で3キロの道をトボトボ歩く、遠く東南アジアから来た母子3人の姿を、まぶたに思い浮かべてみてください。そして今現在、幸いなことに、自分の手には、その母子を救えるだけのお金があるとしたら・・・きっとあなたも、後のことなど考えずに、「どうぞお使いください」と、差し出す気持ちになることでしょう。あなたが、この世に人として生まれてきた理由を、すっかり忘れ去っていらっしゃらない限りは・・・
ここで、私の「愛の論理」をお持ちの方は、ぜひ、121ページの最後から122ページの5行目までを、開いてみてください。ここに、なぜ私が「方法論的敗北」(つまり経営破たん)してしまったのかという理由、そしてそれは「方法論的な敗北ではあっても、むしろポリシー(主義)的には真の勝利なのだ」ということの根拠が、書かれているからです。書いたからには、まず自らが実践していなければなりません。
・・・ごめんなさい。こんなこと、人にお話すべきことではないと思い、これまでは書かないでおいたのですが、「人にお金を貸しちゃダメですよ」と(もちろん私へのご好意で)おっしゃる方が少なくないので、仕方なく、最低限だけ書かせていただきました。
おっと、こんなことで時間を費やしている暇はありません。
今夜もこれから、執筆、執筆・・・
1月18日版
前々回更新で行った「敗北宣言」以降、ますますたくさんのご連絡をいただいています。
まずは、それらの中から、代表的なご意見をご紹介しましょう。
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飯田君へ
日本列島極寒の日々が続きいかがお過ごしでしょうか?
さて、先般の敗北宣言ですが、いつかその日が来ると思っていましたが、おおいに歓迎です。貴君の真のねらいは、貴君個人を信奉するのでなく、一本のキャンドルから灯が灯りそれが広がる(つまり生きがい論が広がり、全ての人々が生きがいを持って充実した日々を過ごし、人生に生きる意味を見出す−それは貴君個人の発信から影響を受けた人の相互ネットワーク、そしてその影響を受けた人が別の灯火となって、蝋燭の灯火が広がっていく=生きがい論の広まり)事を目的としていると思われます。(極論すれば貴君個人が不在でもこの生きがい論が世の中に広まっていく状態になることを指していると思われます)。
そういう意味で、敗北宣言は大いに歓迎ですし、人が一人でやることはどうしても限界(物資界では)があります。1日も24時間しかなく30時間、40時間あるわけではありません(現代の科学の域において)。生きがい論をリードしていくことも大事ですが、貴君個人として家族との日々を大切にして生活することや大学の経営学を通して社会に貢献していくことも非常に大切だと思います。
ちなみに私としては、生きがい論の飯田君がいなくなってしまうことよりも、友人としての飯田君がいなくなってしまうことの方がすごく寂しく思えます。ですから体は大事にして下さい。
例え敗北宣言をしても、飯田君は飯田君なのですし、生きがい論の灯火は確実に広がりを見せていると思います。これからも陰ながら応援しています。講演会の日程が今後も続々入っておりましたがあまり無理はなさらないで下さい。くれぐれもご自愛下さい。
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飯田先生、
**大学の**です。先週HPを見てショックを受けつつ、同時に少し安堵感の入り混じった思いがしました。先生の様子は、極言すると「死ぬまでの残り時間がもうあまりないのでは」と誰もが思ってしまうほどのお仕事ぶりでしたので、御健康や御家族についても時折危惧しておりました。
先生のこれまでの「生きがい」関係のお仕事に対して、金銭上の問題と、宗教組織発展への懸念を一切断ち切った潔い態度にはずっと敬服しておりました。先生が多くの人々の共感を結果として勝ち得られたのもこの毅然とした態度によるものが大きいと思います。しかしながら現実にはそのような態度で活動を続けるのは無理があったのですね。
自分に何かできることはと考えネット上で書き込みやメールできるところに、「生きがい」関係研究者に科研費を支給できる「生きがい学会財団」(仮称)を設立したらと提案してみました。弁護士と財務能力のある人がボランティアしてくれてお金も寄付という甘っちょろい考えなのですが。しかし先生が教祖にもならず、金銭収集の組織も作らずにその他大勢の研究者とともに一研究者としての先生の活動をサポートするにはこれが私のあまり良くない脳で考えたベストです。このような社会的な動きを作り出すにはネットは最適なのですが、いかんせんこのようなトピックを議論する場がなかなか見つからない状態です。どこかご紹介いただけませんでしょうか。これは「サプライズパーティー」の計画を本人に相談しているようなもので情けないことなのですが。
とにかく先生には、常人が数回分の人生でする仕事を今生一回でなさってきたのですから、ご無理なさらないように少し休息をなさってください。わたしは先生を応援しております。
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1/6敗北宣言を見て、かなりのショックを受けました。
これから、いろいろ楽しいことがありそうですね。
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飯田先生、先日は快く講演をお引き受けくださりありがとうございました。
なんとなく気になって、今日久しぶりにホームページを読みました。
「敗北宣言」の「その後」から読んだもので、先生の現状の大変さに申しわけなさを感じる一方で、なにやら不思議におかしくなってしまいました(ごめんなさい)。
これまでも活動をお聞きするにつけ、バーンアウトになるのではと心配しておりましたので、その点では安堵しましたし、「生きがい論」をおやめになるつもりがないと伺い更に充実した活動をされることと安心しました。
当地では先生の講演会の予定を話すると、予期しなかったほどたくさんの人たちが先生の著書を読んでいることに驚いています。また、精神障害者の家族の方の中には、この世に生まれてきたことの意味をお話すると、「私ががんばる意味がわかってくれましたか」と涙を流した方も。
人が生きていく上で、自分に意味を持つことはとても大事だと思います。私自身、世間に通用すると思われる肩書きを持ち、他人は充実した人生と思っているようですが、しばしば空虚さに襲われ、終末期の「対象の喪失」はこんなものかと思ったり・・・「人生は勉強の場」だとに納得させられます。
そんな時は先立った夫に語りかけたり、先生の著書を枕もとに置くことにしています。先生はたくさんの方の心の支えになっていらっしゃるんですよ。
どうぞご自分を大事になさってください。無理はなさらないでください。
今日はこの冬一番の寒波とか。お元気でお過ごしください。
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1月6日付けのHP読ませて頂きました。
「敗北宣言」 寂しいような、ほっとしたような複雑な気持ちです。寂しいですが、もしそれで先生のご自分の時間が持てるようになれば、それはそれで良いのではないかと思います。ただ、それで先生が満足されるかどうかは判りませんが?
私には先生に何もしてあげることは出来ませんが先生のことを見守っていますね。先生が死に物狂いで?書かれた本や、HPで、私たちに生きる勇気と希望を与えてくれましたから。
私はこれからも飯田史彦さんを心の中でいつも応援しています。
「敗北宣言」ばんざ〜い!!
******************** ・・・などなど。
時間さえあれば、まだまだご紹介したいのですが、今夜はそろそろ眠らなければ倒れそうです。
なお、今週の木曜日(海の日・祝日)に行われる、『愛の論理』の最初で最後の公開講演会(詳細は、6月15日版の「今週のメッセージ」参照)の後に行うサイン&握手会の際に、「新聞広告を載せたからには、どのような邪悪な念を持つ人物がやってくるかもしれないので、ぜひともボディガードをやらせてほしい」とお申し出くださる男性が、何人も現れました。皆さん遠方の方々なのでお気の毒ではありますが、私にとっては大変ありがたいお申し出なので、遠慮なくお願いいたしました。
当日は、サイン&握手会を行う私の背後に、屈強な(?)男性陣が恐い顔をして(?)居並んでおりますので、ご来場される皆様は、そちらの男性陣にも、ねぎらいの声をおかけくださいましたら幸いです。どの男性も、このホームページや私の著書のどこかに登場くださった方々ばかりですし、その中には、あの***も、さりげなく混じっておりますので・・・
下7月14日版
今夜も、『愛の論理』をめぐるお手紙&メール特集です。
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飯田先生,こんにちは!広島の**です。
「愛の論理」初登場ランキング2位おめでとうございます!
私も先日、広島は本通りにある丸善にて購入いたしました(入口付近の新刊コーナーに平積みになっていました)。
さっそく拝読いたしましたが,心からすばらしい本だと感じました。
今までの著書からぐっと幅が広がった感じで。装丁も素敵。
個人的には自分に当てはまる箇所がたくさんあって,いろいろ考えさせられています・・・。
毎日暑いですけれど,おからだ大切に。
ではではまた。
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新刊のご出版おめでとうございます。
先日は、広島にお越しになられて、修道高校でご講演なさったそうですね。当日、私は千葉・東京の出張で参加することができませんでした。本当に残念でしたが、いつかの機会に参加できればと思っています。
ところで、昨年から中小企業診断士の勉強を始めました。8月5日・6日に一次試験がやってきます。今は最終追い込みで猛勉強中ですが、多くのことを学び、「生きがい論」が必ず、世の中の「労務管理」に結びつくという確信を得ました。また、先日、大阪にてトップセールスの研修を受けましたが、勝利の秘訣は、愛にあることがわかりました。トップセールスは、生きがい論と完全に一致します。今は、勉強中でなかなか余裕がありませんが、余裕ができましたら、労務管理とトップセールスと生きがい論を、まとめてみたいと思います。
『愛の論理』は、広島駅横の双葉図書「ギガ」で購入しました。駅前の「福屋」にも、平積みに置いてありました。ベストセラー間違いなしでしょう。ただ、私は、まだ読みきっていません。ごめんなさい。試験が終わり次第、しっかりと読みます。
それでは、これで、失礼します。
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先日は、阪大での講演ありがとうございました。私は、HP読者として出席させていただきました。もちろん、ライブで講演を聞かせていただくのは無上の喜びだったのですが、内心、「握手してもらえるかな? サインしてもらえるかな?」と考えておりましたので、その願いが実現すると、あまりのうれしさに舞い上がってしまってお礼の言葉しか言うことができず、後で、この機会に先生の事で最大の謎である、「なぜ、ウサギのミッフィーちゃんの柄のネクタイをしていらっしゃったのか?」を質問すれば良かったと、大変残念に思いました。
『愛の論理』、私は7日の11時30分に、「紀伊国屋書店梅田店」の1冊目をゲットしました。なぜ1冊目だとわかるのかというと、初めに聞いたカウンターのお姉さんは、コンピューターで検索して、「今、在庫ないですねえ。でも、今日発売なら新刊のカウンターに行ってみてください」と優しく教えてくれたので聞いてみると、「今、ちょうど地下に着いたところですから、10分ほどお待ちください」ということで、手に入れたからです。
講演会までに読みきってしまいたいと、「論理的思考」が苦手な私は最初から読み始めたのですが、それでも、結構ムズカシイです。目から入った文字が脳に達せずに、耳からお手手をつないで出ていくような個所(飯田注:おそらく哲学書からの引用部分ですね・・・引用なので私が勝手に書き直すわけにはいかず、私も困りました・・・いやはや、哲学者の文章は、解説者泣かせです)もありましたが、それでも一生懸命読んでいくと、ある個所では心がザワザワと波立ち、ある個所ではシュンとなり、本を閉じると、何だかシーンとした気持ちになります。
7月6日には本屋さん巡りをしましたし、今朝はHPで紹介されていたシフォンケーキを注文しました(明るい声の女性が出て来られました。13日に届くそうなので楽しみです)。私って、のせられやすいのでしょうか?
講演会に出席させていただいて、「『つながる』って、こういう事なんだ」と実感しました。どうぞ、お身体を大切になさってください。HPの更新、楽しみにしています。
PS.『愛の論理』を読んで、パウロは先生の過去生の一つだと想像しています。
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(2000/007/03〜2000/07/09) |
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ランク | 書 名 | 著 者 | 出版社 |
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ブレイクスルー思考 | 飯田史彦 | PHP研究所 | |
愛の論理 | 飯田史彦 | PHP研究所 | |
生きがいの本質 | 飯田史彦 | PHP研究所 |
・・・どうやら、わが福島では、今ごろになって、『ブレイクスルー思考』と『生きがいの本質』のブームが再燃しているようです。色々な意味で、「さすが福島!」と、思わずうなってしまうしかありません。しかし、いかに怪奇現象とはいえ、ベスト3までを自分の著書が独占しているとは、誠に光栄なことと感謝いたしております。
もしかしてこれは、かつて1960年代初頭に、あのビートルズがイギリスのヒットチャートで1位から5位までを独占して以来、30数年ぶりの世界的快挙でしょうか!?
また、横浜にお住まいの、世界的に活躍されている経営コンサルタントの方からは、このようなお手紙をいただきました。
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この度は、「愛の論理」のご出版、おめでとうございます。
経営コンサルタントとして仕事をさせて頂いておりますが、フロムやトルストイの言葉に久しぶりに接し、改めて、「愛」や「人生」について考える機会を与えられました。
先生がエピローグで書いておられるように、『効率性と技術革新を追求するための社会経済システムではなく、愛を実現するための社会経済システムを模索することこそが、今こそ必要』であると、私も考えます。
明日は宇都宮の企業経営者、明後日はブラジルから来日した2世経営者たちに会いますので、さっそく『愛の論理』を贈呈したいと思います。正に、今の日本にとって、タイムリーな書物だと確信します。今後の各社での社員研修や自己啓発研修会などでも紹介させて頂き、皆で「愛」について考えたいと思います。
つい先日まで、米国の東部、南部、西部の情報産業集積地域を回って仕事をしておりましたが、本書の「愛」が、米国においても真剣に考えられなければならない時期にきていると感じています。
日本国内にとどまらず、本書の刊行は、正にブレイクスルーをもたらすものだと思います。
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私も、近いうちに、しばらくアメリカに行ってきます(時期はナイショです)。アメリカの状況について、自分の目で確認したことを、このホームページでもレポートいたしますので、どうぞお楽しみに!
7月12日版
『愛の論理』の表紙をめぐる、致命的問題点が発覚!?
実は昨日、ある親友の男性から、このようなメールが届いたのです。
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**です。
壺屋のおばさんのお通夜にいってきました。多くの客が詰めかけ、那覇からきたご親戚はびっくりしていたようです。学者がいて、ジャーナリストがいて、物書きがいて、、、多士済々のメンバーが、最後のお別れをしました。思うに、おばさんは人と人をつなぐ大事な役割を果たしてた人なのですね。最後によくわかりました。七日の朝すでに飯田さんのところにいっていたことを、うちの奥さんと**君、**君、**君に話すと、みな納得していました。ありがとうございました。
ところで、「愛の論理」の報告です。新橋に新しくできた文教堂(駅前)では、平積みになっていました。さっそく買い求め山の手線に乗ったのですが、従来私は省資源の立場から、書店で付けてくれるカバーなしで本を持ち歩きます。
すると、齢50近いおっさんが、「愛の論理」と書かれたバラの表紙の本を持ち歩くことに、、、。「しまった」と思うまもなく、心なしか、となりのお姉さんが身を引いたようです。さらに、足までも、、、。痴漢か変態か、はたまたロリコンか、、、と誤解を受けつつ、早々に電車を降りたしだいです。
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なるほど。
男性、特にご年配の男性にとっては、人前でバラの表紙に「愛の論理」のタイトルの本を読むことは、勇気のいる行為かもしれません。俗に、同性愛者の方々のことを、「薔薇族」(女性同士の場合は「百合族」でしたっけ?)などとも申しますし・・・
しかし、もともと、そのことは重々承知のうえで、あえてデザインした表紙。
今こそ、あなたの勇気の程度を試す、大チャンスです!
どうぞ、男性の皆様も、勇気を出して堂々と、通勤電車の中で持ち歩き、愛に悩む現代人の方々に、使命感を持って、大いに本書の存在をPRしていただけましたら幸いです。少なくとも、たいへん人目をひく表紙であることは、間違いありませんから・・・(全然フォローになっていませんね)。
その他、本日も、『愛の論理』をめぐるメール特集です。
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気品に 満ちた愛の論理。
大阪では 6日は 入荷されていないかと、大きな書店 10軒ぐらい 聞いて回りましたが、まだ との事。
大きな 都市なのに ちょっと 残念。 予約してある書店は7日の 夕方に入荷との事。 少しでも 早く 拝読させて 頂きたく 、 午前中に 紀伊國屋書店に 走り、ありがたくも 手に することが できました。
その日は 早く お風呂に 入り、身を清め早く 食事を 済ませ、 宝物のような 飯田先生の ご本、愛の論理を 一文字一文字 かみしめながら 感動 感激 うなずきながら 拝読させて頂きました。
癒しと 安らぎ、生きがいの源泉 だけでなく、教養など 縁が ない 私くしにも、 飯田先生の おかげで パウロ、トルストイ、フロム、 などなど ほかの先生方の著書を 分かりやすく 分かりやすく お教え下さり 少しは 賢くなったかな?と 飯田先生には 感謝の言葉を 思い浮かべることしかできません。ありがとうございます。
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こんにちは、「愛の倫理」じゃなかった、「愛の論理」、きのうやっとゲットしました。
うちのいちばん近くにあるのは大きな「蔦屋書店」ですが、先生の本がたくさんおいてあるのは、中規模の「信濃屋書店」といいます。三部作をはじめ、ブレイクスルー思考、生きがいの言葉、生きる意味の探究、生きがいのメッセージ・・・これらがいつも、めだつところに3〜5冊ずつくらい平積みにしてあります。人にあげたいな〜と思った時、いつでもあるので便利です。
こちらに昨日取りにいったら、「何度もいらしていただいて、すみませんでした。」なんておっしゃられるもんで、「いえいえ、こちらこそすみませんでした。」(何度も探させてしまって)と恐縮してしまいました・・・
今度からいつもここで買おうと思いました。
これから、ゆっくり読みまーす。
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「愛の論理」読み始めています。
プロローグの、「神経症の人は人を愛せないことを自覚していない」という言葉が、私のこころを揺さぶりました。
なんで? もう、私の神経症は治っているのに、こんなにゆらゆらするんだろう? と思いました。7年もかけて治してきたのに〜。
私は、愛する能力がないのに3人もの子育てをしてきちゃったんだ、と思ったら、罪悪感が涙と一緒にどっと出てきました。だから、子供たちに色々と問題が・・・・納得しました。それを分かっていながら私の子供になってくれたなんて・・・・本当に感謝です。
いっぱい泣いて解放して、過去へのこだわりを手放したいと思います。
先生、罪悪感を解放するチャンスを与えてくださって、ありがとうございました。きっと、この罪悪感たちが早く解放されたがっていたから、「神経症の人は人を愛せない」という言葉に、過剰に反応したんだと思います。
では また (^.^)/~~~
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いかがお過ごしですか?
6月21日版
(^O^) わ〜い!
ようやく、修羅場から抜け出しました。
新刊『愛の論理』、本日、すべての校正・確認作業を終え、私の手を離れて行きました。あとは、出版社と印刷会社に、お任せするだけとなりました。
思えば、長い長い道のりでした。今はただ、涙、涙です・・・ (@_@) ←涙目の図
しかも、数日前には、とっても辛いことがありました。
致命的事態にならないうちに、ここで正直に申し上げておきますね。
実は、このホームページの読者の方々ならば感づいていらっしゃったはずですが、昨年末から、私はずっと、数名のストーカーにつけ狙われているのです。実際に何度か危ない目にもあったため、その後、せめてもの自衛手段として、誰でも入場できる一般公開の講演会は、どんどん減らしてきました。私への重大犯罪を予告する脅迫状も何度も届き、講演会ではボディガードを依頼したり、サイン会の際にも後ろに一瞬の逃げ道を確保しておくなど、自衛措置を講じています。しかし、講演会以外の場では、私は常にひとりであり、秘書も弟子もマネジャーもボディガードもいませんから、まったく無防備です。
そして、新たにまた・・・
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お前の本の一部を読んでやったが、とんでもない危険思想だ。これ以上世の中に浸透する前に、何とかお前を排除しなければ。
覚悟しておけ。殺されても自業自得だ。ワハハ。
おい、男だったら何とか言ってみろよ。
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・・・皆様からいただくお手紙の99%は、温かい励ましや賛同のお手紙ですが、この種の危険な内容の手紙も定期的に届きます。危険物や汚物が同封されている場合もあります。共通点は、ほとんど読めないような殴り書きで、明らかに、正常な精神状態で書かれたものではないという点です。しかし、だからこそ、この種の状態の人々は思い込みが激しく、冷静な判断力のないまま(罪の意識がなく、むしろ正義の意識で)実行してしまうので、本当に危ないのです。ジョン・レノンをはじめ、その種の状態の人から被害にあった人々は、過去にもたくさんいます。しかも、私の場合は、ふだん、誰も守ってくれる人がいないのです。
もちろん、その種の手紙を送ってくる人物たちは、すでに住所も特定してあり、文字を見れば誰だかわかりますから、手紙が届いても、まったく開封することなく処分してしまいます。しかし、このところ毎日のように、この同じ人物から同じ内容の手紙とFAXが次々に届けられ、嫌がらせの電話がひっきりなしにかかり、研究室にいては仕事になりません。
かくして、ノイローゼになりそうだった私ですが、いつものように、読者の皆様からの、温かい励ましのお手紙やメールを拝読して、何とか元気にがんばっています。
たとえば、オーストラリアからは、このようなお手紙をいただきました。
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初めてお手紙いたします。「生きがい」シリーズ3部作、「ブレイクスルー思考」、いずれも拝読致しました。
「生きがい」シリーズに書かれていることは、私にとって初めて知ることばかりというわけでもなく、むしろ、先生の文章が真綿にくるまれているような印象で、不遜な言い方ですが、少し物足りなく感じておりました。しかし、精神世界のことになじみが薄く、現実生活の中で様々な苦しみを味わっている多くのごく一般の人々にとっては、先生のように噛んで含めるような説明が必要であり、言葉選びもよくよく慎重にならざるを得ないのだと、現在では理解しております。
先生が、「広く多くの人々に、生きていく意味を考えさせるきっかけを、健全かつ善良な形で与える」という、これまで誰にもできなかったことを、たったひとりで担っていらっしゃることに、頭が下がる思いです。(中略)
先生、お身体の不調は、ホームページで公表なさっているのより、ずっと深刻なのではないですか。お時間がないのでしたら、電話に出るのをおやめになったら良いと、いちいち手紙への返信を出されるのをおやめになったら良いと申し上げたいです。また、別の観点から、もう、広くあまねく多数の人のために時間と労力を割くというのを、やめられたらいいのにと思います。
苦しみの中から自分を救ってくれるのは飯田先生ではなく、その力は自分の中にこそあるというのが、人々にはなかなかわかりません。だから、一言でいいから先生に言葉をかけてもらいたいというお願いが、あとを絶たないのです。一度先生からの言葉をもらって窮地を抜けると、次の困難に遭遇した時もまた、先生からの恵みの言葉を期待するのではありませんか。先生の本は、色々なメッセージにあふれているのに、そして、それをきっかけとして自分が変わっていかねばならないのに、目に見えるもの、手に触れるもの、外部の対象に救いを求め、自分の内奥に降りていくことをしないのです。救いは外から与えられるものではないのに、それを先生に求め続けてやまないわけです。たとえ無尽蔵の愛を先生が人々に惜しみなく与えても、人々の願望には、果てがないのですから。
と、ここまで書いてまいりましたが、ふと、飯田先生は、これらのことを全て承知のうえで、あえて多くの人々のために働いていらっしゃるのではないか、とも考えます。だとすれば、もう私のような者が、わざわざ申し上げることでもありませんね。
ただ、先生のご本の読者は、先生が息長く、素晴らしい本を書き続けてくださることの方を、より強く願っているのではないでしょうか。先生が、生き急ぐかのように燃え尽きて人々の前から消えてしまわれると、先生のご本から生きる力を見いだした人々が、また舵を失った状態に陥ってしまうのではないでしょうか。私にしてみれば、飯田先生と同時代に生き、同時代の空気を吸い、そこに存在しているということが大切なのだと思いますが。
生きるか死ぬか、あるいはどうにも切羽詰った状態になり、悲鳴をあげるかわりに電話してくる人々を、むげに断ることができるものかと、先生はお尋ねになるかもしれません。そこで、「命の電話」のような非営利のグループを組織なさるのはどうでしょう。電話応対するメンバーにはカウンセラーとしての訓練も必要でしょうが、現在の日本には、才能と時間を持て余している高学歴の女性たち(しかもその多くがやりがいのある仕事を求めている)が、たくさんいます。その中には、先生のご本を読んで、人の役に立つようなことをしたいという気になった方々も、大勢いるのではないでしょうか。資金が必要だということであれば、マッキンゼーや富士通に依頼するのはいかがですか。(飯田注:とてもそんなことは頼めません・・・)
このあたりから、話が少し乱暴になってきましたが、欧米社会では、名の知られた大企業が社会福祉事業に出資するのは珍しいことではありません。翻訳など、オーストラリアに住む私にでもできることがありましたら、時間の都合のつく限り無償でお手伝い致しますので、その際にはご連絡ください。
それでは、日本の蒸し暑い梅雨の候、ご自愛くださいますように。
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・・・このようなお手紙をいただくと、「おお、わかってくださっているなぁ」と、色々な意味で嬉しくなってきます。「命の電話」のようなシステムをつくることが、いかに多くの人々(特に自殺をしたがっていらっしゃる人々)を救うかということは、私自身が実際にその種のお電話を大量に受けますから、たいへんよくわかります。「今すぐ、ここに来てくれないと死ぬ」と泣き叫ぶ方々のために、仕事を放り出して、夜行寝台列車や飛行機で駆けつけたことも、数え切れません。駆けつけてみると、本当に、自殺の準備を整えて、お待ちくださっているのです。私は医者でもカウンセラーでもありませんが、そのような方々には薬もカウンセリングも不要であり、「本当に、この本の著者が、ここまで来てくれた」という事実の重みだけで、ひたすら涙され、元気に回復していかれるのです。
しかし、ひとつしかない私の身体には限界がありますから、このようなシステムをつくることができ、私の著書・思想に共感してくださったカウンセラーの方々が常駐くだされば、これほど有難いことはありません。私にとっては、夢のようなお話です。
また、昨日いただいたお手紙の中に、このような素敵なものがありましたので、原本のままでお見せいたしましょう。私も、思わず吹き出してしまいました。
・・・・・・こうして、またまた、私のエネルギーは、回復していくのです。
皆様、私のことをお気遣いくださり、本当に、ありがとうございます!
さて、そこで次に、皆様お待ちかねの、新刊『愛の論理』に関する極秘情報です!
皆様にも、どのようにして編集が進んできたのかをドラマティックにお伝えするために、以下、編集を担当くださったPHP研究所学芸出版部のレディ節子嬢(う〜ん・・・何も言うまい)からいただいたFAXをもとに、リアルタイム形式でレポートさせていただきます。
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6月8日
「愛の論理」のゲラの件では、遅れてしまい誠に申し訳ございませんでした。9日か10日に到着します。
@ 校正者のアカ字のつけ合わせがまだでございますので、ご了承ください。
A 先生の結論のところで、4種類のケイを入れておきました。p284、p302、p305、p336です。お好きなケイをお選びください。
B 〆切は、6月14日(水)、PHP必着でお願いいたします。
先生が初校に入れてくださった大量の赤が活字に組まれて来ていますので、通読するとどんな感じになるか、楽しみです。すでに制作管理の者と話をする時には、「あのベストセラーになる本の…」と言えば通じます。制管の方も、「十分頭に入っておりますよ」とのこと。まずは社内で盛り上げて・・・と。
この本に関しては、私も力が入っておりまして・・・何しろ私には、十代の始まりから終わりまで、3人の子供がおります。彼らもいずれは、この重いテーマについて悩むであろう(いちばん上の子はもしかすると悩んでいる可能性がありますが、異性のカゲがチラとも見えないので、たぶん未来形でしょう)と思いますが、その時、お母さんは、愛のバイブル「愛の論理」を、さっそうと手渡すのです。
「いい本だから、読んでこらん」と。
そして、読み終わったであろう頃を見計らって、
「どうだった? 実はあの本を作るにあたって、お母さんもお手伝いしたのよ!」
・・・これで、お母さんの株はグーンと上がる、というシナリオを描いておるのであります。
私の手に負えないテーマを、先生のご本に肩代わりしていただくわけですが、先生のように、愛について深く探究しておられる先達に導いていただくのは、愛の道を極める王道とも呼べるのではないでしょうか。
・・・ということで、再校のご校閲、よろしくお願いいたします。
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6月15日
「愛の論理」の三校ですが、ただ今難航しております。6月17日(土)に何とか出してもらおうと思っているのですが、それがかなり厳しそうです。19日いっぱいかかってしまうかも、という状況です。
決まりしだいご連絡いたしますが、今回担当してくださる印刷会社は、大日本印刷、つまり日本一の会社。担当は、現場にも顔がきく、超ベテランの**さんなので、何とかしてくださるのではないかと思っておりますが・・・
まずはとりあえず、FAXまで。
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6月15日(その2)
温かいお言葉、ありがとうございます。
先生が恐れておられる最悪のスケジュールにならないように、と願っておりますが・・・PHPの制作管理も、営業も、大日本印刷も、一生懸命に何とかしようとしてくださっていますので、さすがの私も、これ以上、無理を強要できないでいます。スケジュールをゴリ押しして、みんなから、大ひんしゅくを買っています。
先生が、急きょ上京くださるという緊急対策をご提案くださったのは、7月7日に先生のご本を出すために皆が必死に働いている気持ちを、感じ取ってくださったのですね!
大日本からは、どうなるかは明日の夕方にならないとわからないそうなので、申し訳ございませんが、お待ちくださいませ。
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6月16日
お待たせしました!
大日本から返事が来て、何とか間に合わせてくださるそうです!
18日(日)午前中・・・宅急便で先生のご自宅へ。
お返事は、19日の夕方4:00までに、FAXでPHPへ。
・・・ということで、お願いいたします。日曜日にならなくて、ほっとしています。
先生、よろしくお願いいたします。
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6月17日
「愛の論理」の三校ゲラ、ただ今、宅急便の方にお渡ししました。
明日10時着確約のタイムサービスで出しました。
実は、ひとつ問題が生じまして、4章で図を独立させてページを取ったため、2行ほどハミ出しが出てしまいました。とりあえず、解決案をいくつか書いておきましたので、どうするかお決めください。
せっかくの日曜日なのにツブしてしまって、申し訳ございません。
どうかよろしくお願いいたします。
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6月17日(その2)
18日(日)、ゲラの件で何かございましたら、自宅に電話ください。
自宅の番号は、****(**)**** です。
********************
6月17日(その3)
お世話になっております。
問題が出てまいりました。19日(月)、4時頃までにご連絡いただけたらと存じます。
新たな愛のバイブル「愛の論理」の産婆役として、この土日の2日間、最終校正に徹して過ごしたいと(過ごさせていただきたいと)思っております。
********************
6月20日(午後2時28分)
表紙の2度目の色校が出てまいりました。デザイナーさんと編集部とで、意見が分かれております。人によって見方が違うとなれば、やはり、先生に決めていただく以外にはありません。
大急ぎで色校を持って福島におうかがいし、ご意見をお聞きしたいと思います。ただ今、ご自宅にお電話しましたが、先生とご連絡がつきませんでした。しかし、取り急ぎ、新幹線で東京を出発いたします。出版部のケータイを持って行きますので、新幹線の車内から、時々お電話してみます。私のケータイは、***(****)****です。
福島駅には、17時54分に到着いたします。どうしても本日中に、印刷所に色校を戻さなければなりませんので、どうかよろしくお願いいたします。
********************
・・・・・・というわけで、編集者の節子嬢は、連日のように朝帰り。私が深夜12時近くになってPHPに電話しても、必ず仕事中でいらっしゃるのです。一昨日など、「今夜は朝まで仕事をして、電車が動き始めてから帰宅します・・・それでも、お昼までにはまた出社しますから、12時すぎにお電話します」とのこと。いったい、いつ眠っていらっしゃるのでしょうか?
しかも、深夜にお電話しても、しばしば観音菩薩の順子嬢まで登場してくださいます。そもそも、節子嬢も順子嬢も、いわゆる「人妻」ではありませんか。いったい、ご主人は、ご家庭は・・・
そこで再び、より声を大にして、
ああ、編集者稼業、哀れなリ!
とにかく、7月7日までに突貫工事で編集し、印刷所も初版を30000部も作らなければなりませんので、関係者一同、残業に残業を重ね、休日労働をいとわず頑張ってくださっています。「どうしても、7月7日、七夕(つまり年に1度の、愛の記念日)に店頭に並べたい」と、皆さん、こだわりを持って、必死で働いてくださるのです。
著者として、これほど、「冥利に尽きる」ことがあるでしょうか。私の『愛の論理』をベストの状態で出版するために、編集者、制作管理、営業、印刷会社、デザイナーさんなど、何十人もの方々が、身を粉にして労働くださっています。見えない所で一生懸命に頑張ってくださる、これらの方々によって、『愛の論理』が世に出ていくのです。本当に、ありがたいことです。
出版社・印刷会社の皆様、そして、私の著書の読者の皆様に、心から感謝申し上げます。
m(__)m ←両手をつき、ひれ伏して感謝申し上げるの図
6月15日版
修 羅 場・・・「演劇・講談などの中で、激しい悲壮な戦闘の場面」
と、手元にある国語辞典には書いてありました。
そう、まさに、このところ、修羅場の毎日なのです。しばらく、ホームページの更新どころではありませんでした。本業である経営学の研究の追い込み作業と、新刊『愛の論理』の追い込み作業とが、ちょうど重なってしまったのです。(このホームページでは全く触れないだけで、普段の私は、大学教官の職責を果たすための経営学の学術研究を、きちんと行っているのです。「生きがい論」は、あくまでも個人的な社会貢献にすぎません)
つい先ほど、午前(午後ではありません)1時すぎまで、東京のPHP研究所学芸出版部(旧第一出版部)とつないだ電話で、『愛の論理』の第2校(2回目の校正作業)の最終確認を行っており、ようやく一息ついたところです。編集を担当くださる「PHPの母」ことレディ節子嬢(う〜ん、やっぱり違和感があるなぁ・・・)も、今夜はこれで朝帰り。3人のお子様たちは、朝帰りするお母さんに、どのような目を向けるのでしょうか?
とにかく、7月7日の発売日に間に合うかどうかという瀬戸際の攻防が連日続いており、レディ節子嬢も、印刷所、デザイナー、製作管理の方々などとの、必死の調整(「ゴリ押し」とも言う)作業に奔走されています。しかも、午前0時をかなりすぎていたにもかかわらず、電話には、観音菩薩の順子嬢まで登場してくださいました。これで、順子嬢も、今夜は朝帰りだということが判明。新婚(でもないか)の夫は、朝帰りする妻に、どのような目を向けるのでしょうか?
ああ、「編集者」稼業、哀れなり!
実は、昨日、お風呂に入る際に、ふと何者かが私を呼ぶ声が聞こえたので振り向いて見ると、「体重計」なるものに目が止まり、「なんだ、お前が呼んでいたのか」と、測ってみたところ・・・・・・何と、ほぼ2週間前に測った時に比べて、約7kgも、体重が減っていたのです。わ〜い!
・・・と、喜んでいる場合ではありません。この2週間、睡眠時間は平均3時間くらいで、食事をする時間も惜しんで仕事に追われていましたが、まさか、7kgも減ってしまったとは!
私は食事という作業に興味がないため、量も少なく(妻の半分くらいしか食べません)、肉類もできるだけ食べないのですが(なぜか肉類を食べると気分が悪くなるのです)、それでも太ってしまう体質なので、健康上、体重が減るのは嬉しいことではあるのです。しかし、2週間で7kg、つまり1日あたり500gずつ体重が減っているとは、とても正常な値ではありません。もしや・・・と、思わず、体重が減ってしまう病名の数々が、頭に浮かんでしまいます。
この3年間、人間ドックにも行っていないうえ、健康診断さえ1度も受けていなかったのが、いけなかったのでしょうか?
・・・などと悪い想像をしながらも、「う〜ん、この調子で、あと5kgほど減れば・・・」などと、能天気なことを願ってしまう私です。
さて、本日は、重要なお知らせがあります。
福島大学教育学部付属中学校にて、特別講演決定!
福島大学付属中学校の校長先生からのご依頼で、11月14日(火)に、先生方とご両親のための、特別講演会を行わせていただくことになりました。付属中学校の体育館が会場ですから、会場に余裕があれば、「付属中学校のOB」「付属中学校の関係者に知り合いがいる」「誰も知り合いはいないが潜り込みたい」などの方々にも、ご参加いただけるかもしれません。「生きがい論」に根ざした私の独特の教育論が嫌というほど聞ける、めったにない講演になります。ご参加いただけるようでしたら、いずれお知らせいたします。
なお、6月30日(金)には、広島市(中区南千田西町)の、修道学園中学校・高等学校のPTA総会で講演させていただきます。600人くらいご参加いただけるそうですが、体育館大講堂で10:40から1時間ほどの講演です。修道学園の関係者の方に知り合いがいらっしゃいましたら、一緒にご参加いただけるかもしれません(私の口からは、これ以上は申せません・・・一応、PTAの方々が対象ですので)。
修道学園と言えば、広島県で1,2を争う、超有名進学校。実は、何を隠そう、私自身も、かつて修道中学校を受験して、見事に落ちてしまった経験の持ち主なのです。その後25年も経って、まさかそのPTAの方々に向かってお話することになるとは・・・果たして、受験に落ちて入学できなかった私が、偉そうに講演など行っても良いものでしょうか??
そんな私の罪悪感が通じたのか、昨日、修道学園高校の校長先生から、以下のようなお手紙をいただきました。
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このたびは、私どもの学校でご講演いただけるということで、一同大変喜んでおります。
先生のご著書の「生きがいの創造」「生きがいのマネジメント」「生きがいの本質」の3冊を買い求め、大変感銘深く読ませていただきました。私自身、生きることの意味について考え、そのことについて話をしなければならないということが、昨年何回もありましたので、先生のご著書から、色々な示唆を与えられました。私自身の問題として、「生きること」についてしっかり考え、より充実した人生を歩みたいと願っておりますので、なるほどそうだ、と共感を覚えるところが多くございました。
今回、直接にお話を伺えるということを、心待ちにしております。どうかよろしくお願い申し上げます。
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・・・と、大変有難いお言葉をいただき、「おお、このような地位のお方にも、自分の著書の内容が正しく届いたか!」と、ただただ涙する私です。さすが、これほどの地位のお方になると、先入観や偏見にとらわれず、著書の本質をきちんと見抜いて、正当に評価してくださるのです。
とはいえ、25年前に、試験に落ちてしまった私にとって、どうも気恥ずかしくてなりません。当日は、どのような顔をして、壇上に立てば良いのでしょうか・・・
また、『愛の論理』の発売日でもある7月7日(金)の13:50〜15:00には、福島県文化センターにて、東北地区高等学校PTA連合会からのご依頼で講演をいたします。何しろ2000人の会場なので、いちいち出入りのチェックを行うのは難しいでしょうし、私の講演を聞きたいとお申し出いただければ、入場を断られることはないはずです。ただし、すでに1800人以上の方からお申し込みがあったそうなので、満席を理由に入場できないかもしれませんが、その場合にはご容赦ください。
ついでに申しますと、7月17日(月)の13:30〜14:40には、日本大学東北高等学校(郡山市)のアカシア館2階多目的ホールにて、先生方や高校2年生の父母400名の方々に、講演させていただきます。先日、校長先生からいただいた依頼状には、次のように、私に講師をご依頼くださった理由をお書きくださっていました。
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青少年が現在抱えている様々な問題は、社会や家庭の教育力の低下が、そのまま現れていると言われております。そのため、私たち大人が、自らの生き方を見つめ、しっかりとした生きがいを持ち、子供たちにその指針を与えることが求められています。つきましては、私たち教員も、そのような問題意識を、ご父母とともに考えてみたいと思います。
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以上のように、中学校・高等学校の校長先生の中に、私の「生きがい論」を偏見なく正しく評価していただける方々が現れてくださるのは、たいへん嬉しく、光栄なことです。これからは、教育方面の講演依頼も増えてくると思われますので、ますます時間破産するばかりの私ですが、とにかく倒れるまで頑張って、皆様のご期待にお応えしようと思っています。
それでは、そろそろベッドに入らないと、また今日も、3時間睡眠になってしまう・・・
でも今は、今度の日曜日、娘の参観日に出ることが、とにかく楽しみです。
これでも私は、幼稚園・小学校を通じて、娘の学校行事へには欠かさず出席してるんですよ(お父さんの参加者は私ひとり、なんていうことも、しばしばでした)。だって、それが、私のエネルギー源ですから。
6月8日版
大学に行ってみると、このような速達が届いておりました。
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前略
初めてお便りします。
**県に住んでいます、****と申します。
嬉しいご報告を、させていただきます。
200000人目に、当たってしまいました。
日頃より先生のご本のお陰で、心豊かな日々を過ごさせていただいており、そのうえこのような事になって、何か大いなる力が働いてくれたようで、不思議な気持ちです。
こんな事ってあるの?
私でいいの?
画面を見たときの気持ちです。
200000人目をゲットさせてくださった、全ての人々・現象に、感謝いたします。有難うございました。
お誕生日、おめでとうございます。当日、激しいバトルがあったようですね。私は、その日、初めて自宅のパソコンでアクセスしてしまいました(これまでは、会社のパソコンでアクセスしていました)。お掃除をしながら、軽い気持ちで、「今、何人目かな?」と思って見てみたら、ビックリ、200000人目をゲットしてしまったのです。
色々お話したいことがありますが、まとまりませんので、簡単な、自己紹介をさせていただきます。**県**市、魚の美味しい所に、住んでいます。3人の子どもによって、修業させてもらい、成長させてもらっています。先生のご本に巡り会った経緯など、またお会いした時に、お話したいと思います。
今から、ドキドキ、ハラハラしています。お忙しい先生ですので、ご無理をなさらずに、私は、いつでも結構です。何年でも、お待ちしています。
先生、ご家族の皆様の、ご健康をお祈りしています。
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おお、ついに来ました!
必死で狙っていた方々が多いというのに、たまたま接続したら200000人目に当たってしまわれたとは、これぞ「無欲の勝利」でしょうか?
「何が何でも」と狙っていた方々の悔しがる声が全国から聞こえてきそうですが、ここは素直に、みんなでパチパチとお祝いして差し上げましょう。
さっそく、3大特典のひとつ、「ブレイクスルー思考」の色違い見本本を、速達でお送りいたします。「お話券」と「愛の論理」の見本本は、もうしばらくお待ちくださいね。
このホームページは、私にとって、かつて宮沢賢治が創作した、「イーハトーヴ」というユートピアのようなものです。
そして、このホームページでご紹介する物事やお手紙、このホームページを訪れてくださる世界中の見知らぬ方々は、みんな、現代のイーハトーヴである、「飯田史彦ホームページ」というユートピアの「住人」でいらっしゃいます。
そこには、銀河鉄道が走り、セロ弾きのゴーシュが住み、怪しげなネコのレストランがあり、人間の顔と体をまとった様々な住人たち(読者の皆様)も出入りしています。住人である読者の皆様は、インターネットという名前の銀河鉄道に乗って、このユートピアを訪れてくださるのです。本当に、ありがとうございます。
6月4日版
200000人目、皆さんからのメールによると、激しいバトルがあったようですね。
たとえば・・・
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ホームページの20万人目、ねらってるのですが(お話券がほしい!)家のコンピューターは、主人が組み立てたとかの古いもので、何人目というページの印刷ができません。どうしたら良いのか…
一日に何回もHPをあけて、あーどうしよう困った、と泣きべそかいてます。
どうしても、20万人目になりたいよー(悲痛な叫び!!!)
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先ほど(9:30amすぎ)、200000人目当選奪い合い壮絶バトルに負けちゃいました。
9:30分に見たときは199350人だったのに、20分後には、すでに200028人目になっていました・・・
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その作業というのは、たとえて言えば、私個人の意見・私情を書くのではなく、「もしも神様がいらっしゃるとすれば、どのようにお書きになるだろうか」という観点から行う作業に相当します。私のように、神様を語る資格などない未熟者が、身分不相応にも、神様のお気持ちを推察しながら「人間語」に翻訳・言語化・文章化しようと試みるのですから、そこに大きな無理が生じてしまうのでしょう。いつも、有名な哲学者の、「最大多数の最大幸福」という言葉を念頭に置いて文章化しているものの、しばしば「そんなこと、そのまま書けませんよ!」などと、私という個人の私情や立場も入ってきますから、「神様」と「私」との間で常に揺れ動くというわけです。
いわば、私の処理能力を超えた無謀な作業に挑戦しているわけですから、まるで酸素ボンベ無しでエベレストに登ろうとしている冒険家のように、「息があがって、あえいでいる」というのも当然です。
というわけで、現在の執筆状況は・・・
本日の執筆度: 70% (山頂が見えてきたものの、これから一番けわしい岩山にさしかかる、といったところです)
本日のスランプ指数: 50% (とにかく肉体的疲労がピークに・・・う〜ん、腰と背中がパンクしそうですっ!!)
それでも、世界各国から届く「新刊期待」のメールやお手紙を通じて、皆様のありがたい応援の祈りをいただきながら、今夜もまた、朝まで執筆、執筆・・・
3月23日版
やった〜!
ようやく、大学で任命されている「国際交流委員」関係の書類作成も終わり、今夜から、自分の新刊『愛の論理』の執筆に専念できる環境が整いました!
そのタイミングで、本日、とっても元気の出るお手紙をいただきましたので、どうぞ「今週のお手紙」のページをご覧ください。そのお手紙のおかげで、今夜の私はますますパワーアップ!
したがって、「愛の論理」の執筆状況は・・・・・・
本日の執筆度: 5% (これから執筆に専念できますので、ご安心を)
本日のスランプ指数: 0% (よ〜し、がんばるぞ!)
また、本日は、ブラジルに赴任中の衛生学のドクター、ちづるさんから、「男性も女性も、その性を生き抜くことが大切」という趣旨の貴重なメールをいただき、大いに刺激を受けました。ちづる先生、ありがとうございます!
性といえば・・・・・・先日お邪魔した新潟県柏崎市で、スタッフから聞いたお話です。
スタッフの会社の同僚が、「どうしても女の子が欲しい」と願って頑張ったものの、1人目は男の子が誕生。「今度こそ」と気合を入れた2人目も、やはり男の子。「あと1人くらいなら」とねばって産んだ3人目も、またもや男の子。そこで、大いに迷ったものの、「何が何でも女の子が欲しいんだぁ〜っ!」と決死の願いで夫婦ともども最後のチャンスに賭けてみたところ、な、何と! ・・・・・・とうとう、今度は、玉のように元気な「男の双子」が産まれてきたのだそうです。
かくして、合計5人兄弟に。5人の男の子に囲まれて、幸せいっぱい?の毎日を過ごしているとか。いくら神様に挑戦してみたところで、やはり神様のご意志にはかなわない、ということでしょうか??
明日(今日)は、大学の教え子(ゼミナールの学生)たちと、福島近郊にある有名な「安達太良山」の隣の「鬼面山」山腹に湧き出る秘湯・野地温泉の一軒宿に泊まって、「卒業生追い出し合宿」です。
飯田ゼミナールは、経済学部には珍しく女性の割合が圧倒的に多くて、なんと32人のうち15人が女子学生!
つまり、ほぼ2人に1人は女子学生が占めるという、華やかなゼミナールなのです。べつに、面接試験を行う際に、女性を優遇しているわけではありません。どうしても、女性の方が成績も良くて面接の受け答えも上手(面接官である私を手玉に取るのが巧妙)なので、単純に応募者の中から面接試験・レポート試験・成績の総合判断で上位の者からゼミナールに採用していくと、女子学生が大量に入ってしまうというわけです。
え? 多数の若い女子学生に囲まれて、飯田先生はうらやましいって?
会社員の方々には、しばしば、「ゼミ生の半数が女子学生だなんて、いやぁ、酒池肉林ですなぁ!」などと羨望の的になりますが、いえいえ、実態は決して、本当に、断じて、そんなものではありません。
男子学生と違って、女子学生はちゃっかりしており、自分の都合の良い時(困った時)にしか近寄ってくれませんので、ふだんから私の研究室に女子学生が遊びに来るわけではなく、むしろ、授業中以外には、めったに私と話をしてくれることなどありません。女子学生はみんな、彼氏やバイトやクラブ活動で忙しいので、年齢が2倍近くも違う飯田先生の相手など、している暇はないのです。
数年前(ということにしておきましょう)、ゼミナールのコンパの2次会が終わった後、「歩いて帰る」という女学生がいたので、「おいおい、こんな深夜に歩いて帰るのは危ないぞ。先生が車で君のアパートまで送ってあげるから、乗りなさい」と指導して車に乗せ、彼女の指示通りにアパートまで連れて行ったことがありましたが・・・・・・なんと、車から降りながら彼女がのたまうには、「先生、ありがと! ここ、彼氏の部屋なんです。今夜は、ここに泊まることになってますから、もう大丈夫です。それじゃ、おやすみなさい!」とのこと。
彼女は小走りで、彼氏の部屋へと消えていきました。
かくして一杯くわされた私は、「何が大丈夫なもんか! この◎▲□! ☆〒●!!」と、文字にするのもはばかられるような悪態をついて、ひとり憤慨したものでした。(こういう時って、自分が学生時代に行った悪行など、すっかり忘れていますよね)
ああ、うちの6歳の娘も、いずれはこんな年頃に・・・と考えると、心配で眠れなくなるので、考えないことにして、おやすみなさい・・・
3月10日版
『愛の論理』執筆開始 !!
そこで、恒例の、あれを再び始めましょうか・・・
本日の執筆度: 1% (タイトルだけは決まっているため)
本日のスランプ指数: 0% (大変めでたい気分であるため)
しかし、大学での職務・各地での講演・娘の卒園式と春休みの家族サービスなど、今月のスケジュールは、辛いこと・楽しいことを含めて、もうびっしり。身の危険も相変わらず続いていますし(世の中には信じられないほど酷い人がいますよね)、気管支炎もなかなか治りません。
はたして、今後、『愛の論理』の執筆活動は、どのような展開を見せるのでしょうか?
このまま怒涛のように書き上げることができるのでしょうか・・・それとも、また、底なし沼のようなスランプにおちいってしまうのでしょうか??
とにかく、4月に入って新学期が始まると大学の職務が忙しくなるので、急がねば!
執筆活動は、まさに「気分の良さ」に比例します。お調子者で気分屋の私ですから、気分が良いと調子に乗ってどんどん進む反面、イジメにあったり不安感にとらわれると、まったく筆が(ワープロが)止まってしまうのです。
つまり、読者の皆様からの激励こそが私の力になる、というわけです。どうか、無事に気分良く執筆が進みますように、応援してくださいね。どうぞ、皆様の、祈りの力をお貸しくださいませ。
・・・・・・などと、ついつい、読者の皆様に媚(こ)びてしまう私です。
私の、このような性格のことを、妻は、「身から出た媚び」と称して、笑っております。
(あれれ? 正しくは、「身から出た錆(さ)び」でしたっけ? 「こび」と「さび」では大違いだ! 辞書、辞書・・・)
さて、出版社は? 目次は? 装丁は? 発売日は?
いざ執筆を始めると、ワクワクすることが一杯です。
3月3日版
本日は、ひな祭りですね。
私の娘も、「お寿司食べた〜い」とか、「『カードキャプターさくら』の絵本買って!」とか騒いでいますが、まだ、お寿司(我が家でお寿司と言えば、もちろん1皿100円の回転寿司)や絵本くらいしかねだらないので、かわいいものです。これが、高校・大学生くらいになると、いったい何をねだられるようになるのでしょうか?
それにしても・・・・・・いま、ワープロで「ねだる」と入力したところ、何と、「強請る」という漢字に変換されてしまい、びっくり仰天しました!
平仮名で「ねだる」と言えばかわいいものですが、漢字で書くと「強請る」だなんて、見ただけでもオソロシイ、身の毛がよだつ言葉なんですね、本当は。・・・「ねぇ、あなたにお強請りしてもいい?」なんて漢字で書いたんじゃ、ちっともかわいくないぞ。
いやぁ、勉強になりました。
ちなみに、「ゆする」と入力してみると・・・・・・おお、おお! 何と、「強請る」ではないですか!
思わず興奮してしまいましたが、「ねだる」も「ゆする」も、同じく「強請る」と書くのですね!
漢字にすると同じなのに、平仮名にすると、これほど違うニュアンスになってしまうとは!
実際、妻や娘には、いつも何か「ねだられて」いる私ですが、よく考えてみると、「ゆすり盗られている」のと変わらないようにも思えてきます。つまり、同じ「誰かに自分のものをあげる」という行為であっても、相手から「ねだられている」と感じるか「ゆすられている」と感じるかというのは、こちら側の、相手に対する感情(好感度や損得勘定)によって左右されている、というわけですね。
う〜〜〜ん、まさに、「人生の縮図」のような大発見!
さっそく、東京特許許可局(早口言葉にありましたね)に、報告しておかなければ・・・
ところで、前々回の更新で、「今後の予定」のページに、「もしかすると、今後1ヶ月以内に、重大発表を行うかも!・・・確率50%」と書いておきましたところ、皆様から大反響をいただきました。
反響の内容は、「重大発表って何ですか!?」という素朴なものから、「先生、そんなに早く、自分だけが、あちらの世界に帰ってしまうなんて、ずるい!」などという、何だか勘違いしていらっしゃるものまで・・・・・・。
もっとも多かったのは、「この時期に重大発表するということは、先生、この3月いっぱいで、大学を辞めちゃうんですね!」と、自信満々の推理をなさっている方々でした。しかし、学校の先生をなさったことのある方ならばおわかりのはずですが、たとえ大学とはいえ、学校の先生は「担当している生徒・学生」を持っているので、3月になってから急に「辞めま〜す」なんて無責任なことは言えないのです。
私にも、直接指導している「飯田ゼミナール」の学生たちが、優秀な者・そうでない者(私の直接の教え子のくせに、私の講義の単位を落とした者が3名も)をひっくるめて、昼間コース・夜間コースを併せて60人近くもいますから、その学生たちを捨てて、突然に辞職するわけにはいきません。むしろ、小学・中学・高校の先生ならば、たとえ他の先生の担任になっても、ほぼ同じことを教えてもらうことができますが、大学教授の場合は、狭い狭い専門分野を教えており、その分野の先生は各大学に1名しかいないのが普通ですから、急に辞めると言っても、学生たちは、「じゃあ、他の先生のところに移りますから、いいですよ」というわけにはいかないのです。
しかも、昨年あたりから、「飯田先生の本を読んで(あるいは飯田先生の本を読んだ親に薦められて)、福島大学の経済学部を受験しました」という学生たち(私が知るだけでも10名以上)が現れてきましたので、急に辞めると言ったら、「どうしてくれる!」と落胆されてしまいます。ただし、逆に、「あんな教授のいる大学になんか行くものか」と、私のせいで福島大学を敬遠した学生もいるかもしれませんから、素直には喜べませんが、それやこれやで、大学を辞める場合には、少なくとも1年前には申し出て、ご迷惑をおかけする方々に詫びを入れつつ対処しておかなければなりません。したがって、3月の今ごろまで、世間に隠しておくことなど、できないというわけです。
もちろん、大学教官をすっかり辞めるのではなく、他の大学へ移るという可能性もあり、実際にオファー(移籍依頼)はいくつもありますが、もしも他大学に移る場合にも、上記の制約に変わりはありません。急に思い立って、「来月から移籍します」なんて無責任なことは言えないのです。
それに、今は、福島大学という職場を、私なりに愛していますから、他大学に移るとすれば、何か研究上の好条件(例えば、「生きがい論」や「人間学」「人生学」などの科目を、世界で初めて新設して、私に自由に任せてくださるなど)をいただかない限りは、安易には考えられません。逆にいえば、そのような研究条件さえあれば、北海道の奥地だろうが離島だろうが、どこの大学にでも移る可能性はありますが・・・・・・(なお、私は今生では日本地区の担当なので、愛する日本を離れて「職場放棄」をしてまで外国の大学に移ることは、ありえません)。
さて、ということは、「重大発表」とは、いったい・・・・・・???
2/26日版
悲惨 !!
・・・・・・ああ、これほどみじめな展開になるとは、、、、
人生、一瞬先は光のはずなのに、どうして、こうまで思い通りにならないのでしょうか・・・・・・
(μμ) (←がっくり肩を落として深くまぶたを閉じ、落涙するの図)
本当は、「祝! ホームページ開設1周年!」と大々的に祝いたかったのですが、ホームページの更新どころではなく、この3日間、ひどい目にあって意気消沈・テンテコ舞いしておりました。
ようやく、何とか落ち込みから回復してきましたので、惨めな想いに打ちひしがれながらも、こうしてキーボードに向かっています。
それはもう、思い出したくもない3日前の午後のこと・・・・・・私は、周囲の大学教官たちに、あることを相談しました。先生方の共通したお答えは、「まだ早い。やめておけ」という点で一致していました。
ああ、それなのに・・・・・・先生方の愛情あふれる忠告に耳を貸さず、何と、今思えば決して行うべきではなかった愚かな行為を、深く考えもしないで実行してしまったのです。いまさら、いくら反省して、後悔しても、もう取り返しがつきません・・・・・・
私が、これほどまでの痛手を受けることになった、その行為とは・・・・・・
口にするのもはばかられる、その愚かな所業とは・・・・・・
(そろそろ、読者の皆さんは、ドキドキなさってきたことでしょう)
読者の方々にお伝えするのも辛い、そのてん末とは・・・・・・
聞くも涙、語るも涙の、その悲劇とは・・・・・・
ああ・・・
うう・・・
(さすがに、読者の皆さんは、イライラなさってきたことでしょう)
おお・・・
・・・・・・などという悪ふざけはいいかげんにやめて、ついに、その真相をお話いたしましょう。
そ、それは・・・・・・
何と、とうとう3日前に、発売されたばかりの「Windows 2000」というOS(オペレーション・システム)のソフトを、私の大切なパソコンにインストールして、結局、パソコンを壊してしまったのです!!
読者の皆さんの、「な〜んだ、そんなことか。心配させるのはやめてくれ!」というお叱りの声が、全国、いや全世界から聞こえてきそうですが、私にとっては、たいへんなダメージを受ける悲惨な出来事なのです。どのように悲惨かと言いますと・・・
悲惨その@ : 何と、インストール以前に使っていた各種ソフトのうち8割が、使用できなくなった。その中には、もちろん、あれほど可愛がって学習させ、立派に成長していた、音声入力ソフト「ドラゴン・スピーチ」も。それどこか、後述する理由により、ドラゴン・スピーチのこれまでの学習データが、すべて失われた。
悲惨そのA : 最新ドライバをダウンロードしてインストールしたにもかかわらず、プリンターも、MO(リムーバブル・ディスク)も、地上波TVボード(パソコンでテレビを見るソフト)も、すべて使えなくなった。
悲惨そのB : あわてて、以前の「Windows98」に戻そうとして、「パソコンを振り出しに戻す」と書かれたディスクを挿入して試したところ、インストールに1時間半もかかった末、最後の最後に「実行されませんでした」というエラーメッセージが出てきて終わった。泣く泣く再度挑戦してみても、結果は同じ。あちこち調整してみて3度目にトライしたが、またもや同じ結果に・・・・・・のべ5時間のロス。
悲惨そのC : 泣く泣く本屋に走り、「できるWindows2000・乗り換え編」というガイドブックを買って戻り、必死で探すと、最後の239ページ目に「Windows2000をインストールしたパソコンをもとのWindows98に戻したくても、単にリカバリーCDから復旧するだけではエラーが発生して戻せない場合があります。これはハードディスクがNTFSでフォーマットされていることが原因です。このような時は・・・」という項目を発見。「こ、これだっ!」とばかりに、書いてある通りに試してみたところ、約2時間後に、ようやく「パソコンが振り出しに戻りました」とのこと。「これで、諸悪の根源であったWindows2000の野郎を追い出してやったぞ、フフフ」と、ひと安心して、振り出しに戻さなかった(初期化しなかった)はずのDドライブを開いて保存してあった過去の重要データを取り出そうとしたところ、何と、どうやっても開くことができず、大いにあせる。仕方なく「ハードディスクの領域設定」なる意味不明の作業にうっかり手を出してしまったところ、今度はその大切なDドライブまで「初期化」されてしまい、ついに過去の全記録を完全に失う羽目に。
悲惨そのD : その結果、ハードディスク内に保存してあった、貴重なデータや文章はもちろんのこと、これまでに皆様からいただいたEメール(この2ヶ月間だけで1800件以上)、メールアドレスのリスト(住所録)も、すべて失い、こちらからは、皆様にご連絡が取れない状況に。
ついでに、時々少しずつ時間をみつけては密かに楽しんでいた、「三国志」「信長の野望」「フライトシュミレータ」「太閤立志伝」「提督の決断」「エイジ・オブ・エンパイア」「シムシティ3000」「ウイニング・ポスト」「電車でGO」などの、知る人ぞ知るシミュレーション・ソフトのセーブデータも、すべて宙に消えた。「太閤立志伝V」では、苦労に苦労を重ね、柴田勝家のイジメに耐え、信長のわらじ係まで務めながら、ようやくあこがれの「ねね」を口説き落として、挙式も間近だったというのに・・・・・・「提督の決断」では、戦艦大和をミッドウェイ経由で派遣するという裏ワザを発見し、ようやく米国本土に奇襲をかける手前までいっていたというのに・・・・・・「ウイニング・ポスト4」では、私がオーナーブリーダーとして手塩にかけて育て上げた名馬「フミヒコドリーム」号が、ようやく天皇賞でナリタブライアンの息子と対決しようとしていたというのに・・・・・・「三国志」では、せっかく関羽と曹操に手を結ばせて呂布を・・・(もうやめておきましょう)。
悲惨そのE : そうこうしているうちに、何と、突然、何の前触れもなく、「CD&DVDドライブ」が故障。ディスクを入れると、パソコン内部には取り込んでくれるのだが、回転してくれない。仕方なく、パソコンのフタを空けて内部を覗いてみるが、機械のことはさっぱりわからず。
しかも、外したネジが落ちてどこかに行ってしまい、机の下などをいくら覗き込んでも見つからなくなる。さらに、机の下を無理な格好で覗き込んでいるうちに、机の角に思いきり頭をぶつけてしまい、大きなタンコブができてズキズキ痛む。なぜか、スピーカーから音も出なくなる。
悲惨そのF : 泣く泣くパソコンのメーカーのサービスセンターに電話し、症状を告げていろいろ治療を試みてみるが、2時間を費やしても治らず、「もう、考えられる手はすべて打ってみましたので、これ以上は・・・」「ええっ! それでは、まだ買って2ヶ月ちょっとの、この30万円もするパソコンは、いったい・・・」という交渉ののち、修理に出すことに。
・・・・・・というドラマティック(?)な展開で、現在パソコンは修理に出され、古いパソコンを倉庫から取り出して、泣く泣くまた長時間のセッティングを行ったのち、こうして再びインターネットが使える状況になったというわけです。以上の作業に、丸3日間、のべ20時間以上を要してしまい、仕事もまったくできず、心身ともに疲れ果て、とても「祝! ホームページ開設1周年」などと祝している場合ではなかった、ということなのでした。
まさに、怪奇現象。パソコン歴16年の私ですが、これほど不可解で悲惨な目にあったのは、初めてです。しかも、つい先ほど、書店で買った本を眺めていると、このような警告文を発見。
「アップグレードの心得 〜Windows2000というまったく新しいOSに乗り換えるのですから、ある程度のリスクは覚悟しておく必要があります。例えば、最も大きな問題としてあげられるのは、一度アップグレードしてしまうと、アンインストールできないという点です。アップグレードしたのはいいが、必要な周辺機器を認識しなかったり、使いたいアプリケーションが働かなかったりしても、もとのWindows98には戻せません。」
・・・・・・本に向かって、思わず、「おいおい、それならそうと、早く言ってくれよ。しかも、ある程度のリスクどころじゃないだろ、おい!」と、怒りの言葉をぶつけてしまったことは、言うまでもありません(先に解説書を買って読まなかった自分が悪いのですが・・・)
というわけで、パソコンをお持ちの皆様に、骨身にしみたアドバイスをひとつ・・・・・・「Windows2000は、書店でアップグレードの解説書を買って熟読し、万全の事前準備を行ったうえで、インストールしましょう!」
さらに、近所の神社にお百度参りをして、お祓いを受け、お守りをいただくなど、インストール後の無事を祈願しておくことも、お忘れなく。キリスト教系の方々には、パソコンに、ルルドの水や聖水をふりかけてからインストールすることも効果的でしょう。とにかく、上記の警告文にあるように、「どうなってしまうかわからないリスク」を覚悟し、「え〜い、どうなってもいいや!」と、パソコンを修理に出している期間中の対策まで考慮したうえで、アップグレードにチャレンジなさってくださいね。
ちなみに、アップグレード前にお聞きした大学の先生方の統一見解は、修理に出したパソコンショップの主任の見解と、見事に一致していました。それは、「個人でパソコンを使う人には、Windows2000はまったく必要ないですよ。あれは企業ユーザー向けのバージョンアップですから。もしも家庭で使っているパソコンにインストールすると、使いもしない機能のために、ハードディスクやメモリの容量を大幅に食ってしまうだけで、かえって不便になるんです。どうしてもアップグレードしたいのなら、原因不明のさまざまなトラブルがほとんど確認されて対策が行われた後・・・そうですねぇ、早くても来年、できれば2年くらい経ってから、乗り換える方が得策です」ということでした。中には、「僕なんか、ついこの間、やっとWindows95から98へアップグレードしたばっかりだよ」とおっしゃる先生も。
しかし、2年も待っているうちに、今度は「Windows2002」が発売されて、「新しいもの好き」の私は、またまた我慢できずに飛びつき、再び悲惨な目にあうような気がするのですが・・・・・・しかし、私のような、勇猛果敢な(無謀な)チャレンジャーたちが失敗を繰り返すからこそ、世の中は発展していくのではないでしょうか。その昔、フグを食べて死んだ人を見て、周囲の人々が「なるほど、フグには毒があるのか」と発見したように・・・・・・(とでも思って納得するしかない自分が哀れです)
なお、3月4日(土)に私が茨城県牛久市で行う講演会は、すでに参加予定者が800名を超え、1階は一杯となりました。2階席も開放すれば、あと200名様まで入場できますので、迷っていらっしゃる方は、お早めに整理券をご入手ください。また、当日は先着順の自由席制ですので、「2階席では嫌だ」とおっしゃる方は、お早めに会場へお入りください。何と、秋田や関西からも整理券のご希望があったとのこと・・・・・・本当に、ご苦労様です。嬉しい気持ちと、そんなに遠くから高い交通費を払っておいでいただいて申し訳ない、という気持ちとが、半々です。
また、シュタイナー教育の研究で有名な、筑波大学の吉田助教授からもご連絡をいただき、光栄なことに、講演会においでくださるとのこと。講演後には、日本を代表するシュタイナー教育の研究者のお一人と、大いに懇親を深められそうです。以前には、信州大学の下田助教授も、わざわざ私の研究室までおいでくださり、シュタイナー教育とソウルメイト発見法の話に花が咲きました(このたびは、ご結婚、おめでとうございます!)
来週には、福島県体育協会からのご依頼で講演いたします。当日は、スポーツ学の大学教官の方々もおいでになるとのこと。実は、私の著書は、なぜかスポーツ選手の方々も多数ご活用くださっており、有名なスポーツ選手の方々が、何人も、「お気に入りの著書」として、マスコミで紹介くださっていました。先日は、Jリーグで見事に優勝された「ジュビロ磐田」のトレーナーの方から、優勝記念グッズが届きました。ジュビロの選手が、私に会いたいと希望くださっているとのこと。お互いのスケジュール調整が難しいでしょうが、とっても光栄なお申し出ですので、ぜひともお会いしたいものです。生きがい論は、スポーツにも効果があるのでしょうか。
2月21日版
とりあえず、東京・青山での講演は、無事に終えることができました。このところ、講演前夜は、前回の更新に書いたような恐怖心と緊張でほとんど眠れなかったのですが、今回は、ついにお医者さんに処方していただいた睡眠薬のおかげで、何とか数時間の眠りを得ることができたのが効きました。なにしろ、心身がどんな状態であっても、わざわざ遠方からおいでくださった皆様の前に立つ瞬間には、笑顔でエネルギーを放射し、声によるボイス・ヒーリングを行いながら、本質的には、声に頼らない非言語コミュニケーションに全力を尽くさなければなりません。私の講演は、実は「講演」ではなく「ヒーリング」であり、頭で理解していただこうとするのではなく、講演内容の理解度とは関係の無い非言語コミュニケーション(皆様の心の波長を整え、私の波長に同調させる作業)を主要な手段としていますから、ぐっすり眠り込んでしまわれたとしても、効果に変わりはありません。いつものことですが、講演前には30分くらいは控え室にこもって集中し、鏡に向かって深呼吸を繰り返しては、「勇気を出せ、光の存在と同調せよ」と、自分自身を激励しました。
会場に入り、舞台に上がって見渡した瞬間に、邪悪な念を抱く人物の存在の有無と、その位置がわかります。あとは、その方(あるいは方々)に向かって語りかけ、心の波長を修正し、講演が終わるまでに、すっかり穏やかで純粋な波長へと変えてしまえば良いのです。したがって、講演会の場というのは、私にとって、深刻な危機に直面する場であると同時に、私の真意をお伝えし、敵視を好意へと転換させる大チャンスでもあるわけです。
結局、定員250名のところ、補助イスまで総動員して、消防法違反ギリギリの300名近くの皆様にご入場いただきました。主催してくださった心理学者&カウンセラー&セラピストの金盛浦子先生は、私と同年代の息子さんがいらっしゃるにもかかわらず、私の母より10歳以上も若く見えるので驚きました。インテリジェンスと品格と深い愛情を感じさせる素晴らしいお人柄で、「ああ、また1人、尊敬できる先生と出会えた」と、たいへん幸せでした。もっとたくさんお話をさせていただきたい、という、後ろ髪引かれる思いで会場を後にしました。
事情により、サイン&握手会は行うことができず、舞台からさっと消えて行方をくらましてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます(残念がられていた方々が多数いらっしゃったとうかがいました)。あれから羽田空港へタクシーを飛ばし、某所へと向かって身を隠しました。
さて、本日は、事務連絡のみお伝えいたします。
先日の更新でもご紹介した、小田原市での講演会の主催者でいらっしゃる歯医者さんから、次のような緊急メールをいただきました。
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お蔭様で申込みが200名(満席)に達しました。(バンザーイ!)
ホームページの方、「締め切りました」に書き換えてくださいますようお願い致します。せっかく当日遠方から来られましても、スペース上、入場不可能ですので・・・。あと3週間になり、予定もたって、「そろそろ申し込もうかな」と思われた方には大変申し訳ありませんが、ほかの会場へお回りくださいますよう、よろしくお願い致します。
2月15日に小田原市報に掲載されたことによりまして、一段と加速度を増して定員が早まった感じです。
小田原人にとって、飯田先生は雲の上のお方のような存在なのでしょうか?
申込みのお電話の中には、「本当にあの飯田先生ご本人なんですか?」とか、「なんでまた、飯田先生が小田原に?」などなど・・・・
ということで、後は当日よろしくお願い致します。
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・・・・・・なるほど。それでは、小田原には、私の「そっくりさん」に行っていただきましょうか?
さあ、全国にお住まいの「丸顔」の男性の方々は、当日、「黒メガネ」をかけて、JR小田原駅にご集合ください。そうすれば、私と面識がないため「丸顔に黒メガネ」という外見情報を頼りに私をお捜しくださるスタッフの方々は、大パニックに陥ることでしょうから。
2月19日版
読者の皆さん、ごめんなさい。
前回の最後に、うっかり普段は隠している事実を漏らしてしまったために、多くの方々からご心配をいただきました。私からみると、私がこの数年間に直面してきた辛い出来事のうち、ほんのちょっぴりを「ほのめかした」程度なので、どうせ皆さんは読み飛ばしてくださるだろうと期待していたのですが、さすが、見逃してはくださいませんでしたね。たとえ100人のうち99人の方々からお喜びいただけたとしても、残る1人のために、簡単にジョン・レノンのようになってしまうということ・・・肉体を持って生きているということは、そういうことなのです。
実は、その大変なストレスのために、昨年末以降、ずっと体調が良くなかったのです。いくら病院に行って薬をもらおうとも、そもそも肉体的な病気ではありませんから、治るはずがありません。
しかし、このストレスは、私にしか理解できない時空を超えた深いトラウマによるものです。皆さんに詳しいことをお話することはできませんし、その必要もありません。そこで、私が尊敬する遠藤周作さんの作品『イエスの生涯』の中から、ご参考となる部分(イエスが処刑される前夜の心理描写)をご紹介して、コメントに代えさせていただきます。
ただし、誤解のないように申し上げておきますが、私自身は(今回の人生では)常に宗教的中立を心がけており、クリスチャンではありません。あくまでも、遠藤氏の筆力を借りることによって、私のストレスをわずかでもご理解いただけるのではないかと考えてご紹介するにすぎませんので、無用の詮索や妄想はおやめくださいね。
それでは、以下、遠藤氏の作品からの抜粋です(差別用語などを含め、文章の一部を意図的に削除してありますのでご了承ください)。
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だがイエスは人間の裏切りには馴れていた。あのガリラヤ湖畔の町や集落で最初は自分に従ってきた人々がやがて自分に石を投げ、ナザレの丘の崖から突き落とそうとした。彼は自分が共に苦しもうとした病人たちも、やがてその苦しみがなくなると自分を忘れて去っていったのを幾度も味わってきた。今、ユダたちが去り、ペトロとわずかの弟子たちがこのささやかな場所に残ってはくれたものの、あと数時間後に起こるであろう悲劇の際には彼等もまた自分を棄てることも予感されていた。
既に夜はふけて明日から始まる過越祭に集まった巡礼客たちも山のあちこちで眠りにつき、静寂な星空の下にただ神殿の巨大な建物と高い城壁とが威嚇するように黒々とそびえていた。弟子たちはオリーブ林につくと幹の下にそれぞれ身を横たえた。彼等はさきほど袂をわかったユダ・グループが何をしたかを全く考えもしなかった。おそらくイエスだけが、自分に幻滅した者たちがどのような行動に出るかを予想していたのである。何も知らず眠っている弟子たちから離れて、自分の孤独を噛みしめられながら、彼だけ、間もなく襲ってくるものへの恐怖と闘った。
この数ヶ月の間、彼は自分の死を決意したが、その死が今、迫ってくるのは辛かった。なぜなら彼の死は愛のための死だったから、もっとも惨めで、みずぼらしい形で来るに違いなかったからである。自分を愛してくれる者のために死ぬのは容易しい。しかし自分を愛してもくれず、自分を誤解している者のために身を捧げるのは辛い行為だった。英雄的な華々しい死に方をするのは容易しい。しかし誤解のなかで人々からあざけられ、唾はきかけられながら死ぬのは最も辛い行為である。
イエスは死の不安と闘っておられた。永遠に人間の同伴者となるため、愛の神の存在証明をするために自分がもっとも惨めな形で死ななければならなかった。人間の味わうすべての悲しみと苦しみを味わわねばならなかった。もしそうでなければ、彼は人間の悲しみや苦しみをわかち合うことができぬからである。人間にむかって、ごらん、わたしがそばにいる、わたしもあなたと同じように、いや、あなた以上に苦しんだのだ、と言えぬからである。人間にむかって、あなたの悲しみはわたしにはわかる、なぜならわたしもそれを味わったからと言えぬからである。
イエスは死の不安のため「汗、血のごとくしたたる」ほど苦しまれた。弟子たちに起きてくれと言いたかった。
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私はクリスチャンではなく、いわゆる新約聖書の「読者」ではありませんが、遠藤氏のこの文章は、きっと真実を見抜いているに違いないという気がします。
2月17日版
(;;) 涙・・・。
・・・私の風邪が長引き、今週末の東京講演を前に、咳だけが止まりません。チケットは完売しているので、何とか治さなければ・・・・・・娘も扁桃腺にびっしりウミがついており、この3日間、小児科で点滴を打ってもらっている状態。横手の「かまくら」を見に行くどころではありませんでした。イチゴ狩りも、米沢の雪灯篭祭り見物も、幼稚園での園遊会も、楽しい計画は、すべて水の泡に。
う〜ん、人生、本当に、思い通りにならないものです。
そう言えば、先日、3月12日の小田原での講演会の主催者の方(歯医者さん)から、このようなメールをいただきました。
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待望の小田原講演まで1ヶ月を切りました。今日は途中経過をご報告させて頂きます。
先生のHPに連絡先を載せていただいてから、ものすごい勢いで申込み数が増えております。2月20日の青山でのご講演も完売のようで、小田原へ流れてきてます。今日(2月14日)現在、定員200名のところ、約170名ほどになり、もう締め切り間近というところです。
正直言って、最初はどうなることかと思っておりましたが、さすが先生の人気、HPの威力には驚かされました。わかってる範囲でも、愛知や群馬・茨城・栃木など、遠方からの申込みもありました。本当にうれしいです。
ところで、今年は花粉の量が倍以上とのこと、先生は大丈夫でしょうか? もし花粉症であれば、講演に差し支えては一大事! 駅から会場までの護送、花粉対策を考えねばと思っております。
それから、当然私がお迎えに上がらなければならないのですが、たぶん準備にかかりきってしまうのではないかと思われます。私以外に、先生のお顔を知っている者がいないため、どうしようか検討中です。「飯田先生歓迎」の横断幕と小田原ちょうちんでも持って、駅で待っているなど考えますので、お楽しみに!
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私は、花粉症には全く縁がありませんので、どうぞご安心ください。どんなにひどい花粉警報の日でも、平気で野山を歩けます。
し、しかし・・・・・・小田原駅前に「飯田先生歓迎」の横断幕は、とっても恥ずかしいので、どうか何とぞご遠慮くださいませ。そんなものがあっては、きっと私は他人のふりをして、ひとりタクシーで会場へと向かうことでしょう。せいぜい、「小田原ちょうちん」くらいにしておいてください。
あっ! ただし、小田原ちょうちんに、「飯田先生歓迎」と書いちゃダメですよ。それじゃ、横断幕の恥ずかしさと一緒ですから。
また、3月4日の、茨城県牛久市での講演会の主催者の方からも、このようなメールをいただきました。
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昨日、公民館でお仕事をしていました。
お客様がおいでになったので、窓口に立つと、「講演会の整理券を」と。
お話をおうかがいしてみると、その方は代理でもらいに来たそうですが、講演会に来られる「ご本人」は、難病で苦しんでいらっしゃるとのこと。『生きがいの創造』を読んで、生きる力が湧いてきたので、先生の講演があることを知り、代理の方に整理券をお願いされたのだそうでした。
感動!感動! 牛久市民にもいたぞ〜! 直接聞いたぞ〜! うれし〜!
聞けば、まだ、『生きがいの本質』は読んでいらっしゃらないとのこと。思わず、公民館のショーケースに飾っておいた『生きがいの本質』と『生きがいの言葉』を取ってきて、「差し上げますので、その方にお渡しください!!」と、お願いしてしまいました。すると翌日、また、その代理人の方が、ニコニコしながら、「ご本人」からのお礼を言葉をお伝えにおいでくださいました。
また先日は、今度の講演会にご夫婦でお出でくださるという方からお電話があり、
「講演会終了後、懇親会のようなものはあるのでしょうか?」
とのこと。
「飯田先生は、講演の後すぐにお帰りになられますが…」
と申し上げると、
「5分だけでも、お目にかかることはできませんか?」
とおっしゃるので、やむをえず、
「・・・そのように希望される方は多いので、無理ではないかと思いますが・・・」
とお答えしました。すると、
「お手紙を書こうかとも思いましたが、飯田先生もお忙しいようですし・・・。私共夫婦にも、つらい事がございまして・・・飯田先生の本に救われました・・・」
と、泣いていらっしゃいました。
「一応、飯田先生にお話はしてみますので・・・」
と、私も涙ながらに受話器を置きました。
多分、先生の講演会の主催者の方々は、このようなご要望を、沢山耳にしていらっしゃるのだろうと思います。むげにお断りするにはお気の毒なのと、飯田先生にお会いしたいというお気持ちは、痛いほどわかります・・・。
いかに、つらい思いを抱えていらっしゃる方が多いか、垣間見させて頂きました。
これを機に、ご来場の方々への不手際が無いように、職員間のコミュニケーションをしっかりとって、当日に結んでいきたいと思います。
お忙しいところ、失礼致しました。
********************
私は、講演後、よほど急いでいない限りは、ご希望の方とはできるだけお会いすることにしていますので、どうぞあきらめないで、主催者の方々に申し出てみてくださいね。ただし、主催者の方々にも、会場を返さなければならない制限時間の都合など、さまざまなご事情がございますので、事情のご説明があった場合には、どうかすんなりとご理解くださいますようお願いいたします。
それに、中には、「お前の血を流してやる」などといった脅迫状のようなお手紙も届きます。このホームページは、読者の皆様の「心のオアシス」となるよう意図していますから、普段は皆さんにご心配をかけないよう、その種の不快なお手紙のことはまったく公表していませんが、実は私は、常に命を狙われる危険と隣り合わせで行動しているのです(それゆえに、著書に顔写真は載せておりません)。何しろ、秘書も弟子も部下もボディガードもおらず、たった1人で活動していますので、どこでどのような目にあわされるかわからないうえ、出現を事前に公開している講演会場やサイン会の場が、もっとも狙われる危険性が高いのです。かといって、そのような脅迫を恐れていたのでは何もできませんから、いつも私は、(過去の人生でもそうでしたが)、「なるようになるさ」と達観しながら行動しています。命を惜しんでいては、何も大きなことはできません。(でも・・・せめて講演会場では、皆さん、私に何も起こらないよう、どうか守ってくださいね)
そのような事情もあって、主催者の方々が、「本日は、先生と個人的にお会いすることはできません」とおっしゃるかもしれませんが、その場合は、ちょうどその日に何かを予告するような脅迫状が来ているなど、何らかの裏事情があるものと判断くださり、ご理解いただけましたら幸いです。
とにかく、いつ、どうなってもいいように、「今のうちに、希望されるひとりでも多くの方とお会いして、私の生きがい論をお伝えしておかなければ」と思い、身体に鞭打って頑張っています。実は、そういう事情で、昨年から、無理をしてでも次々に本を発表しているのです。私には、もう時間がありません。今、「飯田史彦」としての自分にできることを、精一杯しておかなければ!
いずれにしても、各地での講演会は、すでにほとんど満席状態になってきていますので、ご希望の方は、お早めにどうぞ!
2月4日版
オニの大役を果たし終え、無事に節分が終わりました。
娘の「オニは外!」の声が響き渡り、ご近所の方々に、ご迷惑をおかけしました。
「追い出されたオニちゃんたち、いったいどこ行くの?」
と聞く娘に、
「う〜ん、秋田に集まって、ナマハゲさんに変身するんじゃない?」
と答えると、
「え〜〜っ、**ちゃん、いい子だから、うちには来ないよね?!」
と、大いにあせっておりました。
実は、以前、ナマハゲに迫られて泣きわめく子供たちの姿をテレビのニュースで見てからというもの、娘が世の中でいちばん恐れているものが、ナマハゲなのです。先日、「今度、横手の”かまくら”を見に行こうか」と話をしていると、娘が「横手ってどこ?」と聞くので「秋田だよ」と答えた瞬間、「いや〜、行かな〜い!」と絶叫しておりました。娘にとっては、「秋田=ナマハゲさんの住み家」なのです。
それでも、わが家では着々と、おじいちゃん・おばあちゃんを誘って、横手の「かまくら」を見に行く計画が進行しています(今年は、2月15,16日の2日間に開催とのこと)。
1月31日版
無事に出演できました!
日曜の深夜まで出張していましたので、ご報告が遅くなりましたが、28日(金)のNHK出演、無事に終えることができました。
以下、スペシャル・レポートをお届けいたします。
* 「東京駅で拉致事件発生!」の巻
13時に大学の教授会が終わり、車を飛ばして福島駅へ。13時46分発の新幹線に、滑り込みセーフ。寝不足と疲労のピークだったので、人ごみを避けるため、グリーン席の指定券を購入し、ぐっすり眠りながら移動しました。
さて、東京駅のホームに着いて車両から出たとたん、見知らぬ男性(一見、30才前後か?)が近づいてきました。
「あの〜、飯田先生でいらっしゃいますよね?」
「え? は、はあ・・・」
「これから、NHKにご出演ですよね?」
「え、ええ。そうですが・・・」
「私、これから、先生を放送センターまでお連れいたします。」
「あ、そ、そうですか・・・それはどうも、ありがとうございます・・・」
話の展開からして、きっとNHKの職員の方が、お迎えに来てくださったのだと思ったのです。それ以外には、考えられませんでしたから。
ところが・・・
「それでは、車の方に・・・」
「え? プロデューサーの方は、車だと渋滞する恐れがあるから、地下鉄にして欲しいとおっしゃっていましたが・・・」
「大丈夫です。私、くわしいですから、この時間、NHKまで確実に30分でお連れできます。ホームページを拝見すると、かなりお疲れでお風邪もひどいようですから、地下鉄なんかで移動されては、人ごみで疲れて、お風邪も悪化する恐れがあります。」
「あ、そうですか、ホームページをご覧くださったんですね?」
「ええ、あ、そう言えば、まだ自己紹介をさせていただいておりませんでした。実は私、先生のご著書の愛読者で、こういう者でございます。」
そして差し出された名刺には、な、何と! 日本を代表するコンピュータ・メーカーである「富*通」のお名前が!
「え〜〜〜〜っ! あなたは、NHKの方ではないんですか!? てっきり私は・・・」
「し、失礼いたしました。私、HNKとは何の関係もございません。ホームページで先生の窮状を拝読し、何とかして先生のお力になりたいと思いまして、幸い東京に住んでおりますから、こうして参上した次第です。いつも、当社のパソコンをお使いくださって、誠に有難うございます。また、中には調子の悪いパソコンもおありだとのこと、当社の製品が大変ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。」
「い、いえ、ホームページに『調子が悪いのがある』って書いたのは、単にメモリーの不足が原因ですから、富*通さんのせいではないんですよ。し、しかし、どうして、私があの列車に乗っているのをご存知だったんですか?」
「ホームページでは、13時まで大学で会議があるとお書きでしたから、大学と駅との距離を調べますと、おそらくあの新幹線をご利用なさるに違いない、と計算いたしまして・・・」
「で、でも、ぴったり私が降りていった車両でお待ちでしたが、どうしてわかったんですか?」
「ええ、先生はお疲れなので、きっとゆっくりおいでになろうとして、グリーン車をご利用になるのではないかと推察いたしまして・・・いやあ、ぴったり、当たりました!」
「何と・・・もし、外れたらどうするんですか?」
「そしたら、ホームを駆けずり回ってお姿を探し出そうと決意しておりました。」
「・・・・・・」(絶句)
「さ、車はこちらです。急いで参りましょう!」
・・・というわけで、キツネにつままれたような気持ちのまま、その男性の指示に従いました。「も、もしかして、私を拉致換金・・・じゃなかった、拉致監禁するつもりなのでは?」と疑いましたが、お顔と応対を拝見する限り、真面目で正直なお方のように見えます。しかも、もしも私を拉致してどこか怪しげなアジトに連行するのであれば、わざわざ「富*通の社員です」などとかえって不自然な名刺を見せるようなことはしないで、単純に「NHKの者ですが」と説明する方が得策というもの。ホームで富*通の社員が待っているという展開は、想像を超えた怪しげな展開であり、嘘をつくならば、もっともらしい、もっと違う「いかにもありそうな嘘」をつくはずです。
私はそう考え、彼の誠実そうな表情を信頼することにして、おとなしく車に乗りました。彼の目も正常で、いわゆる「病的な目」ではなく、正常な精神状態にあるものと思われました。
「あのう、ところで、どうして私の顔をご存知なんですか?」
「ええ、実は、先生の講演会に参加したことがございまして・・・」
「なるほど。」
「それに、昨日の、福島の幼稚園での先生の講演会には、鹿児島の知人が駆けつけて参加させていただいたんです。」
「え〜〜っ! 鹿児島から、わざわざ福島まで、おいでくださったんですか!?」
「はい。その知人も大変感動して、ぜひ、屋久島見物と兼ねて、先生を鹿児島にお招きして講演会を開きたいと、計画なさっているんです。今、鹿児島で先生の講演会を開こうという希望者が10人以上集まって計画中ですから、その際には、よろしくお願いいたします。昨日は、まずはその下調べに、先生の講演を拝聴しようということで、鹿児島からおうかがいしたんです。」
「え、ええ、そりゃ、喜んでおうかがいしますが・・・そのために、わざわざ鹿児島から福島まで・・・」(絶句)
「そんなことよりも、先生、私などとの会話で貴重なノドを使われてはいけませんから、どうぞお静かになさっておいでください。」
「・・・・・・」
・・・などと過ごしているうちに、車は順調に渋谷へと近づいた様子です。
「あのう、あなた、お仕事は大丈夫なんですか?」
「はい。私もちょうど、これから、恵比寿に向かう用事があるものですから・・・」
(きっと、それは私を安心させるための口実なのでしょう)
「そうですか・・・恵比寿は、渋谷の隣りですからね。」
「それに、先生はご専門ですからご存知でしょうが、当社は完全な成果主義人事制度を導入していますから、いわゆるタイムカードもなく、成果さえきちんとあげておけば、いちいち行動が管理されるわけではございませんので、どうぞ私のことなどお気になさらないでください。」
「・・・・・・」
「あ、もう、NHKです。ちょうど、25分くらいで着きました!」
・・・というわけで、キツネにつままれているうちに、いつの間にか、車はNHKに到着していました。
「それでは、私はこれより社に戻りまして、ラジオを拝聴させていただきます。いつか、何かの形で、飯田先生のお役に立ちたいと願っておりましたので、今日はその願いが叶い、たいへん嬉しいです。どうぞ、これからもお元気でご活躍ください!」
と、キツネ、じゃなかった、富*通の青年社員さんは、ご丁寧にお辞儀をして、さっそうと、車で去って行かれました。
「う〜ん・・・あれはいったい・・・キツネか、タヌキか、はたまた、神様・仏様の化身のお姿なのか・・・・・・???」
とにかく、こうして、その男性のおかげで、予定よりも早く、疲労もなく無事にHNKに入ることができたのです。
いただいた名詞を取り出して拝見しましたが、名詞は「木の葉」に変貌しているわけではなく、きちんと富*通の丸の内センタービルの住所と、****本部・****部と、実在する部門名が書いてありましたので、どうやら「キツネ」の仕業ではなさそうです。キツネだったら、必ず、「気がつくと、いただいた名詞は、1枚の木の葉に変わっていました・・・」などというオチがつくはずですから。
* 「NHKの内部を物色する」の巻
さて、キツネにつままれたままでNHKの西口を入り、受付で、プロデューサーさんの名前を告げると、やがてご本人がお迎えにおいでくださいました。
「ずいぶん早かったですね?!」
「ええ、実は、東京駅から、見ず知らずの男性が、ここまで車で連れてきてくださったんです。」
「???????????」
初めて見る、NHKの内部。私が向かうのはラジオセンターですが、建物の内部は、ラジオもテレビも共通の施設になっており、胸に厳重なパスポートをぶら下げた社員の方々が、忙しそうに歩き回っています。西口からまっすぐに広い通路を歩いていくと、社員用の書店があり、その右手に、社員・関係者用の食堂兼喫茶店が。
「まだ時間がありますので、ここで4時まで待って、それからアナウンサーと打ち合わせに行きましょう。・・・・・・ここには、出演される有名人の方々も、よくいらっしゃるんですよ。」
そう言われてみると、どこかで見たようなお顔の方々が、コーヒーを飲みながら談笑されています。しかし、有名人への「あこがれ」など全くない私にとっては、本当にどうでもいいこと。私が何の興味も示さないので、プロデューサーの方は、さっそく打ち合わせに入りました。打ち合わせと言っても、「どうぞ、先生の思われることを、ご自由にお話しくだされば結構です」とのことなので、内容の打ち合わせではなく、番組の進行に関する時間配分や、途中で入る中継のご説明をいただきました。
私はといえば、「ちょっと、トイレに・・・」と席を立ち、トイレを探すついでに、NHKの内部をキョロキョロとうかがい、「なるほど」「ふむふむ・・・」と、色々な発見に喜びました(発見の内容は、口が裂けても申せません)。せっかくカフェオレを注文したのですが、「本番中に、もよおしてはいかんな」と考え、ほとんど飲みませんでした。プロデューサーの方が、「あれ? 先生、ほとんどお飲みになっていませんが、よろしいんですか?」とご心配くださいましたが、「ええ、私、トイレが近い体質なものですから、いつも講演の前にも、水分を取らないことにしておりまして・・・」と申し上げると、楽しそうに笑っていらっしゃいました。
* 「ついにブース(スタジオ)に潜入する」の巻
4時になると、プロデューサーが、ラジオセンターにお連れくださいました。NHK放送センターの中心にそびえる、あの高い建物の1*階です。エレベータに乗ると、いかにも番組制作のスタッフらしい格好の方々(大道具・小道具さんなど)のお姿も。
1*階で降りると、すぐに、ラジオセンターのスタジオへ案内くださいました。部屋の奥にはブース(実際にしゃべる出演者が入る、防音処理がほどこされた小部屋)があり、その外部の手前には様々な機材が並び、ミキサー(機械を扱う専門家)の方々が、ヘッドフォンをつけて座っていらっしゃいます。その周囲には、番組の制作・進行を担当なさるプロデューサーの方々、ディレクターの方々がおいでになり、スタジオ全体では、合計7〜8人の方々がいらっしゃったでしょうか。
チーフ・プロデューサーの方々2名と名刺交換したあと、実際に私と会話しながら番組を進める、女性アナウンサーとの打ち合わせに入りました。アナウンサーは、有江さんとおっしゃる女性で、私と同い年であることが判明。しかし、どう見ても、まだ20代後半にしか見えません。「お若いですね〜」などと感心しながら、すっかり仲良くなって、ずいぶん気楽に本番へと突入できそうなムードが高まりました。
打ち合わせと言っても、ここでも特に内容そのものに関する細かい打ち合わせはなく、「だいたい*時*分から*分頃まで、このようなテーマで先生にお話をいただこうと考えていますが、話の向かう方向しだいで、どうなるかはわかりません。私が何かご質問したり、先生の回答に色々な反応をしますから、それにまたお答えいただくという形で、楽しみながら進めましょう。先生のコメントに対して、私が『え〜? ホントですかぁ?』といった感じでわざとツッコミますが、番組を盛り上げるための大げさなリアクションですから、どうかお許しくださいね。」 「それじゃあ、僕の方から、有江さんに『アナウンサーさんの生きがいは?』『NHKって、働きがいのある職場ですか?』なんて聞いてもいいんですか?」 「えっ! そ、それは、ちょっと・・・」といった感じです。
やがて、1人で「どんなことを話そうかな」と緊張していると、向こうから有江アナウンサーが私を呼びます。「先生、こっちに来てみてくださ〜い!」とお呼びになるので、窓のそばに行ってみると、何と、はるか向こうに、くっきりと富士山の雄姿が。「天気の良い日には、こうして、富士山がよく見えるんですよ。すごいでしょう!」「あ、ほんとだ。これはすごい!」などと、すっかりリラックスしてしまいました。今思えば、近づく本番を前に1人で真剣になっている私を見て、優しい有江アナウンサーが機転をきかし、私の緊張をほぐしてくださったのでしょう。ありがたいことです。
そして5時。スタジオ内に5時のニュースが流れはじめると、プロデューサーの方が、「では、先生、あちらの中にお入りください」とのこと。私は、番組の流れだけを書いたメモを片手に、ブースの中に入りました。ブースは、たたみ8畳分くらいの広さがあったでしょうか。意外に広くて、ほぼ中央に長い机があり、そこに2つのイスがあって、私とアナウンサーが2人で向かい合わせに座る格好です。私の背後、つまりアナウンサーの正面には大きなガラス窓があって、その窓の外にいるディレクターの方々などの指示を受けて、ブース内のアナウンサーが、手元にあるマイクのスイッチ(なめらかに動くレバー)を上下させるのです。
実は、NHKに入るまでは、風邪でかなりの咳をしていたのです。プロデューサーの方に、「本番中にひどい咳が出たらどうしましょうか?」とおうかがいすると、「そういう生理現象は仕方がありませんから、多少の咳はそのままで結構ですし、ひどい咳ならば、今、風邪をひいているのでごめんなさい、と、ひと言いえば済むことですよ。どうぞお気になさらずに」とのことでした。しかし、いざブースに入ると、適度な緊張が幸いして、咳はぴったり止まってしまったのです!
* 「ああ、本番突入!」の巻
番組開始の直前、最後にもう一度、プロデューサーの方がブースの中に入って来られ、「では、先生、お願いします。先生の思われること、感じることを、ご自由にお話しくだされば結構ですから」とのご挨拶。私のことを、すっかり信頼くださっているご様子に、とっても嬉しくなると同時に、「この方々のご信頼にお応えできるよう、頑張って、いい番組にしなければ」という責任感が押し寄せてきます。
やがて、5時のニュースが終わり、ついに本番に突入。本番とは言っても、1回の練習もない、本当にぶっつけ本番の生放送です。どこで何をしゃべるかという細かい原稿など全くないので、もしも私が本番中に発狂し、「我輩はネコであ〜る。ワハハのハ〜!」などと絶叫したり、「×△○〜!」などと放送禁止用語を連呼したら、それでおしまい。つまり、いざ生放送が始まってしまうと、プロデューサーもアナウンサーも、私という人間を信頼するしかないのです。そのような方々の信頼のもとに、今、自分が、実質30分近くもの貴重な時間を個人のためにいただいて、全国の不特定多数の方々に向けてお話を始めるのだ・・・・・・そう思うと、何だかとっても自分が幸せ者に思えて、緊張ではなく、むしろ、じ〜んと感動してしまいました。
いざ本番。何と、さきほどまでキャピキャピと明るくはしゃいでいた有江アナウンサーの表情が突然に引き締まり、別人のような真面目な声で、沈着冷静に話し始めたのです!
「か、かっこいい!」
プロのアナウンサーの仕事ぶりを目の当たりにして、私は思わず、その格好良さに見とれてしまいました。
それでは、本番で、いったい私が何をお話ししたのか、これから再現いたしましょう。
実は、出張から帰宅すると、全国の方々から「聞きました!」というメールがたくさん届いており、中には、何と、テープに録音した内容を、いち早く聞き取ってワープロで文章化してくださった方が。
以下、その御方が、Eメールと共に添付ファイルとしてお送りくださったものを、ありがたく掲載させていただきます。主婦の「ちよみ」さん、本当にご苦労様でした。かなりのお時間を要したはずですが、家事に支障は出ませんでしたか?
********************
○「では、スタジオのお客様をご紹介致します。福島大学経済学部助教授の飯田史彦さんです。こんばんは。」
●「こんばんは。」
○「どうぞよろしくお願い致します。」
●「どうぞよろしくお願い致します。」
○「飯田史彦さんは1962年生まれ、十年ほど前に福島大学経済学部の助教授に就任された、20代でということですよね。人事管理論、経営戦略論がご専門だということで、そして、平成8年から、人生に生きがいをもたらす発想法をテーマに三部作の本を書かれて、これが話題となりました。現在、まだ37歳という若さでいらして・・若さでというと自分も同じ年なんで、ちょっと、恥ずかしくなっちゃいますが、その年齢であって、経済学者という肩書きをもってらっしゃる・・」
●「経営学者ですね、正確には」
○「でも、なぜに“生きがい”について研究されようと思ったんですか?」
●「あの、4年ほど前に私の教え子が大きな事故にまきこまれまして、病院に駆けつけた私に向って、『どうして自分は生きているんだろう、これからどうやって生きていけばいいんだろう』というふうに問いかけたんですね。その時に私は、残念ながら、恥ずかしいことに、答えることができなかったんですよ。『先生、なんで人は生きているんですか?』と言われても、なかなかね、『それはね・・・』とすらすら答えることは、難しいと思うんですけども。」
○「それはどなたも同じことですよね。」
●「そうですね。ただ私は経営学者として、人間のものの考え方とか価値観とか、そういうものを研究していましたので、まあ人よりは専門家だと思っていたんですけれども、恥ずかしいことに全く答えられませんで、その時に大いに反省しまして、人間は何で生きているのか、なぜ存在しているのかというところからまず考えないと、“生きがい”とか“働きがい”とかというところに結びついてこないんではないかと思ったのが、きっかけなんですね。」
○「はい。そこから“生きがい”について考える旅が始まった、ということでしょうか?」
●「そうですね。はい。」
○「でも、そもそも“生きがい”ってなんでしょう? なんか哲学的な問いかけになりますけど。」
●「そうですね。日本語で“生きがい”という言葉は非常に難しいというか、ほどよい曖昧さをもっていろんな意味を含んで、包み込んでいるような言葉、非常に日本語らしい、良くも悪くも曖昧さをもった言葉なんですよね。たとえば英語で“生きがい”に相当する言葉ってなかなかありませんで、まあ無理して言いますと、“MEANIG OF LIFE”とか“VALUE OF LIFE”とか “生きる意味”とか“価値”とかですね、という言葉になるんですけど、たとえば、『あなたの生きがいは?』と聞かれて、日本人ですと『う〜ん、僕の生きがいは寝ることかな〜』なんていう答えが、あり得ますよね?」
○「そうですね。返ってきそうですね。」
●「ところが外国人に、『私のMEANING OF LIFEは、生きる意味は、寝ることです』なんて言うと、全く信じてもらえないでしょうね。理解してもらえないでしょうね。そのぐらい、“生きがい”という言葉は、日本人にとって、良くも悪くも曖昧で、単なる生きる意味だけではなくて、“JOY OF LIFE”とか“PURPOSE OF LIFE” とか、生きる喜びであるとか、ほんの日常生活の上での楽しみであるとか、そういったものまで含んだ言葉なんですよね。まあ、ですから、“生きがい”という言葉を使ってものを語るというのは、さまざまな切り口がありますので、切り口が違うと全く違う世界が見えてくるということで、研究テーマとしては面白い言葉ですけれども、今日のようなラジオの短時間でコメントするということに対しては、非常に難しい単語でもあるということですよね。」
○「そうですか。そこをまあ、あえてなんとかお答えしていただきたいと思いますけど・・」
●「はあ・・頑張ります。」
○「この5,6年でしょうか? もうちょっと前からでしょうか? 生きがいについて、『自分の生きがいは何だろう』ということがずいぶん問われるようになってきましたけども、これはなぜ・・今といいますかね。生きがいについて考えるように、みなさんなってきたとお考えですか?」
●「そうですね、やはり、私の背景とします経済・経営の観点から言いますと、いわゆるバブル経済といわれるものがはじけて、幸せといったものに関するものの考え方が変わってきたことが原因ではないかと思うんですよね。」
○「し・あ・わ・せ・・? はい。」
●「たとえば、景気の良かったときには、日本人というのは物質的な幸せを謳歌していたわけですよね。ところが、このまま続くかのように思われた幸せというのが一夜にして崩れ去って、物質的な幸せというのが、一気に失う恐れのある幸せ、非常に曖昧な幸せなんだということを、初めて体験を通じて気付いたんではないかと思うんですよね。そうすると、“失うことのない幸せ”って何だろう、永遠に持っていくことのできる幸せってなんだろう、というようなところに意識が移っていって、物質ではない精神的な心の面での幸せといったようなものを、人々が探し始めるようになったんではないかということが、ひとつの見方ですね。」
○「“失うことのない幸せ”ってあるんでしょうかね?」
●「あるのかないのか、みなさんが“生きがい”とか“自分”とか“人生”とかいったものを探し求める旅が、十年前ぐらいから始まっているということではないかと思うんですよね。それにつれて、“生きがい”という言葉を使った研究であるとか本であるとか番組なんかも、どんどん増えてきましたよね。」
○「さて、みなさんは、どんな風に“生きがい”について考えてらっしゃるでしょうか? 寄せられているお便りを紹介しましょう。このかたは三重県にお住まいの匿名希望の方から…」
(手紙を3通紹介)
●「私は大学で人事管理ということを研究しておりますので、現在リストラの波がすごく大きくなっている問題であるとか、終身雇用とか長期雇用と言われたものが崩壊してきていることに関してコメントを求められることも多いんですけれども、そう言う場合、みなさん『厳しくなってきた、厳しくなってきた』とばかりおっしゃるんですよね。しかし、私の目から見ますと、厳しくなってきたと同時に、大きなチャンスの時代がやってきていると思うんですよね。これまでは、やる気と能力があっても、年齢の壁に阻まれたり、早く入社した人が早く出世するといった慣行があったりという問題もあったわけですけれども、これからは、やる気と能力のある人が随時採用される、そしてそれに応じたポストを与えられるという時代が来るということでもありますから、そういう意味では大きなチャンスの時代になってきているんですよね。ですから、厳しくなって来たと嘆くだけではなくて、そういうャンスをいかに自分のものにするか、自分の能力を高めるかということを、まず考えるべきではないかと思ってるんですけれどもね。」
○「そのチャンスをどうやって手にいれましょうかね。今までご紹介したお便りの中には、パートですけれども、とても楽しく毎日仕事をしていますというお便りもありましたし、それから59歳の夫のことを考えたり、26歳の今はリストラされてアルバイトをしている息子さんのことを心配したりという方からのお便りもありました。必ずしもみなさん、今世の中で自分のやりたいと思っている仕事につけていないかもしれない。ひょっとしてリストラされるかもしれないという不安を抱いてらっしゃるかもしれない。そういった中で、自分の今やっていることに、いかに生きがいなり働きがいをみつけていけるのか、その辺はいかがでしょうか?」
●「生きがいというのは、ちょっと難しくいいますと、その人なりの意味解釈の方法によって出てくるんですよね。わかりやすく言いますと、ものの見方や発想法、その人がどういう発想法で世の中を見ているかというものを、反映しているんです。
たとえば、非常に分りやすい話をご紹介しますと、私は、『散歩に出るのは雨の日』と決めてるんですよね。普通、散歩に出るのは晴れの日で、雨の日は敬遠しますよね。ところが私は、雨が降りますと、『ちょっと散歩に出てくる』と女房に言い残して、出て行くわけです。なぜかといいますと、雨の日は人も少ないので、自由きままに歩きまわれる、と。それから、雨が降ると、植物がすごく元気になるんですよね、水分を得て。それから、空気中のほこりが雨に押さえられて、すごく空気もきれいになるんですよ。それから、傘もさしますので、傘をさすと目のところまで隠れたりして、ほどよい孤独感を味わいながら歩くことができる・・散歩は雨の日に限ると思ってるんです。これは、そういうものの考え方をするから、まあ、常識とは違うかもしれませんけど、雨の日に非常な価値を感じているということなんですよね。
同じように、どんな仕事であっても、価値のない仕事、意味のない仕事はないわけです。ですから、自分が今やっている仕事が、世の中でどういう価値をもっているんだろう、自分がその仕事をすることによって、最終的に誰を幸せにするんだろう、誰を喜ばすんだろう、自分がその仕事をやらなかったり、いいかげんにやったりすると、誰に迷惑をかけるんだろう、といったようなことを考えていくと、『素晴らしい仕事を自分はやっているんだ』ということを、見出すことが出来るはずなんです。ですから、不平不満を言うのと同時に、それを自分で消化して、どんなものにも価値を見出しながら生きることができるかということが、大事な点だと思うんです。
つまり、生きがいを持ちながら生きるというのは、ひとつの技術なんですよね。技術ですから、生まれ持っての才能というのではなくて、自分で身につけることが出来るわけですね。そういう、『生きがいを持つ技術の身につけ方』というものの考え方をすることが、大事ではないかと思うんです。
○「そうしますと、例えばね、一緒に働いている営業マン同士で働いています、入社も同じですと、何かを売らなくてはいけない、でもどんなに頑張っても、一緒に入社した一人は、自分は数値が低いと、もうそれは歴然としてるわけですよね、働く場では。評価としては多分、数値の高い方が、沢山売っている人の方が、評価は高くなる。そんな時、どうやって自分を納得させることが出来るんでしょうかね?」
●「その人が複数の目標をもっているかどうか、ということとも関連してくるんです。これは、今、職場内でのメンタルヘルスという言葉で扱われるんですけれども、精神的な健康状態というものを、職場の中でどう保つかということが着目されておりまして、そういう専門家のお医者さんも会社の中に雇っておくような時代がきているんですけれども…。
わかりやすく言いますと、数値で表される仕事上の目標だけをもっていると、これは必ず満たされなかったり、トップに立てるのは一人っきりだったりしますよね。トップに立てなかった人、他の人は、全員挫折したり失敗したりということになってしまいますよね。それはそれで、目標のひとつではあるんですけれども、複数の目標を持っておくということが、メンタルヘルス、精神的な健康を保つためには重要なんですね。
しかも、目標に向って努力しているだけで幸せになるような、ハッピーになるような、そういう目標を自分で立てることができるか、ということが必要になってくるんです。例えば、“旅行に行こう”なんていうのは、夢見ているだけで楽しい目標ですよね。実際、旅行にいざ行く日が来ると、単にあわただしかったり、行ってみると、けっこう身体も疲れるだけだったり、たいしたことなかったるするわけですけれども、『いつ行こうか、どういう方法で行こうか、どういうスケジュールで行こうか、誰と行こうか、どんなに楽しいだろうか』と思っているうちが、その途中がものすごく幸せなわけですね。ですから、目標に向って努力しているだけでも幸せであると感じられるような目標というものを、毎日の生活の中で、人生の中で持っておく。そういう目標を、仕事上の数値で表されるような目標と別に持っている人というのは、非常に強いですね。」
○「そうしますと、ある意味では仕事上の数値は、もう達成できなくてもしょうがない、という割り切り方ですか?
●「しょうがない、というと問題が起きてきますけれども、自分がいくら努力をしても、自分以上に努力する人がいたり、自分以上に能力があったり、という人もいますよね。ですから、そういう危険性のある、得るか失うかどちらかしかないような目標だけを持って生きてしまうと、精神衛生上、非常によくないということですよね。」
○「そうではないところに…?」
●「そうですね。ですから、目標を沢山持っておく。しかも、ALL OR NOTHING、 得るかすべて失うかという目標ではない、そういう目標を持っておくということが必要ですね。」
○「それはやっぱり普段からそうとう、なにか心がけといいますか・・技術だとおっしゃってましたよね、さきほど。技術ってどういう風に習得していけるんでしょうね。』
●「ひとつは、自分を常に刺激的な状況に置いて、いろんなものの見方、いろんな考え方、いろんな情報に触れるようにしておくことが必要ですよね。さきほど、お手紙の中で、家庭にこもるのではなくて、社会とのつながりを持ちたいというお手紙がありましたよね。あれは、素晴らしいことだと思うんですね。社会とのつながりを持つということは、自分を常に刺激的な状況に置いておくということを意味しますので、社会とのつながりのなかで、さまざまな、自分に“生きがい”をもたらすようなものの考え方であるとか、ヒント、種みたいなものがやってくるわけですよね。」
○「そういった意味では、“生きがい”ってなにか“老後の”という枕詞がつきそうな言葉でしたけれども、必ずしも老後のという…」
●「まさに、バブル経済が崩壊する前の“生きがい”という言葉というのは、“老後の”生きがいをどうするか、と、お年寄りの問題を中心に論じられることが多かったんですけれども、今はうんと意味が広くなってきまして、私なんか子供だって“生きがい”をきちんと考えるという時代になっていると思うんですよね。いったい、今の幼稚園児たちは、小学校、中学校、高校の子供たちは、“生きがい”というものを持って毎日生きているんだろうか・・・そういうことを考えると、昔のことは私もまだ30代なのでわからないと言えばわからないんですが、おそらく、人生とか人間が生きている意味とか、そういったものを、親子とかあるいはおじいちゃん、おばあちゃんと孫とか、そういう間で話す機会というのが、どんどん減ってきているんでなはいかと思うんですよね。ひとつには、核家族化が進んでお年寄りと話す機会が減った、なんていうこともあるんですけれども。
今後は親子で、お父さんお母さんの方から問題提起をしてね、『おまえ、何で生きていると思う? 何の為に生きていると思う?』、そういうことを、ざっくばらんに話し合ってみる機会を増やすということが、すごく必要になってくると思うんですよね。」
(手紙2通紹介)
(新宿区の中高年のための交流施設、コミュニケーションスクエア21の紹介)
○「新宿にあります中高年のみなさんのふれあいセンターといいますんでしょうか、CS21をご紹介しました。ちゃんとお金の動きもあって、経済的な動きもあるんですね。」
●「そうですね、素晴らしいですね。単なるボランティアに終わっていないところが、素晴らしいと思いますし、何より素晴らしいと思いますのは、『人が喜んでくれるような活動を重視している』という言葉がでてきましたけれども、人に喜んでもらうというのは、人間にとって最も本質的な生きがいなんですよね。ですから、人が喜ぶ姿を見て、“人を喜ばせる喜び”というものを1度経験すると、損得勘定という概念がなくなるんですよね。とにかく、人を喜ばせることがイコール自分の生きがいになるというような状態に自分を持っていくことができれば、これはもう無敵の強さなんですよね。
しかも、『人脈』が鍵を握るということを私もお話しましたけれども、人脈作りは、何歳からでも遅くないですよね。しかし一方で、中高年層の方々は、会社の中での人脈は十分にあるわけですが、会社を離れたところに人脈を作るという技術をこれまでお持ちでなかった方が多かったので、いったん職場を離れて退職されると人脈がぷっつり切れてしまうという状態に置かれることが多かったんですよね。そういった方々に人脈を広げる場を提供されているということで、本当に素晴らしい活動をなさっているなあ、と、多いに共感しますし、また、応援したいと思いますね。」
○「ある意味、自分の居場所をさがすということは、とても必要なことであるんですね。」
●「そうですね。居場所を探して、さまざまな人に人脈を広げるというのは、将来の”幸せの種”を蒔いておくことになるんですよね。いろんな所でいろんな知り合いを作っておく、それが、何年後にあるいは十何年後に、どんな形で芽を出してくるかわからない・・・そういう種をいかにたくさん蒔いておくかということが、生きがい作りの大きなヒントになると思いますね。」
○「それは中高年のみなさんのみならず、若い人でも同じ事が言える・・でも生きがいってやっぱり年代によっては捉え方も違うんでしょうね。」
●「そうですね。私は大学の教官ですので、二十歳前後の若者と接する機会も多いんですけれども、中高年の方々向けにセミナーを行う時には、『いかに会社人間から脱するか』といったお話をさせていただくことが多いんですけれども、一方で大学に戻りますと、会社人間どころか、いかにこの学生たちを会社人間にするか、おそらく会社は困るだろうな、というような価値観の若者たちが増えていますよね。そういった、年齢の違いによるものの考え方のギャップ、違いというものを、会社ではどういう風に克服しようかと悩んでいらっしゃるところが多いんですけれども、それは、問題というよりも、価値観が違えば違うほど、刺激を大いに与え合える価値ある存在でもあるんですよね。」
○「それぞれがですか。会社人間とは思えないような若い人たちでも?」
●「そうですね。全く理解できないと思っていても、話してみると意外に共通点があったり、理解できないからこそ、かえって得るところも大きかったりするんですよね。ですから、生きがい作りのキーワードが、自分に刺激を与えることである、と私は先程から何度も申し上げていますけれども、ひとつご提案したいのは、よく会社、あるいは会社を離れたさまざまな集まりで、飲み会があったり、忘年会、新年会があったりしますよね、そういう時に、同年代の人ばっかりが集まって飲んでいることが多いんですよね。どうしても、身近な、話の合う人が集まりますからね。そこで、価値観の違うような人、話の合わないような人が隣りあうような、そういう座席配置をするだけで、随分好ましい影響がでてくると思うんですね。」
○「う〜〜ん、だってね。若い人からとってみれば、それは辛い飲み会だったり・・。わりと年配の人が『君達の考えもわかるよ』なんて、簡単に迎合されると、それはちょっと信用できないな、なんて思ってしまったりもする部分もあるんでは?」
●「そうですね。最初はお互い面食らってしまうかもしれませんけれどもね、そこのところを上手に工夫して、しばらく話をしてみると、これまでいやだなと思っていたおじさんにも、自分と同じ、同年代の息子さん、お譲さんがいるのかとか、そのおじさんのお子さんの悩みの相談にのってあげたりとか、そういった切り口で親しくなっていくことが多いですよね。そういう意味では、先程のコミュニケーションスクエアですか、そういうところでも、同年代の方々の集まりということですけれども、いろんな企画を立てて、普段全く接しないような若者たちと接するようなチャンスも作っていくと、もっともっと広がってくると思います。」
○「さあ、どうなんでしょう。みなさん、それぞれ、私はこんな生きがいもあると思ってらっしゃる方も多いとは思うんですが、なかなか自分の思ったとおりにならないのが、世の常ではないかと、ホントにこの今の不況の世の中もそうだと思うんですが、この中でどうやって自分を信じ、自信を持って生きていけるのか、どうでしょうか?」
●「なるほど。まず、『人生というのは思いどおりにならないからこそ価値がある』というふうに、逆転の発想をもつことが必要ですね。制約があるからこそ、その制約の中で何かが実現したときの喜びも大きいわけですね。
例えば、私は昔、切手を集めていたことがあるんですけれども、とにかく自分の欲しい切手を一杯揃えるのが、当時、夢だったわけです。そして、就職して多少お金ができて、昔の夢を叶えようと、昔欲しかった切手を、何万円もかけて一杯買ったんですけれども、全然、充実感が無いんですよね。やっぱり、簡単に手に入れることができるものというのは、生きがいにもそんなに結び付かない。さまざまな制約の中で苦労するから、価値も生まれてくる。
それから、鉄道旅行も、私大好きなんですけれども、鉄道旅行というのは、さまざまなダイヤの制約の中で、『ア、これ、乗り継ぎがわるい』とか『あ〜コレ、どうしても行き止まってしまう』とか、そういう中で工夫する喜びがあると思うんですよね。ですから、旅行が趣味だった人が退職をして、自由きままに旅行が出来るようになると、急に旅行の意欲を失ってしまうことも多いんですよね。やはり、制約がさまざまにあって、その中で苦労して何かを達成するというものが、大きな生きがいに結び付いてくると思うんです。
ですから、ふだん、職場であり、家庭であり、我々は不満をたくさん持ちがちですけれども、不満というものが実は大きな価値を産むもとにもなっているんだ、非常に価値のある制約なのだ、思いどおりにならないところにまず価値のもとがある、そういう発想転換が必要ではないかと思うんです。」
○「そうしますと、不満だらけの人はそれだけ、生きがいも大きくなると?」
●「そうですね、生きがいも大きくなるチャンスをお持ちなんですよ。ですから、後は、そこで生きがいを見出すような技術をいかに身につけるか・・・その技術というのは、先程から何度も申し上げているように、人脈を広げて、自分にいろんな刺激を与えておくという・・・その点では、人間関係が苦手だという方も多いんですけれども、そういう方にとって大変いい時代になってきているんです。それは、パソコンが発達してきたからです。今、お年寄りで、パソコンとかEメールをやっている方が多いんですよ。直接面と向って付き合わなくても、そういうところで世界中の人と付き合いが出来る。そういう新たな人脈作りも、これからどんどん広まっていくと思いますので、おっくうがらないで広げていけばいいと思いますね。
とにかく、『自分の人生には価値があるのだ』というふうに信じることが、すべての基本だと思っています。」
○「はい、どうもありがとうございました。今日のスタジオのお客様は、福島大学経済学部助教授の飯田史彦さんでした。」
さっそく届きました!
しかも、速達です。
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前略
「10000」と数字の入ったホームページのプリントを同封いたします。3大豪華特典、お願いいたします。
私も色々な事情があり、先生の本にはずいぶん助けられました。先生の本は、あるお坊さんから勧められて購入しました。
とりあえず、今は仕事中なので、先生のメールアドレスを教えていただいた後、ゆっくり本の感想でも連絡させていただきます。
「10000」取得の苦労話も、またゆっくりと、させていただきます。
では、ご安心してお付き合いいただくために、私の身元について書いておきます。
氏名:****
年齢:1966年2月11日生まれ、33才
仕事:コンピュータ・ソフトの開発
住所:東京都 *** ***
家族:妻と娘2人
それでは、特典、お待ちしております。 草々
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何と、やはり思った通り、仕事中に(仕事そっちのけで?)、「10000人目」を目指して、たいへんご苦労なさったようです。
しかも、私と同じく、小さなお嬢さんがいらっしゃるとか。どんなに素敵な奥様なのでしょうか。「お話券」でお会いするのが、楽しみです。
とにかく、企画倒れにならなくて、ほっとしました。
本日は、「10000人目を目指したけれどダメでした」という声を、たくさんいただきました。
残念ながら今回は逃した方々、ぜひとも、次の「20000人目」のチャンスを、お楽しみに!
6/8日版
え〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!??
私は、びっくり仰天しています。いったい、どうなっているのでしょうか??
さっぱり、わけがわかりません!!
昨日、更新したのが(下記6/7版)、6月7日の午前3時前後だったでしょうか。その時点で、アクセス計の数字は、「9465」でした。私は、毎晩、寝る前にメールをチェックするついでにホームページのアクセス計を記録しておくので、正確な数字がわかるのです。
ちなみに、一昨日の夜は、「9303」でしたから、1日で約160人ほどのアクセスがあったことになります。そこで、私は「このペースでいくと、3日後くらいに10000アクセスに達するかな」と推定しました。
そして私は、7日の午前4時頃に、眠りについたのです。
ところが、一夜明けて、7日(日付は同じ7日ですが、睡眠から目覚めた後)の午後3時頃に、メールを送ったついでにホームページをのぞいてみると・・・・・・私は、我が目を疑い、思わず「ね、ねえ、ちょっと来てよ!」と、妻を呼び、他人の目で確認してもらいました。
何と、アクセス計の数字が、「10056」となっているではありませんか!!
しかし、つい12時間ほど前に見た時には、「9465」だったのです。つまり、たった12時間ほどの間に、10056−9465=591ものアクセスがあったことになるのです!
つい数日前、私の誕生日前後に、1日で200アクセスを超えた日がありましたが、何と、半日で591ものアクセスが殺到したとは・・・・・・信じられない現象なのですが、確認してみたところ、サーバーの故障でもなく(故障したら、むしろ止まってしまうかゼロに戻ってしまうとのこと)、もちろん我が家の誰もパソコンをいじっていないので(妻子は全くパソコンに触れませんし、アクセス計の数字を操作するには高度な専門知識が必要です)、実際に起こった現象だと判断するしかありません。
考えられるとすれば、7日の朝から午後にかけて、土日をはさんで会社に出勤した方々が職場のパソコンで私のホームページを一斉に開いたところ、一気に数字が9800くらいまで跳ね上がり、「こ、これは、今日中に10000アクセスに達するかもしれないぞ」と判断した読者の方々が、10000を目指して(仕事そっちのけで)アクセスを繰り返した結果、半日で591にも達してしまった、という真相です。
私のアクセスカウンターは、回線をつないでいる限り、他の誰かがアクセスしなければ、何度のぞいても数字は変わりませんから、数字を進めるためには、わざわざ電話回線を切って、再びダイヤルし直さなければなりません。そんな手間のかかる機械的作業を繰り返した方々が、ずいぶんいらっしゃったことになります。きっと、7日の朝から午後3時前にかけて、パソコンの前に何時間もくぎ付けになったまま、「10000人目」を目指してアクセスを繰り返した方々が、日本中に大勢いらっしゃったに違いありません。おそらく、今にも「10000」前後に達しそうだという時間帯には、日本中(世界中?)の多くの方々が殺到し、画面を1回更新するだけで、数字が何十も跳ね上がったことでしょう。私の知らないうちに、「10000」アクセスを狙って、多くの見えない読者同士が、熾烈なバトルを繰り広げていらっしゃったのです!
とにかく、そのような修羅場の中で、ちょうど「10000人目」になった方は、たいへんな偶然に恵まれた方だということだけは確かです。いったい、どこのどなたなのでしょうか? どうぞ、証拠となるプリント紙か写真を、私の研究室までお送りくださいませ。
ちなみに、この文章を書いている今(7日の午後10時45分)、もう一度のぞいてみると、「10159」になっています。きっと、7日の夕方以降にアクセスなさった方々は、一気に跳ね上がった数字を見て、私と同じように、「!!!」とびっくりされたことでしょう。10000アクセス目を狙いながらも、「まあ、おそらく3日後くらいだな」と目星をつけていらっしゃった方々は、予想外の急展開に、「し、しまった、読みが甘かったっ!」と、肩をがっくり落とされたのでは・・・・・・
さて、「お話券」は、どこのどなたに渡るのでしょうか? 私は、いったい、日本のどこにおうかがいすることになるのでしょうか? 今から、ワクワクしてきます。
なお、「お話券」は、他人に譲渡なさってもかまいません。「べつに、飯田と話なんか、したくないや」と思われる方に渡ってしまった場合は、どなたか、「お話券」に価値を感じてくださる方がいらっしゃいましたら、「こんなもので良ければ、あげるよ」と、差し上げてください。とにかく、少しでも喜んでくださる方に、「お話券」が渡りますよう願っています。(今、正確には7日の午後11時7分。まだ8日にはなっていませんが、下記6/7版と混乱するといけませんので、「6/8版」としておきます。)
6/7日版
37才の誕生日を迎え、5才の娘から、「プレゼントボックス」(と言えば聞こえは良いが、実はお菓子の空き箱)を頂戴しました。
空けてみると、私の似顔絵、折り紙で作った花、意味不明の工作品、だんご3兄弟のミニチュア、ゴミのようにしか見えない紙クズなどが入っていました。大いに感謝の弁を述べた後、ゴミのような紙クズだけ取り出して、「ゴミが混じっているのだな」とゴミ箱に捨てようとしたところ、「あ〜! それ捨てちゃダメ!」と叱られ、「それは、ボールなの」と説明を受けました。よく見ると、紙クズがボール状に丸められているかのようにも、見受けられます。「あ、ゴメン、ゴメン」と、平あやまり。
なお、娘は「だんこ3兄弟のミニチュア」(スーパーの隅に置いてある、100円を入れてハンドルを回転させるとプラスチックのカプセルに入って出てくるチープなおもちゃ)を見つけ、「あれ? 何でここに入ってるの? これ、私のよ」と取り出し、持って行こうとするのです。私が、「え? それ、お父さんにくれるんじゃないの?」と追いかけると、「ダメよ! これは私のよ。大事なんだから」と、急ぎ足で自分の部屋に持って行き、どこかに隠してしまいました。
とにかく、「キノコの絵」ではなかったので、一安心。娘に「去年は、上手なキノコの絵をくれたよね」と尋ねてみると、「何、それ? 何のこと?」と、すっかり去年のことなど忘れ去っている様子。私がほっとしていると、「欲しかったら、書いたげようか? キノコさんの絵ね?」という思わぬ展開になってしまったので、あわてて話題を変えました。
ちなみに、私はキノコが大好きで、「キノコスパゲティ」「キノコ雑炊」「キノコ汁」「キノコピザ」「キノコご飯」「キノコカレー」「キノコうどん」「キノコぜんざい」(そんなの無いか?)など、しばしば注文します。おそらく、そんな私の習性を娘はじっと見ていて、「お父さんはキノコが大好きなんだ」というイメージが出来あがり、昨年の誕生日プレゼントに「キノコの絵」を書いてくれたものと思われます。
そう思うと、娘がとっても愛しくなり、思わず抱きしめてしまいました。ついでに、「ねえねえ、大人のお姉さんになっても、お父さんに抱っこさせてね」と哀願すると、「いいよ〜。お尻もさわっていいよ〜」と、たいへんうれしい発言が返ってきました!
窓の外は、大雨です。私は雨が大好きなので、これからちょっぴり、深夜の雨天ドライブに出かけてリフレッシュしてきますね!
6/2日版
ごめんなさいっ!
昨日、更新したばかりなのですが、妻に大きな間違いを指摘されたので、あわてて訂正しておきます。
昨日の更新(下記参照)で、「6月3日は、私の38才の誕生日」と書いてしまいましたが、実は、妻によると、「何言ってるの? 私がまだ30才なんだから、あなたは今年で37才じゃないの」とのことでした。つまり、私は現在36才で、6月3日をもって37才になるのだそうです。
読者の皆様、たいへん失礼いたしました。
なお、刻々と近づく「ホームページ訪問10000人目記念」は、いったい、どこのどなたになるのでしょうか!?
このペースでいくと、10日後前後に達成されそうです。
記念すべき「10000アクセス目」となった方は、どうぞ、「10000」と数字が入ったパソコン画面を印字するか、写真に撮って、私の研究室(〒960−1241 福島市 福島大学 経済学部 飯田研究室」までお送りください。私から、以下の豪華特典をお送りいたします!
特典1: このHPの「研究室探検ツアー」のページでご紹介している、世界に15冊しか存在しない、特別限定製作版の『生きがいの創造』(化粧箱入りで、金粉がまぶしてあります)のうちの貴重な1冊を、差し上げます! もちろん、「○○さんへ」と、あなたのお名前を明記したうえでのサイン入りです。
特典2: 私の、極秘のメールアドレスをお教えします! これで、あなたも、私の個人的なメール友達です。
特典3: 何と、私との「お話券」をプレゼント! 「お話券」とは、今度、私が仕事や講演などで、あなたのお近くに行った場合、必ず足を延ばして、あなたがご希望の日時に、ご指定の場所へおうかがいして、「お話」をさせていただくお約束のことです。「飯田さんに一度会ってみたいけれど、近くで講演もないし、福島まで行くのも無理だし」とおっしゃる方は、どうぞ狙ってみてくださいね。この「お話券」さえ手に入れれば、そのうち私の方から、必ず、あなたのもとへ出向いて差し上げます。(ただし、日本国内に限らせていただきます)
以上、お金に換算できない3大豪華特典を狙って、どうぞあなたも、「10000人目」にチャレンジしてみてくださいね!
(なお、宝クジのような「前後賞」はありませんので、ぴったり「10000」という数字でなければなりません)
6/1日版
6月3日(木)は、私の38才(あれ?37才でしたっけ? 実は、自分の年齢がよくわかりません)の誕生日です。娘は、ずいぶん前から「誕生日プレゼント」と称して、私に画用紙や折り紙で何か製作してくれているようですが、いったい何をくれるのでしょうか?
ちなみに、昨年の誕生日には、当時4才の娘から、なぜか「キノコの絵」を頂戴し、ありがたく仕事部屋に飾っておきました。「どうしてキノコの絵なの?」などと、決して尋ねてはならない雰囲気で、得意げにプレゼントしてくれました。
今年のプレゼントは・・・・・・「キノコの絵」以外ならば、何でも喜ぶつもりです。先日も、「プレゼントを空けてみたら、またキノコの絵だった」という悪夢を見て、うなされてしまいました(笑)。
5/21日版
今夜は、至急の仕事が山積みで大忙し(朝4時頃までには寝る予定)なのですが、やむを得ず更新です。「このあいだ更新したばかりなんだから、無理しないで後日にすればいいじゃないか」と思われるでしょうが、読者の皆様とぜひともShareしたい(分かち合いたい)、速報性を求められる嬉しい情報が2件到着しましたので・・・・・・
(1)日経にお勤めの親友、Tさんからのご連絡
********************
飯田先生、ご無沙汰しております。
お身体の具合はいかがでしょうか? 『生きがいの本質』を読んで以来、このことが最も気になっております。
実は、今頃になって恐縮ですが、今週月曜日発売の『日経ビジネス』5月17日号の書評欄(155頁)に、貴著の紹介が載りましたので、勝手ながらFAXにてお送りいたします。
先日、店頭で『生きがいのメッセージ』を見つけ、読み始めたところです。しばらく先生とはご無沙汰しておりますが、先生からのメッセージを本やインターネットを通じて入手できるため、常に先生のそばにいるような気がしています。いつも元気づけていただいて、ありがとうございます。
簡単ではございますが、別紙1枚とともにお送りいたします。
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・・・・・・『日経ビジネス』と言えば、日本を代表する経営誌であり、書店での市販は行わず、法人・図書館をはじめ、企業の管理職以上や研究者・学者などにのみ直販することによって、格調の高さを売り物にしていることで有名です。日本中の経営者や管理職の方々に多大な影響力を持つ、格調高いその書評欄で、私の著書を取り上げてくださるとは、何と光栄なことでしょう!
さてさて、気になるその中身は・・・・・・
新刊の森: 『生きがいの本質』 飯田史彦著、PHP研究所
豊かな人生のための発想転換
社会の中で人間が生き、行動する活力の源は「生きがい」だろう。筆者は、このような視点から人の生きがいについて独自の研究をする経営学者。既刊の『生きがいの創造』『生きがいのマネジメント』に続く完結編だ。
家庭のトラブル、病苦や障害、仕事の挫折、学校でのいじめ・・・。人は時に、生きる張り合いを失い、親が自分を生んだことを怨んだりする。だが、もし人間が自らの意思で、生まれるべき場所を選んで生まれてくるのだとしたら、人生の意味は変わってくる。
筆者は、幼児が往々にして誕生以前の記憶を持っており、彼らが共通して「自ら親を選んでその母胎に宿り、生まれてきた」と言う事例に注目する。そして、われわれはみな自らが成長するために、あえて病気や失敗といった課題を自分に課して誕生してくるのだと説く。どんなに不幸に思える人も、みなそうした課題を解きながら、「順調」に人生を歩んでいるのだ、と。
生前の記憶、魂の不滅、前世の縁など、その論調は神秘めいてもいるが、筆者の主眼は、人生を前向きに発想転換させることにある。考え方ひとつで、人の心は救われる。現代人にとっての「癒し」とは何かをも考えさせる本だ。
・・・・・・何という、ありがたいお言葉でしょう! あの、色々なメッセージがテンコ盛りに入っていてゴチャゴチャしている『生きがいの本質』を、限られた字数で見事に整理・要約し、本書の「本質」を言い当ててくださっています。この書評をお書きくださった方は、きっと、相当な力量をお持ちの、「書評のプロ」として熟練した方でいらっしゃるに違いありません。(そもそも、あの『日経ビジネス』の書評欄を任されるほどの方ですから、そのくらいの力量は、当然のようにお持ちでいらっしゃるはずですが・・・)
しかも、いわゆる「書評」としては、異例なほど高く評価してくださっている論調であり、「その論調は神秘めいてもいるが、筆者の主眼は、人生を前向きに発想転換させることにある」と、本書の内容を嫌うであろう「食わず嫌い」の人々に対して、誤解を解こうとするお言葉までくださっています。この一言で、どれほど多くの方々が、本書への「悪い先入観」を捨ててくださることでしょう。
さらには、「考え方ひとつで、人の心は救われる。現代人にとっての「癒し」とは何かをも考えさせる本だ」とまで、言いきってくださるとは・・・・・・。
きっと、この方は、本書の書評を依頼されて、どのように論評してよいやら、相当お困りになったはずです。日本は何しろ唯物論の国ですから、私の著書などに高い評価を与えるかのような書評を載せてしまうと、唯物論の読者から多数の抗議が寄せられてしまう危険性があるためです。
私は、この評者と『日経ビジネス』編集部の勇気に、ひたすら感謝するのみでした。日本企業・日本社会の未来は、このような良識と勇気にあふれる方々がいらっしゃる限り、まだまだ捨てたものではないかもしれませんね。
(2)書籍評論家、Oさんからのご連絡
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前略 このたび、私が書評を担当しております『週刊大衆』(5月10日号)に、同封の書評を載せました。貴著は、本誌の読者層のような人々にはそぐわないとおっしゃるかもしれませんが、だからこそ私は、本誌の読者層にこそ、貴著を読んで欲しいと思っております。 草々
ノンフィクション: 生きがいの本質 (飯田史彦、PHP研究所)
思い通りにならないからこそ価値がある!
書名から受けるイメージは、なんだか、とても難解な本のように感じられるかもしれない。ところが、これが実にやさしく、わかりやすく書かれているのである。
著者は国立福島大学の経営学を専門とする先生。近年、著者は生きがいについて想いをめぐらし、『生きがいの創造』『生きがいのマネジメント』を出版、多くの読者から圧倒的な支持を受けている。
本書の冒頭に、3歳と4歳になる幼児の話が載っている。それは母親が、その子供たちから話を聞いて驚き、著者に送ったものだ。そこでは小さい幼児たちが、生まれる前のことを鮮やかに記憶しており、生まれる前の楽しかったことを話している。
著者はそこから、生まれる前の楽しく素晴らしい環境を捨ててきて、なぜ「思い通りにならない人生」に生まれてきたのかを考察するのだ。そして得た考えは、わざわざ「思い通りにならない」状況を体験すること、そこから「思い通りにならないからこそ価値がある」という仮説を引き出し、それを価値観(ものごとのとらえ方)として人生を考えるのだ。
だれでも思い通りに生きたいと思うだろう。しかし、ほとんどの人は、その反対だ。そこに、どういう意味が隠されているのか。大変難しい世の中、本書を読めば、それこそ思いもよらぬヒントが出てくるかもしれない。
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・・・・・・何と、ありがたいご紹介なのでしょう! 恥ずかしながら、『週刊大衆』という雑誌は、広告で目次の見出しを見たことがある程度でしたが、まさに誌名にふさわしい読者層に対して、その読者層のニーズに適合した記事を届けて支持を得ている、という印象でした。上記の『日経ビジネス』とは正反対といってもよい、まさに「一般大衆」を徹底的に意識した編集姿勢には、そのプロ意識に頭が下がります。
そのような徹底した目的意識を持つ媒体であることを重々認識しながらも、この評論家の方が自ら、「だからこそ私は、本誌の読者層に、貴著を読んで欲しいと思っております」とおっしゃってくださることに、私は深い敬意を表し、心から感服するのです。ふだん、大学教官の本などに目もくれないであろう方々に対して、だからこそ、ぜひとも『生きがいの本質』を薦めたいとおっしゃってくださること・・・・・・私にとって、これほど光栄なお言葉があるでしょうか。
この方がおっしゃるように、『生きがいの本質』は、一部のインテリ層の方々のために書いた本ではなく、まさに社会の大部分を占める一般大衆・民衆の方々を激励し、勇気づけるために書いたものです。私自身、絵に描いたような「一般庶民」の出身なので、常に、一般庶民の視点から考察し、論述したいと思っています。その意味で、私は、「経営学者」として『日経ビジネス』の書評をたいへん光栄に思い、その一方で、ひとりの「人間」としては、『週刊大衆』の書評の方を、より強く光栄に思うのです。Oさん、本当にありがとうございます!
・・・・・・今夜は、仕事が山積みであるにもかかわらず、読者の皆様と上記のお手紙を分かち合いたかったため、つい長文の更新になってしまいました。これで、4時に寝るどころか、ほぼ徹夜になりそうです。さて、これから、明日締切りの仕事に取りかかります!
5/7日版
あっという間に、ゴールデンウイークも終わってしまいましたね。
私は、5月2日から4日までは、広島から遊びに来た新婚の弟夫婦を案内して、自家用車であちこちを回りました。2日は、吾妻スカイラインから裏磐梯高原へ抜けて、五色沼や雄国沼を巡り、大自然を満喫(するはずが、人ごみにうんざり)。3日は、早朝に出て蔵王の御釜をのぞいてから山寺(山形県・立石寺)に登り、松尾芭蕉が「しずかさや(しずけさや?)・・・」のセミの句を詠んだ現場を堪能(するはずが、人ごみにうんざり)してから、福島郊外の穴原温泉のホテル吉川屋へ。4日は、喜多方へ向かって名物のラーメンを食べ、会津若松の歴史博物館をじっくりと見学(するはずが、人ごみにうんざり)。かくして、何とか、渋滞の列を横目に「抜け道」を走り回って、旅のコーディネーター兼運転手の責務を果たし終えました。親友の加藤さん(福島県郡山市を代表するシティ情報誌「こおりやま」の編集長)から「お薦めの店」をたくさん教えていただいたおかげで、人ごみにうんざりしながらも、充実した旅になりました。
5日は、子供の日。5才の娘の要望に応え、以前から約束していた駐車場のおもちゃ(娘は、女の子のくせにミニカーで遊ぶのが大好き)を買ってやり(しかし実際に支払ったのは、おばあちゃんである)、和菓子屋で柏餅を買って帰宅し、家族でささやかな祝宴をあげました(ところで子供の日って、子供の成長をお祝いする日でしたよね?)。娘にとって、一番のプレゼントは、私が長時間遊んでやったことのようです。
このようにして、四方八方に奉仕しているうちに、ゴールデンウイークも終了。本日、久しぶりに大学へ出てみると、「休んだツケを支払え」とばかりに、溜まっていたお手紙・FAX・留守電の山でした。今後、7月末までは、週末や祝日でさえも講演や学会でびっしり埋まっており、休める日がありません。今から、夏休みを心待ちにしている、不謹慎な教師の私です。
4/30日版
しばらく全くヒマがなく、深夜に帰宅してバッタリ倒れ込んで寝てしまっていましたので、10日ぶりの更新になりました。
世の中は、いよいよゴールデンウイークですね。私の予定は・・・・・・広島から、新婚の弟夫妻がやってくるので、天気が良ければ、福島県が誇る(べつに誇ってないか?)一大リゾート景勝地、「裏磐梯から吾妻スカイライン」あたりをドライブして案内する予定です。特に、福島西インターチェンジから出て吾妻山に登っていく「磐梯吾妻スカイライン」は、超おすすめ! 絶景です!
ついでに足を延ばして、盛岡(福島から高速で3時間)に「わんこそば」を食べに行こうか、それとも、秋田(高速で4時間)の「キリタンポ鍋」がいいか、新潟(高速で2時間)の「わっぱ飯」にすべきかなどと、いろいろ空想しながら楽しんでいます。
旅の楽しさは、行き先やスケジュールを検討している時が、ひとつのピークですよね。もう少し、決定してしまわないで、いろいろ思い浮かべて楽しみたいと思っています。
皆様も、素敵なゴールデンウイークをお過ごしくださいね。
福島方面(東京から東北自動車道で3時間)においでになる方は、裏磐梯か吾妻スカイラインのどこかで、お会いしましょう!!
4/20日版
5才の娘が風邪をひいて熱を出してしまい、今日は、大学のゼミナールを終えしだい自宅に直行し(とは言っても大学から自宅までは車で5分程度ですが)、とりあえず近くの小児科に連れて行きました。幸い、深刻な風邪ではないということで、一安心。この時期の福島は、昼間はシャツ1枚だけでも良いくらい暑く、夜になるとコートを着てもおかしくないほど冷え込むので、風邪が流行するのです。「お風呂に入りたいよ〜」と騒ぐ娘をようやくなだめて、ベッドに寝かせました。
新刊『生きがいのメッセージ』(著書紹介のページ参照)の発売まで、あと一週間です。「過去の生きがい論シリーズと同じく、たいていの書店に並びますよね」とのご質問をいただくことが増えてきましたが、私自身には、さっぱりわかりません。なぜなら、今回は、PHPではなく徳間書店からの出版ですし、私の書き下ろしではなく編集書なので、書店も売れ行きの予想がつかないだろうからです。PHPの営業力は、ビジネス書に関してはたいへん優れているので、これまでは同じシリーズだということで、目に付きやすい位置に平積みで置いてくださることが多かったのですが、今回は徳間書店なので、過去の3冊と同じくらいの数を仕入れて目に付く場所に置いてくださるとは限りません。これまでのシリーズとは、全く別ものとして扱われる可能性も高いのです。どこか目立たない場所に1冊だけひっそりと入荷、などという書店が多いかもしれませんので(徳間書店さん、間違っていたらごめんなさい!)、まず店員さんに尋ねてみてくださいね。
そう言えば、最近まれにみる怪奇現象を発見! 福島市の、某「ビブレ書房」という小さな書店では、これまでに私の本は置いてくださっていなかったのですが、つい最近になって、突然、『生きがいのマネジメント』が山積みに入荷していました(ちなみに、この小さな書店のお客様は中高生がほとんどで、ビジネス書が売れるような書店ではなく、雑誌とマンガが大部分を占めています)。しかし、1年以上も前の本を入荷させておきながら、新刊『生きがいの本質』は、いまだに1冊もありません。しかも、『マネジメント』以外の周囲の本は、みな最近出された新刊なのです。新刊に混じって、なぜ突然に今ごろ『マネジメント』が? 仕入れ担当者の方、いったいどうして?
他店でビジネス本ランキングの上位に入っている私の本を入れないで、1年以上も前に出した古い本(当然ながらもうランキングには入っていません)を、突然に山と積むとは、いったい・・・・・・あまりにも特異なマーケティング戦略なので、経営学者の私には理解不能です。女子高生たちの冷たい視線を浴びるばかりで、全く売れる気配がありません。このまま、1冊も売れないで消え去ってしまうという、あまりにも不憫な生涯が予想され、その不可思議さに、涙も出ません。
だからといって、お店の人に、「なぜ?」と質問する勇気も無い私です。・・・・・・もしかして、仕入れ担当者の方、出版社に出す注文書に、書名を間違って書きませんでしたか? そして、そのまま間違って入荷し、何の疑問も感じないままで山積みになっているとすれば・・・・・・ああ、何と恐ろしいことでしょう!
4/15日版
本日は、大学で担当する「人事管理論」の第一回目でしたが、学生たちに混じって、私の講義に「密航」なさっている方々を発見!
そのうちのお一人は、「おじさんから頼まれたんですが」と、私の講義をカセットテープに録音しても良いかどうか、確認に来られました。ご事情をおうかがいしたうえで、「どうぞ録音なさってください」とお返事しましたが、一応、大学の規定により、大学内での録音・撮影には事務官あるいは教官の許可が必要ですので、必ず事前に申し出てくださいますようお願いいたします。
福島は、夏が暑くて冬が寒いため、「冷暖房完備」と皮肉られるほどの、盆地特有の気候です。京都大学から赴任して来られた先生方だけは、「こんなの京都に比べりゃましだよ」と平然とされていますが、京都って、それほど「冷暖房完備」なのでしょうか?
この時期、昼間と夜間との気温差が激しいですから、どうか風邪など召されませんようお気をつけくださいね。
3/24日版
今夜は、ようやく、ちょっぴりパソコンをいじる時間ができました。ほかのページ、超多忙のため、なかなか更新できないで、ごめんなさい。しかし、着々と、ほかの建設中のページも、更新の時が近づいています。もうちょっとです。もしかすると、次回には・・・・・・
世の中は、春休みですね。私はと言えば、ここ数日、福島〜(新幹線+寝台特急)〜広島〜(寝台特急)〜東京〜(新幹線+在来線)〜渋川(伊香保)〜(新幹線)〜東京〜(在来線+私鉄)〜横浜〜(新幹線)〜福島と、『生きがいの本質』の講演で飛び回っていました。特に、寝台特急を往復で使って広島まで「日帰り」というのは辛かった・・・・・・何しろ、もと鉄道少年であった私にとって、寝台特急に乗って眠ってしまうことほど「もったいない」ことはなく、ついつい目を真っ赤にしながら、朝まで、車窓を流れる景色に見とれてしまうものですから。
しかも、明日もハード・スケジュールです。私用休暇を取って大学を休み、福島の自宅〜(自家用車)〜福島駅〜(新幹線)〜仙台駅〜(バス)〜仙台空港〜(飛行機)〜小松空港〜(タクシー)〜小松駅〜(特急列車)〜金沢駅〜(快速列車)〜七尾駅〜(お迎えの車)〜講演会場(福祉施設)と、何と8種類もの交通機関を乗り継いで能登半島の七尾まで行き、着き次第、ほとんど休む間もなく2時間半の講演を行わなければならないのです! どこかでミスをしたり、どれかの交通機関が乱れたりすると、もう講演の開始時刻には間に合いません。スリルとサスペンス一杯の、インディー・ジョーンズの映画のような紙一重の乗り継ぎスケジュールです。さて、見事に間に合うでしょうか?
今や、関西地区(伊丹空港)や博多(福岡空港)に行くのも、ほとんど福島空港(自宅から自家用車で片道90分)を利用して日帰り(早朝に発って午後に講演して夜の便で帰宅)です。いつも、このような乗り継ぎばかりして東奔西走しているのでは、身体を壊してしまうのも、当然ですよね・・・・・・平穏な「余生」は、いつ訪れてくれるのでしょうか?
3/16日版
現在、早朝の3時・・・・・・デニーズ(ファミレス)南福島店で仕事(原稿の下書きと校正)を終え、自宅に戻ってきたところです。私は、時おり、深夜から早朝にかけて、デニーズに入り浸って仕事をします。私を見つけるために最も手っ取り早い場所、それが深夜のデニーズです。男がひとりで深夜のデニーズにいる光景は、それはそれは寂しいものです。しかし、本人は真剣です。集中して仕事をせねば、家に帰ってベッドに転がり込むことができません。「自宅でやればいいじゃないか」とおっしゃる方も多いでしょうが、我が家は、私の仕事部屋の机のすぐ後ろにベッドが置いてあるため、仕事にうんざりすると、ついついベッドに横になってちょっと休憩・・・・・・のはずが、朝になって(正午になって)しまうことがたびたびあったのです。そこで、弱い自分に喝を入れるためには、ベッドから遠く離れなければなりません。デニーズにたどり着き、「こんなにお金と時間を使ってしまったからには、仕事をせねば・・・・・・」と、罪悪感の極地へと自らを追い込むことによって、はじめて仕事がはかどるというわけです。
本当は、コーヒーだけで何時間も粘りたいのですが、それではデニーズのお姉さん(教え子であることも多いのでコワイのですが)に失礼なので、気弱な私は、いつも何かもう一品頼んでしまいます。コーヒー一杯で何時間も居座ることのできる人を見ると、うらやましいばかりです。定番は、雑炊&コーヒーなのですが、たまに疲れていると誘惑に負け、「白玉あずき」を追加してしまうことも。ちなみに、なぜデニーズかといえば、私の家から「通える」範囲内の24時間営業のファミリーレストランが、福島にはデニーズ一軒しかないためです。他のレストランを無視しているわけではありませんよ。
3/8日版
2月24日にOPENして以来、12日ぶりの更新です! もっと早く更新したいと思っていたのですが、日本各地を飛び回っており、久しぶりに今夜は自宅でゆっくりしています。昨日は、またかなりの雪が降りました。一昨日は、深夜1時前に思い立って車に乗り、目的もなく雪山を見に行きました。土湯温泉から箕輪スキー場を経て裏磐梯へと抜け、湖沼群の間を走り、真夜中の草原で車を止めてのんびりしてから、自宅には4時頃に戻って来ました。
本日は、産経新聞社の記者が取材に来ました。4月初旬に、私の「生きがい論」シリーズを紹介する記事が載るそうです。(ボツ記事にならなければの話ですが・・・・・・)
明日は、久しぶりに自宅でのんびりできる予定なので、今から楽しみでワクワクしています。とは言っても、仕事は山積みなので、「一日中自宅にこもってパソコンに向かう」というのが正確な表現なのですが・・・・・・
1999年2/24日版
ついに、念願のホームページを公開いたしました。ご来場、どうもありがとうございます。
何しろ、パソコンの専門家に相談したわけではなく、すべてゼロから(もちろん作成ソフトは使っていますが)自分で作っていますので、稚拙な内容でゴメンなさい。むしろ、その素人っぽさを、お楽しみいただけましたら幸いです。
私の著書の読者は、「お買い上げくださった方々の数」+「人から借りてお読みくださったであろう方々の数」を考えると、おそらく、少なくとも日本で100万人以上はいらっしゃると推定できます。そのうち、パソコンが使用可能な方で、しかもインターネットを活用なさっている方は、どのくらいになるのでしょうか? 私の著書の読者層は、おそらく7割が女性で、しかも主婦が過半数を占めると思われますので、このホームページをのぞいてくださる方々は、意外に少ないのではないかという気もします。
正直なところ、このホームページは、いつまで開いておけるかわかりません。私が元気で生きているうちは、数日から2週間くらいの間(平均1週間くらい)で、内容を更新する予定です。時々、のぞいてみてくださいね。
生きているうちに、きっと、どこかでお会いしましょう!
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