自己紹介をさせていただきます



注: ここは、フレンドリーな自己紹介に「ワハハ」と笑うページです。
公式のお堅い自己紹介は、「光の学校」HP(こちら)の中にある、
「光の学校とは?」のページをご覧くださいね。


      

( まだ20代、熱血教師ムード満点の頃の私と、その後30年以上を経た、現在の私との対比 ) 



《 30代前半、『生きがいの創造』初版を発表した頃の私 》








 2020年2月の時点では、作家、音楽療法家、経営心理学者として存命中。

 1962年6月3日の早朝に、広島県竹原市の山下産婦人科医院で、母・頼子のもとに、今回の人生の修行へと足を踏み入れた。高校の英語教師をしていた父・輝男は、歴史が好きであったため、「史彦」と命名。その際に、「たらちねの 愛する歴史のロマン追い 史彦と名付けむ 幸あれや」という句を詠み、短冊に記した。その短冊は、現在でも私の書斎に飾ってあり、私の宝物である。

 その後、竹原小学校、竹原中学校を経て、広島県呉市の呉三津田高校へと進学。竹原市の自宅から、JR呉線に乗り毎日2時間以上をかけて、高校へと通った。進学先を迷っていると、胃ガンに冒されていた祖父が、「天皇陛下のお膝元へ行け」と私に言い残して死去。私には何のことやらさっぱり意味がわからなかったが、高校の日本史の先生に聞いたところ、「それは学習院大学ではないか」との助言があり、祖父の言葉の意味が判明。迷わず上京する決意を固め、志望校を変更して、学習院大学経済学部に進学。


 大学在学中は、中学・高校の教師を目指して勉強するが、暗記力が乏しいため、片っ端から受けた教員採用試験に全て落ち(そのため今でも私は中学・高校の先生方を尊敬いたしております)、仕方なく、たまたま推薦基準に達していたので大学院修士課程へと進学。そのまま、ずるずると博士課程へと進み、ある時に超常現象(詳細は、著書『生きがいの創造 Ⅱ』として発表)を体験したことがきかけで、以前から興味を抱いていた「人間の価値観」について、研究を始めようと決心する。


 やがて、東京の人ごみに嫌気が差し、地方への赴任を希望。「雪の降るところに住みたい」と願い、国立福島大学経済学部の教官採用試験に応募。書類・論文審査と面接試験ののち、運良く、「人事管理論」担当の助教授として採用していただいた。その後、何度もクビになりかけるが(?)、そのたびに不思議な力が働いて、何とか持ちこたえる。2005年に、福島大学経済経営学類の教授に昇進。
その間、ロンドン市立大学大学院客員研究員、東北大学大学院経済学研究科&会計学研究科の講師、筑波大学大学院経営システム科学の講師を兼任するなど、経営学者として、地味ながらも、それなりに活躍。

 経営学の教授職と並行し、メンタルヘルス・マネジメントの専門家として、日本各地で、自殺防止と終末期医療を主としたボランティア&チャリティ活動を展開。講演会は、12年間で600回を超えた。また、「いのち作家」として30冊以上の著書を発表しながら、「音楽療法家」としても、200名~1700名のホールで、ギターの引き語りによる自作自演曲の「トーク&ライヴ・コンサート」を、全国各地で30回ほど開催。

 しかし、2005年12月末に、突然の脳出血に見舞われて、生死の境をさまよう。救急車で運ばれ、「手術があと30分遅かったら死んでいた」という危機的状況の中、なんとか助かったが、その際に、いわゆる「臨死体験」を経験(詳細は、著書『ツインソウル』として発表)。脳出血後は、幸いにも大きな後遺症は残らなかったが、しばしば脳に鈍痛があり、原因不明の体調不良に襲われることが増えた。
 このような体調問題に加えて、臨死体験時に正体不明の「まぶしい光」たちからいただいた、「誰の、いかなる悩みでも、飯田自身が、ゆっくり時間をとって、無料でカウンセリングを行う」という使命を実現するため、勤務校の福島大学に対して、2009年3月末で教授職の辞職を申し出た。


 2009年8月には、社会奉仕施設「光の学校」を設立し、光たちからいただいた使命に基づいて、1時間程度のカウンセリングを完全無料で提供するなど、様々な画期的試みを実現している。(2012年3月に、京都に移転。約10年間で、2000名以上の方々に、完全無料のカウンセリングを提供)

 音楽療法家としても、2009年には、500名~1700名のホールを回る「朗読劇&音楽療法コンサート」全国ツアーを、福岡・札幌・名古屋・大阪・東京で開催。さらに、2010年には、東京・下北沢の有名な劇場「北沢タウンホール」にて、「朗読劇ミュージカル ~光からのメッセージ」3公演を開催。そして2011年には、佐賀~東京ディズニーリゾート(クラブ・イクスピアリ)~世界遺産:白川郷~軽井沢(万平ホテル)~東京・立教大学~横浜・赤レンガ倉庫と巡る、音楽療法コンサート・ツアーを開催。その後も、ゲーテ座(横浜)、池坊短期大学こころホール(京都)、サローネ・フォンタナ(東京)、宝塚音楽学校旧校舎講堂(宝塚市)、サントリーホール・ブルーローズ(東京・六本木)などで、気が向いたら(笑)コンサートを行っている。さらに、東京の九段教会(プロテスタント)、大阪の阿倍野教会(カトリック)、奈良の奈良教会(プロテスタント)でも、教会や福祉組織から依頼されたチャリティ・コンサートを開催。

( 私の音楽については、こちらをご参照ください )

 趣味は多く、「歴史」と「大自然」と「温泉」を中心にした旅行(一部の離島以外はほとんど縦横無尽に訪れた)、音楽鑑賞(古今東西のクラシック、和洋ロック&ポップス、フォーク、ヘヴィメタルから演歌まで、何でも聴く。誰かのファンというよりも、「良い曲」を捜すのが楽しみである)、楽器演奏(主にクラシック・ギター、トロンボーン)、スポーツ鑑賞(ワールドカップの年だけ燃えあがる)、登山(高い山ではなく、ハイキングやキャンプが好き。幼少の頃から、ボーイスカウトに入っていたためである)、生け花(池坊の皆伝免許を持っているが、今は正月に松竹梅を生ける程度)、絵画鑑賞(印象派絵画にはかなり詳しく、国内外の様々な美術館を訪れて実物を鑑賞した)、北海道の牧場に馬を見に行くこと(このホームページのどこかで詳しく書いてあります)、尊敬するジャイアント馬場さんの世界に浸ること(武道館にも良く行きました。ご冥福をお祈りします。アントニオ猪木さんも好きですよ)、そして、職業柄、もちろん読書も(古典小説、歴史小説、紀行文学、本格物の推理小説が大好き)。京都に移住して以降は、宝塚歌劇も好きになり、我ながら驚いている(笑)。

 なお、たまたまこのホームページにまぎれ込んで来た方々のために付け加えておきますと(笑)、私は、一般的には、20年ほど前から始めた「生きがい論」シリーズ(おかげさまで、200万部を超えるベストセラーにしていただきました)の著者として認識されております。

( 私の著書については、こちらをご参照ください )


 今後も、様々な社会福祉活動を、密かに展開してまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。