飯田史彦と巡る パリの3大美術館 & モン・サン・ミッシェル ( ユーロスターで行くロンドン1日観光付き )



《 第3巻 》3大美術館& ヴェルサイユ宮殿


本日も早起きですが、ベッドに横になった記憶さえ無いほど爆睡したためか、
あるいは旅の興奮のためなのか、意外なことに、頭はすっきり。

ホテルの自室の窓から、外を見上げると、
気持ち良く晴れ渡っているではありませんか!





ご機嫌になった私は、さっそく、朝食会場へ。

 

 


今朝は、シェフさんに頼んで、「オムレツ」を作ってもらいましたよ。

昨日の朝も迷ったのですが、昨日は、どうせモン・サン・ミッシェルで、
名物のオムレツを食べる予定があったので、オムレツは避けておいたのです(笑)。


 


皆さん、時差ボケも治ってきて、元気にバスに乗車。
ガイドさんも、本日は、美術館巡りに備えて、2名体制となります。


 


街角の各所で見かける、目立つビキニ女性の看板・・・

ずいぶん古風な感じなので、気になってガイドさんに尋ねてみたら、
「ああ、あれは、見ての通りで、新作ビキニの展示会のポスターですよ」
と、当たり前のような普通の表情で教えてくれました。

パリではこうして、各種衣装の展示会が、頻繁に行われるのでしょうか?
さすがは、ファッションの都・・・





セーヌ川の向こうに、目指す建物が見えてきましたよ。
そう、まず訪れるのは、ルーヴル美術館です!





これが、ルーヴル美術館の入口の内部。
開館と同時に、観光客の波が押し寄せています。


 


私たちも、イヤフォンガイドの装置を着用して、準備は万全。




「モナリザはこちらです」と、丁寧に教えてくれる看板も発見。





モナリザ方面に歩いていくと・・・

おや? これは、確か、きわめて有名な石像だったはずですが・・・

「絵画」の予習ばかりしてきたので、「彫刻」にまで手が回りませんでした(涙)。





ほかの展示物には目もくれず、ひたすら「モナリザ」方面へと進軍。






すると・・・

おや? この人だかりは?





も、もしかして・・・




おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「モナリザ」が!!





「モナ・リザ」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)



絵画史上、最も有名な作品で、1503〜4年頃に制作。
画家自身にとっても特に重要な作品であったらしく、最晩年まで、離さずに手元に置いていた。

この絵が画期的だった理由は、一切の筆跡を残さない、スフマート(ぼかし技法)による見事な表現である。
レオナルドによって考案された、この技法(輪郭線を用いないで陰影のみによって対象を表現すること)は、
完成までに膨大な時間と手間がかかるという。

また、背景の表現に使われている「空気遠近法」も、
遠くのものは近くのものよりも、ぼやけて見えるという事実を、絵画に応用したものである。


ドイツのハイデルベルク大学図書館は、所蔵する1477年印刷の古書の欄外余白に、
フィレンツェの役人が150310月に記した、
「レオナルドは、(富豪商人フランチェスコ・デ・ジョコンドの妻である)リーサ・デ・ジョコンドの肖像など、
3点の絵画を、現在、制作している」という書き込みを発見し、
「モナ・リザのモデルはジョコンド婦人である」と結論。
「モナ・リザ」という通称は、「貴婦人リーサ」という意味である。

ところが、2010年、イタリア文化遺産委員会のビンチェティ委員長は、
モナリザのモデルは、「弟子のジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)であり、
師レオナルド・ダ・ヴィンチと弟子サライは同性愛的関係にあった」という説を発表。
記者会見で、「モナリザの瞳の中に、両者の頭文字のLSが記されていること」を、その根拠とした。

この主張に対し、ルーヴル美術館は、
「木の板に描かれている作品の経年変化により、絵画表面には無数のひび割れが生じている。
このひび割れの形状が、過度の憶測のもと、文字であるかのように見えてしまう可能性がある」と反論した。


なお、モナ・リザに「まゆ毛」が描かれていないことが、
大きな謎であると同時に、この絵の神秘的な魅力の大きな源泉となっている。

しかし、2007年、フランス人技術者パスカル・コットが、
「超高解像度カメラによる調査の結果、もとの絵には、まゆ毛が描かれていた痕跡が見つかった」と発表。
「おそらく、長年の間に重ねられた過度の洗浄修復のせいで、年を経るうちに、
まゆ毛が消えてしまったのではないか」と推察した。

それが真実ならば、この絵を名画にしている神秘性の大きな源泉が失われ、
「リーサ夫人であれ弟子サライであれ、とにかく実在の人物を描いた普通の肖像画」
にすぎないことに、なってしまうが・・・(涙)


 


「モナリザ」の横で警備する係員さんたちは、
とてもフレンドリー。

こんな素敵なお仕事ならば、ぜひ、私も就職したいものですねぇ。





フランスの美術館は、たいてい、写真を撮り放題なのだそうですよ。

日本では、たいてい、「カメラ」を持っての入館や撮影は禁止されるうえ、
私の場合、夏に「うちわ」を持っての入館を、何度も禁止されてしまいました。
(係員に理由を尋ねたら、「うちわで絵を傷つけてしまう恐れがある」とのこと!)





旅の仲間たちも、「ええっ? 撮っちゃってもいいんですか!?」と、大喜びで撮影。

ただし、後で感想を尋ねてみると、
「写真を撮るだけで満足してしまい、自分の目で見るのを忘れてしまいましたぁ!(涙)」
と、うっかり者の自分に、大ショックを受ける女性も・・・





ガイドさんに連れられて、近くの部屋に移動してみると・・・




おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「民衆を導く自由の女神」が!!


 


もちろん、制作したのは、歴史に残る名画家「ドラクロワ」!




「民衆を導く自由の女神」(ウジェーヌ・ドラクロワ)


ロマン主義の巨匠、ドラクロワの代表作。
ダヴィッドに代表される「新古典主義」がデッサンを重視し、緻密さを売り物にしていたのに対して、
新たな「ロマン主義」を唱えながら、ドラマティックな物語性と効果的な色彩表現を追求した傑作である。

国民の支持を失った国王シャルル10世が、
言論の自由を奪う勅令を出したことが引き金となって1830年に起こった、「7月革命」を題材としており、
その歴史的価値を考慮して、のちにフランス国家が買い上げた。

やがてフランス国旗を構成する色となる、「自由」「平等」「博愛」の意味を持つ
「青・白・赤」(トリコロール・カラー)の旗を掲げる女神・・・

その正体は、しばしば誤解されるが、
1400年代に生きた実在の人物「ジャンヌ・ダルク」ではなく、あくまでも想像上の「自由」の象徴である。
ただし、女神の顔は、画家ドラクロワの当時の恋人にそっくりだという説も・・・

同胞の死体を乗り越えて前進するという、
自由を求める民衆の力強さと過酷さも生々しく描いており、
女神の左側、シルクハットをかぶっている男が、ドラクロワ自身であるという。





お土産屋さんに、心惹かれながらも、
のんびり過ごす時間のない我々は、館内を高速移動。





すると・・・

あれ? もしかして、これほどの大きな絵は・・・





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、

「ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」が!!





絵の巨大さに、圧倒されながら見上げるしかありません。




もちろん、制作したのは、歴史に残る名画家「ダヴィッド」!




「ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」
(ジャック・ルイ・ダビッド)


新古典主義の巨匠:ダヴィッドの代表作。
1804
年にパリのノートルダム大聖堂で行われた、ナポレオンの戴冠式の様子を描く。
ルーヴル所蔵作品の中で2番目に大きく、縦6.3m、 横9.3m

中央のわずか右で、妻ジョセフィーヌに冠を授けているのが、ナポレオン。
冠を授ける行為は、位の高い者から低い者に対して行われるため、
本来はナポレオンがローマへ出向いて教皇を訪ねるべきなのだが、
ナポレオンはローマ教皇をパリまで呼び寄せたうえ、
自分で自分の頭に冠を置き、妻にも自分で授けたという。

ローマ教皇ピウス7世は、ナポレオンの背後から、人指し指と中指をかざして、
ナポレオンとジョセフィーヌへの祝福を示している。

190名を越える登場人物は、ほぼ等身大で描かれ、見分けがつくほど詳細に描き分けられている。
みな豪華な衣装を身に着け、画面全体が華やかさで満ちており、
中央には、実際には出席していないナポレオンの母も描かれている。
ナポレオン自身も、この絵を大いに気に入ったという。

この絵の見どころは、何と言っても、目を見張るような巨大さと緻密さである。
当時は「写真」が開発されていなかったため、「絵画」が唯一の「視覚的記録媒体」であった。
ナポレオンは、当時最高の写実画家であったダヴィッドに依頼することにより、
後世まで、自分の偉大さを、視覚的要素を駆使しながら語り継がせようと目論んだのである。

(つまり、この絵を鑑賞して目を見張る私たちは、200年の時間を超えて、
まんまと、彼の作戦に、はまってしまっているわけであるが・・・笑)





ナポレオンとジョセフィーヌの部分を、拡大してみると・・・




細かい部分まで、きわめて緻密に描かれていることに、驚愕するばかり!!




ガイドさんに連れられて、さらに奥へと進軍!



廊下の窓からは、美術館の中庭を見下ろせます。




開館して間もないので、入口から遠いこの部屋にまでは、
まだ、人がたどり着いていないようですよ。

(警備員は座っていますが)貸し切り状態で、
何とラッキーなのでしょう!




皆が群がっているのは、もちろん、歴史に残る名画家「フェルメール」の作品!




おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「天文学者」が!!





「天文学者」
(ヨハネス・フェルメール)



フェルメールは、17世紀のオランダを代表する巨匠。
彼の真作とされる総作品数は、わずか30数点しかなく、
所有者が売りに出す可能性は無いと予想されるため、彼の絵は、値段が付けられないほど高価。


まるで「写真」ではないかと見間違うほどに精緻な、
フェルメールの素晴らしい表現技術の結晶が、この「天文学者」である。
絵の具の厚みを感じさせない、ため息が出るほど繊細な画面を、穴が開くほど見つめていただきたい。

また、ガウンに見られる、複雑な「ウエット・イン・ウエット」
(水が乾かないうちに必要な色を塗り加える水彩画の技法)による描写や、
タペストリー上部に散乱する「光の粒」の描写は、
フェルメールの画期的な表現法として知られている。


テーブル上の天球儀と、天文測定に関する著書『星の研究と観察』によって、
ここに描かれている人物が、「天文学者」であると判明する。

開かれているページは、『星の研究と観察』の第三章であり、
「神からのお導きによって、天文学者は真実を追究する」という内容が記されている。
したがって、この絵は、「知識と科学」の象徴を描いていることがわかる。


ちなみに、1940年には、ナチス・ドイツ軍がフランスに侵攻し、
パリのホテルから、この絵を押収した。
ナチス(つまりヒトラー)は、なぜか、この絵に対して、異常なほどの興味を抱いていたという。
そのため、絵の裏面には、ナチスの所有物を意味した鉤十字が、黒いインクで刻印されている。

第2次世界大戦の終結後に、この絵は元の持ち主に返還され、
1983
年に、遺産相続税の一部現物税として、フランス政府に納められた。
これ以来、フランス国家の自慢の宝物として、ルーヴル美術館に展示されている。





見てくださいよ、この精緻すぎる描写!! (゚o゚;)




そして、その隣に展示されているのは・・・




おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「レースを編む女」が!!





「レースを編む女」
(ヨハネス・フェルメール)



「レースを編む女」は、フェルメールの代表作のひとつであり、
きわめて高度な技巧的表現や描写手法によって、後世の芸術家から絶大な支持を受けている。
偏屈者で知られる前衛芸術家のサルバドール・ダリでさえも、この絵を絶賛したという。


ある評者によると、
「綿密に描かれる女性の手元、うなづく顔面の繊細な光彩表現、
特徴的な粒状の光の描写などが特筆に値するだけでなく、
本作において観る者を最も惹きつけるのは、
白い三本のラインが入る青い針山から垂れ下がる赤糸と白糸の、驚くべき表現方法にある」
とのこと。


また、手元のレースに焦点が当たっており、そこを中心に画面が光で覆われているため、
絵を鑑賞する者の目も、ごく自然に、女性の指先に集中していくのだそうである。
その高度な計算に唸(うな)ってしまうほど、考え抜かれた巧みな構図である。





この部分が、後世の画家たちからも絶賛されている、糸の描写。

※ こうして間近で見ると、かなり表面が傷んでおり、
この名画がたどってきた歴史の、長さと重さを感じさせます。





ルーヴルの名画たちを見終った後は、
各自、お土産を買ったり、カフェで一休みしたり・・・





実のところ、今回のルーヴル滞在中に、
数々の名画を押しのけて、私が最も心を奪われてしまったのは、
入口ホールの天井に大きく掲げられていた、この作品の写真・・・

いつの時代の、どの地域の誰の作品か知りませんが、
妻や上司などから、こっぴどく叱られて、
しょんぼりと反省している、夫や部下の姿に、そっくり(涙)。

その表情と姿勢の描写の巧みさに、思わず、涙してしまいます・・・





さて、気を取り直して、バスは、セーヌ側の対岸に移動。




セーヌ川クルーズの船たちを眺めながら、
我々は、オルセー美術館に到着。





これが、オルセー美術館の外観。
もとは、列車が発着する「オルセー駅」だったそうですよ。







入館時の持ち物検査は、ルーヴルよりも、はるかに厳重。

(それなのに、作品の写真は、自由自在に取り放題!)





かつては駅だっただけに、大きな時計がシンボルマーク。




いざ入館してみると・・・

なるほど、かつて、ここには、
長いホームとレールがあったことが、想像できますね。





さて、皆が群がっているのは・・・

もちろん、歴史に残る名画家「ミレー」の作品!





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「落穂拾い」が!!





「落穂拾い」
(ジャン・フランソワ・ミレー)



ミレーは、19世紀のフランスで活躍した、写実主義の画家。
農民を主人公にした絵画を数多く描き、今では、農民画家の巨匠として世界的人気を誇る。
この「落穂拾い」は、ミレー屈指の名作として知られる。

1858年に発表された本作は、
「収穫後の農地に落ちて残った稲穂を、食料として拾い集める」という、
貧しくもたくましい農民の姿を、写実的に描いている。
「落穂拾い」という行為は、最下層の農民が、収穫後の小麦畑で許される権利であった。


ミレーは、「働くことの尊厳とその美しさ」を描くために、
何枚ものスケッチを描いて、研究を重ねたという。

前景の「腰を屈めた辛い労働を強いられる下級農民」と、
遠景の「豊かな積み藁(わら)に象徴される裕福な地主」が、
明示的かつ対照的に描かれており、社会派としての問題意識を語っている。


また、赤や青の被り物や、白いシャツなどの色彩の配置とバランスの妙が、
広大な大地を描く全体の色調と相まって、心にしみる田園風景を生み出している。






そして、その隣に目を向けると・・・



おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「晩鐘」が!!





「晩鐘」
(ジャン・フランソワ・ミレー)



かつて、アメリカ政府に購入され、
公開されると同時に、ミレー・ブームを巻き起こしたという作品。
キリスト教の伝道とともに、明治時代の日本へも紹介され、
わが国でも広く知られることになった。(後にフランス政府によって買い戻された)


夕暮れ時、農作業をしていた夫婦は、
遠くに聞こえる教会の鐘の音を合図に手を休め、敬虔な祈りを捧げる。

自らも信仰の厚い農家に生まれ、
両親を助けるため幼少時から畑に出ていたミレーの記憶から生まれた風景であり、
額に汗して働く農民に対する、彼の深い愛情の証しだとされている。


巧みな構図や効果的な光の表現を駆使しながら、
貧しい農民の日常の姿を、「素朴でありながらも崇高な存在」として見事に描き出した、
これぞ、奇跡の名画。






さて、その次に、皆が群がっているのは・・・

もちろん、歴史に残る、あの作品でしょう!





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「羊飼いの少女」が!!





「羊飼いの少女」
(ジャン・フランソワ・ミレー)



暮れを前に、羊の群れを連れて帰るのも忘れて、
一心に編み物をする、愛らしい少女・・・
実は、モデル役を演じたのは、ミレーの娘である。

うつむき加減で編み物をする少女のポーズと、
暖かそうな厚手のショールに赤い帽子という可愛い服装は、
鑑賞する者を、思わず微笑ませる。


わずかな旅費が工面できないために、
母の死に目にも会えなかったほどの、貧乏画家であったミレー。

しかし、この作品から伝わってくるのは、
貧しい農民生活の厳しい現実ではなく、牧歌的な田園生活の素晴らしさである。

発表したとたんに、民衆から絶大な支持を受け、
当時50歳を目前にしていたミレーを、一気に国民的画家にまで祭りあげたという、
これぞ伝説的名作である。





こうして間近で見ると、この作品も、かなり表面が傷んでいます。
この名画がたどってきた歴史の、長さと重さを感じさせますよねぇ。

しかし、目の前で実物を見つめるからこそ味わえるのが、この感動・・・
(綺麗に撮影された美術本の絵からは、この傷は発見できませんからね)






お土産屋さんに、心惹かれながらも、
のんびり過ごす時間のない我々は、館内を高速移動。





そして、皆が群がっているのは・・・

もちろん、歴史に残る名画家「マネ」の作品!





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「草上の昼食」が!!





「草上の昼食」
(エドゥアール・マネ)

印象派の先駆的画家、マネの名を一躍有名にした、
きわめて挑戦的な、歴史的問題作である。

挑発的すぎる本作は、当然ながら、
伝統的な美術展(サロン)から完全に無視・拒絶され、審査に落選。
しかも、落選作品を集めた「落選展」で民衆に公開されたとたん、
批評家や新聞記者を含む来場者のほとんどから、
「堕落しきった恥ずべき作品」と、猛烈な批難を浴びせられた。


なぜなら、それまでの絵画における「裸婦」は、
みな「人間ではない女神」として描かれており、
「人間ではないからこそ、裸の姿でいることが許される」というのが、
(実に詭弁ではあるが)美術界の約束事であった。

しかし、マネが本作で描いた、
「脱いだ衣服をそばに置いている、決して理想的体型とは言えない裸婦」の姿は、
明らかに、「女神」ではなく、「生身の人間の女性」に違いないのだ。


裸体の女性のムチムチの肉体と、左下に脱ぎ捨てられた衣服は、
観る者に、「これは神話の女神ではなく人間の女性の裸体である」と主張しており、
伝統的絵画観に縛られた当時の人々に、激しい嫌悪感を抱かせた。


つまり、本作に歴史的価値を与えたのは、
これまでの「芸術性を感じさせる神話的裸体表現」とは決定的に異なる、
「人間の女性の現実的な裸体表現」を、初めて堂々と採用したことである。


また、日本から伝来した「浮世絵」の影響を受けたという、
奥行き(遠近法)を無視した平面的な彩色表現や、
伝統的な遠近法を無視した構図も、当時は理解されなかった。


このような、伝統への挑戦的な行為は、マネ芸術の根幹であり、
後の「印象派」らの画家たちと通ずる、新しい思想や表現であった。

つまり、「旧来の伝統への挑戦」というテーマを感じさせるマネの作品の登場によって、
大いに刺激を受けた無名の若者たち(モネ、ルノワール、ドガなど)が、
その後に「印象派」と名乗る新時代の絵画を創造したわけであり、
マネこそが、西洋絵画の歴史を変えた張本人であると言っても過言ではない。


ただし、マネ自身は、伝統の破壊は目的としておらず、
純粋かつ大まじめに、「新しい表現方法」を追求しただけなので、
世間から「破壊者」として批判を受けるたびに、
ガックリ落ち込んでいたという(つまり、べつに女性の裸を描きたかったわけではないのだ)。

その証拠に、マネ自身は、決して「印象派」の展覧会には出品しようとせず、
その後もずっと、伝統的な旧来の美術展(サロン)に入選しようと頑張ったのだ。
誠に、皮肉なものである・・・





ガイドさんに連れられて、どんどん進軍していくと・・・




皆が群がっているのは、もちろん、歴史に残る名画家「ドガ」の作品!




おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「舞台のバレエ稽古」が!!




「舞台のバレエ稽古」
(エドガー・ドガ)


印象派の巨匠、ドガの代表作。
1874
年に開催された、記念すべき第1回の印象派展に、モネの「印象・日の出」などと共に出品。

本作で描かれるのは、大勢のバレエの踊り子たちが、
それぞれの個性を発揮しながら、舞台上で稽古する姿である。

人工的な光彩による光の効果の探求や、計算し尽された独自性の高い構図など、
当時において最先端の実験的画法が展開されている。

モノクロームの色彩で画面全体が支配されており、鑑賞者は、
繊細な陰影や光の効果を、明確に感じることができる。

人物構成においても、踊り子らの感情豊かな表情や仕草、
しなやかで自然的な運動性などが強調され、さまざまなドラマを感じさせる。

舞台の袖から舞台上を見ているかのような、独特のドラマテイックな視点で描かれる構図も、
きわめて斬新な動画的試みであり、これらのすべてが、絵画の歴史に新時代を切り拓いた。

 特に注意すべきは、画面中央の右寄りで、
向かって右へと手を上げて踊っている、少女の動きの美しさ、しなやかさである。
今にも動き出しそうな動画的描写は、単なる「静止画」を超えたドラマティックな表現媒体として、
「絵画」という媒体に新たな次元を切り拓いた。

まさに、「天才」の仕業である。






細部を拡大してみると、当時は無名だった若き天才・ドガによる、
「最大限の視覚効果を狙った表現法・描画法」の巧みさが、
明確に浮かび上がってきます。

つまり、
「絵を見る人が立つであろう、ほどよい距離」から鑑賞した時に、
最も理想的な視覚効果(躍動感・臨場感)が生まれるよう、
あの手この手で、巧妙な工夫が仕掛けられているのです。

実際には、試験的なデッサンを何度も繰り返しながら、
かなりの時間をかけて、表現法・描画法を綿密に練り上げたという、
意外な「努力家」でもあった、ドガ。

もともと「天才」の彼が、さらに「努力」まで惜しまないのですから、
そりゃ当然のように、大傑作が誕生するわけですな・・・





さて、今度は、その向こうの部屋で、皆が群がっているのは、
もちろん、歴史に残る名画家「モネ」の作品!





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「日傘の女」が!!





「日傘の女」
(クロード・モネ)



印象派を代表する巨匠、モネの傑作のひとつ。

この「印象派」とは、19世紀後半に、
パリで伝統的なアカデミー(公的な芸術院)と対立した画家らによる、
革新的な芸術運動のことである。

陽光の輝きを探求するために戸外で制作を行ったり、
日常生活を「心象」そのままに表現しながら描画したり、
細く小さな筆致によって絵具本来の質感を生かした、
「色彩分割」という描画方法を用いることを特徴とした。

印象派の代表的な画家は、
モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ゴッホ。


次に示すのは、「印象派」の名前の由来となった、モネの「印象、日の出」という作品。
発表当時に評論家から、「風景ではなく印象しか描いていない」、
「描きかけの壁紙にも劣るほどの完成度の低さ」などと揶揄(やゆ)され、
なかなか買い手も現れず、わずか210フランで落札(涙)。

http://iidakenkyusho.jp/4werdtf.jpg

この作品が公開されるまでの「風景画」は、まるで写真のように、
「目に見える現実の風景を、いかに正確かつ美しく描写するか」という技術を競うものであった。

しかし、クロード・モネは、
単なる「目に見える現実がどのようなものであるかという風景画」ではなく、
「目に見える現実の風景が、自分の脳においてどのように知覚・解釈され、
心の中でどのような『印象』を形成したかという風景画」を発明し、堂々と公開。

モネ自身が「印象」と名付け、評論家から、
「絵の名前の通り、風景ではなく印象しか描かれていないため、
風景画としては未完成であり、描きかけの壁紙の方がマシだ」と笑われたことを契機として、
「印象派」という新たなジャンルが生まれたのである。


絵画の概念と表現方法に革命を起こす、画期的な発想を理解できない評論家たちに対して、
「だって、僕の心には、このような風景として映ったんですから!」と、
敢然(かんぜん)と言い放つ、無名時代の若きモネの雄姿が、目に浮かぶようである。

実際には、展覧会は大失敗に終わり、世の中からは無視され、
周囲からは袋叩きにされ、極貧の悲惨な生活から抜け出すアテも見失って、
さすがのモネも落ち込んだそうだが・・・


その後、この「印象派」というジャンルは、
モネの同志であるルノワール、ドガ、セザンヌらによって確立されていき、
当初は「美術界の本流から外れた、無名で未熟な若者たちの群れ」としてバカにしていた世の中の人々も、
しだいに、「描画過程に画家独自の心理解釈を持ち込む」という手法の素晴らしさに、気づいていった。

現在では、「印象派」の絵画は、世界中で大いに愛され、
最も多くの人々から「鑑賞してみたい」と望まれ、
何百億円という値段が付くまでに、評価が高まっている。

(実際には、印象派の有名作品を売ってしまう持ち主など現れないため、
取引が成立せず、「値段が付けられないほど高価」だとされる)


そのモネの代表作の一つである、対になった2枚の絵、
「左向きの日傘の女」「右向きの日傘の女」に描かれるのは、
画家の友人、オシュデ夫妻の三女で、当時18歳であったシュザンヌ・オシュデ・・・
陽光が射し込み、人物と渾然一体となる風景との融合が、革新的手法で見事に表現されている。

また、「左向きの日傘の女」に描かれる女性は、
目・鼻・口などがヴェールに隠れ、輪郭のみで顔が構成されている。
これは、1879年に死去した妻、カミーユを想う画家の心情が表れたものだという。


まさに、「写実」ではなく、
「心というフィルターを通した対象」を描く「印象派」だからこそ可能となった、
画期的表現であると言えよう。





そしてまた、皆が群がっているのは、
もちろん、歴史に残る名画家「セザンヌ」の作品!





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「りんごとオレンジ」が!!





「りんごとオレンジ」
(ポール・セザンヌ)



近代絵画の扉を開いた後期印象派の巨匠、セザンヌを代表する、静物画の傑作。
単に「果物の絵」のように見える本作の中に、世界の絵画史を変えた大事件が潜んでいる。
事実、セザンヌ自身が、友人に、「リンゴでパリを驚かせたい」と語ったそうである。

本作では、絵の対象を写実的(客観的)に描くのではなく、
対象から感じられる雰囲気や内面を多角的に分析し、
伝統的な遠近法的表現を無視した独自の手法を用いることにより、
「現実では決して見出すことのできない造形美」を表現している。


現実には、この絵のように積まれた果実の山は、物理的法則によって崩れるはずだが、
画家が熟慮を重ねて構築した堅牢な画面構成により、奇跡的なバランスを保っている。

さらに、重厚ながら明瞭なリンゴの赤色とオレンジの橙色は、
画面の中で明確な存在感を示し、果物が醸し出す生命力を強調している。
また、果物の下に白布を敷くことによる色彩的対象性や、
果物の本質に迫るかのような強く大胆な筆触も、果物の生命力を高めている。


これらの高度な技法によって、単なる「果物の絵」にすぎない一枚の作品が、
世界の絵画史を変えた大事件となったのである。
ピカソに代表される後世の有名画家たちが、セザンヌを「師」として尊敬する理由のすべてが、
この単なる「果物の絵」に込められていると言えよう。

 生前には、その革新性が全く理解されず、
売れない画家として、失意のどん底にあえいだセザンヌ・・・
今では、彼の1枚の絵が、
最高307億円(カタール国の王室が購入)もの値段がついているとは・・・

「なぜ、生きているうちに、その3070分の1の値段でいいから買ってくれなかったのか!」
というのが、彼の魂の本音でしょう(笑)。





名画の数々に酔いしれた我々は、
おシャレなカフェに、ため息をつきながらも、
時間がないため、またもや高速移動。





すると、なぜか、照明を暗〜くしてある、不気味な一室が・・・




その部屋の真ん中で、皆が群がっているのは、
もちろん、歴史に残る名画家「ゴッホ」の作品!





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「ゴッホの自画像」が!!





「自画像」
(フィンゼント・ファン・ゴッホ)


印象派の画家、ゴッホによる、最も有名な自画像作品。
1889年の5月から、脳神経の発作により、
画家自身の希望で精神病院に入院していた時代の9月頃に制作。

この頃の彼は、自室のほかに制作部屋が与えられるなど、
比較的自由な入院生活の効果により、精神状態は安定していた。
それでも、本作で表現される画家自身の姿からは、客観的に自己分析された、
自分自身の異様な精神的内面を感じ取ることができる。


やや斜めに構え、白いシャツと上着を着た、
ゴッホの上半身が描かれる本作・・・
その最大の特徴は、青い渦巻き模様のような、背景の描写にある。

有名な「耳切り事件」(精神錯乱により自ら耳を切った)を起こすなど、
度重なる神経発作による不安と苦悩に満ちた感情が、
あたかも蒼白い炎となり、うねりながら燃え立つような渦巻き模様として、
生々しく表現されている。


 その後、病状が悪化し、自ら拳銃で命を絶った、ゴッホ・・・

生前には全く評価されず、絵も売れない無名の貧困画家にすぎなかった彼が、
その死後にウナギ昇りの評価を受け、
今では1枚の絵に最高170億円(日本人の社長が購入)もの値段がついているとは・・・

「なぜ、生きているうちに、その1700分の1の値段でいいから買ってくれなかったのか!」
というのが、彼の魂の本音でしょう(笑)。





予定の作品を鑑賞し終えた我々は、
ようやく、土産物屋さんに突入!





美術館の外に出た、私の旅の仲間たちは、
美しいセーヌ川を背景に、思い出作りに励んでおりました。





またもや、バスに乗車して、今度はパリの郊外へ。




気品あふれる、美しい街でバスを降りると・・・




そこは、昼食会場のレストランでした。




ワインとビールは、6ユーロ(700円程度)だそうですよ。

まあ、日本で飲んでも、そんなものでしょうか・・・
(なにしろ、いかにも高級そうなお店ですからね)





まず、正体不明の物体が出て・・・




次に、骨付きチキンと、フライドポテトのメイン料理。




そして、デザートにフルーツという、シンプルな構成。
しかし、ランチですから、私にとっては、これで充分でしたよ。

実は、最初に登場した正体不明の物体が、いちばん美味でした(笑)。





それなりに満足しながら、お店を出て、
ガイドさんに導かれつつ、2〜3分ほど歩いていくと、
そこには・・・






おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「ヴェルサイユ宮殿」が!!







さっそく、中に入ってみると・・・










これらの写真たちをお見せするだけで、
もう、言葉による描写は不要ですよね。









この御方が、ヴェルサイユ宮殿を建設した、ルイ14世。

そう、世界史の教科書にも載っていた、

「朕(ちん)は国家なり」
(私こそが、国そのものである)

という「絶対王政」宣言で、有名な王様です。





世の中の所帯持ちの男性諸氏も、ルイ14世を見習い、
家庭の中において、

「朕は主人なり!!」

と高らかに宣言するまではいかなくても、せめて、

「あのねぇ、一応、僕は君の夫なんだけど・・・」と、

最低限の発言権くらいは与えてもらいたいものですよねぇ(笑)。






まるで金太郎アメのように続く、絢爛豪華な部屋の数々に、
いい加減、ウンザリしてきた頃・・・

ようやく到着したのが、最も豪華な「鏡の回廊」! (>_<)





しまった、あの「オスカル」の衣装を、忘れてきた!(涙)

この回廊を、オスカルの衣装で悠然と歩いたならば、
「ぜひ一緒に写真を!!」と、
大人気になったこと、間違いなしですね(笑)。





窓からは、宮殿の正面(正門)の方向が、よく見えます。




これが、王様が眠っていたベッド。(実物ですよ)

 


王様は、このテーブルで、食事をなさったそうですよ。




王妃のリビングに置かれているのは、
ピアノ以前に弾かれていた、チェンバロのような鍵盤楽器。




そして、これが、王妃が休んだベッドです。
あの「マリー・アントワネット」も、使ったのでしょうか。





トイレの案内看板には、12種類もの言語が・・・

こう見ると、日本語(カタカナ)というのは、
シンプルで便利な道具ですよね。
(ただし、地味で目立ちませんが・・・)





土産物屋さんには、さまざまな本が並び・・・

 


子供用のドレスまで、売っていますよ。




もちろん、フランス名産の、「香水」の数々も・・・




王や王妃のフィギュアも、子供たちに人気です。
(人形の世界でも、地位が上がるほど、値段も上がるんですよ)





「ヴェルサイユ宮殿」は「教会」ではないのですが、
なぜか、ゴスペル・コンサートの案内も。





豪華すぎる宮殿に目がくらみ、金銭感覚がマヒした頭を抱えながらも、
バスがパリ市街に戻ると、現実世界に引き戻されます。





革命が起き、マリー・アントワネットが処刑された、
コンコルド広場でバスを下車。

あれほど豪華な宮殿に住んでいた王妃が、この広場で、
多くの民衆の目にさらされながら、ギロチン台に登ったとは・・・





その広場の横に位置しているのが、
本日3つめの美術館、「オランジュリー」。

もともと、オランジュ(オレンジ)の農園があったそうですよ。







オランジェリー美術館に入ると、さっそく、
ジベルニーの自宅の庭で、自分が造らせた日本式庭園の太鼓橋に立つ、
クロード・モネの写真が!





そして、この美術館の「睡蓮の間」に飾る、
全長90メートルにのぼる長大な絵の数々を仕上げて、
嬉しそうにたたずむ、86歳のモネ。

(この直後に、光の世界に戻っていかれました)





モネの生前の姿に感銘を受けながら、
その奥に広がる部屋に入ってみると・・・




おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「睡蓮の間」が!!




「睡蓮の間」(クロード・モネ)


この美術館は、1930年代に、モネの「睡蓮」を展示するための会場として建てられた。

モネは、自身の集大成ともいえる「睡蓮」という作品に強いこだわりを持ち、
展示する場所から展示方法までを、自分自身で指定した。
展示する美術館は、自然に囲まれた環境でなければならず、光も自然光を使うよう主張した。


その「睡蓮の間」は、2つの円形の部屋から成り、
4
枚ずつ計8枚の絵が、全長90メートルにわたって展示されている。

それぞれの絵には、「朝」「緑の輝き」「雲」「沈む太陽」「明るい柳の朝」
2つの柳」「柳の朝」「木の輝き」と、個別のタイトルがつけられている。


第1次大戦後、フランスを代表する大画家として世間に認められていたモネは、
国家に「睡蓮の大装飾画」を寄贈することにした。
すでに年齢は80を超え、白内障を患いながら、
わずかに見えるジベルニーの自宅の睡蓮の池から届く光を描いたのが、
この「睡蓮の間」の絵である。

失明の危機にあった最晩年のモネは、
自らの芸術の命ともいえる「光」を失う恐怖と闘いながら、
水面にきらめく光と睡蓮の花が織りなす微妙なニュアンスを、何度も何度も繰り返し描いた。


モネは、この作品を執念で描きあげた直後、
1926年12月に、この世を去った。

睡蓮の間では、モネが最期まで筆を入れ続けた大作が、
やさしく弧を描く壁面に溶けるかのように、効果的に飾られている。


 印象派を起こした初期から中期にかけては、
批評家からバカにされ続け、絵が売れずに借金と貧困にあえぎ、
最初の妻も再婚した妻も息子も病死するなど、大試練・大逆境に苦しんだモネ・・・

しかし、「印象派」の素晴らしさが世の中に理解され、
絵が飛ぶように高値で売れるようになった晩年には、
親友ルノワールの死という悲しみをもバネにして、
「本当に描きたいものだけを自由自在に描く幸せ」を、ようやく手に入れたのである。

めでたし、めでたし!! \(^o^)




全長90メートルにのぼる絵の壮大さに、
人々は放心状態・・・







これだけ、絵の質が高くてスケールも大きいと、
「どこを見れば良いのかわからない」のではなく、
「どこを見ても絵になる!(笑)」と、笑ってしまうしかありません。









どうせ写真には収まりきらないのが明らかなので、
かえって、「自分の目でしっかり見ておこう」という気になります。









東大寺の大仏や、パリの凱旋門など、巨大な作品というのは、
見た目のインパクトが大きいので、子供にも偉大さが伝わりますよね。





何か所か、見どころの部分を拡大してみると・・・






当然のことではありますが、
サイズが大きいからと言って、テキトーに描いたわけではなく(笑)、
細部までこだわりながら、考え抜いて描き込んだことがわかります。







おや? 左端に見える、おじさんの後ろ姿は・・・




「睡蓮の間」を満喫したあとは、
地階に降りて、他の大作家たちの名作を鑑賞。





おや?

こ、この作者名は、もしや・・・





思わず小さな歓声を上げて、皆が我先にと群がったのは、
もちろん、歴史に残る名画家「ルノワール」の作品!





おお! \(◎o◎)/

かの有名な、「ピアノを弾く少女たち」が!!


 


「ピアノを弾く少女たち」
(ピエール・オーギュスト・ルノワール)



印象派の巨匠、ルノワールの作品の中でも、最も愛されている絵のひとつ。

同じ1892年に、そっくりの構図で描かれた、もう一つの作品がオルセー美術館にあるが、
本作では背景が細かく描かれていないことから、
まず本作を描いたうえで、オルセー版を完成させたものと思われる。


したがって、一般にはオルセー版の方が知られているが、
2人の少女の顔が近くに寄りそっている点や、過度に美麗な表現を取らない抑制された色彩表現により、
本作(オランジュリー版)の方を好むマニアも多い。

実際に、オルセー版を完成させた後に、ルノワール自身も、
「派手に描き込みすぎたなぁ」と述べたそうである(笑)。

流動的で大ぶりな筆触によって表現される、
少女たちの愛らしい表情や頭髪、衣服の動き、柔らかい肌の質感などの描写は、
まさに、「私は、見る人を幸せにする絵を描きたい」と述べた、ルノワールの思想を具現化している。

その意味でも、この絵こそが、
「見れば幸せになれる絵」の代表格であることは、間違いない。
生涯にわたり、「絵によって人を幸せにする方法」を追求したルノワールを、
心から賞賛しながら、この絵を鑑賞させていただこう。





目の前数センチまで近寄って、じ〜っと見つめてみると・・・




晩年のルノワールが到達した、
「絵は、それを見る人々を幸せにするための道具」という境地が、
見事に表現されていますよね。






歴史的名画とされる1枚の絵の後ろには、
その絵が描かれた時代や場所、そして画家の人生や人間関係など、
奥深い背景と意図(動機や価値観)が潜んでいます。

したがって、それらを「予習」しておくことにより、
その絵の鑑賞から得ることのできる価値が、100倍にもなるのです。


予備知識を何も知らないで見ると、絵の表面に描かれているものしか見えず、
「好きか、嫌いか」「面白いか、つまらないか」といった、
単純で主観的な基準によって、その絵を評価してしまうだけで終わります。

そのため、自分の好みや興味に合わなかった絵は、
すぐに忘れてしまい、時間と労力の無駄になってしまうのです。


しかし、絵に関する知識を充分に予習してから見ると、
「なぜ、その絵が歴史的名画として評価されているのか」という、
客観的基準を併用しながら鑑賞できるため、どのような絵であっても、
個人的な好みを超えて、「それを鑑賞した価値」を充分に得ることができるわけです。

もちろん、「解説がなければ理解できないような絵は、絵として失格」という考え方もあります。
しかし、絵という表現手法が「画家の意図を伝達する媒体」であるからには、
その背景や社会的評価を知ることによって、画家が1枚の絵に込めた深い意図を、
格段に深く理解できるようになることは、間違いありません。

絵画の鑑賞って、めっちゃ楽しいでしょ?(笑) (^^)



そういえば、今回のオランジュリー訪問で、なぜか、
最も私の目を引きつけたのが、
ルノワールの名作である、この一枚。

いやぁ、実に、いいもんですよねぇ・・・ (^o^)

(何がどう良いのかについては、あえて語りませんが・・・笑)





お目当ての絵画をすべて鑑賞後は、当然ながら、お買い物。




美術館を出ると、自転車タクシーの運転手さんたちが、
まったく客が来ないため、暇を持て余して雑談中。






さあ、この後は、

ピアノ・リサイタル 〜 ユーロスター乗車 〜 ロンドン観光と、
楽しい展開が、怒涛のようにやってきますよ。

どうぞ、お楽しみに!!




《 第4巻 》に続く(ここをクリック)