古い価値観やこだわりを捨てること。それが、僕に与えられた課題だった。その壁を乗り越えることなくして、次のステージには進めないことがわかっていた。
職場では、思いどおりにならないことが次々と発生した。
不安、怒り、イライラ、嫉妬、征服欲、支配欲、絶望、孤独。様々なネガティブな感情が湧き上がり、襲いかかってきた。
このところ、カッパくんは何かと忙しくしているらしく、姿を見せなかった。シローさんも最近は、なんだかとてもそっけない。
僕は、自分のネガティブな感情を、どう処理すればいいのか全くわからなかった。誰かに、僕の内面のドロドロしたものを全て打ち明けて、吐き出してしまいたかった。しかし、カッパくんも、シローさんも、話を聞いてくれそうにない。僕は、完全に一人だった。孤独だった。
ネガティブな感情は次々と湧き上がり、僕の頭の中を支配しようとする。
そもそも僕は、特別な才能も力も持っていない。孤独でちっぽけな存在に過ぎないのだ。
誰かを救いたいなんて、大それたことを考えるな。宮崎さんを助ける?――そんなのおまえには、そもそも無理なことだったんだよ。さっさと逃げ出してしまえ。そもそも、おまえの言うことなんか、誰も聞いてはくれないだろう?――おまえはダメなんだよ。
自分自身を罵倒する声は止むことはなく、僕は完全な深い闇の中に迷い込んでいた。
こんな時、先生ならどうされるのだろうか?――僕は久しぶりに、先生のご本を読んでみることにした。先生のご本は何冊も出ている。僕は、その中でも一番のベストセラーとなった、分厚い一冊を手に取った。
仕事帰りのグリーン車の座席でテーブルを出し、分厚い一冊をその上に置いた。後半の方のページを開き、先生の過去の言動の記録の文字を追った。書かれた文字の一つ一つを追う。あえて、書かれている内容を吟味することはしない。ただ文字を追うだけだ。懐かしい感覚が、天高くから降りてくる。そして、僕の体全体を、すっぽりと包みこんだ。
懐かしい感覚の中で、僕はなおも読書を続ける。ご本に書かれている文字を、ひたすら追っていく。意味を考える必要はない。ただ、その文字たちを、頭のてっぺんからつま先まで、体の中に通していけばいい。
時々、本の中身を離れ、空想の世界に入る。いつの間にか、先生との旅の思い出がよみがえってくる。
大屋根リングの上から、エレベーターに乗って降りてこられた先生。その先生を、皆で出迎えた。先生は、空の車椅子を押しながら、ゆっくりとエレベーターから出てこられた。
「海へ向かう」という先生に従って、僕らが歩いた先には、確かに海が広がっていた。
大屋根リングの高い天井の下を歩く先生。その横にはMさん。車椅子の女性と娘さんの姿がある。僕らは、その後ろから、ゾロゾロとついて歩いた。
僕らは、あの時、何を期待していたのだろう。目の前で先生が奇跡を起こす姿を、目撃したかったのか?
先生は、目に見えるような奇跡は起こされなかった。先生は、ただ目の前の御方に寄り添い、献身的に支えているだけだった。
その一つ一つの行為は、一粒の小石ほどの大きさしかないように見える。しかし、積み上げられた小石の山は巨大だ。
僕らは、その美しい独立峰を、今、目の前で見ている。その幸運に恵まれている。これを奇跡と言わずして、何を奇跡と呼べばいいのか。
僕の乗った電車は、いつの間にか、降りる駅の手前まで来ている。僕は本を閉じて、鞄にしまう。座席を立って階段を下り、出口に向かう。
明日も会社に行って仕事をしよう。僕は失敗してしまうかもしれない。それでもいいじゃないか。いや、今すぐ逃げ出してしまえよ。そのプロジェクトは、そもそもおまえがやるべき仕事じゃなかったのだろう?
僕は迷っていた。迷い続けていた。それでも進まなくてはならない。なぜなら、僕の本当の旅は、今、始まったばかりだからだ。
9月23日
秋分の日を境に、僕の住む街は急に秋めいてきた。
僕は久しぶりに散歩に出かけた。三鷹駅前の酒屋で美味しそうな日本酒を仕入れたついでに、玉川上水に沿って井の頭公園に向かう。賑わう公園の中を抜けて、吉祥寺駅まで歩くことにした。
歩きながらずっと、先生のご本の朗読CDを聴いていた。だけれど、ご本の内容はなかなか頭に入ってこなかった。代わりに、会社での仕事のことを考えていた。
6月から始めた特別プロジェクトは停滞していた。数字上は彼の残業時間は減ってはきていたが、抜本的な改善には踏み込めないままだった。彼の協力が得られなかったからだ。
そもそも、このプロジェクトは、僕が勝手に宣言して始めただけで、何の権力もないのだ。僕の上司だって、僕が宮崎さんの手伝いにかかりっきりで、本来業務がおろそかになっていることに嫌な顔をし始めている。宮崎さん本人すら僕への態度は冷たい。
僕は、結局、誰かの役に立ちたいとか言いながら、誰からも求められていないことをしているに過ぎない。僕は一人よがりなだけで、誰からも必要とされない、ただの邪魔者なのかもしれなかった。
やはり、会社という場所が、僕のいるべき場所ではないのかもしれない。僕も誰かを助けたいなら、先生のように、自分のいるべき場所で人を助けなくてはならない。では、それがどこなのか?
僕には、正しい居場所がなかった。僕は、会社を去りたくても、去ることもできない。
「おまえの新しい居場所は、もう目の前にある。そこへ行くための最後の試練が、今、訪れているのだ」
突然、その声が聞こえてきたのは、僕が公園のベンチで休んでいる時だった。僕はベンチに座って、行き交う人々の姿を眺めながら、相変わらず、くよくよと仕事のことを考え続けていた。そこに突然、天から声が聞こえた。厳粛で、落ち着きのある、男性の声だった。僕は思わず空を見上げた。
それから、ふと左側に目を向けると、同じベンチの左端に年配の男性が座って、読書をしているのに気づいた。このベンチはゆったりしたサイズの二人掛けで、真ん中に鉄の手すりがあって仕切られていた。手すりの向こう側におじいさんが座っている。
全く同じ形のベンチが、見える範囲内だけでも、いくつかあった。その中には誰も座っていないベンチもあったのに、おじいさんはなぜか僕と同じベンチに座ったようだった。
このおじいさんは、いつの間に座ったのだろう。全く気がつかなかった。おじいさんは僕のことを気にする様子もなく、黙々と読書を続けている。僕はおじいさんのことをさりげなく観察してみた。
髪は白髪で肩近くまで伸びている。白い長袖のポロシャツに、ベージュのチノパンツ。髪は長いが、全体としては、こざっぱりとしている印象を受けた。お歳はどのくらいだろう?……深いしわが刻まれた横顔は、少なくとも八十代、もしかしたら、九十を超えているようにも見えた。
僕が横目でチラチラと観察している間も、おじいさんは膝の上で開かれた本に目を落としたままだった。
僕はおじいさんから目を離し、再び仕事のことを考え始めた。僕のプロジェクトは失敗するに違いない。僕はなぜ、こんなプロジェクトを自ら進んでやり始めたのだろう。誰に頼まれたわけでもなく、周りの人間は皆、むしろ迷惑そうにしているのに。結局、僕は誰からも求められない人間なのだ。僕の居場所はどこにもないのだ。
「おまえの新しい居場所は、もう目の前にある」
僕は、びっくりして横に座ったおじいさんを見た。おじいさんは、先ほどまで手にしていた本を、顔の高さまで持ち上げて手を伸ばし、背筋をピンと張っている。
「そこへ行くための最後の試練が、今、訪れているのだ」
おじいさんの朗読はそこで終わり、再び膝の上に本を置いた。
「あのう」
僕は、おじいさんに話しかけた。おじいさんは、何の反応もしない。耳が遠いのかもしれない。僕は、鉄の仕切りのぎりぎり、おじいさんの真横にまで移動してから、再び声をかけた。
「おじいさん! おじいさん!」
かなり大きな声で話しかけると、おじいさんは僕に気がつき、膝の上の本を丁寧に閉じてから、僕の方をゆっくりと見た。閉じられた本は、黒い革のブックカバーに覆われている。
「おじいさん、何の本を読んでいるのですか?」
僕は大きな声で、できるだけゆっくりと話しかけた。
「ああ、これのことかい?」
おじいさんは黒い革の表紙を手に取って尋ねた。僕が頷くと、おじいさんはこう答えた。
「これはのう、先生のことについて、書かれたご本じゃよ」
「先生!? 先生って、どなたですか?」
僕が思わず尋ね返すと、おじいさんは僕のことを、まるで珍しいものでも見るかのような顔で、じっと見つめてから言った。
「先生は先生じゃろ。先生言うたら、一人しかおられん。君は、まさか、先生を知らんのか?……そんなことはあるまい」
僕のことを、まじまじと見つめている。
「もしかして、それって」と、僕が言いかけた時、女の人の声が会話を遮った。
「土井さん! 土井さん!」
女の人が、そう言いながら、後ろから近づいてきて、おじいさんの肩をゆすった。おじいさんがゆっくりと振り向く間もなく、女の人はこう言った。
「土井さん、また、勝手にこんなところまで来て! もう帰る時間です。早く支度をしてください」
女の人はそう言ったあと、僕に少しだけ会釈をしてから、おじいさんを立ち上がらせ、連れていってしまった。僕は、おじいさんが女の人に支えられながら歩いていく背中を見守っていた。
二人が公園の角を左に曲がって姿が見えなくなると、僕は大きく息をついた。ふと、ベンチに視線を落とすと、おじいさんのご本が置きっぱなしになっているのに気づいた。
僕は黒い革の表紙を手に取って駆け出した。あの足取りなら、まだ遠くへは行っていないはずだ。二人の消えた角を曲がり、登り坂を駆け上がった。ここで分かれ道になる。視界は開け、遠くまで見渡せるが、二人らしき姿は見当たらなかった。
僕は元いたベンチに戻り、黒い革のご本を手にして、おじいさんが戻ってくるのを待つことにした。しかし、三十分経ってもおじいさんは帰ってこなかった。僕は諦めてベンチから立ち上がった。おじいさんのご本をそのまま置いておくのは忍びなく、持って帰ることにした。
ご本を鞄にしまおうとして、ふと思いつき、黒い革の表紙を開いてみる。おじいさんの連絡先が書かれているかもしれない。しかし、本の中には何も書かれていなかった。おじいさんの連絡先はもちろん、全てのページが真っ白だった。ご本だと思っていた黒い革の表紙の中身は、分厚いノートだった。
一か所、黒いひものしおりが挟まれたページがあり、そこにだけ文字があった。おそらくおじいさんの手書きなのだろう、丁寧な文字でこう書かれていた。
おまえの新しい居場所は、もう目の前にある。
そこへ行くための最後の試練が、今、訪れているのだ。
そうだ。僕は、今まさに、新しいステージへ進もうとしている。そこに行くための試練を与えてもらっているのだ。もう思い悩むのはやめよう。逃げずに立ち向かっていけば、必ず道は開ける。
僕の心は、急に静かになった。黒い革のノートをデイパックにしまい、ベンチの前を離れた。池に沿って歩き、公園の出口に向かう。
小さな石橋を渡っている時に、ふと誰かの気配を感じて、橋の上であたりを見渡す。シローさんの黒くて大きな瞳が、頭には浮かんでいた。
しかし、そこにシローさんの姿はない。左手には、静かに水の湧き出る井戸。右手には池。前後には、楽しげに行き交う、見ず知らずの人々の姿があるだけだった。
僕は、再びゆっくりと歩き始めた。夕暮れ時が近づいていた。
9月最後の週末
僕は、次の土曜日も井の頭公園を訪れ、おじいさんに会ったのと同じベンチで過ごした。鞄の中には黒い革のノート。もしおじいさんに再びお会いすることができたら、お返しするつもりだった。
朝8時過ぎにベンチに座った。向かい側のベンチには、愛玩犬を連れた女性たちが座っていた。お互いの犬を遊ばせながら、談笑している。
僕はスマホのメモ帳を開き、小説の執筆を始めた。書きかけの小説を頭から読み、流れを確認する。ところどころ、細かい手を入れながら読み進める。心の琴線に触れる部分に差し掛かると、目頭が熱くなる。涙を堪えてから、再び続きを読む。おぼろげながら、次の展開が見えてくる。頭に浮かんだ文章を、少しずつ文字にしていく。
気がつくと、向かい側にいた子犬の散歩中だった女性たちの姿はない。代わりに、子連れの若い夫婦が座っている。
僕は、あたりを見回してみる。おじいさんの姿はない。
ふと気になって、鞄の中を手探りで確認する。柔らかい黒い革の表紙が手に触れる。僕はそれを取り出す。改めて黒い革のノートを眺めていると、しおりのひもが二本出ていることに気がつく。
黒いひもと白いひも。今まで、白いひものしおりには気がつかなかった。僕は白いひもの挟まれたページをそっと開く。
その瞬間、白いページが眩しい光を放ち、僕は目が眩んで、思わず目を閉じる。ゆっくりと目を開くと、ページから放たれる光は小さくなり、文字が浮かんできた。
僕は、そこに書かれた文字をゆっくりと読み始めた。
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ジャンニとジオ
僕がジャンニと呼ばれていたのは、遠い昔のことだ。
その頃、僕は、小高い山の上にある、小さな村で暮らしていた。父さんと母さん。兄さんが三人と姉さんが二人いた。
全員が揃うと賑やかな大家族だったのだけれど、兄弟姉妹の中で僕だけ歳が離れていたせいで、日中は幼い僕一人だけが女中さんと一緒に家に残されることになった。父さんが手広く商売をやっていて、僕以外の家族は総出で商売の手伝いをしていたからだ。
女中さんがお休みの日には、隣のうちに預けられた。隣のうちには僕と歳の近い四姉妹が住んでいた。
四姉妹は、最初、僕のことを珍しい動物でも見るような目で見ていたのだけれど、次第に慣れ、ほどなく僕は彼女たちのおままごと遊びの一員として加わることになった。
僕は、お父さん役でも、お兄さん役でも、弟役でも、赤ちゃん役でも、言われるがままになんでもやった。そうすることで、四姉妹がとても喜んでくれることがわかったからだ。
四姉妹と遊ぶのはとても楽しく、次第に僕は、女中さんがいる日でも、お隣に遊びにいくことが増えた。
四姉妹の中で特に気が合ったのが、一番下のジオちゃんだった。彼女は僕と歳が一番近かった(後でわかったことだが、僕と彼女は全くの同い年で誕生日まで同じだった)のと、お互い末っ子同士ということで立場が似ていたせいもあると思う。
でも、それ以上に、最初からお互いに気持ちの通じ合うところがあった。
いつの頃からか二人だけで遊ぶ時間が増え、彼女のお姉さんたちが学校に通うような歳になったあとは、いつも二人でいるのが当たり前になっていた。
二人でいる時の一番のお気に入りの遊びは、石の教会の前にある広場を訪れることだった。
広場には大きな木が一本立っていて、僕たちは決まって、その木の下で過ごしたものだった。
教会からは時々、音楽が聞こえてきた。神父さんの演奏に合わせて、修道士のお兄さんたちが歌を歌うのだ。
歌声が聞こえてくると、僕たちは遊びの手を休めた。
大きな木の幹にもたれかかり、二人並んで座る。木の葉の隙間からは、木漏れ日が降り注いでいる。その中を、石の教会から聞こえてくる歌声が通り過ぎていく。僕たちはその歌声に、一心に耳を傾けた。
その時僕たちは、空から降ってくる暖かいものに包まれて、一つになっていた。
二人は、いつでも一緒だったし、いつまでも一緒にいるのだと思った。
それから一年が過ぎた。僕とジオは、相変わらず石の教会の広場に立つ、大きな木の下で過ごしていた。
僕たちは、教会から聞こえてくる歌声に合わせて、一緒に歌を歌うようになっていた。もう、歌詞をすっかり覚えてしまっていたからだ。
二人の声は一つになって、高い青空のその先まで届いた。僕たちの歌声を聴いて、おひさまが優しく微笑んだ。おひさまの微笑みが、光となって木の葉の間から降り注ぎ、僕たちを包んでくれた。
二人は、いつでも一緒だったし、いつまでも一緒にいるのだと思っていた。
それから、また何年かが過ぎ、僕は学校に通うようになった。朝早く出かけて、山の下の町の大きな教会の中にある学校に通う。学校が終わってから、山を登って家に着くのは、決まって夜の遅い時間になった。
学校のある日にはジオには会えない。それはとても寂しい。でも僕は、ジオの分までと、一生懸命に勉強をした。
学校が休みの日には、必ずジオに会って二人で過ごした。
僕が学校で教わったことをジオに教え、ジオからは村の出来事を聞いた。
石の教会から歌が聞こえてくると、一緒に歌った。
二人は、いつまでも一緒にいると、信じていた。
それから更に時が流れ、僕たちは少年少女になった。もう二人だけで会ってはならない、そう言われていたけれど、僕たちは休みのたびに、こっそりと会い続けた。
誰にも邪魔のされない森の中の古い小屋が、僕たちの秘密基地だった。
秘密基地では、僕が考えた秘密の物語を語って聞かせた。男の子と女の子が冒険の旅に出かける物語だった。ジオは僕が語る物語を、いつも熱心に聞いてくれた。
「ねえ、それから、それから?」「それから、どうなったの?」ジオは僕が話の続きに詰まると、そう言って催促しながら、僕の顔を覗き込んだ。そんな時、ジオの黒い瞳は、いつも美しく輝いていた。
僕が、お話の続きを考えている時に、石の教会の歌声が、風に乗って、僕たちの秘密基地まで届くことがあった。
僕たちは、その微かな音に耳を澄ませた。
二人は、いつまでも一緒だと、信じていた。
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10月
10月に入ると、職場での特別プロジェクトは最終盤に差し掛かった。宮崎さんの負荷を常人並みにするために、宮崎さんの持っている仕事の半分を、そっくりそのまま向井さんに引き継いでもらうつもりだった。
しかし、宮崎さんからの引き継ぎは、なかなか進まなかった。彼からの協力が得られなかったからだ。10月の半ばを過ぎても、宮崎さんから向井さんに引き継ぎができたのは、彼の持っている仕事のごくわずかの部分にとどまっていた。それは、僕が深く関わり、内容がわかっている仕事を、半ば強引に引き継がせたものだった。彼は、今忙しいから、といった理由で、それ以上の引き継ぎを拒み続けていた。
10月も後半に差し掛かったある日、僕は宮崎さんの机を訪れ、再度、引き継ぎの依頼をした。すると、彼はこう言った。
「これ以上、引き継ぎはしません。自分の仕事がなくなったら困るから」
僕は驚いて、彼を見返した。彼の表情は真剣そのもので、彼が冗談で言っているのではないことがわかった。僕は、できるだけ冷静に、彼の残業時間が減ったと言ってもまだまだ誰よりも多く、多少仕事を渡したところで、彼の仕事がなくなるようなことはないことを話した。しかし、彼は、僕の話が終わらないうちに、僕の言葉を遮るように、こう言った。
「私が、いらないってことですか!」
彼はきつい口調でそう言うと、僕の方から顔を背けた。もう話しかけないでくれ、と言わんばかりに、僕に対して背中を向けた。
彼はこれまできちんとした理由を告げず、「忙しくて時間がない」という言い訳を繰り返していたのだが、この時、初めて真っ向から引き継ぎを拒否した。そしてそれ以来、僕と顔を合わせることさえしなくなってしまった。
こうなると、僕はもうお手上げだった。僕は彼の上司ではないし、彼が望まないことを、命令してまでやらせる権限はなかった。
残念ながら、僕のプロジェクトは失敗に終わった。人助けと思ってやったことが、逆に迷惑がられる結果となった。
僕が誰かを助けたいなんて、そもそも間違っていたのだ。僕には人を助ける力なんてない。それどころか、僕が人助けと思ってやったことが、逆に相手にとっては迷惑に思われるのだ。
僕は打ちひしがれていた。怒りも湧いた。虚しい気持ちにもなった。しかし僕はもうどうすることもできなかった。
僕は、彼の上司に状況を説明し、なんとか彼を説得してほしいと言った。彼の上司は説得を試みるとは言ったものの、明らかに気が進まない様子で、「彼は難しい性格だからね」と言って、大きなため息をついた。
それから何日経っても、彼の上司からの連絡はなかった。彼は、僕と視線を合わせないようにするだけでなく、僕が少しでも視界に入ると、手元にある書類などで自分の姿を隠し、拒絶の姿勢を示すようになった。
そんな彼の態度を見るたびに、僕の胸にズキンと痛みが走った。
こうして四か月が過ぎ、僕の特別プロジェクトは終わりを迎えた。記録上は彼の残業時間は半減し、目標は達成したように見えた。しかし、彼が相変わらず、一人ではこなしきれない量の仕事を抱えたままという状況に変わりはなく、僕のプロジェクトは本質的には大失敗に終わったといって良かった。
僕の人生に、また一つ、失敗の記録が増えた。
カッパくんならこんな時、何か有効なアドバイスをくれそうな気もしたが、カッパくんはどこかに行ったままだった。
11月
11月に入っても、僕の状況に進展はなかった。特別プロジェクトが終わり、仕事の時間には余裕ができた。その分、心にぽっかりと穴が開いてしまった。プロジェクトの失敗。ただ、それだけが残った。
失敗については忘れてしまおうと思った。失敗を忘れたくても、宮崎さんは僕が視界に入るたびに拒絶のポーズを示し続けていて、僕の心はそのたびに痛んだ。気にしないようにしようと思えば思うほど、気持ちが落ち込んでいくのがわかった。
小説の執筆も、なかなか前に進まなかった。先生のご本を繰り返し読んでも、頭に入ってこなかった。
状況が完全に手詰まりになった週末のある日、僕は散歩に出かけた。公園のベンチで休んでいる時に、デイパックの底に眠る黒い革の表紙が手に触れた。
僕は久しぶりに黒い革の表紙を手に取り、中を開いた。
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ジャンニとジオ(その2)
終わりは、突然やってきた。
ある秋の日の昼下がり、秘密基地の周りには、白い花が咲き誇っていた。この季節になると、この地域に必ず咲く、甘い香りのする白い花。僕たちは、甘い香りのただよう秘密基地の中で、村を出る相談をしていた。
二人で村を出て、知らない町へ行く。そこで二人だけで暮らす。その計画を練って、準備を進めていた。秘密基地に少しずつ荷物を集め、もう後は出発を待つばかりになっていた。
二人で知らない場所へ行くことに、大きな不安はあった。でも、二人一緒なら乗り越えられる、そう信じていた。
翌朝、この場所で落ち合う約束をして、秘密の小屋を出ようとしたときだった。小屋の外から大きな音がしたかと思う間もなく、知らない大人たちが大勢押しかけてきて、僕たち二人を無理やり引き離した。
ジオはあっという間に小屋の外に連れ出された。
僕は大男に羽交い絞めにされた。
「やめろー、はなせー」
僕は叫びながら、必死の抵抗をしたけれど、大男の力はものすごく強くて、僕は身動きができなかった。
「ジオー! ジオー!」
僕は叫んだ。
「ジャンニ! ジャンニ!」
小屋の外から、ジオの声が聞こえてきた。彼女はまだ近くにいる! 僕は、ありったけの力で大男のすねに蹴りを入れた。大男がひるんだ隙に、僕は羽交い絞めを振りほどき、小屋の外へと駆け出した。
でも、小屋の外には大男の仲間が三人いて、一斉に僕を取り押さえた。僕は地面にうつぶせに押さえつけられ、今度こそ全く身動きが取れなくなった。
顔を地面に押さえつけられ、声を出すこともできない。
ジオの声は耳に届いていたけれど、次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
男たちが立ち去ると、僕は一人取り残された。白い色の花は相変わらず甘い香りを放っている。でも、僕の隣にジオはもういない。
胸の中が切り裂かれたように、激しく痛んだ。
ジオは、そのまま遠い町へ連れていかれたらしい。ジオのお姉ちゃんが、こっそりと教えてくれたところによると、お金持ちの家にお嫁に行ったらしかった。
僕は、父の命令で、神学校の寄宿生になった。厳しい戒律のある学校で、学校の外を出歩くことすら許されなかった。
僕は一人になった。いつまでも、いつでも一緒にいると誓ったジオは、もう、どこにいるのかすら、わからない。
思えば僕は、ジオに対して、きちんと気持ちを伝えたことがなかった。「愛してる」と口にして伝えるべきだったし、ジオからも同じことを言ってもらいたかった。そんな当たり前のことすら、僕たちはできていなかった。今、それをやりたくても、もうジオはどこにいるのかすらわからないし、探すこともできない。
僕は、全てを失った。胸の中の痛みだけが残った。
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11月後半
11月も後半に入ると、仕事のギアを入れ直した。今までおろそかになっていた自分本来の担当業務に、力を入れ直すことにしたのだ。
次々と新たな会議や説明会を開催し、複数の関係部署を巻き込んで仕事を進めた。
並行して会社の研修プログラムに参加して、改めて、自分のサラリーマンとしてのキャリアを見つめ直した。もう、長くはないサラリーマン生活。長くはないからこそ、最後までベストを尽くしたい。ラストスパートをかけたい思いだった。
その結果、取り組んだことの一つが、アンガーマネジメントだった。
アンガーマネジメントの本には、怒りを抑えるための様々なテクニックが紹介されていた。アメリカで生み出されたもので、アメリカのビジネスマンたちが、こぞって実践しているものだという。
なるほど、僕がアメリカに住んでいたときに、付き合いのあったアメリカ人ビジネスマンたちも、常に冷静でクールな人物が多かった印象があった。その多くは白人であり、皆クリスチャンとしての信仰心をバックボーンに持っているから、常にクールでいられるのだろうと想像していた。しかし、意外にも、こういったテクニックを理論的に学び、身につけていたのかもしれない。
最初は、興味深く読み進めた。しかしながら、読み進めるうちに、心の中に違和感が湧き上がり、それが、徐々に大きくなっていった。それと同時に、ふつふつと、胸の中で眠っていた怒りが、目を覚ますのがわかった。
僕の心が訴えてきたのは、こんな小手先のテクニックを使って怒りを手放したくはない、ということだった。
自分の本心に気づいた僕は、その本を読むのをやめた。しかし、一度目覚めた怒りの炎は、そう簡単にはおさまらなかった。実際に、僕をムカつかせるような出来事が次々と起こった。僕はそのたびに怒りを爆発させ、周りの人たちを傷つけることになった。
一度怒りに囚われると、全く手放すことができなかった。僕が怒りを向けた相手は様々だったが、僕が怒っている理由は一つだった。それは一行の文章で表すことができる。
みんな、自分のやるべきことをやれ!
12月
怒りを手放すことができないまま、12月を迎えた。
12月最初の週末は、木・金と大阪へ出張をして、そのまま、週末の先生との紅葉ツアーに参加する計画だった。
出張に出かける当日の朝も、些細なことから怒りを爆発させ、妻と大喧嘩になった。僕の浴びせた罵声に対して、妻の顔がゆがんだのがわかった。それを見て、僕は深く落ち込んだ。妻を傷つけたことがわかったからだ。でも謝罪の言葉を口にすることなく、そのまま出張に出かけた。嫌な気持ちでの旅立ちになってしまった。
先生との紅葉ツアーから戻っても、僕は相変わらず、いろいろな物にムカついていた。家でも、職場でも、次々と頭に来るような出来事が続いた。僕はそのたびに「みんな、自分のやるべきことをやれよ!」と心の中で叫んだ。
週末になっても、僕は相変わらず怒りに囚われていて、瞑想をしても、文章を書こうとしても、全く集中できなかった。
仕方なく散歩に出かけた。中央線と並行する道路をただ黙々と歩いた。東小金井、武蔵境、三鷹を抜けても、僕は怒りに囚われたままだった。三鷹から玉川上水沿いを歩き、井の頭公園を抜けたところで一休みした。人気のないピクニックテーブルに座る。水を飲んで一息つくと、デイパックの底に眠っていた黒い革の表紙が手に触れた。
僕はノートを取り出し、白いしおりの挟まれたページを静かに開いた。
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ジャンニ
僕が神学校の校長から破門を言い渡されたのは、三回目の脱走に失敗した直後だった。
僕は、ジオに逢いたい一心で、神学校から脱走を試みた。でも、そのたびに捕まり、神学校に連れ戻されることになった。三回目の脱走でも捕まり、神学校に連れ戻された僕に待っていたのは、長いお説教でも、反省室での謹慎でもなく、破門の一言だった。
父の使用人が僕を迎えに来て、家まで連れて帰った。家に帰ると、父からは勘当を言い渡された。それと同時に、ジオが亡くなったことも告げられた。
生きる希望も住む場所もなくした僕は、どこをどうさまよい歩いたのかわからない。気がつくと石の教会の前にいた。
何度も躊躇したけれど、僕は勇気を振り絞って石の教会の扉を叩いた。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン
開かれたドアの向こうに立っていたのが、先生だった。
「私には行くところがありません。生きる希望も失ってしまいました。助けてほしいのです」
僕は、かすれるような声で、そう言うのが精いっぱいだった。
「今から旅に出ます。一緒についてきなさい」
先生は、ただそれだけをおっしゃった。
それから僕は、先生の旅のお供をするようになった。仲間たちと一緒に先生について歩き、国中を訪れた。あちらこちらで音楽を奏で、歌を歌った。先生の歌やお話を聴いた人たちは、みんな笑顔になって帰っていく。
僕は先生のお力になれることが、ただ嬉しかった。僕は、自分自身も少しずつ、内側から力が湧いてくるのを感じた。
やがて僕は、先生の面会者の世話役に任命された。先生に懺悔をしたい人たちに、事前に話を聞くのが僕の役目だった。僕は、ただ話を聞くだけで、聞いた内容を書き取ったり、それを先生に伝えたりする必要はなかった。相手のことを思い、誠意を持って尋ね、誠意を持って耳を傾ければよい。先生にはそれだけを言われた。
そうすることで、面会者の頭の中を整理し、心を静めた状態で先生に会えるようにするのが、目的なのだそうだ。
その日の面会者は、中年の女性だった。一念発起して始めた商売について、先生に相談したいとのことだった。
「商売を始められたきっかけは、何だったのですか?」僕は尋ねた。
「身近な人を亡くしまして。自分もいずれは死ぬんだなと、死を意識するようになったのです。それで、死ぬときに後悔しないように、まずは自分のやりたいことをやらなくてはと、そう思って始めたのです」
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僕はハッとして、黒い革の表紙を閉じる。僕にもやるべきことがあった。「自分のやるべきことをやれよ!」というのは、僕自身に向けられた言葉だった。僕は、自分自身に怒っていたのだ。
僕のやるべきことは、ただ一つ。小説を書くことだ。まずは先生との紅葉ツアーについて、書いておかなくてはならない。僕は、あわててスマホのメモ帳を開き、旅のメモを基に、ツアーの思い出を書き始めた。
こういった文章になった。
先生との旅 紅葉ツアー編
先生主催の紅葉ツアーが数日後に迫ったある日、先生のホームページが更新されていることに気がついた。ご出張中のヨーロッパからの更新だった。ロンドン出張の忙しい合間をぬってドーバー海峡を渡り、パリ観光に出かけたという。パリ訪問の様子が、いつもの調子で、面白おかしく綴られている。
そして最後には、ハードスケジュールでふらふらになりながらの更新だ、と書かれている。「それでもやると決めたからには、全力で立ち向かってしまうという、困った性分ですので」という一文の後に、おやすみなさいの挨拶があり、この日の更新は終えられていた。
僕は、先生がわざわざ旅先からホームページを更新されたことに、心底驚いた。長時間のフライト。時差ボケの中でのお仕事。その合間をぬってパリ訪問。更に、眠気と格闘しながら、訪問の様子をホームページ上で伝える。数日後には帰国し、その翌日から我々とのツアーも控えているというのに。
いくら常に全力を心がけているにしても、あまりにもハードスケジュールすぎるのではないか?
先生の原動力は、どこから湧いてくるのだろう?
今回のツアーでの観察ポイントは、先生の全力ぶりを探る、ということに決まった。
ツアー初日の金曜日。僕は大阪にいた。仕事を終えるとすぐに、新大阪から東京方面に向かう新幹線に飛び乗った。
残念ながら、ツアー初日の集合時間には間に合わない。しかし、翌日、昼のツアーに向けて前泊するつもりで、宿の手配はしてあった。
17時45分発の新幹線、自由席に飛び乗る。空席はあるが、三人掛けの真ん中しか空いていないようだ。諦めてデッキに立つ。
進行方向右側のドアから、外を眺める。風景が流れていく。
右前方に、満月が浮かんでいるのに気づく。なぜか、ふと、シローさんのことを思った。
京都駅で地下鉄に乗り換え。今年三回目の京都。明らかに前二回より人が少ない。隣国からの観光客が減った影響だろうか。
烏丸御池駅のすぐ近くのホテルにチェックインをすると、夕食が食べられそうなお店を検索した。僕のお目当ては、美味しい日本酒を飲ませてくれるお店。
すぐにピンとくるお店が見つかり、電話をかけると、一人なら席があるという。喜んで出かけてみると、これが大当たりだった。
僕の好みを聞いて、お店の人が勧めてくれたお酒はどれも美味しく、ハズレがない。カウンター席で偶然、お隣になった方と、話が盛り上がったことも重なり、飲み過ぎてしまった。
いつもは一合、多くても二合と決めているのに、この日は三合も飲んでしまった。
いい気分でお店を出て、ホテルへ戻る道を歩いた。交差点を渡りながら、東の空を見上げた。
大きな満月が浮かんでいるのが見えた。
12月6日
夜中3時過ぎに目が覚める。まだ酒が残っている。トイレに行って水を飲んでもう一度寝る。その後うとうとして結局6時半過ぎに起きた。
7時過ぎにホテルを出てスタバに向かう。9時までスタバにいて、執筆活動。一度ホテルに戻って、腹ごしらえを済ませてから、チェックアウト。フロントに荷物を預けて、ゆったりとした足取りで、光の学校に向かった。
光の学校
10時半ちょうどに到着して、学校の扉をくぐった。
関西弁のおじさんこと、KBさん夫婦が、僕の直前に到着したらしく、ちょうど靴を脱いでホールへ向かわれるところだった。
KBさんは、いつも夫婦仲良さげだ。前回同様、最後尾の席に座られた。
僕は、スタッフのみなさんに挨拶してから、一番奥の座席に座った。前回のセミナー後にYさんに勧められた席だ。
一つだけ奥まった座席。座った途端、確かに宇宙から光が降り注ぐのを感じる。僕は、静かに目を閉じた。
参加者が一人また一人と集まってきている。僕は目を閉じたままで、参加者同士の会話を聞くともなしに聞いていた。いつの間にか会話が遠のき、僕は中世ヨーロッパの風景を見ていた。
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ジャンニ
その年の先生との旅は、新緑の中で始まり、虫の鳴き声がこだまする季節にまで及んだ。
旅の最初のハイライトは、この国で一番古く、一番大きな町の訪問だった。その町の中心にある、世界で最も豪華で最も大きな教会の、最も偉いお方に、先生は謁見を許されたのだ。
僕はみんなの列の一番後ろで、ただひれ伏していただけだったから、偉いお方のお姿は見えなかった。先生は、一言、二言、何かを話されていたようだった。
その大きな町には、千年以上の歴史を持つという古い建物が残されていた。先生は、謁見の後に、その建物のいくつかに僕らを案内してくれた。なぜこんな大きな建物が遠い昔に建てられたのか? その歴史、先人たちの苦労を先生は語ってくださった。
いくつかの大きな町を除くと、滞在先のほとんどは田舎の小さな集落だった。先生は行く先々で、歌を歌って聞かせ、人々の話に熱心に耳を傾け、そして最後には勇気と希望をお与えになった。
僕は、他の仲間たちと同じように、コーラス隊として合唱に参加し、時には面会者の話を聞いた。
一つの集落にそう長くはとどまらない。一日かせいぜい二日といったところだ。先生が出発の合図をされると、僕らはいっせいに荷物をまとめ、旅支度を始める。あとは先生の背中について、一歩一歩、歩を進めた。
朝晩には、決まってお祈りの時間が設けられた。僕も先生のようになれますように。僕はお祈りをした。
そうするうちに僕は、いつの間にか、胸の中の痛みが少しずつ小さくなっていることに気づいた。僕の願いも、もしかしたら、叶えられる日がくるのかもしれないと思った。
朝晩がだいぶ冷え込むようになったある日、先生は僕らを連れて、雨の中、人里離れた草原の一本道を歩いていた。僕はふと足元を見ると、ひとつだけ白い色の花が咲いているのに気がついた。思わず、花を摘んで、においをかぐ。甘い香りが広がる。
ジオのことを突然思い出した。黒い瞳。笑顔。笑い声。ジオに逢いたい。もう一度、ジオを強く抱きしめたい。
胸の中が切り裂かれたように、激しく痛んだ。消えたと思っていたはずの胸の痛みは、眠っていただけだった。
その日の夜は、古い教会に泊めてもらった。みんなが眠りについた後も、僕はなかなか寝付くことができなかった。祈りをささげた後も、胸の痛みが消えなかったからだ。
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン
ボーン……
教会の柱時計が鳴り響く音に誘われて、僕はやっと眠りについた。
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学校のホールの柱時計が、11時の鐘を告げた。鳩の声を十一回数えたところで目を開けると、すでに先生がお姿を見せていた。
先生登場
「みなさん、こんにちは。今日は大盛況ですね。昨日、今日で、ホームページを見られた方はお気づきだと思いますが、今回のツアータイトルを落葉ツアーに変更しました」
その一言で、今回の日帰りツアーはスタートした。それに続いて、この日の行き先が下鴨神社になることが発表された。
下鴨神社をメインに、美人の神様である河合神社も訪れ、さるもちと呼ばれる伝統的なお菓子もお店が混んでいなければ食べてみたい、というお話だった。
「さるもちのさるは申年の申で、お猿さんではありません。お猿さんのお餅ではありませんので、ご安心ください」
そう聞いて、頭の中に「もし猿餅なるものが存在するとしたら、いったいどんな食べ物になるのだろう」という疑問が湧き、グロテスクな想像をしそうになったので、僕はすぐに考えるのをやめた。
それから先生は、下鴨神社までの行程を説明された。歩いて駅まで行き、電車に乗って、また少しだけ歩く。歩く距離は短く、体力的には問題ない、という説明だった。
京都に全く土地勘のない僕には、駅の名前も路線の名前も聞き覚えがなく、それがどのくらいの近さにあるのかわからなかった。
なにしろ、常に全力を信条とされる先生のことだから、実際はハードな行程が用意されているのかもしれなかった。油断はならない。
11時2分に先生のお話は終わり、トイレを済ませて、一階ロビーに集合することになった。
五分後には全員が一階に集合し、スタッフの方々が人数確認を行う。
僕も何人いるのか数えていると、スタッフのMさんが「参加者は十五名、全員合わせると十九名です」と教えてくださった。僕が記録を取りたがっていることをわかってくださっている。とてもありがたい。
僕は、この日もペンとノートは用意していた。しかし、なんとなく恥ずかしくてそれらを取り出すのはやめにして、スマホのメモ帳に記録を取ることにした。
11時9分、先生を先頭にして光の学校を出発。三条通りを東に向かった。
二列縦隊の長い列で歩く。僕は列の真ん中より少し後ろを一人で歩いた。先頭の先生の横にはSさんがいて、早速、先生に挨拶をしている。
他にも何人か、見覚えのあるお顔が混じっている気がした。僕だけが一人で歩いてはいたが、緊張や寂しさはなかった。
三条通りの寺町交差点より東側には踏み入れたことがなく、興味津々で歩いた。
アーケードの中の商店街は個人商店、有名チェーン店、高級店、庶民的なお店、歴史を感じさせるお店、外国人観光客向けのお店など様々だ。
アーケードを抜けたところで、興味深い看板を見つけた。「池田屋」。池田屋事件の池田屋から名前を取ったのだろうか?――と思って、店先を横目で眺める。お店は普通の居酒屋チェーン店にしか見えないが、建物の横に石碑があった。ここは、正真正銘、あの池田屋があった場所のようだ。石碑と解説をじっくり読む時間はなかったが、このあたりが歴史の舞台の、まさに中心地であることを改めて感じた。
興奮冷めやらないうちに、小川にかけられた橋を渡る。「ここが鴨川なのか?……鴨川ってこんなに小さかったのか?」疑問が解けないうちに直進すると、もっと大きな橋が現れた。
これこそ本物の鴨川だった。橋の手前にはスタバを発見。スタバマニアの僕としては、是非いつか訪れてみたい。
スタバに後ろ髪を引かれながら、橋を渡り切ると、またまた興味深い石碑を見つけた。駅伝発祥の場所とある。駅伝マニアでもある僕は、再び興奮状態に陥りそうになるが、先生を先頭とする隊列に追いつき、駅の地下ホームへ続く階段を下った。
京阪三条駅
京阪三条駅の地下改札口で、新たな発見があった。先生が切符を買われたからだ。先生は交通系電子マネーを持たず、現金で切符を買われるようだ。これは、意外な新事実を知ることができた。
先生は券売機の前に立ち、運賃の書かれた路線図を見上げて値段を確認し、財布から現金を取り出して、切符を買われた。
「切符を買われる方は、二百四十円です」
スタッフの方が我々に声をかけるが、先生に続いて切符を買う同志の方は誰もいなかった。僕らは、先生が切符を買い求める姿を、後ろから眺めることになった。
僕は感動していた。先生が、交通系電子マネーをお持ちでないことを知ったからだ。些細なこととは言え、先生についてこれまで知らなかった事実を知ると、なんでも嬉しくなってしまう。「先生は交通系電子マネーを使われない」。僕の中の、先生に関する辞書に新たな一文が加わった。
切符を買った先生を先頭に僕らは改札を通り、ホーム階へと降りるエスカレーターに乗った。僕は、エスカレーターで下っている最中にも、先生が交通系電子マネーを持たない、という事実に思いを巡らせていた。
その事実を知って嬉しくなった理由には、先生の知らない一面を知ることができたということ以外にも、個人的なもう一つの理由があった。
実は、つい先日、電子マネーを持たず支払いは全て現金というおばあさんが主人公の小説を書いたばかりで、その推敲の真っ最中だった。その小説のおばあさんと、先生の行動が重なったので、嬉しくなったのだ。
その小説を書いた時点で、僕は、先生が電子マネーを使われない、という事実はもちろん知らなかったし、先生のことを意識して、そのおばあさんのキャラクターを設定したわけではなかった。あくまで偶然の一致に過ぎない。
しかし、小説を書いていると、小説世界の出来事と現実世界の出来事がシンクロするようなことが時々起こる。そうすると、なぜかとても嬉しい気持ちになるのだ。
それにしても、先生はなぜ交通系電子マネーをお持ちでないのだろう?――先生はドライブがお好きだから、普段ほとんど車での移動しかなされず、電車に乗られないからだろうか?
そんなことを考えるうちに、ホーム階に降りた。我々は先生に連れられて、先頭付近で電車の到着を待つことになった。
駅のホームにて
ちょうど前の電車が出た直後だったらしく、次の電車が来るのに十分弱の時間があった。
一人でぽつんと立っていた僕は、スタッフのMさんに誘われて、先生を含め四、五名の輪に加わらせてもらった。その中には、万博ツアーで一緒だったSさんもいた。Sさんも僕の存在に気づき
「ああ、小説に登場させてもらって、ありがとうございます」と言った。
「こちらこそ、登場いただいて、ありがとうございます」と僕は返した。
なんだか面白い会話だった。「ご登場(搭乗)いただき、ありがとうございます」って、なんだか飛行機か何かに乗って旅に出かける時みたいだ。
しかし、これはあながち間違っていない気がした。小説の世界は、まさに一つの乗り物であり、旅だと言えるからだ。
もっと言ってしまうと、僕らの生きている物質世界も地球という一つの乗り物であり、僕らはその乗員乗客みたいなものなのかもしれない。
そして、その乗り物の中で偶然誰かに出会う。その瞬間、相手が描く世界、相手が運転する乗り物の、搭乗客になる。と同時に、相手にも、自分が描く世界、自分が運転する乗り物の、搭乗客になってもらう。
その時、心の奥底で、「僕の世界に登場してくれて、ありがとう。僕の乗り物に搭乗してくれて、ありがとう」とお互いに挨拶しているのかもしれない。
今のSさんとの挨拶は、まさにそんな感じがした。
先生が、もう一人の男性参加者、HPさんに話しかける。
「HPさん、そのワッペンにチベットって書かれているけど、チベットに行かれたのですか?」
「いえ、たまたま買うたら、このデザインだったんですけど。なんで、チベットなんでしょうね?」
この男性は、初めてお会いする御方だったが、同世代の少し先輩のように見受けた。がっしりとした体つきで、胸にチベットのワッペンが付けられた、分厚い生地の黒のフリースは、HPさんによく似合っていた。胸のワッペン以外にも、右腕の部分に国旗のワッペンがつけられていた。赤地に白で縁取られた紺の十字。この国旗は、確かノルウェーだろうか?
「誰かが、チベットに行った時に、作られたのかも知れませんね」と先生が言われて、HPさんが答える。
「そういえば、ここに国旗が。ノルウェーだと思うんですけど、国旗が付けられているのです」
やっぱりノルウェーだった。僕は思わず口を挟む。
「ノルウェーの国旗ですよね。たぶん、ノルウェー隊がチベットからエベレスト遠征した時のユニフォームとして作られたものなのではないでしょうか?」
「お詳しいですね」と先生に言われて、僕は恐縮する。
「たまたま、思いついたんですけど……」
「そういえば、山に登っていらしたとか?」とMさん。
「ええ、学生時代はワンダーフォーゲル部だったので、日本の山には、ちょくちょく登っていました。ずいぶん昔の話ですけど」
そこから山の話になった。先生にどのあたりの山に登っていたのかと聞かれたので、南アルプスにはよく登ったと答えた。
「ああ北岳とかね」
僕が頷くと、先生は周囲のメンバーを見渡して言われた。
「みなさん、北岳って知っていますか?」
皆が口々に、「知らない」「それ、どこにあるんですか?」と首をかしげる。すると先生は、すかさず、このように解説された。
「南アルプスにある、日本で二番目に高い山です。日本で一番高い山が富士山というのはよく知られているのですけど、二番目に高い山が北岳というのは、ほとんど知られていないのですよ」
先生のご専門は経営学のはずだが、日本地理にもだいぶお詳しいようだ。確か社会の先生を目指していたこともあったはずだから当然なのかもしれないし、普段の活動でも日本全国を飛び回っているので自然と知識が身につくのかもしれない。
確かに、北岳が日本で二番目に高い山という事実は、山登りをする人なら知っている人は少なくないと思うが、それ以外で知っている人は少ないだろう。ウィキペディアによると、北岳の知名度は僅か17.9%という調査結果もあるようだ。
僕は、思わず先生の解説に続いて
「3192メートルです」と付け加えた。
「そんなに高い山なの!」とMさんが感嘆の声を上げてくださり、僕は少し得意な気分になった(ただし、後日調べたら、北岳の標高は3193メートルが正解だった。2004年に再測量が行われて1メートル伸びたと、これもネットに書かれていた)。
楽しく話をするうちに、電車が到着した。有料特急のような、豪華な車両に乗った。これが、二百四十円の通常運賃だけで乗ることができるとは、信じられない。
11時31分に出発した電車は、五分後に終点、出町柳駅に到着した。
地上に出て、御蔭通りを西に向かう。すぐに橋を渡るのだが、その下を流れる川は、鴨川ではない。鴨川の支流、高野川だ。下鴨神社は鴨川と高野川の合流地点、鴨川デルタと呼ばれている場所に立っているのだと、後で地図を確認して知った。
鴨川デルタから川沿いを上流に辿っていくと、鴨川の本流は、賀茂川と名前を変えて、北西に進み、上賀茂神社へとたどり着く。一方の高野川は、北東に進んで、比叡山の麓を抜けて、更に、三千院で有名な、大原地区へとつながるようだ。
ちなみに、高野川は、「たかのがわ」と読み、こうや川ではない。空海のお寺があるのは、高野山(こうやさん)。最澄のお寺がある、比叡山の麓を流れるのは、高野川(たかのがわ)。面白い発見だった。
後々、こういった面白い発見ができるのも、先生のおっしゃる、旅の楽しみの三番目。復習の楽しみの一つだ。
下鴨神社参道
橋を渡ってすぐの道を右に折れると、もうそこは下鴨神社へと続く参道の始まりだった。真っ赤に色づいたもみじが、目に飛び込む。その奥には赤い鳥居が見え、その向こうには、雲一つない青空が広がっている。
赤と青の見事なコントラスト。
先生は立ち止まって、白いデジカメを頭上に掲げ、写真を撮っている。みんな一斉に写真を撮る。僕もスマホのシャッターを、パチリパチリと切った。
先生はのんびりとした足取りで歩き、時々立ち止まって、写真を撮りながら進んでいく。僕は、スタッフのお一人SCさんや、Sさんと話をしながら進んだ。
ここで、SCさんに気になっていたことを尋ねてみる。
「今回のツアーは、ハードスケジュールすぎませんかね? 海外からの帰国直後から、連日のツアーなんて」
「そうなんですよ。先生も、昨晩はさすがに、少しだけお疲れのご様子でしたけど」
「さすがにそうでしょうね。長旅に加えて、時差ボケもあるでしょうし」
「だから、昨日は、あまり歩かなくても良い場所を選んだんです。皆でお団子を食べながらおしゃべりして、それはそれで、とても楽しかったんです」
「昨日は満月だったから、それも綺麗だったのではないですか?」
「ええ、満月も綺麗に見えて、満月と紅葉を見ながら、皆でおしゃべりしたんです」
「それは楽しそうですね」
「昨日は、どこに行ったんですか?」とSさん。
「ええと、あそこです。以前のツアーでも行ったことのある……名前が出てこないわ」
などと話をするうちに、僕らはアスファルトの道を歩き終え、境内の砂利道に入っている。僕は先生のお体が気になって、もう一度尋ねる。
「それにしても、帰国の翌日から、週末は昼夜二回の四日連続とか、宝塚の舞台とかじゃないんだから、さすがにハードすぎますよね」
Sさんが宝塚と聞いて笑っている。しかも、通常の舞台やミュージカルなら主役はダブルキャストにすることもできるが、先生はお一人しかいない。
「普通の年なら、11月と12月に分けて開催していたんですけど、今年はイギリスに行かれたから、四日連続ってことになったんです。それで、先生からは、もし、僕が旅の疲れで動けなかったらスタッフたちでツアーを開催してね、って言われていたんですけど……」
「それは、プレッシャーですね!」と、僕が驚嘆の声を上げると
「誰かが、先生に変装するしかないんじゃないですか!」と、Sさんがツッコミを入れる。僕もすかさず、
「クマの着ぐるみを着るのがいいと思いますよ!」と続けた。
河合神社
11時51分、そんな話をするうちに、僕らは美人の神様、河合神社に到着した。ここで美意識の高い女性陣のためにということで、小休憩を取ることになった。自由行動で皆、思い思いに参拝や買い物などをする。
僕はとりあえず絵馬の飾られた棚を眺めてみた。ここの絵馬は、願い事を書くのではなく、鏡絵馬という美人画を描いて奉納する仕組みのようだ。思い思いに描かれた美人画が飾られている。みんな、なかなか絵が上手く、きれいに描けていて甲乙つけ難い。そもそも、美人の定義というのも人それぞれだろう。
集合場所に戻ると、Sさんがいて女性と話している。見覚えのある女性だ。9月のセミナーでお会いしたYさんだった。Yさんに挨拶をして、三人でお話しした。
話題はSさんのお仕事の話になった。Sさんは二十年ほど前に転職をして、それまでとは全く異なる業界で働き始めたという。「悩みませんでしたか?」と尋ねると
「当時二つの選択肢があって、どちらがいいのか、先生に決めてもらいました」とおっしゃった。僕が驚いていると、Yさんも
「私も悩んだ時に、先生に決めてもらったことあります」とおっしゃる。お二人とも当然のように、うんうんと頷き合っている。
僕は、何しろカウンセリングを受けたのも一回だけだし、先生に、AかBか決めてくれ、などという相談の仕方は、恐れ多くてできそうにない。
みんな、人生の選択を迫られるような場面で、先生に二者択一をお願いするといった相談の仕方をしていると知って驚いた。先生の凄さを、改めて感じた。
下鴨神社の境内に向かう
12時7分、河合神社を出発。いよいよ下鴨神社に向かうが、途中で手作り市に遭遇した。様々な手作りの品が売られた露店が並んでいる。食品、アクセサリー、雑貨。コンサートなどを行う小さなステージもある。
先生はゆっくりとした足取りで、でも、立ち止まることなく、市を抜けていく。
12時14分、市を抜けたところで、人数確認。全員揃っていることを確認して、下鴨神社の境内へ向かう。
僕は一人で先頭を歩く先生に話しかけ、時差ボケは大丈夫なのか尋ねてみた。
「さすがに、まだ、時差ボケはなくならないですね。木曜日は夜10時ごろに帰宅して、翌日の昼過ぎまで寝ていましたけど、うとうとと浅い眠りを繰り返しただけでしたね。今日は昼と夜と歩き回るので、よく眠れるでしょう。そしたら、時差ボケも治ると思います」
先生は常に全力だとは知っていたが、時差ボケの治し方も、昼夜体を動かして疲れて眠るという、実に古典的な体力勝負のやり方をなさるようだ。先生だけが知る、特別な時差ボケ対策の秘策のようなものはなさそうだった。
下鴨神社境内
12時22分、境内で一旦解散となり、自由に散策することになった。僕は、まずは本殿を訪れ参拝を済ませた。同じように、まずは本殿に参拝するお仲間が他にもいたようだった。
それから、境内にある様々な建物を見て回った。僕が惹かれたのは、本殿の南東側にあった「細殿御所」と呼ばれる建物。案内板の解説を読むと、平安時代からある建物で、歴史的に有名な鴨社歌会が何度も開かれた場所、とある。鴨社歌会がどういったものなのか、僕の浅はかな知識ではわからなかったが、平安時代の雅な歌会を想像した。
文学を志す僕にとっては、日本文学の大大大先輩方が集った場所、と言って良さそうだ。思わず手を合わせて、深く頭を下げた。
集合場所に戻ると、Yさんが別の参加者の女性とおみくじを見せ合っているところだった。
末吉。二人とも、全く同じ番号のくじを引いたという。同じ番号のくじが出る確率がどのくらいなのか、僕には想像もつかなかった。
現役の高校生でもあるYさんは、学業のところを声に出して読み上げた。
「困難多し、全力で取り組め」
心配そうな表情を浮かべて
「これって、どう捉えればいいのでしょう?」と僕に向かって尋ねた。僕は
「全力でやれば大丈夫ってことじゃないですか? 先生がおっしゃっているのと同じですよ。先生もつい先日の更新で、何事も全力っておっしゃっていたばかりでしたよね。先生を見習って、全力でやればいいということだと思います」と答えた。
Yさんはパッと表情を明るくし
「そうか先生と同じか。そう捉えればいいですね」と答えてくださった。そこでSさんがすかさず、
「僕も、いつも全力を心がけています。メールアドレスにも、全力という文字を入れているくらいで」という。
「えっ、メアドまで全力!」と、Yさんと僕が口々に驚きの声を上げると、Sさんは
「でも、Sさんは全然全力を出しているように見えないねって、今日も先生に言われました」と、照れ笑いを浮かべながらおっしゃる。僕が、
「それって、すごいことじゃないですか。全力を出しているのに、それを人には見せないようにするって、なかなかできないですよ。おそらく、Sさんだからこそ、なのでは?」と言うと、
「確かに先生も、常に全力ぶりを見せる人もなかなか鬱陶しいですけどねとも、おっしゃっていました」とSさんは答えた。
僕は、そこで会社の同僚の顔が何人か思い浮かんだ。全力が鬱陶しいのではなく、全力ぶりを上の連中の前で、アピールするのが鬱陶しいのだ。しかも普段、全く全力など出していないどころか、めんどうくさいことは全て他人に放り投げるような人間に限って、上へのアピールには全力を尽くすのだ。
そうするうちに、先生もおみくじを引かれて戻ってきた。水に浸すと、結果が現れる「水みくじ」。先生が、濡らされたおみくじを光にかざすと、「大吉」。さすが先生だ。
先生が、書かれている文字を読み上げる。「願い事、叶う」「体調、回復する」「学業、努力すれば、上手くいく」
「なるほど、努力をしないとダメ、ということですね」先生は読み上げながら、楽しそうに感想を述べる。
「恋愛運……肝心のところの文字が、霞んで読めませんね」
先生は、おみくじの紙を上空にかざしたり、逆に、手で影を作ってみたりされたが、恋愛運の文字は、浮かび上がってこないようだった。
僕は、先生の楽しそうなご様子を見て、自分も水みくじを引いてみたくなったけれど、もう全員が揃い出発間近の雰囲気だった。次回の楽しみにとっておくことにした。
申餅屋
12時41分、境内を出発。12時45分には、申餅屋に到着した。
江戸時代まで続いていたお店を再現したものらしく、小さな小屋で注文を受け、小屋の周りに設置された四角い腰掛けに座って、お茶とお菓子を楽しむ形式だった。
江戸時代のお茶屋さんは、きっと、このような作りだったに違いない。各自注文をして、屋外に設置された腰掛けに散らばり、その伝統のお菓子を食べることになった。
僕は小屋の北側の腰掛けで、お仲間四、五人と一緒にお餅を食べ、お茶を飲んだ。
食べ終わって上空を見上げた。雲一つない青空。大きな木の間から、木漏れ日が降り注ぐ。鳥の鳴き声も聞こえている。まさに、平和な午後のひととき、と呼ぶにふさわ――
「ボトッ」
小さくない音がしたので、後ろを振り向くと、我々の座っている腰掛けの真ん中に、無視できない大きさの鳥のフンが落下していた。
思わずのけぞって立ち上がり、空を見上げた。前後左右どちらかにずれていたらと思うとゾッとする。お仲間同士で顔を見合わせ、「危なかったですね」「いったいどこに鳥がいたんだ」などと口々に声を上げた。
木の真下の腰掛けには、思わぬ危険が潜んでいることがわかった。申餅も食べ終わっていたし、僕はさっさと立ち去る一手だと思っていたのだが、Sさんは「いやあ、よかったですね。当たらなくて」などと、実に落ち着いた口調で言い、お店でもらったお手拭きでフンを取り、更に、自分の鞄からウェットティッシュを取り出して、鳥のフンが落ちていた腰掛けの上をきれいに拭いた。
なんとも大人である。さっさと逃げ出すことばかりを考えていた僕とは、大違いだ。お店の人や、次に使う人のことまで考えているのだ。人には全力ぶりを見せずに全力を尽くすとは、こういった、日々のさりげない言動によって実現されているのかもしれない。
Sさんは、腰掛けの表面がきれいになっていることを確認すると、「行きましょうか」と言って、立ち上がった。僕らも、各自トレーを持って立ち上がると、申餅屋の店内にトレーを返却して、先生のお姿を探した。
先生たちは、お店の南側の、屋根のある東屋作りの腰掛けに座っておられた。天気が良いのに屋根のある場所を選ぶとは、場所選びもさすが先生である。
13時16分、僕らは申餅屋を離れて、再び歩き出した。出口に向かって、戻っていく。出口に向かうルートは、二本あった。表参道をまっすぐに戻っていくルートと、手作り市が開催されている、広場を抜けていくルートだ。
行きに市を通ったので、今度は表参道から帰るのかと思ったが、先生は分岐地点で少し立ち止まって考えられた後、午前と同じ手作り市ルートに向かって歩き出された。
再び手作り市の中を歩く
先生が一人で先頭を歩く。僕は少し離れた二番手を進む形になった。
一人で歩く先生の背中。僕はその二、三メートル後ろからついていった。先生の足取りは、ゆったりとしてはいるが、僕はあえてその間隔を詰めようとはしない。背後から僕を追い越して、先生に近づこうとする同志たちも現れなかった。
先生は、決して後ろを振り向かれることはなかった。先生は前を向き、一歩一歩、歩を進めた。
僕は、先生の背中に、近づきがたい何かを感じた。先生の背中は孤高だった。と同時に、孤独であるようにも見えた。
先生は、既に多くのものを、その背中に背負っていた。
それでも先生は、僕らを、目の前の誰かを、救ってくださろうとする。
先生の背中は、疲れているようにも見える。
それでも先生は、常に全力であることを、止めようとはなさらない。
僕は先生の背中に憧れ、会社の同僚を助けようと試みた。常に全力でありたいと願い、自分なりに頑張ってはみた。しかし、救おうとした相手から拒絶され、その試みは脆くも失敗に終わった。
僕の全力は、溺れる人間が藁をつかもうとするように、その場で足掻いているだけに過ぎなかった。岸辺から見ている人たちを、笑わせるだけに終わった。
僕は先生にはなれない。近づくことすら、できていない。
市の真ん中のイベントスペースが近づくと、バンドの演奏するメロディーが聞こえてきた。ギターの奏でる音色は、物悲しく響いた。
ふと昔、こういう光景に出会ったことを思い出した。あれは、いつ、どこでの出来事だったのか?
露店の看板が目に飛び込んできた。「イタリア」の文字。現地のお菓子を手作りで提供するお店のようだ。
そうか、あれは、中世ヨーロッパでの出来事だったに違いない。愛する女性と離れ離れになり、胸の痛みを抱えたまま、僕は修道士になった。そこで先生と出会い、先生に連れられて旅をして回った。先生は行く先々で説教をされ、讃美歌を歌って聴かせた。
僕らもそこに、コーラス隊として参加した。それは、とても楽しい旅ではあった。先生が目の前の人々を癒し、勇気づけられる姿には、毎回感動した。そして、微力ながらも、その手助けができていることに、誇りと充実感を感じた。
しかし、僕の胸の底に残った痛みは、決して消えることがなかった。痛みを乗り越え、悟りを開きたいと願っても、叶えられることはなかった。
僕は、決して先生のようにはなれない。その事実に囚われた時には、僕は、深い絶望の闇に沈むことになった。
今の僕の気持ちは、その時の気持ちにそっくりだった。僕は結局八百年間、何も成長していないのかもしれない。
「先生とお話しされてみてはどうですか?」背後から、Mさんが声をかけてくださった。
「そうですね。今、この光景は外国みたいだなと思って、眺めていたのですよ」
「ああ、森田さんは、確か、外国にもお住まいだったんですものね」
「ええ。でも、僕が住んでいたのは、主にアメリカなんですけど、この光景は、ヨーロッパなんじゃないかと思っていたのです」
「ああ、確かにヨーロッパ風かもしれませんね」
Mさんとそんな会話をしている間に、先生は立ち止まってカメラを構えられた。先生が写真を撮っている間に、僕は期せずして、先生の真後ろまで追いつくことになった。
僕はふと、先生に尋ねてみたいことがあったのを思い出し、先生に話しかけてみることにした。紅葉を楽しんで歩きながら話すにはうってつけの、他愛のない話題だった。
下鴨神社を出て駅へと向かう
「先生がホームページで公開されていた、AIに作らせたイラストは、何のAIを使ったのですか?――チャットGPTなのか、それとも、何かイラスト専用の、特別なAIを使われたのでしょうか?」
「ああ、私の似顔絵ですか。あれは、普通にパソコンに入っているAIを使いましたから、特別なものではありませんよ。たぶんチャットGPT?――それだと思いますよ」
「パソコンに入っているやつなら、チャットGPTでしょうね。とても出来がよかったから、何か特別なAIを使ったのかと思いました」
「全くの素人ですから。ただ試しに作ってみただけ、なんですけどね。なかなか面白いものができたから、公開したんです」
「やっぱり、AIってすごいですね」
「うん、絵は、なかなか上手ですよね。しかも、ほとんど時間もかからないし」
「AIは、画像生成も得意ってことなんですね。本当に、何でもできるんですね」
「でもね。最近、AIの限界がわかるような出来事があったんです」
そう言って先生は最近、知り合いの男性お二人から、似たようなメールが相次いで届いたことを教えてくださった。
そのメールは、AIに「先生になって回答してください」とお願いしてみたら、AIが、いかにも先生らしい答えをくれた、という内容で、実際のAIの回答内容も書かれていた。
「その内容は、確かに、僕が言いそうなことが羅列されているんだけど、本人が読むと、実際に僕だったらこういうことは言わないだろうな、と思うような内容だったんですよ。重要なキーワードが抜けていたりして、本人じゃないことがすぐにわかるような内容だったんです」
「そうなんですか」
「つまりですね。AIは、Web上に溢れている、僕に関する情報を集めてきて、回答を作るので、本に書かれている内容は学習できないんですよ。本は、著作権で保護されていて、Web上にはないから、本に書かれているような重要なキーワードは、知ることができないんです」
「なるほど。それなら、もし、AIに先生のご本を読ませたら、回答の精度は上がるのでしょうか?」
「そうですね。多少回答の精度は上がるとは思いますけど、それでも、僕にはなれないでしょうね。一つには、僕は同じタイトルの本を何回も出して、そのたびに、バージョンアップしているので、そのあたりが理解できないと、矛盾したような回答をしてしまうかもしれませんね」
「ましてや、本にも書かないような先生の最新のお考えは、AIでは知りようがないですもんね」
「そうですね。そうすると、どうしても、AIの回答は、ただそれらしいだけの回答になってしまうんだよね」
ただそれらしいだけとは、つまり、心がこもっていない、ということだろう。そこで、僕は、自分自身のAIでの体験を先生にお話しした。
AIにあるパソコン作業のプログラム作りをお願いしたことがあった。AIはすぐに回答をくれるのだが、実際に使ってみるとエラーが起きて上手く動かないということが繰り返された。僕が「動かない」とAIに問い返すと、AIは「申し訳ございません。すぐに作り直します」とか答えて修正するが、試すとそれがまたエラーになる、ということが繰り返された。間違えるたびに、AIは平身低頭といった様子で謝ってくるのだが、同じ間違いを繰り返す。どうみても、その謝罪には、心がこもっていなかった。
「AIに心がないというのは、当たり前なんですけど、心がない謝罪を繰り返されることほど、頭に来ることはないというのが、私の思ったことでした。結局、その時は、最後には動くものを作ってくれたから、良かったですけど」
と言った。すると先生は
「心のない回答といえば、ちょうど先日のロンドンで似たような経験をしました」
とおっしゃって、帰ってきたばかりのロンドンでの出来事をお話ししてくださった。
ロンドンでお世話になった、ある組織の受付でのこと。事務方の担当者に、先生がある質問をした。その事務方の回答は、間違ってはいないが、マニュアルどおりの通り一遍のもので、先生が知りたい情報の答えには全くなっていなかった。紆余曲折を経て、実際の担当者を紹介してもらったところ、その担当者は、親身に相談に乗ってくれて、先生の望んだ回答を得ることができた。
「事務方の回答は、結局、自分が実際にやっていることではないから、どうしても、無難な回答をしてしまうんだよね」と先生。
「組織の都合とかを考えて、後で問題にならないようにとか考え始めると、どうしてもそうなってしまうんでしょうね」と僕。
「そうなんだよ。でもそれは、結局、回答のマニュアルがなっていない、ということだから、マニュアルを変えてほしいという訴えを、帰る時のアンケートに、長々と書いておきました」
とおっしゃった。
なるほど、先生はこんな時にも全力を尽くされるのだ。わざわざ英語で、しかも、今後、頻繁に訪れる可能性が低そうな場所のアンケートに、丁寧に答える。なかなかできることではない。僕なら「一生お役所仕事をやってろよ!」とか、心の中で毒づいて終わるのが関の山だ。
それからまたAIの話題に戻り、先生が「AIにとっては、日本語というのは、とても難しいらしい」という話をされた。それから話題は言語、特に、日本語についての話に移った。
「日本語には、曖昧な表現がいっぱいありますもんね」と僕がいうと、先生は
「そうなんですよ。だから、文筆家にとっては、細かい表現にこだわる価値があるし、工夫のしがいがある、とも言えますけどね」
「ああ、わかる気がします。僕も、日本語って奥が深くて、まさに無限の可能性があるように思っているんです。例えば一人称でも、私とか、僕とか、吾輩とか、いくつも表現方法があるわけですけど、これが英語なら、アイってことになるわけで、やっぱり、日本語って面白いなあと思いながら、普段、小説を書いているんです」
ここまで話したところで、僕らは、高野川にかかる橋を渡り終え、駅の目の前まで来ていた。
信号待ちの間も話は尽きず、先生は、今度、AIに仕事を奪われた会社の社長さんの相談に乗るのだと言った。調査を専門とする会社を経営されているが、このところ、AIで調べるから良いという理由で、これまでのお得意さんから依頼が止まるケースが増えているという。その社長さんにとっては、まさに切実な話題に違いなかった。
先生は、いったいこういった質問には、どのように答えられるのだろうか?……経営学者として、経営コンサルタント的なアドバイスをされるのだろうか?……それとも、こういった経営課題的な質問にも、先生の特殊能力を使って、全く想像もつかないような、特別な答えを出されるのだろうか?
出町柳駅から京阪線に乗る
そんなことを考えているうちに、僕らは地下へ続く階段を下り終え、改札の前まで来た。先生は券売機に向かわれ、僕はお仲間と一緒に先生を待つことになった。
ここで、午前中の疑問が再び戻ってきた。先生はなぜ、交通系電子マネーを使わないのか?……自力でホームページを作られたり、AIも駆使されていることからもわかるように、先生は決して、最新テクノロジーに弱いわけではない。むしろ得意な方だろう。
それなのに、先生がなぜ、あえて、現金で切符を買われるのか?
帰りの電車の地下ホームで、先生は、黒いフリースを着たHPさんと挨拶を始めた。HPさんは、このまま電車で自宅へ帰られるようだ。
電車が来ると、先生はHPさんの隣に座り、熱心に話し続けた。僕は対面の座席に座り、お二人の様子を眺めていた。何やら、話が盛り上がっている。
先生が思わず声を上げて、HPさんとは先生を挟んで反対側に座っていたMさんたちスタッフに、「HPさんは、ヘリコプターのパイロットなんだそうですよ!」と伝えた。スタッフの方たちも、対面に座った僕らも、驚きの声を上げ、皆の注目がHPさんに集まった。
二人の会話は続く。HPさんはヘリコプターのパイロット。しかも、京都の観光ヘリコプターのパイロットさんなのだそうだ。京都の名だたる観光名所の上空を飛行した経験をお持ちのようだった。先生は「とても良い友達ができました」などとおっしゃり、興味津々といったご様子で、HPさんに質問を繰り出した。
「一人一回、いくらなの?」
「何人乗るかにもよりますけど、確か、そんなに高くはなかったと思います」
「何人乗り?」
「四人乗りと五人乗りがあります。自分を含めてだから、お客さんは最大三人か四人までで、何人乗るかで一人当たりの値段が変わるんです」
「値段が変わるって、どういうこと?」
「一機貸し切りなので、一機いくらで値段が決まっているんです」
「ああ、そういうシステムなんだ。じゃあ、三人とか四人で乗った方が、割安になるってことか」
「そうなんです。たぶん、四人乗りに三人で乗れば、一人三万とか四万とか、そのくらいだったと思うんですけどね。私は操縦するだけなので、そのへんのこと、よく覚えていないんですけど」
「そうかそうか。なるほどね」
先生は、矢継ぎ早に質問され、やっと、少しだけ納得されたようだった。先生は、これまで、数えきれないほど多くの方々のカウンセリングをされ、様々な職業の方と出会ってこられたはずだ。そんな先生でも、ヘリコプターのパイロットという職業の方とお知り合いになるのは、初めてのようだった。
僕は、HPさんがヘリコプターのパイロットと聞いて、深く納得するようなところがあった。HPさんには、ノルウェーのチベット遠征隊デザインのフリースがとてもよく似合っていたからだ。
特定の人たちに向けて作られた服を他人が着こなすのは、伊達ではできない。チベット遠征隊という、緊張感を伴う過酷な環境に身を置く方のために作られた服だ。普段から、それと同じような緊張感を持って、自分を律するような生き方をしている方でないと、そのような服を着こなすことはできない気がした。
そしてHPさんの黒いフリース姿は、とても自然で、ヘビーデューティーな作りの服装が、しっくりと馴染んでいた。普段のHPさんの生き様が、立ち居振る舞いに表れているからなのだろう。
三条駅に到着した後も、先生は、扉が閉まるギリギリまで、HPさんへ挨拶をして別れた。
光の学校下で解散、帰途に就く
僕らは朝来た道を反対方向に向かって歩き、14時過ぎに、光の学校のある建物の下に到着した。
ここで先生は最後の集合をかけられ、一人一人と握手をして別れた。僕も両手でガッチリと握手をさせてもらった。
帰り道はSさんと一緒になった。Sさんは、夜のツアーにも参加されるということだった。これまでも年越し、お花見など、様々なツアーに足を運んできたという。特に大晦日のツアーは恒例にしていて、今年のツアーも当然のように参加されるようだ。ということは、もう一か月もない。
「楽しいですよ」とSさんは言った。Sさんはおそらく率直な感想を述べていただけだと思うのだが、僕はその中に魅惑的な響きを感じとった。
僕は、大晦日と元旦に一人だけ家を留守にすることについて、考えてみた。家人から嫌味を言われながら、そそくさと出かける自分の姿が浮かんだ。「年末年始はハードルが高そうですね」と僕は言った。でも、心の中では、まんざらでもないと思っていた。
京都文化博物館の角でSさんと別れ、僕は北に進路を変えた。ホテルに預けていた荷物をピックアップして、すぐに駅へ向かった。
新幹線の予約を早い便に変更して、一刻も早く家に帰ることにした。家に帰ったら、家の用事を全力で片付けよう。良き夫、良き父を演じなくてはならない。
日常へ戻り、今回の旅を振り返る
日常に戻ると、忙しい毎日が待っていた。嬉しいことや、楽しいことも、あるにはあるのだが、圧倒的に負の感情に支配されることが多い。
誰かに拒絶されることの悲しみ。それを自虐的なギャグに変えようとする自分。嫉妬、絶望、怒り。一度大きな怒りに囚われると、僕はそれを手放すことができない。そして誰かを傷つけてしまう。
相変わらず僕は不完全だ。
僕は、やはり書くことでしか救われない。先生との今回の旅も、書き始めてみるとずいぶんと長い文章になった。
書いているうちに、紅葉ツアー当日の疑問が、再び、ふつふつと湧き上がってくる。
先生はなぜ、現金で切符を買われたのだろうか?
ふと、答えがわかった。
先生が現金で切符を買われる理由は、世の中には交通系電子マネーを持たない人もいるからだ。
今回の旅では、たまたま、先生以外の全員が交通系電子マネーを持っていた。でも、次のツアーに参加する方の中には、地方から参加され交通系電子マネーを持たない方だっているかもしれない。先生は、常にそういった方々のことを思い、自分もあえて電子マネーを持たないようにされているのだ。
その御方が、切符を買う時に慌ててしまわないように、常に動きの遅い人にペースを合わせる。そういった配慮をされているのだ。しかも、相手にはそれだと気づかせない形で。
これも先生の、極めてさりげない形での全力の表現の一つなのだ。
結局、全力で生きるとは、さりげないことの積み重ねなのかもしれない。先生の全力も様々な場面で、実に、さりげない形で表現されている。
そして、それは、人それぞれであって良いはずだ。Sさんは、Sさんのやり方でご自分の全力を表現されていた。僕も、僕なりのやり方で、全力を尽くすしかないのだ。
僕は先生のようにはなれない。これからも近づくことすらできないのかもしれない。でも、僕は、僕なりのやり方で、全力で生きていくしかないのだ。
僕は、極めてカッコ悪く、不器用な生き方しかできない。失敗ばかりを繰り返している。でも、それでいいじゃないか。
だってそれが、自分そのものなのだから。
(第四章に続く)
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