カッパ君が突然姿を現したのは、12月も後半に入った週末の午後だった。僕はその日、数か月前に引っ越したばかりの新しい自宅で、一人で過ごしていた。
朝から、ダイニングテーブルにパソコンを持ち込み、紅葉ツアーの記録を書いていたのだが、久しぶりに筆が乗ってくる感覚があり、執筆に没頭することができた。
午後に入り、執筆が一段落して、窓の外の景色を眺めながら、Sさんと話した紅葉ツアーの帰り道のことを思い出していた。「とても楽しいですよ」と、Sさんが年越しツアーについて語ったセリフが忘れられなかった。彼は毎年参加しているという。でも僕は、大晦日と元日に家族を置いて、一人だけ出かけるなんてできないだろう。
「参加するしかないだろ」
気がつくと、カッパくんがダイニングテーブルの斜め向かいに座っていた。僕は、カッパくんが久しぶりに現れたことに驚いていた。カッパくんは、それを見透かしたようにこう言った。
「もう、来ないつもりだったんだけど、挨拶をきちんとしていなかったと思ってね。最後に一度だけ、と思って来てみたんだ」
何と答えてよいかわからない僕に対して、カッパくんはさらに続けた。
「年越しツアー、参加したいんだろう? 行けばいいと思うよ。でも、京都の宿は高いっていうし、混んでいるかもしれないからね。調べるだけ調べてみたら?」
僕は言われるがままに、スマホの旅行アプリを立ち上げ、大晦日の京都の宿を検索してみた。烏丸御池付近でも、宿の空きはまだあるようだった。値段も思ったほど高くはなかった。そのまま宿の予約をして、新幹線も手配をした。
まさか、カッパくんにツアー参加を勧めてもらうとは思っていなかった。スマホから目を離すと、カッパくんは斜め向かいに座って、僕の様子を眺めていた。目を細めて少し微笑んでいるように見えた。そうだ、お茶くらい出さなくては。彼はお客様なのだ。
「お茶くらい出すよ」と言って、僕が立ち上がると、
「コーヒーはあるかい?」とカッパくんが言った。
「デカフェしかないけど、それでもいい? 僕は最近、カフェインを摂るのを控えているんだ」
カッパくんは、大きくうなずきながら、問題ないということをジェスチャーで示した。
僕が淹れたコーヒーを、カッパくんは慎重に一口飲んだ。それから、
「君が淹れてくれるコーヒーは美味しいね」と言った。もう一口飲んでから、こう言葉をつないだ。
「最後に、君の淹れたコーヒーが飲めてよかったよ」
そう言うと、カッパくんは僕の方を見つめた。カッパくんの目は少し潤んでいるように見えた。僕はドキンとして目をそらし、一瞬だけ窓の外に目をやり、もう一度カッパくんを見てこう言った。
「そんな冷たいこと言わないでくれよ。これからもいつでも遊びに来てくれよ」
「そうはいかないよ」カッパくんはきっぱりと言った。
「君はどこかに行ってしまうの?」僕は尋ねた。
「僕はどこへも行かない。いつもの場所に戻るだけさ。でも、君には行くべきところがあるのだろう? 君は、そこには一人で行かなくてはならないよ。そうしたら、僕はもう君には会えなくなる。僕は、君の新しい世界へは行くことができないからね。でも、君のことはこれからもずっと思っているよ。僕の世界から、君のことを応援し続けているよ」
カッパくんは微笑みを浮かべている。それから、コーヒーをもう一口飲み、マグカップを持ったまま窓の外に目を向けた。
「君の新居にお邪魔できて、よかったよ。本当に眺めがいいんだね」
窓の外には、冬晴れの青い空と、すっかり葉の落ちた木々、その先には、枯れた芝生の広がる大きな公園が見えていた。芝生広場の先に川が流れ、川の向こうに森、そのずっと向こうには、丹沢山系の山並みも見えている。
「あの一つだけ高くて、真っ白い山は富士山かい?」とカッパくんが言った。
「そうだよ」と僕が答えると、
「へえ、富士山が見えるとは知らなかったな」とカッパくんが呟いた。僕は思わず立ち上がり、窓際まで行って解説した。
「そうなんだよ。この部屋を内見した10月の終わりには、まだ目の前の木々は緑に包まれていたんだ。だから、目の前に森が広がっているんだなって思っていたんだよ。でも、冬になって、葉が落ちて、雲一つなく晴れた日には、こうして富士山が見えるってことが、実際に住んでみて、初めてわかったんだ」
そう言ってから振り向くと、もうそこに、カッパくんの姿はなかった。
ダイニングテーブルには、半分くらいコーヒーの入ったマグカップだけが残されていた。コーヒーからは、まだかすかに湯気が立っていた。
夢を見ていたような気もしたので、スマホの中を確認してみた。旅行アプリには大晦日のホテル予約が確かに入っていた。JRのアプリには、新幹線のチケットも予約済みだった。夢ではなかった。
少しだけ考えてから、予約はそのままにすることに決めた。決心を固めるために、年越しツアーに参加するつもりだということをメールにしたため、先生に送った。
25年12月31日
14時33分、僕を乗せた新幹線は、四分遅れで京都に着いた。外の気温は八度。風が少しだけ冷たい。いつものように地下鉄に乗って烏丸御池駅へ向かい、予定通り15時過ぎにはホテルにチェックインができた。
16時過ぎにホテルを出て、あたりを散策してみることにした。気温は七度に下がっている。
紅葉ツアーのときに気になっていた、三条通り、鴨川沿いのスタバに行ってみた。店内は混んでいたが、なんとか外の景色を眺められる、カウンター席を確保できた。
16時33分に季節限定メニューの米麹ラテを手に入れ、座席に座る。鴨川沿いを散歩する人々の姿を眺めながら、小説の推敲を続けた。鴨川上空には月が浮かんでいる。三日後には満月を迎える月が、僕たちを見下ろしてくれていた。
17時ちょうどに店を出る。帰りは違う道からホテルに戻ることにする。三条通りから適当な路地を右折してみる。感じのよいお店が並ぶ、風情のある通りだった。
このお店にシローさんと来たらどうだろう、などと考えながら歩く。空の上からお月様が微笑んでいる。
御池通りを左に折れ、西へ進む。進行方向右手、道路の向こう側には、歴史を感じさせる立派な建物が見える。京都市役所だ。この重厚な造りは、明治から昭和初期あたりに建てられたものだろう。
今度は、左手に目を向けると、建物に「本能寺」の文字を見つけた。ホテルの名前が「本能寺ホテル」なら、コンビニも「本能寺店」とある。どうやらここが、あの本能寺のあった場所のようだ。なんとも歴史の名所が、そこら中にあるのだ。これが京都なのだろう。
この感覚は、ローマを訪れたときの感覚にも似ている。ローマの街中にも歴史的な建造物と思われる建物が、そこかしこにあった。
17時18分、ホテルの部屋に戻った。外の気温は六度。さらに下がっている。
ベッドに寝転んで、テレビを点けてみる。阪神タイガースの選手とよしもとの若手お笑い芸人が出ている。いかにも関西ローカルだ。
18時22分、エレベーターに乗って階下へ降り、建物の外へ。外の気温は五度にまで下がっている。ダウンコートを着ていると寒さは感じない。むしろちょうどよい気温だ。東京を出るときには暑いくらいだったが、着込んできた甲斐があった。
御池通りを東に向かう。月は空高く、天頂近くまで昇っている。
いったん、寺町通りを過ぎて、本能寺のコンビニへ。お茶を買って、再び来た道を戻る。レシートに本能寺店の文字がある。嬉しい。コンビニのレシートという日常の紙切れに、「本能寺」という歴史的な言葉が載っているのを見ると、心が躍る。
18時33分、寺町通り。さすがに人通りは少なくなっている。
光の学校下
18時40分、予定より少し早く、光の学校の建物の前に到着した。ふと、光の学校の看板が目に入り、よくよく中身を確認してみることにした。
光の学校の英語表記は「School by the Lights」であることに気づく。普通に英訳するなら、School
of Lightとなりそうだが、ofではなくbyであり、lightは複数形で、しかもtheがつけられている。
この英語を今度は日本語に直訳すると、「あの光たちによる学校」ということになるだろう。そうなのだ。この学校はまさに、あの光たちによって運営されている。そして、その代表を先生が務めておられるのだ。
学校の中へ
18時42分、トイレを済ませて三階に上がると「ちょっと早いですけど、中にお入りください」と、スタッフの女性が扉を開けたところだった。
18時43分、中に入って一番前の右端に座る。続々と参加者が来る。グループ参加の女性が多い。男性は今のところ数名だ。しかも奥様とご一緒の方々だ。意外にも、男性一人での参加は、僕だけなのだろうか?
SさんやKさんは現れないのか?
18時55分、後ろから、聞き覚えのある声が聞こえた。Sさんだ。彼は、さっそく他の参加者と盛り上がっている。いつのまにか、KさんやHPさんも現れ、結局、男性参加者は、六名になった。男女比は一対二。だいたい、この比率に落ち着くようだ。
先生登場
19時過ぎ、先生が登場。
「今日は思ったよりも多くの方がいらっしゃいましたね。こんなに大人数になるとは、思ってもみませんでした」
先生はそうおっしゃって、ホールに集まった我々の姿に目を向けられた。この日は男性六名、女性十三名。全部で十九名の同志たちが、ツアーに来ていた。
先生は我々を見渡した後、
「孤独な方が多いということですね」と付け加えられた。
その一言で会場からは、少しだけ笑いが起きた。
先生のルート説明
「まずは、近くの蕎麦屋に行って、年越し蕎麦を食べます。このあたりでは一番の老舗です。全員が一緒に入ることはできないから、並んで順番待ちすることになります。並んだ順で、何組かに分かれて、お蕎麦を食べてください。どのくらい待つことになるのか、行ってみないとわかりません。年によって、すぐに入れた年もあれば、三十分以上待った年もあります。食べ終わったら各自、光の学校まで戻ってきてください」
先生は、まずこのようにおっしゃった。ここまでは予想の範囲内だった。
「戻ってきたら、コンサートをやります。久しぶりに歌詞カードも用意して、本格的な合唱を行います。先程、歌詞カードをコピーしてきたんですが、だいぶ多めに用意したつもりでしたけど、こんなに多くの方が来るとは思っていなかったから、かなり余るかと思いましたけど……なんとかぎりぎり足りそうですね」
この言葉を聞いて、僕は心の中で小躍りして喜んだ。大晦日と言えば、紅白歌合戦をぼんやりと見ながら「知らない歌手ばっかりだな」などと呟くのが恒例だったが、今年は先生と一緒に歌を歌いながら年が越せる。これだけで最高の年越しと言えそうだった。
更に先生の説明は続く。
「その後、学校を出発して、知恩院で除夜の鐘を聴きます。今までは中に入って聴いていましたけど、かなり並ぶんですね。でも、今年から完全予約制になりました。有料で一人三千円らしいのですが、もう完売しています。おかげで諦めがつきました。我々は、裏に回って壁の外から、除夜の鐘を聴くことにします。その前後で、八坂神社にもお参りして、もしタイミングが合って体力に余裕があれば、若者に混じって、年明けのカウントダウンにも参加したいと思います。では、一刻も早く、蕎麦屋に向かいましょう。蕎麦屋でどのくらい待つことになるか、わかりませんから」
先生にそう言われて、我々は一斉に立ち上がって、出発の準備を始めた。
蕎麦屋へ
19時10分、一階に集合。
19時13分、蕎麦屋に並んだ。すでに店の外には、十名ほどが並んでいたが、我々が並んだことで、順番待ちは一気に三十名に増えた。
僕は、スタッフのSCさん、Sさん、初めてお会いする女性参加者の方たちと、列の最後尾についた。
僕は、SCさんに、すぐ近くに本能寺があって感動したことを話した。SCさんは申し訳なさそうに、今の本能寺は移転していて、「本能寺の変」のときとは場所が異なることを教えてくれた。
そうなのか。さすがに、444年間も同じ場所にあるわけではないのか。がっかりしていると、SCさんが「でも、その頃の本能寺があった場所も、案外近くですよ」と僕を慰めるように言ってくれた。
するとそこでSさんが「そういえば、以前のツアーで本能寺の跡地にも行きましたよね。あれは桜の季節だったかなあ」などと言って、会話に加わった。
そこから話題は、過去の旅の企画の話になった。スタッフのSCさんはもちろん、Sさんも、国内外問わず都合がつく限り全ての旅に参加されており、この年越しツアーは第一回から皆勤賞とのことだった。
「昔は今より若かったから、ものすごく歩いた回もありましたよね。紅葉ツアーの昼と夜の二回で一日二十キロ、なんてこともありました」とSCさんが言うと、
「あの年は、よく歩きましたね」とSさんも答え、目を細めて、懐かしそうにしている。
羨ましい。お二人とも生き字引のようだ。先生との旅の思い出だけで、小説が百本くらい書けそうだ。
蕎麦屋の列の進みは、案外早く、三十分ほどで店内に入った。
「晦日蕎麦」と名付けられた、この日限りの特別メニューのお蕎麦の具は豪華で、おつゆも美味しかった。しかし、お蕎麦の量がかなり少なめだった。Sさんによると、このお店の年越し蕎麦は、昔から、麺の量が通常より少なめに設定されているそうだ。次回から大盛りを頼むか、あるいは、軽く夕食を済ませてから臨む方がよいのかもしれない。
20時過ぎ、食事を終えて店を出た。
再び光の学校
20時10分、学校の建物に戻り、一階でトイレを済ませる。
20時15分、学校内のホールへ。
僕は、最前列右側の席に座った。右奥の特別席でじっくりと光の世界に浸りながら、コンサートを楽しみたいとも思ったが、特別席は他の方にお譲りすることにして、一番前に留まった。結果的には、この席で正解だったことが、後々判明した。
ほどなくして、歌詞カードが配られる。分厚い。数えると十枚ある。なんとも楽しみだ。
歌詞カードの左上に、手書きで「白」の文字が書かれ、丸で囲われている。これは「紅白歌合戦」を意識した趣向だろうか?――次のページをめくると、「白」「白」「茶」「黄」「白」と続き、「紅」の文字は出て来なかった。紅白歌合戦ではないらしいが、では何の印なのか?――この謎も、後ほど解けることになった。
20時24分、コンサート開始
先生が舞台に上がられ、コンサートが始まった。最前列の右側だと、先生は目の前だ。譜面台に遮られることもなく、先生の演奏する姿がすぐそこに見えた。
僕は、目を閉じて光の世界に繋がっていたい気持ちとか、先生の姿をずっと観察したい気持ちとか、歌いたい気持ちとか、いろいろな思いがあったが、歌詞カードももらったし、今日は最初から大合唱、と先生もおっしゃるので、歌うことに集中することにした。メモを取ることも諦め、歌詞カードを握り締めた。
喉ならし一曲目 Beatles『Let It Be』
先生は、まずは喉ならしとして、『Let It Be』を歌われた。英語の歌詞に続いて、先生訳の日本語の歌詞で歌う。この歌は9月のセミナーで聴いて以来だ。あのときは大号泣してしまった。あのとき以来の『Let It Be』を聴き、あのときの続きにあたる、コンサートの幕が開けたことを悟った。
喉ならし二曲目は、尾崎豊『I LOVE YOU』
この曲は、僕にとっては、もっとも馴染み深いJ-POPの曲と言っても過言ではない。高校生のときに出会い、もう四十年くらい歌い続けている。もしかしたら、僕が人生でもっとも繰り返し歌っている歌かもしれない。
高校生の頃はラジカセに合わせて歌い、それがウォークマンに変わり、さらにCD、iPodと進化し、今ではYouTubeに合わせて歌っている。
カラオケでも何度となく歌った。昔は知る人ぞ知る名曲といった位置付けだったのに、いつの間にかカラオケでの定番曲になっていて、皆に飽きられているとわかっていても、ついつい歌ってしまうことも多い。
それだけ繰り返し歌っても、僕はこの曲の歌詞で歌われている状況が、今一つハッキリとはイメージできていなかった。
悲しい恋だということはわかるが、具体的にはどういう状況なのか? 不倫のような状況なのだろうか? でもこの曲を作った当時、尾崎は十七歳だぞ? などと思っていた。
この曲を初めて聴いた十五歳のときにはもちろんわからなかったし、二十代になってもわからないままだった。三十代、四十代、そしてついに五十代になっても、その謎は解けなかった。
しかし今年、ある出来事をきっかけに、この曲の状況について、自分なりの解釈を得た。僕が創作上の師匠の一人と考えている故人が現れ、曲の解説をしてくれたのだ。それ以来、具体的な風景をイメージしながら、この曲を歌うことができるようになった。この歌を何十回、何百回も歌って初めてのことだった。まさに今年の大発見と言ってよかった。
その曲を今、先生が弾き語りで演奏してくださっている。先生は語りかけるように歌われる。尾崎豊さんご本人や、僕にこの曲のヒントを与えてくれた故人、その他にも、様々な光の存在たちが集まってきてくれているのがわかった。
喉ならし三曲目は、「とても簡単なメロディーなので、皆さんも一緒に合唱してください」と先生がおっしゃって歌い出された。
曲は、チューリップの『心の旅』。この曲も学生時代には、カラオケで繰り返し歌っていた曲だった。しかもつい最近、日経新聞の名物連載企画、「私の履歴書」に財津和夫さんが登場されたのをきっかけに、この歌をYouTubeで聴いて熱唱したばかりだった。
財津さんは、履歴書の中でこの曲について、「実体験を題材にした、数少ない曲の一つ」と紹介されていた。どおりでこの曲にはパワーがあるのだ。
実体験に基づいた作品作りは、虚構の世界に入っても独特のパワーを持つ。実体験を題材にするやり方は、僕自身の小説作りとも通じるものがあり、自分の好きだった曲が同じような作り方をされていたと知って、大きな励みになっていた。
その歌を今、目の前で先生が熱唱されている。僕は、福岡からの夜汽車で旅立つ青年の姿をリアルに思い描きながら、一緒になって歌った。
しかし二曲目も三曲目も、僕にとっては、とても馴染み深い曲、しかも僕の創作に大きな力を与えてくれている曲だった。そんな曲が二曲続いた。これはいくら何でも、偶然とは思えない。
先生が僕のために、この二曲を選んでくれたとしか思えなかった。しかし、どうしてこの二曲が僕の思い出深い曲だなんてことがわかるのか?――僕は今日コンサートが行われることすら知らなかったわけだし、先生にこの二曲を是非演奏してほしいなんてことを言ったことは、もちろんなかった。
この謎は、次の曲を聴いている最中に、解けることになった。
ところで、喉ならしの一曲目の『Let It Be』のときから、僕の座っているすぐ近く、右前方の壁が、反響するのが気になっていた。壁が反響し、うっすらと、天使の歌声らしき声が聞こえる。
僕は、曲が終わるたびに右側の壁の様子を観察した。何か特別な仕掛けがあるのかもしれない。音がしたあたりは、他の場所と同じように、先生によって飾られた様々なステージの小道具たちが鎮座するだけで、特別な音響装置のようなものは見当たらない。
小道具の一つ、アンティークの大きな地球儀に目がいく。そこには、大航海時代の世界地図が描かれている。もしかして地球儀は見せかけで、中に特別なスピーカーが隠されているのか?
そういう、少し無理な考え方をしなくては、右側から音が響く理由の説明がつかない。
喉ならしの二曲目、三曲目と、右側からの響きは大きくなるばかりだ。次第に、音のする方向、つまり、僕の座ったすぐ右側の部分に、何か人の気配のようなものすら感じるようになった。これは、何か偶然で音が響いているのではない。誰かがそこにいて、小道具たちをゆらし、音を響かせているのかもしれない。だんだんと、そう思えてきた。
喉ならし四曲目。最後の喉ならし曲を、先生は「本日の紅白の大トリに選ばれました」と紹介してから歌い出された。
松田聖子の『青い珊瑚礁』。なんとも懐かしい曲ではあるが、先生が松田聖子を歌われるとは、意外だった。
僕は、なぜ松田聖子なのか、思いを巡らせながら、その懐かしい曲を歌った。
昔、先生が東北地方に住んでおられたとき、若い頃の松田聖子にそっくりの女の子と出会った、不思議なエピソードを紹介されたことがあった。そのときの思い出があるから、聖子ちゃんの曲を選んだのだろうか?
聖子ちゃん!?
そのとき、僕の姉が松田聖子の大ファンだったことを突然思い出した。姉が松田聖子の話題を口にするときは、いつも「聖子ちゃん、聖子ちゃん」と言い、声のトーンが高くなった。他のアイドルには全く興味を持たなかった姉が、松田聖子にだけは熱を上げ続けていた姿がよみがえった。
そうか! 姉の仕業だ。姉が今ここに、来てくれているのだ。先生の喉ならしの曲選びも、姉のリクエストに応えてくれたに違いない。
そのことがわかり、僕は、思わず涙が溢れそうになる。しかし、それをこらえて、声を出して歌い続けた。今日は大合唱大会だ。僕も声を出して歌わなくてはならない。
姉の存在に気づいた途端、右側の壁の反響は、急におとなしくなった。代わりに、僕の喉の調子が良くなっていったところで、いよいよ、コンサート本編のスタートとなった。
コンサート本編スタート
コンサートの本編では、A3用紙十枚の歌詞ブックの順番に従って、演奏が行われた。
この日のコンサートは、通常のコンサートと違い、どの曲も冒頭から一緒に歌う方式が採用された。
本編の一曲目は『The Rose』。いきなり英語の歌だ。知らない曲だったが、歌詞を読む限り、素晴らしい歌のようだ。英語の歌詞でなんとなく意味を理解してから、先生の日本語訳を読むと、なるほど、と心にしみた。
歌ってみると、以前どこかで耳にしたことのあるメロディーで、すんなりと歌うことができた。
二曲目『逢いたい』は今さら解説不要の、先生の代表曲の一つだが、先生は改めて「亡くなられた親しい故人を思い出しながら、歌ってください」と言われた。さらに、
「おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、旦那さん、奥さん、恋人やご友人。もしかしたら、兄弟姉妹とか、お子さんとかの場合も、あるかもしれません」と、この会場にいる同志たち、それぞれにとっての故人との関係性を、言葉にして伝えてくださった。
僕は当然ながら、姉のことを思いながら歌うことにした。姉がこの会場に来ていて、先生にいろいろとお願い事をしているのは、わかっていた。姉に向けて、心を込めて歌おう。
歌い出すとすぐに、姉が現れた。丸い光の姿になった姉が、僕の目の前にいた。姉は、眩しい光で、僕を照らしてくれている。僕も光の姿に戻り、姉とつながった。姉と僕は、それぞれが、別々の球体でありながら、大きな一つの光でもあるようだった。
時々、目を開けて、歌詞を見ながら歌う。そうすることで、僕は、まだ自分が物質世界にいることを、思い出すことができる。姉との様々な思い出もよみがえり、涙声になった。
ふと、後ろの席からも、涙声が聞こえてきているのに気づいた。Kさんの声だ。Kさんのところにも、いくつかの魂たちが会いに来てくれているのだろう。
と、その瞬間、僕は姉と二人だった世界から抜け出し、その外側、一つ上の世界に移動した。
そこには、無数の光の存在たちがいた。それぞれが球体となり、様々な輝きを放っている。この部屋にいる十九人の同志たち、それぞれと縁の深い魂たちが、この場に訪れてくれているのだ。
この部屋が、無数の光たちで満たされているのがわかった。
光たちは、それぞれが別々の存在でありながら一つになり、仲良く縦横に等間隔で並び、結びついているようだった。それはまるで、化学の教科書で見た分子の配列のように見えた。光たちは立体的できれいな隊列をなし、お互いに輝くエネルギーを送り合って結びつき、この部屋全体が一つの大きな光に包まれた状態を作り出していた。
三曲目は、『生まれてきて良かった』。このところ、登場回数が増えてきている、両親について歌った歌だ。
先生は、このような解説をされた。
「世の中には、子供の頃につらい経験をされて、親が憎くてたまらないという方たちだっていらっしゃいます。そういう方の話をカウンセリングでお聞きしてから、この歌はなかなか歌えなくなりました。辛い記憶を思い出させることになりますから。でも、自分もすでに両親を二人とも亡くしました。自分の両親のことを思いながら歌うのであれば、許してもらえるのではと思い直して、再び歌うことにしたのです」
僕の両親は、まだ健在だ。翌年の春には、両親を二人の生まれ故郷に連れていくという大イベントを行うことが、つい、数日前に決まったばかりだった。
九十二歳の父と八十五歳の母。父にとっては間違いなく最後の帰郷。母にとっても、もしかしたら最後になるかもしれない。この一大イベントは、もう何年も前から、実現させたいと思っていたことだった。でも、なかなか予定が具体化しないまま、すでに数年が過ぎていた。
父も母も行きたい気持ちはあるものの、体調に不安があり、二の足を踏む状態が続いていた。
それが今回は、両親が二人とも行くことに同意してくれた。最初で最後のチャンスだ。おそらく姉も光の世界から、手を貸してくれたのだろう。天国の姉との共同イベントになるに違いなかった。
姉に、よろしく頼むぜ、と語りかけながら、歌った。
そこからは、馴染みの深い先生の曲が、次々と演奏された。『いつもそばにいるよ』『私の幸せ』『ツインソウル』『これでいいのだ』『嵐の海へ』『歩き続ける』と続き、最後は『私に起きている奇跡』で締めくくられた。
全部で二時間近くに及ぶ、大コンサートになったが、この日は、通常のコンサートとは違っていた点がいくつかあった。
一つ目の特徴は全曲、曲の冒頭から合唱する形式だったこと。通常なら、先生の演奏をじっくり聴くだけの曲も、冒頭から合唱形式で歌うことになった。これだと、左脳の働きが強くなりすぎて、光との繋がり感は薄れてしまう反面、皆で歌うことの効果は大きくなると思われた。
それ以外にも、先生が深くお考えになって、意図的に、このような形式にされたのだと思う。そこには、凡人には計り知れない意図が隠されているに違いない。
二つ目の特徴は、先生が曲の途中で演奏を中断させ、曲の解説をされたことだ。演奏開始前の曲紹介の段階で、先生が解説を入れるのはよくある形だが、曲の途中で解説をはさむのは珍しい、というか、僕が参加したコンサートでは、初めてのことだった。
解説の内容は、作家としての曲作り、特に歌詞を作るときに何に気をつけているかというようなお話だった。先生はそれを、具体例を交えながらお話ししてくださった。
これは自分のための講義だと思って、真剣に聞いてはいたが、途中で、実際に先生が「今日は小説家さんがいらしているので、特別サービスですよ。普段はこんな話はいたしません。みなさんもよかったですね」と、おっしゃってくださった。
先生の歌詞解説で、特に心に残った点をいくつか挙げると、
・細かな言葉遣いにも気を使っていること
・あえて状況を具体的に説明せず、聴き手が自由に状況を想像できるような、あいまいな表現にしている場合があること
・常に、受け手がどのように感じるか、考えていること
・時には、実際に誰かが口にしたセリフを、そのまま歌詞にする場合もあること
・パーソナルな世界を歌った歌詞の中に、ワンフレーズだけ、宇宙についての歌詞を挟むことで、視点の広がりを持たせること
などなどだ。
これらのお話の多くは、自分も小説を書く上で、常に心掛けたいと思いながら、なかなかできていない点だった。先生も同じようなことを考えながら、曲作りに取り組んでおられるのだと知ることができたことは、大きな励みになった。自分が実際にできていないとはいっても、少なくとも自分の課題の持ち方は、間違っていないことがわかったからだ。
もう一つ、これは意外に思ったのが、先生でも、創作活動においては、それなりの苦労をされているのだ、ということ。
先生は、特別な才能をお持ちであり、歌詞も、メロディーも、瞬間的に光の世界から届き、あとは楽譜に書き起こすだけ、といった作り方をされているものとばかり思っていた。
しかし、先生のような御方でも、光の世界から降りてきたものを物質世界の記号(音符や言葉)に置き換えるには、それなりの苦労を伴うのだろう。
であれば、凡人である自分が常に苦心を極めるのは至極当然とも思え、この点も大きな励みになった。
解説の途中で、歌詞カードの左上に書かれた、「白」「茶」「黄」の文字の意味も、明らかにされた。これは、ギターの種類を表しているのだという。確かに、先生の周りには三台のギターが置かれており、先生は曲によってそれらを使い分けておられた。どのギターを使うか間違えないように、書き込んでいるのだという。案外、実用的な理由だった。
そして、この日のコンサートがいつもと違った点の三つ目は、先生がコンサート中に、僕のことについて言及してくださったことだ。
一曲目か二曲目の早い段階で、「今日は、小説家さんがいらっしゃっているから、少し緊張しますね」などとおっしゃり、皆に僕が来ていることを教えてくださった。一番前の右端に座っている僕のことを、ちらりと見ながらおっしゃるので、皆、誰が小説家さんと呼ばれているか、すぐにわかってしまったことだろう。
その後も、先生は何度か、僕について言及された。「今日は、ペンとノートは持っていませんね」とか「今日は、小説家さんがいらっしゃいますから、特別に解説しますけど」などと、話された場面があった。そのたびに僕は恐縮することになったのだが、一度だけ恐縮を通り越して、かなりドキッとした場面があった。
それは、コンサートの中ほど、何かの曲の創作秘話を明かされた後、「今日は小説家さんが来ていますから、特別サービスです」と言った話をされた直後だったと思う。先生が僕の方に顔を傾け、突然、このようにおっしゃった。
「そういえば小説家さん、あなたについて以前から、気がついていたことがあるんですよ。今まで、お伝えしていませんでしたけど」
先生が、僕について、僕自身も気づいていないような、重要な指摘をされるようだ。予想もしなかったタイミングで、最後の審判が下されようとしている。僕が思わず身構えたところで、先生がこうおっしゃった。
「子供の頃、サンダーバードっていう、人気番組があったんですけど、小説家さん、あなたは、サンダーバードの登場人物の人形に、よく似ています」
僕が拍子抜けしながらもうなずくと、
「登場人物の中に、彫りが深くて、目の大きなキャラクターがいるのですが、その人形にそっくりです。これ褒め言葉ですよ。子供たちのヒーローに似ている、ということですから」と、付け加えられた。
僕は、先生のお話が最後の審判でなくて安堵すると共に、なるほどと深く納得するところがあった。
実は、僕は昔から、人形などのキャラクターに似ていると言われることがよくあった。学生時代には、ドラえもんに似ていると言われたことがあったし、ミッキーマウスに似ていると言われたこともあった。家族からは「銀河鉄道の夜」の絵本の中の、ジョバンニのクラスメイトの一人(カムパネルラやザネリではなく、名もなきクラスメイト)にそっくりだ、と言われたこともある。
ドラえもんに似ていると言われたのは、雨天での登山の真っ最中だった。僕は、青緑色の雨具の上下を着込み、フードを頭からすっぽりとかぶっていた。色使いも近いし、ドラえもんに似ている、と言うのはわからなくもなかった。僕は、雨の中の登山を少しでも盛り上げたいという仲間の配慮に感謝し、少しおどけて、ドラえもんのモノマネまでして見せたと思う。
一方、ミッキーマウスに似ていると言われたのは、大学のキャンパスの芝生の上で学科の後輩たちと談笑しているときだった。「先輩はミッキーマウスに似ています」と女の子の一人が言った。「うん、みんなそう噂しています」ともう一人の女の子が言い、周囲の後輩たちがクスクスと笑った。
ジョバンニの友人に似ている説は、僕も気に入って、SNSの自分の写真代わりに使ってみたことがあった。それを見た友人から「その似顔絵、よく描けているね」と言われたほどだった。
これらの事実は、全てだいぶ昔の出来事だし、普段思い出すことはなかった。しかし、先生にまでサンダーバードの人形に似ていると言われたことで、突然過去の記憶がよみがえった。さらに、ある一つの気づきを得た。
それは「僕は人間、あるいは地球人として、見られていないのかもしれない」ということだ。
海外に住んでいるときには、「おまえは、日本人っぽくないね」と言われたことが、何度かあったのも思い出した。
僕は、常にその場に馴染もうと、与えられた役割を自分なりに頑張って演じてきた。地球人を演じ、日本人を演じ、会社員を演じ、夫を演じ、父親を演じ、息子を演じた。
しかし、どの役で舞台に上がるにせよ、僕はいつも三流の大根役者みたいな演技しかできなかった。いささか無理をしながら演じている感じが常にあって、どの場にも完全に馴染むことができない。どこにいても、自分だけが場違いな場所に紛れ込んでしまったかのような居心地の悪さを、多かれ少なかれ感じることになった。
そういった僕の持つ不自然さを、きっと周囲の人たちも感じていたのだろう。
あるいは、僕は、どこか別の星で暮らしていた期間の方が長かったのだろうか? だから、地球人、日本人の体に魂を宿して暮らしていても、今一つしっくりこない感じが出てしまうのかもしれない。
今回のコンサートで、いつもと違ったことの最後の一つは、声がよく出たということだ。
僕は、歌も苦手で、少しでも高い声を出そうとすると、喉が詰まったようになって、せき込んでしまうようなことがたびたび起きる。一オクターブ落として歌うと、今度は低すぎて声が小さくなってしまい、音程も不安定になる。だから、いつも周りの邪魔にならない程度の大きさで、小声でささやくように歌うことが多かった。
しかし、この日は、声がよく出た。喉が震えたようになり、ビブラートがかかったような歌い方が、いつのまにかできていた。
これには理由があった。姉だ。姉が僕と一緒になって、歌ってくれていたのだ。聖子ちゃんの曲の最中に姉の存在に気づいてから、右壁の振動が止まった。代わりに、姉は僕のそばに来てくれて、『逢いたい』を歌っている頃には、僕と完全に一体化していた。
その後から、僕の喉の調子は、絶好調といってよい状態になっていた。何しろ喉が勝手に振動するなんて、初めての体験だった。おかげで、いつも苦手意識のある、『ツインソウル』の「男性だけお願いします!」のパートでも、思いっきり声を出すことができた。この日の男性参加者は、僕を含めて六名しかいなかったので、本当に助かった。
姉は、子供の頃にピアノを習っていて、ピアノが上手いことは知っていたが、歌うのも実は、得意だったのかもしれない。大感謝だ。
二時間近くにわたった大晦日コンサートは、最後の『私に起きている奇跡』の合唱で終わった。この曲は、十年前の六本木でのコンサートで、初めて合唱した曲だ。そのとき先生は「あなたにも今、奇跡が起きているのですよ」と語りかけられた。
僕はそのとき、頭に疑問が湧き上がるのを抑えて、「今、自分にも奇跡が起きているのだ。この場にいることこそが、奇跡なんだ」と、必死に思い込みながら歌っていた。
でも、この日は、歌いながら、奇跡ということについて、しみじみとした実感を抱いていた。
僕にも、今まさに、奇跡が起きている。あらゆる意味で。
22時15分、コンサート終了。
大晦日の京都の町へ
22時26分、一階集合、気温三度。
先生が荷物を置いてこられるというので、いったん、先生が泊まられているホテルの前まで歩く。先生は、てっきりこの近くの高級マンションとかにお住まいなのだろうと想像していたが、そうではないようだ。今日はホテルへ一泊されているらしかった。
22時33分、先生のホテル前を出発。
月は、天頂からやや西へ傾き始めている。
先斗町を抜ける。先斗町については、先生がこれまでも何度かホームページ上などで紹介されていたことがあった。ここがあの先斗町かと、思わずきょろきょろしながら歩いた。
23時00分ごろ、四条通り。
八坂神社は目前だが、交通規制が始まり思うように前に進めない。先生は進路を左に変え、細い路地を抜けた。違うルートから八坂神社付近へのアプローチを試みるも、再び交通規制に阻まれた。すると今度は、さらに進路を変えて知恩院へ。
知恩院に続く坂。坂の向こうに、ライトアップされて金色に輝く知恩院の山門が見える。暗闇の中でそこだけが輝き、浮かんでいるように見える。
その佇まいは、神秘的で厳粛。金色に輝いてはいるが、出しゃばるような派手な感じはなく、厳かであり、これからまさに年越しを迎えようとする緊迫感に包まれている。「すごい」と思わず声がもれた。
坂を上りきり、しばし山門を眺めた後、右に折れて裏口へ向かう。
23時10分、トイレ休憩を挟み、知恩院の裏口への上り坂。
少しずつ人の数が減り、灯りの数も少なくなる。あたりは暗くなり、空の星もきれいに見えている。
南の空にオリオン座も昇り始めてきた。オリオン座を見ると、少し懐かしいような気持ちになる。月は、だいぶ高いところまで昇っている。
23時22分、裏口に向けた最後の階段を上っている最中に、最初の鐘の音が聞こえた。
23時24分、知恩院、裏口到着。
掛け声と共に鐘がつかれる。その音に耳を澄ます。鐘は壁の向こう側にあり、その姿は見えない。だが、お坊さんの気合を入れる掛け声、鐘の音の大きさから、巨大な鐘を複数の男たちが共同でついている姿が、ありありと目に浮かぶ。
三回ほど鐘の音を聞いた。一回あたりのインターバルが随分と長いことがわかる。百八の煩悩を一つ一つ落としていくには、これくらいの準備が必要なのだろう。
23時29分、「そろそろ行きましょうか」と先生が言われ、来た道を戻っていく。
23時40分、露店の間を進む。
先生は露店を抜けて八坂神社に向かうルートを試されるが、交通規制の警備員に行く手を阻まれる。別の露店ルートに進むも、またも警備員が立ちはだかった。
先生は「一人なら強行突破できるんだけどなあ」などと口にされ、悔しそうだ。先生も今回ばかりは大苦戦のようだ。
そうこうするうちに、今年も残すところ、あと十分ちょっとになっている。もしかしたら、このまま道端で年越しということに、なってしまうのかもしれない。
僕は、それならそれでいいと思った。先生だって行く手を阻まれることがあるのだ。先生もやっぱり人間だったと知ることができれば、それはそれで貴重な経験になる。
しかしながら、先生はいつの間にか、僕らを規制のない道へと導く。もう右手に四条通りが見えるところまで来ている。八坂神社の前の道に、すでにすごい人が並んでいるのが見えている。先生はこの道の最後尾に回り込もうとされていることが、ここまで来ると僕らにもわかる。
23時54分、ついに四条通りへ。
年明け六分前。ベストなタイミングで初詣客の最後尾へ取り付いた。
0時00分、年明けカウントダウンと共に年が明けた。
カウントダウンと言っても、花火が上がったり、イルミネーションがついたりといった派手な演出はない。若者たちがスマホを見ながら、自然発生的にカウントダウンを始める。カウントゼロになると、一斉に歓声が上がった。
先生は僕らの方にくるりと振り向き、「あけまして、おめでとうございます」とおっしゃった。僕らも「あけまして、おめでとうございます」と続け、年明け直後の挨拶を済ませた。
先生は列を左にそれて初詣客から離れ、光の学校へと戻るよう我々を誘った。
ここで「僕の電波時計は一分ずれていますね」と先生がおっしゃる。確かに、先生は六分前に四条通りに出た時点でも「あと五分ですね」とおっしゃっていた。
電波時計がずれるってことがあるのか?――先生が時空を超えた存在であることを、暗示しているのかもしれない。
その後、どこをどう通ったかよくわからないのだが、おおむね来た道を戻ったようだった。先斗町を抜けて、京阪の駅まで戻ってきた。
ここで、HPさんとはお別れだった。
HPさんが、先生に挨拶に行く。先生はいつもなら、「お元気で」とか「またお会いしましょう」とか言われるところだったが、この日はHPさんに「連絡をください」と声をかけられた。
「じゃあ、また電話しますわ」とHPさんが答えると、先生は名刺らしき紙を渡し、「メールで連絡をください。仕事の相談がありますから」と念を押された。
なるほど、先生はどなたか、ヘリコプターの旅にお連れしたい方がいらっしゃるらしかった。
HPさんがヘリコプターのパイロットだということは、だんだんとお仲間の間でも知れ渡り始めていた。この日も何度か話題に出ていて、皆から質問が飛んでいた。僕も「このあたりの上空を飛んだりされるんでしょうか?」と尋ねてみた。「そうですね。このあたりの近くも飛ぶことはありますね。この真上ではないですけどね」と答えてくださった。
この日のHPさんは黒いフリース姿ではなかったが、あまり厚着はなさらず、軽快に動けそうな格好をなさっているところは以前と変わらなかった。服装がよく馴染んでいて、似合っている点も前回と同じだった。いつ出動命令が下っても、すぐにヘリコプターのコックピットに座ることができそうな格好とも思えた。
ヘリコプターのパイロットというのは、おそらく誰もが簡単になれるようなものではないし、どんなに長時間のフライト経験を積んだとしても、常に緊張感を伴う職業だろうと思われた。フライトの間だけでなく、普段から自分を律する姿勢が求められもするだろう。
HPさんの立ち居振る舞いからは、そういった人だけが持つことができるであろう、特別な雰囲気が醸し出されているのを改めて感じた。
ツアー終了
鴨川を渡り、先生のホテル前まで戻る。ここで先生は、一人一人と握手をしてくださった。
0時28分、解散。一人で自分のホテルへ戻る。
0時40分、ホテル着。ベッドに寝転んで、今回の旅について思いをはせた。
先生の大宣伝のおかげで、僕が公開した万博編の作者であることが、今回のお仲間にも知れ渡った。「読みました」と言ってくださり、具体的に面白かった箇所を教えてくださった男性もいたし、「何度も読みました」とおっしゃり「他の作品も読んでみたい」とまで言ってくださった女性もいた。
そう言っていただけると、とても嬉しいのだが、なんだか実感が湧かない。そもそもあの作品は、僕にとっては、すでに過去のものであり、自分が書いたものなのかすら怪しい気持ちになったりもする。
一方で「一回読みましたけどタイトルは何でしたっけ?」とか、「まだ読んでいません」とおっしゃる方もいて、少し安心した。
ベッドの上で今回の旅のメモを少しだけ書き足した後、スマホで「サンダーバード 登場人物」という検索をかけてみた。
「ゴードン・トレイシー」――僕によく似た登場人物を見つけた。先生がおっしゃっていたのは、この人物に違いない。オリンピックバタフライの金メダリストにして、サンダーバード4号の操縦士であり、専任潜水士として水中救助を担当。悪くない。
でも、正直に言うと、お兄さんのジョン・トレイシーの方に憧れた。天文学を学ぶというのもかっこいいし、なによりハンサムで女の子にもモテそうだ。
だが贅沢は言えまい。ゴードンだって、現実の自分に比べると、かなりかっこいいキャラクターだ。少なくとも、ドラえもんやミッキーに比べると、かなりの大出世と言ってよさそうだった。
僕も、ゴードン・トレイシーのようになれるだろうか?――彼は、サンダーバード4号を操り、水中での救助に日々あたっている。彼には操るべき機体があり、専門のフィールドがある。
それに比べると僕はどうだろう?――僕は、まだまだ未熟としか言いようがない。僕は、操るべきサンダーバード4号を持っていない。それを操る技術もない。自分の専門フィールドがどこにあるのか? それすら、わかっていない。
それ以前に、僕は日本人、あるいは地球人にすらなりきれていない気がする。事実、どこにいても、馴染めない感覚が消えることはない。
しかし、わざわざこの時代の地球、しかも日本に生まれてきた意味が何かあるはずだ。それが何なのか、よくわからない。具体的な理由はわからないけれど、おそらく、地球上でしかできないこと、過去の人生でやり残した宿題があるからなのだろう。その一つ一つをやり切るつもりで、生きていこう。
そのためには書くこと。毎日、書き続けること。それが今、僕にできる、唯一のことだと改めて誓った。
いつの日にか、僕も、ゴードン・トレイシーのようになれると信じて。
(第五章に続く)
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